遠出した時の父が言っていた伝承の話。
地震を鎮める仕事。
「ここだ」
祠の中には井戸があり、重い蓋を開けると中には螺旋階段があった。
「降りよう」
父に従い、螺旋階段を1時間は下りただろうか。
階段が終わったかと思えば、今度は長いトンネルが続いていた。
「ここから先は、一人で行きなさい」
父はライトを私に手渡しながら言った。
「伝えたとおりにやれば、うまくいくはずだ」
長いトンネルは微妙にカーブを描いたり、坂になって下ったり上ったりしながら、基本的にはまっすぐ続いていた。
ひんやりとした風が吹いていた初めの30分の後、歩けば歩くほどに空気が暖かくなっていく。
言われていた通り、上着をカバンに詰めて薄着になってまた歩き続ける。
1時間ほど歩いてやっとたどりついたそこには、仏像に似ているが、首の形は見たことのない、牛とヤギを合わせたような角の生えた動物の顔をした像が胡坐をかいていた。
「遅い」
その像が声を発しても、私は驚いた様子は見せず、
「は? 最速で来たんですけど?」
とできるだけ背筋を伸ばしておなかに息が入り、声が通るように答えた。
「え、なんかお前、態度悪くない?」
「いや、こっちから出向いてるんですから、むしろなんか労いとかあってもよくないですか?」
「いや、あの、まあいいや。じゃあ、始めるとしよう……」
神の座に座る獣に差し出す品はこれまで様々だったようだ。
神の座の獣の欲望は、実は、交換を持ちかける人間の側の欲望を反映するに過ぎない。
これまで、この儀式を執り行ってきた村では、顔も知らない昔の村長が決めた捧げ物が100年くらい変えられないルールとして守られてきたらしく、その逸話の中にはいわゆる迷信から発したおぞましい風習の常で、現代の感覚からすると吐き気を催すような捧げ物もあった。
人の命、子供の命、そういった類のもの。
父が民俗学研究についてからしばらくして、祖父が最後の村長となり、風習を守ってきた村は単純な人口減で絶えた。
村も祖父も嫌って村を出た父が、民俗学者になってこの村に戻った時、もうすでにいくつかの家は廃墟になって久しかった。
父は過去の捧げ物の記録や、村長の家から出すことを禁じられてきた「祭壇」での神事録もすべて取り出してスキャナに通し、PDFファイルにまとめた。
その作業をほかでもない私も手伝ったわけだが。
母と別れてから父は研究に没頭し、私はその傍らで好き放題に生きた。
潤沢な小遣い、そして高校で家を出てからは仕送りをもとに、思いつく遊びは遊びつくし、進学しようか迷っていたときに父からこの仕事の手伝いをしないか、と打診されたのだ。
私は結局服飾の専門学校に籍を置きながら、空いた時間は父の研究室の助手と一緒に、村の伝承や記録のデータ化にいそしむようになった。
私が研究に加わって2年、とうとう父の中で仮説が一つ定まり、それを検証する段になった。
その時必要なのは、若い村長の家系にある女子だとのことだ。
私は手伝いの傍らで見かけた捧げもののバリエーションを読んで知っていたので、「私がささげものになるとかは、ありえんから」と軽く怒ったふりで牽制した。
父も別に、村がなくなってから、自らの手で因習を復活させようなどという妄執に取り憑かれたわけでもなかったようで、単に検証のために必要だから、頼みたいらしかった。
私は条件として、「それなら自分で試してからにしてね」と言った。
父は面食らったような顔をした後、「たしかにそうだな、むしろそのほうが仮説を検証できる」と言って勝手に納得した。
それから半年、助手と何度か村の祠に潜って「検証」した結果、捧げものは必ずしも必要ない、ということがわかったらしい。
「面白そうだから、アキラも行ってみたら?」
助手のシンジさんが昼休みに、研究室で油を売っていた私にコーヒー片手に言ったのは、私の服飾学校での卒業制作が終わった夏のことだった。
「え、軽」
「はは、実際、思ってたのと全然違ったよ」
「シンジさんも行ったの?」
「うん。“捧げもの”もしたよ」
さらっと涼しい顔でそんなことを言うので、私は自分の肩を抱きながら「うえー……。まじ?」と言った。多少大げさなリアクションにしないと正直受けたショックがばれそうだったからだ。
「あー、違うよ? それが一応検証ポイントだったんだけど、どうやら僕らのほうがそういう欲望を念頭に置いて捧げ物をしなければ、神様も別になにも要求してこないみたい」
「えー、どゆこと?」
「つまり、ぼくの身体は、
「シンジさん、聞いといてあれなんだけど、それもなんかきもいっす」
「あれ?」
シンジさん曰く、捧げ物をするのに必要なのは、願いと、それに釣り合うと思うもの、それがあれば、別におぞましい要求はされないらしい。
これは、きちんと、父がその身で検証したから確かだそうだ。
「シンジさんまであのひとの道楽に付き合わなくていいですよ」
「いや、一応、これも一種仕事だからね。僕修士課程だし。お父さんの仕事を道楽なんていうもんじゃないよ」
笑いながらシンジさんは言うけど、私は自分の卒業制作を思って少し本気で反省して、落ち込んだ。
その様子を見て取ったのかわからないけど、シンジさんはおどけて加えた。
「まあ、最初のゲンイチさんの“捧げもの”は笑ったけどね。『これが僕の、一番手放せない、大切なものだ』って言って、自分の博士論文の手書き原稿を持ってってた。一番大事なものでそれが出てくるのは研究者として見習ったほうがいいのか迷うよな~」
捧げ物の件は、とにかく自分が、一番大事に思うもの、でいいらしい。
もしそういうものが用意できて渡せるようなら、良い経験になるからやっても面白いかもしれない、というのがシンジさんと父の意見だった。
私は目の前の神の獣のみすぼらしい恰好を見て「やっぱりな」と思った。
「で、お前の捧げものはなんだ?」
「それはね、これ!」
じゃん、とばかりに私が荷物のなかから広げたのは、リネンで作った袈裟である。
「これは?」
「ながいこと地下でこうして座ってるらしいからさ、服でもプレゼントしようと思って」
「これはお前にとって大事なものなのか?」
「いや別に?」
ぎろり、とにらむヤギだか牛の顔が「どういうことだ?」とすごむけれども、私はむしろこいつは何を言っているんだ? と思う。
「贈り物ってのはさ、その人のことを思って贈るもんでしょーが」
「だからなんだ? お前が差し出す犠牲があってこそ、俺たちが見返りを与えることが――」
「ちっがーう! そこなんだよなー、いろんな伝承で納得いかないのがさあ。そもそも贈り物って、贈りたいから送るもの、お返しは、嬉しくってあふれるから、せめて物でもなんでもお返しをしたくなるもの、そういう自然の気持ちでしょ! 本来は」
「何を言っているんだお前は」
「神様ね、これは長い時間研究に付き合わされて友達の誘いも断ってきたその恨みの八つ当たりの面もあるからごめんだけど、正直、何かの引き換えに何かをあげるって、発想が、ダサい!!」
「え、」
「これだけ言って帰ろうと思ってたんだ今日は。私思うんだけど交換は贈り物から始まるもんであって、『お前は何をよこすんだ?』って値踏みして見返りを要求するようなもんじゃないとおもう! だからあんたも反省しなさい!」
「あんた、ってはじめて呼ばれたかもしれん」
「これまでも、嫌々持ってきたもんを何がそんなに大事かもわからんで取り上げてきたんでしょ? 自分が欲しいものがわからないから。だから人間の欲しいものを持ってこさせたんでしょう。自分が欲しいものがわからないから」
「……」
「でもそこで朗報! ファッションはゼロから欲望を生み出すのが仕事だから!」
「どうぞ着てご覧」
手渡した布の塊を獣は四本の手で広げて捧げ見た。
「腕通して。腕四本の人用の服なんて初めて作ったから楽しかったよ」
ほとんどぼろきれしかまとっていなかった獣は、ほぼ上裸の身体に袈裟をまとい、美しい橙が祭壇の小さなろうそくの明かりに照らされてゆらめいていた。
「なかなかかっこいーと思うよ、うん」
「そうか」
獣は袈裟を翻して祭壇にまた腰掛けた。
それはさっきよりも少し神々しく、堂々として見えた。
威圧感は和らいだように見えた。
「これがお前の大事なものだったのか」
「だからー……、いやある意味伝えたいこととしては大事だ」
「これは私からのプレゼントだから。だし、卒業制作にアイデアをくれたことのお礼でもある。」
「お前は贈り物から始めたいのではなかったのか?」
「本当に最初の贈り物なんてないと思う。勝手に感じた感謝を誰かに伝えたくなっただけというか」
私はこれで父ともこの研究とも一切やれることはやってさよならだ、と思った。
「だから、私はこれで帰ります」
「要求はどうした?」
「そんなのあったら、贈り物じゃないでしょ」
私はそれを最後にさっさとトンネルを帰って行った。
カバンは行きよりも軽くなっていて、足取りは軽い。
気になって振り返ると、神の獣は自分の新しい召し物の袖を、
面白くってなんか笑ってしまって、涼しくなっていくトンネルを早足に出口へ向かった。
これで地震が減ったのか?
それは全くの不明。
私自身は別にそれを期待して行ったわけじゃない。
なぜかあれ以来、祠の井戸は閉じてしまったらしいけど、とりあえず父の研究は一区切りがつき、シンジさんも修論が書けそうだと言っていた。
私は就職先でなんとか日々をやりくりしながら、最初に私の服を着たヒトのことを思いつつ、また新しいアイデアを探して頑張っている最中だ。