ブラック・ブレット8 君は泥より出て泥に染まらず   作:簑都薇

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里見蓮太郎③

 *

 

 

 延珠は既にミーシャを一度退けている。

 だからすぐに敵イニシエーターを戦闘不能に追いやって、延珠は蓮太郎を助けに行くはずだった。

 こんな相手に時間をかけている余裕はなかった。正直眼中から外れていた。既に一回勝っているのだから、何度やろうと──その慢心が覆されるのにそう長くはかからなかった。

 

 長槍の間合いに延珠が風を纏って飛び込んだ瞬間、ミーシャが足を踏み鳴らし、長槍の鋭利な先端が光を反射して鈍く瞬く。

 いずれも致命傷となり得る刺突をすべて見切って、不意打ち気味に飛び込んでくる盾側面の一撃を死に物狂いで躱す。

 

 全てが致死軌道を貫く長槍の穂先も、気を抜いたときを狙い澄まして差し込んでくる盾の鋭利な側面も、延珠の動体視力と聴覚ならすべて見切ることのできる範囲内だった。

 だが延珠がここぞと反撃に地面を踏み込んだ瞬間、ミーシャは城砦もかくやという堅牢な防御姿勢を敷いた。

 

 イニシエーターの脚力任せに蹴り足を跳ね上げた直後、断末魔の如き金属の絶叫が火花と共に弾けて轟く。

 

「ざんねんでした!」

 

 正面、甲冑越しに漏れ輝く赤眼と目が合う。

 蹴り上げた足に跳ね返る硬い反動。

 延珠渾身の飛び蹴りは上段に構えた盾に受け止められていた。

 蹴り足を強い力が押し込んだのを知覚したときには、そのまま盾に弾き飛ばされ、延珠の身は空を舞う。

 中空で身を翻し、泥だらけの庭園に落下。

 

 延珠の心中で焦りが増幅していく。早く行かないと、蓮太郎が危ないのに。

 なのに、なぜ決着がつかない?

 敵は本気を出していなかった? ──それとも、自分が弱くなった……?

 どうして?

 

「守ったのに怯えられちゃってかーわーいーそー!」

 

 ミーシャの嘲笑が頭上から降ってくる。

 瞬間的に膨らんだ殺気に横へ跳ねた瞬間、唸りをあげて落下する漆黒の長槍が耳元を擦過。重量級の槍は地面に着弾と同時に破壊エネルギーを伝播させ、足元が激震。泥を爆ぜ飛ばして延珠の視界が一瞬途切れる。

 

「妾は皆がッ」

 

 喉も裂けよと叫び、地面を踏み締める。

 

「笑っていられればそれでッ」

 

 泥のカーテンを蹴り抜いて、だが直後、蹴り足で弾ける反動と金属音。

 また盾で受け止められたのだと思ったら、奇妙な引力に延珠の身が前へ吸い込まれる。

 斜めになった円盾に、ミーシャの手前を横切るように運動ベクトルを逸らされたのだと悟ったときには、延珠はつんのめり、隙を晒していた。

 

 ハッとして視線を横へ振り抜けば、ミーシャの手元で既に引き絞られた長槍。漆黒の穂先が延珠を睨みつけていた。

 甲冑の手先が鋭く瞬くのと、延珠が身を捻るのはほぼ同時。

 直後、風切り音が延珠の脇腹を掠り抜け、穂の先端がコートを浅く割く。

 咄嗟に地面を蹴り付けて、中空へ跳ぶ。間髪入れず足元すれすれを過ぎる長槍薙ぎ払い。穂先がヒュンと風を切り足元の空気を根こそぎする。

 

 ──これなら!

 裂帛の気合を込めて吼える。空中で腰をツイスト。

 ウサギ因子の脚力を込めた人外の蹴りが空気を切り裂き唸りを上げ、ミーシャの甲冑側頭部に伸びる。

 だが到達寸前、軌道上に円盾が差し込まれ、硬質バラニウム同士が無音の衝突。

 束の間、運動軌道が打ち消されて延珠の身が空中で静止する。

 甲冑がケタケタ笑みを奏でる。

 延珠は確かに、甲冑の奥でミーシャが瞳を細めるのを感じた。

 

「あなた──ウソツキですね!」

 

「……ッ」

 

 遅れて、思い出したようにイニシエーター特有の膂力を間接的に受けた空気が破裂。パァンというインパクト音が屋上庭園を響き渡って、延珠の身が背後へ投げ飛ばされ、ミーシャの足元で泥が円状に抉れて跳ね返る。

 猛烈な勢いで滑り抜ける視界。有り余った反発力に身が持っていかれるのを、なんとか地面に足を蹴り付けて制動をかける。ぬかるんだ土を靴底が裂いて、左右に泥飛沫を散らす。

 限界を超えた肉体駆動に全身が悲鳴をあげていた。たまらず膝を突きかけ、歯を食いしばって耐える。

 

「本心からじゃないでしょう、子ウサギちゃん?」

 

 跳ね上げた視界の先、十数メートルの距離を隔てて甲冑が笑っていた。

 盾槍を鷹揚に広げ構え、ミーシャの赤眼が延珠を見つめていた。

 

「本当はありがとうって言われたかった! 延珠ちゃん大好き私は信じてるって言われたかった! ずっと一緒だよずっと友達だよって抱きしめられたかった! でも実際は、んふふ、ウソツキ! ウソツキ、ウソツキ、ウソツキィッ!」

 

 全身の産毛が逆立つ。

 沸き上がった怒りの温度で両目が赤く燃えるのを延珠は自覚する。

 力をさらに解放しようとして、ズキリとこめかみが割れそうな鈍痛が走る。モノリスの影響。こんなときに。

 

「お主は……ッ、お主さえ来なければッ、もっと──ッ!」

 

 砕けんばかりに地面を蹴り飛ばし、弾丸の速度でミーシャへと疾走。赤眼の軌跡を引いて距離を詰める。

 あとひと呼吸の間も無く必殺の間合いへと突入せんとする瞬間、ミーシャが円盾を振り抜きざまに投げつける。

 

「そんなものッ」

 

 空気を切り裂き恐ろしい速度で迫る円盾の軌道を捉えたときには、延珠は脚を跳ね上げていた。

 振り上げた爪先が盾を蹴り抜き、重い反響音が弾ける。のみに留まらず、撒き散らされる圧力衝撃波の荒波。強い反発力を受けたと思ったら延珠の身が大きく弾かれる。

 バック転の要領で延珠が地面に足を蹴り付けたとき、延珠は驚愕に目を剥いた。

 目と鼻の先にはミーシャが躍り出ていた。

 漆黒の甲冑が光を受けて鈍く反射。鏡面に歪んで浮かぶ延珠の表情。

 

 選択を間違えたと悟った時には全てが遅過ぎる。

 

「がっ」

 

 瞬間、全身が破裂したような激痛。

 ミーシャの肩からの体当たりが延珠の胸郭を貫き、メキリと嫌な音。出鱈目な質量と運動量が延珠の矮躯を穿ち揺さぶり、弾かれたように地面を小石同然に数度転がり腹臥する。顔面からぬかるんだ地面にぶつかって、頬を打つ泥だまり。

 起きあがろうとして、できない。

 バラニウムの甲冑はただの体当たりを致命打へと一変させていた。

 うつ伏せのまま力なく放り投げた視線の先、荒れ狂う粉塵の嵐が一寸途切れ、蓮太郎と目が合った。

 

「さよなら子ウサギちゃん。あなたは退屈するほど弱かった」

 

 

 *

 

 

「貴っ様あああああッ」

 

 延珠がやられた。地面に四肢を投げ出している延珠を見咎めた瞬間、カッと憤激が脳天を駆け上がり、蓮太郎は義足を撃発していた。

 乾いた炸裂音が弾けた直後、身を爆発的推進力が押し出し締め上げる加速負荷。

 

 一直線に延珠のもとへ駆け寄らんと疾走するが、そのとき視界の端を赤い残光が過ぎる。

 咄嗟に義足を力任せに地面へと叩きつけ、鋭い轍を引きながら無理やりの制動。跳ねる泥。めちゃくちゃな振動が視界を揺らした途端、蓮太郎の進行方向を光条の網が待ち構えたように埋め尽くしていた。超音速弾頭の通過で空気がひしぎ、着弾地点が爆裂。荒れ狂う圧力衝撃波が顔面を殴りつけて思わず目を細める。

 判断が一瞬でも遅れていれば貫かれていた──だがこの一手で終わる相手でないことを蓮太郎は理解していた。

 

 制動の勢いままに背後を向き直れば、二爪を構えたユーリャが地を蹴り弾丸の速度で突っ込んでくる。長銀髪を棚引かせて激進する速度に目を剥く。

 接近戦では勝ち目が薄い。左手のXD拳銃を跳ね上げ、照準。トリガーを引き絞り、肩を蹴り返す鋭い反動。バラニウム弾が大気を切り裂きユーリャに吠える。

 だがユーリャは跳躍もせず鋭いサイドステップで地面を刻み、弾丸の投網を全て掻い潜る。

 まずいと思ったときには、ユーリャの赤い眼光が鉤爪の間合いへと迫っていた。

 

 迎え撃つ他ない。足を踏み換え、ユーリャを真正面から睨み上げる。

 義眼が擦り切れるほどの限界駆動。かろうじて凶爪の軌道を捉え、義手を捩じ込む。

 瞬間、眼前で澄んだ金属音と火花が弾け、スピード特化型イニシエーターの極大運動量が蓮太郎の中で爆ぜる。ぬかるんだ土に両足を捻りつけ、歯を食いしばる。

 間髪入れずに長銀髪が翻り、鉤爪が再度吠える。スピード特化のユーリャに鍔迫り合うつもりはないのだ。

 

「退けよッ」

 

 躊躇いなく義足を駆動。黄金の空薬莢が回転しながら排出され、鼻腔を灼く硝煙臭。

 腰を落とし込み、義足で地面を踏み鳴らす。

 大口径薬莢一発分の威力を乗せた震脚が地面を浸透し、ぬかるんだ地面が陥没、直後に激震が足元を揺らし突き上げる。

 震脚がユーリャの足を舐める寸前、ユーリャが跳ね退いて回避。蓮太郎の思惑通りの近接拒否。

 

 跳躍により空を舞い上がったユーリャめがけて容赦なくXD拳銃を腰溜めして乱れ撃ち。頼む当たってくれ。蓮太郎の願いは澄んだ金打音が鳴り響いた瞬間、打ち消える。

 ユーリャは空中にいながら身を翻すと共に直撃弾のみを鉤爪で器用に切り払っていた。蓮太郎をして驚愕の身体操縦と見切り。

 

 撃ち尽くして硬直するのも束の間、背筋に悪寒が走る。まずい、立ち止まったら。

 直感に沿って視線を横へ投げると、粉塵の帷を切り裂いて三機のビットが編隊を組んで出現。朝顔菅の銃口に紫電が収束するより早く、無意識に義眼が弾道予測を遂行。

 予測線の間隙に身を滑り込ませた瞬間、熱線が肌を浅く割く。直撃を避けたと安堵する暇もなくぶち撒けられるソニックブーム。暴力的な空気の圧が蓮太郎の肉体を四方八方から蹂躙し、抵抗もできず暴威のままに吹き飛ばされる。

 

 揺れる視界の中、長銀髪が蓮太郎の眼前に躍り出る。

 隙間のない連撃に驚愕する暇もなく、横合いから唸りをあげてユーリャの二爪が迫るのを、がむしゃらに義手と義足を振りあげてそれぞれ迎え受ける。

 直後にズシンと腰に来る反動。生身の左足だけが地面を強く踏みしめるが、イニシエーターの膂力に押し込まれて轍を引く。

 奥歯を砕けんばかりに噛み締めて鍔迫り合いに耐える。

 

 目と鼻の先に浮かぶユーリャの氷の瞳。戦闘中にあって少女の瞳にはなんら感情は差し込まず、涼しい表情で蓮太郎を射抜いていた。

 

「何を必死になっているのです? あなたにとって延珠は何者だというのですか」

 

「家族だッ」

 

「欺瞞です。使い潰す関係を家族とは呼べない」

 

「それは、お前たちの方だろうが! ──延珠に自分を重ねてるんじゃねえよ!」

 

「ええ、私は道具です。家族ではないし──望んでもいないッ」

 

 そのときユーリャの赤眼が鋭く燃える。そこにどこか、軽蔑の感情が混ざり込んでいるのに気付く。

 

「何ができるというのです? 死しか与えないあなたに……!」

 

 ユーリャの両足が沈み込んだ瞬間、真正面から義肢を突き弾く強烈な膂力。片足立ちが祟って、気付けば吹き飛ばされていた。

 

「わかってんだよッ、そんなこと……ッ」

 

 思わずのけ反った視界を落とせば、既にユーリャが追撃に飛びかからんとしていた。

 爆発的な殺意の投射に蓮太郎の脳髄が沸き立つ。

 少女の踏み抜いた地面が陥没、砕けた破片が反動で飛び散る。

 迎撃しようと義手を前へ構えるが遅すぎる。

 激痛が肩口を抉り、視界の端に消え去る赤い残光。ユーリャが蓮太郎の脇を駆け抜けたと遅れて気付いたときには、視界に勢いよく噴き上がる血飛沫。激痛で目が眩む。

 鉤爪の鋭利な先端が蓮太郎の左肩を無惨に抉り抜けていた。左腕が力を失い、拳銃が抜け落ちる。

 

 呻く間もなく、赤い残光の尾が蓮太郎を追従するように縋り付く。

 追撃に睨みつけるビットの銃口を捉えた瞬間、演算予測を待たずに脚部撃発。脚部残弾、わずか二。炸裂音が弾けた瞬間、叩き落とすような強烈なGが蓮太郎を襲う。カートリッジ推進力による加速は一瞬にして蓮太郎を上空、ビットの射撃領域外へと弾き飛ばす。

 跳躍直後に、たった先まで蓮太郎の足があった領域を風切り音が駆け抜け、地面が超音速弾頭に斬り砕かれて爆散、跳ね上がった土くれが足下を飛ぶ。

 

 そのとき、蓮太郎の視界の片隅で景色のごく一部が揺らぐのを義眼が捉える。

 長方体をとる透明な揺らぎ。見回せば三つの揺らぎが空中の蓮太郎を取り囲むようにして出現。

 さっと蓮太郎の顔から血の気が引く。

 直後に、景色を切り取ったように前触れなく漆黒のビットが姿を見せる。違う、これはソードテールの──。

 三方向から睨みつける銃口。

 突然の出現に義眼の演算が遅れる。予測も回避も思考が間に合わず、蓮太郎はただ鋭く身を捩ることしかできなかった。

 

 鋭利な刃の網に全身を絡み取られ囚われたかのような錯覚が蓮太郎の脳を駆け巡った瞬間、光条が視界を縦横無尽に走り抜ける。纏うソニックブームが破砕音を重ねながら蓮太郎の全身を撫で、布切れが散り、肌がばっくりと裂け噴血。

 義眼の加速知覚が現象を理解し終えたあとに、嫌味ったらしくワンテンポ遅れて、全身を熱線が貫いたかの如き激痛が意識を蹂躙した。

 

「がああああああああッ」

 

 超音速の反動で乱れ狂う風圧に蓮太郎の肉体はなす術なく振り回され、次の瞬間、背中を強烈な衝撃が叩きつける。跳ね上がったように海老反りになり、肺が絞られて空気が強引に吐き出る。意識が途切れて義眼が強制終了。

 コンクリの壁に叩きつけられたのだと理解したときには、視界が滑ってぬかるみが迫っていた。

 咄嗟に足を前に踏み出そうとして、膝が笑って平衡を失う。地面に膝から落ちて、そのまま尻餅をつく。

 気付けば恐ろしい寒気に奥歯がカチカチと打ち震えていた。全身がぴくぴく痙攣を起こして、空気を吸おうとして、できない。末期の呼吸のような掠れた音がする。それが自分の呼吸音だと気付くのに時間がかかった。

 ゆっくりと身体に視線を回せば、全身至る所に鉤爪で切り刻まれたような跡が残っていた。傷口はクレバスめいた深度を持ち、血液がとめどなく溢れ出しては足元の血溜まりを広げていた。

 自分の惨状を視界に納めてようやく理解したのか、思い出したようにどす黒い血を吐く。

 

 一方で蓮太郎のひどく冷静な部位が、今の現象に説明づけようとしていた。

 視界に突然出現し、蓮太郎を取り囲んだ三機のビットは、間違いなく最初からその座標に存在していた。移動に伴う空気の震えを、研ぎ澄ました知覚が見逃しはしない。最初からそこにあって、なのに見えなかったのだ。

 蓮太郎はそのカラクリに覚えがある。

 

 光学迷彩能力『マリオット・インジェクション』

 かつて五翔会の尖兵ソードテールが見せた隠形の術である。

 彼は全身の皮膚にナノマテリアルを埋め込み、光の屈折を調整することで、その場にいながら誰の視界にも映らない盲点の存在となることができた。『四賢人』アーサー・ザナックが生み出した光学制御の頂に立つ技術だ。

 

 なぜ今まで使わなかった? 考えるまでもない。蓮太郎の義眼を欺くためだ。

 蓮太郎の義眼は銃口の動きから弾道を予測できる。当然、その銃口を隠してしまえば予測は不可能。回避できる道理などない。

 蓮太郎はビットの猛攻から逃げきったのではない。

 誘われたのだ。あの空域に。必殺の領域に。

 奴はもっとも効果的に、致命的に機能する瞬間を待ち構えていたのだ。

 強い。逃げる隙さえ与えぬ超高速連携に、静かに致命の罠を張り巡らせる知略。

 これが七十七位、アンドレイ・リトヴィンツェフとユーリャ・コチェンコヴァの本領。

 

 肉体の操り糸がぷっつり切れてしまったように、四肢に力が入らない。

 斬首刑を待つように項垂れる蓮太郎の下向きの視界に、軍靴が入り込む。

 見上げれば、ゾッとするほどの無表情でユーリャが見下ろしていた。

 

「蓮太郎! 蓮太郎ぉッ、いやだっ、蓮太郎ぉッ」

 

 ユーリャの背後で、這いつくばった延珠がこちらに手を伸ばすのが見える。

 蓮太郎も届けと手を伸ばす。当然届かない。守れやしない。

 生身の左手は鎌鼬に割かれて血と泥に染まっている。こんな手で、延珠に平穏をと願ったのが間違いだったのか。だが義手はそれ以上に血で穢れている。ならば間違いは、手を伸ばしたそれ自体に端を発しているのか。選択を誤ったのはいつだ。

 延珠は叫び続けている。目尻を切ったのか、涙と血が混ざって淡い赤色が延珠の頬に落ちる。そんなに傷ついて、だが自分のことなど眼中にないように延珠は手を伸ばし続けている。

 

「蓮太郎ぉッ……れんたろぉ!」

 

 ──延珠。

 すまない延珠。俺じゃお前を守れない。すまない。

 蓮太郎が斃れたその先に広がる延珠の運命など想像したくもなかった。この地獄を作ったのが俺の過ちだと言うのなら、お願いだから、神様、殺すのは俺だけにしてくれ──。

 蓮太郎は瞑目して何処にいるとも知れない神に縋った。

 生きる意思が氷点まで落ち込み熱を失うのを自覚する。俺は終わる。今、ここで。

 

「さよなら。これがあなたの終わりです」

 

 ユーリャが鉤爪を振り上げるのが、義眼を発動していないにも関わらずひどくゆっくりに見える。

 視界を闇が侵食していって、延珠の叫びも遠ざかる。これが死なのか。

 

 突如、ユーリャが何かに気づいたように目を剥き、素早く飛び退く。

 

 次の瞬間起きた現象を、すぐに理解するのは困難を極めた。

 ハッとして目を見開くと、直後に眼前を薙ぐ暴風。見えざる手刀が打ち付けられたように地面が横一文字に断裂し、鈍い切断音が轟く。

 大気の絶叫を知覚した瞬間、ユーリャの回避位置を見定めて不可視の斬撃が再び到達。寸前でユーリャの前に躍り出たミーシャが盾を構えて、打ち弾かれた剣圧が一帯の空気を揺らし、葉を散らす。

 新手? 違う。明確にユーリャを狙った斬撃。あとほんのわずかにユーリャが飛び退くのが遅ければ、ミーシャの反応が遅れていれば、無惨に体を切り開かれていたはず。──斬撃? 

 それを斬撃だと蓮太郎が無意識に理解したのは、この攻撃を知っていたからだった。

 そうか、これは──。

 

「──射程距離のある斬撃ッ?」

 

 叩きつけるような風圧に甲冑を奏でながら、ミーシャが喜悦した声音で叫んだ。

 

「いいッ。お手並み拝見!」

 

 ドゴォッという轟音に蓮太郎が視線を斜めに向ければ、プラントビル高層階、壁面で爆発が起こり、白煙が膨れ上がる。

 戦闘勘がそれは踏み込みによるものだと蓮太郎に告げたときには、視界の端でミーシャが構えをとっていた。

 直後、高速飛翔体によるソニックブームを撒き散らしながら、水色武士が甲冑騎士に急降下爆撃じみて降り注ぐ。

 盾と双剣が衝突した瞬間、鐘が割れたかのような破砕音が弾け、災害じみた暴風が蓮太郎の身を激しく打ち叩いて吹っ飛ばされる。数度転がって伏せ体勢に移り、蓮太郎がなんとか顎を跳ね上げた頃には初撃は終わっていた。

 

 盾に弾かれた少女は空を駆け上がって、長い黒髪を空に置き去りにし、ミーシャから距離を取って音も立てずに着地。

 初撃を防いでみせたミーシャの足元には無惨な亀裂が走っていたが、構わず追撃に飛び出す。

 殺意の投射が行われ、双方が地を蹴り一瞬で肉薄する。

 二人の少女が得物を抜き放つのは同時だった。

 泥を蹴り跳ね、腰をツイストさせながら舞い踊る幾条の双剣軌道。その全てをミーシャの盾槍が迎え撃つ。おそらく共にパワー特化型でありながらスピード特化型に匹敵する神速の攻防。大気の壁をぶち破り轟音を纏った二つのバラニウム武器が激突するたび、地面が爆発したように土くれを巻き上げ衝撃波が波打ち、花も樹木も根こそぎ吹き飛ばしていく。

 殺到する螺旋の暴風に、蓮太郎は咄嗟に顔を腕で覆って庇う。うつ伏せ状態でも剥がされそうなほどの風圧に目も開けていられない。地震が起きたかと錯覚するほどの激震が蓮太郎の胃を叩き上げる。

 かろうじて薄く目を開けたら、円盾が恐ろしい速度で武者少女に飛び出すところだった。

 武者鎧の少女は双剣を水平に翻して受けるが、蓮太郎がインパクト音を聞いた瞬間には少女は吹っ飛ばされ、靴底で地面に轍を刻みつけながら制動、蓮太郎のすぐ脇で止まる。

 

「この者、できる!」

 

 水色をした武者鎧型エクサスケルトンの腹部に無惨なヒビが入っていた。

 双剣で受けた瞬間、空いた腹に膝蹴りを打ち込まれたのだと蓮太郎は遅れて気付く。衝撃吸収繊維によって痛打には至らなかったようだが、なおこの威力。

 武者鎧の少女は浅く息を吐いて、薄く閉じていた目をあけて蓮太郎を見やった。

 

「間に合ったようでなによりです。蓮太郎様」

 

 静かに佇む和装少女は、水色の武者鎧型エクサスケルトンを纏っている。

 手には亡くなった我堂長政から受け継いだ双剣。持ち柄を中心に左右に刀身が伸びる両刃の奇剣を、難なく操るのは壬生朝霞だった。

 

 ミーシャが甲冑を軋ませながら、槍をこちらに突き向けた。甲冑の肩当てあたりが斬り飛ばされているが、動きに支障はない。

 朝霞は冷ややかな視線を返す。

 

「あなたが壬生朝霞?」

 

「賊に名乗った覚えはありませんが」

 

「やっぱりあなたなんですねぇ。く、ククッ。東京エリアの脅威筆頭と手合わせできるなんて幸せです」

 

「私に敗北することが、あなたの望みなのですか」

 

「何寝言ほざいてるんですー? あなたをぶっ殺して褒められるからですよ? 壬生朝霞──恐るるに足らずッ」

 

 甲冑の奥で赤眼が光量を増して、死刑宣告とばかりに一帯の殺意の濃度が氷点に達する。

 朝霞も呼応するように眩い赤眼を晒し、双剣を低く落として構えを取る。

 

「夢から醒めていないご様子」

 

 蓮太郎は状況の変化に理解が追いつかない。

 

「お前、どうして」

 

「未織様の命です。一人で飛び出した阿呆をお願い、と」

 

 未織……。

 ひどい言われようだが、彼女の無事を確かめられて安堵の息を吐く。

 

「その阿呆はお前も含めるのか?」

 

 低い声に首を巡らすと、メイエルホリドが小銃をこちらに照準していた。

 銃口が蓮太郎たちを睨みつける。だが朝霞は一切のアクションをとらない。水のような佇まいで笑みをこぼした。

 

「私だけじゃありませんよ」

 

「なに?」

 

 空を蹴り出す破裂音。だが銃声ではない。

 メイエルホリドがハッとした表情で小銃ごと身を引く。間髪入れずに凄まじい勢いで飛び出してきた金髪の少女の飛び蹴りが、コンマ秒前に兵士の顎があった領域を擦過。ぶぉんと風が鳴ってメイエルホリドの前髪を吹き乱す。

 突き抜ける風となって金髪少女が兵士の脇を通り抜け、遠く着地しざまに振り向き叫ぶ。

 

「兄貴ッ」

 

「応よッ」

 

 庭園の影から見計らったように筋骨逞しい金髪長身の男が姿を現す。体勢を崩した同じく巨軀のベラルーシ人兵士に獣の速度で駆け迫る。

 

「新手ッ、身内か!」

 

 メイエルホリドが迎撃に小銃を構えようとして、だがその瞬間、不自然に腕が動きを止める。銃口はまるで金縛りに抵抗するよう震えていて。

 陽光に当てられた小銃がキラキラと何やら光を反射して、そうかと蓮太郎は腑に落ちた。

 第三次関東会戦で彼らと共に戦った蓮太郎は、彼女の能力を知悉していた。

 目を凝らせば腕の周りをキラキラした糸が何重にも絡まっている。──クモ糸だ。先の飛び蹴り回避の時点で仕込みを終えていたのだろう。

 

 おそらくメイエルホリドが事態を把握した頃には、金髪の男はステゴロの適正圏内に突入していた。金髪の男が振りかぶった手甲は漆黒。バラニウム製ナックルダスター。

 メイエルホリドは焦りも見せず、即座に小銃を放棄ざまナイフを抜き放って迎え撃つ。拳とナイフが激突。互いに恵まれた体型から放たれる一手は着弾と同時に空気を震わし拮抗する。

 

 だが蓮太郎は、金髪の男の恐ろしさがこの程度では終わらないことを知っている。

 突如旋回音が鳴り出し、ナイフがギャリィッと破滅的な音を火花と共に撒き散らす。

 危険を察知したか、跳ねあがるようにメイエルホリドが後退。的確な判断で距離を取る。

 たたらを踏むメイエルホリドは何が起こったのか理解が追いつかない表情で手元の得物を見やるが、そこで眦をかっ開いて驚愕に呻く。

 ナイフは刃こぼれしていた。ナックルダスターの溝に後付けされたチェーンソーが、バラニウム製アーミーナイフを無惨に切り刻んだのだ。

 

「マーク、危ない!」

 

 硬直するメイエルホリドの前にミーシャが躍り出る。盾を構えた直後、音叉を突いたような音が唸り、甲冑を地面に食い込ませながら後退。

 何者かの狙撃。まさか、彼女も……?

 

「見ない間に不幸面が増したか、ボーイ?」

 

 失血で蒼白となった顔色を、長身の男が揶揄する。目元で飴色のサングラスが鈍く光を反射。黒のフィールドジャケットは筋肉で張り裂けそうなほど。曝け出しているシャツは相変わらずふざけたデザインをしていた。

 

「ちょっとッ、なにやられてんのよ! ティナやん泣かせたら承知しないんだからねッ」

 

 大樹の枝に膝を撓ませて着地した金髪少女は、跳ねっ返りながらぷりぷり怒りを撒き散らす。黒エナメルのダメージジャケット、首には厳ついスレイブチョーカー。左右に揺れる金髪は明らかに染めた色合い。

 両者共に、蓮太郎がよく知る人物だった。

 

「片桐兄妹……ッ?」

 

「ゆ・づ・き! 弓月だ! いい加減名前覚えろ、このヘンタイ!」

 

 ビシッと指を突き出してがなる弓月に気圧される。前に呼び捨てたときは怒ったじゃねえかとは口に出さない。

 蓮太郎と弓月の合間を縫うようにして、ゆらりと球形ビットが現れる。

 シェンフィールド。観測支援に特化したビットが三機、蓮太郎を守護する軌道をとって旋回する。

 

「ティナ、なのか。お前も?」

 

 ビットは首肯するように縦に一回揺れた。発話機能がないのが惜しまれる。先の狙撃はティナがこのビットを経由し、戦場を把握して撃ったものだ。

 いつの間にかに傍に顔を寄せていた朝霞が補足する。

 

「縁あって協力を申し入れました。彼らならいつでも駆けつけてくれるだろうと」

 

 鈴鳴りの声を遮って、「おらよっと」という掛け声と共に蓮太郎の前にやってきたのは弓月の兄、片桐玉樹。

 

「それじゃオレっちたちが仕事ねーみてえじゃねえか。借りを返しにきたんだよ、あのときのな。そこんとこ勘違いすんなよ」

 

「仕事はないじゃん、実際」

 

「余計なことは言うなよ、マイスウィート。……まあ、そういうこった。事情は聞いてる。この事態、オレっちが引き受ける」

 

「だめだッ、こいつらは危険だ。殺されるぞ」

 

「うるせえ。テメェは寝てろ」

 

 ハーフフィンガーグローブを通した玉樹の太い指が蓮太郎の額を小突き、蓮太郎は痛みで思わず顔を顰める。

 玉樹がサングラス越しに蓮太郎を見下ろしていると、ブォンという羽音が庭園に降り立った。

 

「それがお前の軍勢か。愉快な連中だが実力は確かなようだ。お前には惜しい程度には」

 

 見れば、今まで静観を決め込んでいたリトヴィンツェフが花を踏み躙って蓮太郎を見据えていた。纏うエクサスケルトンは三対六翼。

 玉樹は不快を示すように唾を吐き捨て、マテバ拳銃を引き抜き睨む。

 

「コイツの兵隊になった覚えはねぇよ。そう言うテメェは敵さんの大将か? 愉快な格好してんじゃねえか。これからぶっ壊すのが楽しみだ」

 

「私も楽しみにしていよう。お前の何が壊れれば、許しを乞い始めるのかを」

 

 挑発もリトヴィンツェフは薄い笑みで跳ね返す。

 玉樹の纏う温度が急速に冷え込んで、それを察知したのか弓月もこちらに跳躍。玉樹の背後に隠れる形で、蓮太郎の横へ降り立つ。

 

「兄貴。あたしは大丈夫だから」

 

「……ああ。このいけ好かない連中をタコ殴りにしてやろうぜ」

 

 ティナのビットの軌道をさらに囲むように、玉樹、弓月、朝霞がそれぞれ得物を構え、敵方も狙撃を警戒してか、リトヴィンツェフを守護するように三方を固める。奇しくも互いに王将を守る構図。殺意の触手が伸びて互いの陣営を焦燥が焦がす。

 そこでハッとする。延珠は?

 庭園に首を巡らせ、すぐに傷つき横たわった延珠を、白尽くしの聖天子が抱き起こしているのを見つける。最後に見た時よりひどくぐったりとしていて、気を失っているのか何も声を上げない。

 今すぐにも走り寄りたい気持ちに蓮太郎は駆られるが、耐えた。今、リトヴィンツェフらの注意は蓮太郎たちに向いている。彼女たちを認識させたくない。だが放置もできない。どうする?

 

 蓮太郎の没入していく思考を引き上げるように、屋上庭園にサイレンの音が響いた。

 すぐに警察車両だと気付く。ハチが羽音で空気を震わしながら殺到するのを蓮太郎は幻聴する。唸りながら高音になっていく合唱はパトカーが大挙して近づいているのを如実に両陣営へ示していた。

 プラントスタッフはテロではないかと指摘していたから、テロ対策に特殊強襲部隊(SAT)も駆り出されているに違いない。いかに強力なイニシエーターやエクサスケルトンを駆使しても国家相手には旗色が悪いはずだ。

 沈黙を保っていたリトヴィンツェフが青白く焼けた顔に微笑を刻む。

 

「時間だな」

 

 ついに動くかと蓮太郎が身を強張らせた瞬間、ラッパ型ビットが赤い尾を引いてリトヴィンツェフに纏わりつき、機巧音と共に翼に収まっていく。

 

「私は階下の兵を引き連れて撤退する。マーク、殿は任せる」

 

「御意」

 

 メイエルホリドが遵守を示すのを尻目に、玉樹がいきり立つ。

 

「待てよ! 尻尾巻いて逃げんのか? 根性のねえテロリスト様だなオイ」

 

「いいのか? これ以上続ければ、貴様が大切な者を失う時期が早まってしまうが」

 

「行かせるわけねえだろ!」

 

 叫びと共に爆発と同等する轟音が弾け、甲高い金属音が被さる。

 玉樹の握るマグナムリボルバー銃口から白煙が立ち上り、ミーシャの盾がリトヴィンツェフの前に立ち塞がっていた。玉樹の指が怒りの温度で引き金を引き、ミーシャが盾で弾いたのだ。

 

「届かせるわけがないでしょう、おにーさん?」

 

 甘ったるく弾んだ声が甲冑を軋ませ笑った。

 リトヴィンツェフがこちらを睨みつける。

 

「終幕の時は近いぞ、里見蓮太郎。お前は自分の無力さを噛み締めながら、愛するものの死を目にすることになる。同情するよ」

 

 その輪郭がまどろみに溶けていく。『マリオット・インジェクション』行使による隠密化。

 

「だが、それがお前の選択、その結果だ」

 

 リトヴィンツェフの姿が完全に消失。そんな中で声だけが確かなものとして蓮太郎に届いた。

 リトヴィンツェフの退場を皮切りに両陣営が動き出す。

 戦場を覆う殺意が緊縮したと蓮太郎が知覚した瞬間、誰よりも早くユーリャが地を蹴り飛び出す。玉樹たちもシェンフィールドのみを防衛に残して疾走を開始。

 赤い軌跡を引いて恐ろしい速度で迫るユーリャの足元を、四方から殺到したティナの狙撃弾が根こそぎ。かろうじて進行方向を変えると、ユーリャは弓月の張り巡らせた糸の結界内に誘き寄せられている。

 待ち構えていた弓月は折れた木を足場にしてジグザグに跳躍し糸の結界を展開増築、ユーリャの足を止めにかかる。だが既にトリックを見破ったのかミーシャが盾を振りかぶり結界を破壊せんと投擲する寸前、朝霞が激突し二者は剣戟に移る。朝霞の意識外からメイエルホリドが銃撃を加えようとして、殴りかかる玉樹に妨害される。

 

 一瞬にして戦闘から切り離された蓮太郎は、這々の体で延珠と聖天子のいるウッドデッキの残骸まで向かおうとする。

 蓮太郎の周りを旋回するシェンフィールドがふと何かに気づいたように上を向いた瞬間、ガキンと弾ける快音と火花。

 カメラアイに無惨な風穴を開けられたビットは項垂れたように目をを伏せると、光を失って力なく落下、火花を吹き出しながら転がる。

 狙撃されたのだと気づくのに、時間がかかった。どこから?

 

 我に返った蓮太郎は、煉瓦仕立ての東屋に転がり込んで、柱の影に身を潜める。

 狙撃手を捕捉せんとビットが慌ただしく不規則軌道で駆け回る。蓮太郎も釣られて顎を跳ね上げ、プラントビルの窓際を見回すが狙撃手の影はない。そうこうしているうちに残るビット二機も快音と共に次々とロスト。

 姿の見えない狙撃手の存在に、司馬重工から逃走するリトヴィンツェフ一派を追おうとしたときの一幕を思い出す。

 敵には狙撃手がいる。それもカートリッジ加速時の蓮太郎や、観測支援に特化したビットを一方的に撃ち破るほどの技量の持ち主が。

 

 まさかと思って空に目を向ける。

 顔面に容赦なく降り注ぐ陽光に腕をかざして目を細め、そこで青空に小さな黒点が浮かんでいるのを捉える。鳥類のシルエット、だが人間サイズ。イニシエーターなのか。上空からの狙撃。ばかな。

 だが蓮太郎の悪い予感を裏切らずチカッと銃のレンズ反射が起こる。

 

「狙撃手だ! 空にいる!」

 

 蓮太郎が真っ青になりながら叫んだのと、延珠の目がばっと見開かれるのが同時。

 跳ね起きた延珠が傍の聖天子に飛びついて押し倒し、直後に足元が爆発したように土を噴く。動物的直感によるぎりぎりの狙撃回避。

 頼もしいが、ここにいて欲しくない。

 

「走れ延珠。聖天子様を連れて」

 

 延珠の瞳が蓮太郎とぶつかり、目を赤くさせて頷いた。

 

「任せろ!」

 

 延珠がもはや慣れた手つきで聖天子を小脇に抱えると、悲鳴も待たずに大跳躍。あれよという間に屋上庭園の端から飛び降りて消える。

 これで気がかりはないと胸を撫で下ろす暇はなかった。

 弓月の包囲網に囚われていたユーリャが延珠の飛び降りた方を見定めて結界を突破。庭園の端へ飛び込むユーリャを見咎めて悲鳴を漏らしかける。

 延珠対ユーリャという悪夢じみた対戦カードに蓮太郎は浮き足立つ。吐血すら気にかけずに追おうとしたところで、肘をぐいと巻き取られ止められる。振り向けば焦った表情の弓月。

 

「延、珠……ッ。延珠がッ」

 

「落ち着きなよ。すごい怪我だよ」

 

「でも」

 

 弓月の背後からミーシャがタックルの要領で迫るのを見て、咄嗟に弓月の腕を跳ね除け、地面を踏み躙ってミーシャを睨む。

 意図を察したのか弓月も膝を撓ませて跳躍姿勢。

 だが弓月が地面を蹴り出すよりも早く、蓮太郎が動く。たった先ほどまで力が入らなかったのをなけなしの気力を振り絞り、飛び出していた。

 

「ああもう、一人でッ」

 

 弓月の小言も背後に置き去りにして、蓮太郎の身は風と一体化し距離を渡る。

 蓮太郎のカートリッジ式爆発力を知ってか、ミーシャが足を踏み締めて受けの姿勢に移行。

 一挙一足の間合いに両者が入ったと同時に、蓮太郎は足で地面を踏み締める。撃発の予備動作に、ミーシャが盾を斜面に構え、完全に足が止まる。

 今だ。

 蓮太郎の跳ね上げた足が、斜面がかった盾に接触。だが蹴りではなく、勢いままに盾を駆け上がる。

 

「こんの死に損ないがぁッ」

 

 盾を上に弾くのを見計らって、義足撃発。パァンというインパクト音が鳴り響き、カートリッジ一発分の爆発力が踏み込みと一体となってミーシャの盾を踏み潰す。

 イニシエーターの膂力とカートリッジ式跳躍が合わさっての大跳躍。

 

「──踏み台にしたッ? この私をッ?」

 

 呆けたミーシャの声も下方へ遠ざかり、気付けば蓮太郎の身は上空へ移動していた。

 蓮太郎は今にも気を失ってしまいそうな加速機動の中、視線を下ろし、屋上庭園の端から伸びる壁を見下ろす。

 ほぼ垂直を形成する高壁を、延珠は小さく飛び出したブロックに足をかけて、器用にも三角跳びの要領でジグザグ跳躍して勢いを殺してから、はるか下方の駐車場に着地。

 ユーリャもまた鉤爪を壁面に突き刺し、ガリガリと轍を引きながら落下速度を制動。一定の高度に達した瞬間、壁面を蹴って駐車場に着地する。

 ほぼタイムラグなしに両者が疾走を再開し、車両が高速で通過する国道へ飛び込み姿を消した。

 

 焦りが湧き立つのを必死に鎮めて、視線を庭園に戻す。

 メイエルホリドと玉樹が格闘戦を繰り広げているのを視界に収め、空中で脚部撃発。最後の一発。

 炸裂音に気づいてメイエルホリドが顎を跳ね上げこちらを睨みつける。構わず、撃発の勢いままに急降下しざまの飛び蹴り。

 いち早く脚撃軌道を見切っていたメイエルホリドが飛び退って回避。メイエルホリドの眼前を蹴り足が擦過し、地面に着弾する。

 振り向く必要もなく、近距離にメイエルホリドの勝機を確信した目。カウンター狙いで大きく下がることを選ばなかったのだと蓮太郎は即座に悟る。

 それがメイエルホリドの敗因だった。近距離における天童式戦闘術の絶対性。

 この間合いこそ蓮太郎の得意領域だった。

 

 蓮太郎は落下の硬直も身のこなしでいなし、即座に足を踏み換え、メイエルホリドの足先を義足の踵で踏み躙る。圧倒的な硬度を誇る超バラニウムによるスタンプはなんら防御策を講じていなければ粉砕骨折は不可避。

 痛みでメイエルホリドがうめきを漏らすのとほぼ同時に、義腕を叩きつけるようにして肩からの体当たり。

 

 天童式戦闘術三の型九番『雨奇籠鳥(うきろうちょう)

 

 足を踏まれた状態での体当たりは威力を背後に逃すことを許さず、強制的に留められた勁力が全身の筋骨を蹂躙する。

 メイエルホリドがよろめいたときには、蓮太郎は素早く前をすり抜けて庭園の端に滑り込んでいた。

 

「クールになれッ、ボーイ!」

 

 取り残された玉樹の声かけも置き去りに、端に辿り着きざま倒木に足を乗り上げ、勢いまま下を覗き込まずに身を空に躍らせる。空を蹴る足。

 飛び降り後になってようやく視線を落とせば、真下を伸びる道路が思ったよりも近くに感じられてアドレナリンで遠近感が狂っているのを自覚する。

 顔を押し上げる豪風に怯みそうになるが、構わず義肢シリンダーを両方開き、義手から残る五つのカートリッジが飛び出し空を舞う。右手で風ごと薬莢をまとめて掴み、脚部シリンダーに滑り込ませるように挿し換え(リロード)

 ガシャンとシリンダーが閉じたときには地面が眼前に迫っていた。

 乱暴に足を下に突き出して地面に叩きつけた瞬間、ズシンと衝撃が足裏から頭頂まで突き抜け視界が揺れる。

 歯を食いしばり耐え、姿勢を低くしたままスプリンター姿勢に移行。すぅっと息を鋭く吐いて、顎を跳ね上げる。

 

 刮眼。義眼解放。

 拡張された知覚がはるか前方、高速で擦過する車両の合間、疾走し続ける延珠とユーリャを捉える。

 義眼に内蔵されたレンジファインダーが目標との距離を計測。眼前、二百メートル、撃発(ファイア)

 

 義足内部で炸裂音が弾け、吐き捨てられた空薬莢が螺旋を描く。次の瞬間、押し出すような加速感に身を任せて車道中央線を疾走。

 顔面を叩きつける剛風に目も開けていられない。一瞬のうちにトップスピードに到達した蓮太郎の身はあっという間に走行する車両を追い抜き、すぐ横を対向車線の車両が音を立てて擦過。

 右折に乗り出した車両をあわや飛び越え、そこで騒ぎが起こらないことに気づく。脇目で運転席を見れば人の姿がない。無人運転か。外周区に敷き詰められた各種プラントへの資源運搬用トラック。

 

 前方に視線を投げれば、闇をくり抜いたようなトンネル口が車列を飲み込んでいるのが見えた。トンネルに向かって疾る延珠とユーリャの隔たりは恐ろしい速度で埋められていく。聖天子を抱えた状態ではスピード特化同士の帰趨も見えている。まずい。

 さらに二回撃発させて再加速すると彼我の距離が見る見るうちに縮まっていく。

 このままトンネルに入り、一気に距離を詰めようとしたところで足元の車道を影が覆った。

 

 蓮太郎の背筋に嫌な予感が駆け巡る。勘に従って身を捻ると直後に鋭い足が脇腹すれすれを擦過。

 避けたと思った瞬間、真横で鋭い旋回音が風を切った。

 間髪入れず、脇腹を突き抉る硬い衝撃。

 メキリと嫌な音がして、全身を横に持ってかれる力で跳ね飛ばされる。

 

 まずいと思った時には体勢が崩れて視界がめまぐるしく回転。滑る視界にアスファルトを掠めて恐怖が思考を支配する。加速機動中の落下は、高速回転する鋸に身を削られるようなもの。

 遮二無二腕を投げ出して、地面に体が打ちつけられる寸前、手のひらに冷たい感触が跳ね返る。触れたものが何かと考える間も無く力の限り掴んで体を持ち上げる。

 気づいた時には蓮太郎はトラックの荷台の上に伏せ、浅い呼吸を繰り返していた。咄嗟に掴んだのはコンテナの角だったのかと、遅れて気付く。

 

 怪物の唸り声に似た風鳴りと共に視界いっぱいに闇の帷が降り、音が跳ね返って響く。トンネルに突入したのだ。

 時速百キロ近い速度で走行する車両上にいるせいで、真正面から強烈な向かい風を受け、破れた制服が激しくはためき頬を打つ。トンネル内部でこれほどの風圧ということは、外に出たら立つことすらできないのではないか。

 

 風を切る音に顎を跳ね上げれば、蓮太郎と同じコンテナの上に有翼の少女が降り立っていた。コンテナ前方、進行方向に立ち塞がるかたち。

 茶と黒で二分する膨れ上がった鳥類の両翼。両翼から枝分かれするように伸びる両腕はクリアブラックに輝いている。義手だろう。握っているのは狙撃銃。蓮太郎の脇腹を抉ったものだと直感する。

 翼に狙撃銃という組み合わせに、蓮太郎ももう認めるしかなかった。

 

「また道路に落とされたい?」

 

「お前が上空の狙撃手ッ?」

 

 少女は翼を震わせて目を赤く発光させる。

 

「勝手に名付けないで。私はサーニャ。序列元百五十八位、モデル・ケストレル。アレクサンドラ・チェルトポロフ。見ての通りの『魔女の眷属』だよ。遺言くらいは聞いたげる」

 

 高位序列者の名乗りに、蓮太郎は内心で毒吐く。

 ただでさえ鋼鉄製のコンテナは滑りやすいのに、加えて蓮太郎のブーツは先の庭園戦で泥に塗れている。不安定かつ狭い足場。視線を脇に落とせば高速で滑り抜けるアスファルトの地面。落下すれば命はない。

 

 ──延珠はッ?

 少女の背後を覗き込めば、進行方向やや前方を延珠とユーリャが疾走、トンネルを先に抜けるところだった。だが両者の距離は前見た時よりも狭まり、今にもユーリャが追いつき鉤爪を振るいかねない距離。こんなところで時間をロスしている場合ではない。

 

「そんなに気になる? 行かせないよ」

 

 膨れ上がった殺意の圧に蓮太郎の思考が途切れる。

 サーニャは狙撃銃を道路に放り投げると、義手でナイフを引き抜き構えを取る。

 少女の背後から半円状の光が接近する。トンネルの出口はすぐそこに迫っていた。

 蓮太郎は滑らないように気を払いながら、コンテナを踏み締めて立つ。

 

 トンネルを抜けた途端、吹き付ける風が一際強度を増すと同時にサーニャがコンテナを蹴る。鬼人の如き踏み込みは鋼鉄製のコンテナを容易くひしゃげさせ、振動余波が蓮太郎の足元を揺るがす。

 敵からすれば凄まじい追い風、風と一体化したナイフの速度は残像を幻視する域。紛れもない絶技に目を剥く。狭いコンテナ上に逃げ場などない。

 

 義眼の予測演算が致死軌道を描画するやいなや、死に物狂いで回避。蓮太郎のすぐ横を抜けた腕を脇に担いだ瞬間、身を鋭く捻りながら深く潜り込むようにして膝を突きコンテナ面に鼻がつくほどの超低空姿勢に。相手からすれば視界から蓮太郎が一瞬にして消えた形。息を呑む音。背中に相手の片足が引っかかる。足が滑るのも構わず、相手ごと跳ね上がって投げる、柔道でいう低い背負い投げ。

 予兆なく投げられた敵は顔面からコンテナ面に叩きつけられるところで身を捻り、かろうじて受け身を取って天を仰ぐ。

 

 すぐさま立ち上がった蓮太郎は、直後、ふくらはぎを横合いから叩かれたような衝撃を受けた。

 まずいと思った時には地面が急に横滑りしたような錯覚に襲われ、蓮太郎の体が回転、視界いっぱいにコンテナ面が飛び込んできて、顔面から倒れ込む。

 勢いままに体が滑って危うくコンテナから落ちそうになるのを、慌てて義手で出っ張りを掴んで静止。

 一体何が起きた? 視線を床面に投げれば、サーニャの翼が床面と並行に目一杯広げられていた。広げた翼で蓮太郎の足を掬い上げたのだと遅れて気付く。

 

 即座に起き上がる二人。

 直後に蓮太郎の目線がサーニャの背後に迫る標識を捉えた。

 目線だけで察知したのかサーニャがその場で小さく飛翔し、背面も見ずに標識を飛び越える。

 こちらも咄嗟に義手を前に構え、そのまま標識に激突。ぶち破る。反動で足を取られそうになり冷や汗をかく。

 

 目の前が開けた瞬間に蓮太郎が見たものは、唸りをあげて迫るサーニャの蹴り足だった。

 まさかの置きドロップキック。停空飛翔。直前まで標識で視界が覆われていたために演算が間に合わない。

 

 鋭い蹴りが義手に突き刺さり、イニシエーターの渾身の蹴りに滑る足場で耐え切れるわけもなく車上から押し除けられ、空を蹴る足。

 後ろに吹っ飛ばされたと知覚した瞬間、背中を打つ衝撃に息を吐き出す。後続車のフロントウィンドウに叩きつけられてガラスがクモの巣状の亀裂。わずかに身がガラスと共に車両に沈み込んだと思ったら、車が制動をかけ、やや進んでから停止。追突の慣性に吸い込まれて、ボンネットから道路上に転がり落ちる。

 笑う膝に手を突いてなんとか起き上がる。なんの騒ぎもないなと運転席を見れば無人だった。自動運転が異常を検知して運転を停止したのだ。

 

 平衡感覚を失い、ふらつきながらも蓮太郎は敵の姿を探す。このダメージでは撃発で加速して追うことすらできない。事実上の追跡レースからの脱落でありながら、蓮太郎の心はいまだ諦めてはいなかった。

 いた。サーニャは空中にいながら静止体勢のまま、蓮太郎に追突した車の後方へ置き去りにされていた。彼女は空中の一点に文字通り静止できるらしい。それも精密さが求められる狙撃ができるほどに。冗談じゃない。

 蓮太郎が呻いていると、サーニャが静止体勢から翼を大きく羽ばたかせて滑空を開始。

 このレベルのイニシエーターを放置はできない。

 蓮太郎の真上を通り過ぎる瞬間、蓮太郎は咄嗟に少女に飛びかかり、両足にしがみついていた。

 

「なッ。離せっ、このッ」

 

 さすがに予想外だったのか、サーニャが目を剥き、空中で体勢が崩れて羽ばたきが粗雑になる。

 そうこうしている内に再度のトンネル突入。暗闇が立ち込める口に瞬く間に吸い込まれ、等間隔に設置されたナトリウムランプがトンネル曲面に縞を描く。

 立て直しと振り払いを狙っての旋回行動に、蓮太郎の視界が回り、ゾッとするような浮遊感に振り回される。視界にトンネル壁が飛び込んできて、危うく摩擦する寸前、がむしゃらに義足を蹴り付けて回避。薄暗闇に弾ける火花。

 

 助かったと冷や汗をかいた直後に、横っ腹から軽トラに叩きつけられて背骨が折れたかと思うほどの激痛に目が眩む。

 だが死に物狂いで蓮太郎は少女の下肢に絡みすがる。カートリッジは残り二発。移動に使えない以上、もはや彼女に連れて行ってもらう以外に活路はない。

 

「ぜってぇ離さねえ……ッ」

 

「お前、このッ、気色の悪いやつッ」

 

 頬を打つ風に前方を見れば、百メートルもない先に光が広がっていた。トンネルを抜けた先に広がっているのはジャンクション。延珠がその中央に立ち尽くし構えをとっているのを義眼が捉える。聖天子の姿はない。道中に隠した? ともかくユーリャを待ち構える体勢。ユーリャもまたチーター因子の脚力で今まさにジャンクションに突入していくところだった。まずい。

 だがどうする。このままサーニャと共に合流したとして、それは延珠にユーリャの手が迫るのが、蓮太郎と延珠にイニシエーター二名が襲いかかるのに変わるだけだ。蓮太郎とサーニャの戦力比を加味すれば状況は悪化すらしている。自分だけ合流して、だがサーニャは合流させない。足止めするのだ。どうやって。このトンネルに閉じ込める? それこそ、どうすれば。

 

 正面方向からタンクローリーが走行、トンネル内部に突入してくる。円筒状の白色タンク。車両の顔には三角形の警告ラベル。危、高圧ガス。発電プラントへの資源運搬車両か。

 そのとき、聞き覚えのあるブゥンという羽音を捉える。シェンフィールドの駆動音。

 電撃的閃きが蓮太郎の脳髄を駆け上がった。

 決断にかける時間はなかった。一か八か。

 

「ティナ、撃て。──タンクローリーをッ」

 

 直後に蓮太郎のすぐ脇をヒィンと甲高い音が突き抜け、正面から迫る無人タンクローリーのタイヤが破裂。

 狙撃弾によって撃ち抜かれたのだと気づいた時にはハンドルが取られ、キュルルとタイヤが摩擦、ゴム跡を残しながら車体が斜めに傾いたかと思えば、後部が浮き上がってタンクがトンネル天井にぶち当たる。無残に凹んだ瞬間、爆音爆光を撒き散らしながら爆発。衝撃波に乗せて伝わる茹だるような熱気。衝撃で砕けた出口の天井が崩れる。さながら牙を下ろす怪物の大口。

 

 サーニャが咄嗟に空中で翼を大きく広げて急制動をかける。

 躊躇せず蓮太郎は少女の足から腕を離すと、慣性に従って崩壊する出口とその場に降りた爆炎の帷に突っ込む。

 空中で脚部カートリッジの撃発。パァンという炸裂音を置き去りに吹き飛ばされるような加速。残弾一発。

 雄叫びを上げながら全身で炎に風穴を穿ち、身を焦がしながら突破。瞬間、目蓋を刺す陽光。

 トンネルを抜けたと知覚した瞬間にはカッと目を見開いていた。

 

 義眼が高速駆動。

 知覚できる時間単位が改変され、身を打つ風が粘性を増す。

 

「待って延珠ッ」

 

 奇妙に停滞する視界に、相対する延珠とユーリャを捉える。延珠は足を踏み締めて、ユーリャを迎え撃つ体勢。対するユーリャは延珠にただ手を、漆黒の鉤爪を伸ばす。まるで救いを求めた貧者が手を彷徨わせるような。

 

「あなたは本当は──……話を最後まで──」

 

 ためらっている暇はない。出し惜しみする余裕もない。

 この一撃で決める。

 

 ひと息の間も無く蓮太郎と彼女たちの距離が無に。足元を過ぎるアスファルトに力任せに足を蹴り付けて、無理やりの制動。

 義眼の反射光が水平の尾を引く。突然出現した蓮太郎に、ユーリャがハッとした表情。

 最後の脚部カートリッジを撃発。乾いた炸裂音が弾けて黄金の空薬莢が排出。陽光を反射してきらめき螺旋の軌跡を描く。

 吐いた呼気には憤怒が混じっていた。天童式戦闘術二の型十六番──

 

「『隠禅(いんぜん)黒天風(こくてんふう)』ッ! ──延珠からッ、離れろよッ」

 

 風を纏った回し蹴りが唸りをあげてユーリャの横っ腹めがけて咆哮。

 超バラニウムの蹴り足は、到達寸前、ユーリャが防御に降ろした鉤爪と激突し、鳴り響く甲高い金打音。大口径薬莢一発分の暴威のままにユーリャの矮躯を跳ね飛ばす。

 

 軍用ブーツが摩擦でアスファルトに焦げ跡を引いて止まった。

 乱れた銀長髪の隙間からユーリャが氷の瞳で蓮太郎を射抜いていた。

 

「……里見、蓮太郎。追いつくとは思いませんでした。うまく分断しましたね」

 

「延珠、無事かッ」

 

 凍てつく声と殺意に晒されながらも、蓮太郎は延珠の前を塞ぐ形で構えを取る。

 トンネルの出入り口は瓦礫で塞がれ、内部に留まったサーニャは完全に分断された形。

 異常を検知した一帯の自動運転車はみな動きを止めていた。

 

「うそだ!」

 

 一挙に道路上へ降りた静寂を、切り裂いたのは延珠の声だった。

 あまりにも珍しい鋭い声音に、蓮太郎は雷に打たれたように振り向く。

 延珠がひどい侮辱を受けたような憤懣の表情でユーリャを睨んでいた。

 

「いいえ、延珠。真実です。──あなたの本当の侵食率は四十パーセントを大幅に超過している」

 

 気付けば蓮太郎は目を見開いていた。心の温度が一気に氷点となり、そこで蓮太郎は顔がこわばっているのを自覚した。

 

「延珠のプロモーターはウソをついています。あなたのプロモーターは本当の数字を隠し、あなたを使い捨てにしようとしている。そんな人のために忠義を尽くす必要がどこにありますか」

 

「違う! 蓮太郎はそんなやつじゃない!」

 

 蓮太郎の無実を訴えるように、延珠が腕を振り払って叫んだ。

 

「妾は、蓮太郎を信じてる。デタラメだッ。蓮太郎はそんな──蓮太郎……?」

 

 延珠の視線が蓮太郎に向いていた。蓮太郎が何も言わないのに気づいたのだ。

 

「なんで何も言わないのだ蓮太郎ッ。違うのだろう? ユーリャの言ったことは違うのだろ? 言い返してくれ蓮太郎ッ。ウソだと言ってくれ!」

 

 延珠の叫びは、すぐに喘ぎじみたものに変わった。

 蓮太郎の心は完全に動きを止めていた。口だけが言葉を探すように動いて、だが見つからない。出るのは言葉未満の吐息。言い訳を探そうとしている自分に気づいて、奥歯を噛み締める。

 

「なんで、そんな怖い顔して……」

 

「嘘じゃない」

 

 喉を突いて出た言葉は、それだけだった。

 延珠の喉から、ひうっと掠れた呼吸音を聞いた。

 

「本当のことなんだ」

 

「なんで、なんで急にそんなこと言い出すのだ」

 

「延珠、ほんとうはずっと、ずっと言おうとしてた。……でもどう話せばいいのか分からなかった」

 

 延珠の瞳が今にも泣き出しそうに揺れる。ぎゅっと目を瞑って、顔を小さく横に振る。体だけでも否定していなければ、精神が耐えられないように。

 

「そんな、うそだ。……うそだ!」

 

 思考がぐちゃぐちゃになったような表情。

 延珠の目に溢れんばかりの涙を見て、蓮太郎はもう何も言えなくなって。見てられなくなって。

 目を逸らしたのが、いけなかった。

 

「信じてたのに」

 

 ハッとして見上げれば、堪えていた涙は延珠の頬をこぼれ落ちていた。

 蓮太郎は、選択を間違えた。

 きっと今より、ずっと前から。

 

「どんな気持ちで、妾を……妾にッ、黙っていたのだ? 教えてくれなかったのだ! 信じてたのに。一緒に戦ってくれるって信じてたのに! どんなことにだって、一緒なら、必ずって……! 蓮太郎は、信じてないのか? だから黙っていたのか? ──妾が弱いから?」

 

 違う、俺はただ──そう思わず手を伸ばし、何かを言いかけて、止まる。何が違う? 俺はお前を騙していたんだ。弁解の余地など。

 そして、延珠の感情は決壊を迎えた。

 

「──蓮太郎の嘘つき」

 

 感情そのものを引き裂いたような叫びだった。

 

「嘘つき嘘つき嘘つきッ……うそつき……ッ」

 

 四方から罪悪感の触手が迫り、気付けば蓮太郎は法廷へ放り込まれていた。

 蓮太郎を裁いているのは延珠の悲鳴だった。

 延珠の瞳がチカチカと赤く眩む。感情の昂りによって力の制御ができていないのだ。

 

「待て、延珠ッ。待っ──」

 

 蓮太郎は無性に嫌な予感に再度手を伸ばそうとして、その瞬間、顔面に暴風が叩きつけられてたたらを踏む。

 目を開けた時には延珠の姿はもういない。力を解放して跳躍したのだ。

 

「延珠ッ」

 

 いつの間にかにユーリャの姿も消えていたが、蓮太郎の思考はもうそんなこと一切考えられなくなっていた。

 蓮太郎はひとり取り残された。伸ばした手が届く距離には既に延珠は存在しなかった。

 

 

 第四章 The courage to trust beyond doubts




最後の方は『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』が元になっています。
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