お昼だというのにどろしーちゃんはにゃんこハウスに来ない。昼食はここで食べるのがいつの間にか習慣になっていて、いらない時はあらかじめ言ってくれていたのに。
「どろしーちゃん?」
家の扉をノックしても返事はない。
「入りますよ」
鍵はかかっていなかった。あいかわらず雑というか警戒心が薄い。僕が監視しているからいいものを。
外出した様子はなかったし、靴もある。
「どろしーちゃん、居ますか?」
奥からスラリとした黒ネコがやってくる。なめらかな毛並みに透き通った青い目。
「……どろしー……ちゃん?」
にゃあ、と返事をする。
なぜか確信があった。
あわてて上がり込み部屋の扉を開ける。そこにはどろしーちゃんが朝に着ていた服が脱ぎ捨てられていた。いや、ストンと服がそのまま落ちたように置かれていた。持ち上げると下着まである。
「ニ゛ャッ!」
黒ネコにひっかかれた。
「すみません!」
POM、と魔法で服をたたむと、改めて黒ネコを見る。
「どろしーちゃん、なんですね」
少しの間の後、……にゃあ、と居心地悪そうに返事した。
作業台の上にはアンティークな小箱が乗っていた。フタは開いているが何も入っていない。
「またワゴンセールで怪しげなマジックアイテムを買ってきたんですね。これを開けようとして呪いにかかった、とか」
「にゃあ」
「どうせ開かなくて無理やり開けようとしたんでしょう。雑なんだから」
「ニ゛ャー!」
図星らしい。
ため息をついて小箱を手に取る。よくよく見るとネコが描かれた装飾に混じって古い文字が隠れていた。
「……厄介ですね、妖精の呪いのようです」
隠し通せるはずもないので子供たちに説明する。
「かわいいー!」
抱きしめようとしたチャチャの手をスルリとかわして距離を取る。
「セ、セラヴィーさんなら戻せますよね。世界一の魔法使いなんだし」
ショックを受けていたしいねちゃんは救いを求めるように僕を見る。
「それが、妖精の魔法は僕たちの魔法と根本的に違うんですよ。もちろん戻してみせますけど、いつになるのか」
ヘタに希望を持たせてガッカリさせるより、現状を素直に伝えておいた方がいいだろう。
「ねえ、リーヤなら言ってることわかったりしない?」
「オレ、オオカミだぞ、わかるもんか」
「そうだ、なら僕がネコになれば!」
しいねちゃんがネコに変身してどろしーちゃんに語りかける。
「…………」
いくつかやり取りをしていたけど、無言で元の姿に戻る。
「何を言ってるかわかりませんでした」
「僕も『ネコの言葉がわかる魔法』を使ってみたんですが、どうやらネコの姿なだけでネコそのものではないらしく、言ってることはわかりませんでした」
重い空気が流れる。
「というワケで、しばらくは研究にかかりきりになると思いますがよろしくお願いします。まあ、どろしーちゃんは家事もほとんどしてないムダ飯食らいなので、たいして変わりないかもしれませんが」
「フーッ!」
ガリッ、と爪を立てられた。
「ひどい~どろしーちゃん~!」
「……うん、いつもとあんまり変わらないね」
「たしかに」
子供たちに笑顔が戻る。この子たちのためにもがんばらなくてはいけない。
「あのね、やっぱりこういう時は王子様のキスだと思うの」
チャチャが提案してくれる。
「それも真っ先に考えたんですが、どろしーちゃんが許すと思いますか? 思いっきりひっかかれました」
僕の顔に残る爪あとを見て子供たちは納得する。
「だ、だったら僕がやります!」
しいねちゃんが手を挙げた。
「僕なら小さな頃にお師匠様とキスしたこともあるらしいし、お師匠様を助けられるなら」
しいねちゃんは恐る恐るこちらを見上げる。
「……いいですか?」
なぜか僕にたずねる。
「二人が良ければいいんじゃないでしょうか」
「いいですか、お師匠様」
耳を動かして少し考えた後、どろしーちゃんはしいねちゃんの胸に飛び付く。試してみるらしい。僕の時は爪を立てたのに。
「………いきます」
カチ、カチ、カチ、と時計の音が大きく聞こえる。
全ての視線が二人に集まる中、しいねちゃんは黒ネコと唇を合わせた。
「……………………」
「……ダメ、ですか」
いくら待ってもネコはネコのままだった。
「すみませんお師匠様」
申し訳なさそうなしいねちゃんにどろしーちゃんが頬ずりする。
「大丈夫です、僕がなんとかしますから」
そう宣言しながら、なぜかホッとしている自分が居た。
子供たちを寝かせてにゃんこハウスを出るとどろしーちゃんは自分の家に向かう。明かりから外れると途端に黒ネコは闇の中に溶ける。
「うちに来ませんか」
このまま消えてしまいそうで、つい声をかけてしまった。
瞳だけが闇の中で光る。
「に゛ゃあ?」
行くわけないでしょ、とでも言ってそうだ。
「不安なんです」
口から自然に出た。
「まだどんな呪いかもわかりませんし、僕の知らないところで何かあったら、と思うと恐いです。そばに居てくれませんか」
いつもなら冗談でごまかして本心を伝えることなんて出来ないのに、思ったままを言葉に出来た。相手がネコの姿だからだろうか。
「お願いです」
片ヒザをついて手を差し出す。
青い瞳が見上げ、しばしの間があった。仕方がない、といった風に息を吐くと横をすり抜けて僕の家に向かった。
ベッドサイドの棚の上、エリザベスの隣にどろしーちゃんの場所を用意する。カゴにタオルを敷いた簡単なものだけど。
どろしーちゃんはひと通り感触を確かめるとカゴにおさまった。とりあえずは気に入ってもらえたようだ。
「おやすみなさい、どろしーちゃん」
「にゃあ」
横になっても眠れそうになかった。
そーっと身体を起こしてどろしーちゃんをのぞくと、外からの薄明りでゆっくりと呼吸している様子がうかがえた。こんな状況でもすぐ眠れてしまう神経の図太さがうらやましい。
これからのことを考えると簡単にはいかないだろう。けれど、どろしーちゃんと一緒にいられる。ネコの姿ではあるけど今だけは手が届くところに居てくれる、それが何よりも嬉しかった。
それから徹底的に妖精の研究をした。
妖精魔法の基礎から過去の呪いの例、魔法の国に伝わっているものは片っ端から調べた。小箱の古い妖精文字もネコについて書かれたもので、特に手掛かりはない。何人かの妖精に訊いたりしたけど、ほとんどが能力を「なんとなく使っている」であり、参考にはならなかった。
一通りのことは試してみたが、そのどれもが役に立たなく、強引に上から魔法をかけようとしても、呪いが古く原始的なものらしくてその分強力で歯が立たない。
「はああ」
大きくため息をつくと、どろしーちゃんが机に登ってきて心配そうにこちらをのぞいた。
それぞれの家にネコドアをつけていつでも出入り出来るようにしていたが、僕が研究でこもっている時はだいたいここで見守ってくれる。
口が利けたなら「監視してるだけよ!」とでも言っただろうか。
つややかで黒い毛並みに首輪代わりの赤いリボン。どろしーちゃんが子供のころによく着けていたリボンと同じ赤。しなやかなフォルムでネコになっても気高く美しい。
昔を思い出させる透き通った青い瞳がこちらを見る。いつからこの目を素直に見つめ返すことが出来なくなっていただろうか。どろしーちゃんのまっすぐな視線は僕を貫くようで、本当の気持ちを隠した僕は目をそらし、彼女を怒らせるようなことを言ってごまかしてきた。
ネコになった今なら素直に見つめることが出来る。
「どろしーちゃん……」
手を伸ばすとスルリと逃げられる。
子供たちには抱き上げられたりするのに、僕には決して触らせてくれなかった。ネコになっても“拒絶“を突きつけられる。どこまでもどろしーちゃんはどろしーちゃんだ。
「……ネコになってまで黒い毛だなんて、本当にイヤな人ですね」
「ニ゛ャー」
抗議するように鳴く。
「くやしかったら、言い返してくださいよ」
フン、とどこかへ行ってしまった。
最低だ、八つ当たりするなんて。
ゴン、と机に頭を打ち付けた。
なんでも完璧に出来た僕がどろしーちゃんに関する時だけ何も出来ない。よりにもよって彼女が苦しんでいる時に役立たずなんて、世界一の魔法使いが聞いてあきれる。
このまま戻らなかったら……
よけいな考えがじわじわと侵食してくる。
「にゃー」
いつの間にかどろしーちゃんが戻ってきていた。
「なんですか?」
どろしーちゃんは扉に向かって鳴き、こちらを向く。
ついてこい、ということらしい。どろしーちゃんの後を追って外に出ると近所の明かりも消え、真夜中になっていた。
裏庭まで連れられてくる。ガーデンベンチに乗ったどろしーちゃんの横に座ったけど、何かあるのだろうか。
「にゃー」
上を見て鳴く。見上げると満天の星空が広がっていた。
空を見上げるなんていつ以来だろうか。ずっと下を見て調べものばかりしていた。
目を奪われていると、スッと光がよぎる。
「あっ」
流れ星だ、と思う間もなく消えてしまう。
他にないだろうか、と見ているとまた流れた。
「あ! ああっ!」
見ている間にいくつも流れる。
そういえばニュースで流星群の話をしていたような気がする。そんなことさえ耳に入らなくなっていた。
「どろしーちゃんが戻りますようにどろしーちゃんが戻りますようにどろしーちゃんが戻りますように!」
これだけ流れていたらひとつぐらい叶えてくれてもいいだろう。
横を見るとどろしーちゃんも祈るように空を見上げていた。
「ありがとうございます、どろしーちゃん。ちょっと余裕をなくしていたようです」
どろしーちゃんに手を伸ばすとスルリと逃げられる。
「……こんな場面で肩に手を回すぐらい自然じゃないですか」
「にゃー」
「空気の読めない人ですね。いやネコか」
「に゛ゃっ」
「ネコの時ぐらい素直になってくださいよ」
「フーッ!!」
元のどろしーちゃんでも同じように避けただろうか。肩に手を回した後に殴られたかもしれない。
ここに居るのはどろしーちゃんでも、どうしても元の彼女を追い求めてしまう。
「どろしーちゃん、僕が元に戻してみせます。今日明日はムリでも一生かけてでも絶対に。だから待っててください」
「にゃあ」
さっさとしてよ、と言った気がした。
***
「どろしーちゃん、ちょっとどいてね」
チャチャはテーブルで寝ていたどろしーちゃんを下ろしつつ抱きしめる。
「ふわふわ~」
スリスリして感触を堪能していると、スルリと逃げられる。
「聞いてくださいよお師匠様、リーヤったらねー」
「なんだよ、しいねちゃんも悪いんだろ」
「にゃにゃっ」
いつの間にかどろしーちゃんがネコで居ることが日常になっていた。
「あっ先生! お皿並べるね」
僕がお盆を持って皆のところに行くと、それぞれが自分が出来ることをしてくれる。
「オレご飯盛るよ」
「リーヤは自分のだけ大盛りにするだろ」
「おかわりするからイッショだろ」
どろしーちゃんの代わりに僕を手伝ってくれるようになっていた。
子供たちがこの状況に馴染んでいるのは良かったけど、本来のどろしーちゃんが忘れられていくようで不安になる。
近頃は呪いについては訊かれなくなっていた。僕にプレッシャーを与えないためだろうか、僕がどろしーちゃんを戻せると安心しているのだろうか。
それとも、僕だけがどろしーちゃんを追い求めているのだろうか……
研究は完全に行き詰っていた。
妖精の文献を片っ端から読み返した。古い魔法使いを訪ねてみた。魔導書をスミからスミまで読んで試してみた。妖精の国の研究者にも相談したけど、古い呪いで解析は難しいらしい。そんなことはとっくにわかっているのに。
「ああもう!」
机にある資料をドサドサと落として机に突っ伏す。
出来ることは全て試したはずだ。後はもう何も残ってない。
「にゃーん」
「……どろしーちゃん」
目の前にどろしーちゃんが居た。なぐさめてくれているのだろうか。
「僕も呪いにかかってネコとして一緒に暮らしましょうか。どろしーちゃんと添い遂げられるなら本望です」
「フーッ」
ガリッと手をひっかかれる。
発破をかけてくれたのだろう。でも爪あとが浮かぶ右手を見ても心は動かなくなっていた。
「僕はもうダメです。やれることは全部やりました」
顔を両手で覆う。これ以上、何も思いつかない。
「ごめんなさい、どろしーちゃん。ごめんなさい……」
もう謝ることしか出来ない。
「にゃー」
腕に柔らかなものが触れる。
「………………」
目を開けると、どろしーちゃんが僕にすり寄ってくれていた。手を伸ばすとそのまま触ることができた。
柔らかな手触りと温もり。決して触らせてくれなかったどろしーちゃんが僕の手の中にある。
……本当にこれはどろしーちゃんなのだろうか。
どろしーちゃんが僕に大人しく触られる、決してないとは言えないけど、違和感が強い。
これがどろしーちゃんだったとしても心までネコになっていないだろうか。この前、庭で虫を追い回しているのを見かけた。いつかどろしーちゃんの心は消えて、僕のことなんて忘れてしまったら……
「お願いです、元に戻ってください。どろしーちゃんが居ないのはイヤです」
涙がにじんでくる。
「どろしーちゃんの声が聞きたいです。どんな悪口でもいいからその口でしゃべってください。僕のことが嫌いでもいいです、金髪じゃなくてもいいです、どうか戻ってください……。どろしーちゃんが僕を怒って、どついてくれないと寂しいです」
ボロボロと涙が流れる。
どろしーちゃんは僕に寄ると頬の涙をなめてくれた。
「どろしーちゃん……」
ぎゅっと抱きしめると温かくて、柔らかくて、小さくて、涙があふれてくる。
黒ネコの口にそっと自分の唇を重ねた。
「きゃあっ!」
「うわっ!」
机の上には元のどろしーちゃんが座り込んでいた。一糸まとわぬ……いや、首に赤いリボンだけ着けて。
どろしーちゃんは自分の姿を見下ろし、みるみる赤くなる。
「きゃああああ!」
バチーン!と平手打ちの音が大きく響いた。
「……どうして、しいねちゃんの時は戻らなかったのかしら」
僕の上着で肌を隠しながら、考察を始める。
動揺していて魔法で服を着替えることまで考えが及ばないのは突っ込まないでおく。
ぶたれた頬がまだヒリヒリするし。
「それはやっぱり、『真実の愛』が必要だったんでしょう」
「真実の愛……ねえ」
胡散臭い、と言わんばかりに眉をひそめる。
だってそれしか考えられない。古来から呪いを解くのは王子様のキスであり、どろしーちゃんにとって王子様は僕しかいないのだから。
「……あら?」
机の上に転がっていたのは指輪だった。小箱と似た装飾がほどこされてある。
「箱の中に入ってたんですか?」
「わからないわ。開けた途端にネコになったから」
どろしーちゃんは指輪を透かすように見ると、自分の指にはめた。
「どろしーちゃん!?」
再び、上着を残して黒ネコに変わる。
僕は頭を抱えた。
「……どうしてそう考えなしなんですか」
「ニ゛ャー!」
抗議するネコを抱き上げてキスする。
「まったく……戻し方がわかったからいいものを」
僕の膝の上には、再びリボンだけのどろしーちゃんが現れた。
ジタバタと暴れる彼女をギュッと抱きしめる。
「ちょっと、離して!」
「イヤです」
「あんたそんなキャラじゃなかったでしょ!」
「ネコのどろしーちゃんに打ち明けたんですから、もう自分を偽るのはやめました」
ネコと違って腕から逃げられることはない。
「どんなムチャな真似をするかわからないどろしーちゃんのそばに居ます。どろしーちゃんがイヤだって言っても、ずっとずっと」
「もー! 離してええー!!」