東方無限者 〜the Infinitous's Second Life. 作:影のビツケンヌ
高速で流れていく視界。体感速度はマッハ2。鴉天狗も追いつけぬスピードで飛ぶその先は幽香の自宅。偶然にも、自分がこの世界で最初に目覚めた場所だ。
「幽香…ッ」
彼女は俺の恩人で、初めてできた妖怪の友人である。見ず知らずの俺をわざわざ自分の家に運び込み、服も乾かしベッドに寝かせてくれた。コーカサスでは普通有り得ないことだ。人の神経を逆撫でするのを好む幽香だが、一方非常に親切で、弱者が不当に虐げられるのを嫌う。
そんな彼女が襲われている。
彼女のことだ、頑なにこちらの情報を黙秘するに違いない。幾ら名実共に力のある大妖怪であろうとも、『常識に当てはめる程度の能力』の影響力から逃れることは不可能だ。見た目相応のヒトになってしまった状態では勝率は殆どゼロに等しい。
「椛、まだ千里眼で見えるな?」
『駄目です、たった今見えなくなりました。あいつは幽香さんを拷問する気のようです』
「更に外道に堕ちたか英雄め」
かつてコーカサスに於いて、VRANEの残党が悉く惨殺される事件が多発していた。殺されたのはVRANEばかりでなく、彼らに何らかの関わりを持った者も含まれた。師匠が撮ってきた写真で、犯人はブラストだと割れている。
奴は、決して英雄などではない。自らの復讐の為、過去から目を背ける為、ただただ『VRANE』を滅する。
『人間の皮を被った悪魔』。師匠がブラストをそう形容した意味はよくわかる。
師匠はVRANEによって、父親の精子を選別されて生まれ、その瞬間から少年兵として育成されたデザイナーベビーだった。遺伝子操作が非常に高いポテンシャルを実現し、同世代の少年兵とは比べ物にならない強さを誇った彼は、たった6歳で戦場に立ち、ブラストと対峙したのだという。彼はそこで、後に英雄と讃えられるその狂人の本性を目の当たりにしたのだ。
奴を排除せねば、この世界の平和は壊される。何としても消してくれる。
竹林を越え、幽香の自宅が見えてきた。すぐにスピードを落とし、裏口に降り立つ。
「…いや、幽香には悪いが、窓から行こう」
窓を突き破るのは朝飯前でお手の物だ。というのも、コーカサスで銀行強盗の鎮圧を行なう際に何度も窓を破壊しているからである。
忍び足で南側の窓に移動する。僅かに顔を出して中の様子を窺うと、案の定、頭髪を赤く染め、裸の上半身に襟の高いアッシュグレーのコートを羽織った筋骨隆々の男――ブラストは幽香を拷問していた。
「さあ吐け。四島小櫃はどこにいる?」
「ぐ…だ、誰がアンタなんかに…」
やや後退り、助走をつけて跳躍。強化もろくに施されていないガラスは、障子を破るより容易く破壊され、カーペットの上に破片が散乱する。床に足が着く直前にブースターを噴かせば、そのままの勢いでブラストまで急接近できた。最近運用が上手くなったばかりのバスターで右肘からバイオエナジーを噴射、加速されたアッパーカットでブラストを吹き飛ばす。
ここ最近の修行で様々な技術を会得したが、俺には元々バスターが覚醒する素質があったのかもしれない。
俺の能力は、スキャニング以外は全て、バイオエナジーを体外に放出するタイプのものであった。バイオウィングも技術によるものではなく、それがバスター覚醒の兆候だったと考えれば納得がいく。放出の次は形成。その次は変換だろう。
可能であれば、シュリュウに狙撃させる前にブラストを仕留めたい。バスターなら…何とかなるはずだ。
ダイニングテーブルの縁に側頭部をしたたか打ち付けたらしいブラストが悶絶しているうちに、床に崩れた幽香に駆け寄る。
「幽香! 言ったはずだぞ、素直に吐けと…」
「…ないわよ」
「は?」
「言える訳ないじゃない! 死ぬかもしれないのよ?! 大妖怪の私を恐れもせずに、私の為に医者を呼びに行ってくれた、貴方が…!!」
始めこそ怒鳴り散らすような調子、しかし後半は殆ど掠れ、近くにいた俺にしか聞こえないだろう。溢れそうな涙を辛うじて堪える今の彼女の様は、大妖怪の威厳など欠片もなく、ブラストの能力云々以前にただ一人の少女のそれに他ならなかった。
「俺は死なん。信じろ」
幽香の肩を掴み、目を合わせて、それだけを確実に伝える。そして立ち上がり、ブラストを見やった。
「くひっ、キヒヒヒヒヒヒヒ…」
古めかしい操り人形を思わせる動きでゆらりと立ち上がるブラストは、いかにもな邪悪さで笑っている。英雄の面影など存在しないのは誰の目からも明白だ。
「っ…こいつ…」
バイオエナジーの流動で分かった。ブラストは、明らかに麻薬を使用している。
「こっちに来てから妙なことばかり起こりやがる。ミュータントに自称大妖怪のイカレた女、…そしてお次は四島小櫃が自ら現れたときたもんだぁ!」
瞳孔が散大し焦点のずれた目のまま、彼はそれでも鋭い動きで跳び蹴りを繰り出してきた。腐っても生体兵器、俺はブースターを噴かし、その必殺の一撃から難を逃れた。
「落ちたものだな、ブラスト。麻薬なぞ使いやがって…あの時俺を殺せなかったのがそれ程に悔しいか」
そう、ブラストは過去に一度だけ、俺を殺そうと襲ってきたことがある。その時に、彼が生体兵器たる所以を嫌と言うほど思い知らされた。師匠が現れて助け舟を出してくれなければ、俺はもっと早い段階で幻想入りしていたであろう。
「当たり前だろうが。それと何度も言うがなぁ、俺はブラスト・ハンドレッドなんて名じゃねえ、ましてや英雄でもねえ。…アメリカ系ソマリア人エリオット・ウォーカー、ただそれだけだァッ!」
構えたハイドラからワイヤーで射出されたクローを紙一重で避けると、後方で窓が砕けた。何かに固定されたのか、ワイヤーがぴんと張り詰め、高速で巻き取られていく。すると次に迫るは破壊的な豪腕。同じく避けようとしたが、襟の後ろを掴まれ、空中に投げ出されてしまった。
「っく! …」
ブースターで体勢を整え、丈の低い枯れた草むらに着地。近くの物置まで僅かに5歩を数えるのみだった。バイオブースターを持っていなければ激突・死亡は免れなかったはずだ。その一撃一撃が全てフェイタルなものであることを改めて実感し、鳥肌が立った。
同時に、俺は今この瞬間から幻想郷の『四島小櫃』ではなくなり。
コーカサスにいた頃の、人類最強の賞金稼ぎとしての『四島小櫃』に変遷したのだ。
「…聞こえるか、シュリュウ。今から行なうのは弾幕ごっこのような遊戯ではない。正真正銘の殺し合い、…ヒト同士の、血みどろの戦いだ」