「……暑い」
いつもは吐かない弱音が、あまりの暑さに口をついて出た。
空を見れば見事な入道雲が広がっている。まだ六月だというのに、真夏のような空模様だった。
俺でこの暑さならば、彼女にはより酷な現場だろう。
タオルで汗を拭いながら、この仕事を受けるべきでなかったと反省する。
……篠澤さんにこんな仕事がこなせるわけがないことは、わかりきっていたはずなのだから。
この仕事のオファーが来た時、俺は柄にもなく浮き足立ってしまった。
少しづつ相互理解が深まってはいたが、もともと能力にも知名度にも欠ける篠澤さんのプロデュースに、焦りを感じていたのだ。
仕事の内容は、清涼飲料水の広告モデル。
海辺での撮影が指定されていて、衣装は麦わら帽子に白ワンピース。
テーマは「夏の美少女」。彼女の透明感に惹かれてのオファーだという。
俺はすぐさま彼女を説得し、オファーを承諾した。
彼女の知名度を上げる、またとないチャンスだと思った。
しかし俺は、彼女のことを甘く見ていた。
「広ちゃーん、もうちょっと表情柔らかくできないかなー」
カメラマンがファインダーを覗きながら、困ったように声を張り上げる。
篠澤さんは、今にも倒れそうなほど疲弊した顔をしていた。真っ白な肌に滝のような汗を浮かべ、視線はふらふらと泳いでいる。
顔だけではない。撮影開始時にはきちんと取れていたポーズも、暑さに負けてぐにゃりと歪んでいる。
とても、先方がイメージした「夏の美少女」像には程遠い姿だった。
これ以上は、彼女の身体が持たない。
そう思ったのと、彼女が倒れたのは同時だった。
俺はすぐさまカメラマンたちに休憩を申し入れた。
海の近くにはコテージがあり、俺たちはそこを楽屋として使用させてもらっていた。
クーラーの効いた室内に彼女を寝かせ、プロモーション用の清涼飲料水を飲ませる。
「……ごめんなさい、プロデューサー。期待に応えられなかった?」
ベッドに横たわりながら、篠澤さんが謝る。普段のレッスンであれば、彼女は上手くいかないことを喜んでいただろう。
しかしこれはレッスンではない。仕事なのだ。支払われる対価に見合うパフォーマンスが出せなければ、それは失敗と見なされる。
「篠澤さんは悪くありません……俺の勇み足でした」
撮影を開始してから、まだ三十分程しか経っていない。ここまで体力がないとは。そう続けて、彼女を煽ることもできた。
しかし今回は、それに意味がないように思えた。
それを理解した上で軽視した、俺の甘さが招いた事態なのだ。
「すみません、これからどうするべきか……少し考えます」
このまま彼女に無理をさせて撮影を続ければ、先方の要求するイメージとはかけ離れたものが出来上がるだろう。
休憩を何度も挟んで、ベストショットだけを使ってもらうか。しかし日はもう傾きかけている。そんな悠長なことをしている時間はない。
いや、いっそ断るべきだろうか。このままでは、彼女のプロデュースに影響が出る。それはどうしても避けたかった。
俺がうなだれていると、篠澤さんがふいに笑った。
「ふふっ……プロデューサー、真剣なんだね」
「……仕事ですから。当然です」
「でも、わたしのプロデュースは趣味、なんだよね?」
「……俺は、趣味でも、真剣です」
彼女が何を言いたいのかわからなくて、声に力が籠ってしまった。
「じゃあ……一緒。わたしもそう」
いつも通りの抑揚のない声音で、それでいて優しく、力強い声で彼女は言った。少なくとも、俺にはそう聴こえた。
「プロデューサー。わたしはやっぱりダメダメで、アイドルになんてちっとも向いてないと思う」
「……知っています」
「だけど、こうやって向いてないことに挑戦することが、困難に立ち向かえることが、すごく楽しい」
「……それも、知っています」
「……ふふ、わたしが何を言いたいか、わかる?」
大きく、ため息をついた。彼女のプロデュースは本当に、ままならない。
「
やはり俺は彼女のことを甘く見ていたようだ。彼女にとって、
であれば、レッスンであろうと仕事であろうと、アイドルたらんと常に挑戦し続ける姿こそが彼女の理想像なのだろう。
「ふふ、プロデューサーは、わたしのことよくわかってる」
わからないことだらけですよ。その言葉は飲み込んだ。
「こうなれば、地獄まで付き合います」
「わたしのこと、地獄行きだと思ってるんだ……」
「あなたなら自ら行きかねませんから。あんな楽しそうな場所」
「ふふ、そうかも」
覚悟は決まった。あとは飛び込むだけだ。
「では、先方に話を通してきます」
「プロデューサー。でも、あんなダメダメなところ見せたからもう撮影してくれないかも」
「大丈夫です。俺に考えがあります」
俺はそう言って、楽屋を後にした。
潮の匂いが、鼻腔をくすぐった。
「プロデューサー、それ、この間の広告?」
教室に入ってきた篠澤さんが、俺の持つ印紙に手を伸ばす。
「はい。サンプルが出来たので確認を、と」
「ふふ、ひどい顔」
「ええ。とてもアイドルとは思えませんね」
「こんなのでOKされるなんて……プロデューサー、何て脅迫したの?」
「別に。ただ思いの丈を話しただけですよ」
そう言いながら、印紙に目を落とす。
降り注ぐ日光を照り返してまばらに輝く、白い砂浜。
その光に負けないくらいに白く、白く、透き通った肌。
目を瞑れば、一瞬の間に波にさらわれてしまいそうな足取りで海岸線を歩くその姿は、夏の非実在性に反駁するかのように、確かな存在感を纏っていた。