東方無限者 〜the Infinitous's Second Life. 作:影のビツケンヌ
不満
「はい、あーん」
「……」
鈴仙の箸で自分の口元に運ばれてくるほうれん草のソテー。自分が作って味見したものだ、不味い訳がない。だが、俺はそれをどうしても受け入れる気にはなれなかった。
「…鈴仙。何も両手がない訳じゃないんだ。利き手があれば箸は持てる。何度も言っただろう」
いわゆる『あーん』、それは止めて欲しい。バカップルのようだ。永琳が生温かい目でこちらを見ている。
今日は2015年2月14日土曜日。左腕を失い早2ヶ月。不自由することも多いが、片手でこなせることも増えた。やたら量のあるカルテや薬剤の整理、筆記、料理その他もろもろ。だというのに、鈴仙は何かにつけて俺を手伝おうとする。
特に、俺が茶碗を持てないのをいいことに、こうして自分の箸からものを食わせるのは、周りの目が苛立たしく非常に不愉快だ。
「食べてあげなさいよ。…クスクス」
「よく言うじゃん、兎は寂しいと死んじゃうって」
そう、まさにこういうことだ。輝夜、てゐ、それ以上余計なことを言うと口を縫い合わすぞ。
二人に向け指向性バイオフィールドを発生し震え上がらせたところで、ふと鈴仙と目が合う。
「…食べてくれないの?」
先のてゐの言葉通り、彼女の顔は全てのツキに見放された――決して月に見放されてはいない――かの如き絶望的な表情を見せている。無論、そんな顔をされては彼女の思いを無碍にする訳にはいかず、
「……」
輝夜らに睨みを利かせつつ、渋々ながら口を開けた。
ソテーを咀嚼しながら、ふと思った。
幻想郷で暮らすようになってから、様々な食べ物が手に入らなくなっている。チョコレートやオリーブオイルなどはその典型だ。小麦は一応栽培されているからパスタは作れないことはないが、如何せんイーストがないからパンが焼けない。魚介類の一部、即ち日本近海で捕れないものは年間を通じて入ってこないし、コーカサスでは密かなブームを呼んでいた養殖ワニの肉も食べる機会を失った。
コーカサスの環境は、治安の悪さに目を瞑ればそれなりに快適だった記憶がある。食の面では特に充実していた。世界中の人々が集まるだけあって、世界各国の料理を扱う専門店がそこかしこに散在する。スーパーマーケットに並ぶスパイスは枚挙に暇がない。グリルウォーカー――ソーセージを焼きながら売り歩く者――が肉の匂いを振り撒きながら徘徊していたし、ベジタリアンの為のレストランが熾烈な縄張り争いを繰り広げる激戦区もあった。
そうだ、食べ物。
機械や一部の設備等は、その気になれば作ることはできるだろう(実際、接触感覚のフィードバックができずまだ試作段階ではあるが、にとりと素子が俺の筋電義手を作成してくれている)。だが、どうしても食べ物の問題は自力で解決できないのだ。それだけが、俺の唯一の不満要素だった。
翌朝。
乾燥するはずだった冬の予報は、年が明けて半月頃に急に覆され、幻想郷は記録的豪雪に見舞われた。降り積もった雪が竹を大きくしならせ、また地面にも深い吹き溜まりをこさえる程だ。
寒さから身を守るべく、保温と汗の拡散が可能なインナーウェアと股引、腹巻を着用している。どれも藍からの贈り物だ。素子と協力し改造した靴底の仕掛けを反転、繊維強化プラスチック製の
「ごめんなさい、遅くなって」
茶色いコートと藤色のマフラーを纏った鈴仙が、奥の廊下から駆けてくる。彼女も靴に金属製の橇を装着し、玄関口から表に出た。俺と鈴仙、二人揃って歩き出す。
左腕を失って以来、藍によって返還されたアームキャノンを右腕に装備する必要のある俺は、今までのように左手で薬箱を抱えることは叶わず、鈴仙と同じように肩ベルトで背負うより他がなくなった。空中での主な推力たる背中のブースターが塞がっては飛ぶこともままならない。竹林を出ても飛ぶことはない。鈴仙は俺に合わせて飛ばずにいる。ありがたい限りだ。
ふと、昨夜の夕食時に考えたことを思い出し、鈴仙に尋ねた。
「鈴仙」
「ん?」
「お前は、今の暮らしに満足しているか?」
「満足…確かに不自由することもあるけど、私は今のままで幸せだよ」
鈴仙は答え、俺の無くした左腕の辺りに擦り寄って、
「貴方がいるしね」
と、満面の笑みでのたまった。
ある程度予想はしていたが、もっと何かしらあるのではないか。月にいた頃の○○が食べられないとか、その辺りの不満というか、原始的欲求が。
その日も、俺達は薬の移動販売を開始した。
そういった日々が、ずっと続くと思っていた。
高架下で、レール上を走る列車の轟音に叩き起こされるまでは。