七月十四日
アクセルの中心街には、今日も活気の良い呼び込みが飛び交っている。
「安いよ安いよ! 栄養満点、肥沃な畑で採れたキュウリが食べ頃だよ!」
「いまから三十分間、三千エリス以上お買い上げの人は全品十パーセントオフ! この機会を逃す手はないぞ!」
時刻は夕方。
今日の献立を考えながら歩く主婦の人をターゲットにした食品関連のお店は、ここが書入れ時だと言わんばかりに気合を入れている。
そんな中で俺は、
「えー、魔道具いかがっすかー? 世にも珍しい魔道具がそろい踏みのウィズ魔道具店をごひいきにー」
なぜかウィズの店の手伝いをやらされていた。
「まいどあり! おい小僧、なんだそのまるで覇気を感じぬ腑抜けた客引きは。貴様はあの娘達に突っ込みを入れる時に最も声量が出るのであろう。あれぐらい出さんか」
先程まで他の客を相手にしていたバニルが後ろから鋭く声を飛ばしてくる。
「中の人情報を勝手に見通すなよな。そうは言っても、食品関連の稼ぎ時に魔道具を売るとかアウェイ過ぎるだろ。客もそんなに来ないからモチベーション上がんねえし」
昼寝から目が覚め、特段やる事もなかった俺は暇潰しに街へ出た。
しかし商店街をふらついている所をバニルに見つかり、いつの間にか客引きの手伝いをする羽目に。
どうしてこうなったのだろうか。
「連れぬことを言うでない、何だかんだで身内に激甘のツンデレ小僧よ。モチベーションが上がらぬと言ったが、あれを目の当たりにして同じセリフを吐けるか?」
そう言ってバニルが前方を指差す。
「いや、俺だって見えてるけどさあ……」
渋々ながらも、バニルの指が示す先にあるものへ眼を向ける。
「ウィズ魔道具店を、ウィズ魔道具店をお願いします! もう一週間もパンの耳だけの生活なんです! どなたか、ウチの商品を買って下さい‼」
そこには口に手を添え、涙目になりながらも懸命に声掛けをするウィズの姿が。
改めて見るまでもなく誰がいるかなど分かり切っていた。
分かってはいるのだが、あの逼迫感溢れるウィズを正直視界に収めたくなかったのだ。
大概の通行人はドン引きしてるし、買って行ってくれる人も皆一様に憐憫の表情を浮かべている。
「……こんなやり方で本当にいいのかよ」
「我輩とて可能ならこのような惨めな商法は使いたくなかったわ。だが、普段は全く売れない商品が、若干数とは言え捌けるので、使わん訳にもいかなくてな」
白い視線を向ける俺に、バニルは大きな溜息をつく。
こいつも苦労が絶えないようだ。
「なあ、ちょっと思い付いたんだけど――」
二時間後。
「フハハハハ、フハハハハハ! なんてことだ、まさかの完売! 礼を言うぞ小僧、通りすがりの汝をヘッドハンティングした甲斐があったという物だ」
「ま、まあ俺にかかればこんなもんよ」
今回持ち出していた商品を何とか売り切った事でバニルは大満足らしい。
俺としてもここまで上手くいくとは正直思っていなかったので驚いている。
やはり俺は商売で食っていった方が良いのではないかと悩むほどだ。
ただ……。
「ううっ、カズマさんてば酷いです。私、汚れてしまいました……」
自分の体を抱きしめ、仮設店の端ですすり泣くウィズ。
彼女を見ていると、悪い事など何もしていないはずなのに罪悪感が芽生えてくる。
「わ、悪かったって、現状を巻き返す案がこれ以外に思い付かなかったんだよ」
謝罪する俺の言葉に、ウィズは涙目のまま顔を上げた。
「でも、私はじめてだったんですよ。それをこんな……こんな人通りが多い場所で……っ」
「言い方! 別に変なことは頼んでないだろう? あれは単に」
「単に大衆の面前で素肌を晒し、むくつけき男共にその柔肌を触れさせ至らしめただけであるからな。悪魔の我輩ですら及びもつかぬ鬼畜の所業、大したものである」
「だから人聞きの悪い言い方は止めろって⁉」
違うのだ。俺は単にバニー服のウィズに客引きさせた上で、一定額以上の商品を購入した奴にはオプションで膝枕をする権利を付加しただけなのだ。
こいつらの言い方だと色々と語弊がある。
「というかバニル、お前俺がバニー膝枕商法を提案するのを事前に見通してただろ」
「そうなんですか⁉ 確かにバニー服とか膝枕用シートとか、随分用意がいいなとは思っていましたけど」
俺とウィズが恨めし気に睨みつけるも、バニルは全く悪びれる様子を見せない。
むしろ口元に笑みすら浮かべ、普段通り飄々とした態度で言ってのけた。
「目標さえ達成できれば、多少過程が変動しようが気にしないのが我々悪魔族のやり方。我輩はその理念を順守したまで」
それにとバニルはすっと指を立てる。
「ついでに美味なる悪感情も頂けそうだったのでな、おぬしの案を採用してやったのだ。これぞウィンウィンの関係と言うのではなかったか、普段は見られない客引き店主の露出の多さに邪な想いを募らせていた小僧よ?」
「過ぎた事をいつまでも責めたってしょうがないよな、さっさと店終いしようぜ!」
ウィズの冷たい視線を背に受けながら慌てて撤収作業に取り掛かろうとする。
そんな俺をしかし、手を前に突き出しバニルが制してきた。
「いや、汝はもう上がってよいぞ。丁度迎えの者が来たのでな」
「迎えの者?」
意図が読み取れず首を傾げていると、
「お兄ちゃん!」
とても聞き覚えのある声が聞こえた。
振り返り通りの奥の方を注視する。
そこでは沈んでいく太陽を背に、煌めく長い金髪をなびかせた一人の美少女が、手を振りこちらに駆け寄ってきていた。
「よおイリス、どうしたんだよこんなところで?」
「先ほど冷蔵庫の中を見たら空だったのでこれはマジでヤバイと思い、ちょろっと買い出しに来たんです」
ウィズやバニルに挨拶していたイリスが、手に持った袋を開いて見せてきた。
中にはナスやトマトといった野菜やアユなどの魚が小刻みに動いており、ついさっき購入したばかりなのだと伺い知れる。
「そっか、後で俺が買い出しに行くつもりだったんだけど助かったよ。流石はイリス、俺の自慢の妹だ!」
嬉しさからか、ほんのりと頬を赤らめ眉を八の字にして赤面するイリス。
そんなちょっとした仕草ですら可愛らしいのだから、妹とは本当に良いものだ。
「お兄ちゃんはウィズさんとハチベエのお店をお手伝いしていたのですか? もしかして声をかけたらヤバかったですか?」
「いや、丁度さっき終わった所だよ。だから一緒に帰れるぜ」
念の為にバニルに視線を送るが、何も言わずにせっせと撤収作業をしている。
これは承諾と受け取って良いだろう。
俺の言葉にぱあっと顔を明るくしたイリスは、さっと俺の隣に寄り添うと腕にギュッとしがみ付いてきた。
「それじゃあ帰りましょう! ウィズさん、ハチベエ、御機嫌よう」
「はいイリスさん、またいつでもお越しくださいね」
「うむ、昨日に限らず汝の依頼はいつでも心待ちにしておるぞ一日主よ」
二人に見送られながら、俺達は影が長く伸びている方へと歩き出した。
道中、今日あった出来事を沢山話してくれるイリス。
お昼にはアクセルハーツのライブを見ただとか、ミーア達が野菜を分けてくれたから今晩は美味しい食事になりそうだとか。
目を輝かせて話すイリスの表情はとても生き生きとしており、こちらも何だか嬉しい気分にさせられた。
自然と遅くなる歩み。
陽の光が外壁の向こうへ落ちる頃、ようやく屋敷へと辿り着いた。
「帰ったぞー」
「ただまー」
広間の扉を開くと、ソファーに座ったアクアが膝の上にゼル帝をのせ、柔和な表情で優しく撫でていた。
「カズマおかりー、イリスも一緒だったのね。あら? イリス、そ、その手に持っているお酒は……⁉︎」
「はい、アクアさんが好きそうなシュワシュワがタイムセールで安くなっていたので買ってきちゃいました。夕食の時に飲んでください」
目ざとくもイリスの手荷物に食いつくアクア。
今日は宴会よと勢いよく立ち上がり、軽やかに廊下の方へと駆け出す。
大方、自分の部屋に酒でも取りに行くのだろう。
一体どれだけの量を飲むつもりなのか。
「ダクネスはいないのか?」
「さっき出掛けていったわよ。なんかダクネスの家の人が手紙を持ってきて、王都から召還
がかかったからって慌てて出て行ったわね。明日には帰るって」
階段を登りながらアクアは興味なさげに言ってきた。
「ふーん、召還ね」
あれでダクネスは大貴族の娘だ。
貴族としての務めか何かなのかもしれない。
「んじゃ、そろそろ晩飯の準備はじめるかな」
「私もメッチャお手伝いします」
台所へと向かう俺についてくるイリスはやる気満々。
真っすぐに見つめてくる碧眼はサファイアの様にキラキラと輝いていた。
「それじゃあお願いしようかな。今日はイリスが買って来てくれた夏野菜をふんだんに使ったカレーを作ろうと思う」
「私もカレー、チョー好き!」
ふんすと気合を入れるイリスに内心ほっこりしながら、料理の準備に取り掛かる。
ジャガイモに反撃を食らったり、イリスがタマネギに泣かされたり。
多少のトラブルは起きつつも概ね順調に調理は進んで行った。
「――よし、いい具合だな」
「はい、野菜の旨味とコクの深さが混ざり合ってヤバイです」
イリスの評価も上々。
後は一度冷ましてから温め直せば完成だ。
火を止め一度広間へ戻ったその時、玄関をノックする音と共に扉が開かれた。
「ただいま帰りましたよ。おや、いい匂いがしますね」
「こ、こんばんは」
入って来たのは、ぐったりとしためぐみんを背負ったゆんゆんだった。
今日は爆発音が聞こえなかったから、どこか遠くで打って来たのだろう。
「おかりー、今夜はカレーだ。ゆんゆんもいつも悪いな、面倒だろうに」
「いえ、もういい加減慣ましたから」
「おい、私を厄介者扱いするのは止めてもらおうか」
ソファーにめぐみんを座らせるゆんゆんに労いの言葉を掛ける。
俺の物言いに不満でもあるのかめぐみんが睨んでくるが、実際厄介者以外の何物でもないので気にしないでおく。
「もしかしてゆんゆんさん、晩御飯へ招かれたのですか?」
「えっ⁉ いいい、いやいやそんな、私はただめぐみんを連れ帰って来ただけで……」
明るい笑顔で尋ねてくるイリスに、ゆんゆんはあからさまに取り乱し手を前でバタバタと横に振る。
「そうですか。でも折角お越し下さったのですし、よろしければ食べていかれませんか? いいよねお兄ちゃん?」
「カレーも沢山作ったし全然いいぞ」
「で、でも……私なんかが混じったら、話が盛り上がらなくて場が白けちゃうんじゃ……」
指をもじもじとさせチラチラッとこちらを窺ってくるゆんゆん。
この間は最前線の砦まで一緒に冒険したのだし、だいぶ打ち解けられたかと思っていたのだが、まだまだ足りなかったらしい。
煮え切らないその態度にイライラしたのか、めぐみんはソファーに寝そべったまま、
「本当にこの子は面倒臭いですね。一緒に食べたいなら食べたいとハッキリ言えばいいじゃないですか。初めから貴方が面白い話をできるなどと誰も期待していませんから、堂々と参加すればいいんですよ」
「それはそれで傷つくんだけど⁉」
涙目になったゆんゆんに更なる追撃をあたえるめぐみんを横に、イリスがちょいちょいと俺の服の裾を引っ張って来た。
「お兄ちゃん、私はもう一セット食器を取りに行ってきますね」
「俺も副菜の準備とかがあるし一緒に行くよ」
背中に二人の紅魔族の声を浴びながら、俺とイリスは連れ立って広間を出た。
ゆんゆんとイリスを含めた五人での夕食を味わった。
帰宅するゆんゆんを見送ったり深酒で眠りこけたアクアの世話をしたり。
諸々の用事を済ましたところで自室に戻った俺はそのままベッドに寝転がった。
今日も充実した一日だった。
よく働きよく食べ、慕ってくれる可愛い妹と楽しい時間を過ごす。
まるで夢の世界にいるみたいだ。
こんな毎日が明日からも続いてくれたら。
そんな事を考えながら、俺は目を閉じて深い眠りに……。
「いや、ちょっと待ってくれ」
むくりと体を起こし顔に手を当てる。
これまでは動揺を悟られない様になんとか平静を装ってきた。
我ながら感心するほどに、周囲の動きに合わせられていたと思う。
だがそれももう限界だ。
大きく息を吸い込み、それをたっぷり時間をかけて吐き出す。
そう、ここ最近俺を悩ます大きな事案、それは――
なんでアイリス、この街にいるの?
一度は思考を放棄した事案に、俺は改めて向き合うことにした。
始まりは今から一週間前。
いつも通り昼頃に目を覚ました俺が朝飯を食おうと席に着いたら、隣の席でアイリスが普通に食事をしていたのだ。
あれはマジで驚いた。
考えてもみろ、普通なら絶対にいるはずのない奴が目を覚ましたら隣の席で飯食ってんだぜ。
それで驚かない奴は感情をどこかに置き忘れているに決まってる。
なのにアクア達三人はそのことに全く動揺している様子がなかったのだ。
そこで俺は寝起きの頭をなんとか回し考えてみた。
周囲を見渡してもお付きの二人がいないし、もしかして俺に会うためにこっそりと王城を抜け出してきたのか。
それで俺が起きる前に事情を説明し三人に受け入れてもらったとか。
だが、その仮説はすぐに誤りだと気付いた。
様子見のためしばらく黙々と朝飯を食べていたのだが、アイリスを含めた四人でなされた会話が明らかにおかしかったのだ。
別に会話内容がおかしかったのではない。
おかしいのはアイリスの呼び方だ。
全員が全員アイリスのことをイリスと呼んでいたのだ。
しかも王女アイリスへの愛称や世を偲ぶための偽名としてではなく、共に屋敷で暮らす住人イリスとして。
何が起こっているのか全く理解できなかった。
初めは手の込んだ悪戯かと思った。
全員で俺にドッキリを仕掛けているのだろうと。
そう思い一度、軽く探りを入れてみた。
「アイリスは公務の方はいいのか?」と。
しかし予想は大きく外れた。
返ってきた反応はアイリス本人を含め、全員が心底怪訝な顔を浮かべるばかり。
アイリスとは誰か、公務とはなんのことだと真顔で返されてしまったのだ。
どうやらドッキリの類ではないらしい。
もしかして俺がおかしくなったのか?
それとも眠ってる間にまた死んで、平行世界にでも飛ばされたとか?
だが、それを今すぐ確かめる術を俺は持ってないし、そもそも自分を信じず何を信じると言うのか。
そう考え直し、とりあえず一日様子を見てそれから判断しようと思い直した。
しかし考えが甘かった。
次の日もアイリスは当然のように屋敷にいて、なぜか一緒にクエストへいく流れに。
アイリスの強さは健在のようで、安定してモンスターを退治していくのを、俺はただただ呆然と眺めるしかできなかった。
マズイ。
これ以上この環境にいたら本格的に頭がおかしくなる。
早急に何かしらの手を打たなければ。
とりあえずは、俺と同じ状況にいる奴が他にいないか探ってみることに。
初めは冒険者ギルドの連中にそれとなく聞いてみたが、今の状態に違和感を抱いている者はいない。
行きつけの店のマスターや商店街のおっちゃん達の様子も伺ってみたものの、ギルドの連中と大差なし。
もしかして本当に俺の方がおかしくなったのか?
この事実を前に目の前が真っ暗になる。
もう理由なんかどうでもいいじゃないか、そんなことも考え始めていた。
しかもアイリスとの生活が楽しくない訳がなく、後押しをされるかの如く事ある毎に思考を放棄してしまい、結局一週間もずるずると過ごしてしまった。
だが、いつまでも目を背ける訳にはいかない。
王族であるアイリスが一週間も王城を留守にして、問題がない訳がないのだ。
今この瞬間にクレアが怒鳴り込んできたとしてもおかしく無い。
最悪、首ちょんぱだって考えられる。
そうなる前に、せめて原因だけでも突き止めておかないとな。
改めて、今回の現象の原因を探ってみる。
とはいえ、考えられる理由はあれしかないんだよな。
一週間前の七夕に書いたあの短冊。
アイリスがいる日常を過ごしたいと言う、俺のちょっとした願い。
あれぐらいしか現状に至るような原因らしい原因に心当たりがないのだ。
常識的に考えて、短冊に書いた願いが本当に叶うとかありえない。
そんなことが起こるのはファンタジーの世界だけだ。
いやまあここファンタジー系の異世界だけど。
この世界で暮らした約一年の経験から言わせてもらえば、この理不尽だらけの世界で願いがこんな簡単に叶うはずない。
だが同時に、この世界には頭のおかしい現象が山ほどあることも知っているので、一概に起こりえないとも断言できない。
なので馬鹿馬鹿しいとは重々承知の上で、原因はあの短冊だとしておこう。
問題はこの状況がいつまで続くかだ。
これが後一日や二日で終わり、その後はこれまで通りの日常へ何の弊害もなく戻れるのなら問題はない。
だが逆に今の状態が一生続くのであればそれは……あれ、全然問題ないな。
寧ろ理想的でさえあるな。
……いやいや、そこまで俺に都合の良い展開が続くわけないじゃないか。
絶対めちゃくちゃ面倒な事案に巻き込まれるに決まってる。
ならば、いつ元通りの世界に戻っても対応できるよう、今から下準備や対策の一つでも講じておくべきだ。
べきなんだろうが……。
…………うん、アイデアの一つも湧いてこないわ。
ほんとこれからどうしよう。
ベッドの上に座ったままグルグルそんな事を考えていると、コンコンッと部屋を軽く叩く音がした。
こんな時間に一体誰だ?
訝し気に思いながらも返事を返すと控えめな声が返って来た。
『あの、お兄さ……お兄ちゃん? 少しお話よろしいでしょうか?』
「アイリス?」
あまりに意外な人物に驚きつつ扉を開く。
そこにはアイリスがうつむき気味に手を組んで立っていた。
心持ちなんだかそわそわしているようにも見える。
「どうしたんだこんな時間に?」
なかなか話し出さないので尋ねてみると、アイリスはビクッと体を震わせ、
「えっと……その、ですね……」
しばらく黙ったまま、視線を泳がせたり何度も指を組み換えたりして。
チラッと上目遣いでこちらを見上げたアイリスは、なにかを決心したように耳まで赤くしながら、
「今晩、一緒に眠ってもよろしいでしょうか?」
…………はい?
どうしようこの状態。
体がガチガチに固まりながらも、意識を横に向ける。
時刻はそろそろ日をまたぐ頃合い。
現在、月に照らされ金糸の髪をキラキラと煌めかせている美少女が頭を俺の腕に乗せ、ぎこちなさそうに寝転がっている。
距離感はほぼゼロ。
胸やら足やらに柔らかい感触が時々当たるばかりか、お互いの心臓の音さえも聞こえてくる。
風呂から上がったばかりなのだろう、シャンプーの甘い香りが鼻腔を擽り、精神へ幾度となく揺さぶりをかけてきて。
正直、理性が大ピンチです。
しっかりしろ俺。
相手は妹、気立てが良くて素直で可愛らしいただの妹だ。
いま自分の身に何が起こっているかもちゃんと把握できてないってのに、ここで手なんか出してみろ、絶対に地獄のような面倒事が群れをなして振り掛かるぞ。
「な、なあアイ……イリス、今日はどうしたんだ? なんで唐突に俺と一緒に寝ようだなんて思ったんだ?」
何か話していなければいろんな所があれしてあれしそうになるので、ひとまず経緯だけでも思い切って尋ねてみた。
するとアイリスは少しだけ寂しそうに、
「ご迷惑でしたか?」
「い、いやいやいや、そんな事は全然ないんだけど。むしろ可愛い妹ならいつでも大歓迎だけど⁉ いきなり前触れもなかったからなんかあったのかなと思ってな、いや何もないならないで全然いいんだけど」
ああもう、思わず早口になってしまった。
話してる内容もなんか重複してるし、このままでは兄としての威厳が。
頭の中がしっちゃかめっちゃかしている傍ら、アイリスは恐る恐ると言った感じで俺の体に腕を回し。
ギューッと俺に抱き着いてきた。
「あ、あの、イリスさん?」
「……いいじゃないですか」
気が動転している俺の胸に顔を埋めたアイリスはボソッと呟き、
「偶にはこういうのもいいじゃないですか。だって私達は……兄妹……なんですから」
顔を上げたアイリスは暗がりの中、上目遣いでにっこりと微笑んだ。
それを見て俺は思った。
もう、なるようになってしまおう。
何が起こっているか分からない?
そんなのどうでもいいだろ。
分からない明日の事よりも、確かな今を生きた方がいいに決まってるじゃないか。
「そうだな、俺達は兄妹だもんな、こんな日もあるよな。よし、それじゃあ今日は抱きあって眠るとするか」
「……はい」
アイリスの声を受け俺は優しく抱き寄せた。
併せてアイリスもギュッと抱きしめ返してくる。
以前の俺だったらこれだけで目が冴えに冴えて冷や汗ダラダラだっただろう。
しかし幸か不幸か、この一週間アイリスが何度も積極的にくっ付いてきたので、多少の免疫ができていた。
世界中に鬼畜のカズマさんの名が轟かないですんだ事を感謝しておこう。
内心はかなり複雑だが。
「お休みなさい、お兄ちゃん」
「お休みイリス」
短い言葉を交わし、俺達は安らかな眠りについた。
七月十五日
アイリスと俺が一夜を共にした翌日。
俺よりも先に目が覚めたのだろう、起きた時には既にアイリスの姿はなかった。
そして残された俺は現在、
「だあああああっ⁉ 俺はなんちゅうことを⁉」
ベッドの上でのたうち回っている真っ最中だった。
俺としたことが何という愚かな真似を仕出かしてしまったのだろう。
確かに夜も遅かったし眠気もあった。
でも、だからって現状置かれている状態も把握できていないのに、明らかに様子のおかしいアイリスと一緒に同衾なんかするか⁉
あの状況をダクネスやクレアに見られていたら一発極刑もありえた。
理性を保てたのが奇跡にすら感じられる。
起床直後にも拘らず止まらない冷や汗をグイっと拭い去る。
と、とにかく昨日は何事もなく終わったが、こんな状況が毎日続くようならとてもじゃないが俺の心が持たない。
悠長なことを言ってないで、早急に俺の身に何が起こっているのかを確かめなければ。
決心を新たに一度心を落ち着かせた俺は自室を出て広間へと向かった。
「お、おはよ。もう朝飯食ってんのか」
気さくに挨拶をする俺に、めぐみん達が呆れた目を向けてくる。
「これはお昼御飯ですよ。相変わらずの不摂生ですね」
「まったくよ、少しはこの私を見習って早起きを心がけなさいな」
「そう言うアクアもほんの三十分前に起きて来たばかりじゃないですか」
秒で口を挟まれたアクアが、私の面目がとか文句を言っているが、お前には初めからそんな物はないので気にする必要はないと思う。
どうやら俺の動揺はバレていないらしい。
これはいよいよ持って俺も演技派冒険者を名乗れるな。
朝から騒がしいアクアは放っておき、空いている椅子へと腰かける。
一呼吸置いた所へ、机の上に一杯のコーヒーがカシャリと置かれた。
「おはよう、お兄ちゃん。お食事はすぐにお召し上がりになりますか?」
朗らかな笑みを浮かべ尋ねてくるアイリス。
メイド服に身を包み、綺麗な佇まいで接待をする姿は一流の給仕人そのものだ。
「あ、ああ、頂くよ」
「はい、チョー任せて!」
嬉しそうに返事をしたアイリスは足早に踵を返した。
直に食器の触れ合う音が聞こえてくる。
音のする方をなんとなく見ながら、俺は湯気のたつコーヒーに口を付けた。
苦味は少なくコクが強め、俺好みの味だ。
初めの頃は味が安定していなかったが、この一週間でアイリスのコーヒーを入れる腕も随分と上達してきた。
元から要領はいい子だったが、成長の速度が本当に速いな。
これならプロのメイドを目指すのも夢ではないかもしれない。
「カズマ、昨日の晩あの子と何かありました?」
「ぶっ!」
向かいの席からめぐみんが、どこか不機嫌そうな視線を送ってくる。
「……な、なんのことだか。おお、俺はいつも通りだぞ」
「声も手もものすごく震えていますよ」
いちいち指摘しないで欲しい、自分でも分かってるから。
やっぱり誤魔化せていなかったらしい。
しょうがないだろ、あんな可愛い子にいきなり添い寝しようだなんて言われたんだ。
ただの妹だと分かっているが、それでも意識するなというのは無理ってものだろう。
というか、なんでアイリスはあんなにも平然としてるの?
昨夜はあれだけ情熱的だったのに、なんで今までと同じような態度でいられるんだ?
意識してるのが俺だけみたいで何だか悔しいのだが。
「私は知ってるわよ」
いきなりのアクアの発言にドキッとさせられる。
「し、知ってるって……何を?」
まさかこいつ、昨日アイリスが俺の部屋に入っていく場面を見ていたのか。
ゴクリと唾を飲み込む俺を知ってか知らずか、口に入っていた物をごくりと飲み込んだアクアは真面目な表情を浮かべた。
「カズマさんは冷蔵庫の奥に隠してあるプリンが食べたくて仕方ないのよね。でも駄目よ、あれは数量限定で四個しか買えなかったんだもの。誰が食べるかを決めるのはダクネスが帰って来てからよ」
「違うわ」
いつも通りのアクアだった。
変に焦って損した。
人知れず俺がホッと一息ついていると突然、玄関のドアがバンッと開かれた。
何事かと思っている間にも、ドタドタと荒々しい靴音が響き、
「た、大変だ! カズマ、大変なんだ!」
貴族の令嬢が着そうなひらひらのドレス姿のダクネスが、すっかり表情を青ざめさせて声を張り上げた。
「どうしたんだよそんな剣幕で。また見合い話でも来たのか、ララティーナお嬢様?」
「ララティーナと呼ぶな! この服装は王城で挨拶周りをしていたからで……いや、そんなことはどうでもいい。いまは本当に大変なんだ! 実は……」
ダクネスがなにか話そうとしたその時、黒髪ロングの女性が数名の騎士を引き連れて広間へと入って来た。
「ご無沙汰しております、サトウさん」
それは以前、俺が国家転覆罪の容疑を掛けられた時に散々お世話になった女性、国家検察官のセナだった。
なんだろう、嫌な予感しかしない。
「どうしたんですかセナさん、そんなに騎士をぞろぞろと引き連れて。一応言っておきますけど、俺達は何もやってないですよ」
「第一声でそう言う発言をする人ほど疚しい事があるものですが。安心してください、今日はカズマさんのパーティーにご用はありませんから」
そうなのか。
遂にこの幸せな生活への報復がきたのかと冷や冷やしたが、取り敢えず一安心だ。
……ん、だったらなぜセナさんがここに来る必要が?
「あの、何かあったのですか?」
騒がしさが気になったのだろう、盆の上に俺の食事を乗せたアイリスが、戸惑いながらも台所から出てきた。
「おう、なんか知らんが王国検察の人が来てな。でも、イリスは気にしなくても……」
大丈夫と言おうとしたその時、背中がゾワッとする感覚を覚えた。
慌てて振り返るとそこには冷たい眼差しのセナさんが。
沈黙が広がる中、セナさんは一枚の紙を前へと突き出す。
「チリメンドンヤの孫娘イリス。貴殿には現在、王族偽証罪が課せられている。自分と共にきてもらおうか」
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