新型スコープ改め、スコープの後継機開発に関する段取りなどの資料を纏め終え、また先の戦闘での結果などを整理し本部へと送ると言う何時もの作業を終えたリリィは、一仕事終えた達成感を表現する様に椅子の背凭れに思いっきり体重を掛けた。
「ん、くぅ~……!」
キッチリとした制服姿では少しわかり辛い彼女の豊満な肢体。特に男なら振り返らずにはいられない胸元が、こういう時は殊更に強調される。思いっ切り体を仰け反らせたことで胸を突き出す形となり、必然的に制服の下に隠されていた豊かな胸が分かりやすくなる。
そんな魅力的な肉体美を露にするリリィの頬に、温かなコーヒーの入ったカップが当てられた。不意打ちで頬に触れるカップの感触に、気を抜いていたリリィは思わず飛び跳ねる程驚いた。
「のぉっ!? 何、誰、アイリス?」
一瞬、リリィはこれを同僚のアイリスの仕業かと勘繰った。つい最近合流したεチームのオペレーターは、時にこういう悪ふざけをやらかす。とは言え、この程度であれば可愛いものだから態々目くじらを立てる程の事ではなく、そもそもアイリスはそこまで悪戯っ子と言う訳ではないのでこれもスキンシップの一つでしかない訳だが。
だが生憎とリリィのこの予想は外れた。彼女が振り返ると、そこに居たのは少し意外な人物であったからだ。
「って、ロイ?」
「お疲れさま、我らが姫。これ、労いの一品」
そう言ってロイが持ってきたのは、コーヒーと茶請けのドーナツだった。態々外に行って買ってきてくれたらしい。彼の気遣いにリリィは肩から力を抜き、カップとドーナツの入った紙袋を受け取ると近くの椅子に腰掛けるよう彼に勧めた。
「ありがと。折角だからアンタも一服したら?」
「ありがたき幸せ」
気障ったらしく一礼し、近くの椅子に腰掛け自分用に買ったのだろう缶コーヒーの蓋を開ける。リリィには少し高めのカップのコーヒーを買っておいて、自分は安い缶コーヒーで済ませる所が女性相手に見栄を張りたがる彼らしい。
そんな彼を見やりながら、リリィはコーヒーに口を付けドーナツを一口齧る。コーヒーの苦味が疲れて動きの鈍った脳を刺激し、ドーナツに塗された砂糖の甘さが脳に栄養を送る。
束の間のブレイクタイムを楽しんでいたリリィは、心に余裕も出てきた事だしと折角なので前々から気になっていた事を訊ねた。
「ねぇ、一つ聞いてもいい?」
「何なりと、我らが姫」
「そうそれよ。何よ、その姫っての?」
ロイは気障な男であり、その仕草に見合う整った顔の持ち主だが、そんな彼が姫扱いするのは他に居る女性の中でもリリィだけである。彼が何を持って彼女の事を姫扱いするのか分からず首を傾げていると、当の本人は何だそんな事かと言わんばかりに肩を竦め口を開いた。
「簡単な話さ。この部隊で君はお姫様だ。この部隊で君の思い通りにならない事なんて何もない、そうだろ?」
「そんな事……」
無い……と言おうとしたが、よくよく考えてみればレックスに限らず部隊の男達を割と顎で使っている事を思い出した。流石に隊長である敦に対してまでそんな事はしないし、我儘や横暴な態度で接する事はせず飽く迄部隊全体にとって必要だからそうしているに過ぎないのだが、それでもアルバートですらリリィ相手には頭が上がらない現状を考えると、なるほど確かにこの部隊で敦を除きリリィが思い通りに出来ない相手は居ないのかもしれなかった。
思い当たる節がある事にリリィが押し黙ると、ロイは満足そうに笑って立ち上がった。
「要はそう言う事さ。それじゃ、俺はこれで」
言いたい事を言い終え、持参したコーヒーも飲み干した彼は用事は済んだと言わんばかりに部屋を後にしようとする。そんな彼の背に、リリィは意趣返しの意味も込めて意地の悪い事を言った。
「もしかしてだけど、私の事狙ってたりする?」
強かに成長したリリィによる、男の純情を弄ぶかのような発言にロイは一瞬キョトンとした顔をするが、直ぐに肩を竦め何を馬鹿な事をと言うかのように溜め息と共にその言葉を否定した。
「何を仰る。君にはもう立派な王子様が居るじゃないか? 大事にしてあげなよ」
そう言ってロイは今度こそ部屋を後にした。残されたリリィは、言外に悪ふざけも大概にと窘められた事に気付き自分で自分の頭を小突いた。
「やれやれ、ちょっと疲れてるのかしら」
或いは、最近忙しくてレックスとあまり触れ合えていないストレスが変な形で出たのかもしれない。折角εチームが来てくれたのだし、これからは少しは楽になる。久し振りにレックスと軽くどこかへ出掛けようか等と考え、そこでリリィは先程のロイからの姫扱いが気になった。
(アイリスとかも、姫扱いされてるのかな?)
姫扱いは流石に言い過ぎかもしれないが、大事にされているのかとふと気になった。そんな事を考えていると、ロイが出ていった扉が開き件のアイリスがやって来る。手には資料の入ったファイルを持っているので、今後の行動の為の情報の精査が目的なのだろう。
アイリスの方はリリィが居るとは思っていなかったのか、少しだけ驚いたような顔を彼女に向けた。
「あらリリィ? こんな所で休憩中ですか?」
「そんな所。ねぇアイリス、少し聞きたいんだけど?」
「何です?」
「アンタって、部隊で大事にされてる方?」
突然のリリィからの問い掛けに、何のこっちゃと言う顔をするアイリスだったが、質問の意味自体は理解できるのでとりあえず答えた。
「そりゃされますよ。と言うより、オペレーターを大事にしない部隊なんて無いでしょう?」
これは別に自分達が女だからと言う意味で言っている訳ではない。オペレーターにも男性は居るし、逆に前線の隊員にも女性は居る。そう言う次元の話では無くて、そもそもS.B.C.T.の各部隊はオペレーターの存在意義を理解し、彼女らを正当に評価して大事にしていると言う意味であった。
それぞれの部隊の頭脳は言うまでもなく各部隊の指揮官である。だがその指揮官や、指揮官の手足となって戦う隊員達に必要な情報と言う栄養源を送る心臓の役割を果たすのは、他ならぬオペレーターなのだ。心臓を大事にしない人間などいない。
仮にオペレーターを、後方でモニターを見て適当に指示を出すばかりの楽な仕事と見下すような隊員が居れば、その隊員は忽ち他の隊員達から袋叩きにされ分からされるだろう。何しろオペレーターが正しい情報を送ってくれなければ、前線の隊員達は敵の正確な位置や次の目標、守らなければならない対象も分からなくなるのだから。
そもそも、部隊のオペレーターに選ばれるのだって決して楽な道ではない。リリィだってレックス同様、この椅子に座るまでに血の滲むような努力を重ねて実力で今の立場を手にした。そんな彼女の事を、蔑ろにする様な愚か者は少なくともδチームには存在しない。
そう言った事実を再認識したリリィは、序でと言わんばかりにアイリスが部隊の他の連中との関係を聞いた。
「じゃあさ、部隊の野郎共を顎で使う様な事とかは?」
「してますよ?」
「してるのッ!?」
「えぇ。この間も隊長を」
「隊長ッ!?」
この返答は流石に予想外だった。前述した通り、リリィだって部隊の隊員を自己の判断で動かす事はある。だがそれにしたって、一応指揮官である敦に対してだけは一定の線引きをしていると言うのに、この女はあろうことか自分の部隊の隊長すら使うと言うのだから恐ろしい。
リリィから畏怖の視線を向けられている事に気付いたアイリスは、顔を赤くして両手を振って誤解を解こうとした。
「あっ! ち、違いますよッ? 私的な事は何も頼んでませんからッ! 飽く迄も部隊運用の上で必要な事に関してですね……!」
「誰もそこまで横暴な事してるなんて思ってないわよ。ただ自分の所の部隊長すら顎で使う、その度胸に驚いただけよ」
口ではそう言うが、しかしリリィは確信していた。恐らくはアイリスの事だから、笑顔で相手を脅迫して言う事を聞かせているのだろうと。
何しろ彼女の特技と言えば…………
(ハッキングで相手の秘密を握るなんてお手の物でしょうしね。可哀想に)
リリィは心の中でεチームの隊員達に向け十字を切った。彼女の表情から全てを察したアイリスは、その考えを否定しようと必死にあれこれ言葉を紡ぐのであった。
***
ノスフェクトは太陽の光に弱い。とは言えそれは苦手と言うだけの話であり、別に太陽光に晒されたからと言って肌が焼け爛れるとかそんな致命的な弱点ではない。だがだからと言って好き好んで日の光の下に出る様な事はせず、アルフもそうだが日中は基本日の光の当たらない所で静かに過ごすのが常であった。日中何をしているか分からない、それどころか普通に外出もするジェーンの方が明らかにおかしいのだ。
それは季桔市で活動しているヴラドも例外ではなく、まだ体のあちこちがカラカラに干からびている彼は、日中は日の当たらない静かな場所を転々としていた。その場所を見つけ出すのは彼の側近のような立場のカミラであり、彼女は日の当たらない静かな場所で体を休めるヴラドの身の回りの世話を焼いていた。甲斐甲斐しく動き回るその姿は忠実な僕そのものであり、しかし彼女がヴラドに向ける目はただの忠誠心には収まらず熱の込められた視線はただの忠誠心以上の何かを感じさせた。
そんな彼女でも、生きている以上生存の為のエネルギーの補充は必要不可欠。特に彼女の場合は、ヴラドに血を分け与えているのでヴォーダンなどに比べれば消耗は激しかった。
それが分かっているヴラドは、時折タイミングを見計らってカミラに自身のエネルギーの補給を優先させる。
「カミラ……私の事はいいから、お前もそろそろ血を吸いに行け。そろそろ乾いてくるころだろ」
「ですがヴォーダンがここを離れている今、私までがあなた様の傍を離れる訳には……」
渋るカミラだったが、ヴラドは静かに目を開けると彼女の手を優しく取る。その手は僅かに枯れてきており、彼女の中のエネルギーが足りなくなってきている事を表していた。
ヴラドに手を取られたカミラは、咄嗟に手を引っ込めて隠そうとした。敬愛するヴラドにこんな醜いものを見せたくはない。
「あ……!? も、申し訳ありませんッ! この様な汚らわしいものを……」
咄嗟に手を引っ込めようとしたカミラであったが、ヴラドはそんな彼女の手を掴んで引き留め、それどころか両手で包み込んで優しく撫でた。とても大切にするような彼の仕草に、カミラは撫でられたところが僅かに痺れたような感覚を覚える。
「ぅ、ぁ……! ヴ、ヴラド様……!」
「そんなに自分を卑下するな。お前には何時も助けられている。偶の労い位は素直に受け取ってくれると嬉しい」
そう言って見上げてくるヴラドの目はとても優しい。とてもではないが、カミラ達ノスフェクトを束ねている存在には思えない穏やかな目に、カミラは熱に浮かされた様に頬を赤く染めた。
「は、はい……」
「ありがとう。それに案ずるな。直にこの地に博士がやって来る。博士が来れば、今よりは色々と楽になるだろう。それまでの辛抱だ」
ヴラドのその言葉が後押しとなった。カミラは納得したように頷き、名残惜しそうにヴラドに握られている手を引き抜き彼から離れた。
「分かりました。それでは今暫く、失礼させていただきます。直ぐに戻ってまいりますので、暫しお待ちを」
「うん。そう慌てなくていい。しっかり、血を吸って万全のコンディションを整えるんだよ」
「はいッ!」
敬愛するヴラドからの激励にカミラは頬を赤く染めながら爛々と輝く目で頷き、そして影に紛れる様にその場から姿を消した。姿が消え、気配も消えたのを確認するとヴラドは再び目を瞑り眠りにつく。
人の来ない廃屋の更に奥、日も当たらない場所に置かれた朽ちかけたソファーの上で、ヴラドは静かに寝息を立て始めるのだった。
***
シルヴァから受けた傷を癒した京也は、この日も何時もと変わりない日常を送っていた。何時もの様に学校に通い、学友と挨拶を交わして他愛ない会話を楽しみながら、授業を受け教師の言葉が頭上を通り過ぎるのを待ちながら下校の時を待つ。
この間、彼の頭の片隅には絶えずアルフの存在があった。彼女と出会ってから、その姿を思い浮かべなかった事は無い。学友と話している時も、授業を受けている時も彼は頭の中でチラチラとアルフの事を考えていた。
何時も思う。アルフも一緒に学校に通えたらいいのに。ジェーンであればアルフを学校に捻じ込むくらい訳ないだろう。実際彼女がそう言う事をした所を見た訳でもないし、それが出来ると彼女から聞いたわけではない。だが京也は漠然と、彼女であればその程度どうと言う事はないと言う確信があった。ジェーンであれば、アルフを違和感なくこの学校に編入させる事等造作もない筈だ。
だが事はそう簡単にはいかない。最大の問題はアルフが上級のノスフェクトであり、しかし今はその力の大半が失われていると言う事だ。京也と出会うまでの間に大分消耗したらしく、ノスフェクトとしての力も大分弱まっているのだとか。そんな彼女が京也と共に学校に通うのは難しい。最近は日中にも京也と出掛ける事もあるが、そもそも彼女の本来の活動時間は夜なのだ。夜型の彼女が日の昇った日中に元気よく活動するのは少し厳しいものがある。
(それにアルフはちょっと常識が……)
何と言うか、アルフは何処か垢抜けていると言うか浮世離れしていると言うか、兎に角常人とは思考がやや異なる。顕著なのはちゃんとした衣服を身に着けない事であり、最近は大分改善されてきたがそれでも気を抜くとすぐ彼女は一番動きやすい下着にパーカーだけを纏った姿で一日を過ごす。羞恥心が小さいのか、自分の恥部を晒す事に抵抗が無い彼女が制服なんて身に着けようものなら、きっと人前でスカートの中身が見える様な事になっても気にする事は無い。ただでさえ高校生離れした美しさ、特に大きな胸の持ち主なのだ。この上スカートの存在を無視するような動きを平然としたりしようものなら、周囲の男子から変な目で見られる。
アルフの美貌や恥部を他の男子生徒に舐める様に見つめられる姿を想像すると、それだけで京也は何だか面白くない気分になって来る。そう考えると、やっぱりアルフは学校には来ず今のままの方が良いのかもしれない。そう思い直して、京也は教材を片付けると彼女の元に戻るべくさっさと下校しようと席を立った。
「よ、っと」
ふと近くで実里の声がしたのでそちらを見ると、同じように下校しようとした彼女が席を立つのが見えた。それ自体は別に可笑しくないのだが、珍しい事に今日は彼女1人だった。何時もであれば、彼女の隣には必ず揚羽の姿もあるのだが……
「あれ、須藤さん今日は1人? 磯部さんは?」
思わず京也がそう訊ねると、実里は小さく肩を竦めながら答えた。
「あぁ、揚羽なら今日は部活の助っ人。確か野球部だったかな?」
「あぁ、なるほど」
揚羽は基本的に特定の部活に属していない。本人が色々な部活に興味を抱いているのもそうだし、多くの部活の者達と仲良くなりたいと言う想いからか特定の部活には入らず助っ人として様々な部活に顔を出すスタンスを貫いていた。
驚くのは野球部やサッカー部などの運動部だけでなく、所謂文化部にも助っ人として呼ばれて赴く事だった。前に囲碁部の助っ人に向かったと言われて、正直揚羽に囲碁は似合わないと思ってしまったくらいだ。だがその印象に反して囲碁部からも評判は良いらしい。
人柄もあって、揚羽は多くの部活から引っ張りダコとなっている。そんな彼女の事を京也は時折羨ましく感じていた。
「んじゃ、お先に~」
「あ、うん。また明日」
そんな事を考えていると、実里は帰り支度を終え鞄を手に教室から出ていこうとした。直前に話していた京也に手を振り、京也もそれに手を振って答えてから自身も早く帰ろうとカバンを手に机から離れようとした。
その瞬間、突如校庭から数人の生徒の悲鳴が聞こえた。何事かと京也や他にも教室に残っていた生徒が窓から校庭の方を見ると、そこではノスフェクトが校庭で部活をしている生徒を襲っていた。
「ガルルッ!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
運悪くノスフェクト……外見的特徴から恐らくタートルノスフェクトに捕まった陸上部の生徒が、首筋に食らい付かれて血を吸われていく。押さえつけられながら血を吸われる生徒は、最初暴れていたが次第に大人しくなり徐々に血を吸われて最後には干からびてしまった。
その光景に他の生徒は更に大きな悲鳴を上げる。
「ひぃぃぃぃっ!?」
「助けてぇぇぇぇッ!?」
クモの子を散らす様に逃げる生徒達を、食事を終えたタートルノスフェクトが次の獲物を定めて襲い掛かる。次に狙われたのは野球部のマネージャーをしている女子生徒だ。恐怖のあまり足が竦んだのか、足がもつれて転んでしまったらしい。倒れて動きが鈍った女子生徒に、タートルノスフェクトは覆い被さる様に襲い掛かる。
「イヤァァァァッ!?」
教室から生徒達が見ている前で、新たな生徒の犠牲者が出てしまう。そう思った矢先、タートルノスフェクトにバットが振り下ろされた。
「フンッ!」
「ッ!?」
「揚羽ッ!?」
バットを振り下ろしたのは野球部に助っ人に入っている揚羽だった。彼女は女子生徒に襲い掛かろうとしていたタートルノスフェクトにバットを叩きつけ、続けてフルスイングで頭を殴り付けその衝撃でタートルノスフェクトを僅かながら後退らせた。
「グッ……!?」
人間、それも女子である揚羽の一撃などノスフェクトにとって大きなダメージとはならない。だがその衝撃は無視できなかったのか、タートルノスフェクトは頭を揺らしながら数歩後ろに下がった。その隙に揚羽はへたり込んでいた女子生徒の腕を掴んで無理矢理立ち上がらせてその場から逃げ出そうとした。
「今の内ッ! さ、早くッ!」
「い、磯部さん……!」
揚羽に腕を引かれて何とか立ち上がった女子生徒は、そのまま彼女に引っ張られてタートルノスフェクトから距離を取る。腰が半分抜けているのか足取りは不安定で、危うく転びそうになる場面も何度かあった。それでも何とか距離を取れていたが、体勢を立て直したタートルノスフェクトはあっという間に2人に肉薄し逃げる2人を逆に押し倒してしまった。
「うわっ!?」
「きゃあっ!?」
「揚羽ッ!? 駄目、逃げてッ!?」
教室から実里が見守る前で、揚羽はタートルノスフェクトに押さえ付けられて食らい付かれそうになる。亀の嘴からは涎が垂れ、今にも揚羽の首筋に突き立てられそうになっていた。吐き出される血生臭い息に恐怖を感じて顔を引き攣らせ目に涙を浮かべながら、それでも恐怖に屈することなく彼女は自分を押さえ付けているタートルノスフェクトにバットを叩き付け抵抗した。
「離、して……! このっ! 離して、よっ!」
手足を派手に暴れさせてバットを甲羅などに叩き付けるが、地面に押さえ付けられると言う力の入れ辛い状態ではバットにも満足に力が乗らない。タートルノスフェクトはそんな彼女を嘲笑う様に、ゆっくりと首筋に嘴を近付けていく。
揚羽に夢中になってくれているお陰で、最初に狙われていた女子生徒はタートルノスフェクトの下から抜け出せた。それを見て揚羽は、タートルノスフェクトの嘴にバットを挟んで抵抗しながら叫んだ。
「逃げてッ! 早くッ!」
「あ、ぁぁ……で、でも……!?」
「良いからッ! 早く逃げてッ!」
揚羽の力強い声に発破を掛けられ、女子生徒がよろめきながらその場から逃げ出した。これで彼女は大丈夫と揚羽は僅かに笑みを浮かべる。
だが今度は彼女の方に命の危機が迫った。タートルノスフェクトは彼女が口に挟んできたバットを噛み砕き、口の中の破片を吐き出して改めて彼女の首筋に噛み付き血を吸おうとする。
今にも襲われそうになる揚羽の姿に、実里が悲鳴を上げた。
「揚羽ぁッ!? 嫌、ダメッ!? 誰か、誰か揚羽を助けてッ!?」
親友が今にも殺されそうになっている光景に、実里が涙ながらに窓から身を乗り出して叫ぶ。その間にも血生臭い吐息を吐くタートルノスフェクトの嘴が揚羽の首筋へと近付き――――
「こ、のぉっ!」
寸でのところで京也がタートルノスフェクトを蹴り飛ばし、下敷きになっていた揚羽を引っ張り上げる様にして持ち上げ立ち上がらせた。目まぐるしい状況の変化に揚羽は目を白黒させるが、それでも自分が京也に助けられた事を理解した。
「紅月君ッ!」
「こっち!」
京也はそのまま揚羽を校舎裏まで引っ張っていくと、用具倉庫を見つけ彼女をそこに連れていき扉を開いて中へと放り込む。
「ここに居てッ!」
「ま、待って紅月君ッ!? 一緒に隠れようよッ!」
揚羽としてはこのまま京也と一緒にノスフェクトをやり過ごすつもりだったのだが、生憎と京也はそれが無理だと分かっていた。ノスフェクトだってバカじゃない。突然獲物が姿を消し、近くに手頃な建物があればそこを探すくらいの知能はあった。
それに仮にここで2人がノスフェクトをやり過ごした場合、アイツは代わりに校舎に残っている生徒を襲いに向かう。それでは駄目だ。これ以上、ノスフェクトに学校の生徒を襲わせる訳にはいかない。
出来ればそれを一から説明したい京也ではあったが、生憎とそれだけの時間は今は皆無。あと数分もしない内にタートルノスフェクトは追いついて来る。
故に京也は、揚羽を少しでも安全させる様に優しく笑うと彼女を用具倉庫に押し込み外からつっかえ棒をした。
「あっ!? ちょっと紅月君ッ! 紅月君ッ!!」
閉じられた扉の中から揚羽が扉を叩く音と京也を呼ぶ声が響いた。だが京也はそれに答える事無く、一つ息を吐くとゆっくり背後を振り返る。
そこには追いついたタートルノスフェクトがいた。奴は京也の事を追い詰めたとでも思っているのか、恐怖を煽ろうとしているかのようにゆっくりとにじり寄っていく。
絶体絶命の状況。しかし京也の顔に浮かぶのは、恐怖ではなく不敵な笑みであった。
「残念だったね……アルフッ!」
京也の声を合図に、タートルノスフェクトの死角から飛び出したアルフが蹴りを放つ。生身の京也が先程放った蹴りとは比べるまでもなく思い一撃により、タートルノスフェクトは体をくの字に曲げて吹き飛ばされ校舎の壁に叩き付けられた。
「ガァァッ!?」
「ふぅ……」
「アルフ!」
「あ、京也ッ!」
タートルノスフェクトを蹴り飛ばして一息つくアルフの名を京也が呼ぶと、彼女は花が咲くような笑みを浮かべて彼に抱き着く。彼もそれを受け入れ優しく彼女の頭を撫でると、そのまま彼女の頭を自分の首筋に押し付けた。
「アルフ、お願い」
「ん……ガヴッ!」
「んぐぅ……!」
タートルノスフェクトが体勢を立て直そうとする中で、京也はアルフに血を吸われて快楽の声を上げる。そして十分な血を彼女に吸わせて、クロスブラッドが生成されると彼はそれを手にタートルノスフェクトの前に立ち身構えた。
「ん……京也」
「ありがと、アルフ……変身ッ!」
〈ダイシリアス! キョウヤ!〉
キョウヤがヴァーニィに変身すると、相手が自分の天敵に近い存在であると気付いたタートルノスフェクトが戦闘態勢に入る。前のめりになってゆっくりと近付いて来るタートルノスフェクトを前に、ヴァーニィも両手にコートを巻き付けて爪の生えた巨大な手を作り出し対峙した。
「ガルァァァッ!」
「はぁぁぁっ!」
互いに相手に飛び掛かるヴァーニィとタートルノスフェクト。リーチの関係か先に攻撃が相手にヒットしたのはヴァーニィの方であった。鋭い爪がタートルノスフェクトの甲羅に直撃する。
アスファルトの地面をも抉る威力のある一撃。しかしタートルノスフェクトの甲羅はそれに耐え、甲羅の表面には傷一つなく逆にヴァーニィの一撃を跳ね返した。
「うわっ!? ぐっ……!」
予想以上の甲羅の強度に面食らいながらもヴァーニィは攻撃を続行。何度も攻撃を叩きつけるが、彼の一撃はどれもタートルノスフェクトの甲羅に阻まれダメージとならなかった。それどころか、タートルノスフェクトは自分の甲羅でヴァーニィが攻撃を弾かれ体勢を崩した瞬間を狙ってタックルを喰らわせ、強度とパワーの違いから放たれる一撃に逆にヴァーニィの方を吹き飛ばした。
「うわぁぁっ!?」
「京也ッ!? くっ!」
タートルノスフェクトはタックルして押し倒したヴァーニィの首に嘴で食らい付こうとする。それを見てアルフは咄嗟に飛び出し、逆にタートルノスフェクトに噛み付くと血を吸い始めた。
「ふぅっ! ふぅっ!」
「ガァァァァッ!」
「ん、ぐぁっ!?」
「あ、アルフ……!?」
アルフも上級ノスフェクトだが、力が完全に戻っていない彼女のパワーは常人よりも優れていると言う程度であった。あえなく振り払われ、殴り飛ばされ地面に倒れるアルフの姿にヴァーニィは立ち上がり拳を握ると、タートルノスフェクトの頭を殴り飛ばした。巨腕となった腕による一撃はそれだけでかなりのダメージがあるのか、タートルノスフェクトは衝撃でグワングワンと頭を揺らす。
絶好の攻撃の機会であるが、彼はそれよりも殴り飛ばされて倒れたアルフの安否の方を優先させた。
「アルフ、大丈夫!?」
急いで駆け寄り、倒れた彼女を助け起こす。その間にタートルノスフェクトは体勢を立て直し、自分に背を向けているヴァーニィに体重を乗せたタックルをお見舞いしようとした。
それに気付いた彼は、倒れているアルフを守ろうと彼女を抱えてタートルノスフェクトに背を向け攻撃の威力が彼女に及ばない様にした。
しかしそれは杞憂に終わった。あと少しでタートルノスフェクトのタックルがヴァーニィに直撃するかと思われたその時、突如両者の間に割り込む様に跳び込んだ人影がタートルノスフェクトのタックルを防いだのだ。
「お~っと」
「ガッ!?」
「……え?」
来たる痛みと衝撃に備えていたヴァーニィは、予想を裏切り聞き覚えのある声とタートルノスフェクトの困惑した声に振り返る。そこで彼とアルフの2人が見たのは、背中に何か大きな何かを背負ったジェーンの姿であった。ジェーンは2人ににこやかに笑いかけると、タートルノスフェクトのタックルを防ぐのにも使った背負っている物を下ろしてヴァーニィに手渡した。
「お待たせ~。京也く~ん、ご要望の代物よ~」
そう言ってジェーンからヴァーニィに渡されたのは、巨大な十字架であった。鈍色の十字架は、長い棒の部分の縁が銀色に輝いており先端には銃口のような物がある。
「これは……!」
「お望みの武器の~、”グレイブレイカー”よ~」
一見するとただの巨大な十字架でしかないそれを渡され、大きさと重さにヴァ―ニィは圧倒される。兎に角重量感が半端ではない。ヴァーニィの筋力であれば扱う事は難しくないが、それでも身の丈を超えるこのサイズ感とそれに見合った重量はそれだけで威圧感があった。
ヴァーニィが存在感に圧倒されていると、タートルノスフェクトが再び3人に襲い掛かろうとした。それを見た瞬間、ジェーンはグレイブレイカーの十字架を構成する4本の棒の内、左右の短い棒を構成する部分の片方を外しそれからグリップを引き出すとタートルノスフェクトに向け引き金を引いた。放たれた銃弾は、タートルノスフェクトの身を護る鎧を穿ち後ろに下がらせる。
「ガァァァァァッ!?」
「そこっ!?」
「ここもよ~、勿論反対側も銃になるから~。それと~……」
朗らかに言いながら、ジェーンは拳銃を元に戻すと、ヴァーニィにこの武器の使い方をレクチャーする。
ジェーンから簡単に説明を聞いたヴァーニィは、言われた通りにグレイブレイカーを構える。丁度十字架を正面から見た場合の中央部分にあるグリップを引き出し、グレイブレイカーを脇に抱える様にして構えて銃口を向ける。そしてタートルノスフェクトに向け引き金を引けば、先程の銃撃など比にならない砲撃に近い発砲音を響かせた。放たれた砲弾は一撃でタートルノスフェクトの肩の甲羅を吹き飛ばした。
「ギャァァァッ!?」
「今よ~」
「はいっ!」
タートルノスフェクトがもんどりうって倒れている隙に、ヴァーニィはグレイブレイカーの銃口がある方とは反対側の短い棒の部分を展開させる。するとそこには剣の柄があり、彼はそれを掴んで十字架を上下逆に構えた。
そう、グレイブレイカーは3つの武器を使用者に齎す多目的な装備なのだ。拳銃、キャノン、大剣と3つの使い方がある。
ヴァーニィは構えた大剣モードのグレイブレイカーを、渾身の力を込めてタートルノスフェクトに振り下ろした。
「ハァァァァッ!」
振り下ろされた大剣をタートルノスフェクトは躱せないと判断したのか、咄嗟に背中の甲羅を向けて攻撃を防ごうとした。
だがそれは無駄な努力となる。振り下ろされた大剣の刃の部分は、ノスフェクトには特攻を持つ銀成分を含む合金で作られている。勿論使用する銃弾も同様で、詰まる所この装備は対ノスフェクト戦に特化した性能を持っているのだ。
そんなものを防ぎきれる訳もなく、しかも刃の部分は見ただけでは分からないが超高速で振動している。それにより斬撃力が増しており、タートルノスフェクトの甲羅はヴァーニィの振り下ろした一撃に甲羅諸共切り裂かれてしまった。
「ギャァァァァァァァァァッ!?」
一撃で両断され、タートルノスフェクトは断末魔の叫びをあげ爆散した。タートルノスフェクトが爆散する直前、ヴァーニィは後ろに下がりアルフとジェーンを爆風から守る為グレイブレイカーを地面に突き立て防壁替わりにして防いだ。
熱と衝撃が突き立てたグレイブレイカーにぶつかり、束の間ヴァーニィは足腰に力を入れて踏ん張る。それも長くは続かず、次の瞬間には圧力も無くなり影から顔を出すとタートルノスフェクトが居た場所には何者かの死体と砕けたクロスブラッドが落ちていた。
そこそこの強敵を倒せたことにヴァーニィは小さく息を吐きホッと胸を撫で下ろす。ジェーンとアルフはそんな彼を労おうと駆け寄り、直後用具倉庫の扉が開かないようにしていたつっかえ棒が倒れて音を立てた。
「あ、開くっ!」
扉を封印していた棒が無くなったのに気付いた揚羽が、勢いよく扉を開ける。その直前、ヴァーニィ達は急いで物陰に隠れた。揚羽が用具倉庫から出た時には、もう誰も居なくなっており京也の姿もない事に揚羽は困惑した。
「紅月君ッ!……って、あれ?」
外に京也の姿が無い事に困惑する揚羽だったが、少し離れた所に倒れた人がいる事に気付くと慌ててそちらへと向かっていった。
「だ、大丈夫ですかッ!?」
急いで犠牲者に駆け寄り、その相手が既に死んでいる事を知り悲鳴を上げながら助けを求めて校舎の中へと入っていく揚羽。
その姿を見送ってから、ヴァーニィは変身を解きアルフとジェーンは物陰に潜む様にしてその場から姿を消すのであった。
と言う訳で第14話でした。
ヴァーニィの新武器、その名もグレイブレイカー。元ネタはほぼまんま、コトブキヤで発売予定のメタモルフォーゼユニット グレイブアームズ2です。
執筆の糧となりますので、感想評価その他よろしくお願いします!
次回の更新もお楽しみに!それでは。