日本ウマ娘史専攻 作:一般通過転生者
よくある人物名の連呼があります(問題点)
この問題は次の糧とする(体力20回復)
かけ-くらべ 【駆け比べ】
【名】(スル)足の速さを比べること。「ウマ娘が―する」
どうも、トレセン学園高等部歴史教員の一般通過転生者です。よく生徒からは先生と言われていますので皆さんもどうぞ気軽に呼んでください。
転生してからは30年くらい経ってまして、ここがプリティー世界であることには早くから気づけていたのですが、そこからよしトレーナーになってやろうとは行かず、大きな争いの無いこの世界っていったいどうなってんだ? と歴史を調べ出して沼に浸かった感じです。
生前も歴史好きでしてこちらでも得意分野になった歴史ですが、主にウマ娘史を専攻した結果トレセン学園で教鞭を振るうこととなりました。
名家出身の子も多いし何よりウマ娘専門の学校なだけあって関連書物もたくさん集まるんですよ。アグネスタキオンのように研究が捗る捗る。
はい、というわけで今日も授業をやっていきますよー。
「というわけで今日からテストまでしばらく自習でお願いします」
喜びの声以外にもう寝息っぽいのが聞こえてきますが、来週のテストまでの範囲が終わっていることと、他クラスとの足並みをそろえるために自習にせざるをえない状況なんですね。
他クラスでは授業をしているので静かにするように言って、教壇まで椅子を引いて座り込みます。
今回は急にテスト範囲以降の授業は控えるように学年主任に言われたので自分の暇つぶしが持ち込めなかったのがとても痛い。
うーん、どうしようか。
質疑応答が稀にあるといっても1時間ずっと何もせずに座っているのは案外しんどいものです。
考えながらクラスの様子を眺めていると、ノーリーズンさんと目が合いました。
高等部2年のこのクラスには歴史が好きそうな子が数名いることを把握しています。
よし、ここはさらにロマンある歴史に興味を惹けるような雑学をラジオのように垂れ流すことにしましょう。
テスト勉強とラジオは相性がいいことは明白ですからね。
「それでは先生は黒板使って適当に意味のないことを喋っています。これはテスト範囲とは何の関係もないのですが何か質問があればその都度答えますので気軽にどうぞ。もちろんテスト勉強で分からないとこがあったら聞いてください」
それでは皆さん、【駆け比べ】はお好きですかね?
【駆け比べ】。
現在でいうレースであったり、かけっこであったり、言わばスタートとゴールを定めて速さを競うという意味で通じるこの言葉は、わが国では1400年ほど前から見られます。
そうですね、日本最古の古文書である古事記・日本書紀に記述があります。ヤマトタケルの英雄譚や神武天皇の東征だとかですね。
おっとここでは存在の確証だとか思考の偏りだとかは抜きにして聞いてください。あくまで雑学ってことです。
最初期、この【駆け比べ】はルールの制定があまりされていませんでした。
道路もほとんどありませんでしたし、唯一のルールが先にゴールしたほうの勝ち、これだけでした。よって現代と違って走るルートは走者の自由だったし、【駆け比べ】中の競争相手への妨害も自由だったと言われています。
なので判定のための見届け人がいるゴールを通過しても、接戦だったり道中の妨害やら何やらで不服な結果に終わったと報告されて頭に血が上った陣営のヒト同士がオブラートに包んで言うところの第2回戦を始めたりしてしまうんですね。
それらを圧倒的な個が実力で鎮めていったのがいわゆる神話時代のお話です。
ですが一度で決着がつかないこと決着がついても従わないこと、これが問題視されはじめたのが大和朝廷の時代です。
今でいう抑止力、主には支配領地の大きさから擁するウマ娘の数などを背景にしてようやく【駆け比べ】での勝敗に従えと言える勢力ができたので皆が従うようになったんですね。
まぁこのあとその権力をさらに集中させようとして大化の改新がおきたりしてます。
次に【駆け比べ】が大きく取り上げられるのが源平の衝突です。
最初は源氏が破れたものの、後の源氏台頭の主役となる源頼朝は流刑として伊豆に流され、弟の牛若丸は鞍馬寺へ押し込められたとされています。
年月が経って平家の横暴に耐えかねて源氏に与した者たちが協力して平家を打ち破り、最後は壇之浦の船上レースで勝敗を決したと言われています。このとき牛若丸改め源義経が「八艘飛び」と称されるほど活躍したことで有名です。
まぁ他にもヒヨドリ越えなど有名なところがありますが主題ではないので割愛します。
この源平の衝突によって、【駆け比べ】一度ですべてが決するわけではないという感じになりました。実際は源氏の内ゲバもあって長くかかっただけという話もあるにはありますが。
この時から【駆け比べ】ごとに領土の取り合いがされ、攻めるために走った者、守るために走った者が入り混じっていて、記紀神話時代にあるような一人の英雄がいればどうにかなるという場面ではなくなったんですね。
わかりやすくいうと、〇番勝負だってやつです。
鎌倉幕府の後は権力争いから始まった室町幕府の勃興……このへん興味がある人の方が少ないから飛ばして安土桃山時代の話をしましょう。
安土桃山時代、言い換えれば戦国時代ですね。この時代はなんとなくゲームで知ってたりする子も多いんじゃないですかね。
先生のおすすめは信長の野望風〇禄です。
えっ、今から30年も前のゲーム?? よくわからないです。
この時代は各地で【駆け比べ】が行われていまして、村同士の川利権だとか傘下の豪族の領地の境目の制定だとかで証文が結構残されています。
この証文を発行していたのが世に言う戦国大名です。
そして戦国大名同士の【駆け比べ】も源平時代から変化しています。
戦国時代は主にチーム戦でした。なので大勢の名前が残っていて華やかなんですがテスト勉強では織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の名前だけ覚えておけばいいですよ。
それで大名同士の【駆け比べ】の主目的は領地の奪い合いでした。
このころだと配下もたくさん抱えていたので、従来の【駆け比べ】で決することは無かったんですね。今負けたけどまだ我が陣営には劣らぬ人材がいるって感じで。なのでだんだんと形態が多人数戦になっていったわけです。
ルールのほうも現在のような1位になった者が所属するチームが勝利というものではなく、開始地点とゴール地点を何か所か定めてそこに先に着いた方が勝ちで、その割合が多いほうが最終的に勝利というものでした。
ただ困ったことにこの時代、ゴールを監督できる人物が限られていて幕府という最大権力者がすでに形骸化してしまってました。なので代わりに有名な僧侶や茶人が重宝されていたんですね。
戦国時代は授業だとさっと流されてしまうとこです。
まぁ長々と争っていた時代で、結果的に豊臣が勝ったけど最後は徳川が〆ましたって感じなんで仕方ないところもあります。あと豊臣の晩節がね……いやまぁそこはいいか。
まだ時間があるのでここからは徳川幕府である江戸時代の話でもしましょう。
江戸時代に入ると【駆け比べ】は一転して原点復帰を果たします。
この時代では支配層がほぼ固定され、大きな争いはなくなったため【駆け比べ】は裁判事や仕官のための脚試しへと回帰していきます。
つまり、いわゆる一対一で速い方が勝ちに戻りました。
皆さんは【健脚】って知ってますか?
けんーきゃく 【健脚】
【名】走りにすぐれた人。踏術(とうじゅつ)の使い手のこと。
この言葉は今では足腰が達者なヒトにも使われるているのですが、江戸時代には走りの達人を指すものでした。おそらく戦国以前からも同じ意味で使われていたと推測されています。
というのも最初の健脚として出てくるのが5世紀ごろの人なんですね。
国摩真人(くになずのまひと)っていう人なんですが今も茨城県にある鹿島神宮の祝部、今でいう神官……ウマ娘だったら巫女か? だったんですね。
あ、今更ですけど歴史上の人物がヒトであるかウマ娘であるかは明確なソースが無いので不明です。一般的に皆さんのようなウマソウル由来の名前というものは近代以降に見られるもので、それ以前はウマ娘であった場合でも普通の人物名がついていると考えられています。
ちなみにわかっている範囲でヒトである確度が高いのは前田慶次とその相棒であるウマ娘の松風ぐらいなものですね。
逸れた話を戻しまして、最初の健脚の源流は神様に奉納する舞踊から生まれたものと言われています。
このあたり整理して話さないとごちゃごちゃになりやすいので、このまま最初の健脚の流派「鹿島の立(かしまのたち)」の話を続けましょうか。
ちなみにこの鹿島の立は直線移動で強さを発揮したと聞き及んでいますね。そして、その洗練された技術は途絶えず、鹿島神宮の祝部を代々務める7家に伝授されたとも。
この鹿島の祝部の末裔に松本政信という人がいて、家伝の鹿島の立と利根川の川向うに座す香取神宮で洗練された天真正伝香取神踏流――これは次に解説します――も学んでミックスして鹿島神流を創始しました。
それでこの松本政信に学んだのが健聖(けんせい)として名高い塚原卜伝その人です。
え、健聖は上泉って人じゃないのって? そっかぁ……。まぁ健聖は2人いるって覚えておいてください……。称号に人数制限なんてないし何だったら四天王だって4人って決まってるわけじゃないですし。
そんなわけでこの塚原卜伝は13年の修行を経て鹿島神宮で千日詣して奥義を会得し新踏流(しんとうりゅう)を創始したわけです。
その奥義と言われるものが「一の立(ひとつのたち)」と呼ばれるものですね。
これは呼称以外は、5人の弟子に伝授されたとしか伝わってない幻の技です。なので実在したかも謎なんですね。
ちなみにこの5世紀の鹿島に発祥した流派は歴史の中でブラッシュアップされながら現代に続いています。
余談ですけど、よく時代劇なんかの道場で「香取大明神」と「鹿島大明神」と掛け軸が飾ってありますが、あれは各神社のご祭神が勝負事や勝利を司ってたりするからなんですね。だから某時代劇で有名になった無外流の道場でも飾ってあったりします。
それでは次は天真正伝香取神踏流について話しましょう。
この流派は室町時代から見られるものです。
開祖は飯篠家直という人だったのですが、まぁ主家――その当時仕えていた豪族――が滅んでしまって、そういったやり取りが厭になって名を立てるよりも自分を高めるために修行に入った人なんですね。
それでもともとは今も千葉県にある香取神宮の神官であったことから家伝として伝わる香取の立と、交流があったとみられる鹿島の立を参考にして創始したとされています。
これによって今まで「型」といった指針がなかったところに原型が生まれたわけです。
ちなみに文献によるとこの流派は相手の利きを見極めてその逆をつく技術と今でいうスタート技術が優れていたとのことです。
あと流派創始の経緯から心身の鍛錬として名高く、庶民にも広く教えたとしてとてもよく出来た人だったと今も伝わっています。
天真正伝香取神踏流の係累として、幕末に一気に有名になった天然理心流も紹介しておきましょう。
開祖である近藤長祐(こんどうながひろ)はなかなか謎の多い人で、香取神踏流のほか諸流派を学んだ後に創始したと言われてます。
特徴的なのは「気組」という概念で、これは他の流派の「無想」なんかに類似してるように思えますね。
え? もっと詳しく? えっとそうですね、気組はつまるところの凝縮された勝ち気といえるのかな。勝負の前であれこれ考えてしまうよりも、引かず怯えずに進めって教えですね。
「無想」の方は無念無想と言いまして、雑念を捨てて専心するって意味合いの方が強いかな。あれ、そう考えるとちょっと違いましたね。失敬失敬。
まぁそれよりも、この流派の4代目当主がかの新選組を結成したことのほうが有名でしょう。ちょっと前にマンガになったやつで、左側から神速で抜き去る「牙突」で有名になったのもこの流派の技だと言われてますね。
ちなみに技名は当時は無く、ただその使い手の得意なものだったとのことだそうです。
え、20年前のマンガだって?? 生まれてないときのマンガのことを言われても……ってその言葉が一番深く刺さりますね……。
ま、まぁ、気を取り直して。
ちょっと時間が圧してきたのでささっとキリが良いところまでやっちゃいましょう。
正直なところ、流派っていっぱいあるので短時間で全部は紹介しきれませんので。
次は先ほどにも挙がった健聖の一人、上泉信綱の流派である駆流(かげりゅう)について話していきましょうか。かけりゅうではなくて、濁点がついて言うのが正しいので注意してください。
駆流の開祖は健聖上泉信綱……ではありません。開祖は室町末期の愛洲久忠という人です。
この人はある時、蜘蛛を追い払おうとして避けられたその軽妙な動きから創始したんですね。
ちなみに他の諸流派を学んでいたかどうかは確証のある文献が残ってないのでちょっとわからないですし、現存している柳生新駆流は前述の新踏流や念流を組み込んでしまっているのでもう不明としか言えません。時代的には鹿島の立も念流もあるので学んでいたと私は思います。
ともあれ、この流派は蜘蛛が飛び退くがごとく変幻自在に前後左右に動いたと言われてます。
それで少し諸説がありますが愛洲久忠の弟子の一人が上泉信綱です。
この人は戦国時代初期の人でして、今の群馬県にいた長野家に仕えるのですが、その前に前述の新踏流や駆流や念流を修行して脚前を高めていたんですね。
出仕後の話としては長野家のすごい当主が亡くなってすぐに戦国時代最強と言われた武田家に敗北してしまっていまして、当時としては負けた側に科せられる事実上の強制勧誘をはねのけた際にその健脚ぶりから武田家当主直々に他の大名に仕えないことを条件に帰属しないことを許さています。
なので学んだ三つの流派の良いところを集めて創始した「新駆流」を広めるべく放浪の旅に出たというわけです。
この新駆流の奥伝に「転(まろばし)」というものがありまして、己を玉として自在に転がり動かすという概念があるんですね。まぁなかなか深い話になってしまうので割愛しますが、先生はこの奥義が一番好きです。
上泉信綱が放浪の旅に出た後の弟子の一人が柳生石舟斎です。
そうです、今も伝え聞くというか道場が普通にある柳生新駆流の祖です。今回は尾張柳生と江戸柳生の違いなんかは省いて簡単に話します。
柳生石舟斎は今の奈良県の人で、高名な上泉信綱が上洛しに来ているのを聞いて会いにいったんですね。それで試合を申し込んだのですが弟子に惨敗してしまいまして、それで深く感じ入ってその場で弟子入りをしたとのことです。
柳生の名を一躍知らしめたものについてちょっと言及しておきましょう。
それは「無踏取り(むとうどり)」と呼ばれる技でして、上泉信綱から託されたこの技を完成させたことと、その妙技を時代の勝者である徳川家康に結果的に披露したことが原因です。
この「無踏取り」は究極の隙をつく技術とされてまして、よくすごい技としてあがりやすい「真剣尻尾取り」そのものではないことを明言しておきますね。
相手をつぶさに観察する「見」と相手が次にどう動くかという「意」を察する、これらをもってよどみなく一瞬の隙をついて相手の行動の起こりを潰す、躱す、そういった後の先のような技術と思ってください。
ちなんで言えば、「真剣尻尾取り」は近代のフィクションであって、無踏取りの一部に過ぎないものを映像化するためにスポーツチャンバラで派手に見せたのがきっかけなんですね。
あ、ちなみにこれは接触有りが許されていた時代の技術ですので、現代の道場に行っても目録には載っていませんから無理は言わないようお願いしますね。
駆流最後の系譜として直心駆流についてお話します。
この直心駆流を創始したのは山田光徳(やまだみつのり)という江戸時代前期の生まれの人です。
流派最大の特徴は何といっても練習に道具を導入したことですね。
いまではどの練習場でも見られるプロテクター類を発案し、実際に導入したのはこの直心駆流が最初といえます。
ええそうです。皆さんがよく使っている蹄鉄シューズも元を正せばここが発祥と言えるかもですね。
実際は蹄鉄は渡来技術なのでまだこの時には足を保護する靴のようなものでしたが、伝わった後すぐに今のような形になったとされています。
それでこのプロテクター類は江戸から各地に爆発的に広まりまして、流派のほうはそのまま江戸の男谷信友(おだにのぶとも)という花も実もあると称された健脚の下と、示現流しか存在してないと思われていた薩摩藩、現代の鹿児島県で隆盛しました。
健脚の話ですが男谷信友の弟子に最後の健脚と呼ばれた榊原健吉がいます。
明治維新で西洋化が一気に進んで従来の道場が軒並み無くなっていく中、あぶれた者を集めて撃健興行をしたのがこの人です。
神事及び裁判事との認識が強かったこの【駆け比べ】に興行、特に見世物としての娯楽の意義を盛り込んだのがこのときだったと言われています。
まぁこのへんはURAのレース史にも載ってない話なので聞き流してください。
それでは引き続き三大源流の最後である念流についてお話します。
え、三大源流って何って? あれ、言ってませんでしたっけ……?
えっと簡単に言いますと、踏術の大本となった三つの流派のことです。
つまり最初に述べた鹿島の立から発する新踏流と、駆流、そして今から話す念流のことですね。
それで念流ですが、これは室町時代に創始されたもので念阿弥慈恩(ねんあみじおん)という人が創始しました。
それで念流なのです。
時系列的には鹿島の立はあっても新踏流も駆流もなかったあたりですね。なのでほぼ独学で編み出したのではないかなと私は考えています。
この流派はいろいろな流派の大本となっているとされてまして、特に「見切り」と「抜け」の技術に秀でていたとのことです。
それでこの念流ですが中興の祖がいます。
後継流派はウマ庭念流と言いまして、樋口定次という戦国時代の人が念流を学んで、故郷であるウマ庭村で興しました。
だからウマ庭念流と呼ばれます。
この流派の特徴的なものは構えで、ぱっと見るとへっぴり腰に見えるのですが、その実全力で走っている最中の姿勢を基本の構えとしていて、常に力が後ろ脚にかかっていて飛び出す速さがすごいんですね。
隙があるように見えて全く無いという合理的な流派ということです。
さっと語り終えたところで残り時間はあと5分程度となっていた。
「さて、今日はこんなところにしましょうか。そうそう、後半の技術についてはほぼ桐生院のお嬢さんが習得していますので、気になった方があれば尋ねてみるといいでしょう」
日直に授業終了を伝え、あわてて寝てる生徒の脇腹をつつく者や興味がハナから無かったものに見送られて教室を後にする。
このクラスは早く終わって早く去らなければならない理由があります。
それはノーリーズンさんにつかまってしまうんですね。
同好の士との語らいは楽しくもあるのですが、休み時間は10分しかないので邪魔になってしまい、次の担当教師や他の生徒からも睨まれてしまうのです。
ちなみに放課後につかまった時はそのまま話し込んで彼女のトレーナーにも睨まれたことがあります。
一般教員の立場は弱い、あまりにも……なので話をするならノーリーズンさんのトレーニングが休みの日にしてくださいお願いします。
◆
興味深い話だった。
ヤエノムテキはそう思った。
社会科教師の今回の無駄話は、【駆け比べ】つまりレースの成り立ちと変遷、そしてそれに腐心した競技者の話だと受け止った。
後半の健脚の話は己の修める金剛八重垣流も相まって我が事のように聞き入っていた。
惜しむるは、このクラスはというよりもウマ娘は今を走ることに夢中で、こういった歴史の話に興味を抱く者は少ない。
その中でも唯一クラスメイトかつルームメイトのノーリーズンさんは今回の話は楽しめただろうと思えた。
事実、様子を見るに自習に集中していた者よりもはるかに筆圧高くノートに向かっているのが見える。
「ヤエノムテキ――少し……質問がある。
――いいだろうか?」
「はいクリスエスさん、何でしょうか?」
生真面目な帰国子女という印象が強いシンボリクリスエスさんが私に訊ねる。
これは社会の、とりわけ歴史の授業後には珍しくない光景だった。
私以上に歴史に詳しいノーリーズンさんに訊ねることもあるが、あちらは今回興奮冷めやらぬという感じで話かけにくいことになっている。
「Teacherの――話の後半……、
誰がstrongest――最強なのか?」
そう聞くクリスエスさんの目は、私には僅かに煌めいているように見えた。
表現の都合につき
以下のものは誤字脱字報告しないようお願いいたします
脚試し → 腕試し
健脚 → 剣客
踏術 → 刀術
健聖 → 剣聖
鹿島の立 → 鹿島の太刀
天真正伝香取神踏流 → 天真正伝香取神道流
香取の立 → 香取の太刀
新踏流 → 新当流
一つの立 → 一つの太刀
駆流 → 陰流
脚前 → 腕前
新駆流 → 新陰流
柳生新駆流 → 柳生新陰流
無踏取り → 無刀取り
真剣尻尾取り → 真剣白刃取り
直心駆流 → 直心影流
撃健興行 → 撃剣興行
ウマ庭念流 → 馬庭念流
クラスメンバー(他高等部二年生は別クラスとして判断)
シンボリクリスエス
タニノギムレット
バンブーメモリー
ヒシミラクル
ヤエノムテキ
エスポワールシチー
トランセンド
フリオーソ
ノーリーズン