…………それは、京也が初めてヴァーニィに変身し、アルフが共にジェーンの下で暮らす様になった直後の事だ。
ジェーンは戦闘後、京也が変身に使用していたヴァンドライバーを手に取り珍しく真剣な表情でそれを見つめていた。何時も掴み処の無い笑みを浮かべてばかりな彼女には珍しい表情に、京也は思わず緊張して彼女の次のアクションを待っていた。
『まさか~……実用化してたなんてね~。…………あの博士生きてたのはまだしも相変わらず――――』
何やらブツブツと呟くジェーンに、色々と聞きたい事はあった。訳も分からず変身してしまったヴァーニィの事や、ウルフノスフェクトを撃退出来てしまったジェーンの事とか色々とだ。だが京也も初めて感じる、ジェーンの剣呑な雰囲気に彼は喉元まで出掛かった疑問を飲み込まざるを得なかった。今のジェーンには触れるべきではないと、本能が盛大に警鐘を鳴らしていたのだ。
緊張しているのはアルフも同様であった。彼女はより敏感にジェーンの纏う雰囲気に恐れすら抱いたのか、京也に抱き着く様に彼の背に隠れていた。
暫く京也が直立不動でジェーンの様子を見ていると、不意に彼女が顔を上げて京也にヴァンドライバーを見せる様にしながら口を開いた。
『京也く~ん、もし今後もこれで戦うつもりがあるなら~、一つ約束してちょうだ~い』
『は、はい……?』
『絶対に……人間の血だけは吸っちゃ駄目よ』
普段の間延びした喋り方も忘れた様に、真剣な雰囲気でそう告げるジェーンの血の様に赤い瞳から京也は目が離せない。彼と目を合わせながら、ジェーンは念を押す様に再度決して人間の血だけは吸わない様にと言い含めた。
『いい、絶対よ?』
『あの、って言うか、血を吸うって……』
『あぁ、今回はしてなかったわね。まぁその内分かるだろうけれど、兎に角人間の血だけはダメだからね。でないと最悪…………』
――戻れなくなるわよ――
「ダメェェェェェェェェェッ!?」
アルフの叫びが響く中、ヴァーニィの牙が実里の首元に突き刺さる。
その瞬間実里はまたしてもあの強烈な快楽に襲われ、頬を紅潮させて熱い吐息を吐き出しながら目を見開いていた。
「あぁ、あぁぁぁぁ……は、ぁぁ、うぁぁ……!」
実里の口から悲鳴に近い嬌声が上がり、意識せず彼女はヴァーニィの頭を掻き抱いていた。まるでもっともっととせがんでいるような姿である。
実里が吸血される事に夢中になっているのと同様に、ヴァーニィもまた実里の血が流れ込んでくる事に途轍もない甘美な衝撃を感じていた。
(お、美味しい! 美味しい、美味しい……!)
今までに味わった事のない美味。飲んだ事は無いが年代物のビンテージワインの様な豊潤さに、夏の炎天下で口にする良く冷えた天然水の様な清涼感、そして何よりも最高級肉で作ったステーキの様な本能に直撃する美味にヴァーニィは夢中になって実里の血を啜った。実里が彼の頭を抱きしめる様に、彼も彼女を離すまいと両腕でがっしりと抱きしめる。
ヴァーニィが一心不乱になって実里の血を啜る。このままだとそう遠くない内に彼は致死量に至るまで彼女の血を吸ってしまうだろう。だが夢中になっているヴァーニィは勿論、命の危機が迫っている筈の実里ですらその事に気付く事無く血を吸う事・吸われる事に夢中になってしまっていた。
このままだとヴァーニィが実里の血を吸い殺してしまう。それを誰よりも理解していたアルフは、自身の腹を踏みつけているウルフノスフェクトの足を渾身の力で殴りつけ無理矢理退かすと、動く度に全身に走る痛みを無視して駆け出し2人に近付いて行った。
「ダメェェェッ!」
アルフは勢い良く2人に飛びつき、ヴァーニィの首筋に噛み付き彼を正気に戻す。吸血関係なく鋭い牙で食らい付かれた痛みに、吸血に夢中になっていたヴァーニィは漸く我に返り実里の首元から牙を離した。
「ッ!? うあ、あ……!?」
慌てて実里の首元から顔を離して彼女の事を見て、ヴァーニィは思わず愕然となった。
「う、うぁ……ぁ……はぁ、ぁぁぁ……」
実里は血を吸われ過ぎて青褪めた顔をしていながら、表情は恍惚で快楽の余韻に体を震わせていた。恐らくアルフが止めてくれなければ、彼女はそのまま彼に身を委ねて死んでしまっていただろう。
自分がどれ程恐ろしい事をして、彼女を危険な目に遭わせてしまっていた事に気付き彼は自分に恐怖し弾かれた様に彼女から離れた。
「あ、ぁぁ……!? ぼ、僕は、何て事……!?」
「京也、落ち着いて。大丈夫、実里は死んでない」
「でも!?」
あと一歩で実里を殺してしまっていたかもしれない。その恐怖に恐慌状態になるヴァーニィをアルフが必死に宥めようとする。だが初めての人間への吸血とそれにより友達を殺し掛けたという事実は、京也の様な少年が受け止めるには大きすぎる衝撃であった。アルフの必死の説得も届かず、彼はそのまま変身を解いてしまいそうな勢いで体を震わせていた。
そんな彼の気持ちを切り替えたのは、皮肉な事にウルフノスフェクトであった。
「何テメェで独り占めしてんだッ!」
「あっ!?」
飛び掛かって来たウルフノスフェクトに対し、ヴァーニィは咄嗟に実里をアルフに押し付けるような形で押し退けその場から離れさせると、飛び掛かって来たウルフノスフェクトを前に咄嗟に蹴りを放った。一見すると特に何の変哲もないただの回し蹴り。
だが蹴りが放たれた瞬間、今までに見た事のない現象が起こった。何とヴァーニィの蹴りの軌跡が血の様に赤く残ったのである。まるで漫画かアニメの様に、空中に描かれる赤い軌跡。
「えっ!?」
「うぉっ!?」
しかもそれはただ軌跡が描かれただけではなかった。ウルフノスフェクトはその空中に描かれた赤い軌跡に弾かれ、後ろに大きく仰け反らされたのである。
「な、にぃ……!? こ、コイツはッ!?」
まさかの出来事に目を見開くウルフノスフェクトの前で、ヴァーニィは視線を下に向け己の手足を見つめる。そこでは今までコートを変形させたのとは違う、アルフの様に血そのものを手足に纏う事が出来ていた。それだけではなく、まるで湧き水の様に体の内側から力が溢れてくるのを感じる。
その手足を見て、ヴァーニィは本能的にこの力の使い方を理解した。
「……よし!」
血を纏った手足を見て、拳を握り締めた彼は未だ目の前に浮いている赤い軌跡に手を伸ばした。彼はそれを掴むと、それを剣の様に振り回してウルフノスフェクトに斬りつける。
赤い軌跡は血の様等と言うレベルではなく、文字通り固まった血そのものであった。硬質化した血は縁が鋭くなっており、即席の剣として使う事が出来た。
「だぁぁッ!」
「ぐっ!? チィッ!」
まさかの攻撃に怯むウルフノスフェクトだったが、血の剣は強度がそこまで高くないのか一撃お見舞いしただけで砕けてしまった。これなら恐れる事は無いと反撃に移ろうとするが、ヴァーニィは彼に反撃を許す事はしなかった。
ウルフノスフェクトに叩き付けられて砕けた血の剣は、液状化してヴァーニィの体に戻る。そして彼はそのまま拳を振るい、その度に空中には幾つもの軌跡が残りそれが邪魔をしてウルフノスフェクトの攻撃が彼まで届かなかった。
「こ、の野郎ッ!」
「ハァァッ!」
自身の攻撃がヴァーニィまで届かない事に苛立ちの声を上げるウルフノスフェクト。対するヴァーニィは、相手の攻撃を防いだ軌跡をそのまま武器として利用した。蹴りや拳を放つ度に空中に残る軌跡に手を伸ばし、流れるような動きで切りつける。この刃は硬いウルフノスフェクトの体毛も切り裂けるのか、何度も振り下ろされる血の刃によりウルフノスフェクトの体は見る見るうちに傷だらけになっていった。
「こんな、馬鹿なッ!? こんな……!?」
明らかに劣勢に立たされつつあることに、ウルフノスフェクトは信じられないと慄いた。全てにおいて自分の方が上であた筈だ。能力も、経験も、闘争心も何もかもだ。だが現実はどうだ? 圧倒されているのは明らかに彼の方。ヴァーニィの攻撃は彼の体を傷付け、反対に彼の攻撃は掠り傷一つ付ける事が出来ていない。さっきまでは彼の方が圧倒的に勝っていたのにである。
この現実を受け入れる事が出来ず、ウルフノスフェクトは大きく咆哮を上げその衝撃でヴァーニィを吹き飛ばした。
「ウォォォォォォォォォォッ!」
「うわっ!?」
ウルフノスフェクトの咆哮に軌跡ごと吹き飛ばされたヴァーニィは、空中で軌跡となった血を再吸収すると着地と同時に右手を頭上に掲げた。するとその手の上に手足に纏われていた血が集まっていき、形は歪ながら一本の槍の様になり固まった。街灯の灯りが槍に当たると、怪しく光を弾き返しキラリと輝く。
「行けぇッ!」
彼は血の槍をウルフノスフェクトに向け投擲する。それに気付いたウルフノスフェクトは、そんな大振りで見え見えの攻撃など当たるものかと余裕を持って回避しようとした。
しかしヴァーニィもその攻撃が回避されるだろう事は読んでいた。ウルフノスフェクトの目が血の槍に向いている隙に、彼は再び腕に血を纏わせるとその腕を地面に突き刺す様に拳を地面に叩き付けた。
「フンッ!」
ヴァーニィが地面に拳を叩きつけると、赤い衝撃が地面を走りあっという間にウルフノスフェクトまで届く。まるで稲妻が走る様に迫る赤い衝撃に、ウルフノスフェクトが気付いた時には全てが遅かった。
地面を伝ってきた赤い衝撃が直撃すると、下から突き上げる様に衝撃が襲いウルフノスフェクトをその場に釘付けにした。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!?」
予想外の所からの攻撃に足を止めていたウルフノスフェクトだが、当然これだけでは終わらない。赤い衝撃に悲鳴を上げていた彼を今度は血の槍が貫いたのだ。
「うご、ぁ……!?」
胸を貫いた血の槍からは、まるでインクが沁み込んでくるようにヴァーニィの血がウルフノスフェクトの全身に広がっていく。血が沁み込むとその部分が熱と痛みを持つ。これはヤバいと血の槍を抜こうとするが、槍は彼の体に根を張った様にビクともしない。
「ぐっ!? クソッ!? クソォッ!?」
必死に足掻くウルフノスフェクト。血の槍にばかり意識を向けていたウルフノスフェクトは、ヴァーニィがすぐ近くまで近付いている事に気付いていない。
すぐ傍でヴァーニィの息遣いが聞こえた事で、漸く彼の接近に気付きそちらを見た時には既に彼はクラッシャーを開き鋭い牙をウルフノスフェクトの体に突き立てていた。
「ガブッ!」
「うぐぉぁぁぁぁっ!?」
肩に食らい付いてきたヴァーニィを必死に引き剥がそうとするウルフノスフェクトだったが、突き刺さった血の槍から血管のように広がる血が動きを阻害して思う様に振り払う事が出来ない。そうこうしている内にヴァーニィはウルフノスフェクトから吸血し、その血を自らの糧としてしまった。
十分に血を吸うと、ヴァーニィはウルフノスフェクトに刺さった血の槍を掴み勢いよく引き抜きながら蹴り飛ばす。
「フンッ!」
「ぐふっ!?」
蹴り飛ばされ、もんどりうって倒れるウルフノスフェクトの前でヴァーニィは血の槍を再吸収した。そして動けずにいるウルフノスフェクトを前に、ベルト両サイドのボタンを押して必殺技のプレスクリプション・フィニッシュを放った。
〈アナライズ! アイデント、マジックバレット! プレスクリプション・フィニッシュ!〉
「ハァァァァァァッ!」
普段は右足でだけ放つプレスクリプション・フィニッシュだが、今回は違った。手足に纏っていた血を全て両足に集束させ、放たれるのはドロップキック。全体重を乗せた蹴りは狙い違わずウルフノスフェクトに直撃し、両足の踵のアンカーが奴の強固な体毛の防御を容易く穿ち相手にとって猛毒となる血を流し込む。
「うぐっ!? が、あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
けたたましい絶叫が周囲に響く。実里とアルフが見守っている中、ヴァーニィはウルフノスフェクトの体を踏み台に後ろに飛んで一回転しながら着地した。その間にウルフノスフェクトの体は内側から破壊され、あちこちが罅割れては崩れ始める。
「ば、馬鹿な……!? 俺が、この俺がッ!? こんな、ガキなんかにぃぃぃぃっ!?」
自身が敗北した事が信じられないと叫ぶウルフノスフェクトだったが、現実は変えられない。勝者はヴァーニィであり、敗者はウルフノスフェクト。残酷な現実を突き付けられ、ウルフノスフェクトの口から断末魔の叫びが上がった。
「クソォォォォォォォッ!?」
その叫びを最後に、力尽きたウルフノスフェクトはその場で爆散。後にはウルフノスフェクトの残骸の様に崩れた灰と夥しい血が水溜りの様に残っていた。
強敵ウルフノスフェクトを倒した、その事実を前にヴァーニィは最初信じられないという様に見ていた。自分があのノスフェクトに勝てるとは思っていなかったのだ。先程実里の血を吸ってからの事は、まるで夢の中に居るような感覚で現実味が変に薄かった。爆散するウルフノスフェクトの姿にようやくその事実を受け止められたヴァーニィは、半ば唖然としながら変身を解き自分の手を自分で見ていた。
「今のは、僕が……?」
呆然と自分の手を見る京也に、アルフの実里が駆け寄って来る。実里はヴァーニィに吸血されたからかまだ顔色が少し悪いが、対するアルフは京也がウルフノスフェクトに勝てた事を純粋に悦んでいるのか珍しく興奮した様子で笑みを浮かべていた。
「京也! やった!」
「お疲れ、紅月君」
2人からの労いと称賛に京也も僅かにだが顔を綻ばせる。だがすぐに彼の表情は曇った。仕方がない状況だったとは言え、実里を危うく殺す寸前だった事は彼の心に楔の様に突き刺さっていた。
「須藤さん、ゴメン!? 僕、危うく須藤さんを……」
「それはもう言いっこなしだよ。それにあの状況じゃ、ああしなかったらどの道ウチ殺されてたかもしれないんだし」
「だけど……」
実里はこういうが、事はそう単純な話ではなかった。京也は恐れていたのだ。今後、何かある度に自分は実里の血を求めてしまうのではないかと。
アルフも京也の不安が分かるのか、彼の傍に立ち彼を安心させるようにそっと抱きしめた。
「大丈夫。今、京也は実里の血、吸いたいと思ってない」
「それは……うん」
「じゃあ、大丈夫」
アルフに宥められ、京也は落ち着きを取り戻していく。実里はその様子を微笑ましく、そして同時に何処か物寂しそうに眺めていた。暫く2人の様子を見て、何故自分がそんな気持ちを抱くのか分からずハッとなって首を傾げると少しの間首を捻り、考えても分からないので軽く頭を振るとアルフにより眠らされた揚羽の元へと向かい彼女を起こそうとした。
「揚羽、揚羽? そろそろ起きて……」
壁に寄りかかって眠っている揚羽の肩を揺すって起こそうとする実里だったが、その手を横から掴む者が居た。突然手を掴まれて驚き顔を上げると、そこに居たのはジェーンであった。
「おわっ!? あ、ジェーンさん?」
「え?」
「あ……」
何処からか現れたジェーンの姿を見て、京也の顔からさっと血の気が引く。恐らくジェーンの事だから、京也が変身した状態で実里から血を吸ってしまった事は把握している。あれ程釘を刺されたというのにそれを破ってしまった。幾ら温厚に見える彼女でもこれには黙っていないだろうと思うと、叱られるのを恐れる子供の様に居心地の悪さを感じずにはいられない。
「あ、その……ジェーンさん。えっと……」
何と言って誤魔化せばいいだろうかと京也が必死に頭を働かせる。ジェーンはそんな彼に音もなく近づくと、そっと手を上げ彼の頭を優しく撫でた。予想外のその行動に、京也は勿論アルフも思わず呆気に取られてしまった。
「あ、え?」
「ん?」
「お疲れさま~。大変だったわね~」
叱るどころか労ってくるジェーンに、京也は逆に不気味なものを感じた。不気味すぎるあまり、自ら実里の血を吸ってしまった事を明かす。
「あの、ジェーンさん? 実は、僕……須藤さんの血を……」
「みたいね~。その瞬間は見てなかったけれど~、ノスフェクトとの戦いは見てたわ~。それに~、あの子の様子を見れば何となく分かるわ~」
未だ少し顔色の悪い実里をチラリと見やり、ジェーンは小さく溜め息を吐く。その表情は怒りや不愉快を隠しているようなものではなく、寧ろ申し訳なさを感じている様にも見えて京也とアルフは意外な反応に目を瞬かせた。
2人が見ていると、ジェーンは改めて京也の頭を撫で、それだけでは終わらず彼の事を優しく包む様に抱きしめた。
「ゴメンね~。もう少し早くに私が来れてれば~、何とかなったかもしれないのにね~」
「い、いえ……僕が弱かったのが原因ですし……」
「そんな事無いわ~。京也君もアルフちゃんも~。2人共頑張ってるわ~」
ジェーンは京也の事を優しく抱きしめながら、その背を軽くポンポンと叩く。子供をあやす様な態度に、しかしあまり悪い気はせず大人しくされるがままになっていると、ジェーンは京也から離れて眠っている揚羽に近付き抱き上げた。
「さ~、早くここから離れましょ~。面倒なお客さんが来る前にね~」
そう言えばそうだ。あれ程派手に暴れれば、S.B.C.T.が何時来てもおかしくは無い。それにここは教会が近いから、カタリナが来る可能性もあった。直接変身する場面を見られたわけではないが、こんな所を彼女や彼女の仲間に見られるような事があれば面倒な事になる。
それは不味いと、京也とアルフは軽い貧血で足元が少し覚束ない実里を左右から支えながらジェーンの後に続いてその場を離れていった。
後に残されたのは戦いの爪痕と、ウルフノスフェクトの残骸と言える灰と血の水溜りだけ。
その灰と血に近付く者が居た。ボロ布を纏ってはいるが、その程度では微塵も妖しい色香が損なわれない男……ヴラドだ。カミラを伴ってやってきたヴラドは、足元に広がる灰と血に悲しそうに目を伏せると、徐に地面に手をるき土下座をするように頭を下げた。そして、地面に広がる血に舌を這わせて舐め取り啜った。カミラはその姿に険しい顔をする。
「ヴラド様、何もそこまでなさらなくても……」
「いや……」
ウルフノスフェクトの残り滓と言える血に舌を這わせるヴラドの行動に苦言を呈すカミラ。敬愛する主にそのような事をして欲しくないと言う彼女に、対するヴラドは口元をウルフノスフェクトの血で汚しながら首を横に振る。
「いいや……これは僕でないと出来ない事だ」
ヴラドは口元を汚す血を手で軽く拭う。その様子にカミラが仕方がないと小さく溜め息を吐いていると、ヴラドは口からクロスブラッドを吐き出した。
「んぐ……くは……」
そのクロスブラッドは他のものとは少し様子が違った。形そのものは十字架と他のものと同じだが、色合いが何処か半透明で光に翳すとうっすらと向こう側が見える。
ヴラドはそのクロスブラッドを握り締める。普段であればそうする事でクロスブラッドを取り込むのだが、この時ヴラドはクロスブラッドを取り込む事をせず、手の平に十字架の先端が突き刺さり血が滲み出てクロスブラッドを濡らした。
ヴラドの血に濡れたクロスブラッドを、彼は積もった灰の山の上に落とした。すると当然クロスブラッドに付着した血に灰がくっつき、赤黒く半透明な十字架が灰で汚れる。その上に更にヴラドの血が垂れ、灰にヴラドの血が沁み込んでいく。
するとその灰の山に変化が起こった。灰がヴラドの血に引き寄せられるようにクロスブラッドに集まっていき、形を変え、塊を作っていく。塊は徐々に形をハッキリさせ始め、あっと言う間に灰の山は元のウルフノスフェクトになった。
ウルフノスフェクトの姿が元通りになると、その体が雷に打たれた様に一瞬ビクンと跳ねる。そしてゆっくりと目が開かれ、視線だけを動かして周囲の様子を見て今の自分の状態を理解した。
「俺、は……くっ」
目覚める直前の事を思い出したのか、ウルフノスフェクトが顔を顰めながらゆっくりと起き上がる。体を起こすと、そこでノスフェクトとしての姿を保つだけの体力が尽きたのか人としての姿へと戻ってしまう。ヴァーニィに倒され衣服も消失したヴォーダンは全裸だったので、この展開を予想していたカミラがここに来る途中で吸い殺した名も知らぬ男性の衣服を放った。
「ほら、とりあえずこれでも着ておきなさい」
「あ、あぁ……すまねえ」
「感謝なら私じゃなく、ヴラド様にしなさい。あなたを態々生き返らせてくれたのだからね」
「そうだな……ありがとうございます、ヴラド様」
渡された衣服に袖も通さず、鍛え抜かれた鋼の様な体を折り曲げる様にヴラドに頭を下げる。そんなヴォーダンに、ヴラドは地面に膝をつくと慈しむ様に肩に手を置き体を起き上がらせた。
「気にするな。お前も大切な仲間だ」
「ヴラド様……!」
心から慈しむ様に言うヴラドにヴォーダンは感激した様子で目を潤ませ顔を上げる。敬愛するヴラドからそんな事を言われているのが羨ましいのか、カミラがちょっぴり唇を尖らせていると彼女の耳に近付く特殊なサイレンの音が聞こえてきた。
「ヴラド様、流石にそろそろ……」
「そうだね。ヴォーダン、立てるかい?」
「は、はい……!」
カミラに半ば急かされるようにして立ち上がったヴォーダンは、渡された衣服に袖を通す。元の持ち主がカミラに吸血された際に付着したのか、首元の部分が血で濡れているがヴォーダンはそんな事を気にせず衣服を身に着けた。彼がある程度身なりを整えたのを見て、ヴラドも満足そうに頷き3人はその場を離れた。
それから数分と経たずS.B.C.T.が到着した。やって来たのはεチームだったが、彼らは戦闘の痕跡とヴォーダンの残骸だった血の跡を見つけただけでそれ以上の何かを見つけることは出来なかった。
***
戦いを終え、屋敷へと戻った京也達。まだ眠っている揚羽をリビングのソファーに寝かせると、ジェーンを含んだ4人はテーブルを囲む様に椅子に座り話し合っていた。
テーブルの上には人数分のコーヒーが置かれているが、心を解すコーヒーの香りに反してジェーンを除く3人の表情はやや硬い。それと言うのもこの話し合いはジェーンの提案で行われた物なのだが、そのジェーンの纏う雰囲気が何時もと何か違うのだ。明確に不機嫌だとかそう言う訳ではないのだが、普段のどこかフワフワとした雰囲気が何時もより薄い。まるで本当の彼女を隠している靄がほんのり晴れてシルエットレベルで本当の彼女が見えているようで、それが何だか京也達を緊張させていた。
京也達の緊張を感じ取ってか、ジェーンはコーヒーを一口啜って小さく息を吐きながら肩から力を抜くと普段の雰囲気を纏い直して口を開いた。
「ゴメンね~、いきなり集めたりして~」
「い、いえ……それで、話しって?」
「ウチも呼ばれたって事は、何か関係あるって事ですよね? 一体何が……?」
京谷と実里が疑問を口にする。アルフも黙ってはいるが、考えている事は同じなのかコーヒーに手も付けずジェーンの事を見ている。
ジェーンが今日ここに彼らを呼んだのは、今後の戦いの事についてだった。
「まず~、実里ちゃんが稀血の持ち主だって事は~、ウルフノスフェクトを通じて他のノスフェクトにもバレちゃうわ~って話~」
「えぇっ!?」
「でもウルフノスフェクトはさっき確かに倒して……」
「……再生?」
実里の秘密を知ってしまったウルフノスフェクトから情報が洩れるという話に、京也と実里が信じられないと声を上げる。だがアルフは何となくその原因が分かるのか、神妙な面持ちで言葉を紡ぐとジェーンはその通りと言う様に頷いた。
「ヴラドにはね~、他のノスフェクトを再生させる力があるのよ~」
「そんな……!?」
一瞬、それが分かっていたなら何故それを妨害する手を打たなかったのかと思わずにはいられなかったが、直ぐにそんな状況ではなかった事を京也は察した。あの時点で既にヴラドが迫ってきていたのだ。そしてあの時、京也は力を出し切った直後で戦えず、近くには貧血の実里や眠っている揚羽など満足に動けない者が多かった。そんな状況で戦い始めれば、多かれ少なかれ被害が出てしまう。ウルフノスフェクトの復活と天秤に掛けてどちらがマシかという話ではあるが、ジェーンは復活阻止と京也達の身の安全で京也達の方を取ってくれたのである。その事に文句を言うのはお門違いと言うものであろう。
「……ヴラドを倒さないと、ノスフェクトは本当に倒す事は出来ないんですか?」
「そんな事無いわ~。今の京也君なら~、ノスフェクトを本当に倒す事も出来るわ~」
「えっ!」
ノスフェクトを本当に倒す……その言葉に京也達は驚き顔を上げてジェーンの顔を見る。注目されたジェーンは、口の端を上げて唇に隠れた鋭い犬歯を見せながらその方法を教えた。
「方法は簡単よ~。相手のノスフェクトの血を全部飲んじゃうの~。そうすれば~、ヴラドに再生される事も無いわ~」
そう、ヴラドがノスフェクトを復活させる為には、倒れたノスフェクトの血がどうしても必要。その血をヴァーニィが全て取り込んでしまえば、如何にヴラドであろうとも復活させる事は出来ない。
その理屈は分かるのだが、方法を聞いて京也は思わず顔を引き攣らせた。普段ノスフェクトを倒す時にも、相手のノスフェクトの血を飲む事に抵抗を感じないではないのだ。それが相手を完全に倒す為とは言え、相手の血を吸い尽さねばならないとは。
「それは……結構、大変そうですね」
「そうでもないかもよ~」
「どうして?」
「……実里の血、飲んだから?」
「ほぇ? ウチ?」
突然自分の名前を出されて首を傾げる実里。何故いきなり自分に話題が来るのか分からず首を傾げる実里だったが、ジェーンはアルフの言葉に頷いて答えた。
「京也君は今まで変身した状態でノスフェクトの血しか飲んでなかったから~、分からないかもしれないけれど~、ノスフェクトにとって血ってとっても美味しいものなのよ~」
「変身した京也は、疑似的なノスフェクト。人間の血の美味しさも分かっちゃう……だから……」
しかも京也が初めて口にした人間の血は、よりにもよってノスフェクトにとって極上の美酒にも等しい稀血である。これにより京也は、変身した状態限定だが血の旨味を知ってしまった。これは非常に大きな意味を持つ。
今まで京也が吸血に嫌悪を示せていたのは、偏に血の美味さを知らなかったからに他ならない。そんな状態でも変身していると血の枯渇に吸血衝動に駆られていたのだ。血の美味さを知ってしまった今、彼の中から吸血に対する嫌悪感は無くなっているとみていいだろう。
そんな状態であれば、相手の血を全て吸い尽す事も不可能ではない。
そう告げられた京也は思わず震えた。自分が段々と人間から遠ざかっているような気がしたからだ。不安のあまり京也は捨てられた子犬のような目でジェーンの事を見ながら、このまま戦い続けて大丈夫なのかを解いた。
「あの……僕、大丈夫でしょうか? まだ、人間でいられてますよね?」
不安を隠せなくなっている京也に、ジェーンはやや困ったような笑みを浮かべる。アルフと実里がそんな2人を交互に見ていると、ジェーンは徐に立ち上がり彼の傍まで歩み寄ると不安に震える彼を優しく抱きしめた。
「……大丈夫よ~、大丈夫~。味覚が変わる事くらい普通よ~。京也君だって昔は味が嫌で食べられなかったものも~、今はへっちゃらでしょ~」
「は、はい……」
「じゃあ大丈夫~。普通の事よ~」
優しく包み込む様なジェーンの温もりと鼻腔を突く甘い匂い。母性すら感じる抱擁に、気付けば京也の心は落ち着きを取り戻していた。京也が落ち着いた事にアルフは素直に安堵し、一方で実里はジェーンに抱きしめられている京也を羨ましく思っていた。あの妖艶な美女に優しく抱きしめられるなど、そう経験できることではない。
そんなこんなをしていると、ソファーに寝かされていた揚羽が小さく呻き声を上げた。
「ん……うぅ、ん……」
「ん? あ、揚羽起きた?」
「んん? あぇ? みのりん? おろ? ここ……どこ?」
どうやら催眠された影響からか、記憶が混濁しているらしくそもそもなぜ自分が意識を失っていたのかも分かっていないらしい。実里は急いで揚羽に近付き、京也も心配してジェーンから離れた。アルフも気にはなるのか視線をそちらに向け、ジェーンの事を見ているものは誰も居ない。
だから気付かなかった。誰も見ていないジェーンが京也に、普段見せないような憂いるような目を向けていた事を…………
困惑した揚羽に嘘を織り交ぜた説明する京也達。彼らはジェーンが自分達に視線を向けている事に、気付く事は無いのであった。
と言う訳で第21話でした。
実里の稀血を飲んだ事で、ヴァーニィが強化されました。戦い方的には、映画ゼロワンに登場するエデンみたいに攻撃の軌跡に血の結晶を残して攻撃や防御に転用するみたいな感じです。これがヴァーニィの中間強化形態になりますね。
ヴァーニィパワーアップの生贄となってしまったヴォーダンですが、そう簡単に退場はしませんでした。ヴラドには配下のノスフェクトを復活させる能力があるので、ヴラドを何とかするか作中でジェーンが言ったように相手の血を全部飲み干すかしないといけません。今回の一件で京也自身にも異変が起こっているので、次回以降は戦い方も変わって来る事でしょう。
執筆の糧となりますので、感想評価その他よろしくお願いします!
次回の更新もお楽しみに!それでは。