私は少し平凡とは言い難い身の上だ。
テレビを点ければ見ない日は無いと言われる程の実力派女優兼アイドルバンドのベース担当。
二足の草鞋で挑む芸能界、スケジュールはすべて事務所に管理されていて、休みは決して多くない上に不安定だった。だから私と彼とのデートはいつも突発的に決まる事がほとんどだった。そんな毎日が忙しい私とは対象的に彼の平日は学校、放課後はアルバイトに勤しんでいる普通の男子高校生。それでも週末にアルバイトを入れていればなかなか二人の時間が揃うタイミングは少ない。
必然的に私の突発的な休みに彼がすり合わせをして、二人で外出するのがいつもの流れだった。
久しぶりの週末に重なった休み、デートの舞台は彼の家でお互いの休みを確認した電話口で、彼から切り出してきたのだ。
「明日は、俺の家で過ごしましょう」
いつもは私の様子を伺うクセにらしくない、断定的なもの言いだった。テレビ番組でお笑い芸人MCの強引な振りにも慣れていた私の思考が、一瞬停止する。息を呑む声は聞かれていないと信じたい。
「勉強でも教えてもらいたいのかしら?」
「いえ、全くそういうわけでは」
まずとっさに浮かんだ懸念は否定された。
声の調子からも、なにか隠しているわけでもないだろう。
一般的には彼氏の家に上がり込むこと自体、男女交際している間柄で特別なイベントという認識で間違いないと思うし、そもそもが彼の家には過去に何回も来た事がある。そうなるとデートといえばいつも街に繰り出す形になっている。
「ダメだったら普通に外にしますけど?」
「ダメってわけじゃないけど」
言い淀んで、言い淀んでしまった事実が無性に悔しい。
相手はここ最近では誰よりも顔を突き合わせている生意気な年下の彼氏であり、だからこそ迂闊な隙を作ってしまったことが、私のプライドにチクリと甘い傷をつけた。
「親御さんは居るの?」
「もちろん、家にいますよ」
「家族同伴のデートってこと?」
「千聖さんのご希望ならそういうプランでも」
それはそれでどうなのだろうか、と私は思うが、不思議と不快感はなかった。
緊張感が拭えない事実はあれど、彼のご両親はとても良い人で、きっとそういう休日の使い方も悪くないように思う。
「それともやっぱり二人きりの方がいいですかね」
「……私に『二人きりが良い』って言ってほしいのかしら?」
「すげぇ言ってほしいです。できればちょっと甘えた感じで」
「それじゃあ、明日はあなたの家でのんびりするわ」
え~、と未練がましい声を上げる彼に取り合わず、私は予定を詰めていく。下心も真心も裏も表もすべて乗せた媚びを売る彼と、それをあしらい掌で転がす私。それでも思えば結局、当初の彼の要望が通る形になっている。
じゃれ合うように自尊心をくすぐられ、こうやって彼に乗せられてしまうのだ。
私は見え透いた彼の策略に乗ってあげているだけと、当てのない強がりと言い訳を心の中でしてみるけど、それでも悔しいような嬉しいような、むず痒い感情を覚えるのはこんなときだ。
「それじゃあ、明日ね」
「はい、千聖さん」
そんないつもの他愛ないやり取りで、デートはの舞台は彼の家となった。
「あら、千聖ちゃんいらっしゃ〜い! 私達の事はいないものとして扱ってくれていいから、二人で楽しんでね! ゆっくりしていって!」
「お母さん……」
彼の家の玄関で、彼のお母さんは私の顔を見るなりそう言ってきた。
きわめて小規模の気まずさと恥ずかしさの嵐が吹き荒れた玄関に、何事もない顔で彼が姿を現したのはすぐその後だ。
「……と、いうことらしいです」
「お母さんに余計な気を遣わせるんじゃないの」
「これは母親のスタンドプレイなので悪しからず。これでも息子想いの良い母親なんです」
わざとらしいぐらいの感情表現をする彼に荷物を預けて、私は勝手知ったる様子で上がり込む。
いつもの彼の家なはずだ。部屋の間取りは当たり前として、別に家具の位置も変わったりしているわけじゃない。
デートだからと、そういう気取った小細工をする彼ではないと思うし、そもそも昨日の今日で改装もなにもあったものではない。それなのに、らしくない鼓動の高鳴りを私は感じていた。
意図的に作り出した時間を、彼の自宅で過ごすことに使う。その意味を改めて考える。
「言っとくけど、夕飯までだからね」
「今日の晩ご飯は千聖さんの手作りかぁ」
要らない言質を与えてしまった気がする。
元より作るつもりではあったが、アドバンテージもといサプライズをひとつ握りつぶしてしまったのは残念だ。
本当に少し柄にもない緊張をしているのだろうか。
子役上がりの大女優は、今まで自分が緊張した場面を思い返す。
主役に抜擢された朝ドラマのロケ入り。
初めての舞台挨拶。
歳月を経て再び共演させていただいた大御所俳優さんとの大事なシーン。
初めてのライブステージ。
アテフリがバレたステージ。
再出発を誓った仲間達との新しいステージ。
カメラの向こう、何万何億の人に見られることで培ってきた度胸とプライド。
今この場所と自分にとって同等の思い入れがあるというのか。おそらく、そうなのだろう。強がりでもなく、そう思えた。
「千聖さん?」
名前を呼ばれる。振り返る。
一瞬、自分がどんな表情をしているかわからなくなった。
いつもスタジオで描く表情の動きがあまりに自然にできたから。ただ自宅でデートをするこんなことで? いつもと変わらないこの場所で? 我ながら単純すぎではないか。
それでも……多分自分は、今笑えている。笑っているのだと、私は思った。
自宅デートはつつがなく、穏やかに時間を流れていった。
昼過ぎだということで、昼食は彼が簡単な料理を振る舞った。十代後半という年齢の男の子にしては手馴れた手つきで作られた親子丼は、おいしいの許容範囲内で男の子らしさが見え隠れする大味な味付けがされていた。
「塩と砂糖と醤油とみりんがあれば、だいたい何とかなるもんですよね」
とは彼の弁。厨房に立つ者の共通見解として、私も同意した。昼食は彼のお母さんも囲んでのものになった。
食後には二人でソファーに座って動画鑑賞。別にこれといって目当ての番組はなく、チャンネルを回している内に辿りついた動物系のバラエティー番組。ゾウ、ライオン、シマウマ、ナマケモノ、ワニ、ペンギン。
ゆったりと檻の中を闊歩し、眠る彼らの生体を解説しながら映していく。
ひどく緩慢な時間は、私自身にとっても驚くほど新鮮だった。小学生の頃に芸能界に飛び込んでから、いつだって何かを考え、何かしていた気がする。
忙しなく動く世界と自分の速度に、心が付いていかなかった時期があった。そのことにすら慣れてしまい、上手にやれるようになってしまった時期があった。
衝動的にそのすべてを投げ出して、どこにも飛んでいけずたゆたっている時期があった。そうして今、仲間と並んでコロコロと転がるペンギンを眺めている。
どこが悪かったなんて言わない。ただそうやって今までの時間を静観することができる今が愛おしかった。こんなこと、隣でぼんやりしている彼にはとても言えたことじゃないけれど。
飽きたとき用にと気を利かせてレンタルしてくれていた映画はそっちのけで、ひたすらにドラマやバラエティー番組を廻り、それらを見終わった時には、どっぷり日が傾いてしまっていた。
ディスクをしまう彼の背中に、私はずっと抱いていた疑問を投げかける。
「ねぇ、どうして今日は家だったの?」
プツンとテレビの電源が落ちる音が響いて、彼は宙に視線をさまよわせた。
「まぁどうして、っていうほどのことでもないんですけど」
彼の彷徨う視線は自分のおぼろげな感情を掴もうとしている。
「いつも千聖さんはテレビに出てるじゃないですか」
「一応、芸能人だもの」
「街へ繰り出しても、まぁ結構二度見されたり、振り返られたり」
「まぁ、芸能人だから仕方ないわね」
「千聖さんはホントに有名だからなぁ」
自分の袖に付いていたであろうゴミを取りながら、心底感心するように彼は息を吐いた。
だから気疲れしたというわけじゃないだろう。気後れしたというわけでもないだろう。
彼がそういう繊細さとは無縁なことは、誰よりも私が知っているはずだから私は慌てず次の言葉を待った。
何せ、今日は時間が贅沢なほど有り余っているから。
「だから多分、他の誰もいない場所で千聖さんを堪能したかったんだろうなと思います」
「……ご両親がいるじゃない」
「両親は家族なので、ノーカンです」
「……そっ」
納得できるような出来ないような、理屈。けれどそんなものだろう。
別に私も、何か確定的な答えを求めていたわけではないのだ。
「つまり、あなたは私をひとり占めしたかったと?」
「千聖さんと、千聖さんの時間を」
「アイドルとしての白鷺千聖の貴重な休日を使って?」
「できれば、アイドルの白鷺千聖の舞台から降りた千聖さんと」
「アイドルの私は、嫌いかしら?」
「俺と会える時間が少なくなる原因がアイドルの千聖さんなら、恨めしく思うかもね」
それでも当然のように嫌いという言葉を使わない彼にくすぐったくなる。
彼は私を、ドロドロに甘やかして。それでも私が弱い考えの時には背筋を正してくれる。
特別な意味がなくても、会いたいと思う。
当たり前のように隣にいて欲しいと思う。
「ねぇ」
「なに、千聖さん」
彼が振り返る。
クセっけのある黒色の髪、眠たげな瞳。
年下の彼氏。
私の大好きな彼氏。
「好き」
「……千聖さん?」
「好きよ」
気持ちを伝える。そして名前を呼ばれる。
初めは困惑していた彼も、挑戦的な年上の私の瞳に意図を感じ取った。
「好き」
「千聖さん」
「好き」
「好きですよ」
この気持ちを伝えられず、一人泣いていた時期が私にはあった。
振り向かない名前を、それでも呼び続けていた時期が私にはあった。そんな過去を慈しむように私は声音を変え、感情を変えて、囁くように、叫ぶように、彼に気持ちを伝える。
降り積もるように、満たすようにその気持ちを言い合う。
そうやって、ひとしきり二人で堪能した後、どちらともなく笑い合った。
「コレ、何の遊びですか?」
「さぁ。けど、ご褒美にはなったでしょ?」
そんなことを言われては、彼にそれ以上の反論の余地はない。
流石にこれ以上を求めるのは欲張り過ぎというものだ。
「ファミレスでこんなことやってたバカなカップルには蹴り入れてやろうかと思ったこともあったんだけどなぁ」
「実際やってみた感想は?」
「やっぱりバカみたいですね」
そう言って肩を竦める彼に、私も同意した。
演技でやれと言われても、感情を入れるのに苦労するだろう。
「……今度の休日には、外にでましょ」
「やっぱり自宅デートは退屈でした?」
「そういうわけじゃないけど……」
どこでもいいのだと私は思う。
自宅でも外でもいい。彼がいて、自分がいて。二人でお互いを試し合いながら、じゃれ合いながら。
特別な意味がなくても、会いたいと思う。
当たり前のように隣にいて欲しいと思う。
それでも──
──今度の二人の時間は、私の大事な人を大勢に見てほしい。だなんて、日の沈む空に目を逸らしながら、私は思った。