今回から特別編です。
特別編第1話:禁忌の目覚め
禁忌の領域に手を出し、ファッジなどの怪物を生み出した傘木社においても尚禁忌として取り扱われ忘れ去られつつあった存在は幾つかある。ノスフェクトなどはその最たるものであり、傘木社でも忘れ去られつつあった存在は禁忌とされるだけの危険性を孕んだ存在であった。
だが、禁忌とされたのはノスフェクトだけではない。忌まわしきもの、危険すぎるものとして封印されてきた存在は他にもあった。傘木社の王である雄成ですら、危険だからと封印する程の災厄は存在したのである。
その災厄の封印を、解こうとする愚か者が居た。
「これか……これが……!」
場所は欧州のとある地域に佇む廃洋館。誰も訪れることの無いそこは、嘗ては傘木社の秘密研究所として機能していた。傘木社が健在だった頃は人里離れた所に存在する洋館として、住人に偽装した研究員達の住居としても存在していたそこは、今や荒れ果ておどろおどろしさすら感じさせていた。
そこにとある一団が訪れていた。言うまでもなく嘗ては傘木社の一員として活動し、会社崩壊後は独自の活動を続けS.B.C.T.を始め政府機関の目を逃れながら細々と活動を続けていた。
そんな彼らは、ふとしたところからここの情報を手に入れた。曰く、この洋館には傘木社でも禁忌とされた存在が封印されていると。
傘木社が崩壊してから10年以上の時が過ぎ、最近は傘木社残党の活動も鈍りつつあった。活動の為の資金が底を尽きた者、逃げ切れずS.B.C.T.に捕縛された者、逃げ続ける事に限界を感じた者など、活動を止めた理由は様々だ。だが脱落した者達が居る一方で、尚も傘木社が健在だった頃の栄光が忘れられず、嘗ての栄光を取り戻そうと野望を胸に動き続ける者達は確かに存在した。
今ここに居るのもそんな野望を糧に活動を続ける者達であり、彼らは起死回生の一手を求めてここに来たのである。
誰も訪れることの無くなった廃洋館に久方振りに人が足を踏み入れる。長い間閉ざされていた扉は軋みを上げながらゆっくりと開き、訪問者をカビと埃の臭いが漂う空気が出迎えた。
訪問した傘木社残党の1人であるマクスウェルは、部下のアントファッジを先行させ屋敷の中へと足を踏み入れる。床板もすっかり腐り果てており、一歩踏み出す度に軋み時折誰かが踏み抜く音が響く。彼らはそんな屋敷の中を進んでいくと、屋敷の裏手に出て裏庭に立ち入ると長い年月の間にすっかり枯れた池の隣に建つ寄宿舎の地下に隠された非常用動力を起動させた。長年動かされる事の無かった動力炉は、再び仕事が来た事への歓喜を示す様に甲高い音を立てながら動き出した。
マクスウェルは非常用動力を起動させると池に偽装した研究所への入り口を開き、忘れ去られていた研究所の中へと足を踏み入れる。
荒れ果てた研究所の内部をマクスウェルたちが進んでいき、その最奥に存在する一際大きな研究室のさらに奥。そこに禁忌として封印された存在は居た。
「博士、これが?」
「あぁ、そうだ。資料でのみ存在した、ノスフェクト研究の一環で誕生したと言う生物兵器…………ルビィだ」
ルビィ……そう称された存在は、巨大な培養カプセルの中に浮かんでいた。長い銀髪を色のついた培養液の中に浮かべ、目は閉ざされているがその容姿は一見するととても整って見えた。全体的な容姿は女性のそれであり、何一つ身に着けずに培養液の中に浮かぶその姿はある種の芸術品か何かのようにも見えた。
こうしてみている限りだと、これが禁忌の生物兵器とはとても思えない。
「これが禁忌の生物兵器? とてもそうは見えませんが……」
「フフッ、それも無理はない。これはな、元々はノスフェクトの王として生み出されたブラドの対となる存在として作り出されたのだよ」
ペスター博士は最初、ヴラドを理想のノスフェクトとして生み出すべく研究を続けていた。だが研究を続けるうちにより強力で従順な最強のノスフェクトが生み出せる可能性があるとして、ヴァンドライバーと京也、アルフを生み出したのである。
だがそうであればルビィは封印する必要は無い。ペスター博士がルビィを封印したのには別の理由もある。
その理由とは、実に単純でありルビィが非常に凶暴過ぎたからであった。創造主であるペスター博士の言う事も効かない暴君。あまりの凶暴性に博士もルビィの実戦投入は見送り、何らかの制御手段を確立するまでここに封印する事にしたのである。
結局はヴァーニィの方を正式に研究続行する事となり、また傘木社の崩壊に加えて力を付けた修道騎士団の追跡などもあってここは放置する事となりそのまま忘れ去られてしまった訳だが。
そのような話を聞かされたマクスウェルの側近は、このままルビィを解放する事に危険を感じていた。
「では、今これを外に出せば、我々も危険に晒される事になりませんか?」
「そうならない様に、コイツを用意したのだよ」
そう言ってマクスウェルが用意したのは、騎士の兜の様な形状のヘッドギアであった。
「それは?」
「簡単に言えば制御用のヘッドギアだ。嘗て傘木社でよく使われていた、実験動物に言う事を利かせる制御装置があっただろう? あれの技術を応用して、装着するだけで言う事を利かせられるようになるんだ。それに加えて意識を安定させ、こちらの言う事を聞き易くする事も出来る」
つまりは洗脳と暴走防止の躾けの両方を同時に行えると言う事だ。如何に凶暴な実験動物と言えども、意識を安定させ逆らえば苦痛が襲ってくると分かれば大人しく言う事を聞く。外付けなので破壊される事が懸念ではあるが、見た目通りこいつはかなり頑丈な造りとなっている為少なくとも苦痛を受けながら壊されると言う事にはならない。それに苦痛の度合いは操る側から自在に調整する事も出来る。もしもと言う時は、脳を破壊する勢いで電流を流せば問題ない。
「さて、では早速こいつを装着させようか」
そうしてマクスウェル達が復活した機材に憑りつき、ルビィに装置の取り付けと覚醒の為の準備に取り掛かった。
その様子をこれから弄られるルビィは、培養液の中から薄っすらと目を開けて見ていた。
***
人里離れた所でそんな事が行われているとは露知らず、街では今日も平和な日常が過ぎていた。人々が街を行き交い、働き、家族や知人と笑い合い意識せず平和を享受していく。
そんな街の一画に、少し古びた教会があった。欧州ではメジャーなキリストを祀った教会だ。
その教会の軒先を1人の女性が箒で掃いて掃除している。典型的なシスター服姿に身を包んだその女性は、一通り教会の表の公道を掃き終えると空を見上げて額の汗を拭いながら満足そうに息を吐いた。
「ふぅ~っ! お掃除終わりっと!」
その女性……季桔市での事件から3年が経ち、あの頃に比べて大分幼さが抜け女性として成長した揚羽が掃いたゴミを纏めて教会の中へと入って行く。ゴミを片付け箒を仕舞って教会の中へと入ると、礼拝堂に2人のシスターの姿を見つけた。1人はキリストの像に向けて真剣に祈りを捧げているが、もう1人はだらけた様子で長椅子に腰掛け時折スキットルを呷っている。
不真面目な様子のシスター……ルクスの姿に揚羽は一気に険しい表情になると、足早に彼女に近付きその手にあったスキットルを取り上げた。
「んぁっ!?」
「ルクスさん、駄目ですよッ! 礼拝堂はお酒を飲むところじゃないんですからッ!」
「いいじゃん、減るもんじゃないんだし~」
「駄目ですッ! 神様だって見てるんですからねッ!」
言い争いをする揚羽とルクスの前で、祈りを捧げていたシスター……カタリナはクスリと笑みを浮かべると組んでいた手を解きゆっくりと立ち上がって振り返った。
「揚羽さん、お掃除お疲れさまです。ルクスさん? 揚羽さんの言う通り、主の前であまり不真面目な態度を取ってはいけませんよ?」
「はいッ!」
「へ~い」
季桔市での戦いを終え、諸々の手続きを終え解放されたカタリナとルクス。その頃には修道騎士団も大幅に規模を縮小させる事が決定し、事実上の解体に近い扱いであった。騎士の多くは装備を取り上げられ普通の修道士としての道を歩むか、尚も人々の為に戦う事を希望するものに関しては保護観察の名目で拘束されながらもS.B.C.T.で面倒を見られる事となった。
そんな中でカタリナの扱いは少々特殊であった。端的に言えば、カタリナの優れた戦闘力は今の時代で遊ばせておくには惜しいと判断されたのである。S.B.C.T.でも手が足りているとは言えない現状、話が分かって腕利きの存在は非常に貴重であった。日本政府には独自の戦力として万閃衆と言う忍びの集団が居るが、欧州もそれに準ずる独自の戦力を欲したのである。
とは言え表立って組織を抱えれば、修道騎士団の二の舞かと日本や諸外国に警戒される。だから季桔市での一件の責任の諸々を見逃す代わりに、欧州政府の指示を聞く遊撃戦力として活動する事でカタリナとは互いに合意する事となった。カタリナ自身何らかの形で季桔市で騒ぎを起こした事の責任を取りたいと思っていたので、人々を守る為に動けると言うのであれば渡りに船とそれを快諾した。ルクスはその際に一緒に処遇を受けた。
カタリナの下で色々な事を学びたいと願っていた揚羽も即座にそれについて行きたかったのだが、それはカタリナにより止められせめて高校を卒業するまで待つよう言われた。京也を始め多くの人々に迷惑を掛けてしまったと自覚している揚羽は、自分を鍛え直したいとカタリナの言いつけに渋い顔をした。が、高校卒業の暁にはカタリナが迎えに来ると言われて漸く首を縦に振り、高校生活を過ごして卒業すると同時に家を飛び出しカタリナと共に欧州へと旅立ったのである。
そうして今では、カタリナとルクス、揚羽の3人で欧州各地を転々としS.B.C.T.では対処が間に合わない特異災害事件の解決の為奮闘していた。
「それでカタリナさん? 私、今回の仕事についてあんまり詳しく聞いてないんですけど……」
「あぁ、そうでしたね。何分今回は少し急だったので」
「お陰でこ~んな寂れた教会を拠点代わりに押し付けられたんだけどね~?」
各地を転々とする都合上、カタリナ達はその場その場で活動の拠点となる場を用意されてきた。が、彼女達が元々修道騎士団の所属であり、アスペンを始めとした過激派により日本との関係に亀裂が入りそうになった事もあって欧州政府や教会からの対応は冷ややかなものであった。寂れていても教会を拠点として宛がわれたのはまだマシな方で、酷い時は現地調達の名目で拠点すら用意されない場合もある。そんな時は限られた活動資金の中から捻出して安宿を取るか、最悪野宿で済ませる事すらあった。
それはそれとして、今回の任務である。S.B.C.T.に代わり欧州を中心とした各地の特異生物災害ないしそれに準ずる、一般の警察では対処が難しい問題に駆り出される彼女達は、今回もその例に漏れず特殊な相手に対処する事となっていた。が、今回は普段相手にしているようなファッジや野良のノスフェクト、ディーパーなどとは少々勝手が違う相手であった。
「今回の私達の目標は……怪盗です」
「…………ん? ごめんなさい、カタリナさん? えっと、今……」
「怪盗です」
「あ、はい……怪盗……怪盗かぁ」
「一応確認するけど、その怪盗ってのは言い換えると泥棒って事で合ってるのよね?」
「えぇ、その怪盗です」
自分達の思い浮かべたものが間違いではなかったと確信して、揚羽とルクスの2人は何とも言えない顔で天井を仰ぎ見た。そんな2人の反応に、カタリナは困った様に肩を竦めて笑みを浮かべた。何を隠そう、最初にこの任務を言い渡された時に彼女も同じような反応をしたからである。
とは言え、何時までも現実逃避されては困るのでカタリナは軽く手を打って2人の意識を引き戻すと話を続けた。
「お2人は、『怪盗ジェム』と言うのをご存じですか?」
「一応知ってます。新聞やニュースになってますよね?」
「現代に現れた怪盗ルパンとか何とか言われてたっけ?」
「そうです。その怪盗から予告状が出たと言う事で、今回私達にそれへの対処を言い渡されました」
カタリナから告げられた今回の任務内容に、揚羽は難しい顔になった。カタリナ達と共に欧州各地を転々とする中で、彼女もファッジやノスフェクトとはまた違う、何らかの実験により生み出されたのだろう特異生物と対峙してきた。だがそれ等は極論してしまえば怪物と言う言葉で片付けられてしまう存在達であり、そうと思えば相手にする事に抵抗は少なかった。
しかし怪盗とは、言ってしまえば純粋な人間だ。人間を相手にするとなると、揚羽にとっては過去の過ちを思い出させる事となりやり辛さを感じずにはいられなかったのである。
「あの~……それって本当に私達がしなきゃいけない事なんですか? 泥棒相手なら、普通は警察が相手にするべきなんじゃ……」
「揚羽ちゃん……態々私達が指名されたって事の意味、もうちょっとよく考えてみて。政府だって馬鹿じゃないんだから、警察で何とかなる事なら私達に押し付けるような事しないでしょ?」
渋る揚羽をルクスが窘める。まだ幼さが抜けきらない揚羽はこういう時思慮が足りない。ルクスの言う通り、警察で済むならそれに越したことは無いのだ。態々彼女達が指名されたと言う事は、つまりその怪盗は普通の泥棒ではないのである。
「そう、これまでに怪盗ジェムは警察は勿論、S.B.C.T.の追跡すら振り切っています。ただ逃げ切ると言うだけではなく、場合によっては撃退すらしているようです」
「えぇっ!? S.B.C.T.を撃退って……それじゃあつまり……!」
「えぇ。怪盗ジェムと名乗る人物は、特異生物に準ずる力を持っている可能性が高いです」
予告状が出せるほどの相手となると、少なくとも人間的な知能を持った存在と言う事になる。特殊なベクターカートリッジを手に入れた悪人か、若しくは何らかの事情で野に放たれた上級ノスフェクトの類か…………
「残念ですが、怪盗ジェムに関しては分からない事が多く情報が少ないのが現状です。ですので対峙する事になったらその場で対応する事が求められます」
「泥棒か…………あっ! そう言えば予告状が出てるって言ってましたよね? 何を狙ってるかは分かってるんですか?」
「勿論。怪盗ジェムは基本的に宝石などの貴金属を狙って犯行を繰り返しています。今回もその例に漏れず、予告状は博物館を狙って送られてきました。期日は今から3日後、時刻は深夜0時。当日は当然周辺を警察により警備される事になりますが、怪盗ジェムと対峙する事になるのは私達となります」
カタリナにそう言われて、ルクスは面倒くさそうに揚羽から取り返したスキットルを一口呷る。一方揚羽はと言うと、こちらは首元に掛けられたネックレスの先端に付いた十字架を撫でた。ただの十字架ではない。カタリナやルクス達が使うライダーシステムの肝となるロザリオだ。嘗てエリーが使用していた仮面ライダーアッシュ、それを修復して揚羽の装備として与えられた。
無言で気合を入れ直す揚羽の姿に、カタリナは微笑むと独自に調べ上げた怪盗ジェムに関する資料を2人に見せた。
「とりあえず、現時点で分かっている怪盗ジェムに関する情報です。あまり頼りになるかは分かりませんが、頭に入れておいてください」
言われて揚羽とルクスは、頬が触れ合いそうになるほどの距離で身を寄せ合いながら差し出された資料を流し見る。
怪盗ジェム……ここ数年で有名になり始めた、予告状を出してから狙った宝石などの貴金属を盗み出す所謂劇場型の盗人だ。だが自分から怪盗を名乗る辺り只者ではないらしく、これまでに警察の包囲網を何度も潜り抜けてきた。問題はその潜り抜け方。実際にジェムと対峙した警官達の証言によると、あと少しで捕縛できると思った次の瞬間ジェムの姿が霞の様に消えたり複数人に分かれたりして、視覚的にも翻弄されて逃がしてしまったとの事だ。
しかも時には強固な壁や柵を鮮やかに切り裂かれて侵入や逃走を許した事もあると言う。その事からジェムが超人的ないし特異生物的な能力を持っている事は明らかであり、その事から日本ではジェムへの対処にS.B.C.T.が投入されるも魔法か何かの様なジェムの幻惑を前には彼らの最新装備も役に立たず逃してばかりいるらしい。
揚羽達が注目したのはこの幻惑と言う部分である。もしこれがノスフェクトによるものであるのならば、相当強力な力の持ち主と言う事になる。
「怪盗ジェムって、実は上級のノスフェクトだったりするんでしょうか?」
「断言はできませんね。ですがその可能性もあるかもしれません」
「連中の催眠能力なら、相手を出し抜いて逃げるなんて朝飯前だろうしね、と!」
一通り資料に目を通したルクスは、スキットルを仕舞うと勢い良く立ち上がり薄い胸を反らして背筋を伸ばした。揚羽も受け取った資料を仕舞うと、カタリナに指示を仰いだ。
「それで、これからどうするんですか?」
「一先ず、ジェムが予告状を送ったと言う博物館に向かいましょう。場合によっては戦闘となる可能性もありますし」
取り合えずの行動を決めると、3人は教会を出て件の博物館とやらに向かった。博物館は比較的最近出来たばかりなのか、まだどこもピカピカで建物も真新しさが目立つ。
カタリナが受付に幾つか話をすると、彼女達は入館料を免除されて中へと通された。実は最悪の場合警備であっても自分達に関しては料金を取られる事も覚悟していたが、流石にそこまで無情ではなかったらしく安心した。
中に通された3人は案内をしてくれる館長の後に続いて館内を歩いていく。すると時折すれ違う他の客から好奇の目を向けられる事が何度かあった。やはりこういうところに修道服と言うのはミスマッチが過ぎるらしい。こんな所に仕事服で来る修道女も普通は居ないだろうから、そんな視線を向けられる事も仕方がない。実際揚羽がカタリナと合流し、彼女達と共に行動をするようになってからと言うものこういう目を向けられる事も少なくは無かった。最初の内こそ羞恥心もあったが、何度か向けられればそれも慣れる。今では好奇の目を向けられてもしれっと受け流す事が出来るようになっていた。
そんな風に時折注目されつつ、揚羽は視線で館内の様子を隈なく観察する。もし怪盗ジェムと戦う事になった場合、何処かに隠れられたり逃げられたりするかもしれない。
警戒する揚羽を連れてカタリナ達は館長に案内されて、この博物館のメインの展示物の所へと連れて来られた。
「あれです。予告状では、怪盗ジェムはあれを狙ってくると」
「なるほど……」
「へぇ?」
「ふわぁ……!」
ちょっとしたホールの中央に鎮座した台座の上に展示されていたのは、見事なサイズの宝石であった。クルミサイズの大きさのそれは菱形にカットされており、中央部分でグラデーションが変化する様に左右で色が赤と青に変化していた。サイズも勿論、その神秘的な色合いに揚羽は思わず言葉を失い身を乗り出すようにして眺めてしまった。
「き、綺麗……!」
「大したもんね。バイカラーだっけ?」
「はい。こちらバイカラーサファイアで、サイズと計算されたカット、そしてこの色合いで当館の目玉の展示物となっております」
館長がそう簡単に説明してくれるが、揚羽の耳には入っていなかった。彼女の意識は完全にこの宝石へと向かっており、それ以外の事が頭に入らなくなっていたのだ。
(本当に……綺麗……)
気付けば揚羽の手は引き寄せられるように宝石へと伸びており、このまま行くと宝石が掴み上げられそうと言うところでその指が宝石を覆う強化ガラスに阻まれた。爪がガラスに当たるコツンと言う音に気付いたカタリナが彼女の肩を軽く叩くと、そこで揚羽は我に返ったようにハッとなって慌てて手を引っ込めた。
「揚羽さん?」
「はっ!? あ、あっ!? 私、何を……?」
自分が展示品に手を出そうとしていた事に気付いた揚羽は、顔を青褪めさせ館長に頭を下げた。
「ご、ごめんなさいッ!? な、何でか分かんないけど、これ見たら頭の中がぼんやりしちゃって……」
自分でも何故こんな事をしようとしたのか分からない。まるで息をするようにこの宝石を取ろうとしてしまった。改めて思い出してみて、先程の自分が明らかに異常であった事に気付いた揚羽は不可解さと不気味さに恐怖を感じずにはいられなかった。
だがそんな彼女に対し、肝心の館長の方はさも当然と言う様に彼女の行いを許した。
「そうお気になさらず。お気持ちは分かりますよ。私達も気を付けないとそうなってしまいますから」
「え、そうなんですか?」
「えぇ。ですので普段の展示ではこのようにして……」
そう言って館長が手を振ると、展示台の左右に制服を着た警備員が2人、門番か何かの様に佇んで揚羽達に目を光らせた。屈強な警備員が放つ威圧感に、揚羽は顔を引き攣らせながら後退りルクスはそんな彼女を守る様に抱き寄せカタリナはそれとなく壁になった。
「……常に警備の者をつかせ、必要以上に近付く者を我に返させます。幸い、揚羽さんの様な事になる人は軽く声を掛ければすぐに気付きますし、気を付けていればあんな事にはなりませんので」
そう説明する館長に、揚羽達はこの人も案外食えない人だと認識を改めた。こういう事情があるなら最初から警備員を配置しておけばいいのに、それをしないのは彼女達にこの宝石が持つ魔力の様な物を実感させる事だと気付いたのだ。これほどの魔性とも言える魅力のある宝石であれば、なるほど狙われるのも納得できる。
同時にこれは彼女達の必要性を言外に問う行為でもある。宝石は強固なガラスで守られ、更には警備員まで配置されている。そんな厳重な警備をされている宝石を守るのに、果たして彼女達が必要なのかと言っているのだ。それを敏感に感じ取ったルクスは、館長達にバレない様にこっそりと舌打ちした。
「チッ……虚仮にしてくれちゃってさ」
「なるほど、分かりました。では私達は当日は、基本外で待機しておきます。ですが、有事の際には遠慮なく内部に突入させていただきますので」
「えぇ、その時はよろしくお願いします」
これで今回揚羽達が護るべき物は分かった。普段の警備状況も確認できたし、後は当日賊が来るのを待つだけである。展示室の外に向かおうと3人が振り返ると、展示が再開されたからか展示室に続々と人が入って来るのが見えた。あっという間に展示台の周りは見物客でごった返し、中には宝石の持つ魅力に憑りつかれ手を出そうとして警備員に窘められる姿も見られる。
その様子を眺めながら道を開け、見物客の邪魔にならない様にしながら外へ向かおうとしていると揚羽が正面から来た人とぶつかってしまった。
「わっ!?」
「おっとぉっ!? すまない、少し不注意だった」
「いえ、こっちこそすみませ……あっ!」
「ん? おや?」
慌てて互いに謝り合う揚羽と相手の人物だったが、落ち着いて相手をよく見て互いに相手が誰だかを認識して揃って目を瞬かせる。
揚羽の様子に違和感を抱いたカタリナとルクスが相手の人物の顔を覗き見て、それが誰なのかを知ると2人も目を丸くした。
「あ、アンタは……」
「お久し振りです。大丈夫ですか…………ユーリエさん」
揚羽とぶつかった相手は、誰あろうS.B.C.T.の技術研究班に所属する元傘木社の研究員でもあるユーリエであった。
彼女達は暫し互いに見つめ合っていたが、このままここに居ては他の見物客の邪魔になると言う事で一旦その場を離れると、館内に休憩所として設置されているラウンジに向かいコーヒーなどの飲み物を手に話し合っていた。
「まさか君達がここに居るとは思わなかったよ」
「そりゃこっちのセリフでしょ。そう言うアンタこそ何でこんな所に?」
「ちょっと、用事があってね。そう言う君達は…………あぁ、例の怪盗の?」
「知ってるんですか?」
ユーリエの口から件の怪盗の事が出てきた事に揚羽が首を傾げるが、考えてみればそれくらいは知っていて当然かと思い直す。怪盗の予告状が出た事は既にメディアでも報道されている。それもあってか美術館の客入りは普段に比べて増えているくらいだ。
それに彼女は、カタリナ達の現状に関してもある程度理解している。それらを組み合わせて考えれば、カタリナ達が怪盗ジェムへの警備の為に呼び寄せられたのだと言う事も容易に想像できた。
「まぁね。怪盗ジェムに関してはS.B.C.T.の方でも最近頭を悩ませているってのは、技術畑の私の耳にも入ってきている。何ならその手の相手の捕縛用の装備も考えさせられてるくらいだ」
その手の事を考えるのは専ら装備部門の技術班の仕事であり、ユーリエの様な特異生物対策班はそこまで関係ないので気楽なものではあるが。
そんな話をしながら互いの現状を話し合っていると、揚羽がある事に気付いた。
「あれ? そう言えばユーリエさん、首のやつ……」
「あぁ、あれね」
そう、今のユーリエの首には拘束用の首輪が無かった。彼女が何か悪事を働こうとすれば即座に捕縛できるようにする為に装着が義務付けられていた首輪は、今は無くなり彼女本来のスッキリとした首元が露わとなっていた。
「この度刑期を満了してね。保護観察も済み、問題なしと判断されて外されたのさ。ま、あんなもの無くても、私は今の立場から動くつもりは無いがね」
「……そうですか」
何処か誇らしげに告げるユーリエの姿に、カタリナは何処かホッとした様子で胸を撫で下ろしコーヒーを口に運んだ。罪を背負っている彼女の事を、カタリナは前々から色々と心配していたのである。だがそれは杞憂であり、こうして彼女が自分の意思で前に歩き続けられている事にカタリナは安心を覚えたのだ。
隣でカタリナが安堵している事に気付いた揚羽もクスリと笑みを浮かべると、今度はユーリエの言う事情が少し気になり突っ込んだ事を訊ねてみた。
「そう言えば、ユーリエさん事情があるって言ってましたけど……お仕事ですか? それとも……」
もしや休暇を取ってデートでもしているのかと揚羽が問おうとすれば、ルクスも気になったのか身を乗り出す。カタリナがそんな2人を宥めると、肝心のユーリエは苦笑しながら手を振って揚羽の予想を否定した。
「残念ながら、そんな色気のある話ではないよ。ちょっとした出張の様な物さ」
「な~んだ」
「つまんないの~」
「2人共……すみませんユーリエさん」
露骨に肩を落とす2人にカタリナが申し訳なさそうに頭を下げる。そんな3人の姿を微笑ましく見ていたユーリエは、しかし次の瞬間コーヒーで唇を湿らせると真剣な表情になり口を開いた。
「実は、ある人物から依頼を受けてね。この近辺にあると言われている旧傘木社の隠し研究所の所在を明らかにする為の、所謂オブザーバーとして同行する事になったんだ」
「「「!!」」」
まさかの内容に揚羽とルクスも真剣な表情になる。カタリナも顔を引き締めると、そのある人物とやらについて訊ねた。
「その、依頼してきた人物と言うのは?」
カタリナからの質問に、ユーリエは即答せず一呼吸間を置いてから答えた。
「依頼してきたのは、門守 仁。君達にとっては大先輩とも言える、仮面ライダーデイナさ」
と言う訳で特別編第1話でした。
執筆の糧となりますので、感想評価その他よろしくお願いします!
次回の更新もお楽しみに!それでは。