東方無限者 〜the Infinitous's Second Life. 作:影のビツケンヌ
海生について少し触れました。
3月14日、日曜日。昨夜遅くから、奇妙な現象に悩まされていた。
「え? 左腕が痛いだって?」
「ああ…電流を流した万力で押し潰されるような…そんな痛みだ」
「それは幻肢痛ね」
「ベスさん、鏡を持ってきて」
「承知しました」
鈴仙の言葉に従い、ベスはどこからともなく大振りな柄の付いた手鏡を取り出した。これは彼女の『ありとあらゆるものをデータ化する程度の能力』によるものだ。あらゆる物体を『情報』に変換して脳内の使われていない記憶領域に格納、整理し、必要に応じて取り出し再度実体化させることができるのだという。妖怪にしてはあまりにデジタルで現代的だ。
「…
「は?」
「いや、何でもない。気にするな」
このことについては今度考察してみよう。それより今は腕の件だ。
手鏡を持った鈴仙が俺の前に出た。鏡面を俺の右手に向けるように差し出したところで、彼女の意図は理解できた。ミラーセラピーである。
幻肢痛に於いて、痛みを感じているはずの部位は実際には失われている為、痛み止めの薬や麻酔などは当然のごとく効果がない。内部に鏡の仕切りがある箱に失っていない手を入れ、鏡を覗き込みながら(つまり失った四肢の側を鏡で隠しながら存在する四肢を鏡に写して見る)「グー・パー」などと動かすことで痛みが消える、または緩和する、という治療法があり、これを俗にミラーセラピーという。
「やり方は分かるわね。はい、グー・パー・グー・パー…」
俺もまた、彼女の指示に従い治療を受けた。だがこの治療法の効果には個人差がある。
「どう? 良くなった?」
「…まだ痛い。むしろ痛みが増してきた気がする」
「…ごめんなさい。力になれなくて…」
「気に病むことはない。気持ちだけで十二分だ」
俯く鈴仙の頭を撫でる。僅かながら、申し訳無さげだった彼女に笑顔が戻った。
「海生、何か話をしてくれないか? 苦痛を紛らわせたい」
この日は海生は仕事がない。痛みが気になって外出できそうにないが、彼の身の上を聞かせて貰うには好都合だろう。
「そうだねえ…、それじゃあ少し昔話、もといご先祖様の話をしよう。あれは今から6500万年前…」
「うわあ、そんな遡るんですね…」
海生は、俺と鈴仙に自慢げに、懐かしむように語り始めた。
彼曰く、彼は吸血鬼と月人と
「そうだ月人で思い出した。鈴仙君、君は永琳の助手らしいね?」
「え? はい、そうですけど」
丁度月人の話が出たところで、海生は話を中断した。鈴仙の答えに、彼はいつにない真顔で更に問う。
「…どんなことをしてる?」
「いや、薬やカルテの整理とか、患者さんのお世話とか、人里で薬売ったりとか…」
彼女がいつもの仕事内容を話すと、彼はほっと一息、
「…良かった…まさか実験台とかにされてないかと…」
至極安堵した顔で椅子にへたり込んだ。実験台? 訳が分からない。
「どういうことなんだ?」
「いやね、実は僕、彼女とも顔見知りなんだけど…」
…こいつにはもう驚くまい。この男、もう何をやっていて誰とどんな関係でも不思議ではない。回転と流動を操る程度の能力というのは、その気になれば、扱い次第で世界を我が物にできる代物なのだから。
「彼女はね、昔はかなり荒れてたんだ。それはそれは、怖い人だったよ」
「えっと…どんな風に?」
恐る恐る尋ねた鈴仙。海生の口から紡ぎ出された言葉は、想像を絶するものだった。
「攻撃的で、邪悪で、行動が予測できず、他の全ての生物に敵意を持ち、人を楽しませることなどできず、サディストで、他者の意見に全く無関心」
「……」
「……」
「……」
皆言葉を失った。部屋の隅で待機して(結果的に立ち聞きする形になって)いたベスも顔を引き攣らせている。
「…これらの特徴が当てはまる人っていうのは少なからずいるよね。でも彼女がそんな人達と違っていたのは、先に挙げた致命的欠陥を埋め合わせるだけの精神的特長をひとーーっっっっっつも持ち合わせちゃいなかったのさ」
信じられない。
永琳は竹林で倒れた俺を手当てし、そして今も俺に仕事と住居を提供してくれているとても親切な同居人だ。それがかつては不信性の塊のような人間だったとは。
だが逆にそれは、『人は変われる』ということではないだろうか。
臆病で泣き虫な鈴仙はシジマ作戦で、かつて飼い主を誤射した時と似た状況に追い込まれても、エリオットを倒し、過去に打ち勝つことができた。きっと永琳も、自分を変えるような何かを経験したに違いない。誰も彼も、そしてこの星さえも、変わりながら生きて行くのだ。
「まあそれも、世界一つの尊い犠牲かもね…」
小さく、俺には殆ど聞き取れない声で呟いた海生の不明な言葉は、どこか憂いを含んでいた。
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