グリダニア旧市街。名士街へと続く小路に東側から差し掛かる直前、彼女は丸い建物の中に引きずり込まれた。
すぐ近くを流れる紅茶川の向こう岸では、女性がぼんやりと川面を眺めていたように思う。気付かれていたら鬼哭隊に通報されてもおかしくはない。何せ槍術士ギルドも兼ねる屯所がすぐ近くにあるのだから。
そもそも、彼女は普通ならその辺のならず者程度に腕を引かれたところで引きずられない。
しかし相手にどこか懐かしいような気配を感じた彼女は、興味からされるがままになった。
「……レイ・ランバタル。今すぐ冒険者をやめろ」
「……」
質素な麻のローブに身を包んで顔を隠していても、正体は声で分かってしまった。
しかしきっと彼は、今ともに冒険をしている彼とは違うのだろう。様子が違いすぎる。
彼女にそれが分かってしまっていることはまだ明かさないほうが良い気がした。
今までこんなふうに『彼』が接触してきたことはない。だからこれも彼女がしでかしたことの結果なのだろう。
「そんなわけの分からない要求をのむ奴がどこにいる」
眉をひそめて問うと、相手の口元は皮肉げな笑みを浮かべた。
「……いないだろうな」
彼はずっと掴んだままだった彼女の襟首を乱暴に振り抜いた。背中をしたたかに壁に打ち付けられた彼女は息を詰まらせて小さく呻いた。思ったより派手な音がした。誰かに聞こえていたら面倒だ。
さらに首筋にひんやりした鋭いものが当てられたかと思うと、ちりっとした感覚が走った。
「ッ!?」
そこまでされるとは思っていなかった彼女は目を見開いた。
「グ・ラハ・ティア!」
「!?」
思わず彼女は『彼』の名を呼んだ。
ひるんだ彼の手を払いのけた勢いのまま、彼女は彼のフードを跳ねのける。
「……ッなん……っ」
彼女は絶句した。
「その……その目は!」
驚愕の表情で固まっていた彼は、やがて自嘲の笑みを浮かべた。
「……顔が似ているか? それとも声か? 私はそいつの兄だ」
「嘘を吐くな!」
「嘘なものか」
彼女はまじまじと彼の顔を見つめる。
薄暗くても分かる。その双眸は、どちらもあの、少し彩度の低い緑色だった。
「何を寝ぼけている? そいつは今お前とともに冒険とやらをしている最中だろう? それにあれの片目は気味の悪い魔眼だ。見ての通り私にそんなものはない」
「……」
その真偽は彼女には量りようがない。兄弟ならエーテルが似通っているのも無理はないからだ。
しかしきっと、彼の言葉は偽りだ。勘が激しく告げている。
「彼のお兄さんが私を襲撃してくる理由なんかない」
「私はあいつが大嫌いでね。心酔している英雄様に冒険者をやめさせたら、これ以上ない嫌がらせになるだろう?」
「……そこまで言われて私がやめるわけがないだろう」
「ふん」
鼻で笑いながらまた彼は彼女の襟首を掴んで強く壁に叩き付けた。
けほっと小さく肺から空気が吐き出される。打ち所が悪かったのか背中からの衝撃でそれ以上呼吸が続かなくなった。
首に刃が走った時から警戒を強めたはずだった。
こんな容赦ない凶行に走るようなら、本当に彼だったとしても、彼女が知っている彼とは変わってしまったのかもしれない。手心なんて期待してはいけない。
そして、ないだろうが本当に彼の兄だったら、彼女相手に加減なんてしないのだろう。
だから、再び叩きつけられるような不用心さは持っていなかった。
持っていなかったのに。
(……力が入らない? いや……これは、麻痺毒か……!)
恐らく彼女の皮膚を裂いた短剣の刃に塗られていたのだろう。用意周到だ。そして彼女のほうは迂闊過ぎた。
……けれど引っかかる。
彼は何故命までは奪おうとはしないのだろう。彼を忌み嫌う兄からの嫌がらせにしては冒険者をやめろなんて手ぬるいから、やっぱりグ・ラハは嘘が下手くそだ。しかし彼女を壁に叩きつけた力はそうとうなものだった。殺意があってもおかしくはないほどに。
彼が『グ・ラハ・ティア』だと確信した彼女は思いっきり油断していた。結果あっさり麻痺毒を食らっている。これがもし命を奪う猛毒だったなら。
「……ッ」
呼吸のかなわなくなった彼女は胸郭を膨らますか萎ませるかしたくて懸命に足掻くが、全然思うようにいかなかった。
麻痺解除のために幻具や本に持ち替えてエスナを使ったり、弓に持ち替えてピーアンを使ったりする余力も全くない。
意識まで手放してしまいそうだった。
そうなったらもう、何をされるか、分からない。
彼は冒険者をやめろと言ったのだ。殺されなかったとしても、再起不能になる怪我を負わされるかもしれない。
「……」
苦し気に空気を求めようとする彼女の姿に彼は憐れみの視線を向けた。
そして。
「!?」
彼女の顎を小さく引いて口を開けさせ、彼は自身の口でそれを覆う。
しかしそれは、口づけではない。
(人工呼吸……!? どうしてそんなこと)
助けてくれそうな気はしなかったのに。……本当に、彼は何を思ってここにいるのだろう。
「……ッ」
意識のある状態での人工呼吸がこんなに苦しいものだなんて知らなかった。強制的に空気の送迎をしているのだろうから無理もないのかもしれない。ただ、こうして酸素を供給してくれたおかげなのか意識を手放しそうな感覚は消えた。……けれど、胸だか肺だかが苦しい……痛い。そのせいでまだ、自力ではうまく呼吸ができそうになかった。
毒に痺れながらも思わず胸部を押さえていた彼女の手の上に彼の手が重ねられる。何を、しているのだろう。
同時に背中に彼の腕が回される。……固定されて、いる?
ぐっと手のひらの上の手が彼女の胸部を押した。強張りをほぐしているような動きだった。手の上を離れて鳩尾の辺りなどでもそうしてくれる。おかげで随分楽になった。
彼の口が離される。思わず彼女は問うた。
「……どう、して……っあ」
彼からの返答はないまま、彼女の鳩尾にあった彼の手がそのまま激しく胸の膨らみを掴む。彼女は頭が真っ白になった。
(……え……!?)
「意識のない女を犯しても面白くないからな」
「……っ!? 何をとち狂……うぁあっ」
さっきまで調理師で作業をしていたから戦闘服のような防御力の高いものを着ていたはずがなく、普段着と何も変わらない薄手の作業衣は困惑するほどあっさり脱がされて行く。
「ま……っ、待つんだ、グ・ラハ……!」
「ッ!?」
しかし彼の手が止まったのは彼女に言われたからではない。
彼の目はある一点を見つめていた。
彼女は苦笑する。
「……私は、あなたが知っている私じゃない。きっと、そうだろう?」
身体は痺れたままだが、どうにか、気合で言葉を絞り出す。
「賢人の、印……!?」
彼女の鎖骨の下には、シャーレアンの、略式の賢人マークがひとつ刻まれていた。
乱された衣服はそのままに、彼女は思うように動かない手で更に脚衣をめくる。
上をほとんどはだけさせた張本人のくせに彼は顔を逸らしかけて、しかしそこにあったものに目を釘付けにされてしまった。
「正式のものまで……」
左腿に、まるで目のような赤い文様があった。
「そんなに動揺するなら、やっぱりあなたはグ・ラハの兄なんかじゃない。本人だな?」
「……」
彼は悲痛な面持ちで俯くだけだった。
けれどもう、否定しようとはしないらしい。
「だけど、これを知らないってことは、『今』一緒にシルクスの塔を踏破したグ・ラハ・ティアと違う人ではあるんだろう」
「……あんたは、何を知っているんだ」
ああ、彼女が知っている彼の口調だ。
彼女はどこかほっとした。
「……はるか未来で目を覚ましたグ・ラハ・ティアが、第八霊災をとめるために過去に跳んだ。けれど、第一世界は光の氾濫で既に無になっていた。だから原初世界に転送されるしかなかった。そうなんだろう?」
「……ッ」
グ・ラハ・ティアの目が見開かれる。
今この段階の彼女が知っているはずのないことだった。
蛮神ラムウを鎮め、シルクスの塔を踏破し、クリスタルブレイブが創設された。
そんな時期のはずだった。だからグ・ラハ・ティアが塔で眠りに就くことすら知らないはずなのに。
「あんたは……」
驚愕の表情のまま震える手で彼女の肩に抑えるように触れる。
そして肌をむき出しにさせてしまっていたのを思い出して、はっとしたように襟元だけ引き上げた。しかしボタンを留めてあげられる余裕までが持てない。そして改めて彼女の細い肩を掴む。小さく揺さぶった。
「あんたは、一体、誰だ……!」
「レイ・ランバタルだ。それは、変わらない」
「……」
困惑に彼の表情が歪む。
「……ただし」
彼女は苦く笑った。
「何度も、何度も死んだ。そのたびに世界を繰り返している」
「……!?」
グ・ラハは愕然としてただ彼女を見つめていた。
「グ・ラハと、たくさん、話がしたい。だけどちょっと、きつい。エスナかピーアンか、元気薬、ないか……?」
彼女は自身ではもう動けそうにもなかった。壁に背を預けているのだって実は難儀で、いつ横に倒れ込むか分からない。喋るのもほんとうはつらい。
彼が弓術士から吟遊詩人になったかは分からないから、ピーアンを使えるかどうかは分からない。しかしこの何もかもが外れた世界では無いなんて断言はできない。エスナはあの世界の『彼』は使えていたから、もしかしたら使えるかもしれない。元気薬は、麻痺毒なんて持ち出したのなら解毒のために所持しているかもしれない。
彼はぐったりしている彼女の後ろに位置取ると、後ろから抱きしめるように彼女の身体を支えた。そのまま彼女ごとゆっくりとその場に座る。
そしてそれだけでもう何も言わないし動かない。
これ以上はしてやらないということなのだろう。
彼女は少し悲しくなって苦笑した。
「……喋るの、結構、きついんだけどなあ……」
「……こっちの用が済んでからで良いんなら元気薬を使う」
「……よ、う……なんで……」
彼は本気で彼女を襲おうとしている? 一体なんのために?
「……あんたを生きるのに困るような身体にはしたくない。だから……オレの子を宿して、そのために冒険者をやめてくれ。どこかの田舎で、三人で暮らそう」
「……ばかだな。そんなことのために生まれなきゃならない子供がかわいそうだ。私が手足をもがれたほうがましだ」
「……っ! そんなことするものか! もう、子供にすがるくらいしか手がないんだ……! オレにはあとがない……っ」
「あと、が、ない……?」
彼の瞳が両方とも緑色なのは。
「皇血が、消えてしまったのか……?」
「……そうだ」
「……ッ……何があったのか、聞いてもいいか?」
「……」
後ろから抱きしめている彼の腕の力が、少しだけ強まった気がした。
「……オレも、時間を繰り返している」
「!」
「ただ、その……第一世界が光の氾濫で無になった、歴史に……固定、されてしまったようだ。転移先がなくなった塔は、原初世界の第七霊災で地表に現れたものに同化した。そしてどうしてもそれより前には行けなくなった」
「……」
彼女は悲壮な顔をした。その顔は後ろにいるグ・ラハ・ティアには見えていないだろう。
彼は、未来から託された願いを叶えることのできない世界をずっと彷徨っている、のだ。
「光の氾濫が起きただって……!? その、せいで……第八霊災が起こらない世界なんて、そんな歴史の変わりかた、むごすぎるだろう……っ」
苦し気にそう呻く彼の声が、彼女の胸に突き刺さる。
原初世界から第一世界の様子自体を観測するすべを持たないのは両者ともに同じなのだろう。
しかし彼女が光の氾濫が起きたと断定しているのには理由がある。
彼女が歴史をねじ曲げ始めて以来、妖異として、どう見ても罪喰いの姿をした者たちが現れ始めたのだ。
つまりは、第一世界が第十三世界と同じ状況に陥ったということ。
「……だけどオレにはもう一つだけ託された希望がある。それだけはなんとしても守りたかった。なのに」
彼は苦し気に一つ息を吸い込んだ。
「……あんたは、死ぬんだ。何度も。何度も」
「……!」
彼女は息を呑む。
「そのたびに塔の力で時間をさかのぼった。霊災後まで」
……そんな。
そんなことのために。
(……時間遡行を繰り返して皇血の力を使いつくしてしまったのか……? もしくは、繰り返し過ごした時間が長すぎる……?)
時間遡行なんてきっと、とんでもない強硬手段だ。
何故なら『水晶公』が、自身を犠牲にしない大団円を探す時間的猶予を得るための手段には、できなかった、ということだろうから。
「冒険者部隊に混じって影で支えようとしてもいつも力不足だった。けれど不思議と、繰り返せば繰り返すほどあんたは前に進んで行った。……それはもしかして、あんた本人のループの結果でもあるのか……?」
「……そうなのかも、しれないな」
彼女は自嘲の笑みを浮かべる。……彼女は彼が隊にいることに気づけなかったのか? それとも彼は用心深そうだから、別動隊にしかいなかったのかもしれない。
それに……自身が何度も死ぬような弱い人間じゃなかったら、こんなことにはならなかったかもしれないのに。
心臓が切り裂かれていくようだ。
「けど、グ・ラハの時間はとめられなかったのか? 未来に皇血を届けたいと言って眠ったあなたは、塔は中にいる者の時を止められると……」
「オレは塔の中にずっといることなんかできない。オレと違う道を歩んでくれるかもしれない『グ・ラハ・ティア』の眠りを妨げるわけにはいかないし、ましてや『彼』と一緒にもう一度未来まで眠ろうなんて思わない。オレが二人眠ってたなんて何かがおかしくなる」
「!」
「それに、『グ・ラハ・ティア』が塔で眠ると、オレには塔の制御権がなくなるらしい。同じ人間による制御なんて本人が中で眠っているなら他に生じるわけがないから、エラー扱いされているのかもしれないな」
「……」
それなら、中で眠っている『グ・ラハ・ティア』を差し置いて塔の端末になったりすることも、できなかったのだろう。
「ただ、制御ではなく利用することならできなくもないらしかった。『皇血を持つ者』への反応はしてくれるらしい。だから、あんたが死ぬたびに、オレは第七霊災後の塔に遡行した」
彼女はもうなんの言葉も紡げなかった。口を挟めるものを彼女は持ち合わせていない。
「……一応、皇血の温存をしようとはしたんだ。だからドーガとウネが扉を開くまでは眠っていることにしていた。そのあとでこっそりあんたを追いかけた。……そして、何度もあんたが死ぬところに行きあった」
「……ッ」
「もう何度繰り返したんだろうな。今回ドーガとウネが塔の扉を開いた時点で、オレの目はこうなってしまっていた」
そんな世界に彼を巻き込んでいる。
どうしてこんな救いようのない世界が存在しなければならない。
第八霊災が起きた未来の『グ・ラハ・ティア』が、過去の光の戦士の命を助けた。
そんなことができるということは、可能性の分だけ世界がいくつも存在するということ。
それを、彼女も理解してしまった。
そしてここは。
死すれども繰り返すことで乗り超える力を持つ光の戦士の世界線だった。
「……あんたは、どんなふうに繰り返しているんだ」
「……」
グ・ラハの状況が悲惨すぎる上に、彼女は今喋るのがつらいのもあって、正直どう口を開いたものか考えること自体がつらくて億劫だった。
だけど、彼が恐ろしい時間を繰り返していることを考えればそんなの小さな我が侭でしかないのだろう。
「……私の、ループ起点……は第七霊災の数年前に、エオルゼアを訪れた時らしい。……もう、故郷も旅の理由も思い出せない」
後ろのグ・ラハはただ黙って聞いているようだった。彼女からもグ・ラハの表情はうかがい知れない。
「私は繰り返し続けた中で、『このことをなかったことにしてしまえばあとでもっと大変なことが起こるかもしれない』、ということを、そのまま見ているだけにして諦めることをやめた」
「……!」
「……第一世界で光の氾濫が起きたのは、そのせいだと思う」
「……ッ」
グ・ラハは明らかに動揺している。それが分かったが、彼女は言葉を続けた。きっと、彼には伝えなければならない。
「私は見て見ぬふりをしないと決めた後、エオルゼアに着いたらすぐ北洋に向かうようにした。そしてわき目も振らずがむしゃらにエーテルについて学んだ。賢人位を取得したスピードが異例だと騒がれもしたが、何回も死んだだけあって知識だけは膨れ上がっていたんだろう。
それから再びエオルゼアに渡り、救世詩盟に合流して研究を続ける傍ら、障害となり得る問題たちを死んで繰り返しながら片っ端から片づけた。
……ニエルフレーヌたちの計画について証拠を含めて白日の下に曝して妨害した。
プラチナミラージュでのアラミゴ人不正雇用についてを始めとして貧困層の雇用条件の悪さを調べ上げ、有力者のために行われていたイカサマも暴いてテレジ・アデレジをウルダハから追放した。
ロロリトを追い落とすのが一番大変だった。四六時中やつの周りをうろついて超える力が発動するのを待ったよ。分かってみればあくどいことばかりしていた。反吐が出る」
「……」
「今の砂蠍衆は王党派も共和派も中立派も拮抗しているよ。とびぬけた影響力のある者なんていない。協力して進むしかない程でしかない。……そして、ウォーバートンさんも生きている」
「! ……ミンフィリアの、父親か……」
「うん」
そこまで言って彼女はふっと自身を鼻で笑う。
「彼が持ち込んでくれた情報があっても、まだ第七霊災を防げたことはないんだ。ルイゾワ様を失うのが変えられなくて、いつもいつも、次元の狭間に退避させてもらっている。その間にエオルゼアでは五年が過ぎる。情けない限りだ」
霊災前の過去視は、過去干渉ができるほどのものだった。
それなのに、防げなかった。
……本当に、情けない。
そしてどういうわけか、過去視は、霊災後は視えるだけのものになった。
……重なる霊災がハイデリンやその『光の加護』を弱めている?
しかし超える力というのは古代人が当たり前に持っていた力を流星が呼び覚ますのだとエリディブスが言っていたような気がする。超える力自体はハイデリンに依るものではなく、覚醒した結果ハイデリンの声が聞こえるようになるのだと。
そのあたりのことは考えてもきっと分からない。
グ・ラハはやはり何も言えないらしいが、首を振っているのが分かった。そんなことはないと言ってくれようとしているのかもしれない。
「……まあ、そうやってテレジ・アデレジやロロリトの失脚で没収された財産で、ザナラーン各地に新しい街を作って難民を誘導した。街を発展させたければ仕事はいくらでも生まれる。治安は向上したしウルダハは以前より生産性が上がったのかもしれない。各生産ギルドなんて仕入れルートも発注元も増えに増えて、回転が早すぎて大わらわのようだよ」
「良いことだらけじゃないか……」
グ・ラハの声には感嘆のようなものが混じっていた。しかし彼女は自嘲する。
「ナナモ陛下暗殺計画を阻止するために、和解ではなく排除を狙った結果がこれだ。こちらの暴挙のほうが世間には美談のように映るとしても、結局は巨大な商会を二つも潰して、それに連なる大勢の人間をどん底に突き落した上に仁王立ちしているだけさ」
「……しかし、その者たちが他の働き口を見つけるのもそう難しくはなさそうだし……」
「綺麗ごとだよ。それまで贅沢のかぎりをつくしていた連中はその幸せには二度と戻れないし、命すら失った者たちもいる。とても胸を張れたもんじゃない」
「……」
そこは気にしてやるところなのだろうか。
グ・ラハは思うが、これが根本は優しい彼女なのかもしれなかった。
「まあ……豊かさのおかげで難民の受け入れ口も増えたし、彼らの境遇もそう悪いものではなくなってきている。しかしアラミゴ難民が問題だった。故郷を取り戻したい人たちと、異郷での安寧を失いたくない者たちの間に亀裂が生じ始めた」
「……!」
何かが解決すれば、他の問題が発生し始める。
人の世というものは、もどかしい。
「豊かな都市を目にしてしまえば、余計に故郷への想いが強まる者もいるのが道理なんだろうな。余裕があるなら助けてほしいって」
「だが……アラミゴ難民たち自身が新しい街を発展させられれば、その力で……いや、時間がかかりすぎるってことか」
「そうなんだろうな」
ふう、と、彼女はひと息をついた。
そして、そんなことをするのはどうかと思いながらももういっぱいいっぱいで、彼女はグ・ラハに背中からもたれかかる。
「……!」
「……ごめん、ちょっと……休ませ、て……」
ビリビリと、まるで濃い炭酸水の中に沈んでいるようなひりつく感覚に始終覆われている。そして思うように身体が動かない。それは口や喉も同じことで、喋ることがつらい。
「……元気薬、くれないか……?」
「……だめだ」
「……はは」
彼女は力なく笑った。
「……万全なあんたを捕まえておける自信はない」
「さすがに、話が半端なままで逃げる気は……ないよ」
「……そのあとだ」
「……」
彼は本当に、あんな理由で子供を設ける気なのだろうか?
同じ人間の死を……しかも、『いちばん憧れの英雄』とまで言ってくれたような存在の死を、幾度も目にしたがゆえにどこか焼き切れてしまったのだろうか。
彼女に彼を責めることなどできない気がした。
でも、そんな理由で生まれる子供はいくらなんでも憐れにすぎるだろう。だから考え直してほしくて言葉を重ねる。
「私のことだから子供ができてもどうせ冒険者はやめな……」
「オレがほしがってる理由がただでさえ酷いのに、母親が家にいない子にして平気なのか?」
「……ッ……あなたがそれを言うのか!?」
「どんなことでも言ってやるよ。オレにはあとがないんだ」
「……」
皇血が目の色に現れないほどに薄れてしまった彼に、クリスタルタワーの力を借りることはもうできないのだろう。
今ここにいる彼女が死ねば、もう彼は時間を遡行できない。
でも、だったら。
「……グ・ラハはもう、充分私を救おうとしてくれた。未来の人たちの願いを叶えようとしてくれた。だからもう、充分。あとはもう……自由に生きてくれよ」
聞いてくれない気がする願いを口にする。
ぎゅうっと彼の腕が狭まった。少し苦しいほどに。
「……いやだ」
「グ・ラハ……」
彼女は胸が苦しい。抱きしめられている腕の力が強いせいなだけでは、きっとない。
「……第一世界が無になったのは、私のせいなのに?」
「……ッ」
グ・ラハの肩が震える。
「あんたが光の氾濫を起こしたわけじゃないだろう!」
「……変わらないよ」
「……ッ」
彼女はぼんやりと視線を上にやる。しかし特定の何かを見つめているわけではない。考え事をしている仕草なだけだ。
「リウィアを先んじて暗殺した。
テレジ・アデレジとロロリトを追放してナナモ陛下暗殺計画をないものにした。
ミドガルズオルムの爪を、トゥプシマティのエーテル集積力を応用して展開した障壁で跳ね返した。
おびき出したナプリアレスを私が周囲から集めたエーテルの刃だけで消滅させた。
アラミゴ解放への着手を早めることができたおかげで、ロロリトの息がかかることもなくなったイルベルドを懐柔できた。
そういった諸々で暁の血盟に危機が訪れることはなくなった。だからミンフィリアは光の使徒にならない。つまりアルバートたちを第一世界に連れて行ける者も、光の氾濫を食い止める者も生まれない。そのせいで百年前に第一世界は滅びた。ここはそういう世界だ」
グ・ラハ・ティアには分からないことも彼女は並べた。しかし彼女が時系列順に並べてくれているのはなんとなく分かる。
「リウィアの件以外はまだ分からないことだろう!」
「分かるんだよ。百年前に原初世界各地で地脈を巡るエーテルの停滞現象が観測されている。しかしそれは次第に収まっていった。そしてグ・ラハは第一世界に跳べなかった。つまりはミンフィリアが光の使徒にならないことは確定事項なんだ」
「……」
「まあ例によって私は、見ないフリをやめたあとも色んなトコで死んじゃったんだけどさ。結構いいとこまで行ったことだって何度もあるんだ。
ニーズヘッグをエーテルの檻に捕えることで竜詩戦争を停滞させて、くだらないことを話しかけながらラタトスクの蘇生を試みた。今回も続けようと思っている。サルウーム・カシュに残されたクリスタルの量はいくら七大天竜の死した土地だとしても尋常じゃない。魂自体の残存が望めるように思えてね。もしエーテルの海に還れていないのなら、蘇生の可能性はあると思う。そして蘇生できたら、イシュガルドの民たちから竜のエーテルをこっそり回収して、ラタトスクに眼を返すんだ。それができたら、ニーズヘッグの憎悪を少しだけ和らげられないかって……交渉の余地ができるんじゃないかって、夢かもしれなくてもさ……。
そのあと……アラミゴもドマも、ダルマスカも、ウェルリトも、ボズヤも解放して……そうやって諦めるのをやめたあとの全部の人生で光の氾濫の影響と思われるものが百年前に現れている。……光の使徒が生まれなければ第一世界が光の氾濫にのまれるかもしれないのは分かってた。それでもミンフィリアを、暁の皆を守り通した。だから、グ・ラハがこんな地獄に囚われているのは、私のせいだ」
「……ッ」
彼が、息を詰まらせている。
「だから、グ・ラハが私を生かすことにこだわってくれる必要は……ないんだよ」
ぎゅうう、と、グ・ラハの腕の力がますます強くなる。
「……くる、し……よ……」
「……ばかやろう」
「……グ・ラ……ハ……」
「そうやって何でも独りで背負って……!」
「……あなたに、言われたく、ないなあ……」
「ばかやろう」
くるりと彼女に彼のほうを向かせて、そのまま押し倒して口づける。
「……ッ」
彼女の身体が強張った。
唇を離すと、彼女は堰を切ったように訴える。
「やめろ……! 酷い理由で子供を作ろうとするな……!」
「死なないでくれ」
「……ッ!」
「母親に生きてもらいたくて生まれるんだとしたら、オレなら、悲しまない。それに……そんな理由を背負ってくれるのなら、オレはどんな何よりも大切にする」
そして彼はふっと笑った。
「……ただ、あんたとは……比べたりは、できないが」
「……!」
身体は痺れているから、触覚とかそういうものは鈍くなってしまっているらしい。
しかし彼女はかっと己の顔に熱が集まったのを理解した。
……そんな、こと、言わないでほしい。
まるで、あなたも。
「……グ・ラハ! やめてくれ……!」
「レイ、死ぬな」
「!」
「もう、冒険者をやめろ」
「だめだ!」
「生きてくれ。普通のヒトとして」
「そんな権利はない! 私は第一世界を切り捨てたんだ! そのほかにも……っ! だからせめて……!」
「もう、充分だ」
「充分じゃない!」
自身がグ・ラハに言ったのと同じ言葉。だからなんとなくどういう思いか察してしまって、それでも。
「あとは自分のために……オレのために、オレたちの子供のために、生きてくれ」
「……!」
「もう今の暁の血盟なら、あんたが残すエーテル技術で『エオルゼアの救済』を成し遂げられるだろう」
「そん、な、無責任は、できない!」
「無責任だと思うなら、時折知恵を貸すくらいは、やっていい。でももう、命を懸けることはやめてくれ」
「……!」
「次の光の戦士にバトンを渡して、隠居しろ。……本当はやりたくなかったが、あんたは相変わらず強情みたいだ。足の腱を、一本もらう」
「……っやめ、ろ……! それに、もし、今前線から逃げて生きたとしても……! どうせ次また第七霊災前に戻るだけなんだから……!」
「分からないだろ。寿命を全うすればこのループは終わるかもしれない」
「そんなわけあるか! もう何度も」
「確かじゃないさ。でもそれなら……一度くらい、穏やかに人生を終えたっていいだろ。あんたは……あんたは、もう充分頑張った」
「頑張れてなんかいない!」
「頑張ったさ。あんたが今前線から離れたところで……きっと第八霊災は起こらないし、暁の血盟は安泰だし……」
「そうとは、限ら……」
「……あんたさ……魔科学にまで手を出してるんだな。繰り返しているのをいいことに、どこまで欲張りなんだ」
「……なん、で、それを」
「あんた、『グ・ラハ・ティア』をシルクスの塔で眠らせなくする気だっただろう」
「!」
「『今もう既にアラグの技術に追い付いているからクリスタルタワーを有効活用することができる』、そんな状況にすることを目指していた」
「……あ……!」
「今の段階でどうしてこれを持っているんだ」
グ・ラハは切なそうに笑った。
彼の手に握られていたのは『魔大陸の鍵』に酷似したモノ。
鞄からのぞいてしまっていたのだろうか。研究用に持ち歩いていたのがいけなかった。
「外形は図面で見た『魔大陸の鍵』だが……これはクリスタルタワーの鍵にしようとしたものだな? 『現代』でシルクスの塔をきちんと制御できたら、そりゃ、帝国どころかアシエンだって目じゃないかもしれない、よな……どんな世界に、なるんだろう、な……もしかしたら今後……第一世界だって……どころか、第十三世界だって……」
未来から来た塔と同化した今のシルクスの塔において、
だから、彼女が作ったこれが鍵として機能するなら、そしてこんなものを作るほどに魔科学を必死に修めた彼女の知識があったなら、第一世界で百年を掛けてくれた『水晶公』や……ここにいるグ・ラハがひとりでは成し得なかった『光の戦士』ひとりに留まらない世界間の完全な移動が、可能になるかもしれない。
……あちらに行くことができたなら。
無の大地を再生していけたように、あるいは。
実際、常に持ち歩くほどに研究を続けていたこれは、ほどなく完成に至る。
ガーロンド社の皆が次元の裂け目を広げられるようになるまでには、きっと完成する。
……試さなければ、本当に機能するかは、まだ分からないけれど。
彼女は目を逸らした。
これだって、彼女のエゴだ。
もう彼に、二度と会えないかもしれなくなるのは嫌だった。
もう彼に、孤独な片道切符を走らせたくなかった。
もう彼に、百年も独りで戦い続けてほしくなかった。
もう彼に、孫娘との急すぎる別れを迎えてほしくなかった。
もう彼に、愛した街に二度と帰れなくなってほしくなかった。
ぼろぼろと涙が溢れる。
それを彼は、しばらく拭い続けた。
「レイ・ランバタル。もう、死なないでくれ」
「……」
彼女はもう、何も言えなかった。
銀泪湖のほとりに、ぽつりと一軒だけ大きな家が建っていた。
それは常人ではたどり着けないような位置にあり、そんな場所なのに平気な顔をして過ごせるような、風変わりなミコッテ族の一家が住んでいたのだという。
今でもまだ、知恵を借りに訪れる賢人がいるとかいないとか。
これは、どこか遠くに存在したかもしれない、小さな可能性の物語。