スパイダーファッジに変異したジェーンの手助けを受けて、京也はアルフを連れて逃げ帰る事に成功した。直前にイジター達の攻撃とバルトの大技を受けて大分弱っていたアルフだが、ノスフェクトとしての力を完全ではないながらも全力にしていた影響からか回復は早かった。お陰で家に着く頃にはアルフは元の姿に戻り、自分の足で歩く事が出来るようになっていた。
それでもやはり不完全な状態で全力を出したのは少しマズかったのか、安心できる家の中に入るなりアルフは崩れ落ちる様に倒れそうになってしまう。京也はそれを慌てて支えると、彼女を横抱きにして自身の部屋に連れていきベッドの上に横たわらせた。
「ん、しょっと」
「ぅ……」
ベッドの上に下ろされる際の衝撃でアルフの口から小さく声を上げたが、直ぐに呼吸は安定してきた。彼のベッドの上で彼の匂いに包まれたからか、最初こそ少し辛そうだったがすぐに安堵した顔で呼吸も落ち着いてきた。彼女が落ち着いてきたのを見て、京也も心から安心した。
「アルフ……良かった。もう大丈夫?」
「んん……」
京也がアルフの頬を優しく撫でると、アルフは彼の温もりに身を委ねる様に頬に触れる彼の手に頬擦りした。猫が甘えてくるようなその姿に京也は束の間笑みを浮かべていたが、その表情は直ぐに曇った。彼が考えているのは、結局勘違いや誤解を解けぬまま離れてしまった揚羽の事であった。ジェーンは大丈夫と言ってくれたがあの戦場に残してしまった事はやはり心配になる。
それに何より、明日は彼女と正面から向き合って全てを正直に明かさなければならない。そうしなければ、彼女との間に出来た軋轢が消えないどころか完全に決別する事になってしまう。
(でも……)
それを分かってはいるのだが、京也は脳裏に浮かぶ不安を拭い去る事が出来なかった。実里の時は本当にある意味で運が良かった。揚羽を助けてノスフェクトと戦う瞬間と言う、味方と言える瞬間を見られた。お陰ですぐに彼女からの信頼を得る事が出来た。
しかし揚羽の場合は逆に運が悪かった。彼女はアルフが実里から吸血する瞬間しか見ていない。これでは誤解を与えてしまっても仕方ない。
だからと言ってそれで諦める様な事はしたくない。明日彼は、揚羽に誠心誠意全てを打ち明け、アルフが味方で警戒しなくても良いと言う事を伝えて理解してもらわなければならないのだ。実里もきっと弁護に回ってくれるだろう事は分かっているが、果たして伝わるかどうかと言う不安が胸にへばりついて離れなかった。
「ふぅ……」
気が重くて思わずため息が零れてしまう。そんな彼の姿に、アルフは傷付いた体を持ち上げると手を伸ばし彼の腕を掴んでベッドの上に引き摺り込む様に引っ張った。
「うわっ! あ、アルフ?」
困惑する京也に構わずアルフはベッドの上で彼を抱きしめる。体を密着させたことでアルフの豊満な胸が押し当てられ、京也の心臓がドキリと跳ねた。
「ア、アルフ……! ど、どうしたのさ? む、胸が……!」
このままだと色々と行けない気持ちになってしまいそうだったので、京也は一旦アルフから離れようとした。だが彼女が京也を抱きしめる力は強く、変身していない非力な状態では彼女の腕を振り解く事は不可能であった。仕方なく京也が抵抗を止め大人しくなると、今度はアルフの方がゆっくりと抱きしめた彼の背を撫でた。
「大丈夫……大丈夫……」
「アルフ?」
只管に大丈夫と言う言葉を繰り返すアルフに京也が首筋に顔を埋めてくるアルフの顔を覗き込む。アルフは京也に自分の匂いを擦り付ける様に頬擦りし、彼の体臭を鼻から吸い込みながら言葉を続けた。
「揚羽は、実里の友達。優しい子……きっと、分かってくれる……」
アルフの言葉に京也はちょっぴり驚いた。彼女は揚羽の善性を疑っていないのだ。自分以上に揚羽との接点が少なく、顔を合わせた事も片手の指の数で足りてしまう回数しかないにも拘らずだ。アルフにとって、揚羽が実里の友人であると言うただそれだけで揚羽は信じるに足る存在だと言う結論に達したのである。
そんな彼女の無垢にして純粋な心に京也も胸を打たれ、そして彼も揚羽の事を信じようと言う気持ちになれた。
「うん……そうだね。きっと、大丈夫だよね」
「ん……だから、京也も不安にならないで?」
「分かったよ。……アルフ、ありがとう」
自分の不安を拭い去ってくれたアルフに、京也は感謝と愛しさを込めて額にそっと唇を触れさせた。目にかかる程の長さの黒髪をかき分け露わになった額に京也が口付けをすると、アルフの口からも小さく声が上がる。
「ん……! ふふっ、京也……」
京也に額にキスをされて、アルフは満足そうに息を吐く。そして、先程の戦いで体力を消耗したからか、彼女はそのまま彼の腕の中で静かに寝息を立てて眠り始めてしまった。
自身の腕の中で幸せそうに寝息を立てるアルフの姿に、京也は溢れる愛しさを抑えきれずもう一度彼女の額にキスを落とした。唇が額に触れると、眠っている彼女の口から再び満足そうな声が上がった。
そのまま京也は、ベッドの上で横になっている事とアルフの体温に誘われそのまま彼女と共に眠りに落ちてしまった。部屋には2人の静かな寝息が響き渡る。
そんな2人の様子を、何時の間にか戻ってきていたジェーンがベッドの直ぐ傍で見下ろしていた。2人の穏やかな寝顔に、彼女は小さく笑みを浮かべると2人が起きないようにタオルケットを掛けそのまま音もなく部屋から出ていくのだった。
***
季桔市内に存在する、孤児院が併設された教会。その地下には、教会が秘密裏に保有する武装勢力である修道騎士団の支部がある。支部の内部にはこの地に派遣された修道騎士の他に、彼らの世話をする為の女中が忙しなく窓の無い施設の廊下を行き交っている。
そんな彼らも滅多に立ち寄らない区画の一室に、連れ去られたユーリエは囚われていた。彼女は椅子に乱暴に縛り付けられ、全身脂汗に塗れて項垂れて荒い呼吸を繰り返していた。
「はぁ……はぁ……う、ぅ」
見ただけでかなり消耗したのが分かる様子の彼女を、グラスやスパイダーファッジとの戦いから戻ったエリーがサディスティックな目で見下ろしている。
「どうです? そろそろ素直になってはどうですか?」
「なに、を……」
「……フン」
見上げて問い返してくるユーリエに、エリーはゴミを見るような目を向けると同じ部屋に居る部下に手で指示を出した。彼女の指示に近くの椅子に座って机に向かっている部下は一つ頷き、机の上の機材を操作した。その装置からは幾つかのコードが伸び、そのコードの先端は全てユーリエの体の各部に取り付けられている。
エリーの部下が機材を操作すると、その瞬間コードを通って電流がユーリエの体に流され項垂れていた彼女はあまりの激痛に手足の拘束を引き千切る勢いで暴れながら悲鳴を上げた。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?!?」
「フフフッ……!」
全身を電流で痛めつけられる拷問に悲鳴を上げるユーリエの姿を、エリーは楽し気に眺めていた。
ここに連れ込まれてから、ユーリエはずっとこうして拷問され続けていた。訳も分からず連れ込まれ、そして理不尽に痛めつけられる。エリー達がユーリエを拷問している理由は、この街に展開しているS.B.C.T.の戦力を彼女から聞き出す為であった。
たっぷり数秒電気を流し続け、死なない程度に痛めつけるとエリーの部下は電流を止めた。電流が止まると、その瞬間ユーリエは糸が切れた様に全身を弛緩させ椅子の上で項垂れ苦しそうに呼吸を繰り返す。激しい電流にユーリエの全身からは滝の様に汗が噴き出し、顎先や鼻先から雫となって滴った汗がストッキングに包まれた彼女の太腿を濡らした。
今にも意識を失ってしまいそうなユーリエに対し、エリーは皮手袋を嵌めた手を伸ばし彼女の髪を掴んで引っ張り上げる様に無理矢理顔を上げさせた。
「うぁ……!?」
髪の毛が数本抜けるような音を響かせながら、顔を上げさせられたユーリエが苦痛に顔を歪めているとエリーは彼女の頬に平手を往復で何発か叩き込んで改めて問い掛けた。
「あ゛ッ!? う゛ッ!? かはっ!?」
「もう素直になってはどうです? お仲間の戦力、配置、何でもいいので答えてくださいよ。そうすれば神はあなたを許してくださいます。あなたもこれ以上、苦しい思いをしたくは無いでしょう?」
「だ、から……何度も、言っているだろう。私は、実働部隊じゃないから、部隊の事に関しては、そんなに、知らない……て」
エリーの問いに答えられないと返すユーリエだが、視線が僅かに泳いでいる事にエリーはそれが虚偽である事を見抜いていた。実際にはユーリエも、各部隊をサポートする都合上大体の戦力に関してはある程度把握していた。なので答えられない事が無いなんて事はない。
それでもユーリエには仲間を売る意思はなかった。彼女にだってプライドはあるし、何より彼女は贖罪の為にS.B.C.T.に身を置いているのだ。そんな彼女に、助かりたいからと言う理由で仲間を売ると言う選択肢は存在しない。
しかしそれで納得しないのがエリーであった。彼女は虚偽の答えを返すユーリエに一瞬ゴミを見る目を向けるも、直ぐにサディスティックな笑みを浮かべ直した。情報が引き出せないのは面白くないが、それならそれで拷問を続ける楽しみがある。
エリーは極度のサディストであると同時に狂信者であり、彼女が信じる神こそが全てであり絶対であった。そんな彼女にとって、自分達の神を信じず敬わない異教徒がこうして苦しんでいる姿は見ているだけで心が洗われるような気分になり、もっと彼女を苦しめようと皮手袋に包まれた手を何度も彼女の体に叩き込んだ。
「そんなっ! 嘘が、私に通じるとでもッ!」
「がはっ!? お、ごッ!? ごぶっ!? ぐぅっ!? あ゛ッ!?」
顔や胴体に何発もの拳が叩き込まれる。修道騎士として鍛えられた彼女の拳は、一発一発が鍛えられていないユーリエの芯に響くほどの威力であり、先程の電気責めで消耗していた彼女は何度も意識が飛びそうになった。尤も意識が飛びそうになると次の瞬間には拳が叩き込まれ、無理矢理覚醒させられ気絶する事も出来なかったが。
「ごぼっ!? かは、ぅぅ……」
ユーリエの視点からは何時間にも感じられた殴打の嵐。しかし実際には数分程度も経ってはおらず、エリーが満足して殴るのを止めた頃には、ユーリエの顔は見るも無残な程にあちこちが腫れ、服で見えないが胸や腹には青黒い痣が多く出来ていた。
「ふむ、一旦止めておきますか。死なれては元も子もありませんしね」
血の塊がユーリエの口から吐き出されたのを見て、これ以上の拷問は彼女が死んでしまいかねないとエリーは拷問を一旦中断した。しかし拘束を解くつもりは無いらしく、ユーリエは依然として椅子に縛り付けられたままだ。それでも痛みが来なくなった事は彼女を安堵させるには十分だったのか、霞む視界の中で安堵の息を吐く。
そのまま彼女は意識を失い、呼吸以外の反応を見せなくなった姿にエリーはつまらなそうに鼻を鳴らし皮手袋を外しながら部屋から出ようとする。
「……ん?」
エリーが部屋から出ようとした瞬間、彼女は部屋の外に人の気配を感じた。だが入ってこようとしている雰囲気ではなく、息を潜めて中の様子を伺っている感じだ。その気配を感じてエリーは怪訝な顔をした。ここを訪れる者の中で、そんな事をする者は普通居ない。もし居るとすれば、それは囚われたユーリエを取り返そうとするS.B.C.T.の関係者位か。
「!」
不審な気配にエリーが素早く扉に近付き勢い良く開け外を見るが、その頃には気配の主は既に部屋の前から離れていた。扉に近付くエリーの気配に向こうが気付いたのかどうかは分からないが、彼女が扉を開けた時にはそこは既に誰も居なかった。
突然足早に扉に近付き力強く開け放つ彼女の姿に、室内に居た部下は不思議そうに彼女の事を見ていた。
「どうかしましたか?」
「…………いえ、何でも」
訊ねてくる部下に適当に返し、エリーは改めて部屋を後にするのだった。
エリーが部屋を出てユーリエへの拷問が一旦終わった頃、教会の礼拝堂ではカタリナが険しい表情で祈りを捧げていた。先程エリーが部屋の前に感じていた気配の主は彼女だった。カタリナは囚われたユーリエの事が気になり収容されている部屋を訪れ、そしてそこで彼女がエリーにより酷い拷問を受けていた事に動揺を隠す事が出来なかった。最初カタリナは、後先考えず部屋に飛び込みユーリエを連れ出そうかとすら思ったほどだ。
しかし、結局彼女は外から中の様子を伺うだけでユーリエを助け出す事をしなかった。しなかったと言うよりは、出来なかったと言う方が正しいか。カタリナに一歩踏み出す事を引き留めたのは、修道騎士団としての立場であった。
カタリナは真面目な女性だ。故に彼女は立場を意識して、周囲の模範となる行動を心掛けるようにしている。そんな彼女が、一時の感情に任せて捕虜を解放するなど許される事ではない。修道騎士としての彼女はそう叫んで、カタリナがあの扉を開ける事を躊躇わせたのだ。
そうして地下を後にしたカタリナだったが、しかしその胸中は自身への嫌悪と後悔でグチャグチャになっていた。胸を掻き毟りたくなるほどの苦しさに、彼女は助けを求める様に一心不乱に神への祈りを捧げていた。
(主よ……私は、どうすれば……!?)
カタリナは迷っていた。彼女はユーリエがあんな扱いを受けるべきではない女性だと知っている。確かに彼女はS.B.C.T.の関係者だ、それは間違いない。しかし同時に、彼女は自分の過去の行いを悔い、それを償おうとしていた。以前ユーリエが1人で教会を訪れた時、懺悔室で聞いた話だった。
何よりユーリエは子供達に優しくできる女性だ。そんな彼女を神が見捨てる筈がない。
聖職者としてのカタリナは、ユーリエに対しても慈悲の心で接するべきと訴える。
修道騎士としてのカタリナは、敵の一員であるユーリエから情報を引き出す為なら仕方ないと告げる。
二つの考えがカタリナの中で激しくぶつかり合い、彼女はどうするべきか分からなくなりこうして心を落ち着ける為祈りを捧げていた。
その祈りには何処か鬼気迫るものを感じさせ、一心不乱な祈りは彼女から時間の経過を忘れさせていた。祈り始めた時はまだステンドグラスの外に太陽の光が見られたのに、気付けば日は沈み礼拝堂は蝋燭の小さな灯りが薄く照らすだけとなっていた。
何時間祈り続けていたかは分からない。だが空腹も無視して祈り続けていた彼女に、見兼ねた様に背後から近付いたルクスが後ろから彼女の巨乳を持ち上げる様に揉んで強制的に祈りを中断させた。
「……ルクスさん、止めてくれませんか?」
「そう言うあんたこそ、何時までそうしてる訳? 今何時だと思ってるの? ご飯も食べずにずっと祈り続けてさ。子供達が心配してたわよ?」
ルクスからの指摘にカタリナの肩がピクリと動いた。流石に子供達にまで心配をかけてしまった事には思う事が無いではなかった。しかしそれでも彼女は祈る事を止めようとしなかった。この祈りが天に届いて、ユーリエに許しが訪れ彼女が助かる事を願っていたのだ。
そんな彼女にルクスは呆れかえった。ただ無為に祈りを捧げているだけで人を助けられるなら誰も苦労はしない。本当に助けたいと思っているのなら、祈るのではなく行動するべきなのだと。
「全く……アンタさ、本当にその捕虜になった女を助けたいと思ってる訳?」
「どういう意味です?」
「そのままの意味よ。ねぇカタリナ? アンタ本当は今すぐにでもそのユーリエって女を助けに行きたいんでしょ?」
カタリナは思わず言葉に詰まった。ルクスの言う通り、許されるならカタリナは今すぐにでもあの部屋に飛び込んで、ユーリエを助け出したいと思っている。しかし、彼女は修道騎士団の上級騎士だ。個人の感情に突き動かされて安易な行動に出る事は許されない。そんな勝手は神が許しはしないだろう。
返答に迷うカタリナの姿に、ルクスは背後から胸を揉むのを止めるとカタリナの前に移動し目の前に腰を下ろしてスキットルから酒を一口呷った。片膝を立てて座ったから、シスター服のスカートの下に隠されていたガーターベルトなどが露わになる。下着を見せつけるような座り方をして酒を飲むと言う神を冒涜するような態度に、カタリナも顔を顰めて苦言を口にしようとした。
「ルクスさん、その態度はあまりにも……!」
飛んでくる苦言を何処吹く風と受け流し、口から酒精の混じった息を吐きながらルクスは努めて穏やかな声色で諭した。
「カタリナ……アンタのその真面目な所は良い所だと思う。恥じる事は何もない。でも、たまには自分が思う通りに動いてもいいんじゃない?」
「え?」
カタリナは困惑を交えた顔をしながら首を傾げる。どうやらまだルクスの言いたい事を理解していないと言うか、ちゃんと伝わっていないようだ。なのでルクスは言い方を変えた。
「もし仮に今回の事が神がカタリナに課した試練だって言うならさ、こんな所で何もしないでジッと祈ってるだけな方が余程神の意志に背いてるんじゃない? 行動を起こすか、全てを受け入れるか。選択肢は二つに一つで、神に祈って解決するのを待つ事は違うんじゃないの?」
ルクスの言葉にカタリナは頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を受けた。ルクスに言われて漸く気付いたのだ。神を信じ、敬虔な信徒であろうとするあまり、全ての判断を神に委ねてしまい自分で考える事を放棄してしまっていた。自分は思考停止して神を言い訳に好き放題する事が無いようにと自身を諫めてきた。だがそれが逆に別の方向で思考を放棄していただけだと気付かされたのだ。
カタリナはただ神を信じて敬うだけではなく、神の意志を理解したいのだ。多くの信徒は神の意志を勝手に解釈し、エリーの様に己のエゴを混ぜて神の名の下に好き放題に振る舞う者も居る。そんな信徒になりたくなくて、カタリナは今まで自分を殺して他者に奉仕するだけの生き方をしてきた。しかし、それは違うのだ。
漸く気付いたカタリナは顔を上げた。蝋燭しか光源はないが、ルクスの目には彼女の目に迷いと共に強い光が宿っている事を確信し笑みを浮かべた。
「ん……まだ迷ってるけど、覚悟は決まったみたいね?」
「迷いは捨てません。それを捨ててしまったら、私もエリーさん達と同じになってしまいます。この迷いと、神への信仰を胸に生きていきます」
「ま、それで良いんじゃない? その方がカタリナらしいし」
ルクスは満足そうに頷きスキットルを懐に戻すと、立ち上がってカタリナに手を差し出した。
「んじゃ、行く?」
「……はい」
その頃、地下では依然としてエリーによるユーリエへの拷問が続いていた。
「あ゛あ゛あ゛ッ!? あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!?!?」
ユーリエは全身に流される強烈な電流に、意識を時々途切れさせながら悲鳴を上げ椅子の上で全身を痙攣させる。彼女の意志に反して体がこの苦痛から逃れようと手足を派手に動かそうとした結果、縛り付けられた部分がバンドで擦り切れ血を流しているのもお構いなしだ。
「あがががががががっ!? あぎぃあぁぁぁぁっぁあっぁぁぁっ!?」
悲痛な悲鳴が室内に響き渡り、その様子をエリーが楽しそうに眺めている。不信神者が自分の手で苦しむ姿が面白くて仕方が無いのだ。
そのまま暫く電気責めを続けさせ、適当な所でスイッチを切らせた。電撃が止まると、ユーリエは苦痛から解放され少しでも体を休ませようと項垂れ滝の様に汗を流しながら荒い呼吸を繰り返した。
「う゛、ぁ……かはっ、はぁ……はぁ……うぐっ!? うぶぉぇ………!?」
非道な拷問、数時間も続いた電気責めにより、胃も激しく痙攣したのかユーリエの口から吐瀉物が吐き出される。中身は殆ど胃液や胆汁だったが、彼女の胃は兎に角何かを吐き出そうと痙攣を続けていた。
「はぁ……!? はぁ……!?」
今にも呼吸を止めてしまいそうなほど消耗したユーリエの様子に、エリーは頃合いかと近付き彼女の足元に広がる吐瀉物を踏まないよう気を付けながら彼女の髪を掴んで顔を無理矢理上げさせた。
「う゛ぁ゛……!?」
「さて、いい加減あなたに構うのも疲れたので、さっさと話す事を話して欲しいんですけどね?」
「はぁ……はぁ……」
息をするのも辛そうな様子で、ユーリエは呼吸をするだけでエリーからの質問に答えない。なかなかに強情だが、長年拷問を担当してきた彼女はユーリエの心が折れかけているのを察していた。消耗した体力は心にも影響を与える。特に戦闘職ではないユーリエは、普通の隊員以上に痛みに対しては弱い筈だ。ならば、これ以上の苦痛から逃れる為に口を割る可能性は十分にある。
「(あと一押し……)では質問を変えましょう。あなたが持つノスフェクトに関する情報を全て提示しなさい」
「な、に……?」
こちらの質問はユーリエにとっても予想外だった。いや、確かに連中がやっている事を考えればその情報を欲しても別に不思議ではないのかもしれないが、それにしたって自分にその知識を求められるとは思っていなかったのだ。
「何故、私に……? お前達だって、ノスフェクトと戦う中で色々と情報を得ているんじゃないのか?」
寧ろ、対ノスフェクトに関してはS.B.C.T.よりも修道騎士団の方がずっと戦闘経験がある。S.B.C.T.が最近になってやっと採用した対ノスフェクト用の銀成分を含む装備を、彼らは最初から使用していたのだ。ノスフェクトの弱点が分かっている程度には、彼女らはノスフェクトの事を知っていたと言う事になる。
しかし次にエリーの口から出た言葉は、ユーリエの予想の斜め上を行くものであった。
「あなたの事はアスペン神父から聞きました。元傘木社の研究員で、ノスフェクトの研究に従事していたそうですね?」
「は……?」
ユーリエは思わず耳を疑った。アスペン神父の事を彼女は知らなかったが、その神父は彼女の事を知っていると言う。それも関係者以外は絶対に知らない、彼女の暗部とも言うべき過去だ。それを知る様な人物となると、数は限られてくる。
そのアスペン神父にユーリエが興味を持っていると、彼女の思考を遮る様にエリーが彼女の頬を引っ叩いた。
「う゛ッ!?」
「さぁ、さぁさぁさぁ、答えてくださいな。そうすれば、神はあなたをお許しになるでしょう。過去の過ちを償い、許しを得るのです! そうすれば、この苦痛からも解放される筈ですよ?」
声高らかにエリーが告げる。彼女にとって、神から得られる許しは何物にも代え難いものであった。それを得られるのであれば、この拷問から解放されるのであれば、ユーリエと言えども口を割る筈だと思っていた。
実際、この苦痛から解放されると言う甘美な誘いに、ユーリエが唇を震わせながら言葉を紡ごうと口を動かした。
「ぁ……ぁぁ……」
「ん? 何ですか?」
先程までの拷問で体力も低下し、言葉を口にするのもやっとの様子なユーリエでは声も小さくなる。何かを囁こうとしている彼女に、何を言っているのかよく聞こうとしてエリーが彼女の口元に耳を近付けた。
その瞬間、ユーリエはなけなしの体力を総動員して、反吐と血の混じった唾液をエリーの頬に吐きかけた。
「……プッ!」
「ッ!?」
まさかここでこんな行動に出るとは思っていなかったのか、エリーはユーリエの髪から手を離し距離を取った。そして指で頬に触れ、反吐と血の混じった唾が吐きかけられているのに気付くと相手を射殺すような視線をユーリエに向けた。
「この……!?」
「ふ、はは……私、を……侮るな……!」
エリーは完全に読み違ていた。ユーリエは決して許しを求めてはいなかったのだ。
彼女が罪を償う為首に枷を着けてまでS.B.C.T.での職務に従事ているのは、許しを得る為ではなく過去の罪を受け止める為だ。甘言に踊らされ、恐怖に屈し、多くの人々を不幸にしてきた。その罪を償えるなら、彼女は許しなど必要ないと考えていたのだ。
長時間の拷問に晒され息も絶え絶えになっていると言うのに、力強さを失わないユーリエの視線にエリーは思わずたじろいだ。そしてそんな自分に気付くと、エリーは屈辱と怒りに身を任せて何度も拳をユーリエの体に叩き込んだ。
「このッ! 不信神者が、異常者がッ!?」
「あぐっ!? お、ごっ!?」
「異教徒が! 異教徒がッ! 異教徒風情がッ!!」
「ごぼっ!? が、は……!? あぎっ!? う゛ぇ゛ッ!?」
顔や腹に何度も拳が叩き込まれ、ユーリエの口から何度も赤黒い血の塊が吐き出される。流石にこれ以上は彼女が死んでしまうと、同室していたエリーの部下が危険を承知で彼女を宥めた。
「エリー様、エリー様ッ! これ以上は本当に死んでしまいますッ!」
部下に押さえられるように宥められて、漸くエリーはユーリエへの暴行を止めた。その頃にはユーリエは見るも無残な程にボロボロになっており、顔は鼻や口から垂れる血でドロドロになってしまっていた。
「ひゅぅ……ひゅぅ……」
呼吸も大分小さくなり、死ぬ一歩手前と言った感じである。事ここに至り、エリーは完全にユーリエに対して見切りをつけた。これ以上は何をしても情報を得られる事はないだろう。となると、後は腹いせに感情をぶつけるが如く痛めつけて殺すだけだ。情報を聞き出す事は出来なかったが、何気にする事はない。どうせ相手は異教徒の罪人だ。
「いいでしょう。そんなに死にたいと言うのであれば、希望通りにしてあげましょう」
エリーは部下の手を振り払うと、机の上の機材に近付き電圧を最大まで上げた。この状態でスイッチを入れれば、強烈な電流が一瞬でユーリエの体内を焼き切り彼女の命を奪う。ユーリエもエリーがどんな操作をしているのかを凡そ察し、それを当然の事と笑顔で受け止めていた。
(は……はは……私も、ここまでか)
思えば、あれだけの事をしたのに随分と長生きできたと思っていた。あれだけ沢山の人を不幸にした割りには、自分は恵まれた人生を送れたのではないかと満足げに笑う。
一つ心残りがあるとすれば、もうこの上にある孤児院の子供達には会えなくなる事と、最近やっと本心で触れ合えるようになったと思っていたリリィともう言葉を交わす事が出来なくなる事だろうか。
折角できた友人ともう会えなくなるのは残念だが、考えてみれば自分にそんな贅沢が許されていい筈がない。これも自分への罰と、来たるべき裁きの時が来たとユーリエは全てを受け入れた。
(あぁ…………やっと、私も……)
「それでは、さようなら」
エリーがユーリエを電撃で焼き殺すべく、機材のスイッチに手を伸ばした。
その瞬間、手を横から何者かに掴まれ捻り上げられた。
「なっ!?」
突然の事に驚いたのもそうだが、何より気配も悟らせず自分に近付いてきた事にエリーは目を見開き自分の手を掴む相手を見た。そしてそこに居た人物に、更なる驚きに彼女はその相手の名を口にした。
「カ、カタリナ、さん……!」
そこに居たのは、険しい表情をしたカタリナであった。彼女は手が震えるほどの力でエリーの手を掴んで捻り上げ、唇を固く結び眉間に皺が寄るほどの険しい顔でエリーと椅子に縛り付けられ死に掛けているユーリエを交互に見ていた。
と言う訳で第36話でした。
執筆の糧となりますので、感想評価その他よろしくお願いします!
次回の更新もお楽しみに!それでは。