ヘザー(アーティカ視点)
今のI・アイランドは、プレオープン期間の数日前ということで、パビリオンの建設事業者のための、救護室が存在する。このI・アイランドは実質的な街であるから、当然大きな病院も存在するが、外来の訪問者が膨大な場合、それ用のものは当然必要になる。
「…軽い疲労だね。点滴打って気分が良くなったら帰りなさい。」
「もし具合が悪くなったら、看護師か私を呼んでください。」
頭髪が寂しい初老の医師は、軽くそう言い残して、犬頭の黒服に連れられてきた、ぐったりした私を一部屋6つほどの内一つのベッドに寝かせると、足早に去っていった。
犬頭の黒服は、ベット脇のパイプ椅子に腰掛けると、ため息をついて私の顔色を覗き込むような仕草をし、耳元で、誰にも聞こえない程度の大きさの声で呟いた。
「………全く、肝が冷えましたよ。急にアドリブ放り込まんでくださいよ…。」
俺は具合が悪そうに額から汗を流しながら、素の低めの声で、唇を動かさずに腹話術で返答を返す。
「仕事なんだからガタガタ抜かすなよ。…他の連中は?」
「取り敢えず予定通り、お嬢が滞在するホテルの監視システムぶんどりました。お嬢と合流してから、サムの手引きで、I・アイランド全体の警備システムに着手予定です。」
…よし。AFOの用意した連中だけあって、流石に手早いな。いや、それよりも。
「サミュエルのやつの下準備が良かったな。」
どんなに堅牢な要塞だろうが、ガードの固い清純派の女の子だろうが、要は警戒のガードの内側に入れば脆いものだ。どんな軍隊も、裏切り者が居れば容易く崩壊する。
ホテルの警備システムが、こちらが用意したマルウェアに既に犯されているとは、夢にも思わないだろう。それも温厚そうな、知人のサミュエルの協力によって。
デイヴ博士とその助手、その身内が裏切った時点で、高度なハッキング対策のI・アイランド独自のソフトウェアも、警備ロボットも、何の意味もない。
「丸裸同然の鉄壁の要塞(笑)なんだ。チョロい仕事だ。だが…。」
「だが?」
「サミュエルに良心の王国を取り戻させるわけにはいかねぇ。…主人のデヴィッド博士すら裏切って、本当の意味でこっち側なのはあいつだけだからな。」
「あいつが下手にこっちを見限れば、その時点で俺達は逃げ場を失う。だから先手を取って懐柔する。」
デヴィッド博士は、俺を単なる無力なお嬢様で、犬頭を含めた黒服連中は、助手のサミュエルが手配した敵の演技をする、無害な演者だと思ってる。
俺達が本物の敵で、装置をあわよくば奪い、自身の身を、周囲の人々を危険に晒すとは夢にも思っていない。
「計画の打ち合わせも、サミュエルと暗号データで詰めることしかできなかったからな…。詳細な詰め合わせは必須だ。」
「…アドリブの意味が理解できたか?」
「ええ。まあ。あんたが今まで失敗しなかった理由も、なんとなく分かりましたよ。」
その賞賛らしき言葉を聞き流しながら、俺は思案した。AFOの支配下をうまく抜け出すために必要なもの。ここは宝の山だ。個性関連の研究データの最先端。
俺は、生まれてこの方、ドクター以外から個性の診断を受けたことがない。そりゃそうだろう。AFOに拾われるまで俺は医者に体なんて弄らせなかった。拾われてからも、犯罪者で、傭兵の俺がそこらに居る闇医者から足がつくなんてごめんだし、ドクター以上の腕を持ってるのなんざ、そう居ない。
「身体強化型の、まあ、何の変哲もない、大したことない個性じゃの。使いやすくはあるが。」
「突然変異的な身体能力があるせいで、ほぼ意味ないわ。」
そんなドクターの診断を、鵜呑みにしていた。
………そう。支配されているという自覚すらなかった頃の俺は、愚かだったのだ…。
「俺の個性?別に大したことねえよ。」
耳郎ちゃんに、キリッとしてそンな感じのことを言ってたが、もしかして俺めっちゃ恥ずかしいのでは…?少なくとも、AFOに悟られず、自分で調べられる環境だろう。この、I・アイランドは。
今思えば、AFOは、個性大好きマンの癖に、俺に個性の話題は振らなかった。意図的に、俺をコントロールしやすくするためではないか…?
AFOの息のかかってない、デヴィッド博士や、その他の研究者に調べさせるのは全然アリな選択肢だろう。
その結果大したことない個性だったとしても、別に構わない。
今の俺にはとにかく武器が要る。今のAFOも、オールマイト同様、全盛期には程遠い。それは確かだ。じゃなきゃ弱ったオールマイトを、自分で痛ぶらない理由がない。とっくに日本…いや、世界はかつての個性黎明期にぎゃくもどりだ。
「………結局、個性、か。」
鬱陶しい。そんなものが無ければ、世界はこんなことになってなかったろうに。
それでもなお、憎んでもなお、縋らなければならない。
力とは、そういうものだ。
それを今、俺は自分の掌の上に取り戻す。どんな手を使おうと…!
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サミュエル視点
…ヘザーが倒れた。その方をお嬢様から聞いて、私は血の気が引く思いと、困惑に身を包まれた。デヴィッド博士はそんな私の様子を見て、勘違いしたのだろう。
気遣わしげに、優しい声で私に声をかけた。
「……私達の…いや。私の都合で、ヘザーさんを疲れさせてしまったようだ。黒服の方達に協力してもらって、彼女にはゆっくり休んで貰おう。」
「君の友人の娘さんなんだろう?元気づけてあげなさい。私が力になれるなら、なんでも言ってくれ。」
「え、ええ…。では…。」
普段なら、胸が痛む感覚を覚えるところかもしれない。だが、今の私にはその博士の純朴さに苛立ちしか覚えることができなかった。
善人で天才だが、世渡り下手。
それがここ数年で痛感した、デヴィッド博士の全てだ。
"あの"研究に、博士だけではない。私も全てを費やした。いや、全ての研究にだ。博士に付き合って、徹夜で個性因子の研究に取り組み、昼夜問わず、早期の成果を強請るスポンサー達の住居を訪ね、必死に頭を下げて研究費用を絞り出した。日々の料理や掃除の雑用だって、死ぬ気でこなした。もう40も過ぎたのに、結婚どころか、博士の…他人の世話をするので手一杯だ…。
"個性"研究のトップランナー、ノーベル個性賞受賞、光を浴びたのは博士ばかり。
博士には玉のように可愛い娘さんに、輝かしい栄光。ただ尽くすだけの自分。それでも構わなかった。最初は確かに、このヒーロー社会に貢献している充実感があった。
それが…
「画期的な個性増幅装置なんだ!これがあれば!世界が変わるはずなんだ!何故公表できないんですか!?」
私の数年間は、完全なる無と帰した。今の"個性社会"を根本から変えてしまうかもしれない。
秩序が保てなくなるのでは…。
そんな懸念から、各国に圧力をかけられたスポンサーは、あっさりと研究を凍結させた。試作品は没収され、今や私たちの手の届く場所にない。
「…あってたまるか。こんなことあっていいはずがない…!」
涙が出そうになるのを必死で堪えながら、慌てて、外来者用の救護室へと向かう。
そもそも、博士が予期すべきだった事態なのだ!国同士の駆け引きを利用すれば、平和のためにという理想に拘らなければ、それなりの"成果"は得られたはずなのに!
あの一件以来、私の中の何かが切れたような気がしたのだ。なんのための20年以上の献身か。何のための…。青年の頃に抱いた理想も、今になっては何の役にも立たない!
そう後悔しながら老人になって、このまま朽ち果てるのか。何も残らないまま…!
だから博士を騙すような真似を初めてした。敵に阿った。AFOの名前は博士からチラリと聞いたことがあった。曰く、超常社会屈指の大悪党で、詳しいことは知らないが、オールマイトの宿敵だと…。だが、雇う予定だった敵が死んでしまった以上、背に腹は変えられない。どんな大悪党だろうと、私の数年に価値を与えてくれるのなら、喜んで尻尾を振ろう!
それが…ヘザー…として送り込まれたという、敵であり、傭兵のリーダーが体調不良?冗談でしょう。
私は息も絶え絶えで救護室の…その傭兵が居るという病室へと駆け込んだ。
「まあ!サムおじ様!そんなに忙がれて…もうしわけありません、ご心配おかけしましたわ。」
「飛行機に乗ったのも、こんな人混みも初めてで…。でも、幾分か元気になりましたわ。」
…知ってはいたが。
本当に目の前の可憐な少女が、例の"アーティカ"とかいう敵なのか?
そう疑いたくなるほど、自然で、柔らかな少女の言葉遣い。そして、その見た目。西洋人形が人になったらこんな風なのだろうか。儚げな丸い微笑みに、澄んだ翡翠色の瞳。体型は少女のものそのまのだ。
「大丈夫…なんですね?」
これほど動揺していても、染みついた敬語でそう尋ねる。少女は微笑んで、頷くと、私達のやり取りを見て、心配げなおじさんと、少女の微笑ましいやり取りに見えたのだろう。にこりと笑った若い看護婦が、お大事にと言って、私達にお辞儀をした。
「さて、ホテルに行きましょうか。サムおじ様!」
「ふふふ。私、ホテルは初めてですの。どんな感じなのかしら。ビュッフェというお食事の作法も知りませんわ!無作法にならないといいのだけど…。」
そう言って少女は背伸びをして私の肩を掴むと、耳元に口を寄せて、調子が変わり、ドスの効いた低音で、囁いた。
「…取り敢えず自室で話すぞ。いいか?計画に支障はない。安心しろ。報酬は提示通りだ。心配すんな、これは胡散臭え善行なんざじゃねぇ。」
「確実にリターンのある悪行だ。俺を信じろ。俺は平和なんて求めちゃいない。」
「求めてるのは、俺と…そして仲間の利益だけさ。」
…恐怖を感じるべきなのかもしれない。だが、私が感じたのは、その力強い言葉への、安堵だった。
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「んじゃ、まずこれが前金な。」
「な………。」
ホテルの自室に着き、サムとテーブル越しに、皮のソファに座るや否や、ヘザー…アーティカは、黒服の一人から受け取った大きめの皮の鞄を、オーク製のテーブルに置き、バンと開いて見せた。
「ジュラルミンのケースかと思ったか?銀行じゃ定番だが、こういう鞄の方が洒落てて俺は好きなんだよ。」
その中には、ドル札の束が、ぎっしりと詰まっていた。サムは慌てた様子で鞄に飛びつき、札束を取り出して、ギラギラと輝く目で数え始めた。
アーティカはその様子を見て満足げに頷くと、少女に不釣り合いな姿勢、足を組み、尊大にサムを見下して、ほめそやすように、優しく言葉を出した。
「アンタの手際が良くて、こっちが楽できたからな。ま、手付金みたいなもんだ。終わった後の報酬も色を乗せるぜ。」
「現金の方が足はつかないだろう。ネット環境は監視されてるからな。」
「あ…ああ。そうですね。おお…こんな大金が…。」
「それで、そんなサムくんに聞きたいんだけどさ。」
満足げにサムの嬉しそうな反応を見ると、アーティカは朗らかに言った。
「それじゃ、具体的な話に移ろうか。まずは、コントロールルームの警備員のシフトと、セントラルタワーの図面を用意してくれる?後は…。」
今はまだ、アーティカはAFOの仕事を忠実にこなすだけだ。
「デヴィッド博士はそんな装置も作ってんのか。個性を観測し、数値で測る装置…ふぅん…。流石にこのI・アイランドの技術のほぼ全てに特許を持ってるだけあるな。」
「アンタも優秀だからなァ…。そういう装置はアンタも扱えるのか?」
アーティカは理解していた。今の、AFOへの反感を持っている感情は、AFOに隠し通せるものではない。AFOは、"嘘を見抜く"個性も持っている。疑われて、雲隠れされれば、自分だろうがやがて殺されるだろう。そうでなくても、嫌がらせで俺の女達を害しに来るだろう。
つまり、このI・アイランド、閉鎖環境は千載一遇の好奇なのだ。黒霧は死柄木の側を離れることはほぼない。
外部への通信は、全てI・アイランド側に、セントラルタワーがある内はバレる。ご丁寧にAIが怪しいと判断した通話は、治安当局に送られる仕組みだ。だからこそ、ここはタルタロスと同等と呼ばれるほどの防備なのだ。
道端で缶を捨てれば、すぐに警備ロボットに注意勧告されるだろう。
つまり、完全なる閉鎖環境。
ここにアーティカを送り込んだのは、AFOの慢心か、それとも、使い慣れた道具への信頼か、それとも…。