妹転生?!ファンとしてお兄様を幸せにします!(修正前)   作:tom200

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これにて完結です。
四葉継承編同様申し訳程度のR18モドキがございますのでご注意ください。


師族会議編 後編

 

 

すべてが終わって帰宅したのは19時。

玄関に入ってすぐにしたのは二人への謝罪とお礼だった。

 

「お兄様、水波ちゃん、心配をさせて申し訳ございませんでした。そして、見守ってくださってありがとうございました」

 

本当はすぐにでも駆けつけたかっただろう。お兄様も衝動に任せて辿り着く前に消し去ってもいいくらいには思っていたかもしれない。

でも、それをしないでくれた。

堪えてくれた。

 

「……本当に、生きた心地がいたしませんでした…」

 

もうこんなことは二度とこりごりです、と水波ちゃん。ごめんね、と手を取ってぎゅっと握る。

それを拒絶することなく握り返して。

 

「…もっと、もっと強くなります。背を守ることを許していただけるくらい強くなりますから!」

「ええ、期待しているわ」

 

水波ちゃんも四葉式山登りをクリアしているから普通より体力も危機回避能力も高いはずだけど、それでもまだまだ磨ける部分はあるから。

そして、お兄様は、と言うとじっと私を見つめて。

 

「…許されるなら暴れたかったよ」

「え…?」

 

手が伸ばされて髪に指を絡めて持ち上げる。

 

「怪我を負わない、と言ったのに。綺麗な髪が傷つけられてしまった」

「あ…」

 

血が出るような傷は負わなかったからセーフと思っていたけれど…髪の毛もアウトでしたか。

ほんのわずか、髪に焦げ跡が残っている。撃たれたのはほんの数本の話なんだけどね。お兄様の目は誤魔化せない。

再生がかけられ元に戻る。

 

「…申し訳ございませんでした」

 

あれだけ自信満々だったのに情けない。

俯くとそっと抱きしめられるが、その力は包むような感じで。

 

「深雪があれくらいの暴漢相手にやられるとは思わないよ。お前の強さは師匠も太鼓判を押すほどだと知っている。だがな、あのように害意ある視線を向けられているのを視ると、それだけで居ても立ってもいられなくなるんだ」

「はい…」

「――それで、お前の思うとおりに動けていたか?」

 

計画通りだったか、との言葉に詰まることなくyesと答える。

計画通りだった。

人間主義者相手に魔法を一切使わず転がしたことも、相手が魔法を使ったところで初めて魔法で対抗したことも。

水波ちゃんが苦しめられることも無く、お兄様が怒りで男共を叩きのめすことも無かった。

全て計画通りではあったのだ。

 

(あそこで近江を生かしたところでどうなるかは読めなかったもの)

 

もしかしたら二倍厄介になっていたかもしれない。彼を隠れ蓑に敵兵を増強されてしまう可能性もある。

…ただ首謀者が行方をくらませる可能性があったというだけで。

それ自体大した問題でもないのだ。原作通りといってもいい。…そう、原作通りになるだけ…。

 

(…もう私の中ではアレが確定しているんだなぁ…まだわからないのに)

 

「うん、嘘ではないようだが――何か別の問題が発生した、か?」

 

……心を読まれてしまった。上手く隠しているつもりなのに、お兄様は私のことになると鋭さを発揮する。

 

「まだ確定したわけではございませんから」

 

嘘は言えないので正直に答える。まだ確証はない。報告待ちの状態。

 

(…お兄様はすでに自分でも逆探知する方法を考えていたりするのだろうか)

 

お兄様は根っからの研究者だ。試す方法があるのなら、それがたとえ厳しい条件であろうとも挑戦したいと思うのかもしれない。今回の件でさらにお兄様は黒幕おじさんを許せないとお考えになっただろうから。

 

「とりあえず、お茶にいたしませんか?すぐにご用意します」

 

水波ちゃんの言葉にはっとしてまだコートも脱いでいなかったことに気付く。

賛成の意を伝えると水波ちゃんはそのままダイニングへお茶を入れに、私たちは部屋に着替えに向かった。

着替え終わってリビングに向かう頃にはソファに着替え終わったお兄様が座っていて携帯端末を操作し画面を見つめていた。それも、かなり渋いお顔(妹視点)をされて。

 

「何か良くない知らせですか?」

「いや、そういうわけではないんだが」

 

おいで、と手招きされるままにお兄様の隣に座り、腰を抱かれて密着するように身を寄せて、端末を見やすいように傾けられたのだけど…こんなに密着する意味ありましたかね?ちょっと心臓がうるさいですが気にしないでほしい。

冷静を装って文面を覗き込めば、あらまあ。

 

「お茶をお持ちしました」

「ありがとう水波ちゃん」

 

うん、制服にエプロンも可愛いよね。

煎茶の良い香り。これを味わって飲めないのは残念だ。

 

「お断りするわけにはまいりませんね」

「したところで彼らには何もできないと思うんだがな」

 

…お兄様、辛辣…。でも報告自体は必要でしょう?

 

「いつものように俺だけでよくないか?」

 

ああ、私を連れて行く意味か。…確かにあんまりないかもしれないけれど、ご指名ですしね。元気な姿を見せておかないと騒ぐ方もいるでしょうから。

 

「…まあ、今は深雪から離れたくはないしな」

 

う…申し訳ない。派手に暴れた覚えはたっぷりあります。

この姿勢になったのにも理由があったのか。失礼しました。

 

「そういうことで水波、このお茶を飲んだら俺たちは外出する。食事は外でしてくるから水波は自由にしてくれ。先に休んでくれて構わない」

「十文字先輩からのお呼ばれなの。帰りは遅くなると思うわ」

 

わざわざ新当主と言う必要も無いだろう、端的に伝えると水波ちゃんはかしこまりました、と頭を下げた。

報告があるなら食事するまでに時間があるでしょうからお腹が空くだろう、とパウンドケーキも出してくれた。よくできたメイドさんです!ありがとう。

余りに美味しそうに食べていたからか、お兄様が自分の分を差し出そうとするのを自分で食べてもらうのが大変だった。最終的に私が押し込まないと食べてくれなくて。…あーんじゃないよ。押し込んだんです!…一口ずつ分でしたけど。

時間がないと分かってはいるんですけどね。

 

(だって!お兄様のお口にケーキ一切れごと押し付けるなんてできないし!でもあーんして食べさせるのもあ、アレだし!)

 

…結果的に同じことだって?気持ちが違います。これはあーん、ではありません!無理やり食べてもらっているのです!!

今日に限って水波ちゃんは助けてくれなかった。これが罰です!とばかりに。…お兄様罰ゲーム扱いされてますよ。

 

 

 

とまあ、そんなこともありつつ噂のミーティング会場へやってきたのだけれど、本当にここがレストランなのだろうかと疑いたくなるほど、どこからどう見ても普通の民家の一軒家だ。会員制の隠れ家的レストラン、伝説上でしか聞いたことの無いものが今目の前に。

戸惑う私にお兄様は大丈夫だよ、とエスコートしてくれる。通い慣れた場所ですものね。

あの後外出の為もう一度着替え直した。レストラン用にワンピースドレスにシックなコート、ネックレスとイヤリングには四葉のクローバーがあしらわれている。…これ見よがしな四葉アピールだね。意匠としてはよくあるモチーフなんだけど、私が着けると意味合いが変わるよね。違うけど家紋みたいな。

お兄様もダークスーツがとても素敵。カッコいい。

 

「今度眠る時はスーツにしようか」

「…それはしわくちゃになりそうなのでお止めになった方がよろしいかと」

 

というかスーツで寝るのは寝心地が悪そう。何をお考えでその提案をされたのかわかりませんが、無しの方向で。

ええ、何を考えてなのかわからないけど。

 

「さて、何を考えて頬が赤くなったのかな?」

「外気が寒いからではないでしょうか」

 

何も考えていませんよ、と素知らぬ顔を貫こうとするのだけど。

 

「ならすぐ温めないと」

 

腰に回っていた腕をさらに引き寄せ、身をくっつけて温めてくれようって?お止めください。別の理由で熱くなり溶けてしまいます。

 

「ふっ、更に赤く色づいたね」

「……もう、冗談もほどほどにしてくださいませ」

 

これから人と会うのにいじめないでほしい。

お兄様も悪ふざけが過ぎたことを認め、いつもの距離に戻ってくれた。

…顔見せするまでに冷めるかな。

 

 

――

 

 

通された部屋に向かうと、ガタン、と立ち上がった一条君。心配してくれたんだね。ありがとう。

…お兄様は見えないからって腰に添えられたおててを動かさないでください。くすぐったいです。

 

「お待たせしました」

 

お兄様に続いて頭を下げると十文字先輩が「急にすまんな」と貫禄も有りながら心が込められているのがわかる謝罪をいただいた。

そして掛けてくれ、の言葉でお兄様と共に用意された席に座る。…お兄様、私を七草先輩の前に誘導してから自身は一条君の前にさっと陣取ったね。上席に当たるホスト側に座ってほしかったのだけど仕方ないのか。

話をする上でもその方が話しやすいだろうし。

そわそわする一条君はもう「待て」が利かなかったようだ。

十文字先輩たちを差し置いて声を掛けられた。

 

「司波さん、ご無事でしたか?」

 

お兄様がここに連れてきている時点でお察しだけど、心配してくれていることは伝わってくるのでね。

 

「ええ、結果的に、何事もありませんでした。ご心配いただきありがとうございます」

 

心配をしてくれるのは有難いね。感謝を込めて微笑むと、真っ赤になったけれど肩から力が抜けたようだ。

次いで十文字先輩もお兄様に労いの言葉を掛ける。

ここからは原作通りの流れなんだけど、それぞれ情報源が違うからか、情報に偏りがあるよね。

銃の使用にはやはり驚きがあったが、それよりも人間主義者が魔法を使ったことに疑問を持ったみたい。

そこでお兄様がブランシュやエガリテの話を持ちだした。

十文字家はその殲滅に関わっていたから、まだ残党が残っていたのが信じられなかったようだ。…まああの黒幕おじさんとその代理を務めた周が裏から操っていた組織でもあるからね、末端でも潜伏は得意なんだろう。

 

(あれ?そういえば、四葉では当たり前になっているし、軍でも話になっている、警察にも今回のことで上層部には首謀者が裏で糸を引いている話はしていたけど、彼らは知っているのかな)

 

今ブランシュの話に驚いたのだから、今回追っている首謀者の悪行をもしかしなくてもご存じないのでは?と気付いた。

これは伝えるべきか?

一条君に至っては一高のブランシュ事件を知らない可能性もある。…というか、知らなそうだね。当時の当主たちには話がいっているけどそれを次期当主に伝えているかと言われると…どうにも伝えて無さそう?

 

「あの…少しよろしいでしょうか」

 

胸の当たりで挙手をすると一斉に視線がこちらに。それぞれ向ける視線の意味が違うのが面白い。

 

「どうした?」

 

お兄様、先ほどまでの淡々とした仕事用が外れましたか。目元と声が柔らかくなりました。

七草先輩の視線が一瞬私から外れたけれど、素知らぬふりで。

 

「一度情報をすり合わせた方がよろしいのではないでしょうか。どうにも認識のずれが生じているように思います」

 

お兄様以外の顔に疑問が浮かんだので端的に説明。

まずブランシュとその下部組織のエガリテがどちらも反魔法師組織であることを前提に、その背後にいた人物の名を上げる。すると全員驚いた表情に。

 

(…やっぱり情報共有できてなかった!)

 

おかしいな、と思ったのだ。テロの首謀者を追っているのだからそれなりに真剣になるのは当然だけれど、その男がこれまで何をしてきて、これから何をなそうとしているのかを知っていればもう少し熱の入った捜索をしてもいいものなのに、と。

特に十文字先輩と一条君は因縁もあるのだからその筋から追うこともできるはずなのに、そういった動きも見えなかった。

…軍と情報共有できているのではなかったの?それとも十文字家と関わりの深い部署は別に動いている、とか?

ブランシュや中華街の暗躍の他にも無頭竜とか十師族内の関係にも手を出していたのだけど、まあ今はそこまで話さなくていいか。最終的に四葉が原因にされても困る。

お兄様はどうでも良さそう。まあ、今さら知ったところで感はある。

 

「…ねえ、それってつまりその周という男と今回の首謀者の顧傑って男が反魔法主義者を利用して日本の魔法師の弱体化を図っていたってこと!?」

「彼らの活動は日本に留まりませんので標的が日本だけとは限りませんが」

 

他にも日本魔法師の分断を産もうと画策していたりと、日本が一番の標的であることは間違いないのだけど、共有したいのは彼らの手が世界中に渡っていたこと。

国内だけの事件にとどまらず思っていたより事態は深刻だという認識がようやく今になってできたようだ。

テロが起きた時点で大問題ではあるけれど、目的を知ると見え方も変わるから。

 

(…ま、実際ははた迷惑な自業自得の代理復讐劇なんだけどね)

 

そんなことは些末なこと。

それだけ原作の黒幕おじさんのしでかしの影響は大きく、その後ずっと尾を引くのだ。

 

「あの周が、首謀者の手先で、こんなところにまで関係していたなんて」

 

一条君は悔しがっているね。一度騙されているから余計に腹が立つのだろう。

十文字先輩は深く瞑想しているように見える。先輩もこの話に思うところがあるはずだから。

十文字家は軍とも繋がりが深い上ブランシュらを撲滅する為に力を貸していた。それでいて残党が居たことを知ったなら、コケにされたと考えても無理はない。

実際、そうなんですけどね。特に七草家は。一度は手を組んでますし。良いように使われたこともありましたし。とはいえそれを四葉は察知して未然に防ぎましたけどね。お兄様の素晴らしい知恵と行動によって!

七草と周の『四葉弱体化』の目的が揃っていたから手を組んだ、なんてここにいるメンバーが知ったらどうなるんだろうね?彼らは擦れていない分、正義感が強い。きっと七草当主を糾弾するだろうがそれもある意味周――黒幕おじさんの思惑の通り分断を招くことに繋がってしまうので別の方向から攻めることにします。…ええ。見逃すつもりなどございませんよ?お兄様を嵌めようとしたのですから。

いつまでも沈黙していても話は進まない。十文字先輩はホストとしての役目を遂行する。

 

「他には、何かないか?」

「今のところ思い当たったのがその話でしたので。お話の途中で失礼しました」

 

黒幕の陰謀についてこれ以上広げられるものではない。話を戻してください、と水を向ければ、七草先輩が仕切り直して、元の一高襲撃の話に戻る。

 

「達也くん、さっきの話の中継点ってどういうことなの?」

 

また淡々とした説明口調に戻ってしまったお兄様はまず、反魔法師組織のリーダーが魔法師でないことを前提に利用されただけであることを伝えた。

古式魔法師が中継点――『使い魔』にして魔法を遠隔操作していた、と。

細かい理屈は省いて、と前置きをしてお兄様的に簡単に説明されるけど、十分に細かく的確に伝えられていると思いますよ。

SB魔法も使い道が色々あっていいよね。

私も初めは精霊と仲良くして魔法が使える魔法師の方が楽しそう、と思った時期がありました。結論――才能と資質がすべて。無理なものは無理でした。

そもそも精霊を感じることはできても見えなかった。無念。

風の精霊とか水の精霊、火の精霊土の精霊雷の精霊…会ってみたかった。そして魔法少女がしてみたかった…。

深雪ちゃんはさぞかし魔法少女が似合ったことだろう。精霊の巫女もいい。精霊使いっていいよね。夢とロマンに溢れてる。

…なんて妄想をしていたらいつの間にかに話が終わっていた。

一応ね、頭には入ってきてるんだけど、とりあえず明日中には古式魔法師の情報がわかるはずだってことで、何か分かったら教えてほしい、と話が纏まっていた。そろそろお食事食べられます?

もう結構なお時間。水波ちゃんから貰ったパウンドケーキのカロリーも消費されてしまいそうです。

 

「深雪さん、今日は大変だったわね。怪我がなくて何よりだわ」

「お気遣い、痛み入ります」

 

おっと、この話がありましたね。

七草からの護衛の申し出。状況が違うはずなのに流れが変わっていないのは、恐らく彼らの思惑が変わっていないからなんだろう。

 

「妹から聞いたのだけど、反魔法主義の人たちは深雪さんを狙っていたのよね?」

 

あえて誤解したように思わせているのか、それともその流れに持っていきたいのか。

はじめから私をターゲットにしていたわけではなく狙われたのは女子生徒で、そこに駆け付けた私たちを見つけ、矛先を変えたことを伝えると七草先輩は考えるように眉間にしわを寄せ、

 

「やっぱり、深雪さんのことを知っていたのかしら?」

 

と話の流れを持ってきたのだけれど、お話聞いてました?私が狙われたのは偶然なのだけれども。

それにね、私が狙われるのに四葉以外の理由もあることを忘れてはいけない。

 

「私がテロ事件で問題視された魔法師とは気付かれていないようでした。彼らにとって何よりあの時の私が悪の象徴であるはずなのに。彼らは私のことを一高の生徒会長としか認識していなかったようです」

 

そこで七草先輩、そして一条君が目を見開いてこちらを凝視した。

うん、やっぱり十師族の四葉だから狙われるのだと思っていたらしい。

彼らにとってそれは常識でも、一般にはまだ私の知名度は無い。魔法師界隈でしか噂になっていないのだから。

まだテロ事件で凶悪な魔法を使った邪悪な存在と認識される方が可能性が高かった。

 

「いずれにしても、人間主義者は不埒にも司波さんに目を付けたのではないでしょうか?」

 

狙われていることを危惧した一条君の言葉を引き継いだのは七草先輩。

 

「私たちはそう思っているの」

 

この連携がある時点で何か企んでるって言うのがわかる。

もう少し自然に交渉を持っていくことを学ばないと、手の内がバレバレですよ。

 

「だから深雪さん、貴女に護衛を付けさせてくれない?」

 

この問いに、私は虚を突かれたとばかりに口元に手を当てて、お兄様を窺い見た。

実際はお兄様から怒りの波動を感じて落ち着いて~、と視線を向けただけ。その直後お兄様と視線が絡み合い、ゆっくり目を閉じられたことで思いが通じたみたい。ちょっとだけ怒りが収まった。

だが、それでも彼らを許すかは別問題。

 

「それは、深雪を襲いに来た相手を捕まえる為ですか?」

 

視線を鋭くし、不快感をにじませた声に七草先輩は体を緊張させたが、十文字先輩に動じた様子はない。一条君?腕に力が入ったように見えたから拳を強く握りしめたかな。

彼もこの案に賛成ではないようだったから。

お兄様は十文字先輩、七草先輩に視線を向けた後、狙いを定めたように一条君で視線を止めた。

 

「一条、深雪を囮に使うつもりか?」

「違う!」

 

一条君は椅子を倒す勢いで立ち上がり、抗議をするがそんなことでお兄様は怯まない。

 

「そんな真似はさせない!囮には、俺がなる!」

「囮を使うプランは否定しないんだな」

「!!」

 

一条君は顔に出やすい、というか隠す気が無いのか。しまった!とおっきく書かれている。

まだ高校生だもの、と思うべきか。…交渉ごとに長けている亜夜子ちゃんたちの顔が浮かんだけれど、彼らは四葉の特殊な訓練を受けてます。って、これは十師族にも言えることのはずなんだけどね。誰もこういった特殊なお勉強してこなかったの?そっちの方が心配になる。

 

「吉祥寺あたりのアイディアか」

 

お兄様も一条君がそんな作戦を立てるとは思わなかったんだね。

私を囮にする作戦が有効な手段であることは案として理解するところ。ただ、お兄様は一瞬でそれを抹消しただけで。

だけど妹がそれを無視して実行したこともお兄様はお気づきだ。だからこれは憤りをぶつけるパフォーマンス。見せかけの演技。…うん、そのはず。そこにちょっとばかり八つ当たりが入っているだけ。

 

(…これは、後でちゃんと謝った方がいいかも)

 

今回は何かと私が前面に出て囮になっているから。何度もお前がしなくていいのでは、と苦言も貰ってましたものね。でも、今回の件では私が一番疑似餌に向いておりますので。――決して食べることのできない、イミテーションの餌。それと見せておいて、相手を挑発し、冷静さを失わせ、丸呑みしようとしたところで、そこを銛で付く。伝統的な漁ですね。

お兄様と水波ちゃんは気が気じゃないだろうけれど、私が傷つけられる可能性、原作知識云々という理由だけでなく、黒幕おじさんだけでは不可能なんだよね。

 

(それこそ戦略級魔法が使われたとして、私だけが助かる方法なら、ある)

 

ただし、それはどうあっても私個人だけに適用する裏技的魔法であり、最終手段。

再生を使えるお兄様ならともかく、水波ちゃんを守ることはできない。だから、そんなことにならないように動くつもりであり、今回の事件では戦略級魔法が私に向けて放たれる兆候は政治的観点からありえない。

現状、そんなことをしても魔法師界全体に得が無い。ただ魔法師に不信を抱かせるだけになるから。

黒幕おじさんとしてはそれも悪くない戦法かもしれないが、それでは四葉を窮地に追いやるという目的は果たされない。それに、現時点で彼が戦略級魔法を使える人間とコンタクトを取っている情報はない。

黒幕おじさんを利用しているUSNA軍も、そこまで貸し出す理由はない。

だから狙われたとしても、大抵のものは水波ちゃんで十分防げる。戦略級でなければ彼女の防壁を崩せるものでもない。

お兄様にも分かってはいるだろうけれど、大事なモノを常時狙われ続けるというのは可能性だけであっても不愉快だものね。

帰ったら正式にちゃんと謝ろう、と心に決める。

 

「確かに、一条から自分を囮にしてはどうかの提案はあった」

 

お兄様と一条君の間に漂う緊張した空気を崩すため、会話に割入ったのは十文字先輩。

だけど十文字と七草はそれでは囮として弱いと判断した、と。

まあ、彼らの目的は囮にするだけでなく身辺警護と称して、何か他のことを画策していることはこれまでの流れからして明らかだ。

それは置いておくとして、クリムゾンプリンスとして名の知れた、実戦経験のある一条君では囮には不向きなだものね。

 

(うんうん、わかるよ。だけどねぇ…)

 

自身の考えに囚われているからだろう、彼らは気づいていないようだ。

とっくの昔にその段階は通り過ぎていることに。

 

(今更こんな種明かしが必要になるとは、と思わなくもないけど、隠すことでもない、か)

 

お兄様と一瞬だけ視線を交わして十文字先輩の提案を聞く。

 

「四葉の次期殿に護衛を付けるに当たり、テロの一味を捕らえて黒幕――顧傑の隠れ家を突き止める手掛かりにしたいという思惑も確かにある。しかし、それが主な目的ではない。護衛はあくまでも、次期殿をお守りするためのもの。お前が捜索に専念できるようにと七草が考えたことだ」

 

ちゃっかり七草先輩がお兄様を気遣って、という点を織り込んでいるのは――十文字先輩の発案じゃないんだろうな…。なんというか、先輩が私のことを次期殿、と呼んでいる時点で先輩の考えではないように思う。これは勝手な希望的観測だけど。

とりあえず、三人の意見はわかりました、と頷いて、淑女の笑みを以て返答する。

 

「一条さんのお心遣い、そして先輩方に気にかけていただき大変喜ばしく思いますが――わざわざ今回のことで囮に立てなくてもその立場であることは承知しておりますので、現状のままで構いません」

「…それは、どういうことだ?」

 

十文字先輩の深い、良いお声が響く。うん、端的に感情を抑えて話すこっちの方が先輩らしい。

 

「先ほども述べましたが、箱根のテロの一件で私はメディアに露出しました。いくら未成年だからプライバシーを守る為にと情報をぼやかし、直接的に身元が特定されそうな情報が見つかれば削除される措置が取られていようとも、一度目についたものは消せません。テロの当日には一高の生徒だと判明しておりましたので学校に非難の電話が殺到していました。九校戦の記録は現在一時的に閲覧が不可能になりましたが、すでに私の魔法を見たことがあれば結び付けることは容易でしょう。印象に残る試合をした自覚はあります」

 

つまり、テロの一件で表立ち、メディアに映った時点で私は囮になっていた、ということ。

そうすれば他の魔法師に嫌がらせが集中しにくくなるだろうという思惑もあった。

その分一高生徒には随分肩身の狭い思いをさせてしまったが、思ったよりも誹謗中傷が向かなかったのはその後のメディアの対応が悪い方に傾かなかったから。警察の対応が早かったことも好材料となった。

やっててよかった事前準備、だね。

 

「そんな!では司波さんは…」

 

ええ。とっくの昔に囮になってましたよ。しかも自らの提案で。だからこそお兄様がずっと憂いておられたのだ。

 

「ですので今から護衛を付けたところであまり大差は無いかと思われます」

「でも、今回狙われたわ!反魔法主義者に逮捕者が出たことで報復に来るかも――」

 

七草先輩は善意で護衛を付けることを勧めてくれているんだろうけど、実はここに私の最大の疑問がある。――いい機会だし、突っ込んでみよう。

 

「七草先輩は、ご実家の戦力をどれほど把握されているのでしょうか?」

「…え?」

 

虚を突かれ、勢いを失いきょとん顔になる先輩。美人さんですね。素の表情だとより飾らない美しさが伝わってくる。

 

「護衛を付けて下さるということですが、その方はどれほどお強いのです?」

「それ、は…父が選りすぐりの護衛を選んでくれるはずだわ。ご存じだろうけど、うちには人材が豊富だから」

 

数の七草、だからね。

お兄様と顔を見合わせて、――やだ、お兄様の冷笑に心臓が痛いくらいに騒ぎ出す。お止めください。これで色気まで滲ませられたら呼吸が止まります。深呼吸深呼吸。淑女の仮面が崩れていないことをしっかり確認して。

 

「私の傍には護衛として水波が控えております。彼女の防壁は、少々自慢となりますが十文字家と並んで遜色も無いほどだと思っております」

「それは…随分大きく出たわね」

 

一応主人らしく水波ちゃんをこの場だけ呼び捨てにする。

ですからお兄様、ずるい、という視線は向けないでください。一時的のものなので。

水波ちゃんが護衛だということは彼らもわかっていたことだろうが、まさか十師族と並ぶほどの実力があるなどとは流石に信じられないらしい。困惑が見えた。

九校戦でも目立ったように見えなかっただろうからね。それでも優勝しているのだから十分優秀だとわかると思うのだけど。防御系って派手じゃないから。

 

「彼女がいれば銃火器だろうと魔法による業火の炎だろうと防げるでしょう。そしてその一撃を防げたなら、私の魔法が他を沈黙させられます。これまでそのような場面に遭遇したことはございませんが、それだけの訓練をあの子は積んでおりますので。いざとなれば命を賭して私の盾となり、守ろうとするでしょう」

 

そんなことは絶対にさせないけどね。忠誠心の強い彼女にはそれだけの覚悟がある。

そうならないようあの子には強くなってもらうと約束してもらったから、彼女はこれからも努力を続けるだろう。

私にはもったいないくらい真面目で可愛いハイスペックな護衛です。

だからね?

 

「七草先輩の護衛はどのように守って下さるのです?」

 

銃弾は防ぐことができますか?多重魔法を一度に受け止めることができますか?毒ガスなどへの対策は?

これらが一般魔法師に同時に展開できるわけがない。

水波ちゃんは特化型。守ることを最優先に作られた調整体。そうあるように求められた者。

 

「素手で向かってくる男たち10人にどう立ち向かいます?キャストジャミングを受けた場合は?」

「そ、それなら軍を経験している護衛もいるから魔法を使わずに対処できる、はずだけどキャストジャミングなんて…アンティナイトはただでさえ貴重なモノなんだからそう簡単に手に入るわけが――」

 

そうだね。でも悪い人たちの手には結構この手のアイテムが渡りやすいようですよ。軍でも当然確保しているしね。USNA軍なんて新型のキャスト・ジャマーなるものを開発したみたいだし。CAD妨害装置なんて厄介なモノを作ったものだ。

CAD不要の魔法を持っているお兄様と私には無意味だけれど。

 

「水波一人なら、私は彼女をカバーしながらこの敵を退けることが可能です。今回はあの子が私の憂いを無くすために泉美ちゃんと被害に遭っていた女子生徒を遠ざけ守るよう動いてくれました。ですが、私を守ろうと知らぬ他人に周りを固められ、自由に動けなかった場合、逆に人質を取られた不利な状況になります。私は未熟なので護衛の方を見捨てて逃げることにためらいを覚えます。そこが大きな隙に繋がるかもしれません。しかも、それが借りを作れない七草家の方からお借りした護衛ともなれば、更に難しくなるでしょう」

 

そもそも護衛を貸し出すのが七草という時点でアウトだ。叔母様が許すはずがない。許したとしたらそれは何かを企んでいる時だ。

七草先輩が最後の言葉に顔をしかめ何かを言い募ろうとしたのを、今度はお兄様が手を上げて止めた。

 

「深雪が言えないようなので俺の口から言わせてもらえば、はっきり言って中途半端な実力では護衛として力不足なんです。以前お会いした名倉さんという護衛の方が居ましたね。あの方は隙の無い方でした。実力のある方だったのだと見ただけで思わせる、優秀な護衛だったのかと思います。あの方レベルが七草にはどれほどいるのか、七草先輩は把握されていますか?」

 

弱い護衛を付けられては困る、そちらはどれだけの人材を派遣できるのか、それを七草先輩は把握できているのか、と。

以前聞いたところによれば七草先輩は名倉さんの魔法を見たことは無かったような話しぶりだった。得意魔法を少し話した程度。だから実力は知らないのだろう。あの人レベルって名倉さん有能だったから、恐らく難しいだろう。

七草先輩は答えに窮してしまった。

というか、あれだけ優秀な人材を切り捨てるって上司としてどうなのか。叔母様との因縁以外にも当主のことを個人的に嫌いになりそう。

ちなみにお兄様はすでに名倉さんの生存を知っている。驚かれていたけどね。でも逆に納得もしていた。死んだはずなのに針の念がはっきり見えたから、と。

ごめんなさい、それは原作でもあったので「要因」は違うと思う。本人も死んだ気でいたし、しばらく仮死状態ではあったから。結果オーライってことで。

 

「お兄様、七草先輩は次期当主ではございませんよ。知らなくても仕方のないことなのかと思います」

 

戦力を把握してなくても無理はない、と援護すれば、そういうものか、と引き下がった。

結局のところウチはウチ、余所は余所である。…それにしても同じ枠組みなのに差が大きいが。

七草先輩も先ほどより小さくなったように思う。自分の家のことを知らないと指摘されるのは恥ずかしいことだものね。…わかってて煽りに行きましたけど。

だって、ちょっと腹立たしかったのだ。私の護衛が頼りなく見られたことが。

私の護衛は一流なのに!ちょっとおこでした。

さて、もうお腹もペコペコですので話しも戻しましょう。

 

「話を逸らしてしまって申し訳ございませんが、そういった理由も含め、私の護衛は今のままで十分なのです。囮としての本分でしたら今回捕らえられた人間主義者と、四葉の方で追っております古式魔法師で多少進展があるかと思われます。――それよりも問題なのは、今回狙われたのは私だけではなかったことです」

 

そこでひたっと七草先輩を見つめれば、あら、思い当たるところが無さそう。妹さんから一体何を聞きました?彼女のことだから今回のことはかなり大げさに賛美の嵐だったと思うけど。ずっとお目目キラキラさせてましたものね。

それとも、そんなにお話する時間が取れなかったかな。彼女も学校で事情説明をしていたから。

それなら説明が漏れても仕方なかったかも。

 

「泉美ちゃんを見た時、彼らは「生徒会副会長の」、ではなく「七草家の」と言いました。我が四葉の情報こそ漏れておりましたが、十師族をある程度把握されていたということです。その上で襲おうとしていたのですから、力量関係なく魔法を行使させるつもりだったのか、はたまたか弱い女の子に見えたから襲い掛かったのかは分かりかねますが、そうなると大学に通われている先輩方も注意が必要かと思われます」

「私!?私は大丈夫よ!」

 

十文字先輩を見ることなく先輩を凝視してましたから自分が心配されていることが分かったのだろうけど、その即答…一体その自信はどこから来るのかな。

 

「魔法が使えない場合、先輩はどれほど逃げ切れますか?」

 

この質問には顔を青ざめさせた。先輩は完全魔法特化ですものね。魔法の実力はあっても接近戦は想定してない。

 

「…ある程度護身術は学んだけど」

 

やっぱり七草でもそういった教育はするんだ。ちょっと安心。そういえば香澄ちゃんもお兄様に出合い頭でフライングニードロップかましてましたものね。なにかしらの格闘術の心得があるのかもしれない。…護身術でフライングニードロップを学ぶ必要があるのかわからないけど。

 

「確かに七草も護衛が必要だな」

「ちょっと、十文字君!」

「七草の技量を疑うわけではないが、万が一ということもある」

 

うんうん、十文字先輩と七草先輩のこのやり取りは見ていて心が落ち着くなぁ。一年の頃に戻った気分。

お兄様もそう思った――わけでは無さそうだね。でもひと段落ついたか、と肩の荷を下ろした感じか。

ようやく夕食にありつけそうです。…長かった…。

 

 

――

 

 

運ばれてくるコース料理に舌鼓を打ちながら食べている間、話を回すのは七草先輩。

相変わらず切り替えが早く、場の空気を自分の土俵にするのがお上手。すっかり彼女のペースだ。

話す内容は…妹の暴走について。

今日の件では時間が無くあまり泉美ちゃんの話を聞けなかったそうだけど、端的に概要をメールにまとめて送ってもらったから大抵は把握できたそう。

その後無事な声だけでも聴きたいと、メールの直後に音声電話のやり取りをしたら、もう出るわ出るわ。私の賛辞が止まらなかったらしい。

…予想はしてましたけどね。彼女も興奮してたから。

一条君はその話を冒険譚を訊いている少年のように目を輝かせながら聞き、十文字先輩は時折重低音を響かせる相槌を打つのだけれど、「ほう」と「それで?」の繰り返し。もしやbot化されてます?

お兄様はと言えばこっちも食べるか?と私の好物をひと切れ切り分けてお皿に乗せてくれた。…お兄様、もう少し七草先輩のお話に関心を持たないと、叔母様からの任務に支障が出ませんか?

でも七草先輩も気にした風もない。もしや、ミーティングはいつもこんな流れです?

 

「この間なんて、どうして深雪先輩は私のお姉様ではないのでしょう?なんて聞かれたのよ。あの子のお姉ちゃんは私なのに」

 

あ、これは愚痴られてますね?いつの間にか話が今日だけのことではなくなっていた。

というかその件につきましては私も疑問です。どうしてお姉様になってほしいんだろうね。理想のお姉様って何?わかるようなわからないような。オタクも畑違いになると理解は難しい。

お姉様キャラも大好きですけどね。それで言うと深雪ちゃんってしっかりしているところだけを見れば憧れのお姉様に見えなくも、無い?でも彼女は妹キャラだから。お兄様至上主義。

 

「そういえば先輩。泉美のことですが」

 

あら、お兄様が自分からお話に加わりに。泉美ちゃんのこと?なんだろう。

 

「彼女から求婚されましたが、七草家ではどのような教育をされているのでしょう?」

 

……

………でっかい爆弾を通常のテンションで投げられましたね。

全員被弾しましたよ。

あの十文字先輩も驚かれてます。

 

「……ごめんなさい、達也くん。よく聞き取れなかったのだけど」

 

七草先輩、動揺のあまり手に持つグラスから水が零れそうですよ。典型的な動揺描写に使われるものをリアルで見ることになるとは。

それに対しお兄様は淡々と。ええ、淡々と。

 

「泉美から求婚をされました。当然婚約者がおりますので断りましたが、一条の件でこれ以上横槍を入れてくることは無いかと思ったのですが、これは七草家の意向ですか?」

「そんなわけないじゃない!」

 

流石にお嬢様だけあってグラスを机にたたきつけるようなことはしなかったけれど、音を立てずに机の上に戻すと頭を抱えられてしまった。

そうだよね。立候補するなら先輩の方ですものね。…と、これは私の妄想の中の話だった。

七草家は当主だけが乗り気ではいたはずだから意向としては間違っていないと思うのだけれど、先輩は意識しかけたばかり。父親の思惑に乗ることに元々抵抗があり、双子は姉に打診が行くこと自体に不満な上、相手がお兄様だったことにも不服だった…はず、なのだけど。

どうやら原作とは違う流れがあった模様。

泉美ちゃん、お父様に立候補しました?…確か弘一氏は末娘をかなり溺愛していた印象があるから、ダメージ受けたんじゃないかな。予期せぬところで報復が発動していた可能性が。

 

「でしょうね。ですが、あまりそのようなことを七草家令嬢ともあろうお嬢さんが口にすべきではないと思いましたので。先輩の方からもよろしく伝えておいてください」

「……わかったわ」

 

お兄様はあくまで正論をぶつける形で、これ以上のちょっかいを封じ込めようとしているように見受けられますねぇ。

妹が作った隙を突く形で姉のアタックもけん制する狙いです?

七草先輩、顔色が悪くなりました。妹の不始末に頭を悩ませてしまったか。

ここで「どうしてそんなことに!?」と取り乱さない辺りお兄様に求婚すること自体は意外だと思われてないみたい。冗談半分だったのだけど本当に七草家でそういったお話でも出ました?その様子、ちょっと見てみたかったかも。

 

「…司波のどこにそんな魅力が…」

 

おっと、こちらは一条君の呟きだ。

彼には七草の思惑とかそんなことは頭にないみたいだけど、聞き捨てなりませんね。お兄様にはたくさんの魅力があるのですよ。

お兄様がどれだけ素晴らしい方か妹の責務として少しでもお伝えせねばと口を開きかけたところで一条、とお兄様の声が。

 

「言っておくが彼女の目的は俺ではないぞ」

「なに?」

「泉美は深雪を――深雪の妹の座を狙っている」

「……何だって?」

 

一条君絶句。

うん…本当、なんなんでしょうね。

一条君の頭にはたくさんのはてなが見えるよう。気持ちはよくわかりますよ。

そもそもお兄様と泉美ちゃんが結婚したら私とは義兄弟にはなるのでしょうが、年下でも彼女の方が義姉になるような…。兄の嫁ですからね。

それに表向きでは私とお兄様はもう兄妹ではない。従兄妹同士だ。つまり…彼女の願う姉妹関係にはなれない、のでは…?

七草の中では私たちが従兄妹ではないという確証でもあるとか?…それは無いか。もしそうならきっと七草家ご当主は鬼の首を取ったように曝すでしょうから。

そしてお兄様、この話はそんな深刻そうに話す内容ではないと思います。一条君もつられて顔の影が濃くなりましたよ?このレストランはそういった演出もできるレストランです?

だんだんカオスになってきました。カモ肉美味しい。さっきの魚のスープも美味しかった。添えられているパンも小麦の香ばしさがまた食欲をそそりますね。コースも終盤なのに、美味しくて食が進む。

この後のリゾットと季節のコンポートが楽しみです。

会話には七草先輩も加わり更にカオスな話が展開されたけど、料理が美味しいのでよくわかりません。

 

「美味しいです、十文字先輩」

「そうか」

 

先輩はここ暫く通い慣れているからか、ここのブイヤベースはお勧めだ、と教えてくれた。

今度ここに来る機会は多分ないだろうけど、知っておいて損は無いだろう。他のおすすめ料理などを聞きながらこちらはほのぼのと会話を楽しんで――いたのだけれど。

 

「そうよ!卒業式で十文字君だって深雪さんにプロポーズしてたじゃない!」

 

なにやらやけくそになった七草先輩から飛び火してきました。

何!?と一条君が反応するけど、何もありませんよ。お兄様は――じっと先輩を見つめてますね。

十文字先輩にも焦った様子は見えない。

 

「七草、今回酒は出してない筈だが?」

「よ、酔ってないから!」

「ならもう少し落ち着いて食事をしたらどうだ?俺たちはそろそろ完食しそうなんだが」

 

先輩の声って鎮静効果でもあるのかな。一条君も七草先輩も急激に鎮火していきました。

良かった。これでリゾットが食べられそう。

 

「プロポーズに関してだが、司波たちが婚約者になった今、俺がどうこう言えることは無いな。それに、彼女は四葉の次期殿だ。当主の俺では可能性は無いだろう」

 

……真面目な回答ありがとうございます?

空気が一気に冷えきりましたね。換気でもしたんでしょうか。

 

「先輩と戦わずに済むようで安心しました」

「それとは別件で、お前とは一度対戦してみたいものだがな」

「ご冗談を」

 

うーん、男性たちによる微笑みながらの応酬もなかなか。というかお兄様、私の婚約の立候補者とは戦うおつもりで?原作でも兄の特権として一発殴らせてもらおうとしてましたけど。

そしてこの低音ヴォイス対決に加われない一条君よ…。

 

「先輩、もし私たちの前で我慢されているのでしたら遠慮せず飲んでくださって構いませんよ?」

「……お酒はしばらく控えてるの」

 

もうすでに真面目なミーティングは終わっている。気を楽にして未成年の前だからと遠慮せず、というよりここはもうやけ酒飲んでもいい場面じゃないかな、と提案したのだけど断られてしまった。

でもしばらくって…もしや京都の一件からずっとお酒を断っているの?

パーティーとかではお付き合いもあるから全く飲まないってことは無いだろう。個人的には、ってことよね。特にお兄様の前では飲まないようにしているのかもしれない。

失礼しました。

落ち込む七草先輩を慰めながら、話題を転換。憧れの大学生活のお話を聞かせてもらった。

季節のコンポートは金柑でした。皮の苦みがいい仕事をしますね。甘いのに後味さっぱり。大変美味しゅうございました。

 

 

――

 

 

帰宅するとメイド服を着た水波ちゃんから出迎えをされました。

今日はオールドタイプのデザインを選んだのね。良いチョイス。好き。

ちなみに水波ちゃんのメイド服は私お手製だったりするけれど、その事実を水波ちゃんには伝えていない。こういうものもあるけどどう?と。

買うのもいいけど、デザインがね。定番のメイド服に面白みがなかったので。四葉支給のも良かったけど、どうせなら違うデザインの方がいいかなって。

秘密にしているのは変に恐縮されちゃいそうだからであって、趣味を疑われることを心配してのことではない。

 

「ただいま、水波ちゃん」

「おかえりなさいませ、達也様、深雪様」

「ただいま。何か連絡は入っていないか?」

 

お兄様の問いかけに水波ちゃんは急ぎの用件が四葉から一件、急ぎではない報告三件、学校から一件あると答え、リビングへと移動。

ジャケットを脱ぎ、首元を緩める姿にこっそりと見惚れつつ、アクセサリー等の小物を外す。

そして、ソファに腰かけその情報に目を通したお兄様は閉眼し――片手で顔を覆った

 

「――ターゲット、ロストですか」

「俺が深追いしたのが原因だな…」

 

お兄様の気落ちした声に心が痛む。そっと寄り添い手を重ねるが、流石のお兄様もすぐには立ち直れないご様子だった。

 

(四葉の偵察部隊でも無理だったか)

 

仕方ないよね。

ちなみに軍の方も稲垣・千葉両名にかけていた魔法が解けていないことは確からしいが、行方が追えないとのこと。鬼門遁甲術は本当に厄介だ。

とりあえずかけておいた魔法が解けておらずプロテクトできた状態なのが救い。でも行方を眩ます前に確認した時点で生命反応は無くなって仮死状態らしい。…そこからどうやって普通の生活に戻せるのかな。名倉さんの例があるから軍でもそれなりに対応策があるのだろうか。

一旦お兄様に声を掛けることはせず、報告の続きを促す。

 

「水波ちゃん、学校というのは?」

「はい。一高より緊急連絡として、明日から23日土曜日まで学校を休校にするという連絡がありました」

「…随分急ね」

「だが二高に続いてだからな。この措置もわからなくはないが」

 

お兄様はちゃんと水波ちゃんの報告が聞こえていたようで反応を示したが、お兄様からしても急な決定に感じられたようだ。

それから報告書に目を通す。

捕えられた人間主義者たちは素直に取り調べに応じているらしく、本人たちは教義を信心していたつもりだが、今になって思えば、自分の正義を振りかざすことで鬱憤を晴らしていたように思う、というような趣旨の供述をしているらしい。

だが、入信した経緯やその後の集会の話を聞き、彼らは集団催眠に掛けられていた可能性あり、というのが警察の見解となっているようだ。

彼らはまずセミナーを受け、自分たちの行いは正義だと刷り込まされ、力を揮うことは神の意志を守る行いだと信じ込まされていた。これはよくある霊感商法等を代表とする詐欺の手口と変わらない。

ただ違うのはお金の搾取が行われているわけではなく、自分たちの行動が世界を救うことになるという、英雄願望を叶えてくれる居場所になっていたのだとか。

男性ばかりだったのは「君の暴力()が必要だ!」ということだったから。なんとも選考基準が分かりやすい。

ただ、リーダーの男は彼らたちと違い、本部に呼ばれるエリートだったらしい。リストバンドの意味も知らず、アレを付けることは一種のステータスのように考えられていたそう。

そのリーダーの男だが、彼はまだ意識が戻っておらず、精密検査したところ酷く衰弱していることが確認され、魔法的な検査を受けた。

検査の結果、魔法的洗脳が施されたと思われる形跡が見つかり、SB魔法の器として利用されたことの副作用か、古式魔法風に言うところの精気が生命を維持するギリギリまで失われ枯渇状態になっているのだとか。

 

(心の隙間に入り込んで洗脳して駒にする――周の手口と同じ)

 

周であれば魔法の痕跡など出なさそうだが、別口か、それとも千秋ちゃんのように入念に隠す必要が無かったのか。

 

(エガリテに関しては手駒を『量産』していておかしくないから、そこまで『手心』を加える必要性も無かったのかもしれない)

 

次の報告は殺された近江のこと。

現場のことが詳細に書かれているが、今後の捜査に関わりそうな物は何も残っていなかったそうだ。今回はジェネレーターすら残っていなかったらしい。あの男ならそのまま近江の死体も加工しそうだったが、その時間すら惜しかったのか。もしかしたら、お兄様の眼が向いたことで足がつくことを恐れたのかもしれない。

そして、最後の報告は――…可愛らしい便箋ですね?ファンシーな縁取りの、ピンクの用紙でウサギさんの描かれた女子小学生が喜びそうな一枚の便箋には、一言。

 

――首謀者は耳を失ったようですので、どうぞ気楽に電話なさって?――

 

(………叔母様、遊び心がありますねぇ…)

 

この便箋、葉山さんがご用意したのだろうか…?深く考えない方がいいね。

どうやらフリズスキャルヴが使えなくなったことが叔母様の耳に入ったのか、はたまた試しに通話記録を残させ、それを利用する動きが見られなかった確認が取れたか。

 

「自由に電話ができるようになるのは有難いですね」

 

手紙の件には一切触れず、これで連絡が早くなる、と口に出せばお兄様からもそうだね、と返ってきたが…声は通常に戻ってきたけれどまだ心は通常とは言い難そうだ。瞳にいつもより光が少なく見える。

またもそっとお兄様の膝に置かれた手に手を重ねると、お兄様は眉を下げながらも少しだけ口角を上げてくれた。

色々と考えるうちに冷静になって他を考える余白だ出来てきたかな。

こんなことでも気分が少しでも浮上してくれたなら嬉しいのだけど。

 

「ですが、明日から休校なのですか…困りましたね」

「どうした?」

 

水波ちゃんに視線を向ければ彼女も思い当たったのか同意の視線を向けられた。

 

「学校に戻る途中であの騒動でしたので、私物を置いたままなのです」

「なら、明日取りに行こう」

「閉鎖しているのに行って入れさせてもらえるでしょうか?」

「私物を取りに行くだけなのだから大丈夫だと思うが、入れなかったらその時は諦めもつくだろう」

 

やらない後悔よりも、ですね。

ただ――原作では教室に取りに行くことで一条君と会う流れになるのだが、私と水波ちゃんは生徒会室に私物を置いてある。だから会わずに終えることもできるのだが。

 

(あのイベントっていまいち何のためにあったのかわからないんだけど、一条君的には顔を見せた方がいいのかな)

 

アレがあったから三高が一日遅れで休校になることを知り、その後来る四高の黒羽姉弟に驚くことになるのだけど、そのためだけのシーンだった、なんてことはないよね?

一応このプチイベントも達成すべきなのか悩みつつ、今夜はもう何もせずうちで過ごそうという話に落ち着いた。

もう時刻も22時を過ぎているしね。これ以上働くのは良くない。お兄様も今日ぐらいゆっくり休んで。

 

(そしてこのまま何事も無く次の日になって、それで――)

 

その後すぐに解散となり、お風呂に入ったり手入れをしていたらあっという間に日付が変わる頃になっていた。

机に乗せたお母様ぬい(シスターコスver.非売品)に祈りを捧げていたのだけれど、やはり無駄な足掻きだったようだ。

 

 

――

 

 

「深雪、少しいいか?」

 

ノックの後に続けられた言葉に、少々お待ちくださいと答えて一度お母様ぬいを抱きしめてからそっと箱に戻し、厳重に隠してからお兄様を出迎える。

恰好は当然ネグリジェなんかではない。色気のない普通のパジャマ…なんだけど、深雪ちゃんが着るとそれさえも危うく見えちゃうのは何でだろうね。私の目が悪いのか、それともこのボディが完璧すぎるのか。上からカーディガンを羽織って迎え入れる。

 

「どうぞ、お入りください」

 

ドアを開け、入室を促すと少しのためらいも無く悪いな、とこんな時間に訪れたことを詫びながら自然と中に入られた。

私の腰を支えるよう手を添えてベッドに近寄り――二人して腰を下ろす。

余りのスムーズな動きに目を白黒させた。

 

(んん?…お兄様にためらいが見られないのは、ネグリジェじゃないから、か?)

 

本来であれば近寄ることも無く、お兄様はドアに凭れてこのように触れ合うことなど無かった。

お兄様とベッド、というだけで心臓が激しい音を立てているけれど表情はどうしたのです?と不思議そうな顔で見上げられているはず。

お兄様もあんなことがあって今夜は流石に怪しい雰囲気を見せることは無いのだけど、…迷い?のようなものが見える気がする。躊躇しているような、そんな雰囲気だ。

 

(…お兄様でもこれは平常ではいられないのかも)

 

原作ではまだ妹としか思っておらず、それでも『眼』を離す恐怖から、あのような行動を取るしかできなかったことに頭を悩ませていたお兄様。

かなり葛藤されていたように思う。いつもの眼で視る情報を深雪ちゃんを抱き込んで五感全て感じることで補い、リソースを首謀者探索に割くことができると考えた苦肉の策。

そう、苦肉。お兄様自身そのように妹に触れることに罪悪感を覚えないわけがない上に、お兄様にとっては大事な妹を辱めてでも、このような策を取らなければならなかったことも悩まれたはずだ。何も自分のことだけで悩まれたわけではない、と私は思っている。

だが、現実のお兄様――今お隣で腰を抱きながら私を見下ろしているお兄様は、私のことを異性として見てくださっていると言う。私を好いてくださり、婚約者であることを受け入れているお兄様。

こうして触れることも躊躇わず、むしろ触れ合うことで愛情を示していると公言し実行しているお兄様には、原作のようなハードルは低いのではないかと勝手に想像していた。現に、明日のことを考えて離れるでもなく、このように隣で密着している。

でも、違う形で迷われてはいる。…触れるにしても好意を伝えるというより、不安からくる触れ合いのような感じだ。

原作とは違う流れでここまで来たことで、別の種類の葛藤が生まれているのだろうか。

 

(…それもそうかも。今日だって、お兄様に原作とは違う心配をかけた)

 

お兄様のいない場所で矢面に立ち、敵意を一身に受け、たった一人で立ち向かった。

しかも相手はハンドガンであっても、銃火器を持っていて、私に向けてきた。

お兄様のトラウマを刺激するには十分な材料が揃っていた。

それを初めからわかっていたのに、私はお兄様を遠ざけ、極力魔法を使わないようお願いして。

 

(辛い思いをさせてしまった)

 

今日だけではない。この、私が表に出て囮になる作戦を実行してからというものずっと、お兄様を不安にさせてしまっていたのだ。

 

「お兄様、申し訳ございません」

「…それは何に対しての謝罪なんだ?」

「私には、水波ちゃんが居て、お兄様が『視』守ってくださっていて、四葉の護衛も控えているからあの時(・・・)のようなことにはならないという自信がありましたが、常時見守ってくださっているお兄様には辛い記憶を呼び起こすものでありました」

 

重ねて謝罪をすると、お兄様は無言で目を閉じ、腰から手を離すと足の上で手を組んで項垂れた。

 

「最小のリスクで最大の成果を得る。…わかってはいるんだ。深雪が昔のように傷つくことがないのも、今回の敵が真正面から攻撃するのではなく情報戦で追い込んで来ようとしていることも。だが、その最小のリスクとして深雪が囮になっている――このことが、俺には耐えがたい」

 

俯いているので顔を窺い見ることはできないが、妹には見せられない、見せたくない表情をされているのだろう。

今の私では、支えてあげることが許されない。

 

「…申し訳、ございません」

 

何度謝っても許してもらえるものではない。

だが、それでも実行するだけの価値ある作戦だった。

 

(すべてはお兄様の今後をもっと明るく照らすために)

 

お兄様の幸せのためにお兄様を不幸にさせてしまう、このジレンマ。

だけどあの未来を知ってしまっている自分には、この作戦の生み出す結果がもたらす影響は魔法師の未来をあそこまで悪くせずに済むはずだ、と思えたから。

 

「ごめんなさい、お兄様。私はお兄様を幸せにしたいと言う口で、お兄様を苦しめてしまいました」

「…それは違うよ、深雪。お前がそうやって悲しそうな顔をする時は決まって、俺の為なんだろう?…情けない。国一つ沈める力を持っていても、俺にはお前の安全を遠くで見守ることさえ難しい」

「そんなことはございません。お兄様のお力は私を守ってくださっています。…私の方こそお兄様を頼りすぎて迷惑をかけてばかりで」

「いつも言っているだろう?お前に掛けられる迷惑なら構わない、と」

 

少し顔を上げて苦笑してみせるお兄様に、胸が締め付けられる。

お兄様の私を思う気持ちがダイレクトに伝わって、苦しいくらいだ。

 

(もう少し、もう少しだけ我慢させてしまうけれど――)

 

ここを乗り切れば、魔法師の未来が少しでも変わるはずで。

お兄様を取り巻く環境も変わるはずだから。――そう、なるように動いてきた。

少しずつ世界は変化していて、原作とは違う流れもある。

強制力が働いたとしても、少なくとも原作のような孤立なんてさせない。

互いに無言で、視線も合わせないでしばらく。心が落ち着いてお兄様に顔を向ければ、また何かを悩まれている表情に戻っていた。

きっと明日のことをお考えになっているのだろう。

お兄様の中で明日を決戦日にするつもりだから。

――リソースさえ割ければ首謀者を補足できる確信があるのだ。

そして補足さえできてしまえば一気に畳みかけられる。

だが、その肝心のリソースを集中させることができるのか――私から眼を外すことができるのか自信が無いのかもしれない。

ただでさえ無茶をしたから、余計に眼を離したくなくなっていてもおかしくない。

原因が、私のやらかしにあるとして、

 

(…どのみち、ここまで来たら私ができることは一つだけだ)

 

お兄様の支えになりたい。

…違うね、お兄様の枷を外す手伝いをしたい。

そのための協力を惜しむことなどありえない。

ここに至らなければ、なんてIFはもう考えても詮無いこと。私の羞恥なんてお兄様の苦しみに比べればなんてことはない。

 

「お兄様、お話し下さい。何か悩まれているのでしたら、一緒に考えましょう?」

「……すまないな」

 

気を使わせてしまった、とお兄様は謝罪されてからひたり、と視線を合わせて。

 

「明日、俺はこの件を決着させるため、顧傑を捕捉しようと思う」

「はい」

「だが、そのためには…俺一人ではどうにもできない問題がある」

「はい」

「だから、お前に手助けをしてもらいたい」

「はい!」

 

その一言は私を一気に高揚させる威力のある言葉だった。

お兄様のお力になれるならどんなことでも!何を求められるかわかっていてもお兄様から頼られるというのはそれだけで喜びを抱いてしまうらしい。

私の反応に、お兄様は困ったように、それでいて口元を綻ばせながらありがとう、と口にされた。

一拍置いて今度は申しわけ無さそうに躊躇いがちに告げるのは時間のこと。

 

「それで、なんだが…、明日は早起きしてほしい」

「何時をご希望ですか?」

「四時に、地下の実験室まで来てほしいんだ」

「まあ…ではお兄様も早く寝ませんと」

 

心配する形の了承の言葉にくすり、と笑い力が抜けたお兄様はそうだな、と今度は大きく息を吐いてから。

 

「来る前に、シャワーを浴びてほしい。それで、」

 

ここで言葉を一旦切り、感情をすべて消し去った表情になり、姿勢を正して。

 

「身を清めた状態で、服はガウンと下着――いや、水着を着てきてくれ」

「――かしこまりました」

 

大げさだろうが胸に手を当て、頭を下げて了承の旨を伝える。

俯いた顔には隠し切れない羞恥に歪んだ顔があった。襲い来る羞恥にぎゅっと目を瞑って、顔もきっと真っ赤になっている。

心臓は暴れまわり、痛いくらいだ。

だけど体が震えないよう全神経を集中させて堪えていた。淑女の矜持が最後の一線を守り抜く。

たとえこの後にあるだろうお兄様の恥ずかしそうに視線を逸らす顔を見逃すことになっても、平静を装わなければならなかった。

 

「説明はすべて明日、その時に話す。…無茶な頼みをして悪いと思うが」

「いえ、それがお兄様にとって必要なことなのでしょう?でしたらそれに従うまでです。――お兄様、」

 

全神経を集中させて最短で顔を構築し直し、淑女の笑みを以て応える。お兄様の妹であることを誇りに思いながら。

 

「私を頼ってくださりありがとうございます。お力に添えるよう明日に備えます」

「…ああ、よろしく頼む」

 

手段こそ羞恥を喚起させるものではあるが、お兄様がされることはとんでもない魔法(偉業)だ。

人に教えることも憚れる「直接相対した人間の因果律を辿り特定、そしてマーカーを打ち込み地球上どこにいても逃さない」魔法など、それはもう人の領分を超える能力と言っていい。ひとつを極めることにより至れる境地。

――そこへ至る方法を導き出し、実践に移すことができる。

魔法は何もしないで勝手に使えるものでは無い。感覚的に掴める、ということはあっても大抵の魔法は定義をしないと使えないものだ。

そして、使い方を考えるのも本人次第。

一般魔法師は既存の魔法式に当てはめて使う。そこから自分に合ったやり方を見つけるか調整したりして個性を作って伸ばしていく。

だが、お兄様はその魔法式を新たに生み出す。目的のために今ある魔法式を参考に未知の魔法を創造する。

一生に一度、それができれば優れた魔法師として名を刻めるだろう。それほどの功績をお兄様はいくつも成し遂げてきた。

いとも簡単に、事も無げに、と形容を付けそうになるが淡々に熟して見せてもその功績は並大抵ならぬ努力によって生み出されている。

偶に片手間のようにおもちゃだと言って作ってくれたりする物もあるけれど、それだってこれまでの経験があるからこそできること。

お兄様は、本当に、讃えられるべき優れた魔法師なのだ。

これを誇らずにいられるだろうか、いや、無い!

 

(お兄様はもっと讃えられるべき方なのだ!)

 

本人は周囲の反応などどうでもいいようだが、原作の深雪ちゃんがそれをもどかしく思う気持ちは共感する。

これほど優れたお兄様が日陰者のように扱われたり、二科生と見下されたりしたらそれは氷の女王も降臨する。なんと愚かな人間ども!と憤りを感じるのももっともだと思う。

だけど、お兄様の望みを知っている。私の傍で守護できること。それがお兄様のささやかな願い。

だから自分の周辺が騒がしくなることは望んではいない。それでは傍で守ることができなくなる。

お兄様の天秤はいつも妹に対して大きく傾いているから、自分の称賛なんて必要としない。

功績を讃えられ立場が変わり、傍にいられる時間が減るのであればそれは不利益となる。お兄様にとってはただの迷惑にしかならない。

…それが、酷くもどかしい。

自分のせいでお兄様がもてはやされる機会を奪っている。

改めて司波深雪という立場の辛さを実感する。

愛する人が正当に評価されない世の中が憎い。

本人が称賛されることを放棄してまで傍にいてくれることが、嬉しい。

称賛されて欲しいと思うのに、自分が原因になっている現実が心苦しい。

お兄様が公の前に出るまでずっとこの葛藤を彼女は抱き続けていた。

 

(それを思うと私はその重責から逃れているのよね)

 

お兄様が望んでいることではないから、今はこうあった方がお兄様も楽だろうから。

お兄様の幸せだけを考えて、未来のために環境を整える。そのことに邁進してきたから現状の幸せに浸ることに罪悪感を覚えることが無かった。

原作の深雪ちゃんのようにはなれないし、ならない。

根本が違うから、同じにはならないのだ。

 

(同じ未来では転生した意味がない)

 

お兄様には原作に無い、新たな世界を歩んでもらいたいから。

だけど偶にこうして深雪ちゃんとの差を考える。

あの時深雪ちゃんならどう考えていたんだろう、と。そしてそこからお兄様のお考えがどうだったかのヒントを得るのだ。

例えば、つい先ほどのガウンに水着で来てほしいと言われた時、彼女は何を思ったか。

この先を知らなかった彼女は一体何を想像しただろう?

早朝にガウンに水着、もしくは下着。その上シャワーを浴びてこい、なんて条件も付けられて桃色の妄想が過るのは、健全な高校生なら無理もないことのように思う。

でも、場所が地下の実験室であり、目的は人の探索ということも分かっているはず。…ただ、何が行われるのかが結び付かない。何故そんな恰好である必要があるのか。

 

(…その場で脱がせる、ではだめな理由がお兄様にはあった)

 

服を脱ぐよりガウンの方が一枚で済むから、とかそんな理由だけではないのだろう。身を清めて、ということは一種の儀式みたいなものなのかもしれない。

…CADの調整と同じ恰好と伝えた方が深雪ちゃんには動揺は少なかったはず。だが、お兄様には下着姿を『見ること』はぎりぎりセーフであっても『触れること』はアウト認定だったから水着を指定した。

…下着も水着もそう大差ないけど水着は娯楽で身に付けるモノだから。用途が違う。

 

(なのに原作の深雪ちゃんが下着姿で来たのには、お兄様もかなり驚かれていた)

 

着替えさせる時間が無かったとは思わないが、妹の様子に冗談で着てきたわけではないことを読み取っただろうお兄様は、結果下着姿の妹を抱きかかえ、首謀者を探索しなければならなくなったのだが――よく集中できたよね。

それだけお兄様の中のプロ意識が仕事に集中させたのか。事件解決が急務だったから。…でもその後は視線を向けることもできないくらいには意識していたんだよね…。

 

(それもそうか。いくら妹とはいえ人類皆虜にする絶世の美少女であり、己への好意を隠すことなくぶつけてくる相手――しかも自分が唯一感情を揺さぶられる相手――に身を委ねられてしまえば、いくら鋼の精神を持っていたとしても熱で理性も溶かされてしまうだろう)

 

…お兄様、よく耐えたよ…すごい。

きっとものすごく様々な葛藤や自己嫌悪などに襲われたことだろう。

兄妹愛しかないと思っていたお兄様にとって妹が性の対象になるなんてあってはならないことだっただろうから。

あの時のお兄様には同情を禁じ得ない。

 

「――どうしてだろうな」

「?なにか、ございましたか?」

 

ハッと気づくとお兄様が瞳を揺らしてこちらを見つめていた。

いくら頭の回転の速い深雪ちゃんとは言え思考の海に潜りすぎた。

反省しつつ見つめ返すと、向けられているのはここ最近よく見られていた、あの目をされていて。

 

「視線も合っているのに……いや、何でもない。明日も早いのに長居をしてはいけないな」

 

気になるが、確かに明日は早い。この辺りで切り上げないと辛いだろう。

四時に準備を整えて地下へ、ということはつまりその前には起きてシャワーを浴びなければならないのだから、三時には起きたいところ。

 

「おやすみ。…今夜のキスはお預けだな」

 

眠れなくなったら困る、とお兄様。

…調子を急に戻さないでください。相変わらず妹の心臓に負担を掛けるのがお上手。

言いながら名残惜しそうに頬から顎にかけて指を滑らさないでいただきたい。それだけでも十分刺激的だということを知ってほしい。

立ち上がったお兄様に続いて何事も無かった風を装って立ち上がり、おやすみなさいませ、とお見送り。

まだギリギリ日付を超えてない。早くベッドに入って眠ろう。

明日は、忙しくなるのだから。

 

 

――

 

 

目を瞑ったら一瞬だった。

タイマーのおかげでぴったり三時起き。

水着はもう決めている。湖に泳ぎに行った時の、露天風呂に入る時に着用した健康的に見える白のオフショルダーの水着だ。

…下着?お兄様は水着でも大丈夫と思われているのだ。なら動揺を誘わないよう水着で行くべきだ。触れて感じることを求めてるなら下着と面積もほぼ変わらないのだから、こちらで十分目的は達せられるはず。

ワンピースタイプも考えたのだが、どういうわけか不思議なことにあちらよりもこっちの方が健全に見えるんだよねぇ。肌の露出は断然こちらの方が多いのに。スポーティだからかな。

ただ、一点問題があるとするならば。

 

(…前回これを着た時お兄様の呪いが発動したんだよね…)

 

露天風呂でのアレは不運な事故だった。当然だが計画された物なんかじゃない、偶然の産物。ただ――

 

(体力の消耗+ヌルヌルの床=ラッキースケベ発動 はオタクの常識)

 

公式なんていらない小学生の一桁算数並みの問題だったのになぜあの時の私はそれがわからなかったのか。

悔やまれるが、今日はそんなハプニングは起こりようがない。…これ自体がそういうイベントでは?などという疑問は受け付けない。これはお兄様にとって必要な儀式。

 

(触れる以上のエッチなことなど起きるはずがない)

 

大丈夫、と言い聞かせてベッドから降りて水着を用意し、部屋を後にする。

この時のことを振り返れば自分で随分盛大なフラグを立てていたことに気付けるはずなのに…。

睡眠三時間では頭も働かなかったことが悔やまれる――。

 

 

 

 

身を清め、ボディークリームも保湿も何も行わない、完全なる素の状態で水着に着替え、ガウンを羽織る。

…これも不思議だけど、水着の方が露出が多いのにガウンを羽織るとこっちの方がえっちく見えるの、何でだろうね?用途のせい⁇…っていかんいかん、ガウンはルームウェアだ。ちょっと思考がおかしくなっている。

この後に控えるイベントのせいだとわかっているけれど、餅つけ…落ち着け。大丈夫だから。ここで定番のボケを一通りしておけば万事OKだから。ひっひっふー。

吐き出せるもの(ネタ)はすべて吐き出してから死地へ――じゃなかった、お兄様がお待ちの地下へ向かう。

 

(でも、死地って言うのもあながち間違いじゃないよね…生きて帰れるか不安)

 

お兄様とすっ、素肌同士が触れあうのだ。いくら一度…体をその…重ねたとはいえ、動揺しないわけがない。想像するだけで気を失いそうだ。

まだ婚約者になる前、湖にて水着で触れあった時でさえ気を失った。その後お兄様によって男性の体に耐性を付けた方がいいと特訓を受けたけど、他の男性ならきっと見るくらい大丈夫なのだが、相手がお兄様であるせいでほとんど身にならなかった。

不安しかないが、これもお兄様の為。

 

(お兄様は今回の黒幕おじさんの失踪に責任を感じておられる。それを挽回しないことには、とお考えなのだろう)

 

原作ではずっと黒幕おじさんは所在不明だったから、事件の早期解決の為このような手段になるが、今回はお兄様が起こした行動によって行方を眩ませたことになっている。あの場で鬼門遁甲を使い姿をくらます程あの男は神経質だったのだ。まあ逃亡人生を送ってきたのだからそれぐらい慎重でなければここまで生き延びられなかったのだろうが。

だが、もう終局という場面でこの状況は焦りを抱くには十分な理由だ。

だからこそこの手段に踏み切った。お兄様にとって私から眼を離す等苦痛でしかないのに、選ばざるを得なかった。

お兄様の思考を辿れば心が幾分か落ち着いた。

すべてはお兄様の役に立つために。そのためならばこの身をすべて委ねようと決意を胸に抱き、実験室の扉を開いた。

 

 

――

 

 

(決意なんて、水着姿のお兄様の前では紙くず同然だった…)

 

濡れたティッシュより脆かった。

一瞬で破れたよね。

お兄様の水着姿はただの水着じゃなかった。ハーフパンツタイプでもぴったり肌にくっついているタイプ。つまりお兄様の鍛え抜かれた足が浮き彫りになっているわけで。

部屋が夏のように温かいこととかどうでもよかった。

体が熱くなってしまえば気にもならない。むしろ熱いくらいだ。

 

「深雪、息をしなさい」

 

お兄様の強めの命令口調に言われるまま口が開き、酸素が肺に行き渡る。

危ない。見ただけで気を失うところだった。

 

「…申し訳ございません」

「いや――先に話をしようか。おいで」

 

お兄様の足元には薄いマットが敷かれていた。

二人並んで座れそうなそこにお兄様が先に腰を下ろし、隣に座るようにとんとん、と叩く。

ち、近いっ!でも座って話してくれる方がリラックスできる?

ガウンを脱ぐ指示も出されていないので、ガウンを羽織った状態で誘導されるままにお兄様の横へ腰を落ち着けた。

それからすぐお兄様はご自身の『眼』についておさらいのように説明をされた。

知りたいものを無意識領域で自動的に選別して意識に投影できる千里眼の類ではなく、万象を因果律に基づき意識的に取捨選択をして意識に投影しなければならない異能であること。

無意識任せでない分、確実性は上かもしれないが、因果の系統樹を意識して辿っていかねばならない分、多くのリソース――注意力、集中力、根気、多面的な思考力が必要となること。

一通り説明した上で、お兄様は標的である顧傑を座間にて『視認』したこと、ただしその後現在に至るまで新たな情報は得られていないことを挙げてから、

 

「新たな因果関係が無くても顧傑本人の情報だけで、やつの居場所を突き止めることができる。ただし、十分なリソースを確保すれば、だが」

 

と条件を提示した。

リソースさえあればその情報だけで特定に至ることができる、と。

お兄様のすべてのリソースを注ぎ込めば、特殊な構造情報を持つ特定の個人を国内から見つけ出すことは可能であると。それも、100%も必要とせず、エレメンタル・サイトに割いている7割を使えば十分なのだと告げた。

どのような試算でそのような結果を導いたのかはわからないが、お兄様がそう言うならそうなのだ。

 

「では、私への守護に当てている分を外せば賄いきれるということ、ですね?」

 

私が呼ばれたのはそのためか、と問いかければお兄様は眉を下げて頷いた。

 

「俺は常にエレメンタル・サイトのリソースの半分をお前に割り当てている」

 

知っていても驚かずにはいられない。たった一人の少女を危険から守る為だけに常時『視』ているというのだから。

眠っている間、魔法は使えなくとも無意識領域で見守ることで私に危機が迫れば熟睡していようが即座に覚醒するシステムになっているのだ、と。

そしてそれは今この時にも作動している。

 

「――お兄様、私に、何を望みますか?」

 

情報はすべて提示されたことで改めてこの場に呼ばれた意味を問う。

絡み合う視線を先に外したのはお兄様だった。

 

「……情けないことに、俺はお前からこの『眼』を外せない――外したくないんだ」

 

その様子は原作のように照れているのではなく、まるで罪を懺悔するかのようだった。

 

「深雪はここにいて、この部屋は分厚い壁に囲まれた地下室で、外部から魔法で干渉することが難しい。仮に魔法による攻撃を受けたとしても実験用に設置した大量のセンサーが反応する仕組みになっていることも重々理解している。この『眼』を離すわずかな時間で襲撃は不可能なことも視ている情報で分かっているんだ。――理屈の上ではそうわかっているのに」

 

だめなんだ、とついには片手で顔を押さえられてしまった。

 

「お兄様…」

「俺の感情的な問題で、できない」

 

ぎゅう、と胸が締め付けられる。

 

(本来なら――いえ、原作のお兄様はそれを照れくさそうに告白されていたのに)

 

けれど、ここにいるお兄様は今、自責の念に駆られているような告白ぶりだった。

任務に支障をきたす原因を作ったのが自分だと――首謀者を警戒させてしまい、逃亡を許してしまったから。

きっと今お兄様の中には座間の時にもっと『視』ておけば、あの時深追いしなければ、等の後悔が過っているのかもしれない。いつもの反省とは違う、斬鬼の念に堪えない状態、とでもいうのか。悔やみきれないという気持ちが伝わってくるようだ。

気が付けばお兄様を抱きしめていた。

いつもより小さく見えたお兄様だけれどそれはもちろん錯覚で、けれどいつもの力強さを感じさせない様子の通り、力の入っていない体は少しの力でもあっさりと抱き込めた。

 

「聞こえますか。これが、私の音です」

 

胸に抱きしめた頭を撫でながら、心音を確認してもらう。

下手な慰めなど、今のお兄様には何のお役にも立たない。

必要なのは、今ここに私はいて、無事に生きていると伝えること。

 

「お兄様に救って頂いた命が息づいているでしょう?」

「……それでも、不安なんだ。お前から『眼』を離すことが不安で仕方ない。たとえ百分の一秒でも、俺がお前から『眼』を離して、俺が『視』ていないところでお前に何かあったらと思うと…気が狂いそうになる」

 

ガウンを握る手にも力が入っていないのに、縋りつかれているのだとわかった。

以前、ステンノウィスパーを使った際も、お兄様は酷く不安に駆られていた。だが、ここまでひどくなかったのは、あの時は視覚だけを外して位置情報や存在を認識することができていたから。

お兄様が『視』ている情報は超知覚と呼ばれる、ありとあらゆる刺激作用を通して得ている。

あの時は一時的に視覚だけを閉じるだけだったからあの程度で済んでいたのだ。

このお兄様を見ればこそ、あの言動が『あの程度』のことだったのだと言える。

 

狂おしくなるほど、『達也』にとって『深雪』は唯一の存在なのだ。

 

その現実をまざまざと見せつけられた。

 

「お兄様は、たとえ今『眼』を離しても、傍にいるから何かあればすぐに気が付くとわかっていても、目を離しても、そのせいで私が怪我をさせられるほどか弱い人間ではないと、お分かりなのでしょう?」

「わかっている。今のお前は弱くない。もう、沖縄の、あの時とは違う。それも、分かっている」

 

それでもだめなんだ、とため息を漏らす。

その空気がガウンの重ねられた隙を通って肌を撫でるが、構わず頭を撫でた。

 

「理屈で納得しても感情が納得しない。顧傑を放置すれば、また今日のようなことが起こる。結果的に、お前が暴力に曝されるリスクが高くなるとわかっている。この状況を打破するには、顧傑にエレメンタル・サイトの能力を集中すべきだと理解しているのに、」

 

動きの無かったお兄様が、肩に手を置き、顔を上げ、上体を起こして。

 

「ここが、邪魔をする」

 

ここが、と右手の親指で自身の心臓を指さして示した。

心が、感情が邪魔をするのだと、そう伝える。

 

「っ、」

 

息が詰まった。胸がいっぱい過ぎて、破裂するんじゃないかという程一気に苦しくなった。

お兄様が情けないだろう、と吐露されるけれど、そんなこと全然思わなかった。

むしろ、

 

(感激で胸が、苦しい)

 

お兄様が私にしか衝動を抱けなくなったのが6歳の頃。

それまでだってお兄様は感情を抑制する訓練をさせられていた。それは感情によって魔法を暴走させないように、感情的になって周囲を傷つけないようにするためでもあった。

だから小さな時から喜怒哀楽という基本的な感情もほとんど育たないよう教育されてきた。

その後手術により今度こそ感情を知る機会さえ奪われた。

唯一残ったのが、妹への兄妹愛であり、妹に対してだけは何の柵も無く感情を抱くことができた。

それでも中学のあの事件までお兄様と触れ合うことはほとんどなく、お兄様の心が刺激を受けることなく育まれることなく心を置き去りに成長していった。

生活する上で知識としてそういった感情が存在すること、狭い人間関係の中で観察し、感情的に行動する様を見てそういうものか、と学習する程度が、お兄様の感情を知る機会だった。

だから、運命ががらりと変わったあの日の衝撃は、きっと想像をはるかに超えるものだっただろう。

普段動くことのない感情が急激に揺さぶられ、大きく動き出した、あの日。

大事なモノを失いかけた悲しみ、怒りによる暴走、目を開けて自分を見、兄を呼ぶ声に歓喜した。

目まぐるしい変化がお兄様の中では起きたに違いない。

私が生まれ変わったように、新たな生活を送ることでお兄様の中の心に刺激を与え成長を始めていく。

お兄様の情操教育が始まった瞬間だった。

喜怒哀、まではあの日に経験できたが、なかなか楽しいことに出会うまで時間がかかった。日々を忙しく送る中でようやくお兄様に笑顔が増えていくのを見て、涙がこぼれた。

人が誰しも当たり前に持っている四大感情がこの時になってようやく、お兄様は抱けるようになった。そのことが嬉しくてたまらなかった。

それからはたくさんのことを経験してもらった。私一人では到底無理だったので母も巻き込んで様々なことを体験して、くすぐったいような嬉しさも、妙に落ち着かないようなざわめきも、ハラハラとしながら見守る心配も、共にイタズラを成功させた時の達成による充実感もお兄様は学んでいった。

その小さな積み重ねが、だんだんとお兄様の心を成長させていった。

それでも、まだまだ足りなくて。

お兄様は自分の行動に感情が伴わないことが当たり前だった。自分のことに関心が持てないからだ。

好き嫌いが行動を阻害することが無かった。少しずつ何が好きで何が嫌いか判別できるようになっても自分の感情よりも損得で物事を選んだ。

私に対してはどうしたいか意見を聞いてくれても、自分の行動にはどれを選択するとどういう結果をもたらすか、で判断をしていた。

もっともっと、お兄様を大事にしたかった。自分で自分を大事にしてもらいたかった。

だからたくさん愛情を注いだ。私を大切に思ってくれるなら、私の大事な人を傷つけないでと自分を大事にするよう諭した。

それはお兄様にはとても理解しがたいことだったようだけど、何度もそういうことを繰り返していくうちに、心配させないようにと気を付けるようになり、少しずつ自己主張ができるようになっていった。

好きな食べ物はだし巻き卵。これは初めて私が作った料理だ。前世で好んで作っていたのを思い出し、慣れているから大丈夫だろうと作ってみたものの、見事に焦がし、失敗したのに、お兄様は美味しいよ、とすべて食べてくれた。あの味が好き、なのではなく思い出もあって好きなのだ、と。

苦手なものは甘すぎる甘味。食べられないことは無いが、無理をして食べることは必要に駆られない限りしたいとは思わない、と。

こうして少しずつ己のことを知っていったお兄様はまたさらに成長を重ねていき――高校に上がる頃には表向きだけじゃない友人を作れるようにまでになった。

友人を心配し、優先順位を悩むようになった。

これまた涙が出るほど嬉しかった。

私以外の人間を思い遣り、悩むようになるお兄様に大きな成長を感じて。

――もう、私が教えることは何もないんじゃないか。

心はまるで子離れする親のような心地だった。

寂しいような、だけど嬉しくて達成感に溢れるような。

これで私も安心してお兄様を『送り出す』ことができる。そう、思っていた。

その後の展開は思っても見ない転がり具合を見せて、今もなおそのことに関しては混乱はしているのだが、――今抱いた感激を前にしたらそんな悩みもすべてが吹っ飛んでいく。

 

お兄様の心が、最重要任務を阻害している。

 

己の感情を無視できないほど、追い詰められている。

ずっと傍で見守ってきたから受けるこの衝撃。

激しい衝動を胸に収め、感動を仮面の裏に隠して再度問う。

 

「――お兄様は、どうなさりたいですか?」

「俺は、この件を終わらせたい」

「顧傑を捕捉なさりたいのですね」

「だが、深雪から『眼』を離したくない」

「…私から『眼』を外しても私の存在をお兄様が知覚する方法はございますか?」

「『眼』に変わるものは無い。…お前が無事であるという実感が得られなくなってしまいそうで、怖い」

 

肩に乗せられているお兄様の手を握る。

 

「私はここにおりますよ」

「それでも、足りないんだ」

 

光と陰で認識する目だけでは、こうして手を触れるだけではまだ足りない。

 

「お兄様」

 

お兄様の手を軽く叩き、腕を下ろしてもらってからするり、とガウンを開けさせ、床に落とす。

お兄様が目を見張り息を飲んだ。

 

「この姿を指定したということは、お兄様の中で対応策があるということでしょう」

 

私も決意では足りなかった。

だから、腹を括る――今度は覚悟を決めて。

 

「どうぞ、ご随意に」

 

 

――

 

 

お兄様の温かな腕がお腹に回る。

自分の物とは全く違う筋肉質な胸板が背を包み、左右逆に繋がれた手には指が絡められていた。

座っているのも床でもマットの上でもない。

お兄様の胡坐の間にすっぽりとはまっている状態だ。

いたるところがほぼ布の隔たりも無く密着している。

決意したままであれば体中から火を噴き、とっくに意識を無くしていたことだろう。

だが、腹を括った女は怖い、と云うが自分でも信じられないくらい心は落ち着いていた。

今、お兄様の心を守れるのは私しかいない。

それが、今の私の原動力に思えた。

傷ついた子を守る母のように、何者からも傷つけさせないとの覚悟を以て。

 

「深雪」

 

熱い吐息が耳に掛けられる。

 

「もう少し、身体の力を抜いて――そう」

 

言われるままに深呼吸をして体から力を抜いていく。

その隙を埋めるように腕が締め付けるように動く。

ん、と漏れた声に一瞬身が固くなるが、もう一度深呼吸して熱を逃がす。

これから行われるのは神聖な儀式。

雑念など、あってはならない。

 

「お前の肌の柔らかさが、お前の体の温もりが、目を閉じていても感じられる。お前は確かに、俺の腕の中にいる」

 

目を閉じても、触れる肌から、香る匂いから、わずかに漏れる呼吸音から、深雪を感じられる、との声に、もう一度篭る熱を吐き出して。

 

「私はここにおります」

「お兄様の腕の中、世界一安全な場所で守られています」

「どうぞご自由に。お兄様を縛るものなど何もございません」

「懸念することなど何もありません」

「お力の全てを、お兄様の思うままに」

 

気が付けば口から紡がれていた。

私の本心であるような、誰かに言わされているような、不思議な感覚。

いや、まぎれもない私の言葉ではあるのだ。

お兄様の自由に、思うままに力を揮っていただきたい、と。

この言葉が、お兄様の最後の枷を外させた。

常に向けられていた『眼』が外される。

そんなこと感じるはずがないと思うのに急に温度が下がったように感じられ震えそうになる身体を、お兄様の集中が途切れないよう抑え込む。

そして次の瞬間、お兄様の体から強い魔法の気配が迸る!

これがお兄様の私に割いていたリソースを乗せて使われた魔法の『眼』――エレメンタル・サイトの能力。

そのものすごいエネルギーに、どれだけ普段お兄様が私を守る為に力を割いていたことが窺い知れる。

お兄様には制約によってだけでなく、私を守護することにこれほどまで力を制限されていたのだ。

これで全て柵を無くした状態で全集中なんてしたら、お兄様にはどこまで『視』えてしまうのだろう?そう思わせるくらい、ものすごい力の奔流だった。

だが、それは次第に収まっていく。

お兄様が標的を捕捉されたのだ。

 

(…これで、私の任務もおしまい)

 

このシートベルトのような腕も外れるのだ、と安堵しそうになるが、今気を緩めるわけにはいかない。

もう少しだけ、この今にも羞恥で震え出しそうになる身体を抑え込まなければと気力を振り絞っていたのだけど…この腕って、すぐに外れるんじゃなかったの…?外れないのだけど。

それに、

 

(ど、どうしよう…さっきまで意識しないでいられたのに、急にお兄様の匂いが濃くなったように感じるっ)

 

背中に触れている部分にしっとりと水気が感じられる気がした。

そこだけではない。繋がったままの手も、汗ばんでいる気がする。

お兄様が魔法を使う直前まで感じなかったような気がするのだが、もしやこの集中はお兄様に相当な負荷がかかっていたのでは!?

 

「お、にいさま…?」

「もう少し、このまま…」

「っ!!」

 

気だるげな声が耳を擽る。

今度は抑えきること叶わず体がびくん!と震えた。

かけられる吐息の熱が、耳を擽りぞくりと快感を拾い出す。

先ほど失った温度の何倍もの熱を感じたことで、一気に体の熱も上昇する。

それに、この感覚ッ――

 

(ただの熱じゃない…羞恥だけじゃない…これは、身体に刻まれた記憶から快楽を呼び起こした熱だ)

 

震えだけでなく体が疼きだしたのだと気付き思考回路は完全ショート、パニックになった。

覚悟?そんなもの仕事が終わった直後に帰っていったよ。アイツ、仕事をきっちり熟していく代わりに残業しない主義なんだ。

 

(って知らないよ!覚悟ってそういうものなの?!覚悟が去るとこんな一気に隙だらけになるの!?)

 

訳がわからない。自分の身に何が起きたのかさっぱりわからないけれどとにかくこれは早くどうにかしないと!

 

「お兄様、はな、してっ!」

「……なぜ?」

 

何とかバレる前に離れなければ、と焦る気持ちが先行して上手く言葉を紡げない。

すぐにでも腕を外してもらいこの場から逃げなければ。とにかくそのことで頭がいっぱいで。

お兄様の体が一瞬硬直したが、そのわずかな動きさえ今の私には大きな刺激になっていた。

 

「だめ、ですッ…も、はなれて」

「深雪…?どうし――」

「も、もたないのッ…たえられなく、なるっ」

 

呼吸が乱れる。

篭る熱を吐き出すように。冷静さを取り戻そうと酸素を取り込もうとして。

身を捩って腕の拘束から逃れようともがくのだけど、お兄様の腕はびくともせず、ただ徒に擦れて体の熱を高めるだけに終わり、声を殺して身悶える。

余りに様子がおかしいことに気付いたお兄様が、心配そうにのぞき込もうとするが、今見られたら熱に浮かされた顔を見せることになってしまう。

お兄様の香りも、熱も、声もすべてが官能を刺激して、まるで媚薬のよう。

 

(こんな顔を見られるわけにはっ――)

 

だが、その判断は遅かった。

 

「ひぁ、ン!」

 

お兄様の右手が指の拘束を解き、嫌な予感に体が反応し追いかけて掴もうとしたが、掴み損ねた手が横腹をなぞったのだ。たったそれだけなのに、身体は快感を逃そうと背を反らせ身を捩ろうとする。

 

「…深雪」

「ンンっ…みみ、や、ぁんっ、ん!うごか、ないでッ」

「深雪」

「や、ダメ…っ、」

 

お兄様の声にも先ほど以上の熱が籠められ、手も様子見から意思を持って動くようになった。

私の身にどのような現象が起きているのか理解されたのだ。

だけどこれ以上はだめだ。この先に進んでは――!

その時だ、お兄様の手がぴたりと止まった。

ようやく息が吐ける、と浅い呼吸を繰り返す。

が、お兄様は何も、私の言うことを聞いて止めてくれたわけではなかった。

 

「なぜ、ダメなんだ?」

 

はぁ…はぁ…と荒い呼吸を整える間にもう一度何故だ?と質問される。

お兄様は私の状態に気付いて、股座のモノが固くなっているのが触れている箇所からも分かっていた。

この状況、お兄様にとってはこれ以上ない好機、据え膳だろう。

本来原作通りの展開であればこのまま解散となるはずだったのに。

 

(なぜ…)

 

あの告白のあった日からアタックするとは言っていたし、有言実行もしているが、それでもあれからそのようなことを求められなかった。冗談交じりで口にするも、私が断ればあっさりと引いてくれた。

私の心が変化するのを待つ、とそう約束して守ってくれている。

それなのに、

 

(今だってお兄様に恋しているか分かっていないのに、お兄様の匂いと熱に浮かされて発情しました、抱いてくださいなんて、そんなの身勝手が過ぎる)

 

お兄様の気持ちに対してあまりに不誠実すぎる。

それに何より、こんなの――!

 

(破廉恥すぎる!!何、お兄様の匂いを嗅いでしまって発情って!痴女か!!そんな深雪ちゃんは解釈違――んん?違う、よね?酔った勢いでしな垂れかかったり、普段からお兄様に意識してもらおうと肌の露出の多い服を着ていても、深雪ちゃんは純情でもあった。いざお兄様に触れられれば戸惑って逃げ出して。…だから痴女ではない!それにお兄様が相手だからであって誰彼かまわずってわけでもないし!)

 

貞操観念はしっかりしていたはずだ。

この身が一度快楽を知ってしまったからと言って、こんな…こんなの…

 

(はしたない女だと呆れられてしまったらどうしよう…)

 

己の考えが恐ろしくなって身が竦んだ。

 

「深雪?」

「あっ…ゃ…」

 

お兄様の低い声がお腹に響く。身じろぎすると、その下の硬いモノが当たってより身体が熱くなる悪循環に頭がおかしくなりそうだった。

熱い吐息を幾度出しても熱は上がる一方。もうギリギリの状態に今にも泣きそうになる。

 

「…何が駄目なのか、教えてほしい。俺が怖いか?」

「………お兄様が怖いのでは、無いのです」

 

お兄様が怖いのではなく、はしたない女だと嫌われることが怖いのだ。

今だってお兄様の心配する声にゾクゾクと震え、腰が動き出しそうになることが怖い。

 

「では、何が怖いんだい?」

 

何が…欲に負けてお兄様を求めてしまうことが、怖い。

余りに身勝手な自分を知られてしまうことが、恐ろしくてたまらない。

 

「俺は今、とても深雪が欲しい」

「!!」

「深雪に触れたい」

「、それ、は」

「抱きたい」

 

はっきりと言葉に出されたが、お兄様は身動き一つしない。

それは、私の許可が無ければ触れない、という約束を守っているからだと伝えているのだとわかった。

 

「深雪は、俺に抱かれるのは嫌か?」

 

嫌じゃない。

私の体も、心もそれを求めている。でも、

 

「でも、なんだい?」

 

ああ、言葉が、心が漏れてしまう。

 

「お兄様のお気持ちに対して不誠実、だと…」

「………」

 

お兄様の沈黙にカタカタと、身体が震え出す。

その震えを物理的に止めるかのように、次の瞬間痛いくらいに強く抱きしめられた。

 

「んっ、ぁ…」

 

なのに漏れた声は呻きではなく、甘い吐息で。

 

「俺を、求めてくれているんだね?」

「ひぁ!」

 

直接吹き込むように当てられた唇が鼓膜を震わすだけでなく直接耳に当たり擽っていく。

 

「ダメッ、です」

 

それ以上はもう本当に耐えられない。お兄様に縋ってしまう。

 

「だめじゃないよ」

「っああ!まっ」

「待たない。…深雪、もう一度、俺に身を委ねて」

「そっ――んぁ、はッ…ン」

「大丈夫。怖がることなんて何もない」

 

指が、体の上を滑るだけで体が震える。

声が、お腹の奥のところに響き、触れた個所から伝わる熱に、体が火照って蕩けていく。

怖がることなんてない?そんなことない。だって、だってこんなの、

 

「深雪に求められて、俺が喜ばないわけが無いだろう?」

「!!」

「何をそんなに驚く?もしかして今頃寝ぼけているのかい?」

 

あまり睡眠を取らせてあげられなかったから、無理もないね、とお兄様は先ほどから際どいところを撫でていた手を徐々にその中心に向けて動かし始める。

本格的に官能を高めるために。

 

「だが、寝かせてあげられない。ごめんな?」

 

こんな兄貴ですまない、と謝ってから顎先を抓んで横に向かせて。

 

「目覚めには似つかわしくないキスをしてもいいか?」

 

口調は優しい兄のものなのに、合わされた視線は拒絶を許さない雄の目をしていた。

 

もう、逃げられない。

 

つい先ほどまで守ってくれて安心できた腕は、決して逃がさない頑丈な檻へと変わった。

恐ろしさを覚えていいはずなのに、お兄様の瞳に映る私は与えられる熱に浮かされうっとりと蕩けた顔をしている…。

 

「あまり時間が無いからね。ゆっくりしてあげられないのが残念だが、その分気持ち良くなってもらえるよう手を尽くそう」

 

そう言いながら口付けられて、本当にあらゆる手段を使われ全身で愛撫され、見る見るうちに高められ、何も考えられなくなってただ快楽に身を委ねた。

 

 

――

 

 

互いに正気に戻ったのは、汗まみれで息も絶え絶えに抱き合ってしばらく経ってからだった。

すぐにお兄様は私の体に再生を掛けた。発散で自身の体に纏わりついている水分を飛ばし、床に落ちていたガウンで私の身を包むと、そのまま抱き上げ浴室へと向かった。

移動に魔法は使われていない筈だが瞬きの間に移動していた。

 

「…すまん。理性がトんだ」

「いえ…お兄様は何も悪くありません…」

 

むしろ先に飛ばしていたのは私の方である。…本当にどうかしていた。

 

「…深雪のせいじゃない」

 

反省していると、お兄様がシャワーのコックを捻り互いの体にお湯を掛けながら冷静に分析をしていた。

先ほどまで熱を分け合っていたのが嘘のような落ち着きぶりだが、これが意図されてのことだとお兄様の視線が物語っている。先ほどから視線が私に向かないのだ。

…見ると再び熱が上がりそうなんですね?わかります。私もお兄様の顔を横目で見るのが精いっぱい。視線を下ろせない。

でも今は体を洗う作業に専念しないと。

この後予定がいっぱいなのだ。

 

(今日、この後が本番だというのに、どうしてあんなこと…っ!!)

 

決戦の日だというのに朝から疲れさせることをさせてしまった。

お兄様は私のせいじゃないと言うが、原作を知っているからこそ余計に反省してしまう。

この後九重寺に行って、学校に行って、七草先輩たちと電話でミーティング。そして黒幕おじさんとの決戦が待っている。

このハードスケジュールの一番に、エレメンタル・サイトで首謀者を捕捉という大イベントを熟しただけでもお兄様にはひと苦労だったのに、…あれか?

 

(これも一種の景気づけの一発、というヤツかな)

 

戦場に向かう前の男女によくあるヤツでは?と、オタク知識がいらぬ知識を呼び起こす。一種の命を繋ぐ営みってやつですね。…お兄様に命の危険は無いのだけど。

私もそんな不安を抱いた覚えも無ければ子供を作らなきゃ、なんて当たり前だけど考えても無かった。…本能的な…?

でも、その考えは違った、らしい。お兄様は別の思惑があった。

 

「標的を捉えてからすぐ深雪を手放すつもりだったんだ。でないと自分の理性が持たないとわかっていたから。…いくら必要なことだったとはいえ、愛おしい女性の体をほぼ素肌に近い状態で抱き抱えているんだ。集中が途切れないようにするのが大変だったよ。

だが、あのほんのわずかな時間でも深雪から『眼』を外したことが思いの外堪えていたらしい。深雪をもっと全身で感じないと――それこそひとつになるくらい密着しないと安心できないとさえ考えていた」

 

ひとつに、の言葉にぼぼっと顔に熱が集中した。

 

「深雪が俺を欲してくれていたように、俺も深雪を求めていた。――だから、お前の言う『不誠実』は実に俺に都合がよかったんだ。お前が俺を利用したと落ち込むことは無い」

 

…お兄様はずるい。ずるいくらい私に甘すぎる。

もっと責めてくれてもいいのに、自分も責任があることにして追求してこなかった。

 

 

「…甘やかされることに慣れて悪い子になってしまったらどうするつもりです?」

 

嫌ですよ。よくある悪役令嬢の出てくる物語みたいに甘やかされて育ったことで我侭になって身を滅ぼすことになるなんて。

…この状況で不誠実について考えてしまうと、またパニックになってしまいそうだったので冗談で返す。

するとお兄様はふっ、と笑われて。

 

「深雪が悪い子になったとして、困らせられるのが俺だけなら何も問題ないな。俺は深雪に困らせられるのなら何をされても構わないから。――ただし、」

 

キュッとコックを閉じてシャワーが止まる。

髪から滴り落ちる水がお兄様の体に落ちて濡らしていくのがなんともえっちですね。

でも何よりもそう思わせるのは、笑みを浮かべられているのに笑っていない瞳でしょうか?ハイライトも落としましたか?…ぞくぞくしちゃう。別の意味も含めて。

 

「俺以外を困らせてはいけないよ。その時は大切な深雪相手に――お仕置きをしてしまうかもね?」

 

…ワァ、それはとっても恐ろしいですね。

 

「なんてな。俺は先に上がるから、少しゆっくり出ておいで」

 

水波に勘繰られたくは無いだろう?と唇の前で指を立てられたお兄様はそう言うと、そのまま浴室を出ていった。

姿が見えなくなって体から力の抜けた私はその場にへたり込んでしばらく動けなかった。

 

 

――

 

 

五時を過ぎ、身体は…少し気だるいが寝直す気にはならなかったので、ダイニングに向かうと水波ちゃんがお茶を淹れてくれていた。

…というか、寝られないよね。一人で居たらずっと頭が先ほどのことで占領されてしまう。

鬱陶しいかもしれないけれど、そばにいさせてね水波ちゃん。あなたがいればきっと頑張れるから。表情筋が。

ダイニングに現れたお兄様はこの後いつも通り九重寺に行くのだろう、トレーニングウェアだった。

なお、先ほどまでの溢れる色気は一体どこに収納されたのか、きれいさっぱり見当たらない。通常のお兄様だ。

水波ちゃんにも自分のお茶を用意させ、三人で机を囲んで座る。

それからお兄様が語るのは首尾よく首謀者を捉えたこと。

すぐに追わずとも『印』をつけたのでいつでも居場所が分かること。

情報があるから『消す』ことはできるがそれでは今回の事件の黒幕である証拠が残せないので、十文字、七草、一条の家と合同で敵を追い詰める予定であることを告げた。

彼らの準備を待つ事情もあるだろうが、日が暮れた方が闇夜に紛れて目立たず動きやすいということも理由の一つかな。

だからそれまで時間がある、とお兄様は昨日話した通り、朝食を食べてから学校へ行き私物を取りに行こう、と言ってから鍛錬に向かわれた。

…お見送りの際に求められた今朝の分のキスは、すでにしたでしょうと断ったら唇ギリギリの頬に口付けられた。

 

 

 

さて、学校へ来ました。そしてあっさり入校許可が下りた。

もしかしたら私たちだけじゃないのかもね。とりあえず引っかからなくてよかった、と中に入るのだけど。

 

「お兄様、こんなに人のいない学校も珍しいのでちょっとだけ教室を見に行っても良いですか?」

 

忘れ物が生徒会室にある以上言い訳にはできないと思い、探検したいと苦しい理由を言ってみれば、お兄様はあっさりOK。お兄様は本当に妹のお願いに甘い。

 

「ただし、お花畑に寄ってはいけないよ。悪いオオカミに喰われてしまうかもしれないからね」

 

……それはお兄様みたいなオオカミでしょうか。

水波ちゃんが危険を察知してか、さっと間に入ってくれました。水波ちゃん、いつもと気合が違います!

 

「深雪様をお守りするため鍛錬の仕方を教えていただけるのと、これは別ですから」

 

どうやら水波ちゃんは己を鍛えることにさっそくお兄様を頼ったらしい。そして何か交換条件でも交わした?

だけどこれは別、ということは私にちょっかいを掛けることは許容できないってことかな。

…二人共また新たな関係性ができた?私のいないところで知らないイベント進行中。

お兄様の不思議な交友関係はこんなところにも広がっている模様。

そんなこんなで話しながら歩いているとA組に到着。

扉に手を伸ばしたらお兄様にその手を取られました。

水波ちゃんと視線を合わせ、フォーメーションを取ってから中に突入。

 

「は?司波?…と、司波さん!?」

「一条さん?おはようございます」

「お、おはようございます」

 

とりあえず挨拶はしてみたけれど、とっても動揺されてるね。

始めはお兄様に何故ここに!?と驚きに目を見開いて、次の瞬間には疎ましそうに眉間にしわ寄せ目を細めたのに、私が視界に入った瞬間とってもあわあわし出した。喜色も浮かび、お目目もキラキラ。

わかりやすい好意だけど、どうしてそんなに一条君が好意を向けてくれるのか、正直分からない。

まあ、この容姿一つで国が傾くレベルの美少女だから見惚れられるのは分かるけど、どうにも彼にはただ見惚れるだけでない思いがあるように見える。

皆と会話する以外で話す機会も無かったはずだけど。授業もあれから一緒にする機会も無かった。

一時的に熱に浮かされている状態、というものだろうか。

原作の深雪ちゃんはお兄様以外に興味が無かったから実際のところ、彼女が一条君から何を感じていたか詳しい描写が無かったんだよね。お兄様は彼の視線に面白くないものを感じ取っていたようだけど…深雪ちゃん、眼中になかった無かったからなぁ。

だが、今そんな観察する時間は無いはずだ。彼は今授業中なのだから。

 

「もしや三高の授業中ですか?」

 

余り時間を取らせてはいけないが、全くの無関心はこの後の決戦に響く可能性もある。適度なコミュニケーションを心掛けて声を掛ける。

ご迷惑を掛けていないか、と申し訳なさそうに眉を下げ、少し視線を下げれば彼は慌てふためき、謎の「大丈夫です!」が飛び出た。

 

「三高も明日から休校となるそうなので、このような状態は今日だけです」

 

…あ、もしやこの寂しい教室にポツンといて授業を受けさせられている状況を見て憐れんでいるように見えた?

一条君、一瞬でそこまで思い描いたのか。想像力が豊かだね。

 

「そうなのですね」

 

とりあえずホッとした表情をするのが彼には正解なのだろう、と微笑むと今度は照れ照れと後頭部を擦る。

わかりやすい純情ボーイの反応は、ある種心を隠さないというアピールなのだろうか。

…普通ストレートな好意というのは悪い気はさせないものね。特にイケメンからの、しかも純粋な想いだけならば嫌悪を抱くことは無い。深雪ちゃんのように想い人以外からの好意はノーセンキュー!じゃない限り負の感情は抱かれないだろう。

 

「そ、それに今日は午前中で切り上げようと思っています」

 

急に表情を引き締めたので、もしかしたら黒幕おじさん捜索に一条の方で何か手がかりを掴んでいたのかもしれない。

が、それもこの後お兄様の通達で一気に急展開を迎えることになるだろう。

注意音が端末から鳴ったとこで、今が授業中だったことを思い出した一条君がしまった!と慌てて端末に向き合う。

邪魔して悪かったね。

 

「それでは失礼します」

 

こそっと声を掛けて教室を後にした。

…うん、なんだろう。後ろ髪引かれるような視線を向けられている気配。一条君もワンコ系。

まあ、見たところで実際引かれるかと言われると苦笑がせいぜいだと思うけど。大人しく授業を受けていてください。

扉を閉め、歩き出してすぐお兄様の手が繋がれた。

なんとなく、お兄様に口を開かせるのは良くない気がして先手を打つ。

 

「まさか、三高がまだ休校でなかったとは思いませんでした」

 

二高に引き続き一高が狙われたのだから、魔法科高校は一斉に休校になってもおかしくないのにね。

そう伝えればお兄様はそうだね、と普通の態度で返してくれたけれど、繋がった手がね、ちょっと強く握られたので。

 

「お花畑に見知らぬオオカミさんがいたので引き返してきました。このままお使いを終わらせて追いつかれる前に帰りましょう」

 

ええ、すぐに用事を済ませて帰りましょうと促せば、肩を竦めて。

 

「…お前は少し好奇心が多いが、ちゃんと使命を忘れない赤ずきんだね」

 

困った子だ、と窘める視線を向けられ、うっかり高鳴る胸を押さえるように手を添えて。

 

(…お兄様のこの視線に弱いんだよねぇ…)

 

このところ色気を滲ませていたりしながらが多かったけれど、こういう兄としての視線を向けられるのもやっぱりいいものだ。きゅんとときめいたオタク心を覆い隠して鉄壁の笑顔で固めて強気に返す。

 

「お兄様という凄腕の猟師さんが傍にいて下さるから、安全だと思い寄り道をしてしまうのです」

「頼られていることを喜べばいいのか、難しいところだね」

 

握るように掴まれた手がする、と指を絡めるように繋がれた。機嫌は少し治った模様。

そのまま生徒会室に直行し、ピクシーが目を覚ます。

入館情報で私たちが入ったことを確認して待ってくれていたみたい。

 

「深雪様の、お忘れ物は、こちらですか?」

 

渡された中身を確認すると、一つ身に覚えのないメモリが一つ。…ピクシーちゃん、お仕事出来すぎでは?

 

「ありがとう。よくわかったわね。とっても(・・・・)助かったわ」

「お役に立てて、何よりです」

 

ちなみに水波ちゃんの分はノータッチ。そのことに水波ちゃんはホッとしているようだ。誰が相手でも勝手に何かをされると気分が良くないことってあるからね。

無事私物も回収し、プチクエストを終えた私たちは学校を後にした。

 

 

――

 

 

連続して暴漢に襲われることも無く、無事帰宅すると着替えを済ませる前に。

 

「この後すぐ警察と連携を取るため七草の方から働き掛けを依頼した後、十文字家に連絡し、準備が整い次第決着に向かう」

 

お兄様の宣言に水波ちゃんと頷く。

なら私たちはその間それぞれお兄様の声がかかるまで下がっていようと思っていたのだが、

 

「水波は地下の実験室で渡したCADの多重展開を試してみてくれ。いつものCADは外さなくていい。いつ襲撃があるかもしれない想定のもと訓練してくれ」

「かしこまりました」

「深雪は、何をしても構わないが俺の視界範囲内にいてくれ」

 

…朝の影響が出てしまっているのだろうか?もとよりお兄様の指示にNOという選択肢は無いので水波ちゃんと同じく頭を下げて了承を伝えた。

着替えを終えて、オフライン用の端末にピクシーからの情報を読み込ませたものを携えてリビングに下りると、外出用ではない服のお兄様が。しばらく時間が空きますからね。

 

「お待たせしました。…先にお電話されていても良かったのではないですか?」

「傍にいてもらいたかったんだ」

 

あら、まあ。これはあれかな。

 

「…お兄様、それは朝の――『眼』を外されたことが影響されているのでしょうか?」

 

朝の、と言ってアレやコレやが過ったが熱が上がる前に聞くべきことに意識を集中した。

立ったままの私を気遣ってソファに座るよう促されるが、時間がないことは分かっている。

こちらに座る意思が無いと理解したお兄様は、無理強いはせずそのまま見上げる形で回答する。

 

「影響がない、と言い切れないが、どちらかと言うと深雪がいるのに女性と二人きりで話さねばならないことに対する精神負担を緩和するため、かな」

 

精神負担…?女性と二人きりでの会話が気まずいって、それは日常に悪影響が出ているということ?

だが、そういうわけではないらしい。

 

「深雪も一条と話している時に、まだ事件は解決していないから考えながらほどほどに『仲良く』していただろう?協力するために人間関係を円滑に、というのは分かっていても言葉を選びながら、というのは集中を要することだ。そういったことは苦手分野だからな。それに、前にも言った通り、お前に聞かせられない話をするつもりはないと、証明したい」

 

おおぅ…そちらの意味もありましたか。うーん、でも困ったね。

 

「…ですが、『仲良く』されるのに私が傍にいると、七草先輩は面白くないのではないでしょうか」

 

今日の一件、一条君はあの時私以外目に入っていなかったし、お兄様も空気に徹してくれていたからたいして気にしていなかったけれど、七草先輩は同じとはいかない。

そのことを指摘すると、お兄様は妥協案を出す。のだが、

 

「音声電話にすれば隣にいてもわからないだろう」

「顔を見てお電話した方が、話が早いかと」

 

家にいてわざわざ音声電話を使う理由なんてない。

いらぬ嘘を重ねて時間を取られるより、最短で用事を済ませた方がよほどいい。

それに女の勘は鋭いから。隣になんていたら絶対に気付かれる。感情の読みづらい、誤魔化し上手なお兄様であろうとも関係ない。女には、それも恋する女はシックスセンスが恐ろしく研ぎ澄まされているのだ。

 

「画角から外れたところで大人しく待っております。何か情報があるかもしれませんから端末も持ってきました。大丈夫です」

 

暇つぶしのアイテムはありますから、どうぞこちらは気にしないでください、と伝えた上で。

 

「お兄様はちゃんと任務を遂行されます。ですから、ほどほどですよ?仲良くしすぎては、困ったことになりますからね?」

 

…わざわざ釘を刺してみせたのは、少しでもお兄様を応援するため。嫉妬を向けることはできないけど、お兄様の為を思って注意はできる。

 

「……わかった」

 

傍にはいられないが、同じ空間にはいる。ここが妥協点となった。

さっそくヴィジホンを掛け始めたお兄様を横目にススッとソファに移動。音を立てないよう息を殺しながら端末を操作する。

…お兄様の声をBGMに作業ってなかなか進まない。これが作業妨害用BGMか、と思いながらもスクロールすると、あらあら。USNAでも標的を見失い、捉えられない時間はあったみたいだね。

鬼門遁甲をずっと使えたならば行方を眩ますことは可能だったみたいだけど、ずっと使い続けるには普通の人間では魔法力が足りない。要所要所で誤魔化すように使うのが普通の使い方だものね。

だが術が途切れてしまえば想子パターンが現れる。というか、途中から反応は薄いが追い続けられていることから術のかけ方を節約していたのかも。どうやっているのかわからないけどダウングレードした簡易的目くらましかな。

だけどそれだと完全に想子パターンを隠し切れず捉えられちゃうのね。優秀な探知機だこと。

一度指紋のようにパターンを登録されてしまえば衛星が届く範囲であれば逃げ場はない、ということだね。

 

(ただなぁ、今回のことで私はとんでもない『切り札』を手に入れてしまったから)

 

言わずもがな、ピクシーのことである。

彼女にひとたび、そのデータ、ちょっと改竄できちゃったりする?とか一時的にロストさせちゃうことはできる?とお願いすればできてしまう可能性が高い。

 

(というか、できる――だろうね)

 

これができるとわかった時点で、私は緊急で叔母様に連絡することになった。描いたシナリオに大幅な変更が出たのだ。

唐突で突拍子もない相談内容に流石の叔母様もスポンサー様にお伺いを立てる必要があり、許可が下りるまでに少々時間がかかった。

そして『上』からの許可が下り、警察、軍、魔法協会のみならず、『政府』まで動くことが決まった。こちらは表沙汰でにはできない、裏取引をするためではあるが。

今までの計画より平和的に、丸く収める方法を見つけたからにはその策を取りたいが、そのためには国からの働きかけ――協力が必要だった。許可が下りて何より。

お兄様が捕捉した場所と午前4時にチェックした黒幕おじさんの場所はほぼ一致した。

黒幕も寝ている時には鬼門遁甲を掛けられなかったようだ。用心深く隠遁の術は敷いていたようだけれどね。それでパターンは隠せないらしい。

 

「達也くん、首謀者の足取りを掴んだのね?」

「はい。先ほど実家から連絡がありました」

「そう…」

 

七草先輩は、四葉はいわば余所者であるのに足取りが掴めて、どうして地元のウチが見つけられないの?とご不満のようだけれど、パラサイトの件から探索部門を育成していない時点で無理なことは分かると思うのだけどね。

鬼門遁甲のことは伝えてあるのだから普通の捜索では難しいことも伝わっているはずなのに。普通の(と言っても魔法師的にだが)ローラー作戦で見つかるはずがない。

そういうところだよね。数があれば補充ができる七草はその辺り、現状いる者たちで何とかしなければという精神が足りない。

それでよく七草当主は守護できていると思えるものだ。

それとも、お兄様を手に入れられれば自軍を増強できるという狙いもあるんだろうか?

お兄様をこき使って働かせるつもりなら、いくら魅力的な娘を差し向けられてもあげられない。

ってお兄様はモノではないのであげられるものでもなければ、本人の意思が無ければ結婚させないけどね。お兄様の幸せに繋がらないのであれば、四葉家次期当主の名のもとに全力で妨害しますとも。

それに、七草は研究結果をパクる、っていうのにも長けているみたいだけど、お兄様のコレはパクれるものでもないから。

四葉はただでさえ血による継承も親から同じ系統が受け継がれるとも限らない。他の家では珍しいランダム方式。お兄様の血を入れたからといって何が出るかは出たとこ勝負。

もしかしたら人並外れたサイオン量は受け継げるかもしれないけれど、ほぼ確実にお兄様と同じ固有魔法だけは引き継げない(・・・・・・)

お兄様の『分解』と『再生』は母の精神構造干渉魔法により、扱えるようになっている。あの手術が無ければとっくに廃人か狂人になっていただろう。まず無事に生きられない。それほど人の手に余る魔法なのだ。

利用するにしても、そう簡単にお兄様を操ることはできない。お兄様のセーフティは私であり、たとえ七草先輩を愛したとしても、彼女を人質にして命じるならば、脅かす元凶を消してしまえばいい、と七草を解体くらいやってのけるだろう。

先輩のことを想うなら普通父親を殺すことは無いと思う。先輩にとってはいがみ合っていても大切な父親だから。

だが、七草は四葉――大事な妹に厄介事を招く存在でもある。愛する者を守ることを理由に、邪魔者を消し去る――そのくらいのことはしそうだ。

お兄様を利用するなんて、自殺行為以外何者でもないね。

七草はお兄様(四葉)を諦めて自分たちで何とかしてください。

 

「箱根テロ事件の黒幕である顧傑は、現在平塚市に潜伏しています」

「えっ、平塚!?」

「敵は最初からあまり動いていなかったんですよ。狭い範囲を移動しているだけだったんです。俺たちは大掛かりな事件を起こした犯罪者が一所に留まっているはずがないという思い込みを逆手に取られていました」

「そう……」

 

この言葉ってお兄様のさりげない気遣いだよね。相手が裏掻くのが上手かったのですよ、っていうフォロー。

お兄様なりに七草先輩をあまり落ち込ませないよう言葉を添えられたのだ。お優しい。

でも先輩は自分たちに向けての苛立ちが先立ってしまったみたい。

無理もないか。欺かれてしまっている時点で彼らには屈辱だろうから。

でもね、たとえ七草がそこを調べても何も出てこない。もしくは発見しても罠にかかりジェネレーターにやられるか、新たなお人形を与えてしまうか、だった。

そういう意味では敵を増強させることもさせなければ、被害も被っていない。七草は運がいいとも言える。

 

「七草先輩、話を戻していいですか」

「ごめんなさい、何?」

「逃亡の準備に時間を与えない為、すぐにでも捕縛に動くべきだと思います。ですが箱根テロの事件の解決は我々だけで済ませて良いものではありません。警察の矜持も考慮すべきです」

「そうね。首都のすぐそばで起こされた大規模爆弾テロ事件。犯人逮捕には警察の威信が掛かっている。私たち民間の魔法師だけで解決してしまうのは、警察との間に感情的なしこりを残す結果になりかねないわね…」

 

ここまで警察と協力してきたのに魔法師たちだけですべてを解決したとなれば協力の意味がない。

だが、四葉には表向き関東の警察への伝手は無い。九島を頼れば軍も警察も顔が利かなくもないが、ここは七草と十文字の管轄。あまり出しゃばるのもややこしくなる。

 

「七草先輩は、今首謀者の近くに警察が潜入をしている件はご存じですか?これには軍も関与していることのようですが」

「!聞いてないわ。でも、それなら警察や、協力をしている軍は彼らの居場所を知ることができたんじゃないの?」

 

彼女が聞いていないことは想定済みだ。お兄さんの智一さんは知っている可能性はあっても、先輩は深い事情を知らされる立場ではない。この重要な任務については極秘事項。警察も軍も一部しか知らされていない。どこから漏れるかわからない状況で無暗に情報を渡せば不測の事態に見舞われることもある。

今こうして連絡ができるのは、叔母様から首謀者が情報を抜き取る術を失ったことを知らされたから。

 

「潜入した二人の刑事はすでに操られた状態なので連絡は取れず、軍でも彼らを見失っていたそうですから、一緒に行方を眩ませているものと思われます。一応彼らの生体反応は確認できるそうなのですが、どうやら意識は無い様です。彼らに与えられた任務は無辜の人を巻き込まれないよう命懸けで傀儡となること、そしてここぞという場面で正気に戻し、敵の手駒を奪うこと。なかなか非道な策ではありますが、成功すれば大打撃を与えられるでしょう」

「…そんな作戦を警察が…それとも軍が提案…?いえ、今はそんなこと考えている時じゃないわね。つまりこの件、しこりを残すどころか警察に知らせないわけにはいかないということ、ね。だけど現状まだ相手を確認できていないから逮捕令状は出せない筈よ」

「ですが、警察を操っているのが分かれば現行犯逮捕できます」

「…そこも計算されている、ということね」

 

現状は総動員なんて出来ない。まだ何の罪も確定していないから。司法機関を納得させる物証がない以上動けない。

だが、それも関東圏において警察にも太いパイプを持つ七草が声を掛ければ話は変わるはずだ、とお兄様が挑発的な物言いをする。

…お兄様はいつの時点で七草先輩の転がし方を覚えたのでしょうね?挑発して貸し借りの話を見えなくさせるなんて。

ただお願いするだけではお兄様は七草先輩から借りを作ることになる。たとえ協力関係であってもそこは別。特に女性は狡猾で、そのような隙を見せれば付け入られることになると知っているとは。…藤林さんあたりに仕掛けられたかな。そういうやり取り好きそうだよね。

 

「一応声は掛けてみるけど…警察に対する影響力なら、正直言って達也くんのガールフレンドの方が上よ」

 

見事七草先輩は挑発に乗る形で恩を売りつけるタイミングを失った。

先輩お得意の揶揄いで返したつもりだろうが、だけどその案では七草家は無能になってしまう。

 

「そうですね、先輩が千葉家に声を掛けても構わないと仰るのであれば、エリカに話してみましょう」

「お願いだからやめてっ!」

 

揶揄う時とタイミング、そして相手を間違えてはいけない。いい勉強になりましたね。

お兄様はこの隙に畳みかける。

 

「そう言われましても、今夜には仕掛けたいのですが」

「わかったから!夕方までには手配するから!だからそんなにいじめないで!」

 

……やだ、先輩ったらそんなえっちな用語をさらっと。流石この魔法科世界の魔性キャラ。

その幼くも見える美貌から予想できないトランジスタグラマーなお体をお持ちで、後輩を誘惑するお姉さんキャラな先輩の敗北宣言はこう、クるものがあるよね。くっころ的な。

先輩M属性をお持ちです?だとしたらお兄様とは相性がいいはずなんですけどね。

 

「よろしくお願いします」

 

だが、残念ながらお兄様には響かなかったのか、それ以上突くことも無くそのまま礼儀正しいお辞儀を見せて、あっさり通信を切った。

 

「お疲れ様でございました。見事な交渉術でございましたね」

 

その場で立ってねぎらいの言葉を掛けると一旦こちらに下がって。

 

「…深雪、ちょっとお願いして良いか?」

 

あら、一体なんだろう?お兄様が促し二人腰掛けるなりお願いごとがある、と。

神妙な顔で何を頼まれるのだろう、と思ったら。

 

「いじめないで、と言ってもらえるか?」

 

………随分変わったお願いですね?

 

(もしやお兄様、七草先輩の「いじめないで!」の発言にときめいた、とか?)

 

正面からうるうるお目目で見つめられながら、というのは如何なお兄様であろうと威力があったことでしょう。こちらから顔は見えなかったから、実際どんな表情されてたか妄想でしかないけど。

しかし、それを私がする意味があるだろうか…。

うーん、ここでもだもだする時間は無いのよね。この後十文字先輩と一条君にも話を通さなければならないのだから。

ちゃっちゃと済まそう、と深く考えないことに決めて心に思い描くは、前世で有名な哲学を織り込んだギャグ四コママンガの小動物の『いぢめる?』のイメージ。

 

「いじめないで?」

 

胡桃を持てない代わりに胸元で祈るように手を重ね、こて、と首を傾げながら気弱そうに訴えてみた。…ら、お兄様の瞳孔がちょっぴり開いたよね。私の背後にあの独特の汗が描かれていないかな?心情的には正にアレ。

そして動かないでじっと見つめられています。目を閉じないとドライアイになっちゃいますよ。

お目目閉じちゃいましょうね、と手をかざして強制的に閉じさせると、ため息が。

 

「…深雪に言われてみたい、と思ったのだが――予定がある時に頼むことじゃなかった」

 

失敗した、と悔やむ声が聞かれますが、うん…まあ、オタク、その気持ちわからないでもないけどね?このキャラに言ってもらいたい!とか日常で思うことあるから。あの衣装、あのキャラに合う!とかね。

 

「…お兄様、まだまだ予定が詰まっておりますよ。次は十文字先輩方に連絡されるのでしょう?」

「……さっさと片を付ける。深雪は一旦部屋に戻っていてくれ」

「傍におらずともよろしいので?」

 

さっきまで傍にいてほしいと言われていたのにどういう心境の変化で?

 

「彼らに深雪の姿も、存在を感じさせる必要もない」

 

俺以外の他の男を見る必要も無い、と。

あ、はい。…そういうことですか。

今度は建前も何もなかった。顔が真っ赤に染まる前に「失礼します」とお兄様の前から立ち去る。

部屋に戻って、扉に寄りかかりずりずりとしゃがみこんだ。

 

(…突然雄みを出すのはやめていただきたいっ!)

 

ただでさえ、アレは今朝の出来事だったのだ。あんな、濃密な時間を過ごしたのは。

真っ赤に染まった情けない顔を、誰も見ていないとわかっていても覆い隠した。

 

(うぅ…お兄様はよく平常に戻ったよね…。私は演じないと無理…)

 

どれだけ恥ずかしかったか。

ずっと少しでも気を緩めれば赤面して顔を覆いたくなる状態で過ごしていた。今は一人なのでね。思いっきり隠す。

人がいないのに隠すの?じゃない。羞恥に襲われると人は自衛のためにこうなるのだ。他人がいるかなど関係ない。

しばらくそうして体を強制的に冷ましてから、私もやることをやらねばと動き出す。

見られても良い内容はメールで、まずいものはお手紙で。

黒幕おじさんは見ていなくとも英雄厨の少年は見られるのだから。

…叔母様に返す際は可愛らしい便箋を使うべきなのか?…これは報告書も兼ねてるからやめておこう。うん。

ということで水波ちゃんの部屋に行き、これをポストに持って行ってもらう。今なら四葉の人間がスタンバっているはず。もう見張りを気にしなくていいからね。

よろしく頼みましたよ。

 

 

――

 

 

それから一度ダイニングに寄ってお茶でも、と思って向かったら丁度お兄様たちの話し合いも終わったところであった。

 

「丁度いいタイミングだったようですね。これからお茶を淹れようと思っていたところです」

「俺の分も頼んでいいか?」

「喜んで」

 

何を淹れようかしら、と思ったところで今度はチャイムが鳴る。

丁度玄関にいた水波ちゃんがすぐに対応し、こちらに連絡が。

 

「黒羽文弥様、亜夜子様がお見えになっております」

 

お兄様と顔を見合わせ、リビングでお出迎えすることに。

お茶は水波ちゃんにお願いしないと拗ねちゃうだろうから。淹れる前でよかった。

 

「いらっしゃい、文弥くん、亜夜子さん。四高は今日から休校なのかしら?」

 

制服でもなければゴスロリ風の華やかな任務の服でもない。至って普通の恰好にちょっぴり残念な気もしつつ、でも可愛いなあ、と双子を眺める。

対になっている可愛い子ちゃん。…うう、どうして私はこんな可愛い子たちを愛でられないのだろう。だんだんおじ様を憎んでしまいそうになる。

 

「お邪魔いたします、深雪お姉さま。本日から四高も休校になりましたの」

 

亜夜子ちゃんが見事なお辞儀と共に挨拶をくれた。素晴らしい淑女力。ここでは淑女力と書いて戦闘力と読みます。

お兄様の件が無くとも、女には女の戦いがあるモノ、ということなのかな…。

もうそろそろ仲良くなってもいい頃だと思うのだけど、亜夜子ちゃんにその気が無さそうなんだよね。…それもそうか、大好きなお兄様を奪ったことには違いない。

表向き納得してみせていても、心まではそうもいかない。…お兄様、ちゃんとわかってます?と観察してみると、お兄様は可愛い親戚たちが来た、と微笑ましそう(妹視点)。

 

「そうなのか?三高は今日も授業だと聞いているが」

「一高の決定に追随する形で、二高と四高は今日から休校しています。他の五校も明日から歩調を合わせると聞いています」

 

この話は一応ピクシーからの報告にあった。

泉美ちゃんにはすべて対応させてしまったようで申し訳ない。埋め合わせをしないと、と思うのだが泉美ちゃんは何が好きかな。ブラウニーはこの間あげちゃったからクッキー?おリボンの形をしたクッキーにしよう。

それから話は本題に入り、近江の調査結果の報告へ。

彼が人形師の異名を取る古式魔法師であり、得意とする術式はスピリチュアル・ビーイングを死体に取りつかせて操るもので、大陸流のSB魔法師なのだと。

以前調べた時よりも詳細が詳しい。それは直接『触れて』調べられたことも大きいのだろう。以前探っていた時は探らせることも悟らせてはいけなかったから深く踏み込めなかった。

流石黒羽と津久葉の調査だ。

黒幕おじさんとは別タイプの死体操作術の使い手。死体じゃなくても操れていたけど、そのどちらにしても彼の術はスピリチュアル・ビーイング、精霊を使うことが必須なのだろう。

死霊を操る系は大陸によく聞く魔法。ポピュラーとまではいかないが伝記にもそれ系の術が描かれる物語が多いことから、その技を求める道士は多かっただろう。

同門じゃなくとも当時話題の人気の術だっただろうからね。秘術を盗んだり非道な行為も横行し、自己流で編み出した、とかちょっとアレンジを加えただけで平気で我が物顔で使っていただろうから。亜種はいくらでも生まれていてもおかしくない。

近江は約百五十年前に大陸から帰化した道士の子孫であり、伝統に忠実な術を今世まで伝えていることが密かな自慢だったそうな。だから妙にプライドが高く、孤高を気取っていたのだろう。

古式魔法より歴史はあっても日本では新参者扱いを受け、屈辱に思っていたみたい。周囲に迎合し、溶け込もうとする両親にも不満を持ち――そのままこじれて孤独になったところに付け込まれた、と。自身の術に誇りを持っていたからこそ、見下されることが許せず、禁忌に手を出した。

環境に同情はできなくも無いだろうけど、したところで彼が浮かばれるものでもない。

 

(さぞ、同郷の士に頼られるというのは彼の自尊心を高めたことだろう)

 

その結果、彼は利用されて死に至ったのだけれど。

 

「他の協力者に関する情報は?」

「近江の遺体に残された残留思念を分析したところ、顧傑は新たに二人分の死体を調達したようです。――顔の確認はできなかったようですが、恐らく」

「それが千葉警部と稲垣警部補、か。黒羽にも津久葉にもわからなかったということは、かなりハイレベルな魔法師なんだな」

 

エリカちゃんのお兄さんは隠形のレベルが高いらしいから、その影響で知覚系の魔法に抵抗する強いのだろうか。

ただ、『死体』を二人分、と言っているということは仮死状態でもちゃんと死人扱い出来ているということだ。でないと黒幕おじさんを騙せないか。

 

「吉見さんも夕歌さんも達也兄さんと同じ意見です」

 

吉見さんとは過去に慶春会でも直接挨拶したことが一度だけ。とても人見知りなのか近寄ってもくれなかった記憶が。

そして夕歌さんも一緒だったのね。近くに来ているなら顔を出してくれてもいいのに。

あれからメールのやり取りを一回、辺り障りない社交辞令のような内容の無いものを交わして以降何の音沙汰も無い。

まあアレからまだ一月半しか経っていないし、しかもこんな大騒動が起きているのだ。気軽に連絡も取れない。

この件が終わったら労いを兼ねてお礼を伝える連絡を入れてもおかしくないよね?その流れでお茶会のお誘いでもしてみようかな。

場所は夕歌さんの方に決めていただいた方がきっと良いよね。女子会って言っていたから水波ちゃんは連れて行ってもいいかしら?…お兄様には待っていただくことになるのが心苦しいところだけど、夕歌さんとは仲良くなりたい。

…もう少し待てば、ドキッ四葉だらけのマンション!に暮らすようになるからその時でもいいとは思うのだけど、その前に外で、と思うのは贅沢すぎるだろうか。

と、考えている間にお兄様は難しいことを考えているご様子。

ごめんなさい。お兄様が精神とは何か、命とは、と考えている横で美人さんとのお茶会のことを考えて。

真剣に考えられているお兄様の横顔を、素敵だなぁ、と眺めていたら双子が声を掛けるタイミングに間に合わなかった。

 

「達也さん?」「達也兄さん?」

 

タイミングが一緒。こういう双子の神秘を見るのってなんだか羨ましいのを感じる。強い繋がりを感じられるよね。

お兄様とは同い年だけれど、四月生まれと三月生まれな上、お兄様と一緒に育ち、同じように教育されたわけでもない。共有した時間は短いのだ。

だからちょっと憧れてしまう。

これを友人たちに言うと「アンタたちは偶にそっくりな時があるわよ」と返ってくるのだろうけどね。双子のそれとはまた違うよね。

 

「ああ、すまない」

 

思考の海からお帰りなさい。そんな気持ちで微笑ましく見つめていたら、お兄様から「ただいま」と返された。

それに黒羽姉弟が疑問符を浮かべているが、…お兄様、心を読んで返すのはお止めください。伝わりませんから。

 

「それから、こちら夕歌さんから深雪さんへ渡すようお預かりしてきました」

「まあ、夕歌さんから?」

 

そう亜夜子ちゃんが取り出したのは――はて、どこかで見たようなファンシーな柄のレターですね?四葉女子内で流行ってます?

お礼を言って受け取るのだけれど、お兄様?お体が傾いておりますよ。見られて困る内容ならそう亜夜子ちゃんが言うだろうから問題ないのだと思うけど。

中身を取り出すと、こちらは猫ちゃんだった。可愛い。ちょっとデフォルメされたぶち猫ちゃん。肉球の模様も可愛いですね。…夕歌さんがこれを用意されたの?すっごく気になるんだけど。

そして中身は――

 

「…本当にやるのか」

 

両想いかな?なんて素敵なタイミング!期待していた女子会のお誘いです。しかも二人きりで秘密のおしゃべりしましょう、って!…ってことは水波ちゃんもダメなのかな?ちょっと相談しよう。うちの子も面白い恋バナを持ってますよ?

お兄様は眉間にしわを寄せられてますね。男子禁制と太文字で書かれてますから。これって絶対お兄様が見ること前提で書かれてる。

私がお花を飛ばしている横でお兄様が不機嫌になったことに、目の前の黒羽姉弟が動揺してしまった。すまない。こんなお兄様、はじめて見たのでしょうね。

早くお返事を書きたいけれど、お兄様がいる時は書けないかも?

 

「亜夜子さん、届けてくださりありがとうございます」

 

とりあえず亜夜子ちゃんは何も悪いことしていないよー、と笑顔で返しておく。

お兄様も、今話すことではない、と切り替えられた。

 

「それで、二人が来てくれた理由は調査結果を届けることだけが目的ではないだろう?――俺が出ている間の、深雪の護衛に来てくれたのか?」

 

このお兄様の洞察力・推理力に二人はお手上げ、と肩を竦めて経緯を説明。

十文字家や七草家、一条家と行動するような協力は四葉の精神干渉系魔法という手の内を知られる可能性があるので避けるべきだが、お兄様には協力したい、と自分たちから立候補したのだとか。

優しいよね。そしてそんな二人に慕われているお兄様が誇らしい。彼らは自らの意思でお兄様の役に立ちたいと思ってくれているのだ。これが嬉しくないわけがない。

 

(でも、これもちょっと謎なんだよね。亜夜子ちゃんが今述べているように私の方が二人より強い。はっきり言って深雪ちゃんに護衛など本来必要ない。お兄様は心配性だけれど、この家に水波ちゃんと二人しかいなくともお兄様の任務に支障はないことを、彼らもわかっていそうなのに)

 

なぜ、彼らが来たのか。メタい話をするならば、亜夜子ちゃんの恋の終止符を打たせるため、とも言えなく無いのかもしれないが――それは慶春会で十分打たれたように思う。

 

(それに、もしそうなのだとして、私でその役目が務まるのか)

 

原作のように任務後お兄様が落ち込まれていたのだとしたら、当然慰めるだろう。お気持ちを晴らして差し上げたいと。

だが、そこに愛はあっても恋情は無い…と、思う。

 

(今日だって七草先輩とのやり取りに嫉妬を抱かなかった。…私はお兄様に恋を…できないのではないだろうか?)

 

そんな不安が押し寄せる。

だとしたら、恋をしている女の子たちにも悪いことをしているような気がして、そして何よりお兄様のお気持ちにお応えできないことが申し訳ないように思えて――と考えたところで今朝の『不誠実』な自分が思い出され、目の前のお茶に手を伸ばし、顔が赤くなるのを誤魔化した。

 

(ふしだら!私は何てっ、はしたなくふしだらなことを…っ!)

 

封印した記憶がよみがえり、淑女の鎧で何とか体を押さえつけたけれど、どうしよう。今すぐここから逃げ出したい焦燥感に駆られる。

心がそわそわ落ち着かない状態でも、お客様がいる前では淑女の仮面は頑丈になるようで、微笑みが崩れることは無かった。

二人から日曜日まで交代でここに寝ずの番で泊まらせてもらいたい、との原作通りの提案される。

…これも不思議なんだけど日曜まで、と彼らは考えていたみたいだけれど、その根拠は何だろう?学校が休みだから?事後処理含めての護衛期間、とか?

決着を今日つけるつもりだとお兄様は四葉に報告している。それだけの包囲網もできた。

…今回の件、もしや私が積極的に動きすぎたことに気付いた貢おじ様から探りを入れられてる、とか?だが黒羽から疑われるものは特にないはずだ。すでに次期当主に決定しているし、謀反の予定は欠片もないから。何らかの叔母様の命で諜報に来るようなことも無いはずだ。

…ないよね?私たちの生活風景を見てきなさい、とか命令されてるかも、と一瞬過ったけれど、亜夜子ちゃんがお兄様に恋をしていたことは叔母様もそれとなく分かっていたと思うから、そんな酷な任務を与えるとは思えない。

 

(うーん?やっぱりこれは神の采配の残り、かな?)

 

原作強制力、かもしれない。

そんなことを考えていたら今度はお兄様から提案が。あれだね、ホテルから荷物を取ってきてうちに泊まりにおいでっていうお兄様の気遣い。…と思っていたのだけど。

 

「二人共、ホテルを引き払ってうちに泊まっていったらどうだ?そうだな。文弥は俺の部屋を使うといい。亜夜子は、――深雪」

「はい」

「深雪の部屋を貸してやってくれないか?」

 

はて?私の部屋を、亜夜子ちゃんに?

 

「…それは亜夜子さんと同室で寝るということですか?」

 

予備のお布団はあるからできなくは無いけど。でもそれお兄様と同室の文弥君はまだしも、亜夜子ちゃんと私では気まずいのでは?

私はもちろんかわいい子ちゃんと同室は構わない。亜夜子ちゃんのパジャマってどんな感じかな。大変興味はあります。

 

「ん?いや、俺と深雪が一緒に寝れば二つ部屋が空くだろう?」

 

(…んん?どういうことです?)

 

お兄様の言葉は一言一句聞き取れているのに理解ができない。

その時だ。今まで壁際に立って空気に徹していた水波ちゃんが鋭い声を上げた。

 

「達也様!」

 

お怒りです。…でもなぜそんなに毛を逆立てて怒っているのかしら?

お兄様は何を言ったのでしたっけ?

目の前の黒羽姉弟も顔色が変わりましたね。文弥君は真っ赤、亜夜子ちゃんは…引きつってますね。

 

「姉弟とはいえ男女が一緒の部屋というのは不便だろう?」

「だからといってお二人が寝室を共にする必要性はございません!」

「他に空き部屋は無いぞ?」

 

文弥君がお兄様の部屋で寝て、亜夜子ちゃんが私の部屋で寝る。それだと二人が一緒に寝る機会が奪われてしまいますね。お兄様は原作クラッシャーです?見事な破壊っぷりです。

…それで?部屋を彼らに貸し与え、私たちは…あの客間です?…慶春会から戻ったあの日以来、近寄ってもいない、あの…?

 

パリンッ!と仮面が割れた幻聴が聞こえた。

 

頭から煙が上がるほど熱が上がり顔が真っ赤になった、と思う。体中熱くてたまらない。

 

「俺たちは婚約者だから同室で寝てもおかしくは無いだろう」

「婚約者だからといっても、です!…一応尋ねますが、達也様は深雪様と――、同じベッドで寝て、手を出さずにいられるのですか?」

「叔母上からは大歓迎と言われていたが?」

 

……

………

うん、今何が起きているか説明すると、水波ちゃんが私の目の前に障壁を張って、お兄様が分解、これが繰り返されてます。

 

「無駄なく多重展開できているな」

「、達也様に調整していただいたCADと術式のおかげでしょう!」

「だとしても、だ。今日一日でこれだけ使いこなせるようになるのは流石だ」

「そう言いながら壊していくのはお止めください!深雪様から離れてください!」

「それは無理だ。今日から深雪と寝室を共にする。もう決めた」

「決めた、じゃございません!達也様はケダモノですか!」

「男は皆ケダモノだな」

「達也様!」

 

………あー、うん。お兄様もお疲れだったから。これからもストレス溜まることが待ち構えてますからね。

 

「お兄様」

「何だい?」

 

いつか聞いた、ふわふわ甘々の蕩けたお声ですね。

もしかしなくても今朝のアレで箍も外れたままになってますか?大変危険な状態。

声だけでぐらっときそうになるのを何とか堪え、淑女の笑みで応戦する。

 

「お兄様はこれから大変な任務を終えられて帰宅されるのですから、広いベッドでゆっくりお休みくださいませ。私は水波ちゃんと一緒に休ませていただきます。守護者が隣にいれば、お兄様も安心でしょう?」

「…俺よりも水波を選ぶのかい?」

「、水波ちゃんの障壁はお兄様のお力でさらに強くなったのでしょう?お兄様に視守っていただき、水波ちゃんに守ってもらえればそこより安全な場所はございません。違いますか?」

 

…お兄様から「俺よりも〇〇を選ぶのか…」を言われる日が来るとは思いませんでしたよ…。

表向きほとんど動揺しないで見せた私を誰か褒めてほしい。

このまだ続きそうな無益な争いを止めたのは、亜夜子ちゃんでした。

 

「深雪さんを自室から追い出して寝られませんわ。わたくしと文弥に一部屋お貸し願えますか?」

 

原作の通り同室で寝ることを提案したのだ。

文弥君が驚いているけれど、異を唱えることは無かった。彼としても姉の為にも、私たちが同室になっての一つ屋根の下、という状況は避けたかったのだろう。…ありがとう。感謝しかない。二人の決断に深々と頭を下げる。心の中で、だけど。

お兄様は二人が良いならそれで、と引き下がった。

そして部屋を整えるよう水波ちゃんに頼んで。

 

「ではわたくしたちもホテルから荷物を取ってきます」

 

立ち上がる亜夜子ちゃんたちに続いて、お兄様も立ち上がる。私も続くのだけれど、お兄様の手が頬に当てられて。

 

「俺ももうすぐ出かける。今日は帰れない可能性が高い。深雪、後は頼んだ」

「はい、お兄様」

 

…頼む時に頬に触れる必要は無いと思うんだけど、皆がいるからこれでも抑えている方なんだろうな。

その手に重ねるよう手を添えて、頬を押し当ててから引き離す。…それ以上はだめですからね。

 

「達也さん、ご武運をお祈り申し上げますわ」

 

うーん、視界の端の亜夜子ちゃんの顔がちょっと引きつってます、申し訳ない。

それでも淑女らしい所作でもってかけられた亜夜子ちゃんの激励に、お兄様は力強くお応えになった。

 

「明日の朝までには、片を付けるつもりだ」

 

宣言された横顔はとても素敵で、繋がった手から熱が伝わってしまうのでは、と思えてすぐ離したのだが、お兄様にはお見通しだったのかちらっと皆にわからない程度の流し目をいただきました…。

それをすまし顔で受け流した自身を褒めながら、文弥くんたちを見送ってから出かける支度のお手伝いへ移行する。

 

 

――

 

 

一旦部屋に戻ってからお兄様の部屋に。手にはいろんな道具の入った箱を携えて。

 

「それは?」

「説明しながらお渡ししますので、まずはお召し物を脱いでいただいてよろしいですか?」

 

出かけるにはまだ時間はあるが、このグッズたちの説明もある。

お願いするとお兄様は服を脱ぎ始めた。

軍で訓練させられているだけあって行動が早いのだけど、

 

「し、下着はこちらの物をお召しください!」

 

早い早い早い!そして何より躊躇いが無さ過ぎる!お兄様がくすっと笑ったけれどそれだけで、差し出したボクサー型の下着を手に取って素早く身に付けた。

 

「そちらは防弾、打撃用武器に強い素材になっております」

「金的狙いの対接近戦用か。面白いな」

 

以前ハンカチ型の試作品をお渡ししたが、それの進化版。特殊金属を織り交ぜた、衣類にしか見えない防具だ。

そして、

 

「こちらは一見包帯のようですが、特に防刃特化の素材でできているのだとか」

「千葉警部と稲垣警部補対策か」

 

軍からは、長時間術のかけ直しができていないので洗脳が解けにくくなっている恐れがあることは連絡があった。

多少戦うパフォーマンスは必要であったが、黒幕おじさんが去った後は解ける予定のはずだったのに、解呪(どうやら呪術的な魔法らしい)に時間がかかるとのこと。そのため時間稼ぎが必要なんだとか。

殺さないように避けながら、もしかしたら正気に戻すために多少痛めつけなければならない可能性もあるんだって。ここまで説明されるってことは戦闘が避けられない可能性が高い、ということだ。

相手に意識がないため当然向こうは命令されたままに殺しにかかってくる。だからこそ、念のための防刃に備えてこのような道具を揃えた。

包帯のように通気性や収縮性は無いので包帯としては使えないが、頑丈なロープにはなるそう。犯人捕まえる時とか便利だね。

そういうことをいちいち説明しながら巻くのだけど、…これは精神修行かな。まずは腕を、肘などの関節部分を避けてて一通りくるくると。両腕に巻いた後は、首元に。

手が今にも震え出しそう、というか震えるよね!緊張しないわけがない。

 

「…苦しくはございませんか?」

「深雪にならそれも良いかもな」

「…お兄様」

 

…一体どんなことを私に期待されているのです?それどんなマニアックなプレ――げふん。何を期待されているかさっぱりですね。

 

「冗談だ、苦しくもないし、動きも阻害しない。通気性が悪いと言うが、風を通さないなら防寒にもなりそうだな」

 

確かに。発散が使えれば蒸れる心配も無い。

 

「では、こちらも…」

「正面からでないとやり辛いんじゃないか?」

 

くすくすと笑うお兄様に、羞恥心を煽られながらも胸回りにくるくる腕を回して布を巻く。

正面からなんて、できるわけがない。今背中から腕を回すのだって心臓に限りない負担をかけているというのに。

 

「…分かっていて揶揄うのは酷いですよ」

「そうは言うがな、こちらも耐えているんだからお相子じゃないか?」

 

…お兄様は大人しく直立不動を保つことを頑張っているそうです。…急いで巻き終わらないと大変なことになりそう。急に頭の中でカチコチ音が聞こえた。タイムアタックのカウントダウン?やめて、余計に焦っちゃうから。

 

「…もう、お兄様ったら。先ほどもそうです。亜夜子さんたちの前での、あの話は何です?」

 

あの、婚約者は同部屋発言である。

 

「良い案だと思ったんだがな」

「まったく!ちっとも!よろしくありませんとも!!」

「ふ、怒った深雪も可愛いな」

 

…姿見越しに顔を見られているのは分かっているが視線は合わせられない。お兄様は本当に意地悪だ。

 

「あまりいじめられるようでしたら、本当に水波ちゃんのところで過ごしますよ」

「……わかったよ」

 

だから水波のところにはいかないでくれ、ってお兄様、水波ちゃんを恐れるようなことありました?と思ったら、

 

「俺以外に頼られるのは堪える」

 

だそうです。…さようでございますか。

口元をキュッと閉めて変な声を出さないようくるくる巻くことに集中する。

 

「夕歌さんとのお茶会が実現するとはな」

 

ん?話が飛びましたね。まだ正式に決まったわけでもないですが。

 

「これで亜夜子たちとも仲良くなられたら、深雪を取られてしまいそうだ」

「…仲良くしたところで、お兄様から離れるわけではないと思うのですが」

 

……急な独占欲を見せるのはお止めください。ただでさえ浅く薄く呼吸をしながら作業をしているのに、より酸素が薄くなってしまう。血流がせっせと運んじゃうから足りなくなっちゃう。

ようやく胸の部分が終わり、腹部に――原作で斬られた横腹の当たりに来たというのに。

 

「足りない。もっと、と。…だめだな。今日は特に箍が外れてしまったから」

 

そう言って布を押さえていた手を取られてしまった。

 

「お兄様、」

「全然足りないんだ、深雪が」

 

鏡越しでお兄様の瞳に射抜かれる。瞬時に赤くなる己の顔を見る羽目になり、余計に羞恥に襲われる。

 

「動いてはだめですっ」

 

せっかくここまで巻いてきた分が緩んでしまう、と止めようとしたのだけれど、お兄様の鏡越しの目はそれも許してくれない。

 

「少しだけ、これで我慢する」

 

そう上体を捩って頬を捉えられてしまった。直に見つめ合い、徐々に顔が近づく。

瞳を閉じると、そっと触れるように唇を重ねられた。

 

「…まだ、終わっておりませんのに」

「なら、終わったらご褒美をくれるか?」

 

この終わったら、というのが布を巻く作業のことではないことを悟る。

でもお兄様、それは言ってはならないワードです。

 

「……お兄様、そう言うのをフラグが立つ、というのですよ」

「フラグ…旗、何らかの条件が成立した状態を指す言葉だったと思うが」

「『この戦いが終わったら結婚するんだ…』等のセリフを言う兵士が、戦場で帰らぬ人になるという、お決まりの展開のことを指す言葉でもありますね」

「…つまり俺は今、任務が失敗する『フラグ』を立てたということか」

 

正解ですお兄様。

とはいえお兄様の任務が失敗することなんてありえませんけどね。

もしものことがあっても――私が、そんなことさせないから。

 

「はい、巻き終わりました」

 

何とか苦行を終えました。…それでも薄着というか、下着に包帯を巻いただけの格好なんですけどね。

太腿あたりを巻いている時のお兄様はちょっと気まずそうでしたが、ふくらはぎまでばっちり巻きました。

その上に耐衝撃用のインナーを身に付けてもらい、耐熱用の素材でできた銃撃戦向けの防弾メインのライディングジャケット一式を羽織ってもらう。いたるところにポケットがついていて、武器も仕込める優れもの。

使いやすい得物をいくつか選んでもらい、次々に仕込んでいく。…暗器系がお得意です?原作にあったナックルガード付きのナイフや銃は分かるけど千本とはマニアックな。殺傷能力も低く、風抵抗が少なそうで使いやすそう?コツのいる武器なんだけど大丈夫かな。そしてお兄様、ためらいなく投げつける気満々ですね。…ごめんエリカちゃん。お兄さんの体に穴が開くかもしれない。

それから完全思考操作型CADと両手首に思考操作対応型のシルバートーラスが。

…うん、とてもカッコいい。

お兄様には闇夜に紛れる黒が良く似合う。

 

「先ほどはあんなことを言いましたが、お兄様は無事帰還されます。私のもとに、必ず帰ってきます。お兄様の敗北はあり得ません」

「ああ。俺は必ずお前の元に帰ってくる」

 

敗北とは、死を意味する。お兄様は死神に嫌われる魔法をお持ちだから敗北なんてありえない。

スッと私の前でひざを折り、手を取ると指先にキスを落した。

 

「深雪に誓う」

「――信じます。お兄様、どうかご無事で」

「ああ」

 

それからリビングに下りて水波ちゃんを交えて最終の打ち合わせを。

敵は首謀者だけにあらず。USNAも絡んでくることも承知している。

千葉警部たちと一戦を交えたように見せかけ、相手の最後の手駒をはぎ取り黒幕を追い詰める。

 

「任務の目的は警察と協力し、黒幕を突き止め、捕縛すること――でもありますが、何よりも達成が必要なのは事件が解決したという事実です。我々の勝利条件はそこに尽きます」

 

証拠は完全にあるとは言えない。

やはり、しぶとく生き残ってきた妖怪は隠匿も一枚上手だった。

首謀者と思われるという状況証拠は挙がっても直接的な関与となると難しい。無頭竜も、横浜事変も、彼に繋がる証拠は無かった。せいぜい周の関与くらいのモノ。――だからこその仕込み策でもあったのだが。

 

「この件はただのテロではないのです。ただのテロなんかで誤魔化すなどさせません」

 

 

――そう、これは魔法師全体を呪い、滅ぼすための命懸けの呪術。

そして、この計画を邪魔することは私にとって原作のお兄様の敵討ち。お兄様に数多の厄介事を押し付けた根源を打ち滅ぼすチャンス。

 

 

「ですからお兄様、刺し違えてでも相手を打ち倒すことなんて考えてはいけませんよ?深追いもしなくていいのです。――首謀者が国外に出る前に片は絶対に付くでしょう」

 

たとえこちらが仕留めずとも、彼の命運は尽きている。

 

「USNAには、必ず討たねばならない理由がある、と。だが、死体の回収は必要だろう?」

「お兄様の打ち込まれた印は死者になってしまうと『眼』で追えなくなりますか?」

「試したことは無いから憶測になるが、打ち込んだのはサイオンの銃弾のようなものだ。もし顧傑が魔法で攻撃された際に事象が塗り替えられるようなことになれば難しいかもしれない」

 

弾丸と言っても物体ではない。強いサイオンの衝撃があれば掻き消えてしまう恐れがある、との見解だった。

まあ実態があったところで木端微塵にされてしまえば何も残りようがないのだが。

 

「例えばですが、死者となってもお兄様の目で追えるような魔法がかけられたままの状態であれば、海の底に沈もうとも見つけられますか?」

「――……深雪、まさかとは思うが」

「可能性のお話です」

 

――ああ、お兄様は気づいてしまいましたか。

もしかしたらそんなことはしてほしくないという思いが、その可能性をいち早く気付かせてしまったのかもしれない。

 

「すでに叔母様とは最終手段として話はついております」

 

この言葉には、お兄様も黙るしかなくなる。

それはもう四葉の決定事項だから。

 

「そうならないように、俺がケリをつける」

「お兄様、目標を見失ってはいけませんよ」

 

苦い顔で決意をするお兄様を宥めるように声を掛けるけど、うーん、これは話すタイミング間違えたかな?

でも何手先も読み、どんな可能性も考えておかないと。この戦いは絶対に負けられない戦いだから。

殺すだけなら一瞬なのに、との物騒な呟きに、実は最初から傍に控え、空気に徹していた水波ちゃんがぎょっとしていた。

別に今更殺すことには驚かないが、お兄様が悔しそうなのが意外だったのかな。

どんな時も余裕があるのがお兄様だから。

もしお兄様が追い詰められ、何かしでかそうになったら、先生は是非止めてください。『上』から頼まれているでしょう?こうして煽っておいてなんですがよろしく頼みます。

その後、玄関から出てお見送りするのだけど、お兄様がバイクに跨る姿を見て。

 

(このバイクともお別れなのかぁ…お兄様も愛車と言うくらいだから愛着があったんだろうな)

 

そう思うとこの姿を目に焼き付けなくては、とじっと見つめてしまう。

 

「…落ち着いたらまた遠出をしよう」

 

それをバイクに乗りたい、と思われたみたい。

あれ?でも確かこの後もお兄様がバイクに乗られる描写があったはずだから、ぶった斬られた後に再生を掛けるのだろうか?でも、アレも一応証拠として回収されるのでは…?

とりあえず心の中で感謝して手を振ってお別れを。

 

「ええ、お兄様と出かけられること、楽しみにしております」

 

バイクは変わってもお兄様と一緒ならそれでいい、という意味を込めて返す。

 

「いってらっしゃいませ」

「いってくる」

 

特別なことなど何も言わない。

ごく普通の挨拶で送り出す。

ここはお兄様の帰ってくる場所だから。ただ一言、ただいまと言って帰ってきてくれるだけでいい。

お兄様は振り返ることなくバイクを走らせた。

もう、夕日が沈む時刻。

オレンジ色の空が、闇に覆われていく。

 

「冷えたわね。水波ちゃん、紅茶をお願いできるかしら」

「すぐご用意いたします」

 

玄関の明かりが自動で灯る。

長い夜が、始まった――。

 

 

――

 

 

とはいえ、お家待機の私たちにできることなど何もなく。

戻ってきた文弥くんたちとのんびりと食事を楽しみ、おしゃべりをし、四高と一高の違いを話したりして過ごすだけであっという間に時間が過ぎていった。

びっくりするぐらいきな臭い話が出ないのは、二人が私を気遣ってなのだろうと思う。

任務はすべてお兄様が引き受けていらっしゃったし、お兄様ができるだけ関わらせないようにしていたのを彼らは知っているのだ、きっと。

この二人は本当に、お兄様がお好きなんだね。次期当主だからではなく尊敬するお兄様の大切な人だから、私も大事にしてもらえている。

それは嬉しいことでもあるけれど、疎外感もある。原作の深雪ちゃんならこのことを「お兄様っ…」と感激するところかもしれないね。

お兄様の戦っている世界と隔絶されたこの箱庭では、時間の流れも違いそうだな、とおかしな錯覚を起こしそうだけれど、残念。

 

(ちゃんと外の世界と繋がっているのよね――お兄様も感知できない、細く不可視の糸で)

 

時間的に、千葉警部との一戦は終わる頃合いだろう。

顧傑たちの戦場はそろそろ浜辺に向かっているかもしれない。

これだけ離れていては、お兄様の怪我も、心の痛みも伝わってくることは無い。――そもそも、そんな展開になってない可能性もある。

それなのに、なぜか心がお兄様が苦しんでいると痛みを感じていた。

双子でもないのだから共感覚なんて持っていないのに。

もしかしたら妄想による――原作知識をもとに勝手に想像し痛んでいるだけの幻痛という可能性もある。そちらの方が現実味がありそうだ。

だが、直感がそうでないと告げる。

 

(…おかしいね。沖縄でも、お母様に直感なんてないはず、と言われていたのに)

 

私自身も、そう思っていた。

でも、――お兄様にだけは違うようだ。

何故か、お兄様のことならわかる――そんな気がする。

痛む胸を抑える暇も無く端末を操作し、掲示板や掲示板に偽造された報告などを色々とチェック。

それだけで時間はあっという間に過ぎていく。それだけリアルタイムに入ってくる情報が多いのだ。

現場の状況がおぼろげに輪郭を表していく。

車の破損や街路樹等に損壊があるようだけれど、今のところ一般人に怪我人が出たという話はない。

派手にやり合った七草や十文字にはそれなりに怪我人がいるようだけど、重傷者についての情報は今のところ入っていない。

確か原作では救急車が必要になる怪我人が居たはずだったけど、まだ出ていないのか、それとも敵の所持している武器について可能性を提示し忠告していたおかげか。

 

(!――進展有り。ようやくここまで来た…)

 

「深雪様…?」

「どうやらお兄様は海に出られるようよ。七草家長女の用意した船に九重氏と一条家長男も同船されているのですって」

 

この様子だと、お帰りは日付が変わるわね、とあっさり告げれば黒羽姉弟が揃って驚いた表情でこちらを凝視していた。

その様子にクスリ、と笑う。

ごめんなさいね。貴方たちが外界と関わらせないようにしてくれていたのに。

 

「報告が上がってきたの。叔母様から次期当主として把握しておくことも必要でしょう、って」

 

これまで直接このように任務に携わってきませんでしたからね。あまりに自然と情報が上がってきて、それを冷静に分析しているから驚かしちゃったらしい。

彼らは侮っているつもりはないのかもしれないけれど、私はお兄様の箱庭で大事にされていたから何も知らない無垢な存在かと思われていた、というところか。――四葉に居て、次期当主となってそれではまずいだろうにね。

もしかしてこの二人が派遣されたのって、このことを見せるためだったのかも。叔母様が派遣した説が濃厚になった。

 

「あとはUSNAに任せてしまっても良かったのだけど、お兄様も一条さんたちに感化されてしまったかしら」

「…どういう、ことです?」

 

亜夜子ちゃんから訝しむ声が。お兄様が首謀者捕縛しようとして動かれていることを知っているからそうなるよね。

お兄様は確かにそこに重きを置いているけれど、この任務で一番重要なのは事件の犯人を上げて事件を解決させること。

――この二つは同じようでいて微妙に異なる。

 

「まだ諸々の裏付け証拠自体は集まっていないのだけれど、首謀者には現行犯として逮捕される理由ができたのよ。警察官を操って有志の民間魔法師を襲わせた、とね。器物損壊、傷害罪、交通法違反も加わって、警察の制止も振り切りバリケードを破っているから公務執行妨害も含まれるでしょうし、街中でグレネード等の危険物を景気よく放っていたようだから、ただの銃刀法違反どころじゃすまされないでしょうね」

 

一般人や反社会の武装組織だってグレネードなんて簡単に手に入らない。というか現役警察官操ってるなんてもうその時点でアウトだ。

その、人を操る術は箱根のテロに関与を窺わせるには十分で、後はゲロってもらえれば万々歳。万事解決になるけれど、現段階だけでもこの男が無関係ではないと思わせるだけの状況証拠が揃っていた。後はストーリーを仕立てれば世間が勝手に納得する。

 

(別にお兄様が本気で一条君に感化されたとか、そんなことではないとは分かっている)

 

お兄様は『魔法師』を、本人の意思を無視し、『道具』として使うことに不快感を覚えた。そして死を侮辱するような術に激しい憤りを抱いた。

この魔法を知った瞬間からお兄様にとって黒幕おじさんは野放しにしてはならない敵と認定されたのだ。

だから今は視野が狭くなってしまっている。…それは、とても人間らしい思考でお兄様の心の変化を感じられるのだけど――。

 

「これなら三時間くらい仮眠が取れそうね。水波ちゃん、一旦下がっていいわ」

「ですが――」

「ここでは何も起こらない。事件は現場で起きているから」

 

名台詞を言う機会が巡ってくるとは思わなかった。こんな時だけどちょっと嬉しい。

真面目腐った顔で内心こんなにふざけていてごめんなさいね、と詫びながら。

 

「わたくしたちは、護衛でこちらに来ているので…」

「護衛も休める時に休んだ方がいいのではないかしら?この家に襲撃しそうな魔法師の情報は入っていないようですし、来たところで、何かしようものならセンサーに引っかかるはず。その時間があれば私たちなら何とでもなるでしょう?お兄様の移動ポイントを見ても、最低三時間は戻ってこれないわ」

 

はっきり言って今こちらを狙われる可能性は限りなく低く、戦略級魔法でも使われない限り私たちに危機はない。現段階でこの家が狙われる理由も無い。

よってお兄様が戻られるまでの三時間、私たちにすることは何もない。

断言すると、彼らは迷いながらも一旦各部屋に戻ることになった。

自室に戻るなり端末に送られてきている情報、掲示板の情報を見ながら、普段出さないディスプレイを取り出して――。

 

「お待たせしたわね、ピクシー」

「この通話はデータを残さないものになっております」

「ありがとう、助かるわ」

 

日中にメールで送った中にピクシー宛にも送っていた。

 

「男の現在地と、乗船している船はUSNAと交信できるものになっており、その回線を通じ、船の電気系統は掌握しました」

「仕事が早いわね。でも、気取られて回線を絶たれたりしない?」

「回線が絶たれたところで先に侵入してしまえば何の支障もありません。絶たれたよう偽装することも、実際切られたとしてもこちらから回線を繋ぎ直すことも可能です」

 

…つまりすでにあの船体はピクシーの手(正確には触手かな?)に落ちているのね?

イメージ的に本体は学校のピクシーの中に居て、触手を伸ばして遠いところに『足』を延ばしている状態、らしい。

先に侵入させてしまえばいくらあちらで通信を遮断しようとも、それは誤魔化されているだけで実際には切れない、ようにできてしまうと。――完全掌握ってそういうことか。恐ろしい。

 

「ちなみに船には小型艇もあるはずね?」

「そちらは何時でも発進できるようスタンバイ状態でしたので、こちらも掌握済みです」

「…でもそちらはまた別の回線なのではないの?」

 

いくら船の中にあると言っても別の船なのだから同時に掌握などできないのでは?と思ったのだけど。

 

「深雪様、勘違いをさせてしまったようですが、私はネットの回線のみを行き来するだけでなく、電子で繋がっていればどこにでも繋がることができます」

 

………今、さらっととんでもないこと言わなかった⁇

 

「ええっと、ピクシー?つまり貴女は電気の通っているところなら、繋がりを辿ることさえできればどこにでも潜り込むことができる、ということ?」

 

確かパラサイトってそんな簡単に寄生することができないのではなかった?

…ピクシーという人型ロボットに寄生したことで電子回路の仕組みを学び、こんなこともできるのでは?と実行したらできちゃった、的な⁇これ、他のパラサイトに知られたら世界が乗っ取られてしまうね。そんなSF映画があったような…、って、現実逃避している場合じゃなかった。

まさか、という思いを抱きつつ問いかけると、答えは――yes。机の上にあるネットに繋がっていない筈の、コードで繋がれている骨とう品のシェードランプが点滅した。

…マジですか、ピクシーさん。

もう軽々しくピクシーちゃん、と呼べなくなった気がする…。呼ぶけどね。

とはいえ電気が通っていないと無理だけど、こうしてコードだったり、電子のやり取りが行われている状態であればネット環境があろうとなかろうとどんなところも操作できちゃう、と…。この、電化の進んだ世界でそれってもうほぼ最強なのでは?ピクシー一人でラスボスレベルに。

ただ、このように外部を操作している間、3Hとしての活動はおろか、ボディが動かせない無防備状態になるのだとか。

彼女としては現在のボディを気に入っているので、長時間動けなくなるのは『嫌』なのだそう。

驚愕する情報が山のようにあるけれど、何よりもまずすべきことがある。それは、

 

「凄いわピクシー。そんなことまでできるようになるなんて。撫でてあげられないのが悔やまれるわ」

 

可愛い子の成長を褒めること。

彼女は自分なりに頑張ってどうやったらお兄様の役に立てるか、と考えたのだ。

これを褒めずにいられるわけがない。

 

「休校が終わったら、褒めていただけますか?」

「もちろんよ!」

 

可愛い!初めての催促がそれでいいの?!というくらい健気で可愛らしいお願いに二つ返事で答えた。

 

(…あれ、催促…?ピクシーがお願いを…?これって『心』の成長では…?)

 

基本パラサイト自身の欲求って仲間を増やすことだけだったはずで、トレースした人間の望みを行動原理にするものだったのに。

ほのかちゃんの祈りに惹かれてお兄様の役に立ちたいという願望を手に入れて、名を手に入れた『ピクシー』はもうただのパラサイトとは呼べない存在になっていた、らしい。

いくらほのかちゃんの望みをトレースしたとしても、このように感情や新たなる願いなど生まれるのだろうか?

お兄様の役に立ちたいという想いが人の心というものまで学ぶようになり、学習した彼女だからこそ、芽生えた…?

あ、でも触手が時折甘える仕草はあったから、それを自分の願いだと自覚できるようになって、表現――言語化できるようになった、ということかな。

よくわからないけれど、だとしても凄い成長だ。

 

「深雪様?如何しましたか?」

「大丈夫よ。学校に行ったらたくさんおしゃべりしたいわ、と思ったの」

「はい、楽しみです」

 

うん、画面のピクシーちゃんのニッコリ笑顔。…これは念動力でやってるね。思えばこれまでの会話もスムーズにしゃべっていた。でも離れているせいか触手の動きがわからないことがちょっぴり寂しくも思う。

って、そんなことを考えている場合じゃないね。

思わぬピクシーの新能力のおかげでやれることが増えてきた。すごい。宇宙生命体が世界を救う日が来るかもしれない、なんて。映画の物語が現実になりそうだ。

さっきはラスボスなんて言ってしまったけれど、ピクシーならヒロインにだってなり得る。

 

「ピクシー、色々指示を出すわ。できないことがあったらその都度言ってちょうだい。――二人だけの秘密のミッション、クリア目指して頑張りましょ」

「かしこまりました」

 

この隠れミッションイベントを熟して、お兄様に幸せな世界を。

シークレットミッション・『黒幕おじさんと直接対決』を実現させるのだ――

 

 

――

 

 

達也視点

 

 

千葉警部の洗脳がなかなか解けず、ギリギリの戦いを何とか制することに成功したが、斬りつけられた腹部からは血が滲んでいた。

せっかく深雪に巻いてもらった防刃布が切り裂かれたことが悔しくもあり、傷を付けられた己の未熟さが腹立たしい。

意識を取り戻した彼を思わず遅い!と殴ってしまったが、後悔はしていない。意識が無い方が説明する手間も省けて運びやすいだろう。

 

「…え、今殴る必要なかったよね?」

 

唐突に湧いて出た師匠の戯言は無視した。

 

「どうしてここに?」

「今朝、言ったじゃないか。事件解決に手を貸すって」

 

…だったなら何故もっと早く、等考えても仕方がない。

この人ならもっと簡単に無力化できただろうか、など戦闘が終わった今、どうにもならないことは考えない。

千葉寿和はとてつもなく強い相手だった。操られた状態でこれほどならば意思がある状態で、使い慣れた武器を持っていたならもっと危うい戦いになったことだろう。

もう二度と手合わせなどしたくない相手だ。

 

「ありがとうございます。では、その人を警察か軍にでも預けておいてください」

「それは任されてあげるけど、――その怒りは、人に向けるものでは無いんじゃない?」

 

唐突に投げつけられた言葉は、八つ当たりを責める言葉に聞こえるが、実のところ芯の部分を突いていた。

 

(――俺は今、千葉寿和を操っていた術に怒りを覚えている)

 

もし、この魔法が本来の用途で使われていたとしたら――生命を利用され、死してなおもう一度殺されるようなことがあっていいはずがない、と。

道具であることを理解しながらも、このような使い方は、認められない。――こんな魔法を使う相手をのうのうと生かしておけないと考えていた。

一体自分に何の権利があるのか。傲慢な考えだとわかっていたが、それでもこいつだけは生かしては置けない。この存在はいずれ魔法師をーーひいては深雪を危険に晒す。

 

「ま、そんなことはいいか。その傷、早く治しちゃえば?」

 

治す前に師匠が現れたから単にタイミングを失っていたのだが、と無駄に不満を漏らす前に傷口を一瞬で修復する。深雪に巻いてもらった箇所も綺麗に元に戻り、切り裂かれた服も元に戻る。

 

「いつも思うけど、便利だね、その力…」

 

羨ましいように言われたが、そもそも師匠が怪我をする想像がつかない。…もしや痛めつけて壊しかけた人間を戻すために必要なのかと考えたが、今はそんなことに気を取られ時間を割いている場合ではなかった。

 

「失礼します」

 

振り返らずにそのまま顧傑を――追う前に一条たちと合流しなければならないことを思い出し、駆け出した。

 

 

 

辿り着いた砂浜では砂防林の辺りに火が燻ぶっていた。鎮火は間も無く済むだろう。

特有の臭いが漂うが、顔をしかめることも無い。

端的に何があったかを一条から聞き出すと、稲垣警部補と交戦し、意識を取り戻したところでハイパワーライフルを装備した集団に襲われたのだと。

その間に水陸両用車に乗った首謀者ともう一人に逃げられ、襲ってきた者たちを蹴散らしている間に十文字先輩と合流し、鎮圧。

襲撃者を拘束する側と、顧傑を追う側に分かれて行動しようとしたところで襲撃者たちから文字通り火が上がった。それは人だけでなく使用していた高性能の武器も同様に発火し始めた。

これはただことではない、と気づいたが、その人体発火の魔法はただの自滅用でなく周囲も巻き込むものだった。

おかげで一条たちは自分たちを守るので精一杯となり、襲撃された証拠という証拠が何一つ残っていない状態となった――と言うが、周囲を窺い視れば四葉の手の物だろう、記録を取っている者がいた。こんなところに防犯カメラなんて無いからな。

今回の事件、魔法師の証言だけでは弱い。それを補うための工作部隊。

彼らがこの場所を特定したのは俺がすでに敵の座標を送っていたからだろう。

できれば人と武器も残しておいて欲しいところであったが、この映像だけでも証拠にはなるはずだ。

もしこの場に深雪がいればすべてを凍らせ現場保存ができただろうに、との考えはあの子をこんな危険な場所に連れてくること自体がありえないのですぐに消える。

徹底的な証拠隠滅を図ったようだが、それが逆に証拠にもなる。――これだけ非道なことをした、と。

相手がいくらしらを切ろうと、彼らの顔も映っている。認証システムを使えばある程度は分かるのではないだろうか。たとえ非合法な工作員を使っていたとしても、その部隊がここにいて、何か証拠隠滅を図った、という証拠は無駄にはならない。特に、今回は。

十文字先輩から一条はこのまま海上を走って追うと話していたそうだが、それでは追いつくことは難しい上に海上に立ったまま魔法戦はそこそこ難しい。ムーバルスーツがあれば浮きながら戦うことも可能だっただろうが、今は無いものの話をしても無意味。

巡視船に先回りして航路を塞ぎ、追い立ててもらってはどうかと提案しているところに、七草先輩から船で向かっているとの連絡が入る。しかも師匠も乗っているようだ。――これは、まだ何かある、ということだろう。

師匠がただ手伝うという理由だけでこんなところまで追ってくることなど流石に無いだろうから。

深雪から聞いた話によると、以前リーナの件で手を貸した――深雪を危険なところまで連れ出した――のはパレードの基となった魔法が師匠たちに関係があったから釘を刺すためだったらしい。

今回もきっと何かしらの事情があることは察するが、そんなことを訊ねたところで答えなど返ってこないことは明白。だったら利用できる場面で利用する。それだけだ。持ちつ持たれつ、と言うにはあちらは隠し事が多すぎるが、あちらもある程度利用されるつもりで来ているのだ。遠慮などしない。

接岸する余裕はない、と言うので一条と二人、こちらから走って向かうことになった。

海の上ならこいつはほぼ無敵だろう。邪魔にはならないのでそのまま共に行くことにした。

巡視船に追いつき飛び乗ると、出迎えたのは七草先輩と師匠。

師匠のにやけた顔に腹が立つが、突っ込んでも良いことなどないことは経験上分かっている。

 

「お待たせしました」

 

無難に応えたつもりだったのだが、

 

「やぁ、達也君。遅かったねぇ」

 

…どちらにしても腹立たしいことには変わりがなかった。

だが、先ほど会った時の『八つ当たり』との言葉を思い出し、冷静さを取り戻す。

こんなところで下手に八つ当たりなんてしようものなら倍以上返ってくることは明白。

早く終わらせて深雪に癒されよう。できれば日付前に帰宅したいところだが、海に出るとなると難しいかもしれない。

 

(しまったな。入室許可を貰っておくんだった)

 

せめて寝顔だけでも見て癒されたかったが、と考えていると師匠がにやけ顔を下げていた。

 

「…ふぅん、あれかな?ここは早く終わらせて帰って慰めてもらおうって魂胆かな?」

「悪いですか」

「そうやって開き直っちゃって。大変だなぁ、彼女も」

「別に無理強いはしていません」

「本当かなぁ?彼女、押しに弱いから」

「…弱いと思われるだけ、何をしました?」

「言いがかりはよくないじゃない?普段の君たちを見ていればわかるってものだろう?」

 

…今日はやけに突っかかってくる。

もしかしたら誤魔化したい何かがあるのかもしれない――が、この会話の横で一条たちの、この人(師匠)は誰かという話になり、正確には師ではないよ、と訂正をいれたことでこちらの話は中断。本題に入った。

何故ここにいたかの説明を聞けば、待機指示の出ていた七草先輩だったが、いざと言う時の為に巡視船を出してもらって平塚の新港に駆け付けたら師匠が待ち構えていたらしい。そして俺たちがどこにいるかを知っているという言葉を信じ、乗ってもらったのだと。

師匠と俺の関係を知っていたから大丈夫だと思って、と言うが…この先輩はものを信じやすいな。こんな油断ならない人間を信じるなんて。…だからこそ逆に安全だったりもするのか。いい様に操れる人間は利用価値があるから。

 

「…ダメだった?」

 

恐る恐る、と上目遣いで窺う様子は普通なら絆されるのだろうが、

 

(これが深雪だったなら、俺はどうしただろうな)

 

ダメだ、と真剣に諭すのか、ダメじゃないさ、と俺が守ってやるからと傍から離れないようにすればいいのか。

どちらでも構わないが、同じことを彼女にされたら理性がまたトんだことだろう、ということは分かった。――今朝のように。

今朝の夢のようなひと時を思い返しそうになって意識を切り替える。

いくらターゲットに追いつくまでに時間があるからと、アレを思い出しては集中できない。

返事をしていなかったことに気付いて、注意をせずに肯定する。

 

「駄目ということはありません」

「それは良かった」

 

ただ、その返事を師匠がすることは駄目だろう。また軽く苛立ちを覚えたので、今度深雪からお弁当を持たされても師匠の分は無かったことにしようと細やかな報復を考える。すべて俺が食べれば問題ない。

 

「…達也くん、今酷いこと考えつかなかった?」

「何のことでしょう。それより七草先輩。すぐに追跡を開始しましょう」

 

先輩に案内され全員でブリッジに向かった。

 

 

 

「針路、このまま。もうすぐ視認できるはずです」

 

すでに俺の目では捕捉できているが、ここは夜の海。自身が一般の視力以上であることは理解している。

彼らの視力的にこの辺りで視認できるだろう、と伝えたら、そのタイミングで一隻の船が照らされたライトに浮かび上がり、船は停止した。

スピーカーと発光信号で停船が勧告される。

が、そんな警告など今更守るわけもない。こちらは巡視船ということということも有り、勝手に攻撃ということもできない。

一応警察と協力している建前もあって手順を踏まなければならないのだ。勧告したことで追跡権が成立することになるが、こんなことをしていては相手に隙を与えるだけだろう。

規則に則り工程を遵守し、自分たちの正当性を得る為ちんたらとあちらの出方を待っている彼らには捕まえる気が無いのか、と呆れそうになるが、沈黙を守った。彼らには彼らのやり方がある。

しばらくして、一条の言っていたものと同じだろう水陸両用車が飛び出してきた。船員もそれに気づいたようで「敵船より小型艇の発進を確認!」と報告があった。

中に顧傑の反応は無い。それを伝えたタイミングで、ソレはこちらに一直線に向かって動き出す。それも海上とは思えないスピードだ。魔法が使われていることは明らかだった。

すぐに反応したのは一条だ。爆裂が水陸両用車を止めるが、燃料の爆発は起こらず、中から人影が抜け出てきて、海上を滑るようにこちらに急迫する。まともな判断による動きとは思えない――こいつもすでに操られた死体のようだ。

それに指示を出すのは七草先輩。

 

「逃亡する船に威嚇射撃を。あれはこちらで引き受けます」

 

今更になって威嚇射撃――いや、その判断は正しい。俺たちは死体であろうと首謀者を確保しなければならない。沈めては意味が無いのだ。

その間に七草先輩の魔法が接近していた人影を、濃密な氷の礫の弾幕によって撃ち落とした。

『魔弾の射手』。完全に相手の動きを止める(・・・)ための覚悟を持った魔法だった。殺意はない。だが、沈黙させるためのモノ。結果は同じであっても、その魔法は先輩らしい魔法だと思った。

 

「先輩、恐らくですが先ほどの人物は操られていたと思われます」

 

海中に沈んだ魔法師のことを気にしているようだが、救助しようと言わなかった彼女に、そう声を掛けた。

 

「…そう」

 

こんなことを言って彼女の気が晴れるとも思わない。死んでいて操られていたものを攻撃したのだ、と伝えたところで何の意味もなさないかもしれない。

が、その後「ありがと」と聞こえた声は小さかったが、少しでも慰めにはなったらしい。

多少ぴり付いた空気が和らいだ。

しかしそれも束の間。

顧傑の乗る貨物船に追いつく、というところで領海の外ギリギリのラインに停泊していたUSNA軍の駆逐艦が接近してきたのだ。

ずっとこの海域にいたことは分かっていた。問いかければ所属も述べていたことから様子見と思われていたのだが、――と思っていたのは巡視船の船員と七草先輩だ。

一条は先ほど見た光景もあってかUSNA軍を信用する気になれず、ずっと警戒していたが、彼らの目的が分からなかったためどうすることもできずにいた。

不審船に助力をするために動くのか、はたまた――こちらも証拠隠滅を図っているのか。だとしても、止めなければならない。

駆逐艦はぶつかる勢いで標的の乗る貨物船の航路に割り入るように猛追し、魔法ではなく船の能力で衝突を回避するため急停止した貨物船により、危機一髪のところで衝突は免れたが、元々そんな捨て身な攻撃をしたわけではなかった。

強力な魔法の発動。

魔法の発動対象は全長七百メートルに及ぶ、捕捉長大な板状の空間。

極めて大規模な領域魔法。

魔法の種類は分子間結合力反転術式「分子ディバイダー」。

船ごと斬ろうとしている。

しかも、あの威力で分子ディバイダーを食らったら死体など残らない。

止めるべきだ、と術式解散を放つため右腕を前に差し伸べる。

その腕を、八雲師匠が掴んだ。

素早く横に首を振られ、自身の選択に躊躇したその時だった。

 

 

――見間違えることのない精緻で美しい魔法の予兆が達也の『眼』に映り、意味も無く左手で目を覆った。

 

 

閉じなければならない。

この『眼』を。視界を。

声は聞こえなくとも、指示は無くとも。

俺が今ここで活動を停止するわけにはいかないのだ。

 

(深雪………)

 

出来ることなら、使わせたくなんて無かった。

深雪の手を煩わせたくないことももちろんだが、この魔法を使う瞬間は猛烈に不安に襲われる。

彼女の現在地は私室で、深雪との約束でプライベートな空間は視界だけ閉じることになっているので『視』ることはできない。当然だ。365日24時間視守ると言っても、トイレや風呂といった場面を視るわけにはいかない。そういった場所では視覚を除外した五感以上の超感覚で深雪の情報を得ている。

だが、この魔法が使用される時、その他にも情報をカットしなければ彼女の魔法を『視』たことになり、俺自身の活動も停止してしまうことになる。

そうなれば深雪を守ることができない。この魔法に再生は効かないのだ。

今朝のように完全に外すわけではない分多少マシだが、それでも焦燥感に苛まれる。

 

(早く、早く、あの子の無事を確認したい)

 

分かっているのだ。あの家にいて、水波が居て、黒羽姉弟も控えていてくれていることは。何より深雪が恐ろしく強いことも誰よりも分かっている。

 

(それでも、駄目なのだ)

 

「達也くん?!どうしたの?」

「…いえ、何でもありません」

 

不自然な形で動きを止めていたから不審に思われた様だ。

深雪の魔法は一瞬で、分子ディバイダーに紛れるような形であったから誰も気付いていない――否、師匠の浮かべる笑みから読み取ることができないが気付かれているかもしれない――が、もう眼を向けても問題なくなっていた。

出来ることなら今すぐ視界も向けたいが、約束を破ることはできない。

微かな振動がポケットから伝わり、端末の着信を知らせる。

そこには短く「座標を」とだけあった。

深雪からではなかったことにわずかに落胆したが、今は任務中だ。

深雪の魔法を俺が見失うことなどない。

座標を打ち込み、この結果に嘆息する。

 

(深雪はあの時、こうなる可能性まで読み切っていたのか…情けない)

 

兄のフォローの可能性を考え、あの子はずっと待機していたのだ。

ただ、どのようにこの状況を知ったのか。どうやってあちらの船にハッキング(恐らく映像越しに魔法を使ったはず)したのか。

四葉にはサイバー部隊が存在するようなので、そこが動いたのかもしれない。

それにしても七草先輩もつい先ほどまで、

 

「何、…今の?」

「分子ディバイダー……なのか?」

 

と一条と呆然としていたはずなのに、目ざとく見つけられてしまったことにばつの悪さを覚えた。

 

「四葉から?」

「顧傑の反応をロスト、生体反応がない、と」

 

そんなことは一切書かれていない。だが、伝えるには良い口実になった。

 

(表向き被疑者死亡、ただし死体は回収できず、と発表されるのかもしれない)

 

体は確実に確保できるだろう。

深雪の魔法がヤツの体を停止させている。それを斬ることは誰にもできない。

たとえもし真っ二つに斬るという現象が起きたとしても船のように木端微塵にはならない。

座標は徐々に海底に向かっているが、ガスの発生しない体だ。そこまでズレることも無いはず。

だが、回収できることがわかっていながら斬られるタイミングに合わせて生体反応を失わせた。それは殺したのはUSNAの仕業だとする理由があったから。――秘密裏に死体を回収する、ということなのだろう。

船長が駆逐艦に向けて怒鳴っている。

だが、駆逐艦の言い分は「あれは我々が追っていた札付きの海賊船でそれを始末したまで」と冷静に返してきた。

正当性を主張できるということは貨物船自体あちら側が用意したもので、何かしらの細工も施されているのだろう。

とはいえ、その船自体木端微塵なので証拠も何もあったものでも無いが。

文句は外交ルートを通じて、という言葉を捨て台詞を残して去っていった。

やりきれないという雰囲気が船内を包んでいた。

肉眼で見ることのできない深雪の微かな魔法の反応を追いながら、しばらく海面に目を向けていた。

 

 

――

 

 

陸に戻り、愛車のバイクが千葉寿和によって失われた為、自宅まで師匠の車に同乗させてもらう。

七草先輩にも声を掛けられたが、女性に送らせるわけにはいかないと断った。

この時ほど師匠が居てくれて助かったと思わなくもない。

が、それとこれとは話は別だ。

 

「師匠、さっきは何故、邪魔をしたのですか」

「米軍の魔法を君が無効化しようとした時かい?」

「そうです」

 

声が低くなったのは、その後深雪に処理させてしまったことが思ったよりダメージを受けているからだった。

これも八つ当たりになるのかと思うとまた気が沈む。

 

「僕はむしろ、君がなぜあんな軽率な真似をしようとしたのか聞きたいくらいなんだけど」

 

だが、師匠はそれを咎めるのではなく、質問の形で問いに答えた。

軽率だったから止めたのだ、と。

それが逆に神経に触った。

 

「顧傑を殺してしまうにしても、やつをテロの黒幕と示した上でなければテロリスト退治に協力したことにはなりません。そこに司法権力が立ち会っていれば最良です。あの分子ディバイダーを止めれば、ベストの形で事件を解決することができました」

 

最良、と言ったが、最良なのは奴を生かしたまま捕らえることだった。二番目に死体の確保。それは絶対条件だったはずだ。

 

「しかし実際には、死体の回収することさえできず、テロ事件の真相は被疑者不明でほとんど闇に葬られてしまいました」

 

状況証拠はある。証拠もわずかではあるが、日本に来てからのものであればいくつかある。だが、決定的かと聞かれると全貌解明には至らない。

 

「――事件解決が君にとってそんなに大切なことかな?」

 

その反論に意表を突かれた。

 

「君があそこで、米軍ナンバーツーの魔法師、ベンジャミン・カノープスの分子ディバイダーを無効化したとしよう」

 

さらっと師匠の口から出た言葉に思わず振り向き驚きの視線を向けた。

まさかスターズまで動いていたこと、そして師匠がなぜ相手があのカノープスだと特定に至ったのか。

 

(ミサイル紛失も米軍にとっては失態で国際的な問題に発展するが…スターズが派遣されるほどか?…他にも工作が絡んでいるようだな)

 

この時まだ俺は知らなかったが、あちらの国では反魔法師運動がかなり活発だったことも有り、その矛先を自国の魔法師から日本にヘイトを集めることで鎮静化を図っていたらしい。

だとしてもそれは一時的な措置であって改善に至らないものだろうにと呆れるのは先の話。

今問題なのは――俺の取るべき行動だった。

 

「君は去年、スターズ総隊長のアンジー・シリウスとも遣り合っている。カノープスの魔法を無効化したのも君の仕業だと米軍は考えるだろうね。君は以前の、氏素性の知れぬ無名の魔法師じゃない。四葉家次期当主の婿に指名された、四葉の魔法師だ」

 

師匠の眼光の鋭さが増す。

自身が気圧されている、そう自覚した。

 

「四葉の名は、多分君が考えているより、ずっと重い。あの時君がカノープスの分子ディバイダーを『分解』していれば、米軍は君を敵と認定しただろう。米国の覇権を脅かす存在として、君を暗殺しようと企てることになったはずだ」

 

そこで言葉が一旦切られ、口元をにんまり、と弓なりの形に変えた。だが、雰囲気は和らぐことは無い。一層鋭く突き刺さるよう。

 

「その点、深雪君のあの魔法は素晴らしい機転だった。あれならあそこにいた僕と君を除く誰にも知覚されなかったんじゃないかな。回収して、どう交渉の材料に持っていくかわからないけれど、彼女のことだから不利益に繋がる交渉にはならないだろう」

 

――彼女は争いごとを好まない。するとしても最小限にするだろうからね。

深雪に対し高評価なのは、俺も知らない事情を知っているようで心を落ち着かなくさせるが、またすっと表情が抜け落ちて、今度は腹の底が冷える感覚がした。

目を見据えられたまま、判決が言い渡される。

 

「君が取ろうとした行動は、深雪君の身を危険に晒すことにもなる。君はあの時、そこまで考えたのかい?僕には、そう思えない」

 

 

俺にとってこれ以上ない、断罪の言葉だった。

 

 

――

 

 

深雪視点

 

 

時は少し遡る。

 

(そーですよねぇー!何でもかんでも上手くいくわけないよねー!)

 

ピクシーのとんでもスキルで何とかなるかも、とか余裕ぶっていたけどそんなわけがなかった。

今も水陸両用車がお兄様たちの船に突っ込んでいくのを止められたら、と尋ねてみたら、

 

「機械動力は止めましたが、この車体を動かしているのは魔法です。本体から離れているため、魔法の行使はできません」

 

魔法の使えるピクシーの本体は学校にあるから、念動力で止めることはできないそうだ。

ご都合展開なんて無かった。

仕方ない。ここは切り替えよう。

 

(もしこれで工作員の杜(ドウ)を確保出来たらさらにUSNAとの交渉に有利になる材料になっただろうが、流石にそこまでは高望みが過ぎたね)

 

むしろ機械系統を制御できたことでも十分凄い結果だ。

 

「これは相手が上手だったわね。ピクシー、もし次があるなら動力を止める前にブレーキやハンドルを操作して方向を変えることも試してみるのも良いかもしれないわ」

 

動力を完全にストップしてしまうと復旧にはタイムラグが生じる。今からブレーキやハンドルを切っても間に合わない。

それに、そもそも魔法で動かしているならそれくらいの水の抵抗は意味を成さないかもしれない。

 

「学習しました」

「いい子ね」

 

落ち込んでる場合ではない。時間が無いのだ。

 

 

「――繋いでちょうだい」

 

 

画面がピクシーから、苛立ちを隠すことなく正面を睨みつけている老人、とは呼べない生気に漲っている男の横顔に切り替わる。

生気に漲って、とは言うが、これはあれだ。怒り、憎しみによる感情がそう見せているにすぎない。

命を燃やしている最期の煌めき。

 

「初めまして、おじ様。わたくしのことをご存じかしら?」

 

場にそぐわない、清涼感さえ感じさせる軽やかな声を船内に響かせる。

突然の呼びかけに、男は恐ろしい形相で振り返って画面越しに視線が合う。

目を見開き、口が弛緩しかけたが、すぐに食いしばり仇のごとく睨みつけた。

 

「司波、深雪ッ!!四葉の、後継者!!」

 

憎々しい、と憎悪を込められた視線を向けられるが、怖くもなんとも無い。むしろ心は凪いでいた。

 

「ふふ、貴方の大嫌いな四葉ですわ。でも、そんなに四葉が憎いのですか?おかしいですわね。貴方からお礼を言われる謂れはあっても恨まれる謂れは無いと思うのですけれど」

「礼だと!?何故そんなものを言わねばならない!」

 

あらあら。相当余裕が無いのか。こんな小娘の単純な挑発に乗るなんて。お兄様に視られた時のような警戒心は全く見られない。

 

「だって、そうでしょう?貴方一人に何ができたというのです?隠れることと、死体を操ることしかできない貴方に、国を相手取った復讐などできたはずがないのですから」

 

できるだけ視線に哀れみを浮かべ、憐憫の情を抱いているように見せる。

すると男は浅黒い肌を赤黒く染めて吠えた。

 

「黙れぇ!!お前たちが勝手に滅ぼしたのだ!お前たちがいなければっ!」

 

もういい歳なのにそんなに怒鳴ったら血管プッツンしますよ。あなたの術式は血管年齢も若いままなの?

と内心くだらないツッコミを浮かべつつも、表情には挑発的な笑みを縁取る。イメージは叔母様だ。

 

「復讐は自らの手でできた、と?本当にそうお思いなのですか?――違うでしょう?」

「違わない!」

「――敵わないから、逃げたのです。――勝てないから、隠れたのです」

「違う!違う!!」

「違わない――貴方一人の力はちっぽけだと、何より自分で理解していたから。誰よりも貴方が、己の力量を見限っていたから」

「!!」

 

言葉も出ずフーッ、フーッ、と大きく肩を上下させ、こちらを射殺さんばかりに睨みつける。

 

(困ったな)

 

これだけ強く殺意を抱かれると、いくら四葉に対しての恨みを増幅させるためとはいえ、私個人にも殺意が向いてしまう。そうなるとお兄様が異変に気付いてしまうかも。もう一度方向転換しなければ。

 

「貴方は自ら黒幕となって表舞台から消えた。あらゆる伝手を使い、種をばらまき、舞台を整えた。その最中、信頼していた手駒を失ったことはさぞ痛手だったことでしょう。貴方の育てた優秀なお弟子さんでしたから」

「…それも、お前ら四葉が殺した」

 

…この人も、案外ちょろい人のようだ。貴方が育てた、優秀な、との言葉に少しばかり怒りが揺らいだ。

本人は冷静さを取り戻した、と思っているようだけれどね。周に意識がいったことで多少ヘイトがずれた。

 

「あのテロの騒動もお見事でしたわ。もっと完璧に妨害できるものと思っておりました。世間の悪感情も魔法師に向けられて、わが校は一時通信ができなくなるほど苦情が押し寄せました」

「見事だと!?あれは大失敗だ!あんな、あんなのっ!――もっと十師族は地に落ちなければならなかった!!」

 

怒りが復活したけれど、これは四葉に向けられてないね。失敗した事自体に腹を立てて、その要因には意識がいかなかったか。

まあ、彼のシナリオ通りに行けば、確かに十師族の評判は地に落ちてもおかしくはなかった。

一般人を見捨てた魔法師トップの組織と思わせるには十分だった。

だからこそここのシナリオを大きく編成させたのだけど。

あ、そうだ。

 

「お尋ねしたかったのですが、あの作戦は、十師族たちによってパペットたちがやられる様を非魔法師に見せつけることが目的だったのですか?それとも、貴方の優れた僵尸術を見せることで魔法がいかに恐ろしいモノかを印象付けるものだったのですか?」

 

男はここで初めて表情を変えた。

にやり、と口元を歪ませ、目も弓なりになる。

 

「そうだ。魔法は恐れを抱かせる!異端であり、異能であり、選ばれた者のみ有することのできる力だ!」

 

高笑いをする姿は、もう彼が狂ってしまっていると物語っているようだった。

いや、事実狂っている。

魔法を素晴らしいと言いながら、魔法を憎み、魔法をこの世から消し去りたいと葬る計画を実行しながら、魔法に縋る。

魔法に縛られ、奪われた人生だった。

モニターにワイプ画面が映る。非常に小さいが、駆逐艦と思われる船が近づいてきていた。

お兄様の胸ポケットのボタンに仕込まれた望遠機能付きのカメラの映像をピクシーが繋いでくれたのだ。

――もう準備は整った。時間稼ぎのお話も十分、いつでも発動可能な状態になった。

 

「魔法は使い方次第で幸せになれますのに、貴方はそれをご存じなかったのですね」

「な、に…――!?船を止めろ!!」

 

船の急接近を知らせる警報が鳴り響き、振り返った黒幕おじさんの目に駆逐艦が映ったのだろう、急停止を呼びかける。

船は危機一髪で動きを止め、衝突は回避できたが、次の瞬間、強大な魔力に黒幕おじさんは硬直し――否。私の魔法が彼の体の活動を足の先から停止させているのだ。

 

「な!?」

「おじ様はお疲れなのです。おやすみになってください」

 

それでは、ごきげんよう――。

 

 

――

 

 

「想子パターンもロスト。これで標的の死亡はあちらでも確認されたと思われます」

「ありがとう、ピクシー。ちょっと聞き耳を立てられたくない連絡を取りたいのだけれど、これから10分以内の通信を無かったことにできる?」

「かしこまりました。――これで作戦は終了ですか?」

「ええ。ミッションコンプリートよ。貴女のおかげで最高の結果を得られたわ」

「――望外の喜びです」

「あら、難しい言葉を知っているのね。でも、私も貴女と共闘出来て楽しかったわ。お疲れ様」

「はい、お疲れ様でございました」

 

ピクシーとの連絡を切ると、モニターに10分のカウントが。気配りが行き届いてますね。ピクシーへのお礼を何か考えないと。

すぐさま叔母様に連絡を。あちらも待機されていたのかすぐに電話に出てくれた。

 

「お疲れ様、深雪さん。それで、どうなったのかしら?」

 

叔母様も単刀直入。この後大事な話し合いが控えているのだろう。

なのでこちらも無駄口を叩かず報告を。

黒幕おじさんを回収可能になったことは、これからの大事な交渉材料になる。

筋書きはこうだ。

テロ実行犯、被疑者死体未確認のまま死亡確定。

黒幕おじさんは大亜連合、旧大漢の道士であり、USNAに亡命したのち、各国の魔法師を排除させるために暗躍。

反魔法運動を扇動し、魔法師間の関係悪化も画策、そして今回の日本でのテロを以て世界中の魔法師にヘイトを集めさせることで各国の武力弱体化を図った。

その動きを事前に察知して危機感を抱いたUSNA軍は、密かに黒幕おじさんをマーキング。機を狙っていたところ日本に向かったことを知り、非合法な手段を使いながら追っていた。男は世界中に『耳』と『目』を持っているように逃げるので合法的な手段が取れなかったのだ。

USNA軍は、日本で警察と魔法師、そして軍が協力して日本で起きた醜悪なテロ事件の解決に動き、捜索していたところを、確実に仕留める為手を出し妨害していたこと、そして日本の魔法師が追い詰めたところで決定的な一撃で葬ったのだと認める。

始めは単独と思われていた首謀者の男だが、いくつもの組織を動かして各国の魔法師を狙っていたことをこの時になって知った日本政府は出身国であり、首謀者と繋がりを持っていた大亜連合に抗議。横浜で加担していたのは事実だったことも有り正当な抗議と言える。

しかし当然だが、大亜連合は知らぬ存ぜぬを貫く。このままでは戦争に発展するのでは、と緊張が走る前にUSNA軍の調査でこの男が大漢出身者であり、国が崩壊するより以前に亡命して来ていたことが発覚。個人的な恨みによる犯行の線が濃厚、ということで国の関与が否定される。

ただし、大亜連合も完全に無関係でも無く利用されていたことが発覚し、世界中が被害者であるとしばらく各国それぞれ膿を出す作業に追われることになり、戦争の火種は一時おさまる形となる――。

ミサイル紛失の件には一切触れない。ヘイト分散については証拠も何もないので知ったところで何も言えない。

だが、日本政府はよほどの事情があったのだろう、と同情する形で揺さぶりを掛けてもらう。

ただ騙されて舐められたままでは今回のように好き勝手自由に歩き回られることになるから。牽制は必要です。

回収した黒幕おじさんの体は仮死状態ではあるが、その事実を隠したまま死体として警察、軍に一度確認させた後、USNA軍との非合法の会合の場にて綺麗な死体を確認させる。その上で二度と利用などできないよう彼らに人体発火を掛けさせ消滅。

この男をこれ以上悪用なんてされたらたまったものでは無いからね。

何故世間に死体が見つかっていないことにしているか、というのはUSNAの顔を立てるためである。

日本としてはあった方がいいに決まっている。被疑者は死んでしまっているが、死体が有る、無しでは安堵感が違う。

でも、それよりも今回は貸しを作る方に比重が傾く。そちらが証拠を抹消しようとした事実を我々は知っている、というプレッシャーを与えるためにも必要な『手続き』と言えた。

何故死体が残ったのか、については追及されるだろうが、それについての答えは現場の者は誰も持っていない。

USNA軍の駆逐艦の船員はお兄様たちが乗船していた巡視船の動きを警戒し、魔法の動きも逐一チェックしていた(恐らくもしそんな兆候が見えたら妨害するつもりだったのだろう)ことで、巡視船から魔法で何かされたわけではないことを彼ら自身が証明することになったはずだ。

 

(…何故駆逐艦側のことを知っているかって?ピクシーちゃんがね、中の様子を中継流してくれていたので。カメラが高性能って考え物だね。遠くても会話が拾えちゃう。デジタル無双怖い…)

 

ということで黒幕おじさんの体には、死体を操るくらいだから自身の体にもイロイロ施されており、何らかの作用で死体が残ったのではないか、ということにする。体にはいろいろ施されていたのは事実のようだしね。不老の秘術だっけ?利用させてもらいます。死体を海中から見つけられたのは捜索隊の意地だ、ということで。

思ってもみない国際的規模の犯罪に繋がったことで日本も混乱するだろうけど、日本警察の活躍で未然に戦争が回避できたことで、魔法師へのヘイトの話は薄れていくだろう。

こんなところだ。

 

「ああ、そうそう。貴女の記事が掲載されることになるわ。もちろん個人が特定できないよう匿名記事になるけれど」

 

…うーん、叔母様がすでにゴーサイン出したってことだね。事後承諾ってやつです。

 

「どのような記事になるのです?」

「それなのだけどねぇ、それなりに大事になりそうよ?」

 

そう言って見せてくれたのは、まだ未完成の状態の記事。

そこには――

 

「…これ、日本を揺るがす大事件になりません?」

「まあ、老舗のテレビ局が一つ、潰れるのでしょうから、それなりに騒ぎになるでしょうね」

「これは、警察も動いているのですか?」

「出版社の方からちゃんと筋を通しているみたいだから、あちらも今頃大変なことになっているのではないかしら」

 

…他人事ですね。まあ、他人事か。そこまで四葉が関わることも無い。

 

「それにしても、随分悲劇の英雄に描かれていますね。その方が盛り上がるでしょうが」

「あら、そう魅せたのは、貴女でしょう?」

 

まあ、叔母様ったらわるぅい笑みですね。ドキドキしちゃう。

私も憧れの悪役令嬢のように品よく笑えているといいのだけど。

 

「…貴女は悪役より悲劇のヒロインが似合う容姿なのではなくて?」

 

……あれ、今なんか悪役否定されました⁇

問い質したいところだけれど、もう時間が一分を切っている。

 

「衆人を意のままに操る、そのように幻想を見せるのは悪役らしいと思うのですが、その談義はまた後日にいたしましょう。叔母様、色々ご無理を言って申し訳ございませんでした」

「いいえ、楽しませてもらったわ。また明日、報告に来てちょうだい。その通達はちゃんと別の形で入れるわ」

「お手数おかけします」

「ではね、達也さんによろしく。それから、」

「真夜姉さま、おやすみなさいませ」

「おやすみなさい」

 

…美女のよろしい、って笑みをいただきました。これされると一生ついていきます!ってなるよね。恐ろしい。…本当に魔法使われてないよね?

とりあえず、これでひとまず現在できるすべての計画は終了した。

 

(つっかれた……)

 

ベッドの上に倒れ込む。

緊張のシーンの連続で頭がパンクしそうだ。

でも…

 

「やりきった、よね…」

 

やれることはすべてやった。

黒幕おじさんのテロで一般市民に怪我人を出さず、警察と軍と協力することで余計な摩擦も生じず、エリカちゃんのお兄ちゃんは死人になってお兄様と対決することも無く、魔法師への反感はあったがそれも原作ほど酷くならず、魔法師はルールに則って生活しているアピールもできた。それに、この後のニュースでさらに魔法師への不信感は和らぐはずだ。

 

(…あそこまで良いように書かれてしまうと逆に疑う人も出てきそうだけど)

 

こっちは出たとこ勝負だね。

 

(これで、お兄様が原作のように孤立することは無い…はず)

 

友人とも、先輩とも、軍とも、魔法師からも目の敵にされることも無く、非魔法師から魔法師だからと疎まれることも無い。

 

「やりました…お兄様…」

 

黒幕おじさんの体は世界から消失するが、その前に抜ける情報は四葉によって抜けるだけ抜き取るはずだ。彼にとってこれほど屈辱的なことは無いだろう。

お兄様に知られればとても嫌がられそうだが、彼にはただ死ぬなんて生ぬるい罰で済ませるつもりはない。

 

(これは、お兄様の敵討ち。それも、私の自己満足の為の)

 

分かっている。この世界の顧傑はお兄様を窮地に追いやるだけの負の種を芽吹かせることはできなかった。育つ前に摘み取った。

だから、彼に復讐するほど恨む対象ではなかった。

だが、彼が起こした行動がお兄様を苦しめた世界を知っている。

 

(絶対にさせない。お兄様をあんな風に孤立なんて、させてはならない)

 

お兄様は自身で幸せを掴み取れる主人公(ヒーロー)だ。分かっている。

それでも、そこに行きつくまでの苦労はあそこまで必要ない。あんな辛い茨の道を歩かなくても、幸せになっていいはずだ。

ここでは、この世界ではそれを実現させてあげたい。

お兄様はもっと幸せになっていい。なってほしい――幸せにする。

そのために、私がいる。

お兄様の息がしやすいように、幸せにするために。

 

(…これで、少しはお役に立てたかな…)

 

原作の道を外れたからって、お兄様が幸せになれるかなんて保証はない。

これからは私の知らない困難な事件に巻き込まれていくことだって考えられる。

 

(今回、USNAを抑え込めて、大亜連合にもちょっかい禁止を言い渡したところで、彼らが大人しくなんてしているはずがない)

 

自国の利益しか考えない国に、共栄共存なんて高尚なことができるわけがない。

いつだって出し抜いて自国を優位にしたいのだから。

だから日本は有利に立たないように動く。ミサイル紛失し、日本に持っていくのを黙認したことも、日本にヘイトを集めさせ自国を守ろうとしたことも、日本が弱まってくれる分には構わない、と周たちに好き勝手やらせていたことも、ついでにと上陸しては攻めてきたことも、『遺憾の意』で済ませる。争いを望まない姿勢を見せる。

それが日本の戦い方だ。

 

(…やだなあ。ただの女子高生…というには肩書が大きいけれど、まだ16歳なのに外交問題まで考えなければならない)

 

それだけお兄様が優れていて、目を付けられやすく、危険人物とされてしまっているから仕方ないのだけど。

お兄様を守るには世界だって相手どらなければならない。

それくらい熟せず、どうしてお兄様を守れよう。

 

(私の喧嘩を売っている相手は、お兄様を生み出した神なのだから)

 

お兄様にありとあらゆる困難という試練を与え、乗り越えさせようとする神に抗っているのだ。世界なんてその手下、手駒でしかない。

 

(…お兄様は先生とドライブする頃かな)

 

もう日付が変わり、一時間が経つ。

あと一時間もすれば、お兄様がお帰りになるはずだ。

どうやってお出迎えをしよう?流石に若妻風のお出迎えは落ち込んでいるお兄様にはしない方がいいだろう。

…というより、今年に入ってあのようなことはしていない。

お兄様が時折楽しみにしていることを匂わせてくるけどね、自ら鍋と具材を揃えて美味しく召し上がってもらうことなんて致しません。

それに、今日はお客様もいるのだ。おかしく思われるようなことはよろしくない。

すでに一度あったことは片隅に置いておく。…流石にお兄様の箍ももう戻っているでしょう。

お風呂と、軽食をご用意しないと。

何がいいかな。お味噌汁はマストだろうな、と考えながら静かにキッチンに向かった。

 

 

――

 

 

と、軽く考えていた私よ、もう少し自分のしでかしたことを理解すべきでした。

帰宅したお兄様におかえりを言おうとした途端、腕に抱き込まれました。

 

「深雪…」

 

耳にかけられる熱い吐息に背筋がぞくぞくするが、強く抱きしめられているので身じろぎもできない。

 

「お、兄様…」

「なぜ…いや、俺が…」

 

なぜあの魔法を使った?いや、俺がアイツを捕獲できていれば――、かな?

お兄様ずっとぐるぐる考えて帰ってきたんだね。それはストレスも溜まっていることだろう。

 

「お兄様」

 

声を掛けるとゆっくりと力を抜き、離してくれた。だが、その表情は酷く苦々しいモノで。

 

「まずはお風呂で体を温められた方がよろしいかと。お着替えをお手伝いします」

「…そうだな。手伝ってもらえるか?」

 

ジャケットの下は布でぐるぐる巻きだからね。脱ぐのが大変だろうから、と申し出ればお兄様はお目目ぱちくりさせてふ、と力を抜いた笑みを浮かべられた。

…よかった。少しは気分が浮上したかな。

背後にパタパタと足音。水波ちゃんだね。

それに、恐らく文弥くんたちも来ただろう。

 

「達也兄さん、お疲れ様です」

「達也さん、遅くまで大変でしたわね」

 

彼らも仮眠を取っていなかったのかもしれない。寝起きには思えない身なりと態度だ。護衛に来ていたんだから仕方ないか。

 

「皆、こんな遅くまで起きていたのか…?」

 

その物言いはおかしく思えた。自分のことを度外視しすぎだ。自分は遅くまで仕事をして帰ってきているというに。

 

「お兄様の無事の帰宅をお待ちしていたのです。示し合わせたわけではありませんが、皆、同じ気持ちだったようです」

 

私だけじゃない。お兄様のことを皆心配していたのだ、と伝えると、お兄様はそうか、それならもっと早く帰るべきだった、と柔らかい笑みを浮かべられてから悪かったなと軽く謝罪された。

文弥くんたちは見慣れていない笑みなのだろう、二人して頬が赤くなっているのが微笑ましい。

 

「さ、まずはお風呂に。水波ちゃん、軽食は作っておいたから時間を見計らって並べておいてくれる?」

「かしこまりました。…が、深雪様は如何されるのですか?」

「深雪は俺の手伝いだ」

 

うん、まあ。不思議に思うよね。お兄様がお風呂に入っている間に自分で並べればいいんだから。いつもならそうしている。

でも、それをしないということは、と考えた水波ちゃん探偵に成れますよ。素晴らしい推察力。…できれば気付いてほしくなかった。

文弥君はお兄様の答えに真っ赤に、亜夜子ちゃんも視線を逸らせていた。

 

「水波ちゃん、よろしくね?」

「……はい」

 

水波ちゃんが口を開く前に再度念を押すと、下がってくれた。ごめんね、心配してくれたのに。

お兄様と共にお風呂場に向かう。閉まった扉の向こうの視線がまだ突き刺さっているような気がした。

 

 

 

「深雪…」

 

扉が閉まり、視線が切れた途端、お兄様に背後から抱きしめられる。

…想定内です。

一年の時のブランシュ事件を思えばこうなっても仕方のないことだった。

 

「申し訳ございませんでした。お兄様はあの魔法がお嫌いですのに」

「…俺が、任務に失敗したせいだ」

「いいえ、お兄様は失敗などしておりませんよ」

 

お兄様の、首元に埋められた顔が上がる。少し捻れば触れそうなほど互いの顔が近い位置にあった。

 

「慰めはいらない」

「慰めではございません。お兄様は任務を達成されました。――出かける前の私との話を覚えておいでですか?」

 

睫毛さえ触れい合いそうな距離で見つめ合い、お兄様の瞼が伏せられる。

 

「……『事件が解決した事実』。これが勝利条件だったね」

「お兄様がエリカのお兄さんに襲われたところを目撃されたことで、ほぼ立証されたも同然となりました」

 

納得のいっていないだろうお兄様の額に、己の額をくっつける。

 

「我々の勝利です」

「…だが、個人的には敗北した気分だ」

 

あらあら、とってもご不満そう。思わず手も伸びて頭を撫でる。

 

「お兄様は完璧な勝利を目指されていましたからね」

「お前にも、手を煩わせてしまった」

「それに関しては、私は喜ばしい限りです。お兄様のフォローができたわけですから」

 

お兄様の目が薄く開いた。

その目はちょっぴり恨めしそうで。

 

「お兄様の失敗を喜ぶ悪い妹はお嫌いですか?」

「……気が狂いそうなほど愛おしいよ」

 

うぅん、力が強い。でも、嫌じゃない。この重みが、お兄様の想いそのものの重みのようで。

だけど、いつまでもこのままでいられませんからね。

 

「お兄様、そろそろ」

「ん」

 

皆を待たせてますから。あまりこのような時間を過ごすのもどうかと思うわけで――

 

「…お兄様?」

「離れがたい。もう少しだけ」

 

…ステンノウィスパー使っちゃったからなぁ。朝のリソース確保のため『眼』を外した件もある。

お兄様のトラウマを刺激しすぎたから、精神的にかなり参っているのかもしれない。

 

(かなり、心臓が苦しいけれど…もう少しなら、我慢できるかな…?)

 

そんな風に思っていたのだけれど。

 

「お、お兄様?!」

 

い、今!ペロって!!

 

「…しまったな。まずいとわかっているんだが」

 

(分かっているなら止まってください!)

 

と叫んで止まる気配が見られないと思うのは、これまでの経験則から。

 

(この状況でお兄様に効果があるのは――)

 

頬に手を添えて、睫毛が触れ合いそうになるほど顔を近づけて。

 

「まずいとわかっておいでで、触れてみますか…?」

 

添えた手をするり、と顎にまで滑らせて囁く。

すると何かに堪えるようにぎゅっと抱きしめられてから、お兄様はスッと離れていった。

引いて駄目なら圧してみる作戦。

お兄様、逃げると追う習性があるみたいだったから。逆に迫ると引いてしまうみたい。

 

「…悪かった」

 

うぅん、意地悪をしすぎたかな。絞り出すような声は耐えなければ、と苦し気な呟きで。けれど現状もよく理解されたのだろう。

これ以上ここで色々(・・)できないからね。

 

(何せ扉の向こうにはお客様もいるのです。流石に長い時間ここに二人きりはよろしくないわけで)

 

「待っててくれると言ったお兄様は何処へ行ってしまわれたのです?」

 

演技続行。くすくす笑うと、お兄様は肩を落としながら。

 

「…今朝から出かけたままなかなか戻ってこなかったんだが、ようやく帰ってきたみたいだ」

「おかえりなさいませ」

 

一歩前に出てくるりと回り、正面から手を広げる。

お帰りなさい、お兄様。無事のご帰還喜ばしく思います。…お色気魔人のお兄様が嫌いなわけではもちろんない。ただ、ずっと一緒だと困ってしまうので。

お兄様、押しに弱いところあるよね。肉を切らせて骨を断つ作戦が成功したようで何よりです。でも私の方も重傷を負っているのは気のせいかな。心臓がとっても苦しい。

こっそり落ち着かせているとお兄様も徐々に戻ってきたみたい。

 

「…ただいま」

 

ようやくちゃんとしたお帰りのハグをして。

 

「改めまして、お疲れ様でした」

「ああ…。かなり疲れたよ」

 

お兄様の本心からの疲れた、という言葉によく頑張りましたと手を伸ばして頭を撫でる。

 

「ん」

 

…このちょっと甘えたようなお兄様の「ん」が好きだ。これを聞くと胸がきゅん、となる。

 

「湯船は張っております。少しの時間でもちゃんと浸かって温まってくださいませ」

「ありがとう。…だが、その前に――手伝ってくれるのだろう?」

 

このまま逃れようとしていたのがばれました。お兄様ったら抜け目ない。

お兄様がさっそくジャケットを脱ぎ、それを預かって畳んで籠に入れていく。そしてインナーを脱いだところで、微かに伝わる香り――これは過去の傷の香りだ。

 

「――強かったですか?エリカのお兄さんは」

「ああ、強かった」

 

斬られただろう腹に触れる。防刃布に汚れも跡も何もない。だけど、間違いなくここからお兄様の血臭がした。

 

「この布でなければもっとざっくりいかれていたかもな」

「役に立ったのなら何よりです」

「できることなら傷さえつけたくなかったのだがな」

 

せっかくお前が巻いてくれたのに、と後悔を口にする。

 

「そのように思っていただけるのでしたら、毎回巻かせていただきませんと」

 

巻くだけでお兄様が怪我を負わないよう気を付けてくれるならいくらでも巻きましょう。

そう言うと、いい口実を得たな、と悪いお顔をされた。うう…悪いお兄様もカッコいい。

煩悩と戦いながらするすると布を外していく。

…この肌に触れるたび今朝は触れ合ったんだよな、との考えが過り、淑女の仮面にひびが入りそうになったけど、集中集中。

 

「呼吸が乱れてるね」

「…気付いていても言わないのが紳士ではないですか?」

「残念ながら、俺は紳士という柄じゃないからな」

 

…お色気お兄様が帰ってきてしまった。いや、これは揶揄いの方かも。…そうであってほしい(願望)。

 

「私が淑女を目指しているのですから、お隣にいるお兄様が紳士でない筈がないではありませんか」

「まいったな。それを言われてしまうと深雪の隣に立つために紳士の振りができるようにならないとだめか」

「精いっぱい頑張ってくださいませ」

 

茶目っ気を以て返すと、お兄様も応えるように笑われて、空気が和らいだ。

最後の布を巻き取って、後ろを向く。いくら婚約者であり妹と言えどお兄様の下着一枚の姿など恥ずかしくて見ていられない。

ただでさえ今日は何度も目にしたのだ。これ以上見たらきっと目が焼けちゃう。目がぁ!って叫んじゃう。

 

「手伝うのは着替えだけか。…まあ、次の楽しみに取っておこうか」

 

それは一体何のお手伝いでしょうかねぇ?全く意味が分かりません!

楽しそうなお兄様は浴室に入っていき、私はようやく重要ミッションを終わらせたのだった。

 

 

――

 

 

皆の元に戻ると水波ちゃんからとっても心配され、くまなくチェックされ、鋭い目を向けられたのには肝を冷やしたけれど、それらしい乱れや痕などは無かったのでセーフということになりました。

…実際のところセウトだと思いますけどね。ペロッと味見はされたし、お兄様の色気はヤバかった。

でもそれだけで済んだのだからセーフはセーフ、なのか?

亜夜子ちゃんはすまし顔で何ともなさそうだけれど、文弥君はまだちょっと頬が赤い。美少年が頬を赤らめるってそれだけで怪しい雰囲気あるよね。悪いお姉さんになっちゃいそう。ならないけど。

 

「二人もお夜食は食べるかしら?私は少しだけお兄様にお付き合いしてお味噌汁をいただくつもりなのだけど」

「それでしたら、僕もご相伴に与っていいですか」

「わたくしはこの時間に食べるのは難しいですが、お茶でしたらお付き合いできるかと」

 

というとこでお味噌汁とお茶を追加で水波ちゃんに準備をしてもらう。

お兄様には簡単に食べられるお兄様の口なら一口でいけるサイズの俵結びを6つほど。それに唐揚げ、お新香とお味噌汁のザ・お弁当な構成の定食スタイル。

用意が終わる頃にお兄様は姿を現した。

ベストタイミングだったね。

 

「…これ、深雪が用意したのか」

 

…何故並べられた食事を見ただけで作ったのが私と分かるのかな。一見しただけで分かるものでは無いと思うのだけど。

 

「ええ、良くお分かりですね」

「わかるさ。水波のとは違うからな」

 

出汁の取り方とかは一緒なんですけどねぇ。水波ちゃんと顔を見合わせて肩を竦める。

私たちだってぱっと見でなんて見分けはつかないのに。

そんなこんなあって席に着き「いただきます」と食事を始めたのだけど、お兄様あっという間。軽食と言っていたから少なめだったけど、だからといって私がみそ汁を飲み終わる頃には全部食べ終わっているってどういうこと?

その上綺麗に食べられるから見ていて気持ちがいい。

 

「美味かった」

「お粗末様でした」

 

それから水波ちゃんが皆にお茶(夜遅いということもあってハーブティーだった)を出したところでお兄様が口を開く。

 

「すまないな。食事の前に話すべきだったんだろうが、冷めてしまうのが惜しくてな」

 

…開口一番真剣な表情で言うことがそれでよかったのでしょうか、お兄様。

いえ、いいんですけどね。温かいご飯の方が消化にもいいですし。

文弥くんたちも気にしてない、と首を振ってようやく本題に。

 

「顧傑は死亡した。やったのはスターズナンバーツーのベンジャミン・カノープスだ」

「まさか!スターズが出るほどの案件だったんですか?!」

 

文弥くんたちが驚いているのは、彼らには米国でミサイルが紛失したことや、上層部の思惑といった情報を知らせていないからだ。この辺りを知っているのは四葉でも限られた人間のみ。

彼らは座間で直接対決したからUSNA軍が動いていることは知っていたけれど、まさかそのトップとも言える組織まで駆り出されているとは思わなかっただろう。ただのテロ事件で出てくるような彼らではないから。

 

「その際最大火力と思われる分子ディバイダーを使い、船ごと叩き斬り、船体が木端微塵になっていたことから死体の回収も不可能とされている(・・・・・)

 

お兄様はこちらをちらりとも見ないで結果のみを伝える。

 

「俺の首謀者捕獲の任務は失敗だ」

 

この報告に一同息を飲んだ。

沈黙が流れ重苦しい空気が漂う中、お茶を一口口に運んでからお兄様に向けて微笑みかける。さっきも話したでしょうに、と心の中で呟いて。

 

「叔母様の命は生死問わず、であり、無害化することです」

「だが、」

 

お兄様にとってのベストは首謀者を魔法師たちが確保し、世間にもう危険は無いと知らしめることが重要だった。

だが、現状では首謀者は死亡。しかも表向き死体が確保されているとは公表されない。それでは世間は首謀者が本当に死んだか不安が残る上、本当にその男が首謀者なのかも証拠不十分の状況。…これでは確かに疑念が残るかもね。

もし、原作通りであったなら、だけど。

 

「直接的な証拠というのは確かにほとんどございません。ですが、あの者は本日だけで多くの状況証拠や物的証拠を残していったのです。人を操る術を持ち、街中でのグレネードランチャー等殺傷能力の高い武器の使用。なりふり構わぬ逃亡劇が、人々の目に、そして何よりカメラに収められております。鬼門遁甲を使わずに逃げたあの男の詰めの甘さが露呈しました」

 

客観的証拠が数多く残ったのだ。これだけ揃えば被疑者死亡でも立件できる。たとえ別件逮捕であろうとも、世間は彼を犯人と思うだろう。――そう、思わせるよう情報操作はすでに行われている。

それに、

 

(逸般人、本当侮れない…)

 

うちの子の工作だけじゃない。あれを目撃していた善意の投稿者が居たのだ。しかも、以前からあの横須賀湾にて不審船を見つけていた、趣味ウォッチングの掲示板の古参組だったものだからさあ大変。

陰謀説の点と点が結ばれちゃって、これは数日後には大きな花火として打ちあがることだろう。何故って?それと関連するビッグニュースが世間で公表される予定だからだよ。

 

「お兄様は十分、素晴らしい働きを見せてくれました。任務は達成です。――なにより」

 

今度は体ごと隣のお兄様に向き直り、心からの笑みを向ける。想いをすべて込めて。

 

「こうしてお兄様が無事に戻ってきてくださった。それが何よりも嬉しいのです」

 

剣の魔法師との二つ名を持ち、エリカちゃんをも圧倒するほどの実力者である千葉寿和とやり合った。

慣れない合同捜査で足並みを揃えつつ、周囲にばれないよう神経を尖らせながら魔法を使い、目の前でただやられる標的を見過ごさなければならなかったお兄様の肉体と精神はかなり疲労したことだろう。

 

「お兄様、お疲れ様でした」

「……ありがとう、深雪」

 

お兄様がすべて納得されたとは思わない。

一人で解決できなかったことも、目の前で標的を失い、失望した思いも簡単に拭いきれるものでは無い。

それでも、こうして労いを拒絶せず受け取ってくれる。ほっとひと心地ついた様子を見せてくれる。

そのことに安堵する。

 

「こんな形だが、事件はこれで決着した。皆も、ご苦労様」

 

皆でカップを掲げ、事件の区切りの喜びを分かち合った。

 

 

――

 

 

就寝前、お兄様に部屋まで送ってもらい、自室の出入り口を境界線に向かい合う。

 

「それではお兄様、本日は本当に、お疲れ様でした」

「ああ、深雪も、お疲れ様。……」

 

何か言いたげなお兄様だが、上手く言葉が出ないのか、開きかけた口が閉ざされた。

 

「お兄様。言葉にするのが難しい時は言葉にせず伝えられたらよろしいかと」

「…どうやって?」

 

腕を広げて見せると、少し目を見開いて躊躇った後、いつもより鈍い動きで抱きしめた。

 

「…何か、漠然とした不安を抱えていらっしゃいますのね」

「…わかるのか?」

「さて、どうでしょう。適当を言っているだけかもしれませんよ?」

 

口にしたように適当なことを言っているつもりはない。

お兄様は何か迷われているようだと、心が感じ取る。だが、それがなぜなのかは見当がつかない。そもそもお兄様自身も分かっていない様子だった。

 

「占い師は時に、寄り添う言葉で人の心に癒しを与えるそうです」

「深雪には、占い師の資質もあるのか」

 

本当に多才だな、と笑いながら褒めるので図に乗ってみる。

 

「明日は、久しぶりに穏やかな時間が過ごせるでしょう」

「それはいい。このところ時間が取れなかったしな」

「しかし、少し面倒だな、と思う出来事もあるようです」

「そうなのかい?」

「ええ。ですが、すべてが悪いことでもない、とあります」

「ふ、なんだか本当に未来が見えているようだな」

 

お兄様は機嫌が良くなったのか、すり、と頭をこすりつける。

その逞しい背を撫でながら、言葉を続けた。

 

「明日はきっといい日になります。私が保証します…と、もうすでに日付は変わっていたのでしたね」

「なら、今日はもうすでにいい日ということか」

「ふふ、そうですね。きっと夢見も良いかもしれませんね」

 

お兄様は夢を見ないそうだけれど。これは決まり文句のようなものだから。

するとお兄様はふむ、と何か考えられてから顔を上げた。

 

「なら、素敵な占い師さんにひとつ、お願いをしようか」

「なんでしょう?」

「よく眠れるおまじないをしてくれないか?」

 

…あら、可愛い注文なのに、どうしてお兄様はそんなに楽しそうな目をされているのでしょうねぇ。

揶揄いお兄様リターンズ。

 

「当店はそのようなサービスは行っていないのですが、…特別ですよ?」

 

背伸びだけでは足りず、少しつま先立ちをして――額に口づけを落す。

 

「うん、これはよく効きそうだ」

「それでは、おやすみなさいませ」

「ああ、おやすみ――深雪」

「はい?」

 

料金を払っていなかった、とお兄様はそっと唇に触れていった。

 

「…払い過ぎです」

 

混乱しすぎて受け答えを間違えた。

なんだ、払い過ぎって。確かにお兄様のキスの価格はとても私の私財を売り払っても払いきれない価値があるけども。

というか以前にもこんなことありましたよね?…あの時は唇ではなく頬に、でしたけれど。

こちらの暴投に、けれどお兄様は一瞬だけ目を見開いたものの余裕の受け答えで返した。

 

「なら次の為にツケておいてくれ」

 

再びおやすみ、と声を掛けてからお兄様は扉を閉めた。

姿が見えなくなったが、まだお兄様が扉の向こうにいる気がして扉に手を添えた。

 

(――本当に、お疲れ様でした、お兄様)

 

これで、すべてが終わったんだ。

そう改めて思うと、身体から力が抜ける。

まだ事後処理だったりちょっとした騒動があることは分かっていても、大局は終わった。

子供っぽいとは思ったけれど、今夜くらい良いだろう、とお母様ぬいを取り出し一緒に布団に入る。お兄様と深雪ちゃんぬいは机の上で仲良く寄り添って並んでいる。

 

「…おやすみなさい」

 

今夜もまた寝不足になる時間帯だが、それでも安眠できそうな気がした。

 

 

 

翌朝すっきりと目覚め、お客様が居てもいつものルーティーンを。

お兄様も同様のようで、九重寺に向かわれるようだった。

 

「昨日手伝って頂いた礼もしなければ、な」

 

ということなので皆の茶菓子用に焼いたクッキーを持って行ってもらうことに。

お兄様はちょっと不満そうだったけれど、また焼いておきますから。…違う?師匠にあげたくない?お兄様たちに何かありましたかね??でも持って行ってくれるって。よかった。

それから庭の手入れをしていると水波ちゃんが起き出して、花瓶の用意をしてもらい、花を活けてお母様へご挨拶。

 

(お母様、お兄様を苦しめる元凶はこれで滅びました。…これでお兄様は幸せになれますでしょうか?)

 

答えなど返ってこないけれど、つい問いかけてしまう。

するとどこからともなくイマジナリーお母様が、「…あの子は貴女が居れば幸せなんだから、深く考えなくてよろしいわ」とちょっと不機嫌そうに顔を背けられてしまった。…ちょっと、拗ねてる?このところ忙しくてこのようにゆっくり話しかけることもできませんでしたからね。なんて。私の心のお母様が可愛い。

 

今日はお母様のお好きだったバニラの香る甘いクッキーにしましょう。紅茶も添えてね。

それから水波ちゃんの朝食作りを手伝い、亜夜子ちゃんも顔を出して手伝いを申し出てくれて、賑やかな声を響かせていると、お兄様の帰宅を知らせる音が。私としたことが、楽しくてつい、お兄様のお帰りに気付くのが遅れてしまった。

急いで亜夜子ちゃん、文弥君と共にお出迎えを。

 

「「「おかえりなさい、達也兄さん」ませ、達也さん」お兄様」

 

面白い三重奏。お兄様は聞き取れたかな?

苦笑しながらただいま、と。今日のハグはお預けですね、と思っていたのだけど代わりに頭を撫でられました。…二人にはしないのです?

そのままシャワーを浴びにお風呂場に向かわれたのだけど、亜夜子ちゃんがこそっと。

 

「昨夜は、どのようなお手伝いをされたのです?」

「ちょっと、姉さん!」

 

…気になってたのか。一晩経って聞けるようになったのかな。

文弥君が慌てて止めるけど、気にしなくていいよ。『何も』無かったのだから。

 

「お着替えをちょっとだけ、お手伝いしただけよ。昨日の服は着る時もだったけれど少し面倒なものだったから」

 

しかし、まさかこれを水波ちゃんからでなく亜夜子ちゃんに聞かれるとは思わなかった。

…もしかして亜夜子ちゃん、原作の通り吹っ切ることができたのだろうか?何か特別なことをしたつもりは無いのだけれど。

そのままリビングに戻り、少ししてチャイムが。こんな時間に来客?

水波ちゃんがすぐに対応に向かい、私たちは顔を見合わせた。皆心当たりがなさそうだけど――あ。

 

(…もしかして、昨日叔母様が別の形で通達する、と言っていたから)

 

それなのかもしれない、と戻ってきた水波ちゃんを見たら、困惑顔。可愛いね。…じゃなくて。

 

「深雪様、四葉の使者がこちらを。返事をすぐに頂きたいと外で待機中です」

 

そう言って差し出したのは――叔母様、最近ハマってるの?ファンシーなお手紙第二弾。今度は垂れ耳の可愛いウサギさんですね。

文弥君はお目目ぱちくり、亜夜子ちゃんは上品に口元に手を当てつつも不思議そうに小首を傾げておりますね。双子揃って反応は違えど心は同じみたい。

 

「…本日叔母様は魔法協会関東支部にいらっしゃるようだから顔を見せるように、と」

 

ちょっとお返事書いてくるわね、と席を外す。

皆にはあんな風に伝えたけど、実際の内容はちょっと違う。

可愛らしい丸文字で、今日は横浜にいるから遊びに来てね、手土産には焼きたての焼き菓子がいいわ。楽しみにしてるわね。と。

…叔母様、この丸文字どうやって書いたんだろう?いつもと全く筆跡違うよ!?何を身に付けられてるのです⁇

 

(これに正しく返事をするには…)

 

キラキラファンシー便箋を取り出し、正しい書体(丸文字)にて。

 

――ぜひみんなで遊びに伺います。お菓子、楽しみにしていてくださいね。――

 

最後にハートマークを付けるべきかさんざん悩み、正気に戻ってやめておいた。

この一通にごっそり気力を奪われ、疲労を隠しながら水波ちゃんにお手紙を託す。と言っても玄関までなんだけど。

 

(あ、夕歌さんにもお手紙書かなきゃ。こっちはまた別の便箋を用意しよう)

 

それらが一通り終わった頃、お兄様がお風呂から戻られた。

 

「来客があったようだな」

「はい、叔母様からでした」

 

魔法協会に報告に来るように、とのことです、と伝えると、これが面倒事か、と。昨日の占いを真に受けてるわけじゃないだろうけど、それになぞらえての発言。今日は昨晩より余裕がありそうだ。

皆揃っていただきますをして、食後のお茶で一服して。

手土産の焼き菓子には何が良いだろう?お母様用のクッキー以外にもチョコとクリームを挟んだラングドシャを用意しようか。

ということでまたクッキング。亜夜子ちゃんは珍しい様で見学に。

お兄様と文弥君はそれをダイニングの席で眺めながらお勉強をしているみたい。…ところどころあの時のUSNA軍の、とか聞こえるから先日の戦闘についてのシミュレーションかな。勉強熱心なのは良いことです。

準備も整え、それなりな格好にお着替えしてお出かけ。水波ちゃんはお留守番だ。

見送ってもらって車に乗り込み横浜ベイヒルズタワーに向かった。

 

 

――

 

 

うん、魔法協会も凄い資金力だよね。豪華な一室。これ、首相とか王族クラスだよね。最上級の客をもてなす応接室に通された。

すでに十師族の関東圏の人たちはここに揃っているらしい。七草・七宝・十文字、皆目的は同じでオンラインでの師族会議出席のために集まっていた。

 

「ようこそ、いらっしゃい」

「お招きいただきありがとうございます」

「まあ、そのバスケットの中身が深雪さんお手製の焼き菓子かしら。楽しみにしていたのよ?」

 

…まるでただのお茶会のはじまりのようですね。報告だとは思わせない雰囲気。どこに向けた仲良しアピールです?

席を勧められたのだけど、座る前にお兄様は叔母様に向けて深く頭を下げた。

 

「母上、此度の一件、不首尾に終わりましたことをお詫びします」

 

叔母様はそれを寛大な笑みを以て受け入れた。

 

「昨日の顛末は聞いています。あれは仕方がなかったと考えていますので、達也さんも気にしなくて良いわ」

 

――そう、これは対外向けのパフォーマンスだ。

 

「ありがとうございます」

「顧傑の死体を回収できなかったのは残念だったけど…死んだのは確実なのでしょう?」

「はい」

 

そしてこれからの報告の為に必要だと、何故死亡したことを確実だと証言できるのか理由を尋ね、説明をする中で、叔母様はやはり例の部分で引っかかったようだ。

 

「条件?どんな?」

 

追跡用の魔法が使用できなかったのが可能となった条件を尋ねた。

が、お兄様はそれをしれっと、感覚的な問題ですので、と逃れようとする。…私も顔には出さないよ。淑女はこれくらいのことで動揺なんてしませんので。ええ、出しませんとも。

 

「あら、とっても気になるわ。どのような感覚なのかしら?」

 

(……だからなのかなぁ)

 

変に隠し立てするからか、叔母様の興味スイッチが入ってしまった。

お兄様も眉間に皴が。揶揄われる気配を察知しましたか。

 

「いくら母上が相手でも、こればかりは。ご容赦ください」

「まあ。頑固な息子ね。…深雪さんはどうかしら?」

 

……何故こちらに飛び火を?もしや、条件に感づかれている?そんなバカな。

 

「申し訳ございません。わたくしにはなんとも」

 

ええ。全く、さっぱり、何のことだかわかりません、と申し訳なさそうに答える。

…のに、どうしてそんなにんまり訳知り顔を?もしや叔母様の目には嘘発見器でも搭載されてます?

 

「…母上。これは俺個人の感覚の問題です。深雪に問うたところで分かることではありません」

「そう?でもおかげで分かったわ。貴方の反応で、深雪さんが必要だということが、ね。今回はそれで十分だわ」

 

わあ。お兄様のお目目が鋭くなってしまった。それに対して叔母様は高笑いでも上げそうな、ご機嫌なご様子。扇子がばっと広げられてなんとも華やかですね。叔母様の背景にも花が舞っているように見えます。

 

「叔母様、あまりお揶揄いになられますと、口をきいて下さらなくなってしまうかもしれませんよ」

 

これ以上お兄様をいじめないでください、とお願いすると叔母様は目を細められて。

 

「深雪さん?」

「…失礼しました、真夜姉さま」

 

訂正すると、にこやかに、けれど艶やかさも混ぜて微笑まれた。

誰かに聞かれている可能性があるのではなかったか。…これは聞かれても問題ないと?あれかな。聞かれたら嬉々として仲の良さを語りたい、みたいな?

とはいえ、たとえそうであっても正面切って聞けるわけが無いけどね。聞き耳立てていることがばれるわけだから。

 

「この場では構わないわ。身内しかいないのですもの」

「ありがとうございます」

 

とりあえずこの話はこれ以上続くことなく、話は千葉警部との戦いについて。お兄様は殺すことができないので防戦一方の試合(・・)の中、叔母様は気になった点があったのだとか。

叔母様が詳しいのはお兄様の報告だけでなく四葉の偵察隊からの報告と、お兄様のボタンカメラからの情報によるものだ。

原作のような同情心はそこまで強くなかっただろうが、殺せない相手から殺気を向けられ戦うというのはなかなか骨の折れること。さぞ戦いにくかったことだろう。

お兄様が更に戦いにくかった理由に、本来彼が使えない魔法が使用され、それがどうも生命エネルギーを利用して放たれていると解析。心臓の辺りに魔法的刻印が刻まれているのを見て、以前手の甲に刻まれた刻印魔法を止めた時のように、刻印を消し去ることを思いついたのだとか。

だがあの時のように一部分解したのではなく、まだ刻まれてから24時間経っていなかったようなので、再生を使用したらあっさり効いたらしい。この直後動きが鈍くなり、呪縛が解けたように軍の解呪もできるようになったんだそう。

心臓に刻印…ってことは開胸されたのか、お兄さん。今はその痕も綺麗になっているだろうけど。

そうなると稲垣警部補はどうなんだろう?お兄様が着いた時にはもう決着がついていたと思うのだけど、そっちは心臓の刻印が無かったのか…。まだ戦闘記録は見ていないけれどこちらでも本人が使えない術式解体が使用されていたはずだ。

…うーん?何らかの攻撃で胸に刻まれた刻印が消えた、とか?それだと心臓に穴が開いちゃうな。偶然何らかのショックを受けて呪縛が緩み解呪が上回った、とか。

二人の捕獲条件も異なるから何かが作用したのかもしれないけれど、何の材料も無しに考えたところで分からないね。

どのみち術者は『死んだ』のだ。もう傀儡にされることは無い。

彼もエリカちゃんのお兄さんも今は酷い衰弱状態の為入院している。あれだけ酷使されたうえ、生命エネルギーを使われていたのだ。いつかの西城くんのような状態らしい。あと、長時間の仮死状態も影響していると思われる。しばらくは入院生活を余儀なくされるという。

 

(…その間に藤林さんがお見舞いに行って二人の関係が進展したりとかしないかな)

 

ちょっと、というかかなり期待している。王道展開。大好物です。

 

「ソーサリー・ブースターは脳を加工した魔法装置。達也さんが遭遇した、心臓を媒体とする魔法力増幅術式。私たちは魔法を研究するに当たって精神ばかり目を向けていたけど、肉体にも魔法への理解を深める鍵が眠っていそうね…」

 

叔母様ったら、妖しい笑みを浮かべながらやべぇ目をされてますね。うちのマッドサイエンティストが新しい素体…素材を見つけた時のお顔そっくり。それを座った目で見つめるお兄様。

え、これが人体実験をやってくれるなよ、という祈る目なのです?想像とちょっと違う。

叔母様も今の状況を思い出したのか、ふふふ、と何事も無かったように微笑みながら、立ったままの私たちに再度座るように促して、葉山さんにお茶を頼んでようやくお茶会の席が始まった。お兄様が座られないのに私たちが座るなんてありえなかったのでね。あのままずっと立ったままでした。

叔母様はさっそくクッキーを抓み、これ美味しいわね、と言われたのがお母様もお好きだったバニラ香るクッキーで、それを伝えると、そう、と穏やかに微笑まれた。

しばらく穏やかなお茶会だったが、話はこの後の師族会議の内容に。

これから反魔法主義に対する対策を考えるのだとか。

とはいえ――

 

「恐らくここ数日でその辺りも一変するはずよ。何せ、その反魔法主義を煽っていたのがこの首謀者の男、ということになるはずだから」

 

だけどそうなると別問題も発生する。

今回の件が魔法師同士による内部抗争と思われると、非魔法師が大多数の一般市民が巻き込まれた、という図式が完成してしまう恐れがあった。

 

「そのために、国際問題に発展させるようよ」

 

そう、そのためにわざわざUSNAをヒーローに仕立て上げ、大亜連合も絡んでいたのかと抗議をするのだ。

当然大亜連合も否定をするが、横浜の一件に首謀者も絡みつつ、大亜連合も便乗する形で攻め入ってきていた事実が公表されれば、ただの魔法師間だけの抗争では済まされないわけで。

まあ、あちらも担がれたんだ、と逃れるつもりだろうけどね。操られたなんて、自己申告ならいくらでもできるから。

 

「戦争に勝たせるために魔法師を弱体化させようとした。この功績を以て顧傑は大亜連合に帰るつもりだったのではないか、と。こういうシナリオなら、過激派も沈静化するんじゃないかしら」

 

あらー、綺麗に纏められましたね。それなら違和感もそんなにない。死人に口なし。黒幕おじさんにはすべて引っ被っていただきましょう。

裏の話を聞かされながらのお茶会はちょっと消化に悪い気がした。

 

 

――

 

 

警察は会見を開き、被疑者死亡を報告した。

この顧傑という男は、九七という高齢男性で、大亜連合――旧大漢出身者であり、アメリカに亡命していたことなどのプロフィールを明かしてから、現状どのような罪で逮捕したかを述べた後、恐らく箱根で起きた爆弾テロの首謀者であると公表した。

まだ証拠が掴めていない状況であるが、人を操る魔法を使い襲ってきた事実、そしてグレネードランチャーなど軍で使用するような武器を所持していたことからも、一般人では到底入手できない大量の爆発物を用意できたのではないかと推測。

そして、死体が上がっていないものの死亡を特定した経緯については、USNA軍によって被疑者を死亡させたからだと発表。

USNAは日本のテロ事件の背後に、自国でマークしていた男が関与しているのではないか、と捜索したら実際に日本にいることを特定。被疑者は各国に協力者がいる疑惑もあったので日本に調査協力を申し出ることも敵わず、不法侵入にならないよう活動、領海外に出たところで仕留めたのだと政府を通じて事後報告があったことを伝えた。

そのことで事件は国内だけで治まらず、国際事件へと発展。

一昨年の横浜の事件にも関与している可能性があることを示唆した上で、今後も調査を続けると締めくくり、記者たちの質問にも答えることができない、と早い段階で会見を打ち切った。

これだけでも世間には十分な衝撃を与えたのに、その半日後、とある週刊誌からのスクープに、激震が走った。

 

 

スクープ!テレビ局が情報操作に加担か!?多額の裏金を不正授受の瞬間!

 

 

記事の冒頭は、先日の箱根のテロでの、この局独占の映像についてから始まる。

各局の報道カメラが到着する前の、とある未成年魔法師による魔法を行使する場面を捉えた衝撃映像だ。(記事ではその魔法師――私だね――に対する配慮の為、少女とすら表現することなく未成年であることのみを記載していた)

この局がその映像を速報ニュースとして中継したことで、世間は魔法師に対し疑念を植え付けられた。それは、このリポーターが民間人を一方的に蹂躙するように魔法師が攻撃したと思わせる偏った報道をしたからだ。

そして、不自然にカメラは切り替わり、魔法師が再度魔法を行使し、凍結した被害者と思われる人たちを解凍する映像を流す瞬間にも、あたかも未成年魔法師が現行犯であるかのように、恐ろし気にリポートしていたことを挙げ、これが印象操作であることを示す証拠を書き連ねる。

――なぜなら、この記者はとある情報筋から箱根のとあるホテルで特別な集まりがあることを耳に入れていたことで、数日前から現地に取材に入っていたのだ。偶然を装って許可の下りてない上空撮影をしたテレビ局のカメラとは違うのだと強調した上で。

爆発事件の最中、カメラマンと二人で現場に到着したが、魔法師でも何でもない民間人。すでに警察が到着していたので、自分たちは邪魔にならないところで仕事をし始めた。自分らの仕事――すなわち現場の現状を克明に記録し、発信することである。

現場は騒然としていた。ホテルに向かって何人もの人が荷物を手にして向かっていくが、様子がおかしい。誰も焦点が合っていないように見えた。そして動きも皆揃ったような――ロボットのような動きに見え、異様な光景だった。

ホテルに近づくと怒号や悲鳴が聞こえた。爆発も起きていた。

ホテルから出てくる人は魔法師のようで皆、CADと呼ばれるデバイスを掲げ、ホテルに向かってくる人を迎撃していた。聞こえてくる声の中に、「敵は死体だ!パペットテロだ!」とあった。あのロボットのように動いていた人たちが全員死体だという。途端、おぞましい光景に思えた、と記者は感想を抱きつつ、その様子をカメラに収めていたところで、それは突如として現れた。

そこで記者は目撃する。――ひとりの未成年魔法師が、魔法を放ち、世界を白く染め上げるその様を。

瞬きのことであった。彼らの言う、パペットテロの人形にされている者たちを一瞬にして凍らせて動きを止めた。

一度目はホテルの入り口で交戦している者たちを。続いて右、左、とその荷物を持っている者たちだけを凍らせていく。

いや、者たちだけ、と言うのは語弊があった。地面も木々も白く染まっていた。ただ、応戦していた魔法師だけが避けられていた。

後に他の魔法師からの聞き込みでこれがどれほど難易度の高い技術かと説明されるのだが、この未成年魔法師(以下A氏と仮称する)は、それほど高度な魔法をこの凄惨な現場で眉一つ動かさず行使して――いるわけではなかった。

あまりの美貌に気付くのが遅れたが、A氏は眉を顰めながら魔法を放っていた。

そして、最後の魔法を放った際に、涙を流した。丁度向かい合っているのは、歳の頃は同じセーラー服をまとった少女。

 

――これをどうして、恐ろしい魔法を民間人に向けて放つ非道な極悪人に見ることができるだろうか。

 

中継のテレビカメラはここで不自然にカメラを切り替え凍らされた人を映し、悲惨な現状だと伝えていたが、真相はそれだけではなかった。

その後、同制服の未成年魔法師(Bと仮称する)と思われる生徒が合流すると、A氏は泣き崩れた。

聞き取れた会話を要約すると、A氏 はパペットとされてしまった被害者たちと分かった上で、魔法で凍らせ動きを止めたことを、攻撃してしまったと己を責めていた。B氏が被害者たちをこれ以上傷つけさせることなく保護するために凍らせたことを指摘したことで、A氏がこの魔法を使った理由が被害者と被害者家族の為であったことが判明するのだが、それでもA氏はこんなことしかできなかったと悔いる。

――未成年の魔法師である彼らは、現状をこれ以上悲惨なモノにしない為、苦肉の策として魔法を行使したのだ。

なぜ、この話が世間であれだけねじ曲がった報道をされることになったのか。

 

それはこのテレビ局が反魔法主義思想を世間に植え付ける為と考えられる――

 

 

と、ここからはテレビ局が多額のお金を受け取り、曲解した情報を流していたことが証拠を添えられ書き綴られていた。

しかも、それが今回の箱根の首謀者と繋がっていたのではと疑惑が浮上した。理由はその裏金の出処である。

外国人と思われる相手と取引をしている様子が写した写真も掲載、数時間前の警察からの発表に輪をかけ更に疑惑が連ねられていた。

 

 

 

 

(第二弾は政治家さんたちかな)

 

うちで護衛させていたフリージャーナリストのペンが火を噴いた。あっという間にこのテレビ局は炎上した。

一高に取材に来ていた件は襲撃にあったせいで取材を受けてはいないが、あの事件を目撃していたのだから、あれも人間主義者の実態!とかで記事になりそう。

遠い目をしていると、視界の中のお兄様がふむ、と真剣な面持ちで小さく頷いて何かを決断されていた。

 

「とりあえずこの記事は印刷保存しておくか」

「お兄様!?」

 

このペーパーレス社会で――と言いながらここ最近紙を触る機会が多かったけど――なんて無駄なことをしようとされているのか。

しかし、私の動揺を正確に読み取ったお兄様はしっかりと私を見据えた上で、

 

「深雪の記事が無駄なわけがないだろう」

 

と断言した。

…お兄様…。もう止まりませんね。好きになさってください…。

 

「ですが、見事にひっくり返りましたわね」

「世間は反魔法師活動をしていた議員たちまで不審に思い始めたみたいですよ」

 

亜夜子ちゃんたちは何も見聞きしていないとばかりにお茶を啜りながらニュースについて語っていた。

恐らくだけど、この後は一旦政治家たちの口から我々はそのような金を受け取っては無い!と言わせてからの、第二弾を出版する流れですかね。大変な騒ぎになりそうだ。

叔母様の鎮静化の予言から一夜明け、魔法師排斥運動自体が黒幕おじさんの画策であった疑惑が浮上。同時にテレビ局乗っ取りの事態に世間は大いに混乱していた。

このニュースは日本のみならず、世界中似た組織はあったことから自国でもそのような暗躍があったのではないかと一斉調査の流れになりそうな雰囲気があった。

このタイミングなら自国に巣食っていた膿を追い出すチャンス、と動く国もあるようだ。

 

「…ひとつ、お伺いしたいのですがよろしいでしょうか、深雪お姉さま」

「なんでしょう」

 

改まった言葉に、反射で淑女で応じてしまったけど、亜夜子ちゃんは気にならなかったようだ。

 

「深雪お姉さまが、あのように箱根で動かれたのは、このためだったのですか?」

 

…まあ、四葉の者があのように大々的に動くだなんて、何かあると思うのが当たり前よね。

 

「私が考えていたのは、四葉の印象操作の方、かしら」

「え…?」

「だって」

 

ここで私は渾身の悪役顔を披露する。

とくと練習の成果をご覧あれ!

 

「いつまでも危険で疑惑の四葉では困るでしょう?印象は変えていきませんと」

 

私が継ぐのですから、と言葉にせずとも匂わせながら印象操作が目的だったことを伝える。

それも嘘じゃないからね。

一番の理由は亜夜子ちゃんが言ったとおりだけど、それをそのまま認めると何故知っていたかの話になるから。

 

「四葉はアンタッチャブルと呼ばれ、他の十師族と比べ飛び抜けた実力があります。そして恐怖の対象となっている。――恐れられるのは構わないのです。ただ、いつか反旗を翻すかもしれない危険な存在と思われるのは面倒事を招く恐れがあります。次代の四葉当主はこのような事件に心を痛める『良心』を持っている…そう思われたかもしれませんね。ですから多少侮られることもあるでしょう。付け入る隙があるように見えるでしょう。

 

――四葉であることは変わらないのですが、ね」

 

四葉にだって良心はある。だが、愛を前にするとそんなものに捉われることがないだけで。

優先するものが違うだけ。

私が次期当主となろうとも、四葉の本質は変わらない。

だからもし、私たちにちょっかいを掛けるなら相応の報いを受けてもらうことになる。

世間一般の魔法師への悪感情を拭い去りつつ、魔法師界から次の四葉はアンタッチャブルではないのかも?ともし侮るようなことがあればその時は許しはしない――。

その裏の言葉もきちんと伝わったようだ。四葉の人間は察しが良いね。

 

(おお、亜夜子ちゃんと文弥君が驚きながらも顎を引いたね、ちょっと警戒してくれてるみたいで嬉しい。でも顔が赤くなったのは侮られることに対して不満で怒りでも抱かれたかな)

 

四葉を侮られるなんてプライドの高い四葉家としては噴飯ものだものね。

でも私に対して緊張感を見せてくれることは嬉しい。

いつもの無害な深雪ちゃんではなく、可憐に咲く悪の華、とコンセプトに妖しさを醸してみたのだけど、これは成功かな?

 

「――深雪」

 

呼ばれてお兄様の方を振り向けば――あれ?ちょっと咎めるような視線。…お兄様的にアウトでした?

 

「悪役を諦めろとは言わないが、練習するなら俺の前でしてくれるか?付き合うから」

「……似合いませんでしたか?」

 

なんか、叔母様に引き続きお兄様にも思い切りダメ出しされてます…?

思わずしゅんとしてお兄様を窺う。それに対しお兄様はじっと見つめられてからため息を吐きながら首を振られた。

 

(えええ、そんなに駄目でした!?)

 

「達也様」

 

一連の動向を静かに見守っていた水波ちゃんが低ぅい声でお兄様を非難してる?視線も鋭い。

 

「これは外に出せないだろう」

「そのお気持ちはお察ししますが、それと深雪様を独り占めするのは別件です」

 

またお外に出せない顔をしたらしい。鏡を見ながら練習したんだけどな。

もしかしてこの時代の感覚とずれてたりするんだろうか。

 

「……なんだか、思っていた生活とは違うようですわね」

「うん…」

 

そして黒羽姉弟は一体この流れを見て何を思いました?思っていた生活とは⁇

うう…皆が何の話をしているのか何も分からない。疎外感が半端ない…。

 

 

――

 

 

次の日、お兄様は昼から軍に報告へ。

その前に文弥君たちはお兄様にCADの調整をしてもらったので、今日は地下の実験室で確認を兼ねて手合わせをしていた。

文弥君が踏み込み、亜夜子ちゃんが背後に回り込む。

魔法ありの組手もなかなか見ごたえがある。

 

「水波ちゃん、私たちもやってみる?」

「ええ?!み、深雪様と、ですか!?」

 

初めてだといきなり魔法ありきだと難しいだろうから、こっちは魔法無しの組手で、と誘ったところ水波ちゃんがごくり、と大きく喉を鳴らす。…あ~、この間男たちをちぎっては投げ、ってやっちゃったからね。

 

「防具、付けましょうか」

「いえ!大丈夫です」

「遠慮しないで。むしろこれは実験に付き合うと思ってちょうだい。この間、衝撃吸収の素材でできたインナーも届いたの」

 

これなら受け身を取り損ねてもそこまで痛くないのではないかな。

私も着用するから、と伝えれば水波ちゃんはしぶしぶ了承してくれた。

でも、攻撃はし辛そう。…うーん、ただの組手でも駄目か。

 

お兄様も私とはしてくれない。万が一でも傷つけることなどありえないが、それでも対峙すること自体が無理なんだって。

残念だけど仕方ない。

ということでお互い着替えて一礼して。

 

「ふっ」

「っあ!」

 

すたん!ととりあえず投げが決まったけど、うんうん、受け身がちゃんと取れてる。基礎は十分できてるね。

 

「…深雪お姉さま、体術もいけたのですか…」

「お兄様に守られているから、披露する場所が無いの」

 

組手中だった二人の手が止まり、そっくりなお顔で驚かれました。

そもそも二人の前で訓練なんてしたことがない。魔法を使ったところを見たのだって、せいぜい九校戦くらいじゃないかな。四葉本邸で練習する時も他の人と合同なんてありえなかったから。

魔法は一流、とは情報があっただろうが、体術なんて見せる場面なかったもの。

知ってるのは四葉の一部とお兄様、先生をはじめとした九重寺の面々だけ。

お兄様に極上の絹と真綿で包まれまくった深雪ちゃんは最上級の箱入りお嬢様ですからね。

実戦に出たことが全くないので驚かれるのも無理はない。

魔法師は近接が不得意。四葉はその例に漏れるはずだけど、私は四葉と認められるだけの実績が無かったからそう思われるのも当然だ。

今回が任務初参加だった。初お披露目。

何とか実戦でも問題なく動けて良かった。これでできなければ格好つかないところだったよ。

お兄様が守ってくれるから見せる機会がないとの発言には説得力があったようで納得された。

それから一汗流すくらい組手を続けたのだけど、途中から何故二対二に?しかも魔法有りになってた。

水波ちゃんが防御に徹し、私が攻撃。

途中から訓練も熱が入り、レベルが上がって実戦に近いモノになっていた。

文弥君がナックルダスターを構える。

水波ちゃんの障壁で阻めないダイレクト・ペインだが、それを如何に水波ちゃんの結界に干渉せず事象を書き換えて打ち消すか。

答えは簡単。自分の周りに減速魔法をかけてなんちゃって無下限を再現して水波ちゃんの前に出る。

そしてあっさり防ぐことができた。…これ、便利すぎて多用しそう。何か他に考えないと。

防がれたことに文弥くんが驚いているけれど、干渉力強ければこうなると――いや、違う。これは精神干渉が加わっているから普通なら防げないんだ。物理じゃない。

 

(…無意識に減速魔法に精神干渉系統魔法混ぜてたみたい?首から下げている完全思考型CADってこういう作動もしちゃうのか。お兄様に相談してみよう)

 

普通念じたことが、のはずなのに無意識下で作動させてしまった。おかげで貫通ダメージが来なくて済んだのだけど、自力で防いだ感が全くない。

 

 

 

――ちなみに後日確認したところ、精神干渉系の魔法が混ざったのはCADは関係なく、無意識で体が反応し防ぐためにエイドスを書き換えてしまったのではないか、ということだった。

 

「…深雪は誓約で俺に魔法力を割いているから、制御が甘くなって感情の昂りなどで反応することはおかしくないが…、このような現象は初めてだな」

 

普段危機を感じることが無いので、このような現象が見られたのは今回が初めてのケースだったが、どうやら深雪ちゃんボディには危機的状況になるとオートで余剰サイオンが反応する機能が備わっているらしい。

チートでは?チートだった。

 

 

 

ダイレクト・ペインを止めても試合はそのまま続行していて、亜夜子ちゃんが障壁を掻い潜ろうと果敢に攻めてきたけれど、瞬間移動のような動きも、ダイアモンドダストが散りばめられた場所では私の網から逃れられない。

触れたら氷結し、防壁で防いでも振動で敵を察知し周囲に氷の礫ができて襲い掛かる。少しの距離なら自動追尾機能も付いてる。それが全方位に敷き詰められているんだから逃げ場なんてないよね。一応礫は尖っておらずビー玉サイズ。

…ごめんね、これの攻略法なんて事象を塗り替えるか、お兄様のように術式解体するか。私個人を攻撃して止める、というのも有りだけど、水波ちゃんが居てはそれも難しい。

 

「…いい訓練になりましたわ」

「対戦相手として力量不足でしたね…」

「いいえ、私の方でも気づきがありましたから、とても有意義な時間でした」

 

ええ。まさか無意識で魔法が混ざる(・・・)なんて本来ありえない事象ですから。

水波ちゃんにもいい訓練になったみたいだし、良い時間でしたとも。

それからお客様に先に汗を流してもらってお茶を挟んで、学校から配られている課題を各々やりながらの勉強会。

優秀だから誰も教える必要が無い。…これはこれで寂しいね。

そこへお兄様がご帰宅されて、皆でお出迎え。皆一緒なのでハグは無い。

お兄様はそれがちょっと不満のようだけど、お客様の前ですることではないことは分かっているみたい。

でも触れないということはありえないようなので頭を撫でられて服を着替えて一緒にお勉強。

揃って夕食を食べ、お茶をして、四葉の報告やらニュースを聞いたらあっという間に就寝時間…なのだけど。

 

「…深雪が足りない…」

「えっと、よく我慢されました、ね?」

 

お兄様がくっついて離れません。私のベッドの上で座っているのだけど、膝の上で横抱きにされぬいぐるみのように抱きしめられてます。

労うように頭をよしよしすると、もっと、と押し付けられる。困ったな。可愛い。可愛いお兄様。

だけど油断もならないわけで。

滲みだす色気に気付かぬふりをして、慈愛の精神を以て撫でる。

 

「深雪…」

「今日もお疲れ様でしたね」

「任務は構わない。報告に行くことだって問題ない。…だが、圧倒的に深雪が足りないんだ」

「帰ってきてからはずっと一緒でしたのに」

「二人きりでなければこのように触れられないだろう?」

 

深雪は嫌がるだろうが俺は構わないんだぞ、と脅しがかけられてるように感じるのは気のせいでしょうか?

うーん、今夜も締め付けが強い。

でも現状「ご存分に」、なんて冗談でも言えない。言えるはずがない。

 

「そういえば。文弥くんたちは早めに引き上げるんだそうですよ。もうお兄様には出かけられる用事は無いのでしょう?」

「ああ、もう報告するところは無い」

「でしたらこの土日はゆっくりのんびり過ごすことができそうですね」

「それは、嬉しいね」

 

顔を上げられたお兄様は、ふわり、と柔らかい笑みを浮かべられた。

力の抜けた笑みは、私の胸を直撃し、バクバクと音を立てて血液を循環させる。

この不意打ちに仮面は剥がれ落ちた。

 

「ふ、良い色だ。きっと食べたら甘いのだろうね」

「…お兄様」

 

可愛いからのお色気モードに息が止まりそうです。

ひとつ屋根の下にお客様がいる以前に、待ってくださるはずです!と心の中で絶叫する。ええ、口を開こうにも縫い付けられたように動かないので。名前を呼ぶので精一杯。

お兄様はとろり、と甘い笑みに変わり――

 

「分かっているよ。味見の一つでもしたら俺はきっと止まれないから」

 

……、分かってないですお兄様。私の訴えたいところはそこではございません。

全然待ってくれる気配がない!?おかしい。こうして止まってくれることはありがたいけれど、…もしかしてこの間のアレが、OKサインになってしまった…?

 

「……あ、の、…」

「うん?どうした?」

 

…とっても甘い声と瞳で、それだけで気を失いそうになるのだけど、何とか踏みとどまる。

 

「…まだ、お返事ができなくて申し訳ございません」

「いいんだよ。深雪は、深雪のペースで」

 

良かった。忘れられていたわけでも勘違いをさせたわけでもないみたい。…では、どういうこと?

 

「もしや、揶揄われたのですか?」

「揶揄う?俺は冗談を言った覚えはないが――ああ、そうか。勘違いをさせてしまったか」

 

はてなを浮かべている私に、お兄様はすまない、と笑いながら謝罪して。

 

「深雪に恋をしてもらえるまで待つよ。無理強いもしない。――だが、伝えることは許してもらえているだろう?」

 

こくん、と頷くと笑みを深くされて頬を指の背で撫で上げられた。まるで涙を拭うようなしぐさだったが、涙なんて流してはいない。

 

(どうしたんだろう?お兄様の行動が一切読めない…)

 

ストレスでおかしくなっているのとも違う反応。でも同じくらい危機感を覚えるのはなぜだろう。

 

「今回のことで、深雪も触れ合うことが嫌いじゃないことは分かったからね」

 

髪を耳にかけられ、そのまま形に添ってなぞられる。

ぞわわ、と背筋が震えた。

 

「、お、兄様…」

「深雪の許しが無ければ手を出さない。ただ、許しを請うことはさせてもらえないか?」

 

……つまり?

 

「キスの時と同様、その先を深雪も望んでくれているのなら、時折受け入れてほしい」

 

……

………

 

「真っ赤だな。恥ずかしがる深雪も可愛いよ」

 

顔を覆うくらいしか逃げ場がなかった。

いっそ気を失いたかった。

…お兄様はあの一件で、欲情さえさせてしまえば陥落できることを知ってしまったのだ。

 

(…これって一種の体から始まる関係というヤツだろうか…)

 

前世のいらぬ知識が羞恥をさらに煽る。

そんなふしだらな関係じゃない!お兄様と深雪ちゃんは純粋な、もっともっと純愛なはずだ!!

何故そんな爛れた関係になってしまうの?おかしいでしょう!

お兄様の腕の中で蹲った私に、宥めるようにつむじにキスを落すけど、お止めください!

 

「そ、そんなふしだらなこと、良くないです!駄目です!」

 

ふしだら…とお兄様の口から繰り返されてはもう駄目だった。

お兄様の腕から逃れるように体を捩るが、お兄様体術得意ですものね。すぐに押さえつけられ逃げられない。

今の状態は、ベッドの上でお兄様に押さえつけられている図、である。大変よろしくない体勢であり光景ですね。

 

「なあ、深雪。深雪は俺への想いが恋なのかわからないだけだろう?」

「…だけ、と申されますと?」

「俺のことを、愛してくれている」

「…はい」

 

それは、もちろん。私の原動力はお兄様への愛と言っていい。

お兄様を幸せにしたいために生きているのだから。

 

「その愛が家族愛であり、兄妹愛である。それも間違いない」

「はい」

「深雪の愛情は俺でもとても分かりやすい。たくさん愛してもらっていることがよくわかる」

「…はい」

 

隠していませんからね。でも指摘されるととてつもなく恥ずかしい。

というかこの押し倒されている状況、何とかなりませんか!?とても緊張する!!息が上がりそうなほど心臓が全力疾走している!

 

「今、とても緊張してるね」

「…」

 

答えるまでも無い。お兄様の瞳に映りこむ私が真っ赤になってカチコチに固まっているのが見える気がする。

その瞳が細められて。

 

「きっと、こんなことをしてもただの兄妹愛であれば緊張することは無い。――深雪はちゃんと分かっているよ」

「!」

「ただ、ここの準備が必要なんだ」

 

ここ、とお兄様は胸の上を指さした。体が拘束から解放されたが、動けない。お兄様の瞳に、言葉に縫い留められて逃げられない。

 

「だから、俺は待つよ。深雪が答えに辿り着くのを」

 

そう言うと、ゆっくりと上体を起こしてから、腕の力で支えながら私も抱き起された。

ドキドキと煩い心臓が、ぽんぽん、と背を宥めるように叩かれて少しずつ緩やかになっていく。

色気も揶揄いも引っ込んだ、お兄様の私を案じての宥める視線に、心も落ち着きを取り戻す。

 

(…私は、すでにお兄様に…)

 

恋をしている、のだろうか。

指摘の通り異性としては、見ている、のだろう。認め辛いけれど、それは以前から感じていた。

でも、

 

(お兄様のことは以前からファンだったから、カッコいい!と見惚れるのも、好き!と感じるのも当然すぎて)

 

それに、まだお兄様が誰かと話していても嫉妬を覚えていない。

深雪ちゃんは原作であれだけ嫉妬し、婚約してからも余裕を見せているようでいて心は落ち着いてはいなかった。

 

(バレンタインで、七草先輩からのチョコを貰ったか、なんて心配もしてないもの…)

 

むしろあってもいいのに、と思っていたくらいだ。

だから、――あれ?

 

(私の身体は深雪ちゃんのモノだけれど、心までは深雪ちゃんのモノではない)

(お兄様の妹は、この世界では私――)

(…そもそも恋って、なんだろう。嫉妬したら、恋になるの?独占したいと思うことばかりが恋じゃない、って昔読んだのはどの作品だったっけ…)

 

深雪ちゃんであって深雪ちゃんではない私は、自身の想いが深雪ちゃんの抱く恋心と同質とは限らないことに今更になって気付いた。

 

(恋ってどんなもの…?)

 

たくさんの本やアニメが教えてくれた『恋』は、様々な種類があったように思う。

情熱的な恋、苦しい恋、甘ったるい恋、子供っぽい恋、さっぱりした恋もあった。

 

 

「…お兄様の恋は、どんな恋なのですか?」

「俺の?そうだな…」

 

唐突な質問に宥める手を止めて離れると、顎に手をやり思案して。

 

「俺の言動一つ一つに反応してくれることが愛おしくて、受け入れてくれることが嬉しくて、想いにまだ応えられないことに焦らされている時間さえ、堪らないと思う。――妹というだけでは、きっとこうはならなかった」

 

お兄様の告白に、おさまったはずの心臓がまた動き出す。明らかな過活動。こんな変動ばかり起こしていたら寿命が縮まってしまう気がする。

 

「でも、そうだな。恋が同じとは限らない。深雪には深雪にしかわからない恋というものがあるのかもしれないね」

「私だけの恋…」

「楽しみだな。どんな恋なのか」

 

…お兄様はどうしてこんなに自信がお有りなのだろう。まるで恋の相手は自分だと確信しているようだった。

 

(…でも、きっと――)

 

「さ、もう遅い時間だ」

 

さっと立ち上がったお兄様に続いて、多少乱れた衣服を整え立ち上がる。

 

「土曜日は文弥たちを見送るから半日だけとしても、日曜日は丸一日ゆっくりできるんだな。どこか出かけるというのはまだできそうにないが」

「家でのんびり過ごしましょう。お兄様はずっと働き詰めだったのですからお休みしませんと」

「その時は付き合ってくれるか?」

「…膝枕ぐらいでしたらお付き合いします」

「十分だ」

 

扉のところまで付いていき、扉の境界線で向かい合う。

 

「おやすみなさいませ、お兄様」

「おやすみ、深雪」

 

お兄様の大きな手が頬に触れ、瞼を震わせつつも、目を閉じる。

そっと触れるだけの口づけに、お兄様の想いやりを感じた。

 

 

――

 

 

土曜の昼に別れを惜しむ黒羽姉弟をお見送りし、水波ちゃんたちと三人でプチ慰労会。

お客様がいるとリラックスはできないから。賑やかで楽しかったけどね。

それから光宣君が今日は元気ということだったので久しぶりにヴィジホンでおしゃべり。

彼は自分も関東に行きたかった、とちょっと不貞腐れていたのを皆で慰めたりした。

前回お話しした際はバレンタイン当日にチョコが届いてお礼を言ったが、あの時お兄様がまだチョコを貰っていなかったことで気まずかったらしく、その後チョコを食べられなかったらしい。

日持ちするものを送って正解でしたね。

あの後ちゃんともらったよ、との言葉にほっと安心している光宣君の笑みは画面越しでもキラキラしていて水波ちゃんが眩しそうにしていた。わかるよ~。私もサングラス欲しい。

どうせなら皆のいる前で食べたいとのリクエストで急遽お茶会に。立て続けだけど夕食の分を減らせば問題ない。

光宣君はどうも最後の決戦に携われなかったことが悔しかったようだけど、守護している地域は反魔法意識が元々ある土地。

原作で描かれていなかったとしても何かしらあっておかしくない土地でしたから。

うちの四葉の地域だって全くなかったわけじゃない。でも、それも今回のニュースによって見方が変わるでしょうからね。反魔法運動を起こしていた人たちはおいそれと動くことができなくなった。

だけど、そうだった。光宣君は今回の件で魔法師と非魔法師の隔たりを強く認識してしまうんだったね。

二高の事件、恐らく判決はほとんど変わらないと思う。非魔法師の『被害者』は一応ただの被害者ではなく『操られていた被疑者』という形になる。どのみち罪には問われない。

不満を抱いても仕方ない。

出来るだけ不満を逸らしてあげたいが、こういうデリケートな話は直接こっそりお話する方がいいのだけど、この距離は縮まらない。電話越しになんて話せるものでもないし(これで九島家が非魔法師に悪感情を持っているなんて情報アメリカに渡ったらまずいから)先に交換日記でそれとなくフォローを入れてみようか。

 

「次に機会があった時は絶対に行きます!」

 

と力強い宣言。

これは近いうちに会えそうですね。流れを変えたとはいえ、七草氏が動く可能性はあるでしょうから。そうなれば原作通り九島家も十師族に未練があって弟を連れてくるだろう。楽しみにしていましょう。

電話を切りたくない、と可愛らしい駄々をこねる可愛い息子を宥めすかしてようやく電話が終わったのは日が沈んで結構経った頃、もう夕食の準備ですね。時間が流れるのはあっという間。

今日の夕食は鍋焼きうどん。寒い夜には最高の一杯。大変美味しゅうございました。

 

 

 

そして、次の日の昼――その電話は原作通りかかってきた。

この時私たちはお昼ご飯を食べ終え、お茶をする前にお兄様と二人、リビングでまったりしており、水波ちゃんが洗い物をしているところだった。

水波ちゃんの仕事がひと段落ついたらお茶をして、午後は各々好きに過ごそう、と話が纏まっていたのだが。

 

「はい、司波でございます」

 

プロの水波ちゃんは電話越しだろうとちゃんと頭を下げる。普通ヴィジホン相手でもここまではしない。四葉の執事はいつも私が出ればお辞儀しているけどね。…今後お兄様相手でもするようになるのだろうか。このところ特別回線ばかり使っていたから葉山さん以外の使用人が出ることは無かった。

せいぜい使う時と言えば慶春会などで本邸に赴く時の車の手配くらいなんだけど、しばらく用事は無いなぁ。

電話の相手は予想通り一条君。私からはモニターが見えないが、お兄様にはばっちり見えているみたい。この後の予定が変更になることを予期されてか、眉間に皴が。そっと指を伸ばして撫でると、すぐに皴が伸びて、ついでに手も伸びてくる。…いくらここでは電話相手に見えていないからといっても腰を撫でまわさないでください。悪いことをするお手手は抓んじゃいますよ。

 

「深雪様、どうなさいますか?」

 

代わってほしい、というのは聞こえてましたのでね。一応今は保留になっているので画面が消えている。

 

「出ます」

「水波、音声に切り替えてくれ」

「かしこまりました」

 

水波ちゃん?私の意見は?…良いですけどね。

 

「お電話代わりました。一条さん、五日ぶりですね」

 

何か一言付け加えた方がいいかな、と思って適当に付けたのだけど、一条君の声がちょっと弾みましたね。わかりやすい。

用件はやはり妹さんが遊びに来ているのだが、私に会いたいのだとか。ちらりと隣のお兄様を見上げると、肩を竦めた。

お兄様と一緒で構わないかと問えば構わないって。

でもこれ、何で私に会いに来たんだろう?お兄ちゃんの婚約者の相手にふさわしいか見定めに来たのかな?この世界の妹あるあるの妹チェック。

妹さんはお兄ちゃんを邪険にする場面は多かったけど、尊敬はしている描写もあったものね。変な女に騙されていないか心配になったのかもしれない。

彼が婚約者に割り込んだ影響で一条家によくない視線が向けられているのかも。

これに関して四葉は何ら責任があるわけではないが、無関係でもない。不満の矛先は兄だけでなくこちらにも向いているのかもしれないね。

場所はいつもの喫茶店に。場所を伝えると一条君は了承してくれた。

時間を決めて通話が終わったんだけど…確か吉祥寺君も来るんじゃなかった?伝えられてないけど、一条君伝え忘れた?

まあいいか。

 

「水波ちゃん、残念だけど」

「留守はお任せください」

「ええ。何か急ぎの用事があったらいつでも連絡ちょうだいね」

「かしこまりました」

 

事件は終わっても世間は落ち着いてないからね。情報は今でもこうして郵便の形でやり取りしている。

あ、夕歌さんにお手紙出したよ。お茶会楽しみ。

 

「さて、何を着ていきましょうか」

「制服でいいんじゃないか?」

「もう、お兄様ったら」

 

ちょっと不貞腐れてしまいましたね。今日はこのあと二人きりでゆっくり過ごすつもりでしたから。…とは言っても何かあるわけじゃないよ。普通に、普通に過ごすだけ。…膝枕はギリギリ普通に含まれると信じてる。

一旦部屋に戻って着替えてから、お兄様と一緒にお出かけ。

こうして外に出るのは久しぶりだ。

ずっと引きこもってましたからね。久々に人の視線を浴びている。

彫像が多い街ですね。皆驚きの表情がテーマです?お口半開き。

皆の時間を止めながら到着しました久しぶりのアイネ・ブリーゼ。

 

「いらっしゃい。久しぶりだね。今日は二人だけ?」

「いえ、今日は待ち合わせを――一条」

 

マスター、久しぶりー!とお手振り。表情は緩みすぎないよう気を付けたよ。マスターが見惚れて動けなくなることなんて無いだろうけど、ここまでくる道中がね、思ったよりすごかったから。マスターは微笑んで受け入れてくれた。ちょっと苦笑気味だけど。でもその反応が嬉しい。これぞ大人の余裕!

だけど彼らはそうもいかないらしい。一条君と、その隣の女の子、…吉祥寺君まで硬直しているね。

久しぶりの吉祥寺君と初めましての女の子は分かるけど、一条君はいい加減慣れてくれてもいいと思うのだけどね。仕方ないのか。

入り口でコートを預けて彼らの元へ。

 

「お待たせいたしました」

「いいえ!俺たちも今来たところで!」

 

…うぅん、鯱張ってますねぇ。何がそんなに緊張させてしまうのか。

吉祥寺君は苦笑、女の子――茜ちゃんは私に釘付けのよう。…もしや一条の血筋はこの顔に弱いのだろうか。

 

「吉祥寺、久しぶりだな」

「久しぶり。将輝が伝え忘れたって言ってたから驚かせたかと思ったけど」

「いや、それなりに驚いたさ」

 

と返すお兄様だけれどまったくそうは見えなくて吉祥寺君は更に肩を竦めてから、ツンツン一条君を突いた。

 

「ほら、将輝。紹介」

「あ、そうでした。こちらが連絡した妹の茜です」

「……」

 

あらぁ。緊張させちゃってる?お兄ちゃんの緊張が映っちゃったかな。

うん、一条君に似た髪色、髪質だけれどお目目おっきくて可愛いねぇ。

 

「初めまして、司波深雪です。貴女が一条茜さんね?」

 

ちょっと砕けて話しかけると、彼女は返事ができない代わりにコクコク、と大きく頷いた。

 

「ふふ、可愛い」

 

あまりの可愛らしい反応に微笑んでいたら、あらぁ。真っ赤になっちゃった。しかも、移ったかのように隣の一条君まで真っ赤っか。一条家の赤は赤面の赤?

 

「い、一条茜、です…」

「よろしくね。茜さんとお呼びしてもいいかしら?」

 

パクパクした口が音をなさず、コクコク頷いて必死に返す様子がこれまた可愛いね。

初々しい反応。

それにニコニコしていたら、お兄様が動き出す。茜ちゃんに自分の名前だけの自己紹介をさらっとしてから。

 

「まだ何も頼んでなかったのか?だったらこのお店のコーヒーはお勧めだ」

「へぇ。じゃあ僕はそれを頼もうかな。茜ちゃんはどうする?」

 

吉祥寺君の方がお兄さんしてますねぇ。茜ちゃんは好きな人に気にかけてもらえることにも赤くなるけど、慣れている分受け答えはできるみたい。

紅茶だって。私も一緒に紅茶にしよう。一条君はコーヒーにしていた。

 

「茜さん、ケーキもどう?今の時期だとこのアップルパイがおすすめよ。でもガトーショコラも美味しいから、良ければシェアしない?」

 

甘いモノは好き?と尋ねれば大きく頷いてお目目がキラキラ。よかった。でも勝手に決めちゃってよかったかな。スタンダードなショートケーキも美味しいのだけど。聞き方を間違えたね。

この様子では好きなモノも選べないんじゃないかな、と思って声を掛けてみたんだけど、余計なお世話だったかもしれない。でも吉祥寺君が良かったね、と言ってるからセーフということにしておく。

甘いモノのおかげか、緊張が解けてきたところで。

 

「茜さんは私に会いたいと聞いたのだけど、どうしてそう思ったの?」

「あ…えっと…」

 

直球で訊ねてみた。私たちにとってはそれが本題だったから。

もじもじする茜ちゃん可愛いね。そして一条君、そういえばどうしてだろうって顔に書いてあるけどここまで何の疑問も無かったの?

 

「…ニュースで、見て…」

 

ぽつぽつと、語られたのは、意外な内容だった。

箱根テロが起きた時のニュースで映った未成年魔法師は色合いから一高の生徒だと魔法師界隈ではすぐに特定されていた。

そして、九校戦の映像を何度も(・・・)見ていた兄の影響で、すぐにあの減速系広域凍結魔法を使ったのが私だとわかったらしい。

始めは少し苦々しくも思ったのだそう。それはそうだ。魔法師を悪く見せる象徴のような光景を世間に知らしめた映像だったから。

一条君が叱ろうとしたけれど、彼女が非難を抱くのは当然だ。なぜなら被害が自分たちに向くのだから。

なんてことをしてくれたんだ、と思うのも無理はない。

――そう、なるよう仕向けた。

だが、事件が解決し、とあるスクープで一変した。

あの魔法は悪い(・・)魔法ではなかったのだと世論が認識したことで、あの映像が意味を変えたのだ。

 

「…それが、とても自分勝手に思えて、それで…」

「茜…」

 

ごめんなさい!と謝罪と頭を下げた。

彼女は勝手に幻滅し、それが間違っていたのだと気付いて自己嫌悪に陥っていたらしい。

一条家の人間は本当に真っ直ぐだ。擦れたところも無い。思春期なんだからもっと捻くれてもいいのにね。良い子育てができているのが良くわかる。彼らこそ良い魔法師の象徴だよね。

 

「ありがとう。謝罪をするのはとても勇気のいることだわ。今回の件、私は謝罪をされることではないと思っているけれど、貴女の誠意、受け取らせてもらうわね」

 

というより、このように謝罪する人は他にいないんじゃないかな。普通は黙って信じてたよ!とかそういうことだったんだ、と納得して終わるくらいだから。

 

「一条さん、素敵な妹さんですね」

「…はい、自慢の妹です」

 

あらあら、ご馳走様と言いたくなるねぇ。うちに負けず劣らず仲良し兄妹。

あ、でも一条君の体が揺れて顔が歪んだ。どうやら机の下で何かしらの攻防が行われたらしい。

これも仲良し兄妹の一つの形よね。よきよき。

どうして会いたかったのか事情も分かったところでお兄様は吉祥寺君と楽しくおしゃべりをし、私は茜ちゃんを中心に一条兄妹のお相手をした。

 

「え、深雪さんもお料理されるんですか?」

 

呼び方も名前で呼んでもらうことに成功。お兄さんより距離が縮まったね。

 

「私もまだまだ勉強中だけど、楽しいわよね」

 

確か今日は茜ちゃんが朝から頑張ってカレーを作った日だったんじゃなかったっけ。中学生が一人でカレーを作るって、ルーを使うにしても大変だっただろう。

 

「し、司波さんの手料理…」

 

一条君が何やらお考えのようだね。

この時代、料理を作ると言ったら材料をぶっこんでHARにお任せが主流だから珍しいは珍しい。

お菓子作りはまだ趣味として作っている人はいるけれど、それだってHARができちゃうから、家庭の味と言ったら今はほとんど皆同じになっている。せいぜい地方の違い?西と東ではまず出汁が違う。

 

「深雪の作る料理はどれも美味いぞ」

「あら、そちらのお話はよろしいので?」

「気になる話をしていたからね」

 

それは邪魔をしてしまって申し訳ない。なにやら先ほどまで小難しい起動式のモジュール化の話をされていたと思うのですが。

お兄様、ちょこっとどや顔されてます?滅多に見ない自慢顔に胸がキュンキュンする。

だけどそれに噛みつくのは一条君だ。

 

「し、司波さんの手料理を食べているというのか!」

「昨年までは毎日食べていたな」

「毎日、だと!?」

 

それは家族なんですから、作ったら食べるでしょうねぇ。

そんなに驚く話ではないと思うのだけど、いちいち反応が大きくてお兄様も突くのが面白くなりました?

打てば響く反応は面白いですからね。

 

「お前の家は家族でバラバラの食事をするのか?」

「そ、そんなことはない、が…」

「将輝、落ち着きなよ。兄妹だったんだからおかしなことじゃないでしょ」

「そ、そうだな」

 

兄妹だったんだもんな、兄妹…とやたら兄妹という言葉を反芻する一条君。

茜ちゃんはそんなお兄ちゃんの動揺にドン引き。

話題の選択ミスったね。

 

「昨年まで、というのは?」

 

そんなサポートをするのはやっぱり吉祥寺君だ。

 

「うちにはもう一人水波ちゃんという子が暮らしているんです。この子は家事がとても上手で」

 

メイド、とは言わなかった。彼女としては本職だろうけど、私にとっては家族だから。

 

「だが、水波はお前を先生と思っているようだがな」

「水波ちゃんには水波ちゃんの味があって私は好きなんですけどね」

 

時折今でも味見をお願いされる。

十分美味しいのだけど、あの子の目指すところではないみたいで。

 

「水波のも美味しいが、お前のあの優しい味は格別だからね」

 

あらまあ、お兄様からそんな表現をされるとは。

優しい味、とは嬉しいことを言ってくれる。

思わず頬を緩ませたら一条兄妹の視線を集めてしまったみたい。反応そっくりね。

 

「そんなことを言われてしまえば、今夜の一品はお兄様のお好きなモノを作らせてもらいませんといけませんね」

 

水波ちゃんにお願いしておかずを一品増やさせてもらおう。何がいいかな。

 

「………「お兄様」…?」

 

あ、しまった。気を付けていたのだけれど、ついするっと出てしまった。

お兄様はその一言を拾い上げた一条君に、眉を顰めながら答えた。

 

「仕方が無いだろう。俺たちは二か月前まで兄妹として暮らしていたんだから。いきなり呼び方を変えるのは難しい」

「あ、…いや、それは分かるが、前まで「兄さん」じゃなかったか?」

 

ああ、そこからだった。

学校でお兄様呼び出来るようになったのも今年に入ってからのことだったものね。

あまりに自然に浸透していったから昔からそうだったと錯覚してしまった。

 

「俺たちは事情があって一般家庭の出となっていたからな。普通の家の兄妹が「お兄様」ではおかしいだろう」

 

なんてことないようにしれっと答えているので一条君も戸惑いながら事情を受け入れたようだった。

…ツッコミどころ多いと思うのだけどね。当然だ、という態度を見せられると謎の説得力があるよね。

 

「…つらく、無かったんですか…?」

 

茜ちゃんがポツリ、と呟く。

これは、どれに対してだろうか。

 

(兄と兄妹でなかった事実を突きつけられたことか、婚約者となったことか、それとも四葉を隠していたことか――)

 

いずれにしても、ここは誤魔化させてもらおう。

 

「辛かったわ。とっても」

「「え…?」」

 

一条さんちは真ん丸お目目で、吉祥寺君は真意を探る為か目を細め、お兄様はじっと私を見つめて。三者三様、面白いね。

 

「だって、尊敬するお兄様をずっと「兄さん」と呼んで、敬語も使えず接しなくてはならなかったのよ」

 

ええ、辛かった。本当に。

頬に手を当て、あの頃のことを思い出しながらため息を漏らす。

今思うとよく二年近くも頑張ったものである。いくら自分で決めたこととはいえ、お兄様にため口って私の中の深雪ちゃん像に一番合わなかったからとても不自然で気持ち悪かったのだ。

お兄様は楽しまれていたけれどね。

 

「ええ、と。普段は敬語だったんですか?」

「そうよ。家の中ではそれが当たり前だから、学校では違和感がすごかったわ」

「俺は新鮮で楽しかったがな」

 

でしょうねぇ。私はお兄様に話しかけられるたび冷や冷やしていたのを、お兄様は楽しんでらしたもの。…やっぱりSだよなぁ、お兄様。原作ではその気はない、とたびたび描かれていたが、これが衝動や欲求を持っていれば、タイミングさえ合えばツッコんでいたのではないかと。だって、そもそもその気が無ければ浮かばないのではないかと思うわけで。

 

(時折見せる揶揄いのお兄様は、私に対して衝動が抑えられていない分出てくるようになったんじゃないかな)

 

あんなお兄様は原作でも見なかった。

それだけ愛情を注いだことにより気を許してもらっているのだと思っていたけれど…ただ本性が浮かんできただけなのかもしれない。

…気付かぬうちに開いてはいけない扉を開いてしまっていたのか…?いやいや。今はそんなことを考えている場合ではなかった。

 

「とてもお優しくて、どんな努力も怠らず、常に前を見据えている姿はとても素敵で。尊敬しているから自然とそうなったの。…でも初めは戸惑われていましたよね」

 

最後はお兄様に問いかけると、お兄様は苦笑交じりにお答えになる。

 

「それはね。急に敬語を使われて、様をつけて呼ばれるなんて驚かないわけがない。しばらくは慣れなくて困ったものだが、お前がそうしたいのを俺が拒むのも悪い気がして結局受け入れることになったな」

 

そう、お兄様が折れてくださったからこの形になったんだよね。

昔からお兄様は私に甘い。己の立場を考え四葉の使用人に徹するならば拒まねばならなかった。いくら妹の望みとはいえ、私たちは四葉の庇護下にあったのだから、家の掟に従うものだが、お兄様は私を優先した。

 

「だけど、今は家と変わらず話しかけられるようになったからその分気は楽になったの。学校でいつまでも偽ったままというのも息が詰まってしまうから」

 

ってことで誤魔化されてくれないかな?と真実のみをピックアップして誠心誠意お話をしたら、茜ちゃんは失礼なことを訊ねたと謝罪した。

 

「気遣ってくれたのでしょう?優しいのね」

 

本当にいい子。この子が十師族直系の子だなんて信じられない。一条家ってすごい。

でもこの誠実さが、彼らの武器なのかも。信用したくなる、支えてあげたくなると、そう思わせる。

時間はあっという間で、もう紅茶もケーキも無くなっていた。

それが合図となって解散することに。

お別れの際。

 

「ちょっと過ぎてしまったけれど、これ、お土産にどうぞ」

「いいんですか!わ、可愛い。猫ですね。これ、もしかして手作りですか?!」

「この間猫の日だったでしょう?だから、猫さんクッキー。一週間くらいは日持ちすると思うけど、できるだけ早く食べてくれると嬉しいわ」

 

…うん、なんとなくだけどね、この一言を付け加えなきゃ、と思いまして。

なんかずっと飾られそうじゃない?泉美ちゃんがそのタイプ。だから一応念のため期限を伝えておいた。

とっても喜んでもらえたようでよかった。一条君はごめんね。今日のところこれは女の子限定ということで。

最寄り駅でお別れして帰宅。

ハグをして、出迎えに来てくれた水波ちゃんにただいまと返して、リビングでゆっくりする――と思ったら。

 

「水波、夕食までには顔を出す。だからしばらく二人きりにさせてくれ」

「……かしこまりました」

 

お兄様の切実な訴えに、水波ちゃんは苦渋の決断のように、けれどどこか同情めいた視線を向けてから頭を下げた。

…なに、このやり取り。

そして今、私はお兄様に抱き上げられて私の部屋へ。

どうしてこうなってるの?絶賛混乱中。

そしてベッドの上に下ろされて、抱きしめられて。

 

「……お兄様…?」

「…今日は一日深雪とゆっくり過ごせるはずだった」

 

…oh…。お兄様が拗ねられていらっしゃる。

そうでしたね。私は原作知識で彼らとお茶する場面があるかも、と思っていたけれど、お兄様にとっては青天の霹靂でもありましたから。

だから水波ちゃんが同情したのか。

胸がキュンキュンして苦しい。お兄様が可愛いんです…。

頭を撫でると首元に顔を埋められた。

 

「お兄様、過ぎてしまった時を戻すことは叶いませんが、約束を果たしましょう」

 

お兄様が体を起こして、私は苦笑をしながら己の太腿をポンポン、と叩く。

本当はね、めちゃくちゃ恥ずかしい。逃げ出したいくらい。でも、お兄様が二人でゆっくり過ごす時間を楽しみにされていたのを知っているから。

 

「…その、私にできる限り…お疲れのお兄様を癒せたらと思います」

「…ダメだな、俺は。減った時間の後悔ばかりして。深雪と二人の時くらい後悔は後回しだ。今を楽しまないとな」

「後悔など消えてしまうくらい、心地よい時間を過ごしましょう」

「そうだね」

 

 

 

…ええ、何もなく過ごしましたよ。

だから水波ちゃん、お兄様に疑いの視線を向けるのはやめてあげて。真っ赤なのはお兄様のせいではあるけれど、そんなアレなことがあったわけじゃないから!

 

「とても素晴らしい時間だった」

「…ご満足いただけたようで何よりです」

 

お兄様はとても艶々とされ、私は精神的に疲労困憊となった。

 

 

――

 

 

 

月曜日。

学校が再開した直後、まずは全校集会を開いた。

危惧していた通り、わが校の生徒が襲撃されたこと。犯人たちは捕まったこと。

そして世間のニュースから反魔法運動は下火になるだろうが、しばらくは念のため防犯ブザーをすぐ取り出せるように持っておくことを伝えて、これまでの皆の協力に感謝を告げた。

皆が注意してくれなかったら、怪我人が出ていてもおかしくなかったから。

拍手をしている生徒の中に口を押えている人がいるのは、いつもの掛け声やら呼び方をしないようにしているからですか?

今回は一条君も参加しているから。…一応、これは一高の全校集会だから参加はしなくてもよかったのだけど、声を掛けなかったらハブにしたことになるのではないかと思い声かけだけはした。ら、参加していた。

律義だね。そしてわが校の生徒たちと似た視線が向けられてます。視線が熱いです。

一条君は任務は終わったけど、一か月一高で過ごすことが当初から決められていたのでその期間内は変更なくここへ通うそうだ。

ただ、ぽっかりと放課後の予定が空いてしまったので、放課後は一高の委員会や部活動がどんなものか見学したい、との申し出がお昼を食べている時にされた。ここには皆揃ってますからね、拒む理由もないので許可を出した。

私に許可を求められたのは、生徒会長だから、なのだろう。

一条君は別にどこぞの総隊長でもスパイでも何でもないのだから自由にどこを見学されても困らない。ぜひ色々見学していってくださいね、と返したのだけど、何か言いかけた後にありがとうございます、と返された。

…もしや案内を頼もうとしていた?流石にそれにはお付き合いできないかも。卒業式の準備はまだまだ終わってないので。

今日は風紀委員を見学するんだって。吉田君お願いしますね。

原作とは違い、エリカちゃんのお兄さんは死んでいない。長期入院が余儀なくされた様だけれど、意識は取り戻したらしいので、彼女の雰囲気は明るい。

今までと変わらない、明るいランチタイムに頬が緩んだ。と、思っていたのだけど。

 

「なぁに、思い出し笑いはエロいこと考えてる証拠らしいわよ」

 

安堵するには早かった。

にんまりチェシャ猫のように笑うエリカちゃん。…でも、その揶揄い文句はよろしくなかったなぁ。

そうなのかい?とお兄様がするりと頬を撫で、周囲にとてつもない悲鳴が上がり、一条君が真っ赤になったり、お兄様に怒りを覚えたり、周囲の声に驚き戸惑ったりと忙しい。

吉田くんなんて真っ赤になってエリカちゃんの名を叫んでるし、西城くんもお前…と咎める表情でエリカちゃんを見詰め、美月ちゃんはきゃー!と喜び、ほのかちゃんはえええっ!と私とお兄様を交互に見つめて真っ青に。雫ちゃんは静かに、風紀委員だから携帯を許されているCADを――って危ないよ!しまってしまって。

 

「エリカ?お兄様も、違うとわかっていてそのように乗らないでください」

「あはは、悪かったわよ」

 

…もしかしなくても、事件の影は彼女の心を沈ませていたんだろう。死ななくてよかった、と私は原作を知っているから安堵できたけど、彼女にとっては大事な身内が被疑者によって殺されかけたのだ。穏やかでいられるはずも無かった。

 

「ただ安堵したのよ。こうして日常が再び戻ってきてくれて。今日は処理がたくさんあるから難しいけれど、明日になったらまた皆でお茶しましょう」

「そうね」

 

明日は他の皆も都合がつくらしい。よかった。

 

 

 

その夜。

 

「それで、深雪は『エロいこと』(そういうこと)とやらを考えたのかい?」

 

(…エリカちゃん、いくら不安や焦燥でストレスが溜まっていたからってお兄様に余計なこと(俗説)を教えたのはやっぱりちょっと恨むよ)

 

お兄様による優しい尋問に耐えながら心の中でエリカちゃんに文句を言った。

 

 

 

次の日、放課後一条君が生徒会に見学にやってきた。

ただ見ているだけというのも飽きるだろうから、一条君にも少しだけ参加をしてもらう。

質問は、三高の卒業式は過去にどのような企画をしていたのか。

何というか、仲間意識が強い傾向にあるのか皆で盛り上がる出し物が多かった。一高にはない雰囲気だ。校風の違いだね。

お話を聞いている間も各々作業をしていたのだけど、ピクシーが一条君をじっと見つめていたのが気になった。…一条君のことは九校戦でも見たことがあるはずで、入室前に見学許可を出した際にもスキャンしていたように思うのに。どうしたのかな。

 

「(お兄様、ピクシーに何か指示を出されてますか?)」

 

お兄様にこっそり確認してみた。すると、

 

「(指示はしていないが、俺も気になって訊ねたら深雪を観察しているように見えたから不審人物として認識したようだ)」

 

…おっと、セキュリティ上の警戒だった。

そしてそれはピクシーだけでなく泉美ちゃんもだった。お姉ちゃんのお相手査定かな。…それにしては視線が厳しめのような。値踏みっていうより、粗探しのよう。

香澄ちゃんもやってきて同じように一条君をチェック。こっちは早々に切り上げていた。なんか、これは無いな、みたいな。…確か妹さんが上京する際七草先輩を頼ってガイドのアドバイスを貰いに行っていたんじゃなかったっけ。その際なにか誤解された…?

一条君も女難の相がありそうだよね。お兄様ほどじゃないけど。

そして風紀委員もお仕事が終わったようで、皆揃って生徒会室を出ると、エリカちゃんたちと合流。アイネ・ブリーゼへ。

皆揃っては久しぶり。

事件の内容は話せないけれど、学校で襲撃にあった時の話や、お兄様はバイクが壊されたことを語った。

そういえば、今日の席順は隣に雫ちゃん、水波ちゃんで、お兄様は少し離れて西城くんたちと座っていた。珍しい配置。

ほのかちゃんがぴったりお兄様の隣に付き、一条君は私の目の前に。

この二人は何かしらの密約でも交わしてる?協力体制ができているような気が。

そこではたと気付いた。

 

(そういえば、事件が終わったのに、どうしてお兄様は一条君を邪険にしないのだろう?)

 

別に敢えてしてほしいわけではないけど、この事件が発生した直後は私と関わること自体嫌がっている様子だった。

だけど、今は私と一条君の距離の方がお兄様より近いのに、お兄様は何も言わない。

 

(…気にしすぎ、かもしれないけど)

 

急に何か得体のしれない不安に包まれた。

 

 

――

 

 

水曜日、お昼中に休日は何処に出かけるか、という話になった。

おお、これは、と思いながら原作の通りに答えた。

現在はショッピングよりも引きこもってお家で過ごすことの方が多いような気がするけど、ショッピングに行くことも事実。映画は穂波さんが居た頃の話だ。

他の皆も図書館やゲーセン、山、と答えて山が気になりすぎて質問が集中したりして盛り上がった。

山かぁ。

 

(お兄様と行く湖のある山は好きだけど、四葉の魔改造された山は緊張するからなぁ…)

 

上級者向けの山登りは命がけ。下山までがコースで、下りはもっと絶体絶命のピンチが待っている。行きの罠が散乱している中、濃霧の山を駆け降りるのだ。しかも下り用の罠が発動する中で。とってもスリリング。命がひとつなんて足りない。そう叫ぶ参加者が多いけど、死人は一度も出したことは無い。…怪我人は多数出るけどね。

 

「深雪、あの山は山じゃないよ」

 

遠い目になっていたので何を想像していたのかが伝わったのだろう。アレは魔窟だ、とお兄様から注意が。ごめんなさい。その魔窟を生み出した原因は私です。

皆の目が「魔窟⁇」と不思議そうだけれど、アレをどう説明して良いかわからなくて曖昧に微笑むしかできなかった。

今もなお鍛えているだろう四葉のエージェントたちに、心の中で謝りながらパスタをくるくる巻いて口に運んだ。

 

 

 

 

木曜日、お兄様と並んで生徒会室へ向かう途中一条君に呼び止められた。

ギャラリーが多いですね。皆知らぬふりをしながら注目しているのがわかる。

一条君は今度の日曜日に映画のお誘いをしてきた。

婚約者のいる身だ。その話に乗るのはおかしいだろう。

もう事件も解決している。皆で、と言うならまだしも二人でというわけにはいかない。

そう思うのに、お兄様が先に動く。

 

「一条、それはデートの誘いか?」

「そうだ」

 

一条君は背水の陣で挑んでいる様子で、いつものような動揺した姿は見られない。

私は固唾を飲んだ。

 

(だって、ここは原作通りに行く必要なんてない。お兄様が原作のルートを壊されたのだから――)

 

それなのにお兄様の答えは原作の通り。

 

「二人きりにはさせられない」

 

と水波ちゃんを付けることを条件にOKを出された。

このことに、少なからずショックを抱く。

お兄様の表情は読めない。心は――まるで拒まれているように伝わらない。

 

(……お兄様が、何を考えられているのかわからない…)

 

この後私は多分笑顔で了承を伝えたと思うのだけど、記憶が曖昧だった。

慣れたはずの生徒会の仕事に少々てこずった。

 

 

 

 

気が付いたら日曜日だった。

服は水波ちゃんと一緒に選んだ。

水波ちゃんはパンツルックで、いつ襲撃されてもいいような仕込みもされた恰好。…せめて一緒におリボン付けない?と部分的にお揃いにした。

待ち合わせの三分前に着くと、一条君の周囲は女性たちの輪ができていた。…ドーナツ状にできているのでこれは原作のようにかなり前から来ていたんじゃないかな。

ギリギリに行くから、と伝えるべきだったのに、うっかりしていた。申し訳ない。

そのままエスコートというには距離の空いた案内で映画館へ。座席は私を真ん中にして並んで映画を見た。

超大作というだけあって派手な演出が多く、ヒロインの女の子と平凡だという男の子のラブストーリーを見守った。当然だけど主役たちが平凡な容姿のはずも無く、やっぱり物語の平凡顔は信用ならない、と改めて思った。

結末は悲劇的で、私の大好きなハッピーエンドではなかったが、これはこの完結の方が美しいということは分かった。

あるよね、ここでハッピーエンドだとちょっと興ざめしちゃうって話。

散るからこそ美しい花もある。…そういう感覚は日本人には合うだろうけど、これをハリウッドが作ったのかと思うと意外感が。監督が日本好き?なら納得。

 

「面白かったですね」

「ええ」

 

劇場で観る価値はある。内容もとてもよかったのに、何か物足りなく感じた。

それは――

 

「……お兄様」

「え…?…なっ!?」

 

映画館の出口にはお兄様がいらっしゃった。

 

(…ああ…そうなの…?)

 

そういうこと、なのだろうか。

お兄様が隣に居なかったこと、それが私に何か足りないと思わせた理由――?

 

(もし隣にいたのが一条君ではなくお兄様であったなら、私はどうしていただろう)

 

映画の内容を、ここが良かった、あそこはハラハラした、と話していただろうか。

それで、楽しかったようでよかった、と頭を撫でられたりして。手を繋ぎながら二人寄り添って、少し後ろに水波ちゃんが付いて歩いてーー。

 

「お前ら、何をしているんだ!」

 

一条君の声でハッとなって周囲を見ればお兄様の他にもエリカちゃん、西城くん、美月ちゃんに吉田君、ほのかちゃんと雫ちゃんに、香澄ちゃんと泉美ちゃんツインズまでいた。

こんな華やかなメンバーが揃っていたのに、お兄様しか目に入っていなかったなんて。

気が付くと頬が熱くなる。

 

「深雪を迎えに来た」

 

お兄様の言葉に、咄嗟に隣の水波ちゃんの手を取った。

 

「深雪様?」

 

不思議そうな水波ちゃんに、言葉も返せず強く握ると、安心させるように包み込まれた。きっと、水波ちゃんだって突然の行動に戸惑っているはずなのに。

許したのは映画だけだ、との言葉に一条君が食って掛かる。

うん、一条君の目にはお兄様しか映ってないね。ここもケンカップルです?一条君って私に話しかけるよりお兄様の方が遠慮の無い態度。こういう互いに互いの実力を認めあった仲というのも素敵な関係だと思うのだけどね。

頭が正常に戻りつつある。やっぱりオタクには妄想が薬になるね。

この後せっかく皆で集まったので遊びに行こうという流れになった。

でもこの大人数で一体どこに遊びに行くんだろう?皆もどうする?と話しているのを見ていたら――気になっていたことを思い出した。

 

「深雪、行きたいところがあった?」

 

水波ちゃんは背後に回り(しょうがない、彼女は今日護衛の任務中だから)雫ちゃんと泉美ちゃんに挟まれて歩いていたら、雫ちゃんに気付かれた。

 

「その、気になることがあって」

 

それは、男子たちは一体どこで服を買っているのか、ということ。

 

「なんでまた?って、理由は一つか」

 

皆の視線がお兄様に向いた。そうなんです。お兄様の服がね、年相応の学生らしい服を一着も持ってなくて。

 

「デニムとシャツの組み合わせは学生らしくもあるけれど、そこにジャケットを羽織ってしまうとお兄様の場合、学生らしさが…」

 

ということで急遽ファッションビルで男性服コーディネート対決が始まった。

…何故対決かって?エリカちゃんが決めたからだよ。

二人一組チームになってその人に合うファッションを店ごとに選んでいく。着飾る男子はお店ごとにチェンジ。競うのはそのファッションセンスだから人選で偏ってはいけない。

思い付きから始まったコーディネート対決だったけれど、これがなかなか白熱した。

一条君は何でも着こなすから採点が難しかった。イケメンってすごい。ちょっと奇抜な衣装も堂々としていればおかしく見えない。虎柄スーツに赤の開襟シャツってネタのはずなのにね。もう少し肌が焼けていれば金のネックレスが良く似合ったことだろう。

吉田君はストリート系が思いのほか似合うけれど、線の細さがあって、似合う似合わないがはっきりと分かれた。オーバーサイズは似合うけどルーズはちょっと合わない感じ。こっそり美月ちゃんとお揃いコーデ風にしたことは本人にばれてないようだったけれど、本人はそれが気に入ったらしい。美月ちゃんは気づいてちょっと恥ずかしそうにしているのが微笑ましかった。

西城くんはガタイが良いけれど、それがむしろ魅せるのに良く、体のラインに沿ったシャツが似合っていた。本人もこのタイプは初めてだったようで驚いていた。後は私の個人的趣味でごつめのアクセサリをじゃらじゃらつけてもらったんだけど、これ殴る時にいいな、は言ってはいけないやつです。似合っていたけどエリカちゃんが早々に没収していた。

そして肝心のお兄様、なのだけど――

 

「姿勢が良すぎるんですよね」

「もう少し猫背になれる?」

「肩を丸めて」

「えっと、ポケットに手を入れてもらって、」

 

ディスプレイで合わせると服は似合うのに、立ち振る舞いの影響で崩し系のファッションだと違和感が。姿勢がいいのも考え物。

そして雫ちゃんが選んだ白スーツはヤバかった。…お兄様、堅気じゃない雰囲気が。

まあ、堅気かどうか聞かれたら四葉に所属していてそれは無いから合ってるは合ってるんだけど、とても高校生には見えない。…個人的にはものすごく好きでしたけどね。このお兄様にはチャカよりもドスを持ってほしい。…じゃない。

いくつか試してみたが、きっちりした恰好でも遊び心を入れればカジュアルになり、中でも七分丈のスラックスと縦ラインの柄シャツの組み合わせはとってもよかった。少しかわいらしさもある見コーデに本人は気恥ずかしそうだったけれどね。そこもポイントが高い。

まあ、そんなこんなで大変盛り上がり、男子たちも褒められて悪い気がしなかったのか、それなりに楽しい時間を過ごして解散した。

今日は夕食を外で食べることが決まっていたので久しぶりに外食を。

家に帰宅した頃には7時を回っていた。

すぐにお風呂に入って明日の予習をして――余った時間、お兄様と二人きり。

 

「映画は楽しかったか?」

「それは、先ほど水波ちゃんとも話したではないですか」

 

お兄様が言わんとしていることが内容の話ではないことは分かっていてもとぼけずにいられなかった。

お兄様の雰囲気が、昼とは違い過ぎて。

 

「深雪」

 

ただ名を呼ばれただけ。なのに教えてくれないか、という言葉がはっきりと読み取れた。

 

「……隣に、お兄様がおられなくて、」

「うん」

「…寂しいと」

 

気が付けば、まだ隠していようと思っていたあの時の気持ちを吐露していた。

 

「そうか」

 

ベッドの上、二人して並んで座った状態で、お兄様に髪を梳くように撫でられる。

温かくて優しい手に、不安で緊張して固くなった心も少しだけ緩む。

 

「…お兄様は、何故、私を一条さんと、その…外出をお許しになったのです?」

 

手を握りしめ、胸に当てて勇気を振り絞って訊ねると、お兄様は少し間を開けてから一言、必要だと思ったんだ、と答えられた。

 

「必要、ですか?」

 

お兄様も口にすることを迷われていたけれど、一旦目を閉じてから決心したように口を開く。

 

「俺は想像力が足りないから、もし深雪が一条とデートをした際、何を思うかわからなかった」

 

お兄様の想像力が足りない、とはどういうことか。

お兄様は研究者としてとても優れた想像力があるから様々な成果を生み出しているというのに。そう疑問を浮かべたらそうじゃない、と心を読まれて返された。

 

「俺が言っているのは心の話だ。そちらは想像することが難しい。俺は少し前まで自分の心になんて関心も無かったからほとんど無いものとして気にも留めていなかった」

 

深雪のおかげでそうではないことを知ったけれどね、との言葉に、胸が締め付けられる。

表情に出ていたのか、今度はお兄様の手が頬に触れた。

 

「俺はこの期間、七草先輩と二人で行動を取ることが何度かあった。誓って後ろめたいことなどありはしない。邪な想いも過りはしなかった。――まあ、これが深雪なら、と考えたことはあったが、彼女に対して抱いた覚えはない」

 

…そこは正直に言われる必要はないのだけれど、と心臓を抑えるように拳を押さえつけて続きを聞く。

 

「だが、不思議なもので、何も無いのに深雪のことが気になって仕方がなかった。疑われてはいないか、嫌われないか。そんな不安があった」

「そんなこと!私は――」

「分かっている。深雪がそんなことを思っていないことは。だからこれは俺の心の問題だ。俺の、知らなかった感情だ」

 

お兄様は再度目を閉じて間を空けてから、再び続けた。

 

「だからふと思ったんだ。深雪が一条と出かけた時、俺は何を思うのだろう、と」

 

俺が深雪の立場になった時、何を思うのか気になった、と。

もちろんお兄様は自分と私では立場も考えも違うことは理解されていた。同じ想いを抱くわけでもないことを理解された上で自分が何を思うかが気になったのだと。

 

「…何を思われたのです?」

「……思ったより、酷かった」

「酷い、ですか?」

 

予想していなかった回答にお兄様の想いが知りたくて前のめりに質問した。

眉間に深い皴の刻まれた、苦悩の表情だった。

 

「ずっと、視ていた。深雪が一条に会った時の反応から、映画を見て没入するところも。――一条が時折深雪を見ていたことも、全部視て、思った」

 

お兄様はすべてを『視』ていたのだと、告白された。

普段からいつも視ているじゃないか、など茶化さない。いつも以上に集中して視ていたことは伝わっていた。

お兄様はその時のことをリアルに思い描いているのだろう、こぶしを握り締めて言う。

 

「――そこは、お前の場所じゃない、と」

 

深雪の隣はお前ではないのだと、そう思ったのだ、と。

 

「入り口でお前たちを待っている時が、酷く長く感じられた。そして姿を見て俺は――今は近づけない、と思った」

「それは、何故です?」

「あの時隣に立ったならお前を抱きしめずにはいられない。このまま連れ去らずには、いられないと。――お前を閉じ込めたくてたまらなかった。誰も見ていないところに、しまってしまいたかった」

 

自分で送り出しておいて、醜く嫉妬して、暴走しそうになる心を抑えていたのだ、と。

 

(だからあの時隣に来ることが無かったんだ)

 

そして恐らくその前からお兄様は、己の心と向き合い、色々考えた末体験することを選択。その結果予想以上の感情に振り回されそうになったのを自制されていたのだ。

なのに、私はそんなお兄様の葛藤にも気づかないで勝手に不安になって――。

 

「申し訳ございませんでした」

「いいや、お前が謝ることは無い。むしろ、俺は責められるべきなんだ」

「なぜです?」

 

お兄様を責める理由が全く思い当たらない。そう疑問をぶつけると、眉を下げられて。

 

「俺はお前が映画に誘われた時、断るつもりだったことに気付いていた」

「!」

「だが、俺は知りたかった。――そのために深雪を送り出したんだ」

 

…どうやらあの時私が断る気でいたことに気付いていたらしい。

それなのに、お兄様は送り出した。相手が奥手な一条君で水波ちゃんというガーディアンもいる。安全だと、一緒にいたところで何もできないだろうと分かっていたから、送り出す決定を下した。

 

「許可を出してからずっと後悔していたが、自業自得だ」

 

だからお前は何も悪くない。謝罪すべきは俺なんだ、と反省されるお兄様に、これ以上この問答はしても無駄だと悟る。

私はわざとらしく大きめのため息を吐いてみせた。

お兄様の瞳と肩が小さく震えた。

お兄様にも怖いものがあり、それが私なのだと思うと、いけないことだと分かっていても胸に――恐らく優越感と呼ばれるものが湧く。

お兄様を不安にさせているのに喜ぶなんて、なんて酷い妹だろう。見せないように心に蓋をして。

 

「お兄様から許可が下りたあの日、とても不安になりました。お兄様の心を疑ったわけではありません。でも、言い知れぬ不安が、私の胸に宿ったのです」

「それは…?」

「なんでしょう。私にはまだわかりません」

 

まだはっきりと輪郭がわからないその感情を、隠さず伝えた。

不安一つでもどのような不安かで印象はだいぶ変わる。

あの時抱いた自分の不安は、一体どの類いのものだったのか、今でもはっきりしない。

 

(お兄様から手放される不安…もしかしたらお兄様は自分の想いが恋ではないと気付いたのでは、という不安…それとも、)

 

だが、だとしても私には無理だと思った。

 

「でも、それを知るためにもう一度一条さんとお出かけすることなどは考えられません」

 

知るために、と知識欲が全く無いわけでもないが、あの不安をもう一度味わいたいとは思わない。

出来れば関わりたくない。

今度はお兄様がため息を漏らす。こちらは安堵のため息だ。

 

「勝手な話だが、それでいい。深雪はそのまま知らなくていいことだ。不安なんて無い方がいいに決まっている」

「ふふ、勝手ですね」

 

ばっさりと言い切ると、お兄様はそうだな、と項垂れて。

 

「…いつもなら、簡単に聞けたんだが、今は冗談でもそんなことを尋ねられない」

 

こんな俺でも嫌わずにいてくれるか?と、いつものように尋ねそうになったのを、口を押さえてまで封じた。

…そんな心配、いらないのにね。

 

「どんなお兄様も、好きですよ」

 

はっきりとそう答えれば、目を見開いてから、安堵したようにふわっと優しい微笑みに変わる。

でもね。

 

「…ですが、このような実験はこりごりです」

「すまなかった」

 

もうお兄様にあのようなことをされるのは嫌だと伝えると、すぐに謝罪された。

お兄様には必要なことだったのかもしれないけれど、初めてなのだ。…お兄様に私の気持ちを無視されたのが。

 

(お兄様に拒まれたように感じたのは)

 

常に心を読めるわけではないが、あの時ほどお兄様の考えがわからないことは無かった。

それがどれほど私を不安にさせたか。

だけどいつまでもそんなことを引きずっていられない。十分反省をされているようだしね。

 

「…許します」

 

お兄様に返事もしていない自分が随分上からものを言うのが気にならなくもないが、ここは強気にいかなければならないところ。

そして鞭を打ったなら、甘い飴もセットで付けないと、と長い時間、お兄様を抱きしめた。

その後しばらく穏やかな時間を過ごしたのだけれど、今夜のキスは額だけにしてもらった。

お兄様の所業は許しますけれど、今後このようなことがあっては困りますからね。

 

 

――

 

 

金曜日、エリカちゃんの発案で一条君の送別会をすることになった。土曜日学校が終わったら私服に着替えてパッと遊ぼう、と。

任務で来たとはいえ、楽しい思い出を持って帰ってもらいたいものね。

ってことで土曜日当日、この時代ではかなりレトロな遊びのボーリングを。

お兄様ったら見事にストライクを量産。カッコいい!思わず見とれてしまい、一条君が美男子にあるまじき表情になってしまったことは申し訳ないことをしたと思う。一条君の送別会なのに、一人盛り上がってしまった。

初めてですもの、と励ましたけれど、遅かった。お兄様が手取り足取り教えてやろうか、との冗談に心がぴょん、と跳ねたけれどそっちはお静まり下さい。

皆お兄様の成績にドン引きしてたけど、私はカッコいいお兄様がたくさん見られて大満足。

それからカラオケにも行って、美月ちゃんと伝説の少女アニメ曲のデュエットを。ポーズを決めた時が一番の盛り上がりを見せた。

一条君は、得点高いね。とっても上手。そしてお兄様に勝てたことを喜んで隠れてガッツポーズをしていた。ひとつでも勝てるものがあったことが嬉しかったんだねぇ。

お兄様は音程自体の問題はないのだけど、感情がのらなくて独特な歌い方。私は好きですよ。お兄様の声は聞いているだけで耳が幸せ。ただ得点となると感情のらないと伸びないから。

機械判定の難しいところだ。融通が利かない。

帰りに以前羨ましがっていたクッキーをプレゼントした。もちろんお兄様に許可は貰ったよ。

わざわざクッキーを選んだ理由もお伝えしたから許可が出た、のだと思う。クッキーには「お友達でいてね」という意味があるから。

婚約者となりたい彼にとっては嬉しくないプレゼントだろう。

喜ばれて心苦しいけれど、私に伝えられるのはこれが精いっぱい。

元気でね、一条君。これからの貴方の活躍に期待しています。

 

 

 

と、別れたのだけど、そういえばこんなこともありましたね。

次の日、横浜の魔法協会の最寄り駅にて、もう一度一条君と会いました。

お兄様は今回こそ牽制するかな、と思ったのだけど――

 

「アイツのことだ。一度帰ったらまたリセットするだろう」

 

…お兄様、辛辣。でも一条君ならあり得るよね。京都の時もそうだった。

それに、「アイツを利用した手前、最後の挨拶くらいさせてやってもいい」だって。

ってことでお兄様が背後に控えられての、お別れの言葉を。

 

「この一か月同じ教室で過ごせて幸せでした」

「私も楽しかったです。機会があればまたご一緒したいですね」

 

一条君、積極的に行くぜ!って割に次に共に過ごせるのは大学生になってからって考えてるらしいけど、この時点でもうすでに婚約できないことを悟っているんじゃないかな、と思わなくない。

だからあえて今まで見せてこなかった笑顔で送り出す。

お元気で。

一条君は真っ赤になって動かなくなったけれど、不自然に顔が元に戻りぎくしゃくしながらも去っていった。

 

「アイツ、あんな魔法使っていたのか」

「種明かしは駄目ですよ」

 

口元に指を立てればお兄様は肩を竦めてから、肩を抱き寄せて反対側へと歩き出した。

叔母様からの新たなる指令を受け取るために――

 

 

師族会議編 END

 




長い文章お読みいただきありがとうございました。

お兄様と妹の恋模様はどうにか発展した模様です。
…というか、本編が真面目な分お兄様サイドを思うと…結構やりたい放題やっていた気がしなくも無く…。
成主がどんどん流されていっております…。多分陥落寸前。崖っぷちです。
無事にハッピーエンドを迎えられるといいのですが、一歩間違えるとバッドエンドルートが開示されてしまうので何とか乗り切ってもらいたいものです。
お兄様のハーレムより妹のハーレムが形成されつつありますね。
原作通りに行けばリーナも合流できるはず(←)
お兄様は周囲に油断ならない敵しかいない。これもある種の孤立になるのか…?最終的に妹成主が居れば構わない、と吹っ切ってお兄様は反撃に打って出る――そして魔王の道へ。
まさかの原作強制力!(笑)成主もそこまで想像はできなかったでしょうね。
そのような展開にならないことを祈るばかりです。


後日原作にもあった一条君の日記を番外編で上げさせていただきます。
もしよろしければそちらもお読みいただければと思います。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました!

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