東方無限者 〜the Infinitous's Second Life. 作:影のビツケンヌ
小櫃が幻想郷縁起を見た記述はあっても、いつどこでどんな動機で見たのか分かっていないので。
幻想入りから2週間が経ち、永遠亭での仕事にも幾分か慣れてきた。
コーカサスでのハンター稼業はブラック企業並にハードで、土日・祝日問わず、毎日のように生死に関わる危険な依頼が舞い込んできたものだった。当時の激務――バウンティハンターを目指していた俺の親友・
しっかりとシフトを組んで仕事をする為、自由な時間もそれなりに発生するから、俺は前々から訪ねたいと考えていたランドマークに向かうことにした。場所は人里、仰々しい塀に囲まれたその屋敷は広い日本庭園を持ち、里の中では最も多くの資料が保管されているという。
門番らしき男の態度がいけ好かなかったので、門は通らず飛んで敷地内に直接降りたが、木製の表札に刻まれた字はしっかりと確認できた。
『
俺がここにやってきた目的は他でもない。ここで編纂されているという『幻想郷縁起』を閲覧し、幻想郷に於ける人外が如何なるものなのか、どのように認識されているのか、それを知り、より一層理解を深めることだ。
戦いに於いて最も重要なのは、あらゆる状況、突発事象に対し的確に反応、臨機応変に行動することのできる合理的な心技体だ。知識は心を潤し、技を磨き、体を動かす。魑魅魍魎が跋扈するこの危険な世界で生き残るには、俺はあまりに情報弱者だったから、どうしても資料が必要になる。
この時は、俺はその資料の正確性を過信し過ぎていた。
個人的な意見を言わせて貰えば、見るに堪えない本だった。
「…おい阿求、これは一体どういうことだ」
「へ? あの、何か問題が…」
「問題が多過ぎる。鴉天狗のスピードはせいぜい時速170km足らずだし、鬼の筋力も――まあ勇儀なんかは別にしても、自重の100倍程度がやっとだぞ? どうせ妖怪のことを載せた本なら、死体の解剖位してくれなければ困る」
幻想郷縁起の情報は主観や誇張、言い伝えからの誤解が目立ち、それは特に妖怪図鑑の項で顕著だった。吸血鬼のバイオエナジーを見た(例の賭博に参加していたのを偶然、である)が、首から下が吹き飛んで生きていられるとは到底思えない。河童の腕が体内で繋がっているとか、オカルトもいいところだ。にとりが聞けば大層怒るに違いない。もしくは一笑に付されるだろう。一応妖怪の賢者――八雲紫の検閲を受けているようだが、このクオリティが容認されているとは全くもって遺憾である。
「か、解剖ですか? さすがにそれは不味いんじゃあ…」
紫色の髪に
彼女と対面してまず驚いたのは、テロメアの異常な短さだった。曰く、彼女は9代に亘り転生を行なってきたらしく、閻魔から用意される転生用の肉体がどうしても短命なものばかりになってしまうのだとか。俺の目測では、恐らく後15年と待たず阿求は死ぬ。ジーンセラピーが導入できれば、延命措置も可能になろうが…
マルチタスクでそんな思考を巡らせながらも、俺は阿求に打開策を提示した。
「まあ無理強いはしない。取り敢えず、俺が今まで見てきた妖怪の体構造の一部ならスケッチできるが」
「…解剖、なさったんですか?」
「していない、能力で見えるんだ。紙と鉛筆をくれないか?」
間違いだらけの資料も、この少女の見解も、大幅に修正してやる必要がありそうだ。ちなみに、俺は筆を用いた筆記の腕ははいまいちで、鉛筆を所望したのはそういうことだ。
紙と鉛筆を取りにとてとて廊下に走っていく阿求の後ろ姿を尻目に、今一度幻想郷縁起を見返してみた。すると、妖怪図鑑の項、比較的更新が新しい箇所の中に、まだ読んでいない場所を発見した。
思考する電離気体
空素子 Motoko Sora
能力 磁場を操る程度の能力
危険度 極低
人間友好度 極高
主な活動場所 幻想郷全域
最近外の世界から入ってきた生物『スカイフィッシュ』が妖怪化したものである。容姿に通常の人間と変わるところは見受けられない。
外の世界の知識が豊富で、河童と共にそれらの技術を盛り込んだ数多くの発明をしている。ただ、博識で聡明だが詰めが甘く、肝心なところでヘマをする。故に周りからのサポートが欠かせないようだ。
スカイフィッシュというのは、棒状の体に膜状の鰭を持ち、それを波打たせることで超高速で飛び回る生物で、外の世界では様々な場所で見つかるらしい。しかし、カメラに写り込んだ蝿などが原因のモーションブラー現象と説明され、その本来の姿が知られぬまま幻想郷にやってきたのである。
スカイフィッシュの正体は、体組織が電離気体で構成された、いわばプラズマ生命体だ。通常、物質は固体、液体、気体へと状態変化するが、特定の条件が揃った気体を更に加熱すると、物質はイオンと自由電子に分かれた状態となる。これがプラズマである。プラズマは気体よりもずっと軽く密度も低いので、それがスカイフィッシュの高速飛行を可能にしている。野生のスカイフィッシュは、空気中の自由電子を用いて同じく空気中の水分を電気分解、気体になる前のイオンの状態を維持して体内に取り込んだり、可視領域外の電磁波を食べたりして暮らす。その性質上、スカイフィッシュは地熱帯、即ち温泉の近くによく集まる。
素子もまた、妖怪の山の裏にある温泉地帯に住まう一介のスカイフィッシュに過ぎなかった。しかし、彼女はより磁場の強い場所を求めて、間欠泉から地下へ降りたという。そして地底に巣食う妖怪達の妖気の影響を長期間受けて妖怪化、更に灼熱地獄跡の溶岩流が生み出す非常に強い磁場が、彼女の能力を覚醒させたのである。
能力
磁場を操る程度の能力とは、その名の通りあらゆるものに磁性を持たせ、それを操ることができる能力である。この能力を獲得した素子は、妖怪化したのと相まって、スカイフィッシュの姿に戻れば音速の7倍以上の速度で飛び回ることができる。
外の世界のものを使用する機会は少ないだろうが、一部の物品は磁場の影響を受けて故障することがある。彼女が能力を使っている近くでは、それらはすぐに使い物にならなくなる。
また彼女は、その能力を用いて『モノポールドライブ』なるものを発明した。
モノポール、即ち磁気単極子とは、N極かS極かの単一の磁荷しか持たない物質のことだ。
知っての通り、磁石にはN極とS極の二つの磁荷が必ず存在し、それらを単一で取り出すことはできない。棒磁石を半分にしても、電磁石を半分にしても、どうしても二つの磁極が発生してしまう。
しかし、この宇宙のどこかには、宇宙の発生から早い段階で決まってしまったこの法則の影響を、全く受けていない磁性体が存在する可能性がある、らしい。それが磁気単極子だ。
この物質の中心付近は、法則の影響を受ける前の状態のままであり、他の物質が磁力に引き付けられここを通過すると、その触媒的作用によって陽子崩壊、大量の光子と陽電子を放出する。
モノポールドライブは、磁気単極子を利用した半永久的な電力生成装置なのだ。これがあと4機もあれば、幻想郷のエネルギー問題は解決すると思われる。
目撃報告例
・よく娘と遊んでくれるのよ。危険な妖怪からも守ってくれているみたいで、頭もいいし礼儀正しくて、本当にいい子ね
(花屋の未亡人)
外の世界にいた頃は、元々人間に近い場所で暮らしていたのか、人間らしい礼儀を持ち合わせる。
・私は彼女に幻想郷最速の座を奪われました
(射命丸文)
幾ら鴉天狗といえど、音速の壁は越えられない。素直に諦めて負けを認めるべき。
というか、これは目撃報告じゃないと思う。
対策
特に必要はない。
妖怪の友人の方が多いのも事実だが、人間とも仲が良く、能力を使う時も周りに配慮してくれる。
強いて言うなら、むしろ彼女の心配をしてあげよう。ドジを踏まぬよう導けば、必ずやいい働きをしてくれるはずだ。
掃き溜めに鶴、とでもいうのだろうか。馬鹿正直、では言い方が悪いので公正明大な本人が詳しく説明したようで、他の頁よりも妙に詳細だ。それに妖怪への対処を主としていて、どちらかといえば彼らを必要以上に恐れている感のあるこの資料に、こうも好意的な書かれ方をしたものがあるのには驚かされた。…若干辛辣ではあるが。
「小櫃さん、持ってきましたよ」
丁度部屋に戻ってきた編纂者を見て、俺はふと思い立ち、言葉を紡いだ。
「阿求」
「はい、何でしょう?」
こんな顔をするのは何年振り、いや十何年振りか。きっと口元は三日月さながら吊りあがり、獰猛な笑みが形作られているだろう。
「俺はお前に、妖怪の体構造のスケッチをすると言ったな」
「はい、言いましたが…どうかなさいましたか?」
頭上に疑問符を浮かべる彼女に、無慈悲に浴びせた、その言葉を。
「あれは、嘘だ。素子の頁と大体同じクオリティになるまで、これからみっちりしごいてやる」
九代目のサヴァンが放った特大の絶望は、人里のほぼ全域に響き渡ったとか、そうでないとか。