遠くで瞬く星にはきっと人の住む街もあるだろう。
この星はセカイ系的な破滅に見舞われて青息吐息だ。
星に罪はないのだし、人間はえらいのかそんなに?
セカイ系作品の好きだった僕の友達は連絡が途絶える直前に言った。
「星の運命の前では、俺の自意識も世界には関係がないみたいだ」
遠隔地で最後のビデオ通話をしていた僕は、彼の気障な趣味を笑うことはもうしない。これが最後の会話になるとうっすらわかっていたからだ。
今でも彼が勧めてくれた作品を挙げることができる。
「民話から来た少女」「時の中の幻影」「藤が丘霊園の3組」「地球にボーナストラックがあったなら」「ヒロインは負けない」「地雷原に花束を」「帰路メーターでさようなら」「ぐっと開いて、手を握って」「知らない仲から始める恋」「気球論」「シラバスの迷路」「ご機嫌なムスターシュ」「
「全部読み切れなんて言わないよね?」
「読み切れなかった俺の代わりに完結を見届けてくれよ」
それで通話が切れてしまった。
まいったぞ、と思ったのもつかの間で、僕のメールボックスには大量のデータファイルが送られてきて、それは彼が今まで読んできた作品の全データだった。
どこから入手したのか知れないけれど、後で見てみたら、表紙から奥付まですべてそろった完全データであり、無料でこれを読むことにいまだに罪悪感がないでもない。まあ、それを支払う相手もいまはない。
あと、その後の顛末の関係上、完結まで読める見込みのなくなった作品も多い。
結局何の手違いか、人類で生き残ったのは僕だけみたいで、地表の9割が水没したこの星で今この家で、仕方なく旧友の残した彼の蔵書を一から読み進める作業を進めている。
彼女が来訪したのは、そんな生活が一年も続いたある日の午後だった。
「破滅保険のイリスです」
ドアをノックする音にはじめ気づかなかった。
ノックなんて概念を忘れかけていたから。
「え?」
「星間破滅保険公使のイリスです。破滅保険の査定が終了しましたので報告に参りました」
僕はおそるおそるドアを開けて声の主と相対した。
「あのー。誰ですか?」
「星の破滅に人類のみなさんは保険をかけていらっしゃったので、今回申請の要件に基づいて査定し、結果保険が下りることが決まったのでその報告に参りました、保険公使のイリスと申します」
「ぜんぜんわかんないです……」
「あれ……? 一応こう言えば伝わるって、そう聞いてきたんですけど……」
「あなたって、生き残りの人? どこからこの家を見つけたの?」
イリスと称する少女は見た目には10代に見える、白銀の長髪と黄金色の瞳が印象的な、警帽に似た帽子をかぶり、服は濃紺のスーツに似た形状の服を着ている。似た、というのは、上下のジャケットとパンツは見たところ材質がエナメル質のように光沢があり、ジャケットの裾は著しく長く、地面につくほどだったからだ。ジャケットの下はシャツではなく、材質も不明で吸い込まれるような黒のニットのようなものを身に着けている。
「ちょっとその、とりあえず言葉も通じるようですし、暑いんで中入ります?」
僕は久しぶりの他人との会話に戸惑っていたが、日の下にそのまま立っていてもらうにはいかにも熱中症になりそうな彼女の服を思ってつい、そう口にしていた。
玄関までであれば追い返すこともできるだろうか。危ない人でなければいいが。
「ああ、おかまいなく。こちらの服は全天候対応型スーツですから」
「そうですか……?」
家の中へ案内しかけてドアを開きかけた僕は若干気まずい思いをして、その流れを断ち切らないためにあえて「でも、立ち話もなんだし、なにより開けておくと僕が暑いので」と言った。
「あ! これは失礼。そうですよね、私自分のことばかりで」
そう言ってわりかし素直に僕の開けたドアから彼女は入ってきた。すれ違う時、彼女からは檜の匂いと紅茶の香りを混ぜたような不可思議な香りがした。多分あの服の材質によるものだろうか。
「ええ、どうぞ、なにもないですけど……」
僕はそういえば自分の家に来客を招くことがこれまでの人生でなかったかもしれない、とふと思い、例えばどうするのがいいのだったか? 最近見直していた映画や本の知識をひっくり返してかろうじてお茶とお菓子を出すことにまではこぎつけた。
「あ、これはどうも、おかまいなく」
「いや、つまんないもんですけど」
なんか赤の他人を家に上げて何をやってるんだろう、と思った。僕以外の生き残りを見つけて、知らぬ間に緊張やら、もしかしたら高揚もしているのかもしれない。けど今はとりあえずおもてなしすることに頭がいっぱいで何もわからない。
なんでこんなにこの人に警戒心がわかないんだろう?
「では、どこから説明しましょうか。まず、天体保険とか破滅保険についてはご存じじゃないですか?」
「いえ、まったく」
「あれー? そうですか。たいていこういう大惨事の生き残りの方は保険の申請者の方の末裔で、話が通じていることがほとんどなんですけど、あなたは、なにかしら人類を代表する方ですか?」
生まれてこの方、そんな質問はされたことがない。人類を代表する人間と間違われることなんて大国の首相でもないんじゃないか。
「いえ、違うと思います」
「でもですね、今生き残っている人類の方はあなた一人なんですよね」
「え?」
じゃあ、あなたは? という言葉は当然頭に浮かぶけれども、理屈以前に「この人はこの星の住人ではないな」と僕は直観していた。
というのも、間近で見て、やはりどことなく、雰囲気が人間離れしているというか、それは奇妙な服装も込みだが、髪の色も目の色も、肌の様子も、窓から光を受けていながら、僕とは違いどこか人工的な感じがする。輪郭が光を浴びて反射するとき、おそらく肌は完全に平らかであることが見て取れた。なんとなく、人間ではないんだろうな、と僕の五感からくる認識が告げていた。
そしてそれは、僕の中に警戒心を起こすのではなく、むしろなぜか安心感を与えるのだった。
「とりあえず、生き残りが一人しかいない以上、あなたが人類代表ということで進めましょうか」
「あの、その前に、一ついいですか」
「どうぞ」
「あなたは、その、保険員さん? はどこから来た、……誰、……
僕はいささかこの質問の答えに怖れをいだきながら問うた。警戒心がわかないとはいえ、このひとがいよいよ人間ではない、ということがわかってしまうかもしれないからだ。
「ああ、ご存じないのでしたもんね、そこから説明します。私は太陽系を管轄する保険公使のイリスと申します。今は申請者の方と同期した姿かたちをしていますが、本来は肉体は持ちません。宇宙を認識した知性体の思念をもとに存在しています。ですから、私は人類のみなさんとは結構付き合いは長いんですよ。こんな形ですけど、実際にお目にかかれて嬉しいです。今日はよろしくお願いします」
そういって彼女は深々と床に手をついてお辞儀をした。まるで旅館で来客を迎えるかのような丁寧さだ。これも接触する僕に合わせているのだろうか?(というか彼女は「彼女」ですらないのかもしれない。僕に合わせてこのような姿で現れた可能性はないだろうか。僕が警戒心をもっとも抱かず、好感を持って迎え入れるような。……実は落ち着き払っていたが、最近昼夜なく読み進めている、友人が残したライトノベルのヒロインの造形に彼女は酷似している)
「さて、そんな私ですが、古くは文明保険の提供で何度か地球にはお邪魔したことがあるんです」
「文明保険?」
「一定の文明を完成させた知性体に対しては、その保存が義務付けられていますから、ああ、これは星間条約で思念体間で交わされた取り決めで、人類のあなたはいったん気にしなくて大丈夫です。ところで、人類はいまおなか減ったりとか、水が必要とかありますか?」
「人類?」
「ええ、人類。」
そういって、「あなたですよ?」とでも言うように僕に手のひらを向けて見せた。
もしかして僕、人類として見られてる?
「あのー。一応僕にもテルっていう名前があるんですけど」
呼ぶ人はもういないですけど。
「あー! すみません、知性体の方については個体認識の要否をよく確認せよという規定があったのを忘れていました。えーっと人類さんの類的傾向としては……」
数秒中空に目を泳がせた彼女は、何かに目をとめて「やっぱり!」と言った。
「すみません! 『人類種は個体識別に特別な重きを置く』とありました! 前にこれで大失敗したのにほんとごめんなさい」
何度も頭を下げる彼女にいたたまれなくなり、すぐ制止した。
「やめてください、ほんと、ただ呼び方が『人類』だと僕も反応に困るっていうか」
「ですよねですよね、テルさん、でしたよね? テルさんと呼ばせていただきます」
「ありがとう、えっと、イリス、さん」
「はは、ありがとうございます。でも私はイリスでも宇宙人でも呼び方はなんでもいいですよ」
「名前で呼ばれないのは気にならないですか?」
「別に。イリスっていうのも、前に失敗したときに、そういえば便宜上つけた名前ですし」
「ちなみに前の失敗っていうのは?」
「ああ、まだ人類種のみなさんのことがよく分かっていなかったときに、一部の人類種の集団をひいきしてめちゃくちゃにしてしまったんです」
「え?」
「私も未熟だったんですけど、文明を保存するだけなら、一部の人類種の集団をターゲットにして生き残らせるのが一番管理しやすいって思ったので、全部その集団が生き残るように肩入れしていたら、他の集団に悪さをしたり、逆に目の敵にされて復讐されたり、要は対立やら不均衡をあおる形になってしまって」
僕はその「肩入れ」の内実が恐ろしくも、怖いもの見たさで聞かずにはおれなかった。
「それでどうなったんですか?」
「しかたないので文明保険の申請をその人類種の代表者の方に出してもらって、何かあったら私が助けるっていう契約にしたんですけど、そのあとすぐだったんですよね、星間条約で『同類種間に不均衡をもたらすような介入・契約は遡及して無効とする』っていう取り決めがあって」
「というと?」
「要は私みたいに一部の人類集団に肩入れして生き残らせるような文明保存方法が全面的に禁止になったんです。あのとき契約した人類の方には申し訳なかったなあ。名前は何と言いましたっけ、えーっと」
「い、いわなくていいです!マジで!」
「え? なんでです?」
「うーんと、その、いまはもう後の祭りというか、元の木阿弥というか、えー、未来の話しましょう! 未来の話!」
ぽかんとした彼女はにっこりと花が咲くような笑顔で「いいですね! 前向きにいきましょう」と言った。僕は警戒心こそいまだに抱けなかったが、この存在が思っていたよりずっとやばいものなのかもしれないと思い始めていた。
「それで保険の内容なんですけど、廃止された文明保険のほかに、破滅保険、天体保険とありまして――」
イリスの説明に従うと、要は文明の滅亡に対して保険をかける文明保険、人類全体の滅亡に保険をかける破滅保険、星の損壊や破壊に保険を掛ける天体保険があるらしい。
そのうち今回の人類が該当するのは破滅保険。文明保険は性質上一部の集団に肩入れせざる得ないので廃止になり、人類種全体が滅亡したとき、破滅保険が適用されるらしい。
「この星自体は健康そのものなので、適用されるのは人類に対する破滅保険のみですね。どうしますか? 同星での文明再興、他星への移住再繁殖、変わり種だと別世界線への転生、というものもありますが」
そのほか、いろいろなオプションがあり、それらは人類を最盛期の人口と文明レベルまで回復させるものから、文化を星間アーカイブに記録して適した星が現れるまで種のDNAごと『保存』しておくものまでさまざまだった。僕はめまいがするような感覚の中で「こんなになんでもできるんですか?」とイリスに聞いたが、イリスは「人類はもうテル一人だけですから、いくらでも肩入れできますよ!」と意気に感じたかの如くガッツポーズをして見せた。僕は相談相手としてはふさわしくないかもしれない、と少し思った。
「うーん、ちょっと考えさせてもらっていいですか」
「どうぞどうぞ。いつでも呼んでいただければまた来ますから、考えておいてください」
そう言ってイリスは立ち上がり、「お茶菓子ありがとうございました」と丁寧にまたお辞儀をしてドアから出て行った。
「嵐のようだったな……」
部屋にはまだ檜と紅茶の香りが漂い、彼女の飲み干したカップと食べ終えられたスナック菓子のかけらの乗った皿が、僕の孤独生活が生み出した白昼夢ではない証拠のようにそこで静かに存在を主張していた。
気になってドアを開けて外を見れば、そこにはいつも通り浜辺とはるか遠くまで続く海原が見えた。浜辺には彼女の足跡があり、それは波にもさらわれてないのに、途中でぷっつりと消えていた。
家に戻った僕はさっきの話を反芻しながら、彼女の声やら容貌が脳裏に張り付いているのを感じていた。
過去の誰かも、このようにして彼女との契約に飲み込まれていったのだろうか……。
空のカップや皿を片付けながら、友達が帰った後の部屋に感じるような寂しさをすでに感じている自分に呆れつつ、僕が本を借りに部屋へ訪れる度、あの友人もこんな気持ちだったのだろうか、とよぎった。
友人のもとに現れていたら、彼女はどんな姿をしていたのだろうか。
いなくなった人の記憶だけが、一人の家で僕の頭に反響し続けている。
「答えは出ました?」
「うーん、まだです。ごめんなさい」
「いいですよ。まだ猶予はありますから」
彼女はあれから何度か僕の家に入り浸り、ため込んでいた僕が食べないお菓子を適当につまむようになっていた。
そういう僕もなんだかんだとはぐらかして、今もクッションに寝転がりながら友人の残した小説を読んでいる。
「それ面白いですか?」
「あーっと、まあ、でもイリスには人間の小説はよくわかんないんじゃない」
「そんなことないですよ。人類を見てきた時間はテルの比じゃないですから」
「まあ、そうだとしても、この小説は、やめといたほうがいいかも」
「そうですか?」
というのも、この小説のヒロインは、何度も言うように酷似している。
「そういえばテルはその小説のヒロインがお気に入りなんですよね」
「ええ、まあ……」
口を滑らせた僕はそれも言ってしまっている。
まあ、いいんだけど、警戒心なさすぎないか。
「また決まったら教えてください、では」
「いつもごめんね。じゃあね」
檜と紅茶の香りを、最近は感じなくなっていた。
あまりに慣れすぎている状況にぼんやりとした危機感を抱きつつ、まあなんとかなるか、と思っている僕は人類代表失格である。