東方無限者 〜the Infinitous's Second Life. 作:影のビツケンヌ
4月24日。予定よりずっと早く、海生が俺と鈴仙のいた世界線に繋げてくれた。
この日、鈴仙と一緒にどこかに出掛ければ、海生の作った『流れ』が幻想郷に連れて行ってくれる、リビングのテーブルの上にそう書き置きされていた。折角なら別れの挨拶の一つでもするべきではないのかと思ったが、どうやらベスの実家の方で欠かせない用事があったようで、どうしようもない。
「…そうだ、忘れるところだった」
「え?」
「鈴仙、これから八潮に行くぞ」
彼女の返事も聞かず、俺は半ば強引につくばエクスプレスに乗り込んだ。
「…着いた」
改札から右折、北口に出ると、ロータリーの向こうに大きなショッピングモールが待ち構えていた。ロータリーに沿って北西へと道なりに進み、首都高速の下を潜って更に北西へ。周囲の景観こそ違えど、己の空間認識能力とバイオロケーション、そして野生の勘をフル活用して記憶を辿る。コンビニエンスストア、公園、ドラッグストア…。鈴仙は俺の意図を量りかねて首を傾げながらも、妖怪の体力にものをいわせて遅れることなくついてくる。
そして歩くことおよそ20分。目的の場所に到着した。
「…ここだ」
「ここ? この家が目的なの?」
「正確にはこの
『保健センター通り』なる道に出るT字路の角に佇む、建設会社の営業所。隣接する作業場や駐車場も含めて、ここは西暦2113年の時点で庭付きの家が建っている。俺の実父の経営する『影ヶ崎金属』の事務所。俺がまだ四島の姓を受ける前の実家である。
そのことを鈴仙に話すと、
「なるほど…もしかすると、貴方の帰巣本能か何かが、この場所を示してくれたのかもしれないわね…」
さぞ感慨深そうに、ため息をついた。
「この世界線は、本当に小櫃のいる、コーカサスのある未来に繋がってるのかな…」
「わからない。未来なんてものは常に不確定だ。可能性の数だけ分岐する…」
そんなことを言いかけて、苦笑した。悲しいかな、若干海生に感化されてしまったようだ。どんな未来だろうと知ったことではない。俺はこの世にのさばる悪に立ち向かい、皆の平和を守る、それだけだ。
その時、保健センター通り側にある外階段から、8歳程度の男児を連れた夫婦が降りて来た。ドアが3つ並んだ内の中央のものが開いたところから察するに、2階は改装されて住居になっているのか。
「大丈夫? ふらつくでしょ?」
「…大丈夫」
「とりあえず市立病院でいいな」
バイオエナジーの流動を見ると、男児は熱を出していた。両親に守られるように、時折転びかけながらも、おぼつかない足取りで駐車場に歩いていく。
ズキリ。その光景を目にして、胸に強い痛みが走った。
あの子供は親に守られている。
俺は今まで不特定多数の人間を守ってきた。
では、その俺を守るのは?
…誰も、いない。
「っ!!」
「あっ、小櫃?!」
それを直視できなくなった俺は、どこへともなく走り出した。
保健センター通りにある橋は、葛西用水路という川に架かっている。俺の知る限り、この川はより上流の越谷に近くなると若干綺麗になるが、それより下流は——葦などが生える場所はあるといえども——基本的に汚い印象を受ける川だ。
その川の柵の前で、俺は膝をつき息を切らしていた。いきなり全力疾走したものだから、若干目眩もする。
「ちょっと、一体どうしたの?」
俺を追いかけてきた鈴仙は、対照的に疲れを微塵も見せていないが、その声と顔は突然の奇行への疑念と困惑を匂わせた。だが何より、深紅に輝くその眼で俺の心中を察しようとする、暖かな視線が、どこか逆立ったようだった俺の思考を緩やかに静めていった。
「…鈴仙、…聞いて欲しい」
「?」
今なら、彼女になら、話せるかもしれない。感受したことを言い表せるだけの言葉を選びながら、俯いたまま吐露する。
「…俺は、今まで自分の未来に大きな不安を抱くようなことはなかった。悪を滅し善人を守る、その目標があったお陰で、俺は己を律することができていたんだ」
生きる理由などではなく、生きているうちに為すべきこと。自が正義を貫くことは、遂行せねばならぬ使命として俺の中で確立され、言動の中核を成していった。それはとても安定していて、俺はその安楽椅子にどっかと座り込んでいられた。
「だが俺は、さっきの家族を…子供を見て、羨ましいと思ってしまった」
先の家族を見た時、座っていた椅子の足を薮から棒に折られたような心地がした。自身のアイデンティティの脆弱性に付け込まれ、根底から覆されるような感覚。
「俺は誰かを守ったことなら幾らでもある。でも…」
鈴仙の方を向いたその時には、視界が霞み始めていた。
「誰かに守られたとか、そう実感できたことなど、一度も…」
俺の正義は他の誰かを守るだけで、自分を守ることをおろそかにしていたのは自覚している。そして、俺がコーカサスでエラーに殺されたり、幻想入り初日にルーミアに殺されかけたことからも判る通り、自衛能力も不足している。しかしそれを理解していなかった、コーカサスにいた頃の俺の周囲の人間は、俺に期待を寄せるばかりで誰も守ってはくれなかった。里親もいた、義弟もいた、無二の親友もいた、賑やかな同居人もいた、俺を育てた師匠もいた、俺を慕う弟子もいた——その誰もが、俺を強いと錯覚し、過度に、いっそ盲目的なまでに信頼していた。そのせいで、俺は誰にも守られることなく、孤立無援のまま戦い続ける羽目になっていたのだ。
「大丈夫」
気付けば、俺は鈴仙にしっかと抱き締められていた。反応するより早く、鈴仙は台詞を続ける。
「貴方は私に勇気をくれた。怖いものに立ち向かうことを教えてくれた。今の私は、貴方の為なら強くなれるよ。だから、」
一呼吸、沈黙。
「貴方は、私が守るわ」
鈴仙が静かに発した誓いは俺には日溜まりのように暖かく、その僅かな字数だけで心に雪融けをもたらした。誰かに自らを委ねて、心の安らぎを得、身の安全を享受すること。それは、俺が心の奥底で渇望していたものだったのかもしれない。
「…ありがとう。ありがとう…う、ぐうっ…」
もう耐えることは叶わなかった。幼い頃から抑圧されていた想いが、堰を切って吐き出される。
「うわぁああああああああああああああああああああ…!!」
泣いた。形振り構わず、涙が枯れるまで。
今の俺は、人類最強の賞金稼ぎでも、幻想郷を救った英雄でもない。柔らかな春の日差しの下、俺は四島小櫃という一人の人間として、確かに存在していた。
実はここで登場している建設会社は…いや何でもない。