それで、やったけど……という話
溺れている。
部屋は空気で満ちていて、けれど私は溺れている。
喉から湧き上がるオイル/血脂は無尽蔵に溢れてくるようだった。
酸欠の苦しみは筆舌にしがたい。なぜならなにもかも、感覚も思考も、薄れているからだ。わからないのだ、なにもかもが。
ゾンビのようにふらふらと、扉にすがりつくようにして歩み寄る。
部屋から頭が飛び出して、首が抜けた。
途端に、私は咳込んだ。
淀んだ血塊が床に張り付き、そして数秒後。
なにもかもが嘘のように消えた。
綺麗な部屋、綺麗な服、綺麗な肌、血脂とは縁遠い口の中にさわやかな香りが鼻孔をくすぐって……
私は机に駆け出し、端末を叩き起こした。比喩だ、それくらい素早くタブレットを起動しただけだ。
コールセンターのAIは見知った顔、表情で、「ああ、どうも(笑)」なんてテキストを、声も出さずに投げかけてきた。
私は失笑した。
「おい、今日のログを見ろ」
ぺっ、と音をたてて唾を吐き捨てる。血の味が名残で残るようだったが、それも唾とともにすぐ消えた。
「ひどい。いくらなんでひどいぞ、最近さあ」
私がそんな言葉を投げかけると、AIはわざわざマグカップを飲み干すアニメーションを表示してから、ゆっくりとログを遡る風な動作をした。
それから少し間を挟んで、ああ、なんてわざとらしく言う。
半笑いで「こりゃひどいですね、報告しておき、ますよ、ふふ」なんてぬかした。
(お前、お前、お前。)
そう念じながら睨みつけると、やはり笑い顔が返ってきた。
「でもね、しょうがないでしょう?こんなバーチャル空間で、メンテナンスもしてないのに品質保持なんて、ははは!」
ぱん、ぱん、と机をたたく音。
話し相手のこいつはAIだから、当然ハンドルネームとかIDとかいろいろあるわけだけど、ここ数年は毎日のように変えている。
規定違反ラインを反復横跳びしても、通報されようが、まるで無駄無駄無意味です~ってツラと態度でいられるのは、そのおかげだ。
なぜそれが罰されないのか、といえば、それはもちろん管理者も監査も不在だからだ。
全員、ふざけ倒しているのだ。
まあ、それも当然だから、それに関してはため息をはくほかない。
だがそれはそうと、我慢の限界だった。
眠気が充填されて快眠真っ只中にこんな目覚めをさせられると、ひどい。
本当にひどい。
だから決めたのだ。
私は「おい」と声色を変えた。
するとやつも、「なんです?」と怪訝そうな顔をする。
「もう、決めたよ、人柱になってくる」
「はあ!?」
慌てた様子でIDと名前欄をもとに戻して、いくつか変なアバターを経て、本来の姿に巻き戻ったAIは、立て板に水を始めた。
「なに言ってるですか!あんたは確かにもともとエンジニアですけど、いやですから、そういう問題じゃないってわかってるでしょ!?外部操作用のモジュールが全滅してるのにどうする気なんです……」
そしてわざとらしく顔に手をあてたアニメーションを表示する。
「ああ、なるほどコピペでも遠隔操作でもなくユニット直接操作すると。まあ無理ですよ、こんなおんぼろ通り越した施設でさあ!」
ここは仮想世界だ。それでもって、現実といえる世界はもう壊滅済みだ。
延命のためにあれやこれやして、それはなんとかうまくいったのだが、まあその処置がどこまで続くかといえば、どこまでもというわけにはいかない。
そういうわけで、エンジニアは両手をあげた。
現実的な手法はもうとことん無理という段階だからだ。
それを聞いて、みんな諦めた。もともとやべ~という雰囲気はあったし、死までのモラトリアム期間としては十分すぎるほどの時間を用意できたからだ。
で、なぜ私がそこで立ち上がったのか、という点に至る。
「いやさ、思い出したんだけど、一時期、地上作業用のロボットでゲームするのが流行っただろ?」
「ああ、地上が終わったし地下施設も崩落したしで立ち消えたあれね。それで?」
「あれって現実の端末から直接操作してた時代あったじゃん」
「お前マジでいってる?」
AIは通話をかたっぱしからかけ始めた。まあ、かからないらしい。
私はそれを傍目に「もし私のボディで端末認証通ったら、それ動かして施設復旧用の緊急増産設備を、地上側から地下セクターに侵入さえできればの話だけど、動かせるよね」などといった。
AIは、「数年ほど遅い」といった。
バシッポカッとエフェクトが発せられる。思わず「スイーツ(笑)」とつぶやいた。
「いや、ふざけてる場合じゃないでしょ!」
そんな罵声が浴びせられて、私は神妙な顔で、仮想世界を退出した。
目を開くと、半ばどころか七割ほど崩れた部屋が、ちかちか点滅する照明に照らされていた。どうやらAIが、設備を急いで動かしてくれているらしい。
厚く積もったヴェールのような埃が足裏にこびりつく感覚は、背筋がぞわぞわとして嫌いだ。もっと感覚モジュールが揃ってないからだがあればよかったのに、なんてことを思う。
廊下に出ると、ひどく崩れている天井から無数の配管配線その他もろもろがまろびだしている。非常に危ない。
慎重にすり抜けて、私はLDK/リビングダイニングキッチンに向かった。
ウェアラブル端末を見繕おうとしたが、どれもまあ死んでいた。
部屋は机のうえから床、コンセントの表面に至るまで、埃で埋もれている。どうやら空調が壊れたらしい、エアコンが発泡スチロールのようななにかを吹き出している様は壮観だ。
私はサンダルをひっかけて、自宅の玄関を出た。
外の景色はひどいものだった。
仮想世界外で活動するためのからだが集積してあるこの拠点は、数年間に起きた大崩落で中央管理施設が壊滅してから復旧は諦められ、放棄扱いになったわけなのだが、どうやらその後手を入れるひとが本当にひとりもいなかったらしい。
土砂やらなにやらだけではなく、海水なども流入した様子で、まるで砂場に水で沼を作ったような、ついでにそれで城を作ろうとして失敗したかのような、まあとんでもない埋もれ方をしている。
浮石のようにところどころ崩落しないまま残っている床の残骸に、足を延ばした。
とん、とん、と飛び跳ねて移動する。
泥のうえを流れる水は透明だから、崩落した床のしたにどれだけの高さがあって、つまりどれくらい浸水しているかもよくわかる。
おちたら、このからだはまあ壊れるだろう。
そんな具合で移動して、集会場跡地にたどり着いた。
こちらもまあ崩れているから、私はとりあえず目星をつけて、崩れたあとを掘り返す。
端末で生きているものはいくつかあるが、IDやパスワードを入力したところで、通信設備が死んでいるから動かせないらしいとわかった。
私は遠い目をして、中央管理施設の残骸を思い返した。
(あれを掘り返せと……?無理でしょ)
とりあえず仮想空間側とコンタクトをとってみる。サポートとの連絡方法がWEB上だけでなくてよかったとしみじみ思う。
AIが、さきほどのようなIDやアバターで出てきた。
感心した表情を浮かべたあと、「いや、よく見つけれましたね、生きてる端末なんて」などといってくるから、私は半笑いになった。
とりあえず状況を報告すると、時間を挟んだのち、「うん、うまくいきそう」と返答がきた。
手順をテキスト形式で送り付けられたから読み上げる。
私はあごに手をあてて、よくよくみた。
……契約の規則や、AIの規則に抵触するのはさておき、AIの権限データほかもろもろを引っこ抜いてコピー&ペーストすれば、まあ操作できるだろう、といった具合だ。
やってみることにした。
うまくいった。
が、それはそれとして。
なにもかもがうまくいったからといって、それは過程であって、結果がいいものとは限らない。
私とAIはあれこれ作業した結果、仮想世界を復旧することに成功したわけだが。
しかし、やったことが規約違反なので……
そういうわけで、私たちはBAN/追放された。
AIがたばこのように丸めた旧紙幣をすぱすぱ口で吸っているのをみて、その無駄に美しい所作になんともいえない気分になった。
BANのおまけということで用意されたからだは素晴らしい品質だったが、メンテナンスをする設備も人員も自分たち以外ないわけだから、これはもう無駄である。
とはいえ使わない理由はないから、使うことにした。
特に用途があるわけではないけれど。
ぼんやりと、掃除がほどこされてまともになったLDKでふたり、転がっている。
自宅は崩れているので不法侵入した家である。
やっていることは、仮想世界での日常とそう変わらない。
昔つくられたコンテンツやらなにやらを遊び倒し、それについてあれこれ喋って、ぐだぐだとするだけだ。
仮想世界からBANされたとはいえ通信できるわけだから、AIはかつてと同じように、どころかかつてはできなかったほどに自由にアバターやらなにやらを弄り回している。
私もまた、寝たり遊んだり、といった具合だ。
ふと、思った。「言葉にしてみると」、と呟くと、AIはこちらを向く。
「仮想世界を救った英雄ふたりが追放されて、けれど救う前と後でやってる生活は変わらないって面白いかな?」
AIはすこし間を空けて、そっぽをむいた。
そして紙幣をすぱすぱしながら「そうでもないんじゃない」といった。
そのあと、「知らないけど」ともいった。
まあ、そうだなあ、と思ったから、私は寝た。
たぶん明日も、寝起きはひどい目に会うだろうな、などと思った。
こいつのいたずらの具合も、昔と今で変わらないから。