ブラック・ブレット8 君は泥より出て泥に染まらず   作:簑都薇

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司馬重工②

 *

 

 

 照りつける陽の暑さで噴き出した汗を、突風が攫っていく。

 分析を待つ時間が落ち着かず、蓮太郎は分析室を飛び出していた。あてもなく非常階段を昇っていったのだったが、とうとう地上階まで辿り着いてしまっていた。

 外壁に飛び出す形で建てられた避難階段は、踏み締めるたびに甲高い音を発する。

 

 見上げた太陽は既に高く、あまりの眩しさに腕をかざして目を細める。

 もう延珠は学校に着いた頃だろうか。

 通学に一時間半ほどかかるような遠方の学校に通わせていることに申し訳なさを感じる。

 はじめに通っていた学校で延珠は『呪われた子供たち』であることが露見してしまい、追い出されてしまった。その後ある縁で通った外周区青空教室は、同じ『子供たち』だけが通うこともあり受け入れられたが、結局は悲惨な別れで幕を閉じた。

 近隣の小学校では既に延珠が『子供たち』であることが情報共有されており、転校の打診に蓮太郎が顔を出しても返ってきたのは罵倒だけという始末。

 延珠の秘密をまだ知らない小学校を見つけたのは果たして幸運と喜んでいいものなのか。

 いずれまた秘密が暴かれ、延珠の心に悲しい色を塗るだけなのではないか。

 自分にできることは……。

 

 そういえば、延珠の新しい学校は始業前までは携帯端末を自由に使っていいんだったなと思い返す。

 蓮太郎は尻ポケットから端末を取り出して、番号を呼び出して耳元に寄せる。

 ワンコールもなしに相手が出た。

 

「蓮太郎か! とうとう妾の出番だなッ?」

 

 急に耳元で叫ばれて思わず頭を逸らし、電話を落としそうになる。最愛の相棒とはいえやかましい。

 電話の相手こそ蓮太郎の相棒、藍原延珠だ。

 

「ちげえよ。お前学校あるだろ」

 

「平気だ。妾はいつでも準備万端だぞ!」

 

 平気と来たか、と蓮太郎は内心穏やかではいられなくなった。

 延珠はその発言が、学校にはなるべく行きたくないという意志を秘めていることに気づいていないらしい。

 

「なあ、延珠。前にも言ったが『藍原一家』で起きたことは──」

 

「そのことなら大丈夫だ」

 

 思いがけずはっきりした否定。

 

「思い出して辛くなったら網にお願いして包んでもらうのだ」

 

「網……? どういう意味だ」

 

「人と人との結びつきによる網は辛いこと悲しいことをブンサンして吸収するらしいぞ」

 

 子供らしからぬ視座に面食らう。

 精神年齢の高い学友でもできたのだろうか。

 

「まったく、蓮太郎は心配しすぎだぞ。そんなに妾がいなくて心細いか?」

 

「なわけねーだろ。延珠こそどうだ、学校は?」

 

 素直に肯定するのは恥ずかしいので誤魔化した。

 

「百花ちゃんと仲良くやってるのだ。……あッ、それより聞いてくれ蓮太郎! 百花ちゃん『天誅ガールズ』のドーコーの士だったぞ! 月刊『少女の夢』の雑誌応募者限定天誅レッドスペシャルカラーパネルを持っていたのだ! 覚えてるか、妾が前に欲しがってたやつ!」

 

「あ、ああ」

 

 まくし立てるような早口に気圧されるが、なんとか記憶の底を掬い上げてみる。確か当選枠が十名ほどのとんでもない倍率で、延珠がなんとしてでも手に入れるために同じ雑誌を大量に買い集めようとした奴だったか。経済的余裕がないのもあって、死に物狂いで頼み込んで凶行を止めた記憶がある。

 気付けば蓮太郎は制服の胸ポケットへ、生身の左手を当てていた。

 

 ポケットの内に入れているのはブレスレットだった。

 延珠がハマっている『天誅ガールズ』の玩具で、凝った彫刻模様の装飾が施されている。クロームシルバーのメッキがかかっていて、飛んでいってしまいそうなほど軽い。劇中で仲間の印として扱われるアイテムらしく、嘘を吐くと壊れてしまうという設定がある。

 

 現実にここにあるブレスレットも、蛭子影胤事件終了後に砕けてしまった。

 徹夜でなんとか修繕してから、制服の胸ポケットに入れている。一応、腕に装着しても問題ないくらいには原型を取り戻してはいるが、蓮太郎はどうしても腕を通す気にはならなかった。

 うそをついているから。

 

 延珠の肉体を蝕むガストレアの侵食は既に危険な域に達している。

 だが、延珠には低めの数字に偽って告げていた。

 お前はもう一年と少ししか生きられないなどと、どう打ち開ければ良いのか。

 延珠の笑顔を守りたい。延珠に幸せな時間を過ごしてほしい。けれど真実を告げてしまったら、跡形もなく崩れ去ってしまう気がして。

 

「それより蓮太郎はどうだ。順調か?」

 

 暗い思考に延珠の明るい声が差し込んだ。

 

「『せーやく書』は忘れてないだろうな?」

 

「お、おう」

 

 かつて東京エリアを滅亡寸前に追い込んだ第三次関東会戦に、蓮太郎と延珠も参戦した。

 敵のドンであるアルデバランを滅ぼすためにある爆弾を使用したのだが、結果は不発。蓮太郎は自身のカートリッジ式打撃による強制爆発を狙って、延珠を無理やり気絶させひとり残して特攻を仕掛けた。結局は届かず、兄弟子薙沢彰磨を失ったが。

 延珠は自分を連れて行かなかったことに憤り、会戦終結後にヘタっくそな字で書かれた『せーやく書』を蓮太郎の前に突きつけた。

 内容は『一人で敵に向かって行ったりしない』『なんでも二人でする』というもの。

 だが蓮太郎は、誓約書に同意を書き込むときでさえ、内心でうそを吐いていた。もし延珠と自分の前に、もうどうやっても助からないような危機が突きつけられたら、迷わず延珠を危機から遠ざけ、何が何でも生かすだろうから。

 

「忘れてねえよ。調査の方も順調だ。力が必要なときは必ず呼ぶから安心しろ」

 

「そうか!」

 

 今も内心では、このまま自分一人で終わらせたいと考えている自分がいた。

 いや、むしろ一人で終わらせなければならないのだ。

 リトヴィンツェフ率いるイニシエーター、ユーリャ・コチェンコヴァは延珠の天敵だ。手合わせさせるべきではない。

 電話越しに、教師らしき女性の声が聞こえる。集合を呼びかけているようだ。

 

「む、もうこんな時間か」

 

「弁当はちゃんと持ってるだろうな?」

 

「もちろんだ。『恋人丼』楽しみだぞ!」

 

 延珠は蓮太郎が昨夜の残り物で弁当を作っているのを見ていたらしかった。

 

「あれは『ただの居候丼』だ」

 

「むうううう! じゃあ明日は必ず『恋人丼』で頼むぞ!」

 

 三日連続丼ものでいいのか。

 

「約束だ!」

 

「考えとくよ。じゃあな」

 

 ふふっとおかしくなって、延珠と短い挨拶をしてから通話を切る。

 

「明日、か」

 

 誰に向けるでもなく呟きを漏らす。

 自分たちに明日がある保証はない。仙台との開戦、リブラの危機。裏で糸を引くリトヴィンツェフ。それらをどうにかしなければならない。自分にできるだろうか。

 正直、逃げ出したいという不誠実な声が蓮太郎の心中にはあった。

 だがそれはできない。自分は夢と希望を束ねて戦う人間だ。

 

 ──『私の存在を肯定してくれたあなたを死なせたくなかった。だから頑張った。辛かったけど、私、生きてて良かった』

 ──『里見リーダーが団長なら安心です。上手く、やってくれると思います。私、安心しました』

 ──『ありがとう蓮太郎。私の孤独を埋めてくれて。私に生きる意味を教えてくれて』

 

 脳内を過ぎったのは死者達の声。

 千寿夏世の祈りを布施翠の安堵を紅露火垂の願いを青空教室のみんなの夢を、水原鬼八の薙沢彰磨の、彼らの託したものを蓮太郎は背負っている。

 同時に今を生きる延珠にティナに明るい未来を示さなければならない。彼女達が笑って過ごせるような世界を、彼女達が生きていたいと思えるまで守らなくてはならない。

 それがきっと唯一蓮太郎のできることであり、しなければならないことだ。

 

 ──『手掛かりをなくし、暗闇で迷ったら、心の中のコンパスに従って……』

 

 蓮太郎の心の最奥にある光は間違いなく延珠だ。

 だけど。

 

「延珠の目、まっすぐ見れねえよ。夏世……」

 

 自己嫌悪の渦から抜け出そうとかぶりを振る。

 傍の非常扉に視線を投げると、プレートで現在地は一階だと示していた。

 分析室は地下三階にある。非常階段で降りるより、中のエレベーターを使った方が楽につけるだろう。

 

 手触りのいい真鍮のドアノブを回し、鉄扉を押し開けようとする。

 直後にガタンと音を立てて止まってしまう。

 ひょっとして引いて開けるのかと考えを巡らすが、目の前のドアは薄く向こう側へと押し除けられている。

 扉の向こう側で何かが塞いでいるのか。

 

 だが次の瞬間、蓮太郎は息を呑む。

 扉を少し開けた途端、流れ出した匂いに目を顰める。吐きそうなほど濃い血臭だった。まさか。

 足元を広がっていく黒い液体が蓮太郎の想像しているものだったなら、扉を塞いでいるのは……。

 蓮太郎は非常扉に向かって力任せに肩から体当たりした。三度目でつっかえが取れて、蓮太郎の体が室内に引き込まれる。

 勢いで前へたたらを踏んだ蓮太郎は、足元を見て呻いた。

 

「これは……ッ」

 

 ドアのすぐ向こうに男が倒れていた。先ほど塞いでいたのは彼だ。

 男が着ているチョッキ型の装甲は知っているものだった。司馬重工が誇る最新型の強化外骨格(エクサスケルトン)

 猛獣ですら一発で致死となり得る大口径マグナム弾でさえ通さず、衝撃を減衰して装着者を守り切る現代科学の生み出した超装甲である。

 それがいとも容易く切り破られていた。

 

 腹部装甲を四本の平行線が喰い抉って通り抜け、猛獣に爪で切り刻まれたような跡を残していた。無惨に切り開かれた男の胴体はまだ暖かい。噴き出る血から湯気が立ち昇るのを幻視する。

 なにより驚いたのは、この損傷の仕方に見覚えがあったからだ。

 洋上刑務所で見たイニシエーターの遺体と同じだ。

 蓮太郎は唇がわなわなと震えているのを自覚した。

 おぼつかない足取りで前に伸びる通路を駆ける。まさか、うそだ。

 

 エントランスに辿り着いた蓮太郎が見たのは地獄だった。

 床にはスタッフが何人も倒れていた。一瞬有毒ガスの漏洩でも起きたのかと思うが、違う。倒れる人間を中心として床を広がる赤い水たまりは外傷の存在を訴えている。

 壁には現代アートのように赤が飛び散り、そこかしこに弾丸の跡が添えられていた。

 蓮太郎を顔パスしたロビースタッフを死者の山に見つけて、チクショウと顔を歪める。

 脳裏をソードテール戦が過ぎる。

 

 襲撃を受けているのは明白だった。

 それもリトヴィンツェフの手で。序列元五百五十位さえ屠る超高位序列者が今まさに司馬重工本社ビルの中にいるのだ。

 

 だがアラートの類は沈黙していた。

 ハッとして天井に設置されたカメラを見ると、筒形のカメラは項垂れていた。カメラアイ脇のランプが光を失っていることも併せて、役割を果たしているとは考えにくい。

 ビル内のシステムが掌握されている。

 もしかしたら未織はまだ襲撃に気づいていないのではないか。

 

 未織に知らせようと携帯端末をポケットから取り出すが、画面表示は不通を訴えている。

 一瞬こんなときに通信障害かと目を疑うが、すぐに違うとかぶりを振る。警報の類が鳴っていないことも考えると、これも相手の仕業かもしれない。

 おそらくセキュリティ関係のシステムと通信に干渉を受けている。どうすれば……。

 

 ──『監視カメラが生きてたんだよ。旧式でな。半ば放置されてたんだが……落とされたシステムとは別系統だったんで、襲撃時もばっちり稼働してたんだ』

 

 不意に脳裏で呼び起こされる阿久津の声。

 蓮太郎の思考を電撃が貫いた。直感さえ正しければ、この作戦はうまくいくはずだ。

 顎を跳ね上げて天井を見回すと、やはりそこにある。いける。

 だが必要なピースがもう一つ残っている。

 内心で頭を下げながら、そばで倒れるスタッフの上着を検めると手のひらに収まるサイズの物体を見つける。ライターだった。

 ロビーテーブルに足を乗せると、ライターを着火。灯る火を天井に取り付けられた──火災報知器へと突き向ける。

 

 蓮太郎の目論見通り、火災報知器は熱を検知。天井に等間隔に敷設されたスプリンクラーへ指令を送る。

 直後、雨の如く散水を始めるスプリンクラー。

 水に打たれながら、蓮太郎は内心で喝采をあげたくなった。

 刑務所での目撃者が捉えられた監視カメラは、システムを落とされていた襲撃当時でも機能し続けていた。別系統のシステムだったから。司馬重工の警備システムが落とされているのなら、別のシステム、別会社が運営する火災報知システムならば動くと考えたのだ。

 警備システムと火災放置システムが別かどうかは賭けでしかなかったが、蓮太郎は勝った。これで未織も異常に気付くはずだ。

 

 だが直後に起きた現象に、蓮太郎は目を疑った。

 どこからかバチッという音が聞こえたと思ったら、照明が一挙に落ちて、スプリンクラーは散水を停止。太陽が昇っているとはいえ、視界を薄い闇が支配する。

 

「そんな……」

 

 蓮太郎は絶望的な表情で天井を見上げる。

 散水で濡れたせいで、水を吸った制服が重量を増す。低体温になる心配はないが。

 そこで冷える体のただ一点、尻だけが異様に温かいことに気付く。

 やけに熱を持つ尻ポケットからスマホを取り出して、蓮太郎はあっと呻いた。

 スマホは不通どころか暗黒を示していた。やられた。

 火災報知器の作動を感知するのはなにも未織だけではない。リトヴィンツェフ側も気付いて、なにか手を打ったのだ。

 おそらくは電磁パルスのような、すべての電子機器を巻き込むタイプの攻撃。だが……。

 

 蓮太郎は疑問に首を傾げた。

 そんな手段があるなら、なぜ最初からしないのか。

 いや、とかぶりを振る。

 わざわざセキュリティシステムを落としたのは未織たちに異変を勘付かせないためだ。電磁パルスではすべての電子機器が影響を受ける。攻撃を受けたことにすぐに気付いてしまう。

 リトヴィンツェフの狙いは、襲撃発覚を遅らせることにあるのだ。

 火災報知器の作動によって異変の報せは確かに未織のもとへ届いた。リトヴィンツェフの思惑はその時点で意味をなくし、次の段階である電磁パルス攻撃へと移ったのだろう。

 おそらく狙いは司馬重工側の抵抗力ダウンか、外部との連携を取らせないこと。蓮太郎の思惑も叶ったかたちになるが、やはりなにか引っ掛かりを覚える。

 

 なおも残る疑問は無視する。とにもかくにも生存者を助けねば。

 水で濡れた顔面を腕で拭うとテーブルから降りる。油断なく周囲を伺いながら、エントランスの壁に沿って足を進める。

 

「こ、こっちだ! 民警さん!」

 

 突然の大声に蓮太郎は跳ね上がりざま声の方へ振り向いた。

 エレベーターホールの壁からエクサスケルトン姿の警備兵が手を振っている。

 蓮太郎はエレベーターホールへと滑り込んだ。

 

「何があったッ」

 

 警備兵はエクサスケルトンで全身を覆っていて顔は見えない。その胸元は血で濡れていた。仲間の血だろうか。

 

「わからない。急に前庭にトラックが止まったと思ったら、武装した連中が飛び出してきて、仲間を撃ち殺したんだ。イニシエーターもいたッ。なあ、何が起きてるんだッ?」

 

 リトヴィンツェフの襲撃だ。だがなぜ。

 脳内を嫌な想像が支配した。

 蓮太郎は洋上刑務所でリトヴィンツェフと交渉を行おうとした。結果からすればそれは交渉などではなく宣戦布告だったが。

 まさか、リトヴィンツェフは蓮太郎を監視していて、足取りを追う蓮太郎を止めるために司馬重工を襲ったのではないか。だとしたら、この惨状を真に作り出したのは──。

 思考が暗がりに向かおうとしたとき、警備兵が安堵したように笑うのがヘルメット越しにわかる。

 

「でも良かったよ。民警さんが来てくれたならもう大丈夫だ」

 

 蓮太郎は顔を顰める。ところが、この事態を引き起こしたのは蓮太郎かもしれないのだ。

 そこで疑問が湧く。

 

「アンタ、俺が民警だって知ってるのか」

 

「当然だろ。東京エリアの英雄、里見蓮太郎くん」

 

 蓮太郎は面食らった。阿久津もそうだが、英雄になるということは見知らぬ他人にも自分を知られるということなのか。

 だが、疑問が一度湧くと次から次へと浮かぶ。

 たとえ蓮太郎の顔を知っていたとしても、こんな状況ですぐに声をかけるだろうか。彼は襲われたばかりだ。そもそも蓮太郎がここにいること自体、普通ではないのだ。

 蓮太郎なら、ここにいるはずもない人間が目の前にいたら、まずは他人の空似を疑う。

 そこで蓮太郎は無理やり疑問を抑え込む。今は急ぐべきだ。

 

「あいつらはどっちへ?」

 

「非常階段だ。地下に向かった」

 

 警備兵は指で通路奥を指す。

 蓮太郎は指示に沿って視線を奥へと向けた。その隣に引っ付くようにして警備兵が並ぶ。

 距離が近い。隣の男の呼吸音が安らいでいるのが聞こえるほど。

 

 違和感が湧き出した。

 なぜ、この男はこの地獄の渦中にあって、平穏でいられるのか。

 対する蓮太郎の心臓は暴れ出したくなるほど鳴り出していた。

 蓮太郎は体を非常階段へと向けたまま、視線だけを横に流して、盗み見るようにして警備兵を見た。

 先の短い散水で濡れたヘルメットは視界が悪いはずだ。なのに外さないのはなぜだ。顔を覆うのには理由があると考えるのは、蓮太郎の行き過ぎた妄想だろうか。

 次に、胸の辺りに広がる血を視界に収める。仲間の血かと思ったが、違う。その箇所の装甲は無惨に食い破られており、内側の生地が露出していた。血に塗れていない、迷彩柄。

 違和感は確信に変わった。

 

 突如、警備兵が腰から拳銃を驚愕の手捌きでドロウ。

 銃口が蓮太郎のこめかみに跳ね上がったときには既に、蓮太郎の振り上げた左手がバレルを真横から叩きつけていた。

 短い打擲音と破裂音がほぼ同時に目の前で弾ける。

 逸れた銃口からチカっとマズルファイアが瞬き、発射された弾丸がソニックブームの尾を引いて蓮太郎の耳元を擦過する。

 敵が驚愕に息を呑む。

 

 足を踏み換え、敵を真正面から睨み上げる。この距離は一挙一足の間合い。握り締めた右拳を引き絞る。

 天童式戦闘術一の型三番──

 敵が迎撃しようと腕を前へ構えるが遅すぎる。

 

「──『轆轤鹿伏鬼(ろくろかぶと)』ッ」

 

 捻りを加えた鉄拳は敵のガードを掻い潜って顔面に到達。武闘家の拳技が炸裂してポリカーボネイト製バイザーが陥没した直後に粉砕する。瞬間膨れ上がる風圧。螺旋の暴風と共に破片が撒き散る。

 敵は呻きを漏らして大きくノックバック。仰け反りながら後ろへ吹っ飛ぶが、靴底を地面に擦り付け制止する。

 ダメージが薄い。通常の打撃はエクサスケルトンに編み込まれた衝撃吸収繊維によって減衰されてしまうのだ。

 跳ね上がる銃口がこちらを突き刺すのと、蓮太郎の足が地を蹴り出したのは同時だった。

 

 義眼解放。

 蓮太郎の左眼瞳孔が回転しながら開き、義眼内部が露出。黒目に幾何学模様が表出して高速演算を実行する。目の奥が焦げつくような痛みと共に舌の上で広がる極彩色の錯覚。知覚できる時間単位が改変され、世界の動きが停滞をはじめる。

 こちらを睨む銃口から予測軌道線が描画され、蓮太郎の眉間を貫く。

 停滞する世界の中、トリガースプリングの音がしなる。

 

 迷いなく前へ振り払った右手が線上の一点に到達するのと、マズルファイアが光るのが同時。

 装填された薬莢は底部に打撃を受け火薬を炸裂。銃身内部で圧力が急上昇し弾丸を蹴り飛ばす。放たれた弾丸は空気を切り裂き螺旋の尾を引いて、蓮太郎の開いた右手を食い破らんと殺到。

 

 だがそれは叶わない。

 破鐘を突いたような快音が弾けて、少しの反動が右腕を蹴り上げる。

 蓮太郎の右手が弾丸を受け止めていた。抉られた人工皮膚が飛び散り、奥に広がる漆黒がブラッククロームの光沢を照り返す。

 敵が信じられないものを見たように叫ぶ。

 その隙は機械化兵士・里見蓮太郎にとっては無限に等しい時間だった。

 敵が痛恨の呻きをあげたときには既に、蓮太郎は風を纏って懐に肉薄していた。

 腰を落とし込み、踏み鳴らした地面が激震。

 義手を駆動。右腕が炸裂音を放つ。黄金の空薬莢が回転しながら排出され、陽光を反射してきらめき空を踊る。鼻腔を灼く硝煙臭。

 開いた右手をぴたりと腹部に添える。

 

 天童式戦闘術一の型十二番『閃空瀲灔(せんくうれんえん)

 

 直後、パァンという破裂音が敵体内から弾ける。密着状態から打ち込んだ勁力はあらゆる装甲を浸透して、大口径薬莢一発分の爆発力が余すことなく伝達。内部を衝撃が撹拌して蹂躙し尽くす。いかに重装甲を着込んでもこの技には用をなさない。

 敵は電撃に打たれたような痙攣を一回起こした後、膝から崩れ落ちる。

 

 勝負あった。

 息をすぅと吐いて残心を取る。勝利への感慨など湧かなかった。

 

 足元で倒れる敵の首元を掴むと強引に起き上がらせ、ひび割れたバイザーを押し上げる。

 目の前に現れた人相は蓮太郎の予想通りのものだった。

 長く筋の通った鼻梁、青白い肌。精悍な顔つきは角張っていて威圧感を与える。

 司馬重工が警備員に国外の人間を雇う可能性は十分にあるが、蓮太郎に攻撃した時点でこいつの正体は決まっている。

 

「アンドレイ・リトヴィンツェフはどこだ……ッ。答えろッ」

 

 この男はリトヴィンツェフの軍勢の一人だ。おそらく、警備員を殺害した後、装着していた全身型エクサスケルトンを脱がして自分で着たのだ。味方と誤認させるために。

 男は狂気的な笑いを浮かべると、唾を蓮太郎の顔に吹き飛ばす。

 

「言うと思うか……俺がお前の母親に見えたか?」

 

 男の口元から血の筋が垂れる。蓮太郎の打ち込んだ拳技は確かに痛打を与えたはずなのに、男の目には強い意志が宿ったままだ。

 

「ざけんなッ」

 

 カッとなって、力任せに男を引き回し背中を壁へと叩きつける。衝撃で仰け反ったばかりの男にタックルする勢いで踏み込み、鼻先を突き合わせる距離で睨みつける。

 だが返ってきたのは抵抗の目だった。

 

「大尉の慈悲を蹴ったお前には、明日など来ない。逃げ出さなかったことを地獄で後悔しろ」

 

「なんだと……ッ」

 

 不意に脳裏を掠める、闇に浮かび上がるリトヴィンツェフの凶相。

 蓮太郎がリトヴィンツェフを追ったから、この地獄が生まれたのか? ──違う。

 自分が逃げ出したところでリトヴィンツェフは東京と仙台を地獄の様相へと変えただろう。俺が真に後悔するべきことは、刑務所で銃を突きつけたあの瞬間に奴を殺さなかったことだけだ。

 

 そのとき、蓮太郎の耳がトリガースプリングの嘶きを聞き咎めた。

 悪寒がして、壁から離れるように後ろへ跳ね飛ぶ。狙われている。他にも仲間がいたのだ。

 だが、敵の狙いは蓮太郎ではなかった。

 パッと目の前で血飛沫が弾ける。

 顎を跳ね上げて蓮太郎が見たのは、壁に撒き散らされた血飛沫だった。もたれかかっていた敵が勢いよく横へ倒れる。こめかみからは血が噴き出ていて、おそらく即死。

 

 弾道に沿って視線を横へ投げると、通路奥に広がる駐車場でトラックが背後扉を開け、中で武装した数人がライフルを構えてこちらを見ていた。

 仲間を撃ち殺したのだ。

 

「貴っ様ぁ……ッ」

 

 憤激が爪先から脳天に突き抜ける。

 感情の突き動かすままに駐車場へと向かおうとするが、視界に映る無数の銃口に睨まれる。まずい。

 咄嗟に横へ跳んでエレベーターホールの壁に身を隠した直後、雷鳴めいた密度の銃撃合唱と共に耳元で撃ち抉られた壁材が飛び散る。いかに思考加速能力を持つ蓮太郎でも真正面からのライフル乱射は分が悪い。

 

 舞う粉塵に顔を歪めていると弾幕が止んだ。タイヤの摩擦音が鳴ったかと思えば遠ざかっていく。

 ハッとして壁際から顔を出すと、リトヴィンツェフ一派の乗ったトラックは駐車場から飛び出して姿を小さくしていく。まずい、逃げられる。

 ただでさえアジトの手がかりは中途半端だ。ここで振り切られたら、もう二度と補足できないかもしれない。

 だがどうする。カートリッジによる加速で追うか。

 いや、と顔を顰める。

 相手はただでさえ強敵だ。数に限りのあるカートリッジは温存しておきたい。

 

 移動手段を求めて、弾痕だらけの通路を駆け抜け駐車場に飛び込む。

 周りを見回して当たりをつけると、横倒しにされたバイクへ駆け寄った。

 車体に手を伸ばしかけたところで、下敷きになるかたちで誰かが倒れているのに気付く。

 しっかりとした体格の男性だが、彼の胸元は大きく陥没して潰れていた。何か重たいもので叩き潰された印象を受ける。一体いかなる凶器を使えばこんな殺し方ができるのか、蓮太郎には見当もつかない。

 

 ──チクショウ……ッ!

 

 リトヴィンツェフに煮えたぎる憎悪を感じながら、目の前の男に内心で悪いと手を合わせ、重い車体を腕力だけで起こす。

 ヘルメットもつけずにまたがりざま、刺さったままのキーを力いっぱい捻ってイグニッション。尻を跳ね上げるような振動が起こったときにはクラッチレバーを絞り、ペダルを踏み込んでいた。加速感に体を後方へ持っていかれ、顔面に風が無遠慮に叩き込まれて目を細める。

 

 駐車場から中庭を突っ切って公道へ出る。

 朝っぱらということもあり行き交う車両で道路上は混んでいた。縫うようにしてバイクを進ませながら、蓮太郎は注意深く車両を見回す。

 あるセダンではスーツ姿の女性が顰めっ面で道路を睨みつけていた。後部座席には小学生ほどの女児が眠そうな目でスマホを操りソーシャルゲームに勤しんでいる。傍に投げ出されたランドセルから察するにおそらく通学途中。

 あるバンでは配達員の制服に身を包んだ青年が、額に汗をかきながらハンドルを握りしめている。後部座席はダンボールで埋め尽くされている。

 一般車両に混ざって、無人化された輸送トラックの姿もあった。

 

 と、相手のトラックを視界に捉える。車両探しに時間をかけなかったものの既に随分前方を走行していた。

 だがやはり重量差はいかんともし難いのか、少しずつではあるが距離が縮んでいく。

 深追いせず、ある程度距離をとって尾行を続ける。

 補足した車両からのアクションはない。相手は蓮太郎が追っていることにまだ気付いていないのだ。通勤ラッシュの車両群は蓮太郎にとって良い隠れ蓑になっていた。

 蓮太郎はほくそ笑む。このままいけばリトヴィンツェフのアジトまで連れていってくれるかもしれない。

 頭上に広がる青空が今は祝福している気さえした。空を飛ぶトビの鳴き声が聞こえる。

 

 高速で過ぎ去る案内標識を視界に掠めて、ふと気付く。

 この方向は外周区に続いている。それも発電関連の施設群が集まっている再開発区画。確か、今ごろ延珠が見学に行っているのも……。

 嫌な予感がした。蓮太郎の直感はこういう時外れない。

 

 思考しているせいで予兆を見逃した。

 やや前方を走行していたトラックが急に後部扉を開け放った。

 ハッとして視線を投げ、そこで蓮太郎は固まった。

 車両の中から武装した人間がぞろぞろと姿を出して、ライフルの銃口をこちらに向けていた。

 

 しまったと思ったときには進行方向の道路に銃弾の嵐が叩き込まれ、ガリガリと轟音を立てながら蓮太郎へと迫る。

 咄嗟に義足を駆動。サドルから跳び跳ねざま、脚部カートリッジを撃発させる。

 炸裂音が弾けた瞬間、猛烈な勢いで空気が壁となって迫り、叩き落とすような強烈なGが蓮太郎を襲い思わず目を細める。

 ふっと負荷が消えたとき、蓮太郎の体は上空十数メートルの高さまで飛び上がっていた。

 銃弾の嵐は蓮太郎のはるか下方に置き去りになったかたち。

 

 だが不幸にも蓮太郎のバイクから敵トラックの間にはいくつか一般車両が挟まれていた。

 蓮太郎狙いで放たれた弾雨は周囲の車両にも浴びせかけられ、哀れな被害者を産み出す。

 弾丸を撃ち込まれ破れたウィンドウガラスに、進路を逸れて反対車線の車と衝突しひしゃげた車体。鼻腔に留まるガソリン臭。死亡した母親を呼ぶ子供の叫び声。道路に投げ出されたダンボール。脳裏を過ぎる、いつかの景色。

 地獄がここにあった。

 それを作ったのは──。

 

 きっと彼らは、今日が来たように明日も訪れると信じていたはずだ。それを。

 蓮太郎は瞑目して何処にいるとも知れない神を呪った。

 殺意が絶対零度にまで落ち込むのを自覚する。もはや一秒たりとも生かしてはおけない。終わらせる、今、ここで。

 修羅の形相で活眼。義眼を解放。右拳を砕けんばかりに握り締める。

 

 武装した兵士の一人が何事か叫び、いくつもの視線が空中の蓮太郎を刺すのを感じる。殺意の放射を受けて蓮太郎の脳髄が湧き立つ。ならば殺意の弾丸が射抜く前に倒せば良いだけの話だ。

 蓮太郎は義手を振り抜き、敵車両へと狙いを澄ます。

 義手を駆動。単発の炸裂音と共にジャガ、と破滅的な音が義手内部で鳴り響き、空薬莢が排出(イジェクト)、回転しながら空を踊る。

 義眼の思考加速が、銃口が蓮太郎へ向けてひどくゆったりとした速度で上方修正されていくのを知覚する。

 だが無駄だ。火薬炸裂式の義手による爆発的推進力はトリガーを引き切るより早く車両へと蓮太郎を届けるだろう。

 蓮太郎の身を大口径薬莢一発分の爆発的推進力が押し出し──

 

 突如、蓮太郎の義手に衝撃が突き抜ける。

 

「──え?」

 

 下向きの力に押し込められて蓮太郎の体勢が崩れ、視界ががくんと揺れる。

 不意の衝撃は直後に激甚な反応を起こした。

 姿勢を崩された蓮太郎の身を押し出す爆発的推進力。 ──狙撃された? ──どこから? 思考する間も無く視界いっぱいに地面が迫ってくる。

 無意識の動作で身を丸めた直後、肩口を突き叩く衝撃。

 水面を切る石のように地面を跳ね転がる。地面に接触するたび全身を細切れにせんばかりに衝撃が襲いかかり、思わずうめき声を漏らしかけるが、舌だけは噛み切らないように懸命に歯を食いしばる。内臓がひっくり返るような衝撃。十数度の跳ね返りでようやく速度が消えアスファルトの路面に突っ伏す。

 

「ぐっ……あっ……」

 

 ひどい耳鳴りがして、視界が揺れる。腕を突いて起き上がろうとするが、途中で脱力して顔面から地面に叩きつけられる。額が割れて噴血。

 首の動きだけで道路前方を睨み上げると、血が混じって赤くなった視界の内で敵車両の姿は既に小さくなっていた。

 

 ──延珠。

 

 リトヴィンツェフに逃げられた。そう思考は結論付けているのというのに、蓮太郎の脳内に湧き上がったのは延珠の笑顔だった。その笑顔が、炎に晒され燃え尽きていく光景。

 

 ──延珠、延珠、延珠……ッ!

 

 ひゅうひゅうと喉を引き攣らせ、息も絶え絶えに身を起こし立ち上がる。平衡感覚が失われているせいでひどくふらつく。

 朦朧とする意識の中、蓮太郎は死人の足取りで道路を進んだ。

 

 

 *

 

 

 豪雨は突然、分析室に降り注いだ。

 

 水を弾く耐水製の操作パネルに手をとめたまま、未織は顎を跳ね上げて天井を見る。

 天井に等間隔に設置されたスプリンクラーが散水を行なっていた。

 司馬重工の設備は全て完璧な耐水性を誇っているため、どこかのフロアで火元を検知したら全フロアで散水を行わせるというやや心配性な消火設備を導入していた。機械は水で死なないが人は火で死ぬ。

 ざわざわとスタッフが漏らした不満の声が分析室に漂う。

 この階で火は発生していない。ということはどこのフロア……?

 

 そこまで考えて、直後、バチっという音と共に分析結果を表示していた壁面モニターも照明も消える。

 何が起こったのかは明白だった。

 停電などではない。司馬重工地下には予備発電機が存在する。デバイスが沈黙したのは電力供給が途絶えたからではなく、回路が破壊されたからだ。

 

 ──電磁パルスによる電子機器ダウン。

 

「まさか……ッ」

 

 未織の心中に、蓮太郎が逃亡犯として追われたとき、敵の刺客として司馬重工を単独で襲撃したソードテールの存在が過ぎる。

 

 ──攻撃が始まるのだ。

 だが未織の脳内で疑問が湧く。

 電磁パルスを行う直前に作動したスプリンクラーは一体? 敵がうっかり違うボタンでも押したのか? 作動した警報に慌てて電磁パルスで黙らせたとでも?

 

「未織ッ。今すぐ()()()()を確認するんだッ」

 

 傍のデスクで同じく分析作業中だった菫が焦ったように腕を振り抜く。

 

「そ、そやね。警備員を呼んで襲撃に備えんと」

 

「そうじゃないよ未織。今から備えても無駄だ。既に行われているんだ。もしかしたら、もう終わっているかもしれない」

 

「何を言うてるん?」

 

「説明している時間が惜しい。おそらく襲撃者はとっくの前に本社ビルに入り込み、盗難あるいは殺戮を行っている」

 

「先生。それならとっくに警報が、ウチには警備員も各種センシングも……」

 

 いや、ちがう。菫が言おうとしているのは。

 

「その警備システムが、敵の手に落ちとるってことかッ」

 

 未織は跳ね上がったように腕を振り上げて、スタッフの視点を集める。

 

「みんな作業やめてッ。被害状況を確認して、急いでッ」

 

 作業中だったスタッフは未織の怒号が響くと、水際立った動きで分析室を飛び出る。

 

「特に()()()は重点的に……ッ」

 

「確認取れました。開錠の痕跡なし、無事です……!」

 

 コンソールから顔を上げてスタッフの一人が叫んだ。

 安堵する未織ではない。なんせ、今まさに司馬のセキュリティは相手の手に干渉を受けているのだから。

 未織は鉄扇をぴしゃりとスタッフに突き向ける。

 

「誰がログ確認せえって言ったッ? 直接その目で確認しに行きッ」

 

「はっ、はい!」

 

 怒鳴られたスタッフが跳ね上がったように部屋を飛び出した。

 一挙に分析室に喧騒が降りる。

 動き続けるスタッフたちから未織は目を逸らして、傍で顔を顰める菫を向いた。

 

「でもなんで。なんで事後やと思ったの?」

 

「スプリンクラー作動の直後に電磁パルスが来たからね」

 

 菫は顎に指を添わせて苦笑を浮かべる。

 

「スプリンクラーが敵の意図である場合、目的は避難させること。だが直後の電磁パルスで、私たちはここに残って対抗する道を選ぶだろう。なんせ、襲撃であることは明白だからね。ここには大量の武器はあり、それらは同時に奪われたくはないものだ。

 スプリンクラーが敵の意図ではない場合、では何者の、どんな意図だろう。なぜわざわざスプリンクラーという手を使ったのだろう。

 我々は火災の存在を信じ、避難を開始する。そこに意図があると私は考える。我々の目を、外に出すこと。ここにいては見られないものを見せること。では何を見せたいと思う。それは、このビルで何が起こっているかだ。

 そんなもの、監視カメラでもなんでも使って見られるものだ。本来はね。だが今は違う状況なのだろうさ。

 警備システムは敵のコントロール下にあり、我々は襲撃を感知していない。敵の狙いは攻撃の不可視化だ。ならば、攻撃は今から始まるのではなく、既に行われている。

 直後に起きた電磁パルスは、襲撃が発覚して、外部へ応援を求めるのを防ぐためか、あるいは──」

 

「外に、情報を持ち出させないため……ッ」

 

 未織の心の底が凍てつく。

 後者の場合、おそらく既に──

 分析室のドアが強引に開けられ、先ほど飛び出したばかりのスタッフが現れる。かなり無理をしたのか、息は荒く肩を深く上下させていた。

 

「──なくなってます。試作機ッ。だけじゃないッ。支援ユニットもです……ッ」

 

「なんてこと……ッ」

 

 未織は顔を歪めて呻きを漏らした。

 だが一方で未織の計算高い部位が思考を始める。

 リトヴィンツェフの目的はなんだ? 単純な装備補充?

 

 いや、まさか、と未織は凍りつく。

 奪われた試作機にはある機能が搭載されている。

 不意に浮かんだ考えは、未織をゾッとさせた。

 未織の推測は見当違いの方を向いているはずだ。でなければ前提が崩れる。()()()()()()()()()()()()()()ではないか。

 だが未織の推測が万が一にも正しければ──リトヴィンツェフはあと一時間もしない内に勝利してしまう。

 菫と目が合った。

 

「未織」

 

「わかってる。室戸先生が言おうとしてること、わかってる。でも……」

 

 未織は額に手のひらを当てて、空を仰いだ。

 第三次関東会戦のときも里見蓮太郎冤罪事件のときも、貧乏くじばかり引かされている気がする。

 決心すると、腕を横に振り払ってスタッフに指示を飛ばす。

 

「あーもう! 葛城ッ。どんな手段でもええ。今すぐアレを機能停止させるッ。流れ星を見るにはお天道様邪魔やけどええねッ?」

 

「し、しかし!」

 

「全責任は当然ウチが負うッ。お父様にだってウチが謝るから。急いでッ」

 

「〜〜〜〜ッ! はいッ!」

 

 葛城は唇を噛み締めて顔を極限まで皺くちゃにして葛藤を見せるが、流石の理性で指示に従った。

 どっと疲れて、未織は深く息を吐き出した。

 菫が深刻な表情で続ける。

 

「私たちの推測が正しい場合、リトヴィンツェフが次に向かう先は限られてくる」

 

 そこではたと気付く。

 

「里見ちゃんはどこ」

 

「このビルにいて無事なら戻ってくる。そうでないなら」

 

「動けないほど負傷したか、このビルから飛び出した、ゆうことやな……ッ」

 

 まさか、追ったのか。あのスプリンクラーも蓮太郎が?

 気付けば未織は喘ぐように叫んでいた。

 

「里見ちゃんが危ない……ッ」

 

 伝えなくては、彼の身に迫っている危機を。その危機を作り出した自分が。

 だが彼に連絡を取る手段がない。本社ビルは電磁パルスの影響でろくに電子機器が動作しない。

 

「でも今ウチらに連絡を取る手段はないッ。どうしよ……ッ」

 

「私の出番でしょうか」

 

 声に振り返った未織の足元に、どっかとエクサスケルトンが投げ落とされる。よく見れば装着している人間がいて。

 泡を噴いて気絶している男に、事態の流れを失う。

 

 未織は目線をあげて、声の主を見た。

 和服姿の切り札が立っていた。

 

「壬生朝霞。ここに推参しました」

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