その報告は突然であった。
「隊長、警察より入電ッ! 季桔中央グランドホテルにて、原因不明の爆発が多数発生ッ!」
突然のリリィからの報告に、敦は強面の眉間に皺を寄せながら詳し情報を求めた。特異生物災害への対応が目的である彼らS.B.C.T.、ただの事故では動く訳にはいかない。
「爆発だけか?」
「いえ、現地で捜査を行おうとしていた警官からの報告では、爆発と同時に武装した人間が上層階より落下してきたとの事です」
「ッ! 武装しているだと?」
「はい。武装は、嘗ての傘木保安警察のそれと酷似しているとの事です」
こうなると話は違ってくる。傘木保安警察は元傘木社の私設武装集団であり、傘木社の残党の主戦力だ。その隊員が爆発現場から放り出されるように出てきたと言う事は、そこにはファッジを始めとした特異生物が存在する筈。そして爆発が起こったと言う事は、その特異生物か何かが事故で制御を失い暴れている可能性が非常に高い。
今はまだ被害がホテルだけで済んでいるが、その暴れている奴がホテルの外に出るような事になれば被害は一気に拡大する。そうなる前に早急に出動し事態を鎮圧しなければならなかった。
「リリィ、チームに即座に出動準備をさせろッ!」
「了解ッ!」
敦の指示の元、リリィから支部内に緊急出動警報が発令。δチームは即座に出動準備を整え現地に向け出発した。
因みに今回は流石にカタリナは留守番である。まだ怪我が完治していないし、前回と違って今回は教会も騎士団も関係ない。
「――そう言う訳ですから、今回は大人しくしていてくださいね?」
「そんなに何度も言われなくても、分かっています。大丈夫ですよ。お気をつけてくださいね?」
リリィは出動前に医務室を訪れ、ベッドの上で療養しているカタリナに念押しし彼女を苦笑させた。流石の彼女も今回は自重するつもりだった。
カタリナに見送られ、リリィが指揮車に乗り込むと部隊は早速現地へと向かった。現場となっているホテルは名前の通り季桔市の中央付近に位置している。街の中心部に近付くと言う事はそれだけ人が密集していると言う事であり、隊員達は薄々予想していたが案の定現地に近付くにつれ体感できる被害は大きくなっていった。
部隊を運搬する車列の前方からは、パニックになりながら逃げようとしている民衆の姿が見える。最初はまばらだったが、現地に近付くにつれてその密度は増えていき遂には道路を塞ぐほどに人々が逃げ惑う程になっていった。
ここまで逃げる人々でごった返すと、指揮車はともかく大型のトレーラーでは移動が困難になる。
「隊長、このままでは後続のトレーラーが動けません。ここからは徒歩で移動するべきでは?」
「うぅむ……」
指揮車の運転手を兼任しているレックスからの進言に敦も迷い唸り声を上げる。一応先程から緊急車両通過を示すサイレンを鳴らしてはいるのだが、逃げ惑う人々に対してはあまり効果がないどころか逆効果となり一層パニックを助長した。
この事態に敦も後続のトレーラーは避難が完了し道路が移動可能になるまでこの場で待機し、中の隊員だけを移動させる事を選択した。ここで部隊を立ち往生させている間に被害が拡がるような事になっては本末転倒だ。
「δチーム、直ちにトレーラーから降りろ。指揮車以外はここより先は徒歩で現場に向かう」
敦からの指示に後続のトレーラーからは隊員達の了解を示す返事が次々と返ってきた。そして程無くして完全装備のライトスコープ達が降車し、人の流れに逆らう様にしながら徐行する指揮車の近くを歩いていく。
「レックスは羨ましいなぁ、1人だけ車で移動かい?」
他の隊員達が装備を身に着けながら徒歩での移動を余儀なくされている中、同じ隊員である筈のレックスは1人指揮車であるワゴン車に乗って移動している事をδ9のロイが茶化した。それに対してレックスは逃げ惑う人々に注意した運転をしながらロイを一瞥し言葉を返す。
「馬鹿言え、お前ら装備付けてんだから寧ろ楽なもんだろ? こちとら逃げる人轢かないようにするのが大変なんだぞ」
流石に車の進行を邪魔するような者は居なかったが、パニックを起こした民衆はどんな動きをするか分からない。少しでも空いている所を逃げようと車の前を横切ったりする者の姿は先程から何度も見て、その度に彼は急ブレーキを踏む事を余儀なくされていた。お陰で移動はカメの歩みとなっており、思う様に進めていないのが現状だ。
可能であれば指揮車も置き去りにして現場に向かえれば最高なのだろうが、リリィは情報整理の為指揮所から動く事は出来ず、敦はまだ片腕を吊っている為運転できない。必然的に運転手はレックスが担当せざるを得ず、そうなると彼を置いて行く訳にはいかない為、部隊は彼に合わせての移動をせざるを得なかった。
もどかしさを胸に慎重にアクセルとブレーキ、ハンドルを操作していたレックスだったが、出し抜けに視界を埋め尽くしていた逃げ惑う民衆の姿が無くなった。
「!……あれはッ!」
そして道が開けた先には、件のホテルの姿が見えた。ホテルの上層階はあちらこちらで火の手が上がり、窓から黒煙を立ち上らせている部屋も幾つかあった。
逃げ惑う人が居なければ遠慮する必要は無いと、レックスは一気に加速し指揮車を現場にほど近い路肩に停車させると素早く降りて腰にグラスドライバーを装着し変身する。
〈Access〉
「変身ッ!」
〈In focus〉
レックスがグラスに変身すると、それに合わせた様に他のライトスコープ達が彼の周りに集まった。
部隊が集結すると、部隊の次席指揮官であるδ2を先頭にホテルの内部へと突入しようとした。
「よし、総員突にゅ――」
δ2の合図で全員がホテルの中へと突入しようとした、その時…………また一つホテルの一室が爆発したかと思ったら、放り出された何かが彼らの前に落下してきた。
またしても保安警察の隊員かと驚いた彼らの視線の先では、立ち上る土煙の中で何かが立ち上がるシルエットが見える。グラスが警戒しつつ視界モードを変更して土煙の中に居る存在を見ると、それはアルフを抱きしめたヴァーニィである事に気付いた。
「グルル……」
「キョウヤッ!」
「グルッ!?」
連れ去られた京也……ヴァーニィとアルフが目の前に姿を現した事に、グラスは束の間安堵の声を上げた。だが安堵と喜びはまず気絶したアルフの姿に直ぐに引っ込み、そして次いでヴァーニィの異様な雰囲気に違和感を感じた。
「良かった、お前ら無事……じゃないか? アルフは……」
「グルルルルッ!」
「キョウヤ?」
気絶したアルフを気遣いそっと近づいたグラスだったが、ヴァーニィはそんな彼を威嚇するように唸り声を上げながら後退った。まるで傷付いた獣の様な様子にグラスを始めδチームの面々が違和感を抱いていると、先程爆発した部屋から新たな人影が飛び降り地面のコンクリートを粉砕しながら着地した。
「うぉっ!?」
「お次は何だッ!」
次々と変化する状況に隊員達も僅かに浮足立ちながら、新たに落下してきた存在に警戒して銃口を向ける。
果たしてそこに居たのは、一見するとヴァーニィにも見える、だがどこか王族と言う言葉も似合う荘厳な鎧を身に纏った異形の姿であった。ヴァーニィ同様クラッシャー部分が開閉し、そこから血が滴り落ちている様子からそれがノスフェクトであろうことが分かる。
その新たに現れたヴァーニィ似のノスフェクトは、グラス達δチームを一瞥するとすぐに視線をヴァーニィの方へと戻した。
「これが……こんな物が博士の言う最高傑作とはね」
新たに現れたノスフェクト……ヴラドことロードノスフェクトは、何処か失望を孕んだ言葉を零した。それに激昂した訳ではないだろうが、ヴァーニィはアルフを抱きかかえたまま片腕に血の様なエネルギーを集めて歪な巨椀を形成すると、それでロードノスフェクトに飛び掛かった。
「ガルァァァァァッ!」
「あっ! キョウヤ、待てッ!」
グラスの制止も聞かずロードノスフェクトに飛び掛かったヴァーニィだったが、ロードノスフェクトは彼の攻撃を容易く受け止めるとまるで飛んできた木の葉を払う様に片手で引っ叩くように払いのけた。動作自体は軽かったが、それを喰らったヴァーニィはまるで全速力の貨物列車に轢かれたかのように吹き飛びホテルの壁に激突し、そのまま壁を破壊して中へと放り込まれる。
「ふん……」
「ゴァッ!?」
ロードノスフェクトがそれを追おうとするのを見て、グラス達もヴァーニィの援護をすべくホテルの内部へ突入しようとした。
だが…………
「あ、おい待てッ!」
「援護するぞッ!」
「おぅっ!」
「悪いけど、今は君らの相手をしている余裕は無いんだ。後は任せたよ……ギュスター」
ロードノスフェクトがそう呟くと同時に、地面を突き破って姿を現したクロコダイルノスフェクトが丸太の様な尾を振ってδチームの隊員達を殴り飛ばした。
「まっかせてっ!」
「何ッ!?」
「そうれっ!」
クロコダイルノスフェクトの出現があまりにも唐突だった事もあり、隊員の何人かは反応が送れ尾の一撃を喰らい殴り飛ばされ壁に叩き付けられる。グラスが咄嗟に受け止めようと身構えるが、クロコダイルノスフェクトの攻撃は強烈でとてもではないが受け止めきる事は出来ず他の隊員と共に壁に叩き付けられる。
「ぐはぁぁっ!? く、そ……!」
「う、うぅ……」
「おい、大丈夫か……」
グラスは変身しているレックスが頑丈だった事と、最新の装備と言う事もあり防御力の高さで見た目ほどにダメージは無く体勢を立て直すまでも早かった。だが他の隊員はそうではなく、δ2、δ6、δ7は呻き声を上げながら立ち上がる様子を見せない。
「δ2、おいδ2! 生きてるか、おいっ!」
「かはっ……ぁ……」
「くそ、δ0ッ! コイツ等のバイタルはッ!」
『全員生きてはいるけど、あまり良い状態とは言えないわ。直ぐ後方に下げて治療を受けさせないと……』
『δ5以外の隊員は負傷者の搬送を行え。δ5、負傷者の搬送が終わるまで、単独でクロコダイルノスフェクトの討伐と仮面ライダーヴァーニィの援護を行え』
「体が足りねぇよ、クソッ!? 了解ッ!」
この状況下で一度に二つの目標を達成しなければならないのは厳しいものがあるが、さりとてどちらも放置する事は出来ない。グラスは迅速に目の前のクロコダイルノスフェクトを討伐し、然る後にヴァーニィの援護に向かおうとバスターショットを握る手に力を籠める。
「つぅ訳だから、さっさと終わらせるぞワニ野郎ッ!」
「やってみなよぉッ!」
地面の上を滑る様に移動し高速で接近するグラスに対し、クロコダイルノスフェクトは鋭い牙の生えた口を大きく開けて迎え撃つ。グラスを一飲みにしようと大きく開いた口を閉じれば、彼はそれを紙一重で回避し結果クロコダイルノスフェクトの口が閉じた所は地面が大きく抉れまるでスプーンでアイスを掬った後の様になる。
「ガルァッ!」
「うぉっ!?」
最初の攻撃は回避されたが、クロコダイルノスフェクトの攻撃は止まらない。グラスが攻撃態勢に移る前に次の攻撃に移り、結果グラスは回避に専念してばかりで地面には無数の抉れた後が出来上がる。
このまま接近していては埒が明かないとグラスは攻撃を接近戦ではなく遠距離に切り替え、体の前面のスラスターを噴かせて瞬間的に後方に下がると、バスターショットを射撃モードに切り替え素早く何発もの銃撃を行う。飛んでくるのは最新の炸裂式徹甲弾。当然銀成分を含んでいる為、上級であろうとノスフェクトがこれを喰らえば大ダメージは必須だ。
そんなグラスの攻撃を、クロコダイルノスフェクトは尾の一振りで弾いてしまった。硬いノスフェクトの表皮であっても撃ち抜ける銃弾だったが、クロコダイルノスフェクトはそれを下から掬い上げるようなタイミングで尾を振るい打ち上げるような形で銃弾を全て弾いたのである。大口を開いて相手を一撃で飲み込み噛み砕こうとする豪快な攻撃をしてくる割りには、随分とテクニカルな攻撃をしてくる相手にグラスも唸らずにはいられない。
「チッ、やるじゃねえか……」
「へっへ~ん!」
得意げな声を上げるクロコダイルノスフェクト。グラスはこの相手を下してヴァーニィの援護を行うのは、予想していた事だが苦しい事と理解し、今なおロードノスフェクト相手に苦戦しているだろうヴァーニィの善戦を祈りつつ一刻も早く援護に向かえるよう攻撃を再開するのだった。
***
一方ホテルの内部に殴り飛ばされたヴァーニィとロードノスフェクトの戦いでは、ヴァーニィが一方的に蹂躙されてばかりであった。
「ハッ!」
「ガァッ!?」
ロードノスフェクトが回し蹴りを放てば、ヴァーニィは回避できず辛うじて防御するが、完全に防ぎきる事が出来ず柱に激突し床に落下する。その際彼は腕の中で意識を失ったままのアルフを守ろうと無茶な体勢で床に落ち、その際に強かに片腕を打ち付け痛めてしまった。
「ウグ、ウゥ……」
「……フンッ」
傷付きながらも尚アルフを守り、そして抗おうとするヴァーニィをロードノスフェクトは冷たい目で見つめ鼻を鳴らす。事前にペスター博士からは彼が自分達をも超える最高のノスフェクトの雛型であると聞かされていただけに、実際に自分と戦ってその不甲斐無い姿に失望せずにはいられなかったのである。
「これが……こんな物が僕達ノスフェクトの救世主? 博士は何故こんな……」
失望と不可解さに首を傾げるロードノスフェクトだったが、この状況に首を傾げているのは状況を監視カメラで眺めているペスター博士も同様であった。
「おかしい……幾ら何でも弱すぎる。何故だ? 覚醒しつつある筈なのに……」
先程カミラの血を吸い取り、ガルマンを容易く退けたまでは良かった。だが想定スペックでは勝っている筈のロードノスフェクトに一方的に嬲られている状況に、ヴァーニィの能力に自信を持っていた博士は納得がいっていなかった。
何かがヴァーニィの全力を出す事を阻害している。そう感じた博士は食い入るようにモニターを見つめ、彼の動きからその理由に見当がついた。
「そうか……アイツが邪魔なのか」
ペスター博士が目を付けたのはアルフであった。ヴァーニィは先程から彼女を守る為に攻撃と自身への防御を疎かにしている。それが彼に全力を出す事を邪魔させ、ロードノスフェクトの方が優れている様に見えてしまっているのだ。
元々ヴァーニィにはアルフを守る事を設定して放り出していた。京也が真のノスフェクトとして覚醒する為のカギとなる彼女を守り、同時に違和感なく戦う理由付けにもなる。だがそれも、彼の覚醒が済んでしまえば用済みだ。寧ろ今となっては邪魔ですらある。
「何とかしてヴァーニィからアルファを引き剥がさなければ…………ん?」
どうやってヴァーニィからアルフを引き剥がそうとペスター博士が考えていると、先程ヴァーニィに退けられたガルマンがまだ生きているのがモニターで分かった。
「アイツはまだ生きているか……よし」
ペスター博士は即座にコンソールを操作し、ガルマンが居る場所の近くのスピーカーを繋いでマイクに話し掛けた。
「ガルマン? ガルマン、聞こえるかね?」
『ッ! は、博士かッ!』
ガルマンは現在、傷付いた体を引き摺る様にして廊下を歩いている。どうやらヴァーニィの攻撃を何とか耐えはしたが、それでもダメージは相当に負いノスフェクト態を維持する事も出来ない状態らしい。彼が歩いてきた後には常人であればとっくに命を落としていてもおかしくない程の血痕が続いている。
先ずはあの傷を少しでも癒すのが先決と、ペスター博士はガルマンがエネルギーを補充出来そうな場所を探し当てた。
「ガルマン、そこから先に向かって廊下の突き当りを右に向かった部屋に非常用の血液を保存している部屋がある。先ずはそこへ向かえ」
『りょ、了解……』
博士の指示に従い、ガルマンは一見普通の部屋に見える血液保管用の冷蔵室へと入った。本来部屋にはロックが掛かっているが、博士が居る所からなら全ての部屋のロックを自在に操作できた。
部屋に入るなり、ガルマンは手当たり次第に血液を掴むと食い千切る様に血液パックに食らい付き血を啜っていく。血液型などは関係ない。兎に角エネルギーになりさえするのであれば、A型だろうがO型だろうが関係なかった。
受けたダメージが相当な物だったからか、ガルマンは部屋に保管されていた血液の殆どを平らげてしまった。だがその甲斐あって、彼が満足する頃には受けたダメージは完全に癒え万全の状態を取り戻していた。
『ふぃ~、助かったぜ!』
「よし、回復したな。ならば次だ。今下の方でヴァーニィがヴラドと戦っている。君にはその援護に向かってもらいたい』
『援護ぉ? アイツだったら、別に俺が手助けするまでもないでしょうよ』
実際今のままであれば、ヴラドがヴァーニィを圧倒して終わりだっただろう。だが博士としてはそれでは駄目なのだ。覚醒したヴァーニィに本当の力を発揮してもらう為には、ガルマンに介入してもらいアルフを引き剥がしてもらわなければならない。
「念には念を入れて、だ。ヴァーニィはアルファを後生大事に抱えている。それを奪い取れ。奪い取ったアルファは、君の好きにしてくれて構わん」
『へぇ……! そいつは結構な事で……』
先程は暴れたヴァーニィにより奪い返され、アルフの体で愉しむ事が出来なかった。だがヴラドが居るのであれば先程のような事にはなるまい。何がどうなったのかは分からないが、あれ程の力を発揮したヴァーニィもヴラドを相手にすればアルフを奪い返す余裕も無い筈だ。
意気揚々と下の階へと向かっていくガルマンを見送ったペスター博士は、モニターを切り替えヴァーニィとロードノスフェクトの戦いを再び見る。やはり全力を出せないヴァーニィはロードノスフェクトに圧倒されており、片腕がおかしな方向に曲がっていても尚アルフだけは手放さないようにしていた。
執念とも言えるその姿に違和感を感じ、博士は”既に何度か行った”ヴァーニィへの遠距離からの命令の追加を試みた。手元の専用PCを使い、ヴァーニィの遺伝子に働きかける特殊な音波で新たな指示を出す。
「ヴァーニィ……そいつを捨てろ。ヴラドと全力で戦え……!」
PCに指示を打ち込み送信してみるが、やはりヴァーニィの行動に変化はない。一瞬何かを感じ取ったかのように動きを止めるが、直ぐにそれを振り払いロードノスフェクトからアルフを守ろうと言う動きをし始めた。
その光景に博士は重く溜め息を吐きながら額に手を当て頭を左右に振った。
「駄目、か……装置は正常に機能している筈なんだがな……?」
ヴァーニィ……京也に施した遺伝子的命令指示装置はこれまで完璧に作用していた。彼は博士の指示通りにアルフを守り、立ち塞がるノスフェクトと戦ってきた。それがここにきて命令を聞かなくなっている事に違和感を覚えるが、博士はそれをここに連れて来るまでの戦闘で何かしらの不具合が起こったのだろうと判断していた。傘木社時代からよく見られた、生物を制御しようとすると時折起こる不具合のようなものだ。
過去の事例では制御を離れた実験動物が暴れて研究員や保安警察に大きな被害が出る事もままあったが、幸いな事にヴァーニィは元が温厚な性格な上に出している指示も攻撃ではなく守護がメインとなっている。凶暴性は低いし、全力を出せていない今なら大人しくさせる事も容易い。ガルマンにアルフを引き剥がさせ、ヴラドと戦わせてデータを取ったら鎮圧し改めて再調整を施そう。博士はそう楽観的に考えていた。
そんな事を考えていると、ガルマンが現場に到着したらしい。彼はノスフェクト態になると、擬態能力で姿を消しロードノスフェクトとの戦いに集中しているヴァーニィに音もなく接近すると、一瞬の隙を見てアルフを彼の腕の中から奪い取った。
「ア゛ッ!?」
「ハハァッ! いただきぃっ!」
「ガルマン?」
「コイツは俺が頂くぜッ! 後は頼んだぜ、ヴラド様よぉッ!」
気絶したままのアルフをヴァーニィの腕から掠め取る様に奪い、意気揚々とその場を立ち去ろうとするマンティススパイダーノスフェクト。アルフにさして興味も無かったロードノスフェクトは、横から現れたかと思うとアルフをヴァーニィから引き剥がして立ち去ろうとするマンティススパイダーノスフェクトに、一瞬だけ視線を向けたかと思うと即座に意識をヴァーニィへと向け再度攻撃を加えようと拳を握る。
次の瞬間、目にも留まらぬ速度で放たれたヴァーニィの赤黒いエネルギーを纏った拳が一切の容赦なくロードノスフェクトの顔を殴り飛ばした。
「ぐぁっ!?」
初めてのヴァーニィからの本気でまともな攻撃。これまでは腕の中のアルフに配慮してか、加減していた力を全力で解放した一撃はノスフェクトの王として最強の肉体を持つ筈のロードノスフェクトを容易く殴り飛ばして壁へと叩き付け、粉砕しその向こう側へと放り出した。
自分が押し付けたからとは言え、あのロードノスフェクトが一撃で吹き飛ばされた現実にその力だけは認めていたマンティススパイダーノスフェクトも一瞬呆気に取られてしまう。その隙に彼はヴァーニィの接近を許し、気付けば眼前にクラッシャーを開き牙を剥いた顔が迫ってきていた。
「うっ!?」
咄嗟にマズいと思ったマンティススパイダーノスフェクトは、思わず彼から引き剥がしたアルフを盾にするようにヴァーニィの前に押し出した。アルフを奪われた怒りがあるからか、ヴァーニィの勢いは止まらずそのまま彼の牙は彼女の白磁の様に白い肌に突き刺さった。
「うっ!? は、あ、あぁぁぁっ……!」
ヴァーニィの牙がアルフの肌に突き刺さった瞬間、彼女は全身を雷に打たれた様に痙攣させると閉ざされていた目を限界まで見開き悲鳴のような声を上げた。だが彼の牙は彼女の肌から抜かれる事なく、それどころか傷口から溢れ出す彼女の血を啜り始めた。
「じゅる……じゅるる……」
「ぅあ、あぁぁ……! あ、はぁぁぁ……んぅぅぅっ! あ、あぁ、あぁぁぁぁぁぁ……!」
ヴァーニィに血を吸われる度に、アルフのただでさえ白い肌が更に血の気を失っていく。だがそんな状況であるにもかかわらず、彼女の顔に浮かんでいるのは苦痛ではなく快楽であり、気付けば彼女の両腕は自身に食らい付くヴァーニィの頭を抱える様に抱きしめていた。
「あ……ぁ、ぁ…………ぁぁ………………」
「じゅる……じゅる…………ッ!?!?」
ヴァーニィがアルフの血を吸い始めてから数秒後、彼はやっと自分が彼女の血を吸っていた事に気付いたかのように牙を放した。解放されたアルフの体は糸が切れた人形の様にその場に崩れ落ちそうになったが、正気に戻ったヴァーニィは彼女の体が床に落ちる寸前のところで受け止め抱きかかえる。
「アルフッ!?」
「は……ぁ、ぁ……き、きょう、や…………はぁ、ぁ……」
ヴァーニィの呼び掛けに、アルフは息も絶え絶えと言った様子で応えた。その顔には明らかな死相に近いものが浮かんでおり、今にも命の灯が消えてしまいそうだった。
何かを見ているかも怪しい虚ろな目をする彼女に、ヴァーニィは仮面の下で涙を流しながら必死に呼び掛ける。
「アルフッ!? アルフしっかりッ!? 目を開けて、アルフッ!!」
「はっ…………はっ…………」
か細い呼吸を繰り返すアルフに、ヴァーニィが必死に呼び掛ける。すると彼女の手が引き寄せられるように彼の顔に伸び、白魚の様な指が血にまみれたヴァーニィの仮面を優しくそっと撫でた。そして、そのまま彼の頭を引き寄せながら、なけなしの力を振り絞って自分からも彼に顔を近付けると…………
「んっ……」
「!!」
自身の血で濡れたヴァーニィのクラッシャー部分にそっと口付けをした。突然のキスにヴァーニィが硬直していると、アルフの顔が触れた時と同様そっと離れる。唇は彼女自身の血でまるでルージュを引いたように赤く染まり、その血を彼女は舌で舐め取りながら笑みを浮かべると満足そうにそのまま目を瞑った。
「ふふっ…………」
「え?……アル、フ…………?」
自身の腕の中で動かなくなったアルフ。何度揺すっても、何度呼び掛けても彼女は反応を示さない。その光景に彼は以前実里が死んだ時の事を思い出し、あの時の彼女の姿が重なった瞬間視界が真っ赤に染まるのを感じた。
「あ、が、あ、あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ッ!!」
怒りとも、悲しみとも付かない絶叫を上げるヴァーニィの体から、台風の時の暴風のような衝撃が放たれ周囲の物を吹き飛ばす。マンティススパイダーノスフェクトも踏ん張りを利かす事が出来ず、衝撃に押し流されるようにひっくり返り転がっていった。
その一方で、先程ヴァーニィに殴り飛ばされたロードノスフェクトは自身の体が壁に開けた穴から這い出るように顔を覗かせると、その向こう側に広がる光景に思わず言葉を失った。
「うぉぉぉぉぉぉっ!?」
「こ、これは……!?」
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!??」
慟哭にも聞こえる雄叫びを上げるヴァーニィの目が妖しく煌めくと、目や口から赤黒い血が溢れ出した。溢れ出た血は瞬く間に彼の全身を覆い隠すと、次の瞬間その血が弾け飛び周囲を血の海に変える。
その血の海の真ん中には、動かなくなったアルフを抱きかかえて血の涙を流す新たな姿となったヴァーニィが佇んでいた。
「アァ……ァ……ァァァ……グ、ァァァァ…………!」
赤黒いを通り越して漆黒のコートを纏い、その上から赤みを帯びた黒い鎧を身に着けている。頭部は王冠の様に幾つもの突起が頭上に向けて伸び、その容姿はまるで一国一城の主の様ですらあった。
否、まるでではない。正にと言った方が適切だ。今この瞬間、ヴァーニィは正真正銘全てのノスフェクトの王と言っても過言ではない力を手に入れたのである。
その光景を見たペスター博士は、目指す境地に彼が至った事を察して歓喜の声を上げる。
「これだッ! これこそが……!」
「ウ゛ア゛ァァァァァァッ!!」
その名はヴァーニィ・ロードブラッド……血の涙を流す、悲しき王の誕生の瞬間であった。
と言う訳で第65話でした。
執筆の糧となりますので、感想評価その他よろしくお願いします!
次回の更新もお楽しみに!それでは。