ブラック・ブレット8 君は泥より出て泥に染まらず   作:簑都薇

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語らない目撃者

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「──喜べ、リトヴィンツェフたちの足取りを知っているかもしれない目撃者が出た」

 

 

 *

 

 

 開け放たれた窓からは海風が吹き込み、天然の涼を届けていた。

 塀に沿って樹々が並び、ミンミンと最後の大合唱を決行しているセミの声が耳朶を叩く。それらに混ざって野次馬と警察官の諍いも聞こえてくるが、ここは聞き流す。

 里見蓮太郎は、阿久津の案内に従って塀の外側にある庁舎へと足を踏み入れていた。

 

 海が近いことがやはり大きいのだろうか、蓮太郎の務める天童民間警備会社の老朽化したエアコンよりも涼しい風を感じる。

 もっとも、隣で歩く白い少女の存在で、涼に浸ることも満足にはできないが。

 

「どうかしましたか? 里見さん」

 

 蓮太郎の視線に気づいたのか、少女が振り向いてフードの中の顔を見せる。

 白絹めいた真っ白な髪が揺れ、美しい瞳と視線がぶつかる。

 東京エリア国家元首、三代目聖天子である。

 

 二日前の晩、蓮太郎の自宅に突然現れた聖天子は『ソロモンの指輪』と『スコーピオンの首』の奪還を蓮太郎に依頼した。

 ロシア人スパイ、アンドレイ・リトヴィンツェフと彼の軍勢によって奪取された『指輪』と『首』は、世界を蹂躙したステージⅤガストレア、ゾディアックの一体である『疫病王』天秤宮(リブラ)を召喚。

 リブラの脅威に晒された仙台エリアは、事態を引き起こしたのは東京エリアだと考え、明日の深夜三時までに撤去しない場合、攻撃を仕掛けると宣告。バラニウム産出量の半分を占める二エリア間の焦燥は他国をも巻き込み、資源を目当てに海外エリアが艦隊を差し向ける事態にまで発展していた。

 事態は収まるところを知らない。混乱と焦燥は指数関数的に膨れ上がり、やがては──

 

 ──『世界核戦争、つまり第三次世界大戦が起こる』

 

 脳裏を過ぎる菫の声に、薄寒いものを覚える。

 正直、手に余る事態だった。

 だが自分が手を引いたとして、結果として目の前に映し出されるだろう阿鼻地獄を思えば逃げ出すことなど……。

 蓮太郎は弱気を悟られないように、聖天子の曇りない瞳から目線を逸らす。

 

「……誰かに見られてねーか、気になっただけだ」

 

「なんだお前、思春期か。誰もお前らの仲なんて気にしねえよ」

 

 案内で先導していた阿久津が振り返り、底意地悪げな笑みを浮かべていた。

 蓮太郎は鬱陶しい表情を隠しきれない。

 阿久津は目の前の少女が国家元首である聖天子だとは知らない。

 

「だから俺たちはそんな浮ついた関係じゃねえって。何回言ったら分かるんだ?」

 

「着いたぞ。ここが取調室代わりだ。会議室を借りてる」

 

「聞けよ」

 

 阿久津はソノグラス製の扉の前で足を止めると、聖天子に振り返った。

 

「ああ、そうそう。お嬢さん。俺は今からでかい声を出すが、あまり驚かないでくれ」

 

「わかりました」

 

 聖天子はかしこまった表情で頷く。

 蓮太郎は困惑して聖天子と目を合わせる。

 

「どういう意味だ?」

 

「すぐにわかる」

 

 阿久津が会議室のドアを開いて部屋に入る。蓮太郎たちも追って飛び込んだ。

 はじめに聞こえてきたのは女の啜り泣く声だった。

 

 入り口からテーブルを挟んで向かい側、襟が目立つ紺色の制服を着た女性が口元をわなわなと震わせて俯いていた。

 机の上で組んだ両手のそばには鐔が迫り上がった帽子が控えている。桜を模した特徴的な帽章は蓮太郎の記憶が正しければ確か──。

 

 困惑する蓮太郎を置いてけぼりにして、阿久津がテーブル傍に進む。

 女性が近づく阿久津に気づいたのかゆったりした速度で顔を上げたときだった。

 力任せにテーブルへ叩きつけた阿久津の手のひらが重い音を立て、阿久津の顔が女性の顔に囁きの間合いまで近付く。

 

「で、何か話す気になったか?」

 

 蓮太郎はただ困惑していた。

 目撃者というものだからヒアリング程度かと思ったが、これではまるで容疑者に対する取り調べではないか。

 蓮太郎の隣で控えていた聖天子が険しい表情を浮かべている。

 

「だから、何も覚えてないって言ってるでしょうッ」

 

 もはや半狂乱になりながら女性が叫ぶ。

 阿久津が目線を女性に向けたまま、蓮太郎たちに指を向けた。

 

「ああ、紹介が遅れたな。こいつらは警官じゃない。まあ格好でわかるか。民警だ。覚えてないか里見蓮太郎って」

 

「民警……?」

 

「ああそうだ、東京エリアの英雄さんだ。こいつはお前を殺しかけたイニシエーターを追っている」

 

 女性が蓮太郎を見やる。

 一瞬、蓮太郎は自身の目を疑った。

 その目つきは明確に敵意があるものだった。

 

「おっと、ようやく本性曝け出しやがったな」

 

 阿久津の差し込んだ声に、女性がハッとしたように眉を震わせる。

 

「どういうことだ?」

 

 状況が読み込めない蓮太郎は疑問の呻きを上げる。

 

「河隝咲恵三十二歳。ここの刑務官だ。昨夜、向こうのイニシエーターの一人に襲われたが生き残った」

 

「なんでわかるんだ?」

 

「監視カメラが生きてたんだよ。旧式でな。半ば放置されてたんだが……落とされたシステムとは別系統だったんで、襲撃時もばっちり稼働してたんだ」

 

 阿久津は目を細めて悪い笑みを浮かべる。

 

「だが妙でな。イニシエーターは河隝に馬乗りになって武器を振り落とそうとしてたんだが、おかしなことにそこで動きを止めて立ち去った」

 

「私を死んだものと思ってたのよ」

 

「馬乗りになってんだぞ。そんな至近距離で生きてるか死んでるかもわからない奴がこんな周到な脱獄事件は起こさねえよ」

 

 河隝が一転してギラついた目で阿久津を睨みつけた。

 

「俺にはお前が今もこうして生きてる理由が分からないな」

 

 蓮太郎はようやく状況を理解する。

 

「まさか、アンタ。この人が協力者だと疑ってんのか」

 

「おいおい滅多なこと言うなよ。生存者だぞ。疲れ切ってんだ。余計な心労かけるなよ。わからないって言ったろうが」

 

「私にだってわからないですよッ」

 

「リトヴィンツェフのやつに買収された奴がいるらしい。刑務官としての責務を忘れてんなら、その帽子を被る資格はそいつにはないだろうな」

 

 皮肉に笑って阿久津が河隝の制帽を掴んだ。

 叫ぶ河隝を視界に収めながら、蓮太郎は内心で目の前の男に恐ろしさを感じる。

 だが一方で、この男の、刑事の勘と言ってもいい当て推量には一定の確度があるのかもと思い直す。あの目は敵意の目だった。もちろん、高圧的な態度を取り続ける阿久津が紹介したせいで、蓮太郎まで同類だと見なされた、という可能性はあるが。

 蓮太郎はテーブルに一歩寄ってから、勤めて平静の声音で河隝に詰め寄った。

 

「なあ、なんでもいい。なにか気付いたことがあったら教えてくれ。協力する姿勢を見せればこの刑事だってアンタを疑うことがいかに無駄か理解するはずだ」

 

「なにも、覚えてないの」

 

「じゃあ思い出してくれ!」

 

 それがいかに無茶な要請であるのかは蓮太郎も理解している。

 だが今は時間が惜しい。

 蓮太郎は食堂で見たニュース映像を思い出す。

 那須岳では今もリブラがウィルス嚢を成長させ、恐慌状態に陥った仙台エリア首相は最後通告を下した。今日の深夜、それがタイムリミットだ。刑務官の無実の証明とは別に、何がなんとしてでも手がかりを得る必要がある。

 だが目の前の目撃者はなおも首を横に振るばかりだ。

 

「アンドレイ・リトヴィンツェフの発見が遅れればリブラがウィルスを散布しちまう。仙台は全滅だ。それだけじゃねえ。東京エリアだって──ッ」

 

 焦りは苛立ちになり、蓮太郎が浮き足だったときだった。

 

「待ってください、里見さん」

 

 突然、傍の聖天子が毅然とした声をあげる。

 

「里見さん。()()()()に任せてはくれませんか」

 

「アンタが?」

 

 蓮太郎はハッとして聖天子を見つめる。

 返ってきたのは彼女の瞳に宿る強い意志だった。

 

「……わかった」

 

 蓮太郎はテーブルの前から退いて、聖天子に道を譲る。

 阿久津が手を振って聖天子を睨む。

 

「お嬢さんが? 言っとくけど取り調べっていうのは力で制するようなもんだぞ」

 

「力で助力を乞うことはできません」

 

 なおも毅然とした声で聖天子が謳う。

 

「ん……? やっぱりこの声、どっかで……」

 

 聖天子は阿久津のぼやきを無視して、河隝に微笑みかけると、テーブル前に控えていた椅子に座って目線を同じ高度にした。

 阿久津は仕方ないとばかりに河隝から離れ、壁に張り付いてことの成り行きを伺い始める。

 

「わたくしと里見さんはリトヴィンツェフを追っています。彼の行方はなんとしてでも掴まなければなりません」

 

「あなたは……何者なの?」

 

「わたくしが、ですか……?」

 

 聖天子はしばらく悩むように俯くと、顔を上げてまっすぐ河隝を見る。

 

()は里見さんと道を共にする者です。……あなたの助けが必要なのです。あなたが知っていることを教えてください」

 

「なにも、隠してなんて……」

 

「あなたは彼女に助けられたと感じているのですね?」

 

 聖天子の突くような声に河隝がハッとしたような表情になった。

 

「馬鹿な。襲撃犯だぞ……」

 

 惚けた声を漏らす阿久津に、蓮太郎は内心で同意する。

 誘拐された被害者が自身の心を守るために誘拐犯にポジティブな印象を持つと聞いたことがある。だが蓮太郎にはそれと目の前の女性が抱く理由が同じには思えなかった。

 

「彼女に恩義を感じているのであればなおさら。ユーリャ・コチェンコヴァという少女にこれ以上の罪を重ねさせないためにも、知っていることを話してください」

 

「ユーリャ……コチェンコヴァ……」

 

 ユーリャの名前が場に出た途端、河隝の目の色が変わった。蓮太郎にはわかる。彼女は全てを話すだろう。

 

「はい。それが彼女の名前です」

 

 柔らかく聖天子が頷く。

 成功の気配を聖天子も感じたのか、ホッとした表情になる。

 横で見ていた蓮太郎に気づくと、聖天子は頬を薄らと染めてうつむいた。

 壁際に引いていた阿久津が口笛を吹く。

 

「やるじゃねえか、お前のオンナ」

 

「ですからわたくしは里見さんのオンナではありません!」

 

 聖天子が慌てて顎を跳ね上げて阿久津をきっと睨んだ。阿久津がたじろぐ。

 だが蓮太郎も内心で口笛を吹きたい気分だった。

 もとよりその手腕は認めてはいたが、ここまでとは。

 

 図らずも『良い警官・悪い警官』の構図になってしまったなと考えていると、阿久津の悪い笑みが脳裏を過った。

 蓮太郎はハッとした。

 河隝に対して埒があかないと打開策を求めた阿久津は、手を変えることにしたのだろう。あの悪そうな笑みは、蓮太郎を利用するために表出したものだったのだ。

 阿久津は初めから『良い警官・悪い警官』作戦で行くつもりで食堂にいる蓮太郎に声をかけたのだ。もっとも、実際に活躍したのは蓮太郎ではなく聖天子だったが。

 

 しばらく河隝はそらんじるようにユーリャの名前を小さく呟き返す。

 やがて顎を上げて、口を開いた。

 

 

 *

 

 

 会議室を出た蓮太郎たちを出迎えたのは肌に突き刺さる熱波だった。

 太陽は完全に姿を露わにしていた。もうそろそろ延珠も学校に行っている時刻だろう。

 蓮太郎は目撃者から得た手がかりを脳内で反芻しながら、陽光に目を細めた。

 

「俺は司馬重工に寄るよ。アンタは──」

 

「では私も向かいます」

 

 食いつくような聖天子の言葉に面食らう。

 咄嗟に拒絶が出そうになって、蓮太郎は慌てて抑え込んだ。

 

 ── 『それに私も、微力ながら里見さんのお力になれるはずです』

 

 聖天子は本来、聖居から抜け出してきた身だ。なのに変装までして蓮太郎に着いてきた。しかも配膳までしたし、目撃者相手に尋問まで行った。

 やはり、気になる。

 聖天子の言動は妙だ。

 

 ──『みんな、菊之丞さんさえいれば、それでいいのです……ッ。私などッ、不要なのです……ッ!』

 

 もう見当はついていた。

 おそらく、聖居の実権は今菊之丞が握っていて、聖天子はそれに反発しようとはしたものの、敵わず、軟禁のような扱いを受けたのだろう。だから聖天子はひとり聖居を抜け出すなどという暴挙に出たのだ。

 聖天子は国家元首ではあるものの、まだ十六歳の少女だ。自分の至らなさを思い詰めているのかもしれない。まだ成長途中なのだから気にしなければいいなどとは言えなかった。

 こうして蓮太郎の役に立とうとしているのも、彼女が失った自信を取り戻したいからなのかもしれない。

 ならば拒絶しても意味はないのだ。

 だが……。

 

 脳裏を過ぎったのは、栗髪の少女だった。

 紅露火垂。かつて蓮太郎が謂れなき罪を被され、汚名を晴らす道中で行動を共にした少女。

 だが彼女の結末は蓮太郎の腕の中での死だった。──もうあんな思いはごめんだ。

 聖天子をそばに置いておくわけには、いかない。

 

「なら延珠の帰りを待っててくれよ」

 

「延珠さんの、ですか?」

 

 やや突拍子もない提案に聖天子が怪訝な目で見つめてくる。

 

「……ああ、あいつの力も必要になりそうだしな」

 

「そうですか。──わかりました。延珠さんのことはお任せください」

 

 聖天子は神妙な顔つきで頷くと、挨拶もそぞろに踵を返していった。

 呆気なく引き下がった聖天子に蓮太郎は少し拍子抜けする思いだったが、これでいいのだと思い直す。

 あのやる気が空回りしないといいが。

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