東方無限者 〜the Infinitous's Second Life. 作:影のビツケンヌ
ブラストが幻想入りした、その経緯については一切不明だ。
藍は、彼は英雄としてのブラストが有名になり過ぎたことで忘れられた、言わば影のような存在ではないかと推測していたが、俺はもっと別な可能性も考えていた。
ブラストの持つハイドラRX-2は、実際のところその性能の多くは謎に包まれている。わかっているのは、先端部に付いた3本のクローは伸縮自在、握力は100kgを優に超え、40m先までワイヤーで射出可能で、バイオエナジーを弾丸化して発射することも、クローにバイオエナジーを纏わせ高速回転しブレードやシールドとすることもできる、ということのみだ。これらの情報はコーカサスに於いて周知の事実である。というのも、それらの機能を使用する場面を記録した映像が、ネットの海の中を我が物顔で横行闊歩する程に彼が有名だったからである。
俺が考えていた別の可能性、それはハイドラの隠された機能によるものである。
インフィニタスの能力の中に、『シェイバーハンド』というものがある。超高密度のバイオエナジーを体表面に膜状に展開、その場の質量の無限増加と空間の圧縮によって、3次元世界から余剰次元、即ち4次元世界へと潜行し、進行方向に無限に空間を伸縮、後方で解放を繰り返すことで、空間の持つ性質を利用して直接重力を作り出しコントロール、結果的に光より速い速度での移動を可能にする。
ブラストの熱狂的なファンの間でまことしやかに囁かれている都市伝説が、ハイドラはシェイバーハンドのような空間歪曲を行なうことができる、というものだ。実際にそのような機能がハイドラに搭載されており、それによって発生した――意図して行なったかどうかはともかく――ワームホールが、偶然幻想郷と繋がったのではないか、というのが俺の仮説だ。
しかし、そんなことを議論したところで状況が変わる訳ではない。
ブラストに発現した能力が強化されるまでは、白狼天狗の犬走椛が『千里先まで見通す程度の能力』で監視が行われる。幻想郷各所に設置した無線機に彼女が連絡し、ブラストの接近を報せるのである。
俺と永琳の指示で、てゐは部下の妖怪兎達を永遠亭に避難させている。廊下を歩くと、障子越しに輝夜とてゐの話し声が耳に入った。
「幾ら竹林があるって考えても、恐ろしいことこの上ないね。お師匠様からとんだ狂人だって聞いてるよ? 下手したら竹林ごと焼き払われるかも」
「それに『常識に当てはめる程度の能力』…私や永琳も蓬莱人じゃなくなるんでしょう?」
ここに限らず、幻想郷全域で厳戒態勢が敷かれている。結界の管理の都合で神社から動けない霊夢は、河童に依頼して気休めの
「あ、小櫃さん。1ヶ月ぶりですね」
そして今、俺に声をかけてきた紅美鈴の仕事場、紅魔館でも、門番を外に出しておかない処置が取られている。
「薬は効いたか?」
「凄い効き目ですね、ちゃんと起きていられますよ。何でしたっけ? 中枢神経に作用する…向精神薬?」
俺は約2ヶ月前、人里の北に道場を開いた。今は当然閉めているが、毎週水曜日と土曜日に子供達が訓練を受けに来る。一度特別講師として美鈴を呼んだことがあり、その時に、彼女がやけに眠そうにしていることに気付き、過眠症を疑って永琳に診せたのである。案の定過眠症と診断された。
「気を付けろ。お前が妖怪とはいえ、メタンフェタミンは常人が下手に使えばたちまち廃人の仲間入りをする劇物だ。用法・用量を守って正しく使え」
「ふふっ、さっき八意さんにも同じことを言われましたよ。小櫃さんも、頑張ってくださいね」
「言われるまでもない。これでも向こうでは人類最強と呼ばれた男だ」
気負いでも虚勢でもない。ただ奴に立ち向かうことが当たり前だと、そう考えているのみだ。俺はそのまま美鈴と別れた。
真夜中、俺は漆黒の空に散らばる星を眺めながら、電子タバコでハッカを吸っていた。コーカサスにいた頃からの習慣だ。にとりに頼んでばかりでは情けないので、かつてと同じく材料を貰い自作した。
カートリッジ内に充填された、ハッカの成分を抽出した液体が、電熱線のジュール熱により霧状化、呼吸と共に口腔や鼻腔、肺を満たしていき、清涼感が広がる。立ち上る蒸気は視界を遮るが、幽かな香りを残し微風に消えていく。
何も考えない時間というのも大切だ。師匠はそう言っていた。思考し続けるとレジストリが蓄積する。PCを再起動するように、思考回路を一度シャットダウンし、リセットされた頭で再度考えること、それが重要だという。俺は師匠のアドバイスに従い、何を考えるでもなく、ただミントの風味のみに意識を向けていた。
その為か、
「…ねえ、小櫃?」
「…! 何だ、鈴仙か」
肩を叩かれるまで、鈴仙の存在に気付かなかった。
「何だって何よ。幾ら呼んでも返事しないんだもん」
「すまん。ぼーっとしていた」
「へえ、珍しいわね。貴方が何も考えてないなんて」
「師匠の教えだ」
師匠の教えとは要するに、ぼーっとすること、休息である。
鈴仙は俺の右隣に座った。数秒だけ、先程までと同じ沈黙が続く。
「…小櫃」
「どうした?」
今度はすぐに反応する。電池の消耗を示すランプが点灯していたので、スイッチを切り、懐のケースにしまった。彼女の言葉を待つ。
「貴方は…怖くないの?」
その質問の意図するところは理解できた。きっと、ブラストの件だ。
「私は怖い。この世界も、妖怪も、貴方も、皆壊されちゃうんじゃないかって…」
膝を抱えて蹲る鈴仙。僅かに体が震えている。そんな彼女に、俺は極率直に述べた。
「…少なくとも、恐怖は感じていない。そもそもそうして、戦って生きると決めて生きてきた。これからも変えるつもりは微塵も無い」
悪を砕き、邪を退け、不条理に食らいつく。悪事を働き、他者を不当に傷付ける者全てを、地の果てまで追い詰め、塵も残さず撃滅する。それが、幼い頃から定めて進んだ自分の道だ。至極単純故に迷ったことなどないし、指針となる正義感が恐怖を取り払ってくれる。…むしろ、それ以外に自分の生き方が見つからない。
「…小櫃は強いわ。私よりずっと強い。私はいつも逃げてばかりだった…」
鈴仙は膝に顔を半分程埋め、おもむろに語り始めた。
「私は、師匠や姫様と一緒に地上に来た訳じゃない。その頃私は生まれてすらいなかった。私はそのずっと後に、月から逃げてきたの。地上から打ち上げられたロケットを、侵略と勘違いして…。私は臆病者だったのよ。仮にも玉兎の部隊でエースと呼ばれながら、戦うことを恐れて、仲間を見捨てて逃げた、恥知らずの売国奴」
彼女が語ったのは、自分の過去だった。それまでは、鈴仙は永琳と一緒に地球に移り住んだのだと考えていたが、予想を裏切り、鈴仙は鉛の如く重い過去を背負っていたらしい。
「私が貴方を好きになったのは、貴方が『逃げない』人だったから。目の前の問題を真摯に受け止めて、解決法を模索する。初めて自分に襲いかかってきた妖怪にも恐れなかった。常に誰かの為に考えて行動する。自分勝手だった私とは大違い」
「鈴仙…」
どんよりと曇り、暗くなっていく鈴仙の表情。彼女にかける言葉が見つからず、俺はその瞳を覗き込んだ。
光沢のないくすんだ自分のものよりも紅く美しい瞳。狂気が宿ると云われるそこには、かつてない後悔と痛みが居座っていた。
既視感。過去に苦しむ者の目は、皆彼女と同様である。
ひょっとすると、俺というイレギュラーの出現が、癒えかけていた彼女の傷口を抉り返してしまったのかもしれない。俺への憧れと激しい劣等感は表裏一体。的確なアドバイスができない自分が歯痒い。
冷たく乾いた風が小さく唸り、背中を通り過ぎた。