ブラック・ブレット8 君は泥より出て泥に染まらず   作:簑都薇

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迷いの果てに②

 7

 

 

「このような場所に、あなたのようなヒトが入るのは如何なものかな、聖天子様?」

 

 天童民警会社のドアを押し開いた聖天子を待ち受けていたのは、白衣の女医だった。

 

「室戸教授……?」

 

「まずは息を落ち着かせたまえ」

 

 指摘されて聖天子は自らを振り返る。慌てて靴底を鳴らしながら内階段を上がり切ったところなので、息も絶え絶えになっていた。

 調息していると、菫が白衣を引き摺りながら内へと手招きする。

 誘いに従って聖天子は中へと入った。

 ふと、天童民間警備会社に入るのは第三次関東会戦の依頼ぶりだったなと思う。

 菫が肩をすくめてぼやく。

 

「初めてきたが、中々にひどい場所だねここは。人間の欲望の吹き溜まりだ。空気が澱み切っている」

 

 事務所に踏み入った瞬間、喧しい言い争いが聞こえてくる。

 

「なんで私が来ない内から入ってるのよ! 未織!」

 

 事務机の塊の向こう、執務机を囲んで渦を巻く形で二人の少女が向かい合っていた。

 特徴的な黒セーラー服を身に纏った少女。黒尽くしの服装からわずかに覗く肌だけが驚くほどに白く澄み渡っている。天童民間警備会社社長、天童木更。

 鉄扇を揺らして対峙するのは和装令嬢、司馬未織だった。

 

「変なこと聞くやん木更。もちろん合鍵持っとるからやで」

 

 未織の掲げた手の指には銀色の鍵。

 

「あ、合鍵ぃ?」

 

 木更がオウム返しした。

 和装美人はわざとらしくハッとしたような表情をしたあと、和服の袖で口元を覆い、鍵を隠す。

 

「ちょっと待ちなさい。今、合鍵って言ったわね。まさか里見くんから……」

 

 未織は得意げに笑みを深める。

 

「堪忍な。堪忍な木更ぁ。いつか言わんとって思ぉてずーっと隠してきたんよ。悪気はないで。許して」

 

「アンタの動機はどうでもいいわ! よこしなさいッ」

 

 鍵をもぎ取ろうとする木更と逃げ回る未織に、ただ困惑する。

 応接ソファに腰かけた菫がやれやれと手のひらを上げる。

 

「未織はああ言っているが、私と未織が来た時には既に開いていた。大方、里見くんが開けっぱなしにしていたのだろうな。順を追って説明しようか」

 

 菫から司馬重工でのいきさつを聞かされる間、聖天子は目を伏せることしかできなかった。

 

「司馬重工がそんな……皆さんはご無事なのですか」

 

 菫はかぶりを振って否定する。冗談が飛び出ないあたり、悲惨の程度が知れた。

 

「朝霞ちゃん経由でプラントでの出来事はあらかた聞いている。ああ、先に言っておくと、朝霞ちゃん共々片桐兄妹は無事。今、こちらに向かっている。とはいえリトヴィンツェフの部下は皆逃げ仰せたがね。死体が増えなくて私は残念でならないよ」

 

 菫の口から悪質な冗談が出る。

 

「聖天子様が延珠ちゃんに抱きかかえられて脱兎の如く逃げ去ったのも知っている。蓮太郎くんが跡を追ったのもね。困ったことに二人とも連絡が一切取れなくてね。未織がいてもたってもいられなくなって、私まで連れ出して事務所に来たというわけさ」

 

 菫が説明は済んだとばかりに手をあげる。

 

「問題はここからだ。私はこの先を知らない。蓮太郎くんは今話せる状態ではないからね」

 

 聖天子は胸元のロザリオを握って、気を確かにする。

 

「通りがかったトラックに延珠さんに乗せられて、追手のコチェンコヴァを振り切りました。プラントで降りたところを、ある人を見かけて協力をお願いしたのです」

 

「ある人?」

 

 内階段が鳴ると扉が開き、角ばった顔の男が現れる。

 半袖シャツの私服刑事、阿久津義建だった。

 

「まったくなんで俺がこんなこと、タクシーじゃねえんだぞ」

 

 頭を掻いてぼやくのを見咎められた阿久津はなんでもないふうに姿勢を正した。

 

「阿久津さんにピックアップしてもらいました。わたくしを聖居から隠してもらうためにも、話は通してあります」

 

 会釈して胸ポケットから手帳を取り出そうとする阿久津に、菫は手のひらを軽く振って止める。

 

「自己紹介など結構。覚えるつもりはない。もっとも死体になってくれるなら聞いてやってもいいが」

 

「…………」

 

 阿久津が唖然として口を半開きにした。文句を言いたげな目で聖天子を睨んできた。

 

「里見さんは?」

 

「無事だよ。体の方はね」

 

 菫の流した視線を追えば、壁際、炊事場の暖簾に隣合うように錆びた扉があった。おそらく仮眠室の類に蓮太郎は休まされているのだろう。

 

「どれ里見くん好みのエロゲでも差し入れしてやろうかと思ったのだがね。私が未織ときたときには、精魂尽き果てたといった有様だったよ。ひどいもんさ。応急処置だけして眠らせた。ああ、木更に着替えでもやらせてやろうとしたら、木更のやつ顔を真っ赤にしてね。写真でも撮ればよかったかな。里見くんに見せびらかしたときの木更の反応を考えると笑いが込み上げてくるよ」

 

「そうですか……」

 

「見ていくかい?」

 

「いえ」

 

 聖天子はロザリオから指先を離し、菫に向き直った。

 

「今はなすべきことがありますから」

 

「というと?」

 

 聖天子が居住まいを正したのを見て、菫の瞳に理知の光が過ぎる。

 

「室戸教授。わたくしの権限を使って、あなたに調べていただきたいものがあります。東京エリアが抱える特級秘匿事項に関するものです」

 

 

 *

 

 

 聖天子と白衣の女医が事務室の奥へと進むのを見送ってから、阿久津はため息を吐いた。

 メガフロート脱獄事件といい、仙台との戦争といい、厄介な事案ばかりで気が滅入る。

 面倒ごとはもう一つあったなと思い直し、振り返る。

 

「で、誰がお前たちの保護者さんなんだ? まさかさっきのネクロフィリアじゃねえだろうな?」

 

 

 *

 

 

『──繰り返しお伝えします。先ほど仙台エリアは東京エリアに対し、『明日午前三時までにリブラの撤去が見られない場合、核兵器の使用も辞さない』と語気を強めて通告を行いました』

 

 菫に叩き起こされた蓮太郎は、応接ソファに座って項垂れていた。

 絶対安静だとも言われたが、蓮太郎に飛び出すような気力はなかった。促されるままに腰をかけ、垂れ流しになったテレビの音声だけが鼓膜を揺らした。

 

 不思議なことに没我の脳は、自分と延珠の問題に関してはうんとも言わない代わりに、ニュースの内容を読み込み始めていた。

 前代未聞の核使用宣言を受け、東京エリアは国連に協力を要請。だが期待に反して、今も東京湾に船を出している米露を始めとした諸外国は及び腰になっていた。正確には東京仙台の報復合戦が起きるまで漁夫の利狙いの静観を決め込んだらしい。

 彼らの思惑は、かつて菫が言及した『資源の呪い』──すなわちバラニウムを巡った資源闘争にある。東京仙台で過半数を占有するバラニウム資源を、どうにかして自国が保有したいと考えているのだ。資源さえ無事であればいいから、叶うなら東京仙台のどちらにも疲弊してもらって、弱り残った方を助ける代わりにバラニウムの優先供給を引き出そうという魂胆だ。

 つまり、東京仙台の争いを解決するのに、外国はあてにならない。

 

 核攻撃の可能性に東京エリア国民の不安は膨れ上がり、各所で暴動まがいの事件も起き始めているらしい。

 さらに頭が痛いことに、リブラの出現は『呪われた子供たち』が関係しているという根も葉もないデマが跋扈していた。激化した『奪われた世代』が『子供たち』に暴力を振るい、反撃されて重傷を負ったという真偽不明のニュースが出たあたりで事態は混迷を極め出す。

 蓮太郎はそれらの情報を、ただ無の心で聞いていた。

 頭がおかしくなりそうだった。いや、ひょっとすると既に……。

 

『依然として緊張状態が続く中、先ほど聖居は、タイムリミットの迫る今夜、仙台エリアとのオンライン緊急会談を開くとの発表を行いました』

 

 画面が切り替わり、白袴の偉丈夫が映り込んだ。

 会見室のひな壇に静かな佇まいで立っているのは東京エリア主席補佐官・天童菊之丞。

 百戦錬磨の報道陣を前に、聖天子の出奔などおくびにも出さず巌の表情で場を制している。

 おそらく、件の会談にも菊之丞が出るのだろう。だがもはやこの事態を治めるには、菊之丞であっても役者不足かもしれなかった。

 

『一方で、会談には斉武大阪エリア大統領、海鉾博多エリア首相、十造寺北海道エリア首相の日本五エリアの国家元首が調停役として参加するとされ──』

 

 そこでテレビの画面は光を失った。

 振り返ると、忌々しげに目を細めた聖天子が、古いリモコンをテレビへと向けていた。

 

「状況は悪化しています。しかし最悪ではありません」

 

 見回せば、天童民警事務所には聖天子以外にも未織や片桐兄妹などの姿があった。今の今まで気付けなかった。鈍化の程が知れる。蓮太郎を起こしたのも、面々への情報共有のためだったのかと遅れて気付く。

 聖天子が目配せすると、木更が頷いて室内の照明を落とした。

 

「皆さんに、お伝えしなければならないことがあります」

 

 言いながら取り出したのは結晶媒体。薄い闇で満ちた室内を、青色光が切り取りホロディスプレイを浮かばせる。

 

「今からお見せするのは、東京エリアでも限られたものしか知らない、このエリアの闇です。IISOの管理する機密群にも含まれていません」

 

 ディスプレイに映し出されたものに、息を呑む音がいくつも重なった。

 

「これ、ガストレア……ですよね?」

 

 木更の放った疑問に、蓮太郎も内心で同意する。

 ガストレアというものは、遺伝子を取り込み改変する特性上、ハイステージになるに連れ様々な生物の特徴が雑多に現れることが多い。

 だが映った異形は、特徴のない単純な肉塊だった。おそらく腹部に相当する部位が膨満に膨れ上がっており妊婦のようだが、丸まった胎児のようにも見える。

 聖天子は肯定も否定も見せなかった。

 

「この生物を我々は、ゾディアック・キャンサーと呼んでいます」

 

 聖天子の補足でざわめきが起こる。

 

「キャンサー!? でもゾディアックは……」

 

「はい。消滅したタウルス、ヴァルゴ、スコーピオンを含めて、ゾディアックは十一体。キャンサーは欠番とされています」

 

「だが、それは事実ではない」

 

 言を挟んだ菫に聖天子は頷く。

 

「十年前のガストレア発生直後、キャンサーは東京エリアに移送され、眠り続けています。一種の冬眠と考えられていますが、推測の域を出ません」

 

「どういった経緯で……てのは聞くとやぶ蛇になるんやろぉな」

 

 聖天子は目を伏せる。それだけで追求しようとする者は出なかった。

 

「ガストレアについて未知が多かった時代のことです。東京エリアの研究者は、貴重な実験材料としてキャンサーを扱いました。この頃は『遺産』についても何も分かっていない時代でしたから、実験は頻繁に行われたようです」

 

 聖天子はディスプレイを切り替える。

 そこに映っていたのは焼け焦げた実験室だった。建材が焼け落ち露出した鉄骨は黒い煤で覆われている。

 

「そして、事故が起きました。重大なバイオハザード・インシデントによりリブラに対応する遺産が焼失しました。時を同じくしてヨーロッパを中心に活動していたリブラが凶暴化し……その後のことは世界中で広く知られていることになりますが……」

 

「ベラルーシ、なんですね」

 

 木更の漏らした呟きに聖天子が同意を示す。

 

「はい。リブラはベラルーシを襲い、その結果多くの人民がリブラウィルスの犠牲になり、ベラルーシ難民はロシアへと逃れました」

 

「その中に、リトヴィンツェフもいた」

 

「本来ならリトヴィンツェフが、キャンサーや遺産、リブラとベラルーシ襲撃について知ることはありません。ですが、何者かが、情報を渡したのだと考えられます」

 

「じゃあこれは復讐なんですか、リトヴィンツェフにとって」

 

 東京エリアは故郷の仇、友人の仇。

 リトヴィンツェフは傾いた天秤を正す権利が自身にあると言っていた。

 

「今、彼の手には遺産、首、指輪、衛星があります」

 

「詰みじゃねえか」

 

 ぼやいたのは玉樹だった。

 

「聞いた限りの話じゃ、リブラはもうファッキン野郎の言いなりってワケだろ。ボタンひとつでウィルスばら撒かれて、復讐は完遂だ」

 

「その通りです。では、なぜ今しないのでしょう」

 

「は?」

 

 呆けた声を上げた玉樹だったが、顎に指を添えて頭を傾げる。

 

「いや、待てよ。確かにそうだな。衛星を奪われてからもう結構経ってるわけで……自分たちが逃げるまで時間が要るからじゃねえのか?」

 

「それは、間に合うものでしょうか、今から」

 

 聖天子が何を言わんとしているかに気づいたらしく、玉樹が指を鳴らす。

 

「仙台の攻撃があるじゃねえの!」

 

 東京仙台間の戦争でピリついた今、エリア外に出ることは難しい。未踏査領域に単身飛び込むとしても、通常の空路以上に時間はかかってしまい、戦火に巻き込まれるリスクがどうしても出てしまう。

 

「もとより彼らに逃げ場も逃げる時間もないのです。そのつもりで、このエリアに足を踏み入れた。ならば、あるのです。復讐に必要なピースがまだ。──おそらくそれが、キャンサーなのです」

 

「彼らの目的は東京エリアへの復讐だ。東京エリアが抱えた秘密を暴露しながら、東京エリアをかつてベラルーシが味わった地獄とすること」

 

 菫の補足に玉樹が眉を寄せる。

 

「どういうことだ」

 

「ゾディアック同士は交感できる」

 

「まさか……」

 

 リブラは遺産で呼び出せたが、他は呼び出せなかった。でもゾディアック経由でなら他のゾディアックも呼べる。

 

「リトヴィンツェフの最終目標はキャンサーの掌握にあるのでしょう。『ゾディアックはゾディアック同士で意思疎通を図れる』。一体でも掌握されれば、すなわち全個体の掌握と同義です」

 

 ティナが挙手。

 

「ドク。リブラもゾディアックですよね。リブラがコントロール下にあるなら、キャンサーを手に入れなくても他のゾディアックを動かせるのでは?」

 

「だがそうなってはいない。リブラに発話機能がないか。あるいは先の大戦で失った、と私は見ている」

 

「希望的観測が過ぎますね」

 

「その通りです。ですが、もはやその可能性に賭けるしか我々に残された希望はありません。その仮定の上で動くしかないのです。信じることの期待値は、信じないことの期待値よりも常に大きい」

 

 玉樹が腕を組んで顔を顰める。

 

「後手後手って感じだな」

 

「そうなるようにリトヴィンツェフが仕組んだのです。リトヴィンツェフの交渉の打診は、こちら側に確信を持たせるための虚勢でしょう」

 

 聖天子が張り詰めた声で告げた。

 

「首と指輪が盗まれ、リブラが出現し、盗んだ下手人がリトヴィンツェフの部下で、リトヴィンツェフ本人が名乗りを上げた……。複数の状況証拠からなる一定の強度のある推論。まず意識はそちらに向かいます」

 

 聖天子は胸元のロザリオを、真実の所在を確かめるように握り込む。

 

「もちろん、時間さえあれば、それらが意図的に用意されたものだと判明もしたでしょうが。タイムリミットを狭めたのもあちらの演出かもしれません。……リトヴィンツェフが里見さんの手で確保されたのも、計画のうちだった可能性さえあります」

 

「はぁ? どういうことだ?」

 

 疑問に声を跳ね上げたのは玉樹だった。

 

「リトヴィンツェフはエリア内の政治家を開戦へ扇動していました。ですが、それは表向きの偽装。リトヴィンツェフの本当の計画は、破壊された『遺産』……リブラに対応する『七星の遺産』の行方を追うためのものです」

 

 木更が顎に指を当て首を傾げた。

 

「必要な情報は得たから、あとは捕まればよかった……?」

 

 言葉の接ぎ穂を菫が拾う。

 

「あえて手の内に収まることで、こちらがコンタクトを取るのを見越し、主導権を握った……ということか」

 

 聖天子は静かに頷く。

 

「いずれにせよ、彼の次の動きは明白です。キャンサーのもとに辿り着かせてはなりません」

 

「延珠は」

 

 ひどくしわがれた声だった。

 蓮太郎はそれが自分の声だと気づくのに数秒を要した。

 

「延珠は……どうなるんだ? 攫われたんだぞ」

 

「里見さん……」

 

 聖天子が沈痛げに表情を曇らせるが、蓮太郎の心がそれで晴れるわけもなかった。

 聖天子は唇をきっと引き結んでから、覚悟を決めたように凛とした声で謳う。

 

「戦いましょう。取り戻すのです」

 

「たたかう……?」

 

「負傷しているのは承知していますが、リトヴィンツェフに対抗できるのはあなたしかいません」

 

「…………」

 

「アンドレイ・リトヴィンツェフを看過することはできません。彼が作り出す混沌は世界を破滅させます」

 

「負けたばかりだ」

 

「負けてなどいません」

 

「俺が何の役に立つっていうんだよ」

 

 蓮太郎はソファに体を放り出すようにして天井を仰ぎ弱音を漏らす。

 木更が唖然とする。

 

「ちょっと本気で言ってるのッ? 人質なんて用が済んだら何されるかわからないじゃない!」

 

「延珠とユーリャは顔見知りだった。案外、無事に帰してくれるかもしれない」

 

 それが、絶対にありえない楽観であることは蓮太郎も理解していた。

 木更は理解に苦しむような表情で蓮太郎を見ていた。

 

「延珠ちゃんを、諦めるの?」

 

 蓮太郎は答えられない。

 

「力が足りないからって、絶望的だからって、そんなの今までだっていくらでもあったじゃない! なんでよ!」

 

 蓮太郎の肩を、木更の手が乱暴に掴んだ。

 今までだって戦ってきたはずだと木更は言う。

 蓮太郎の脳裏に過去が溢れるように過ぎる。

 

 ──何ができるというのです? 死しか与えないあなたに。

 ──それでも妾たちは、戦わなければならないのか?

 ──里見リーダーからは『滅びの匂い』がします。

 

「──ああそうだよ、戦ったさ!」

 

 気付けば立ち上がり叫び出していた。蓮太郎は木更の手を振り払っていた。

 一度溢れ出したら、もう抑えきれなくなった。

 頭を乱暴に掻きむしり、耐えきれず喘ぐように叫び出す。

 

 延珠が笑っていられる居場所を守りたくて。

 延珠が生きられる世界に変えたくて。

 

「戦って、戦って戦ってッ──戦わせて。守れなくて……ッ」

 

 夏世も、翠も、彰磨兄ぃも、火垂も。

 そして延珠も。

 誰もが死にたくないから生きて、誰も死なせたくないから戦った。

 でも、掴めたと思った指先はいつもすり抜ける。

 

「みんな死んだ。何にも変わらない、何も良くなんてなっちゃいない。あいつらの死はなんだったんだ。託されて、それで俺に何ができたっていうんだッ」

 

 何にも変えられなどしなかった。

 世界が変わらないのではなく、俺には変えられない。

 俺には、できない。

 

「里見くん……」

 

「わかってんだよ。いくら戦ったって無駄だ。世界は何も変わらない。延珠が笑って暮らせるような未来は俺じゃ作れない。ガストレアもゾディアックも『奪われた世代』も、戦争もッ、侵食率もッ、俺には変えられないッ」

 

 歯を剥いて、蓮太郎の中に溜まったドス黒い感情を怒りという形で放出する。

 その感情の正体に、冷静な部位の自分が気づいてしまう。

 恐怖だ。恐怖を怒りで覆い隠さなければ、自身の何もかもが消え入りそうだった。

 もう限界だった。

 託されたものが重過ぎて。一人では立つことすらできない。

 

 ──逃げだしたい。

 

「それが何? できると思ってたから、今までやってこれたって言うの?」

 

 脳裏を過ぎったのはシルクハットの怪人、神算鬼謀の狙撃兵、蓮太郎の鏡像ともいえる次世代機械化兵士。

 彼ら皆が強敵だった。

 確実に勝てる戦いなど一度もなかった。

 

「違うでしょ? それでも戦ったのは、逃げるわけにはいかなかったからなんじゃないの。降りかかる理不尽を許せなくて、立ち上がったんじゃないの?」

 

「それで何が守れたっていうんだよッ。何が変わったっていうんだッ。──何も変わっちゃいないだろうがッ」

 

「さっきから違うでしょ。里見くんの遂げるべき正義は。ねぇ、どうして? ──どうして延珠ちゃんに向き合おうとしないの!」

 

 そんなの、決まってる。

 

「俺が延珠を裏切ったからッ!」

 

「──この、お馬鹿ッ!」

 

 喝が響いたと思ったら、蓮太郎の頬を熱い衝撃が打つ。

 急なことだったので尻餅をついてしまい、痛みが腰を昇る。

 

「避けないのも、それはそれで腹立たしいわね……」

 

 頭上から理不尽な言葉まで降ってくる。はたかれたのだと理解するのに時間がかかった。

 痛みに顔を顰めながら見上げると、木更は腰に手を当てまっすぐな目でこちらを見ていたことに、今になって気付く。

 延珠に向き合おうとしない本当の理由。そうじゃないはずだと、本当は気づいているはずだと。

 蓮太郎がみっともなく取り乱しているにも関わらず、この女性は蓮太郎の目をまっすぐに見据えている。

 

「どうして、黙ってたの?」

 

 だから、隠したかった感情までもがすり抜けるように喉から飛び出した。

 

「…………怖かったんだ。延珠に本当のことを言ったら、今の日常が壊れる気がして」

 

 俺は、結局自分のことばかり。

 そうか、逃げ出したい、じゃなくて、もうとっくの昔から。

 

「──逃げていたんだ」

 

 延珠の気持ちを、考えてなんていなかった。

 侵食率のことを言わなかったら存在さえ感じられなくて。いつか言うなんて、嘘だ。

 

「そう。きみは延珠ちゃんの信頼を裏切った」

 

「…………」

 

「──だから?」

 

 返ってくるのは静かな眼差し。

 

「だから、放り出すの? 傷つけて、それで終わりにする?」

 

 蓮太郎の喉が引き攣る。うまく言葉が出ない。

 

「じゃあ……どうしろっていうんだよ。クラスメイトとのいざこざとか、そんなレベルじゃねえんだよ、死ぬんだ、()()()()()んだ。それを延珠が背負えるわけないだろうが、背負わせて良いわけが……」

 

「延珠ちゃんのことは延珠ちゃん自身が決めることよ。侵食率を隠し通して、苦悲をとりあげて、一人で背負った気になって。延珠ちゃんは君の玩具かなにか?」

 

「違う、そんなんじゃない。俺はただ延珠を守りたくて。延珠が信じるような、強い人間になりたくて……」

 

 右拳を砕けんばかりに硬く握りしめる。

 あいつが安心して寄りかかれるような強い人間になりたかった。

 でも実際の蓮太郎は弱い。誤魔化しようがないほどに。

 俺は延珠が空想するような、子供の夢に出てくるような正義のヒーローじゃない。

 だからなろうとした。延珠の信頼に応えようとした。藍原延珠にとっての正義の味方になりたかった。

 無垢な願いに背かないために。

 ただ強くあらなければと。

 

「でも無理だ。俺は……、俺は──弱い」

 

 声が裏返り、溢れ出した涙がひりついた頬を伝い落ちた。

 情けない。あまりにも。

 

「延珠を守りたいのに、ただ笑っていて欲しいのに。俺には何もできない……」

 

「延珠さんは、お兄さんに助けられたいだけの女の子なんですか? 辛いこと悲しいことを全部お兄さんに投げつけるような女の子なんですか?」

 

 問いを投げかけたのはティナだった。

 蓮太郎はかぶりを振る。延珠が弱い人間ではないことくらい、すぐ側で見てきた蓮太郎にはわかる。

 

「──それが分かっていて、どうして一人で抱え込んでいたんですか?」

 

「え……」

 

「もう残り時間が少ないって延珠さんが知ったら悲しむのは、わかります。悲しませないようにお兄さんが黙っていたのもわかります。日々を大事に思うあまり、壊したくないと恐れるのもわかります。全部ひっくるめて、自己嫌悪で苦しくてたまらないのもわかります。だからこそ──どうして、そんなに苦しいのに一人で抱え込んだんですか」

 

「ティナ……」

 

「私がそんなに脆く、無責任に見えましたか?」

 

「そんなつもりじゃ……」

 

「延珠さんだってお兄さんと同じです」

 

 ティナは理性がはっきりした目つきのまま続ける。

 

「学校のことでひとり苦しんでるのに、私には相談してこないんですよ。なぜか分かりますか」

 

 蓮太郎はゆるくかぶりを振る。

 ティナは寂しそうに微笑む。

 

「私を通して話がお兄さんに渡るからだと思います。延珠さんだって、壊したくなくて隠し事をしてるんです。一人で背負い込もうとしてるんです」

 

「なんで……延珠、話してくれねえんだ」

 

 俺が、頼りないからなのか?

 そこでハッとする。

 ──どんな気持ちで、妾を……妾にッ、黙っていたのだ?

 ──蓮太郎は、信じてないのか? だから黙っていたのか? ──妾が弱いから?

 延珠の叫びが、今になってようやく理解できた気がした。

 そうか、こんな気持ちか。

 決して信頼していないわけではないのに、相手を遠ざけてしまう。

 自分ひとりで背負い込まなければと、自分の問題なのだからと、そうやって孤独になろうとする。弱さで潰れてしまいそうになる。決して一人ではないのに。

 それは側から見れば、寂しい。

 

「延珠に、会いたい……」

 

 その言葉は驚くほどすんなりと口から溢れた。

 掠れるように漏らした言葉はきっと本心だった。

 延珠に謝りたい。延珠の声が聞きたい。体温を感じたい。この胸の内に抱き留めたい。

 木更が呆れたようなため息を吐いた。

 

「里見くんはやっぱり、ちょっと気持ち悪いくらいがちょうどいいわ」

 

 ひどく困惑して緩々と視線をあげれば、木更が黒長髪を手でかきあげて笑っていた。

 

「今の君、優しい顔してる。延珠ちゃんのことを考えてるときはいつもそう。延珠ちゃんなしじゃ生きられないのね」

 

 蓮太郎は内心で同意する。いついなくなるか怯えていて、未来ばかり見て、今の延珠を見つめるのを恐れていた。恐怖に一人で立ち向かえるほど、強くはなかった。

 

「里見さん、あなたは侵食率や戦争のことを自分では止められないと仰いましたね」

 

 寄ってきた聖天子が目の前に屈む。凛々しい顔がすぐ近くにあって息を呑む。

 蓮太郎の握りしめたままの拳を、聖天子の手のひらがそっと包み込む。柔らかい体温が、強張った蓮太郎の感覚を解きほぐしていく。

 

「そうかもしれません。それは私の戦いで、室戸教授の戦いです。あなたの戦いではない。そもそも、あなた一人でする戦いなんて、ないのです。誰も一人ではないのだから、人は手を取り合うのではないでしょうか。あなたも、私も」

 

 聖天子の微笑みに釣られて、視界が広くなった錯覚。

 見回せば天童民警会社のメンバー以外にも、片桐兄妹をはじめ、この場にいる全員が蓮太郎を見守っていた。

 

「君にできることは、隣で延珠ちゃんに寄り添うことなんじゃないのか。家族、なのだろう?」と、白衣の女医は肩をすくめておどけて──。

 

「武器が足りんならウチに言うて。里見ちゃんの本気、見たいナ」と、兵器会社令嬢は妖艶なウィンクを投げかけ、背後に付き従う武者少女は静かに目を閉じ──。

 

「話してください。背負わせてください。私たちは仲間でしょう」と、幼い狙撃手は頷き──。

 

「兄貴は……? 兄貴は隠し事なんてしてないよね」

「ああ? ……エグいグラビアの隠し場所は流石に教えられねえよ」

「さッ、サイテー!」と、金髪兄妹はじゃれつき──。

 

「正義を為しなさい。誰よりも、延珠さんの笑顔を想うなら」と、三代目聖天子は覚悟を問う。

 

「だいたいね。一人で悩んで出した答えなんて、大抵の場合間違ってるものよ」

 

 木更は顎をツンと逸らし、蓮太郎を挑発するように手を差し伸べる。

 

「弱虫泣き虫えっちな虫の里見くんならなおさらよ」

 

 ひんやりした手先を頼りに立ち上がりつつ顔を袖で乱雑に拭うと、拗ねた声音でそっぽを向く。

 

「俺、そんなに酷いかよ」

 

「なによ、自分で言ったんじゃない、俺は弱いって」

 

「……そうだな」

 

 しみじみと蓮太郎は頷く。

 不意に木更が蓮太郎の顔を覗き込んできて、いつもより近くで見る木更の綺麗な顔に、どきっとする。

 やがて何かを確認し終えたのか、目を細めて木更は微笑んだ。

 

「もう大丈夫ね?」

 

「ああ」

 

 蓮太郎は視線を皆へと流す。

 

「俺に力を、貸してくれ。俺と一緒に戦ってくれ」

 

 仲間たちの力強い頷きが返ってきて、蓮太郎は魂が震えるのを自覚する。

 胸の底から込み上げてくるこの感情は何なのか。

 事態が好転したわけでもない。パートナー不在、瀕死の重症。状況は最悪に近いと戦士としての結論は出ている。

 だがそれでも、隣には仲間がいて、背中を押す声がある。

 立ち上がるには十分すぎる。

 

「里見くん、これ」

 

 木更の声に振り返ると、黒セーラーの少女が蓮太郎の左手を無造作に引き寄せる。袖元には鈍色のブレスレット。

 戦闘中ずっと制服の胸ポケットの中にあったはずだが、意識を失っている間に木更の手に渡ったのだろう。不思議なことに修繕跡以外は傷の一つもない。

 一度壊れ、もう壊したくないと腕を通さなかった約束。

 これを通せば最後、嘘を吐くこと約束を違えることは許されない。

 望むところだった。

 ブレスレットを蓮太郎の手首に通すと、満足げに目を細める。

 

「社長として命令します。延珠ちゃんを救出して、アンドレイ・リトヴィンツェフの計画を止めなさい。東京エリアと仙台エリアを救うの。そして無事に戻ってきて。皆で」

 

「ああ。わかってんよ。──延珠は絶対に連れ帰る。話さなきゃいけないことがたくさんあるからな」




信じればこそ、然ればこそ
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