日本ウマ娘史専攻 作:一般通過転生者
どうも、トレセン学園高等部歴史教員の一般通過転生者です。
皆さま週末はいかがお過ごしですか。私はトレセン学園の図書室に向かっています。
トレセン学園は土日もトレーニング関連以外の施設が稼働しているので大変便利です。そして今日はですね、昨夜地上波で流れていた映画を見てふと思い立って図書室に調べにやってきました。
そんなわけでいつもの歴史関連から数冊と今回は東洋思想について数冊ピックアップします。
たいていの図書室や図書館と同じように10冊上限の貸出期間は1週間です。期限を超過しても罰則は特には無く、連絡を入れてそのままもう1週間の期間延長も可能ですが次の予約が入っていた場合はそちらが優先されるため図書委員が回収しにくることが稀にありました。
そうなることを見越して最初から2週間借りたいところですがそれは許可されてないんですね。
貸出手続きを終えても自室には戻らず、本を抱えたまま図書室の奥に向かいます。奥には関係者以外立入禁止の扉があって、その先は地下の稀覯本書庫に繋がっています。ここの構造に詳しい理由としましては、私がウマ娘の歴史の研究をしたいからという理由で雇われていて教員兼業といった形なので稀覯本書庫の出入自由な権限を得ているんですね。その書庫のさらに奥には自室に置いとけない書類やまだ研究中の古文書とか放り込んである部屋がありまして、そこの鍵は私と図書室の管理責任者しか所持していなかったりもします。地下の部屋は普段使いには向かない場所ですが、長時間作業する時は空調も一定だし人もほぼ来ないので良い場所です。反面時間の進みが早すぎるという面もありますが。
「あの! すみません先生、お願いがあるのですが」
図書室の奥の扉に差し込む鍵を探しているところに声を掛けられました。声の主はゼンノロブロイさんですね。中等部とのことですが図書委員として面識はあります。声をかけられたということは何か私に用事があるということですね。
「その、稀覯本を閲覧したいのですがちょうど先生がいらっしゃったので」
なるほど。稀覯本書庫の本は原則持出禁止アンド貸出禁止のものばかりです。閲覧するには面倒くさい特定の手続きを経て許可を取るか、権限がある者の立ち会いの下で読むかのどちらかですが私がちょうど居たので渡りに船といった感じでしょうか。何かあったら責任がありますが、ゼンノロブロイさんの性格は知っていますので大丈夫でしょう。ということで一緒に階段を降ります。
書庫の電気を付けて自由に読んでいいと伝え、何かあったら声をかけるよう伝えて奥の部屋の鍵を開けます。出しっぱなしの本や書きかけのノートを脇によけて、混ざらないように借りてきた本と年代別に分かれているファイルを引っ張り出しました。
それでは自主研究を始めましょう。首尾よくまとまったら教員研究会で使いまわせますし。
お題は平安時代とウマ娘です。ええそうです、昨夜は陰陽師が空を舞ってビームを撃って爆発する映画を見ました。
平安時代は日本史上で最も長い時代です。だいたいの人は江戸時代が長いという印象を抱いていると思いますが、江戸時代は約260年間だったのに対し平安時代は鎌倉幕府成立が1185年でも92年でも約390年間ありました。ですのでこの時代は平安前期・中期・後期に分けて研究されます。
明確な区分はないのですが、簡単に言えば奈良時代の終わりから藤原時平による摂関政治の下準備が終わるまでが前期、そこから藤原道長による全盛期が中期、あとは摂関政治の欠陥と白河上皇による院政が始まって平氏の台頭から鎌倉幕府成立までが後期になります。
ちなみに陰陽師はこの区分で言うと中期の後半に登場しますが今は置いておきます。
平安時代は日本史を取らないとあっさりと通過する場所ですので歴史のどの辺りなのかからまとめておきます。
日本史を簡単にまとめると氷河期で地続きとなっていた日本にウマ娘が渡来し、縄文弥生時代を迎えます。前世界ではこの時点でウマは森林化が進んだため草原が減って絶滅してしまうのですが、プリティー世界ではヒトと同じように雑食性ですのでそのまま生き延びました。
神話時代が始まり邪馬台国や大和政権が過ぎて奈良時代を迎え、日本は遣隋使と遣唐使で得た知識を参考にして律令国家を成立させます。古墳時代に大陸のウマ娘に対する知識も得て、それまではとある理由から山に野放しになっていた日本のウマ娘との共生が始まりました。奈良時代の後期に駅ウマ・伝マ制度ができ、それに伴って朝廷でウマ娘を管理する省庁が設けられます。その後、長岡京を造っていたけれども災害が続いたため平安京を新たに造ってそこに遷都しました。
平安時代で大事なことは、奈良時代から続く律令国家であることと摂関政治といった政治闘争が激しかったこと、官位官職といった身分制度があったことですね。
前置きはここまでにして、ここからは今しがた触れた朝廷によるウマ娘の管理について調べていきます。
古墳時代の渡来人によってウマ娘の知識を得るまでウマ娘は山を住みかとしていました。理由としましては、その当時はヒトとの力の差などから意図的に隔離されていました。そのためかウマ娘が住まう山には生駒山という地名がつけられています。
当時の日本の総人口は6000万人と推定されていまして、これは現代の人口の約半数ですのでウマ娘も現代の半数とすると26万人くらいと計上できますが、今ほど環境が整っているとは言えないため実際はもう少し少ないかもしれません。
また平安時代は朝廷に税を納める必要があったため各地からウマ娘が労役を兼ねて集められていました。この労役は平安京のために働くという意味で、大宰府に飛ばされる防人とは違います。
こうして集められたウマ娘ですが当然の如く無位無官でした。ですが、身体能力を基準に上位80名は朝廷が設けたメ寮と呼ばれる所属になっていました。上位80名も細バ10名、中バ50名、下バ20名と階級が分かれていて、さらに10人の武官と80人余りの世話役もいる大きな部署でした。
ただし、これは平安京の東と西の部署合わせての数なので実際は半数ずつ割り振られていたと考えられます。ちなみに細バはサイバと読み、今でいう駿メにあたります。中バはチュウバと読んで普通程度を指し、下バはまぁゲバです。
何故メ寮を気にしているのかという点についてですが、実は平安京に遷都した桓武天皇が軍事力……この世界では調停力であった軍団制を廃止していて、平安京は政治の中心でしたが都の外では力が及ばないため遠くになればなるほど、特に関東地方などが無政府状態でした。
にも関らず、平安貴族の特性なのか実力行使は醜いという思想があって、政治闘争は頻繁に行っていたのですが直接的な力をもって奪取なり争奪なりしたという話はあまりありません。貴族の配下がいざこざを起こすことはもちろんありましたが貴族同士では政治力をもって暗闘暗躍していた時代でした。ですが日記などからは都の治安維持をしていたのはウマ娘だったという記述があったり、貴族の邸宅やら神社やらで頻繁に古式の駆け比べが行われているんですね。
つまりは官位官職を持っていたのは原則ヒトだった時代で自分より力があるウマ娘を遠ざけていた割には都の中にはウマ娘がたくさんいたというよくわからない状態でした。
個別に分けて考えていきましょう。
まずは軍事力……調停力です。軍団制廃止によって実は京中も治安が悪化しましたがそれらを取り締まっていたのが律令制度の外に設けられた検非違使です。よくある左衛門とか右衛門とかの名前の元となった衛門府という庁舎がありまして、そこの下部組織でしたが平安末期には主客転倒して力と権力を増した検非違使やその後頭角を現す武家に職責を奪われています。そしてこの検非違使とメ寮以外にはウマ娘は朝廷が正式に認める配属がされていなかったと見られています。
もののついでに武官についてです。
二官八省一台五衛府と呼ばれる律令制度の中で武官と呼ばれる者は多くはいませんでした。武官と呼ばれる者は、機能していない弾正台、衛門府・左右の衛士府・左右の兵衛府を合わせた五衛府、兵部省の下の兵庫寮が該当します。弾正台以外の部署のトップがぎりぎり天皇に会うために清涼殿に登る事を許されているところと武官の人事権は兵部省の文官にあり、他部署にも圧倒的に文官が多くそして役職も多かったことから、この時代はやはり文治統制寄りだったと判断できます。
最後にこの問題に疑問を投げかける古式駆け比べについてです。
駆け比べは神事として年に数回神社などで行われる程度でしたが、平安貴族は庭先でも駆け比べをさせて楽しんでいました。神事も庭先の駆け比べも様式は2人のウマ娘が庭の外延部を沿って回り込んで中央から200mほど直進させ、どちらが速いか勝負するという現代に残る賀茂競バと同じ形式でした。ちなみにこれを10セット程やるので最低でも配下にウマ娘は20人いました。
ウマ娘たちは上記の労役や武官ではなかったとすると、租庸調の一環と労役で平安京に来た後に故郷に戻らず貴族に雇われていたと考えられます。
「先生、今大丈夫ですか?」
ドアを叩く音と同時にゼンノロブロイさんの声が聞こえてきます。何かあったのでしょうか?
「その……アシゲノオジサンが差し入れにどうぞってこれを持ってきてくれました」
関係者以外立入禁止の表示など神出鬼没の葦毛にはあってないようなものでしょう。
生モノなので早めに食えよなとも言伝があったとのことで作業を中断して中身を確認します。
紙袋の中は……一時期売店で見かけたカップケーキですね。しかも2つあって丁寧に教員用と何故一緒に居るのが解ったのか不明ですが英雄用と太マジックで書かれています。どちらにも何かを塗りつぶしたような黒塗り部分がありますがここは素直にありがたく貰っておきましょう。
地下の書庫内で食べるわけにはいかないので飲食に向くカフェのテラスに移動し、英雄用と書かれたものをゼンノロブロイさんに渡してもう片方の緑色のものを頂きます。私個人の趣味趣向として抹茶味は好物なのでゴルシちゃんには何かしらお礼をしないといけませんね。
一口食べ、備え付けのシュガーポットから砂糖多めの紅茶を生成し、ゆっくり食べ進めます。
「その……ゼンノロブロイさんのは、美味しいですか……?」
「? ええ、美味しいですよ。ゴールドシップさんには後ほど改めてお礼を言おうと思います」
「そうですか……。私も必ずお礼をしますけど、もし早めに遭ったら抹茶ケーキありがとうとお伝えください」
くっそ苦くてどう味わっても青汁と千振一番搾りを混ぜたような味でした。これはまるでカップケーキと同時期に流行っていた謎の健康飲料の味にそっくりです。こちらのほうが飲み込みづらくて難易度があがっていますが。
「話は変わりますけど、書庫の本は読み終えましたか?」
このあとまた稀覯本書庫へ戻るので聞いておきます。
「それが、全部漢文でしたのであまり読めてないんです」
稀覯本あるあるですね。他には漢文読み下し文は雰囲気でまだいけますが草書や行書の達筆文とかになるとまず解読から始めないといけません。あとは同じ物事を指してるのに当て字となる漢字が違うやつとかも地味に難易度あげてきます。
ちなみに何の本を読んでいたのでしょうか? 探せば口語訳のものもあるかもしれません。
「――金烏玉兎集(きんうぎょくとしゅう)です。昨日見た映画で主人公が持っていた本なんですが、調べてみたら実在していたんですね。それを持って炎を出したり雷を出したりしてたので東洋の魔法書なのかと思いまして――」
奇遇ですね、私も昨日同じ映画を見て平安時代を調べなおしてましたよ。確かに主人公は空を舞ったり携えた符が燃えたり投じた場所に雷が落ちたり、イケメンの楽器の名手と謎解きをしていましたね。謎に包まれたヒーローと今風のド派手な演出は見ていてとても楽しいものでした。
ですが、落ち着いて聞いてください。残念ながらフィクションです。とは言え、作中で出てきたほとんどについては詳しく解説できますので何か聞きたいことがあれば何でも聞いてください。
「それでしたらさきほどの本についてと、陰陽師と鬼について聞いてもいいですか」
その3つですと最初に陰陽師や陰陽道についてから話をした方がわかりやすいと思いますね。
陰陽師とは中務(なかつかさ)省陰陽寮に所属する役人というか、そこで教育していた陰陽道の技術士のことを指します。この時代、陰陽道としての教えは一応は門外不出かつ関係者以外資料を持つことを禁止されていました。それでまず陰陽師の教育とは何を教えていたかということですが、簡単に言えば暦と天文知識の2つです。この知識は大陸からもたらされて江戸時代初期までの800年以上使われました。吉日を算出して祭祀の決行日を決めたり、厄日であれば家から出ないようにしたりとその日の吉凶を割り出していました。
そして陰陽道も大陸から持ち帰った陰陽五行思想を基に、中国三大宗教の1つである道教、中国の民間信仰の九星術などをミックスして日本独自の考え方で発展させたものです。輸入元の中国では陰陽五行思想は中国三大宗教である仏教・道教・儒教に影響を少しだけ与えるも日本のような基礎とはならずに吸収されてしまいました。
それで陰陽師として最も有名な人物と言えば安倍晴明かと思います。非凡な人物であるのは間違いないのですが、出世には恵まれず歴史に登場するのは40歳からで、藤原道長との年齢差も同じように40年あります。若き日は謎に包まれていて、40あたりでは天皇から呼び出されるような腕前として認知されていました。そしてこの安倍晴明の末裔が陰陽道と安倍晴明の功績を大きく伝え続けたので今日の知名度があります。
安倍晴明にまつわる伝説の一つである配下の式神十二神将または十二天将と呼ばれるものがいました。現代で12の数になじみの深いものと言えば1年の月数や十二支を割り当てたものと思われがちですがそれらとは違って騰蛇(とうだ)・朱雀・六合(りくごう)・勾陳(こうちん)・青龍・天乙貴人・天后(てんこう)・太陰(たいおん)・玄武・太裳(たいじょう)・白虎・天空と名付けられており、ほとんどが中国の道教由来の神様の名です。
この十二神将は当初安倍晴明宅に住まわせていたのですが、晴明の妻が嫉妬したため別宅へ追いやられたという逸話があり、そこから安倍晴明はヒト、嫉妬した妻もヒト、十二神将は労役が終わって都の中であぶれていたウマ娘を雇ったものではないかという説があります。何故嫉妬した妻がヒトなのかは、まぁウマ娘相手だとそうなるよねという感じで察せられたという話でした。
次に金烏玉兎集ですがこれは安倍晴明が死した後に編纂されている説が強いのですが、別の説としては遣唐使として大陸に渡った吉備真備が手に入れ、同じ使節にいた安倍晴明の先祖に渡されたというものもあります。
ただし、当の安倍晴明が存命中に陰陽道に関する要綱として占事略决(せんじりゃっけつ)をまとめていてその内容が当時の陰陽寮で用いられていた占い方のまとめであったことや鎌倉時代の子孫が家伝としてこれを写本していますので、やはり金烏玉兎集は安倍晴明死後に伝説を編纂した可能性が強いかなという印象です。
肝心の中身については陰陽道の基礎である暦と吉凶と方角の割出し方や、護符の書き方、一部の祭祀の解説なんかですね。そもそもの題名からして金烏は太陽の中にいる鳥を指し、玉兎は月にいる兎を意味していて、転じて日月つまりは暦のこととなります。
最後に鬼についてですが、これも大陸からもたらされた概念です。当初は見えないもの、形のないもの、この世ものならざるものという意味で於爾という漢字が用いられていましたが、いつしか山海経由来の鬼門と結びついて丑寅の方角、つまりは牛の角に虎の毛皮をまとった姿となりました。この説が主流なのですが一説では見えないものイコール見えない速さで動くものとしてウマ娘と結びつけられ、ウマ耳がまさしく角に見えたことからとするものもあります。
ちなみに鬼門が何故丑寅の方角なのかは、出典がそう書いてあるからそうだという話です。
ウマ娘説の論拠に挙げられるのが平安時代で最も有名な鬼こと【大江山の酒呑童子】ですね。
ウマ娘が山に屯っていた理由は、古墳時代の王朝ではウマ娘を制御できずに内紛が起きかけまして、それを教訓とした大和政権や奈良時代、平安時代はとにかくウマ娘を必要以上に遇しませんでした。人里に生まれたウマ娘は生駒山に渡されるか、ある程度育ったら労役として時の政権に送られていまして、その山中ではウマ娘が独自の集落を形成していました。軍団制を放棄した平安時代から労役が終わって京を離れたウマ娘の中で故郷にも戻らず、既存の山の集落に入るのも嫌った者たちが思い思いの山を不法占拠することがありまして大江山もその1つです。
その大江山にいつしか酒呑童子と呼ばれるウマ娘と子分が住み着き、平安京へ運ばれる税――特に酒類を徴発しだします。ある程度経って被害が大きくなった末に犯人が判明し、一条天皇の命令によって源頼光が配下の四天王を率い大て江山に乗り込みました。
ちなみに源頼光や配下の四天王の渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武は確証が無くヒトかウマ娘かどちらであったかはわかりません。今でも官職についてていたからヒトだった派と武将だし藤原道長の邸宅駆け比べに誘われたからウマ娘だった派による言い争いが行われるものです。
ともかく、仮に頼光らがヒトだったとしたら何人いようが鬼……ウマ娘との勝負は成り立ちませんし、ウマ娘だったとしても酒呑童子の子分には名のある鬼が4人いて同数であること、しかも勝負する場所が鬼のホームといえる場所でとても有利とはいえません。そのため源頼光らは一計を謀りました。そうです、神便鬼毒酒(しんべんきどくしゅ)と呼ばれている神酒を飲ませました。
未成年の前で言う話ではないのですが、アルコール耐性についてもヒトよりウマ娘のほうが優れていまして、同じ質・同じ量を飲んでもヒトのほうが弱くなります。稀に体質で強いヒトもいますが稀ですし、万全のヒトとほろ酔いのウマ娘が勝負してもまずヒトは勝てないと言えます。源頼光ヒト説では普通にハンデマッチとして神酒を進呈したと考えられています。
ウマ娘説では、万全のウマ娘とほろ酔いウマ娘であれば万全のウマ娘が勝つと思いますが、それこそ源頼光らが子分になるような話を向けて神酒を酒呑童子と有力な子分だけが飲むように仕向けて、その後間をおかずに進退を掛ける駆け比べをするようなシチュエーションでなければ無理があるというものです。
仮説はおいておきまして、伝説ではこの神酒を用いて勝利していますが神便鬼毒酒とは何だったのか、どのような手段で飲ませてどのような勝負で勝敗を決したのかは謎に包まれています。ですがこの神便鬼毒酒が何だったのかということについて、これではないかというものがあります。
ウマ娘をはじめとしてヒトも等しく、ついでに言えば他の草食哺乳類がこれだけは食べるのを避けるというものがありまして、その植物はアセビといいます。
アセビは全ての部位において毒性が強く、葉っぱや花を摂取すると嘔吐、腹痛、下痢、痙攣、四肢の麻痺などが起きますが、一見はよだれや足のもつれなど酔っ払いのような症状に見えます。
私としては神便鬼毒酒はアセビを混ぜた毒酒であったと推測しているところです。
ちなみに現在でもアセビはありますし毒性もそのままです。フグやコンニャクすら食べる日本人もこれを食べる事を諦めていますので絶対に口にしないようにしてください。
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カフェのテラスでの話の後、私と先生は図書室の地下へと戻りました。フィクションですよと言われましたがそれは重々承知ですし、それでも映画に出ていた魔法書の中身が読みたかったので。
漢文とにらめっこすることを覚悟していましたが、先生が私物の金烏玉兎集口語訳の本を持ってるとのことでそれを借していただきました。返却はいつでもいいそうで、ありがとうございます。
本の中身は昼に聞いた通り吉凶の判断と神様や妖怪の紹介、護符や祭祀について、あとは風水やカレンダーに書いてある用語の解説でした。でも護符の種類やいろんな神様にお願いして加護を受けるというところは、普段読んでいる小説の魔法と少し違ったアプローチで面白いと思います。
これらを踏まえて『妖精にお願いして魔力を集める魔法陣』を描いてスイープさんに贈ろうと思います。昨日の映画を同じように見ていたかは寮が違うのでわかりませんけれど、以前に誕生日プレゼントで贈った魔法書を喜んでいただけたのでその充電用みたいな台座にしたいと思います。
長方形の土台に円を描いて中に星を描く。円を取り囲むように以前創った文字のほか、今日教えてもらった神様の名を右外にAMIN、左外にSYUKURYOU、上にKYOJOU、下にGUKYOUといずれも円に沿った側が上になるように文字を書いていく。その上に本を斜めに立てかけられるように台座をつけて完成予定なので、明日はこれを作ろうと思います。
「あ、スイープさん。ちょうどよかった」
「ロブロイじゃない。どうしたのよ?」
「えっと、実は魔法書の回復を早める台座を見つけまして」
「!! どこで見つけたの!?」
「はい、先日図書室の主に招かれて、地下の迷宮にあったのを拾ってきました」
「ちょっと! ロブロイだけ見に行くなんてダメじゃない! アタシも誘いなさいよ!」
言いつつも台座を渡すと嬉しそうにさっそく魔力回復をするわと言って寮へ駆け戻っていきました。スイープさんが嬉しそうにしていると私も嬉しくなってしまいます。
翌週、図書委員として業務をこなしているとスイープさんが奥の扉を気にしながら本を読んでいるのが見えました。その後、無事にドアを開けている先生を見つけ、図書室にも関らず大きな声で話すスイープさんと、騒ぎを聞きつけて近づいてきた司書を見るや扉を開けてすんなりと案内をする先生の姿がありました。
扉の先は無機質な古い本の書庫でしかないのですがどうやら先生はスイープさんに、土地の魔力を使って迷宮に繋げる魔法はこの前使ったばかりですぐには使えないと説明したようです。
◆
「ないっ! ないっ!! ありませんわーーー!!!」
「どうしたんすか?」
トレーナー棟について早々、部屋の中では大型冷蔵庫を開けたり閉めたりしているマックイーンが叫んでいるのが見えた。
「ウオッカさん! 冷蔵庫に入ってた私のケーキ……知りませんか!?」
「あ~、俺は自分のはもう食べちまったから他のは知らないですね」
おそらくゴールドシップに強請られてトレーナーが箱買いしたカップケーキだと思う。1人2つは数が無かったけど余った分はトレーナーが根回しに使うと言ってどこかへ持っていったはず。
「本当ですわね!? でも2つ無くなってるのですわ。スカーレットさんと一緒に召しあがったとかはないですこと!?」
「そんなダッセェことしねぇって。いやなんで2つ無くなったってわかるんですか」
「それは2つとも私のでしたから当然でしょう!」
んん……? 1人1個しか無かったのになんで2つケーキを確保できたんだ……?
「お前ら何騒いでんだ? 外まで声が聞こえてたぞ」
俺は騒いでないですと声にする間もなくマックイーンがトレーナーに食ってかかった。
「トレーナー! 私のケーキをご存じでなくて!?」
「んー? ああ、知ってるぞ」
「くっ……いったいどこの誰が……。んんっ!? わ、私のケーキはどこにあるんですの!?」
「マックイーンのケーキは2つともゴールドシップがどこかに持っていったぞ。ちなみに別ルートでそのケーキはもう食べられていることを確認済みだ」
まぁ俺も甘いものは大声で言えないけど好きだ。けれどもここまで必死にはなれねぇ……。とはいえゴールドシップに持ってかれたらもう帰ってこないだろうな。と思ったら案の定だった。
「お、おのれゴールドシップさん……っ! あなたは許されないことをしましたその報いは必ずや受けさせなければ私の怒りはとどまることをことを知りませんわ!」
鬼の形相になったマックイーンに向かって目標体重に減量できなかったら没収って約束だったろっていうトレーナーの声は聞こえてないなこれ。
・百鬼夜行は200mぽっちじゃ満足できないウマ娘が夜な夜な集まって爆走することを指す
・飲酒後の運動は絶対にやめましょう
・東海の神 名は阿明、西海の神 名は咒良~ は黄庭経の災難除けのまじないです
・スイーピーはありがとうは絶対に言わない派
・マックイーンの2つのケーキは本人とゴルシちゃんが吹っ掛けた勝負で勝って奪い取ったもの