ブラック・ブレット8 君は泥より出て泥に染まらず   作:簑都薇

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里見蓮太郎①

 5

 

 

 地面がぐらついているみたいだった。

 蓮太郎は心配の声をかけてくるタクシー運転手を無視して扉を押し開くと、倒れ込むようにして車から飛び出していた。

 移動するタクシーの後部座席で細胞活性剤を使ったり包帯を巻いたりしていたときには、出血がシートにつくのを嫌そうな目でバックミラー越しに見ていたのだが。気持ち多めに運賃を支払ったのが良い方向に働いたのか、単に重傷者をいたわっているのか。

 

 巨大な箱が複数組み合わさった様相をとる外周区発電プラントの地上駐車場には紅白の緊急車両が回転灯を燦々と光らせ、周囲は人で溢れかえっていた。

 おそらく避難者と野次馬が混ざってしまっている。担架で人を運ぶ空色の作業服以外にも、落ち着いた配色の作業服が忙しなく野次馬の人波を制御しているが、キャパオーバーの感があった。

 

 公道でリトヴィンツェフを取り逃してしまった蓮太郎は、被害範囲の外まで歩いてから、タクシーを捕まえてここまで来た。朦朧とする意識の中で、延珠が社会見学に行っているプラントの名前を思い出せたのはほぼ偶然と言えた。

 ここで何が起きたのか、詳しくはわからないが平常の事態ではないのは明らかだった。

 

 蓮太郎は野次馬の繭をかき分けて進む。

 推進力の噴出点にスラスタを使用した踵部と肘部は制服もろとも人工皮膚が裂け、弾丸を受け止めた手掌部もブラッククロームが露出。だが尋常に振る舞う分にはバレないだろう。

 と、腕を何者かに強く掴まれる。

 

「どこ行くんですか。ひどい怪我ですよ!」

 

 引っ張られた方に視線を投げると、空色の作業服とヘルメットを装着した救急隊員が信じられないような表情で蓮太郎を見ていた。

 

「離してくれ」

 

「いけません。落ち着いてください。あなたは脳震盪の疑いがあります、安静にしていないと」

 

「駄目なんだ。延珠が、延珠を見つけないと」

 

 ふらつく足取りでうわ言のように繰り返していると、視界に担架で運ばれている男性が映り込む。

 男性の頭部に固定されたガーゼはピンクがかっていて、出血の量を物語っている。昏睡状態らしく、無反応のまま救急車に搬入されていった。

 

「ここで一体なにが……?」

 

 蓮太郎の蒼白な顔を覗き込んだ救急隊員は不審げな表情を浮かべたが、蓮太郎の腕を掴んだまま語り出す。

 

「プラント内で火災が発生したんです。避難作業中に負傷者が出て、今は主にその手当を」

 

「火災?」

 

 ただの事故ということか……?

 だが蓮太郎の胸中で渦巻く嫌な予感は消える気配がない。

 

「安心してください。私たちに任せて、あなたはご自身の安全を最優先に考えて。延珠さんは私たちが必ず見つけます」

 

 熱意のこもった、重症者を安堵させるような声音は蓮太郎の耳には届いていなかった。

 

「延珠ちゃんのお兄さん!」

 

 聞き覚えのある声に振り返ると、小学生の集団の中から見覚えのある少女が手を振り上げていた。だぼついたオーバーオールを着た、くせっ毛の強い少女だ。確か、勾田小学校時代の延珠の友達の一人で、名前は。

 

「舞だったよな。延珠は? ここに来てるんだ。見なかったかッ」

 

 蓮太郎は救急隊員の腕を振り切って、舞に駆け寄った。

 舞の喉は引き攣るように呼吸していて、目元は赤くなっていた。何度も擦ったのだろう。けして泣いている姿を見せまいという意思が目元には縁取られていた。自傷じみた激しさが残っていた。

 

「ごめんなさいッ。私、延珠ちゃんにひどいこと……もうあんなことって思ってたのに、私……ッ」

 

「延珠には会ったんだなッ?」

 

 焦りのあまり乱暴に舞の両肩を掴む。

 伏目がちに瞳を揺らす舞を見て、言いにくいことが起こった、というのを理解する。

 

「………………いい、お前を責めたりはしない。俺はただ、何が起きたのかを純粋に知りたいんだ。延珠に何が起こったのか、延珠は何をしたのか。教えてくれ。頼む」

 

 質問という体だったが、確認の意味が多分に含まれていた。蓮太郎には薄々答えがわかっていた。

 躊躇う唇。

 蓮太郎は奥歯を噛み締めた。

 

「使ったのか……延珠は、力を」

 

 沈黙だけで、返答には足りた。

 蓮太郎は、自分の声に余計な感情が入らないように細心の注意を払った。そうでもしなければ、醜く喚き散らしてしまいそうだった。

 

「……延珠はどこに。まさか、連行でもされたのか?」

 

 衆目に『呪われた子どもたち』が晒されたとき、大抵の場合ろくな事態に発展しない。罵倒だけなら大人しい方で、暴力沙汰が起こってもおかしくはない。だが蓮太郎の見える範囲でそういった荒々しい雰囲気は感じられない。ならば考えられるのはどこかに連れ去られて、そこで……。

 

「違うのッ」

 

 暗い思考に進もうとした蓮太郎を、舞の鋭い声が遮った。

 

「私と百花ちゃんを助けてくれたのッ。聖天子様もいてッ、あ、あと怖い子が連れていこうとしてて。だからまだ誰も知らないのッ」

 

 伝えようと思うが余り、要領を得ない発言だった。

 百花、という名前には聞き覚えがあった。延珠が新しくできた友達だと言っていた。

 

「待て。聖天子様ってどういうことだ? その怖い子ってやつが攫おうとしたってことか?」

 

 舞は頷く。

 蓮太郎は頭を抱えそうになった。

 つまり、聖天子の誘拐を行おうとしたイニシエーターから、居合わせた舞と百花を守るために延珠は力を解放して戦ったということか。

 霞がかった思考では理解が追いつかない。なぜ聖天子がここにいるのか。なぜそれをイニシエーターが知って、攫おうとしているのか。イニシエーターは聖居が手配した追手なのか。まさかこれもリトヴィンツェフが関わっているとでもいうのか。

 蓮太郎はかぶりを振った。今考えても仕方がない。

 

「延珠ちゃんは……延珠ちゃんはッ、一緒にいられないって、まだ中に。聖天子様と一緒に逃げて」

 

 ──いっしょにはいられない……?

 

 延珠の意図は、敵の狙いである聖天子を舞たちを離すことで、舞に累が及ばないようにすることだろう。間違った判断ではない。諦めたような言葉さえ考えに入れなければ。

 

「延珠が、そう言ったのか…………」

 

 延珠の心情を察するには余りあって、蓮太郎は悲しくなった。

 舞が開口一番に叫んだ懺悔を思い出す。何がそのとき起きたのか、詳しいことはわからないし聞く気も起きないが、延珠にそう言わせるだけの隔絶があったのだけは間違いない。

 延珠はもう、彼女たちを信じることを……。

 

 蓮太郎は別に、『呪われた子どもたち』が一般の人間にそのまま受け入れられるだとか、助けてくれたからといって延珠を見る目を変えてくれるだとか、そんな事態になることを期待していたわけじゃない。

 だからこそ延珠にはしつこく力を使わないように言ってきたし、蓮太郎からすればこの事態そのものには「そりゃそうなるだろう」みたいな、冷笑に似た姿勢で受け止めるだけの準備はあった。はじめから期待なんかしてないぜ、とかそんなふうに、失望を誤魔化すだけの仮面は持っていた。

 

 でも延珠がそんな、彼女たちに期待することをやめたのだけは、なんというか、そう、悲しかった。

 諦念は子どもが抱いていい感情ではない。

 延珠にそうさせてしまった現実に、それを許してしまった自分自身に誤魔化しようのない失望と怒りを感じていた。

 延珠には希望を持っていて欲しかったし、持ち続けていて欲しかった。

 多分それが蓮太郎にとって一番大事なことだった。断じて侵してはならない一線だった。

 だが、結果は。

 今、蓮太郎の前に広がっている無理解と恐怖の弾丸は、蓮太郎一人で庇うには多すぎて、延珠一人で抱えるには重すぎる。

 

「私が臆病で、弱くて、逃げ出したから」

 

 それは目の前の少女にも言えることだった。

 

「私、延珠ちゃんに……あんな顔させたかったわけじゃないのに。延珠ちゃんだって同じで、私よりずっとずっと怖かったはずなのに」

 

「…………」

 

「これでおしまいなの? もうお別れなの……? もう、おしゃべりも、一緒に帰るのも、全部駄目なの?」

 

 目元を皺くちゃにさせて嗚咽をあげる舞に、いつかの延珠の姿が重なる。

 

 ──妾は、負けたく……ない。友達もたくさんできたのに。

 

 ──……妾は、もう駄目なのか? やり直せないのか?

 

 ──それでも妾たちは、戦わなければならないのか?

 

 そのいつかで、自分は何と答えたのだったか。

 今はもう終わりだと、だけれどいつかは全てが報われるなどとほざいたのではないか。

 延珠にそんな時間が?

 

「それは……」

 

 声が詰まる蓮太郎の声を掻き消すように、男たちの会話が差し込まれる。

 会話の方へ振り返ると、落ち着いた配色の作業員に、中年教諭が厚ぼったい唇でなじるように詰め寄っていた。

 

「どうなってるんです。見学は再開するんですか」

 

「今はなんとも。先生方には生徒さんの点呼などをしてもらって、全員避難できているのか確認していただければと」

 

 スタッフの発言で落ち着きを取り戻したのか、中年教諭は自分の役割を思い出したように頷く。

 

「責任を持って、生徒全員、誰一人欠けることなく無事を確認します」

 

「安全が確認されるまではここで待機を……」

 

 だがそのとき、スタッフのそばに現れた二人目が耳打ちする。対応していたスタッフは教師に会釈すると、こちらの方へ寄ってから囁き始める。

 

「コントロール室で何者かが立てこもっていて死者が」

 

「うそだろ、火災に加えてそんなことが」

 

「もしかしたら火災は誤報でそいつらがやったのかもしれません。ただモニターによると妙なのが発電効率が落ちてて」

 

「落ちてて? 緊急事態なんだから運転は止まってるはずだが」

 

「それが止まってなくて、ただ落ちてるんです。あとイニシエーターが侵入してるらしくて」

 

 イニシエーター?

 

「イニシエーターって、赤目だよな? ……とにかく、警察にも通報を。コントロール室を取り戻して今すぐ停止させないと、最悪事故が起きかねない。漏電と有毒ガスには──」

 

「その話、俺にも詳しく聞かせてくれ」

 

 気付けばスタッフの肩を掴んでいた。

 困惑の視線を民警ライセンスを見せて封じようと胸ポケットに指先を突っ込んで、ないのに気付く。タクシーで治療を行なった際に落としでもしたのか。仕方ないので腰の後ろに手を回して、ベルトに挟み込んだ拳銃を見せて示す。

 

「俺は民警だ。イニシエーターを見たって言ってたな。どんなやつだ」

 

 老いたスタッフは不審な表情を崩さなかったが、若いスタッフは藁を掴むような表情で口を開いてくれた。

 

「どこかの軍服を着てました。だからテロじゃないかって」

 

 軍服……?

 延珠ではないかと声をかけたのだが、蓮太郎の予想は外れたらしい。

 かつて辛酸を舐めさせられた聖天子付護衛官も軍服を着ていたが、あれにイニシエーターが加わることはないだろう。軍服という情報だけでリトヴィンツェフと結びつけるのは早計とも言えないかもしれない。

 蓮太郎としては延珠の居場所を知りたい。

 

「なあアンタさっき発電効率が落ちてるって言ってたよな。それは制御によるものか」

 

「いえ、施設の性能自体がダウンしてます。タービンに回される蒸気の量が減ってるんです」

 

「……それはどこからか蒸気が漏れてるって意味だよな」

 

「はい。厳密に言えば復水の効率が落ちて、結果として蒸気になる水が減少──」

 

 長くなりそうだったので蓮太郎は手を振って切り上げた。

 

「場所はわかるか?」

 

 問えば若いスタッフはスマホでマップを見せて、示す。

 蓮太郎は案内図を目に焼き付ける。

 ここだ。ここに延珠はいたのだ。

 舞と別れてから時間の経過はあるが、ここを起点に逃走するだろう方向を辿っていけば延珠は見つかる。蓮太郎の直感がそう告げていた。

 頼むから無事でいてくれ。

 突き刺すような頭痛に目を細めると、背後で空気がかすかに変わった。

 

「八柄先生ッ」

 

 少年の声に振り返ると、カツカツとヒールを鳴らしながら中年教諭が少年に迫り寄っていた。少年は代表して声を上げたらしかった。おそらくクラス委員か何か。

 生徒の繭を退けての強引な進行に、嫌な予感がする。

 

「藍原さんはどこに? 大事な話があります」

 

「先生大変です! 藍原さんがいません……ッ」

 

「なるほど」

 

 緊急事態で姿が見えないというのに、教諭は一言で片付ける。

 

「それはよかった」

 

「えっ、先生それはどういう……?」

 

「みなさん。落ち着いて聞きなさい。藍原さんは」

 

 言葉を繋ごうとした少年を、八柄が目線も合わせず一方的に言葉を放る。

 

「藍原さんはガストレアウィルス保菌者です」

 

 困惑の声を上げたのは少年か蓮太郎か。

 顔がこわばった蓮太郎とは真反対に、八柄は嗜虐的な笑みで口角を吊り上げる。

 

「勾田小学校の先生から確認が取れました。みなさん、藍原さんに何かされてはいませんか?」

 

 生徒たちは最初困惑の声をぽつぽつと漏らすだけだったが、男子の一人が口を開く。

 

「きったねえ! 俺話しかけられたんだけど、移ってないよな」

 

 冗談の気配を含んだ言葉を皮切りに、生徒たちはそれぞれに言葉を繋げていく。女子生徒の声もあったが、どこか震えていた。

 

「えーうそ。近づかないでよね」「あの子なんか痛がってたよ。ガストレアになってたりして」「じゃあぶっころそうぜ」「バカ、やめとけって。いのちは大事にしろよ」

 

 空気の変質に、蓮太郎はゾッとする。

 渦巻く罵詈雑言の嵐を、薄いスクリーン越しに見ているような錯覚。

 ふとジェーン・エリオットの差別実験を思い出す。『青い目』と『茶色い目』をした子供たちを集めて、『青い目の子は良い子だ。だから優遇する』『茶色い目の子は悪い子だ。だから水は飲んではいけない』と教師が提示する。すると、仲が良かった子供たちが『目』という特徴によって虐げる側と虐げられる側に変貌するという実験だ。

 俺はこんな場所に延珠を?

 違う。『こんな場所』という表現はあまりに不正確だ。ここだけではないのだ。いつまでも、どこまでも、延珠はこんな地獄を味わっているのだ。延珠には心安らぐ時も逃げ場所もないのだ。

 実験には授業が終われば元の関係に戻るという救いがあった。

 だが現実は違う。『呪われた子供たち』は一生そのルールのもとで生きていく。

 確かに、『子供たち』には彼らとは『違う』ところがある。だが彼女たちは人間だ。延珠は人間だ。

 ──そう蓮太郎が思い続けて、何が変わった?

 この世界から怒りと憎しみを一つでも消し去ることが、延珠の未来のためだと、延珠の笑顔を作るのだと信じて蓮太郎は戦ってきた。

 それでどうなったというのだ。延珠の未来は拓けたか、延珠の笑顔を守れたのか。

 いつの間にかに握りしめていた左手は、爪が食い込んで血を流していた。

 

「比恵田さんに話をくわしく聞かないといけません。比恵田さんは?」

 

 少年が視線を彷徨わせると、女子たちの間に緊張が走るのがわかった。

 

「えっ、と……あれ、さっきまでちゃんとここに──」

 

 八柄は仕方なしと息を吐くと、生徒全員を見渡す。

 

「あなたたちも注意しなさい。見た目は同じでも、彼らは違う生き物です。彼らは爆弾です。いつ爆発するかわからない爆弾。目を閉じて、想像してごらんなさい。教室に爆弾があったらどんな気分になりますか? それも見えない爆弾が、今にも爆発しそうになっていたら……。安心して暮らせるわけがありません。ですから、もし『赤目』かもしれないと思ったら報告すること。それがあなたたちと、あなたたちの大切な誰かの安全を守ることに繋がるのです。いいですね?」

 

 蓮太郎は彼女の授業を氷点の心で聞いていた。

 

「…………俺はもう行く。アンタらは警察を呼んでくれ。できれば本庁の阿久津か、殺人課の多田島も。説明の手間が省けるから」

 

 老スタッフの不安げな視線に射抜かれる。

 

「お前一人でか? 民警ってのはイニシエーターと二人組なんだろ」

 

 ところが、その相棒が今まさにプラントにいるのだ。

 

「やるしかねえだろ。俺一人でも」

 

 半ば捨て鉢にスタッフへ吐き捨てると、蓮太郎は踵を返して、恐慌の渦を背に駐車場を突っ切る。

 救急車両の間を抜けて、無人となった施設ゲートを潜る最中も、気を抜けば八つ当たりで怒鳴り散らしてしまいそうだった。

 

 もしあの場で教諭を黙らせるなどして、この場限りで非難を止めたとして意味がなかった。延珠が『子供たち』であると知れた以上、遠からずその事実は学内を回るだろう。

 退学にならなかったとしても、延珠は忌まわしい存在として憎悪の視線を向けられる。そんな環境に延珠を置くなど考えたくない。もう終わりだ。延珠はもうあの学校にはいられない。

 いや、はじめから送り出すべきではなかったのだ。

 あんな環境で、延珠が心の底から笑うことなどできなかっただろう。きっと正体が明るみになるより以前から、延珠は辛い思いをしていたに違いない。

 お前は何をしていたというんだ。

 何もしていない。延珠から助けてと請われるまでは、彼女の意思を尊重して見守るだけにしようなどよく言えたものだな。ただ彼女の声なき声を、向き合うことを恐れて見逃しただけではないのか。

 お前は大馬鹿だ。

 だからこうなった。

 おまえが延珠の平穏を終わらせたんだ。

 いい気味だな、里見蓮太郎。

 

 

 *

 

 

 幽鬼のような足取りで蓮太郎はプラント内部を進んでいた。

 通路天井の照明は落ち、非常灯のぼんやりした光だけが蓮太郎に視界を提供する。

 暗い通路の壁際に身を寄せながら、音が反響しないように擦り足で歩く。いつ接敵してもいいようにXD拳銃を抜き構え、知覚の網を張り巡らせていた。

 壁は経年劣化で薄汚れてはいるものの、血や弾痕の類はなかった。司馬重工とは異なり、内部にいた人間を殺さず、ただ逃している。だが善意ではないはずだ。

 防火扉は火災を検知して自動的に落ちているが、火の気も煙も感じない。

 

 ややもせず分岐路に辿り着く。

 壁にぴたっと背を付け、角からそっと顔を出し様子を伺う。

 通路は奥に長く伸びており、その中腹あたりで左右にそれぞれ道が覗いている。誰もいない。

 壁面には備え付けの消火器が嵌め込まれていた。

 視線を天井に滑らせ、あるものを見つけて顔をしかめる。

 天井では監視カメラがレンズの睨みを効かせていた。

 制御室を掌握されている以上、ここはもう敵地といっていい。監視カメラの情報も向こうに渡っている可能性があり、安易に姿を晒すわけにはいかない。

 

 心は今すぐにでも延珠のもとに駆けつけたがっていた。

 蓮太郎は汗ばんだ左手をズボンで拭い、逸る思いをなんとか鎮める。

 別方向に進もうと顔を引っ込めて、歯切れの悪さを感じ立ち止まる。

 

 確かにプラントはリトヴィンツェフが掌握している。だが、もっと広い視野で捉えればどうなる?

 火災を装ったのはスタッフを外に追い出すためで間違いない。襲撃という形を取らなかったのは急いでいたから。焦っていたのだ。

 奴らは時間に制限がある状況にいた。

 司馬重工での電磁パルスは時間稼ぎの側面もあったことを考えると、やつらの目的は発電所を長時間占拠することでは絶対にない。短時間で用が済むもの。

 

 アンドレイ・リトヴィンツェフの属性は『策略家』である。

 戦闘にあたって策を準備する『兵士』とは異なり、万事を事前に策定し、必要な人・情報・武器をすべて揃えてから行動を開始する。

『策略家』は戦場には現れない。

 だが現状は、このセオリーに即していないようにも思える。

 必要なものがあるから、それを取りに行く。慌てて、といった印象さえある。

 発電所にしても、リトヴィンツェフの本領である政治的操作さえ万全であれば、裏で取引して確保するなど容易いはずだ。わざわざ襲撃するなど、『策略家』のやることではない。

 だがリトヴィンツェフが蓮太郎によって偶然にも確保されたとき、警察検察の尽力によってリトヴィンツェフの関わった全ての人物は精査され、然るべき処置を受けている。リトヴィンツェフの手元にあった操り糸は既に切れてしまっているのかもしれない。

 

 リトヴィンツェフは状況を掌握し切れていない……?

 

 そのとき蓮太郎の聴覚が空気の揺らぎを捉える。

 寒気を覚えて角から枝道を窺う。突き当たりを覆う闇が動いたように見えて、それが漆黒の装甲だと遅れて気付いたとき蓮太郎は戦慄を覚えるしかなかった。

 全部で六人。全身装着型のエクサスケルトン。足音を全く立てず、隊列を維持したまま進軍している。

 彼らの手にした銃器を見て、本能的に顔を引っ込める。

 狙撃銃かと見紛うサイズの大型銃は大口径アサルトライフルだった。ガストレア相手でも有効な威力を誇り、生身の人間が撃たれれば被弾部位を中心に半身が弾け飛ぶレベルの代物。あまりの反動に大人の筋力でも制御が難しいはずだが、エクサスケルトンによる筋力補助がそれを可能にするのだろう。

 断じて軽装備の蓮太郎が容易に敵う相手ではない。

 幸いにも蓮太郎の存在に気付いた訳ではないようだが、進行方向はこちらを目指していた。

 

 今すぐ引き返そうと踵を浮かせたとき、蓮太郎の思考が待ったをかける。

 ここまで慎重に足を進めていたが、悠長過ぎる。延珠は今襲われているかもしれないんだぞ。

 わざと敵前に出て延珠に向かう勢力を分散させるのはどうだ。逆に騒ぎを起こせば延珠に自分を見つけてもらえるかもしれない。いや、敵の規模が把握できていない以上、無用なリスクは……。

 延珠に降りかかるかもしれない困難を、予め切り捨てるという思考。

 

 罪悪感が加重した前のめりな考えが思考を占有していると、唐突に足音が通路を跳ね返った。

 蓮太郎は耳を疑う。奴らは音を立てないはず。

 ハッとして角から通路を見れば、奥に伸びる通路の左側、枝道から小さな影が飛び出そうとしていた。

 少女だ。逃げ遅れたのか。マズい。そっちには。

 何の訓練も受けていない子供が、彼らの足音に気付ける道理はない。

 蓮太郎の焦りなど知らず、少女が重装甲の集団の視界に入り込んだときには既に無数の銃口が跳ね上がっていた。

 

「チクショウ……ッ」

 

 決断を待たず、ほぼ反射の速度で蓮太郎の体は動いていた。

 角から飛び出しざまにXD拳銃を跳ね上げて照準。

 狙いは兵士たちの脇、壁に嵌め込まれた消火器。

 姿を晒した直後、銃口が追従して蓮太郎を睨みつけるが、遅い。

 トリガーを三回引き絞る。鋭い反動が腕を蹴り返して、四〇口径バラニウム弾が螺旋の尾を引いて突き抜ける。

 ガラス戸を貫通し、奥の消火器に着弾。火花と共に甲高い音が弾けたと知覚した瞬間、爆発音。変形により内圧に耐え切れず容器が破裂を起こし、消火剤を乗せた圧力衝撃波が近くにいた兵士たちを側面から恐ろしい勢いで強襲する。

 爆風白煙に巻き込まれて兵士たちが鈍く呻きを漏らしたときには、既に蓮太郎は地を蹴り距離を渡っていた。

 

 タックルの要領で少女を抱きかかえざま、地面に足を捻じりつけて反転、少女が現れた通路に死に物狂いで飛び込む。一瞬遅れて発砲音が鳴り響き、たった先まで蓮太郎たちのいた空間を銃弾が擦過。

 通路に肩から叩きつけられ、横っ腹に衝撃が走る。傷口が開いて痛みのあまり目が回りそうになるのを歯を食いしばって耐える。

 

 慌てて顔を跳ね上げて、蓮太郎は表情を失った。

 逃げ込んだ通路は整理されて遮蔽物の類がなく、奥に長く続いている。これでは逃げ場として機能しない。

 足音がけたたましく鳴り響き、近づいてくる。

 時間がない。このまま少女を抱えて連れて行こうとしても背中を撃たれるだけだ。

 

 ハッとして視線を横に投げると扉があった。ここに入るより他ない。

 腕の中で自失している少女をなんとか立たせて、部屋に転がり込む。

 

 入室と同時に後ろ手で扉を閉め、部屋を見渡す。

 なんらかの前室らしく、狭い空間に小ぶりな資料棚が壁際に並んでいた。窓のブラインドは閉ざされていて暗い。

 蓮太郎のすぐ隣で少女が震えて怯えを示す。

 

「あの、わ、私……」

 

「すまん、あとにしてくれ!」

 

 不気味なほどの静けさに、先ほどまでの足音が消えていることを遅れて気付く。

 背後の扉の向こう側では既に敵が待ち構えていて、今も突入のタイミングを狙い澄ましているかもしれないと想像してゾッとする。急がなければ。

 

 分け入って進むと、闇のせいで目を凝らす必要があったが、くたびれたジャケットが吊り下がった衣類ラックの脇に扉を見つける。鉄扉で向こうは見渡せない。

 一も二もなくドアノブに手を回したところで、不意の違和感に首筋が粟立つ。

 耳をそばだてると、かすかな空気の揺らぎが扉越しに伝わってくる。蓮太郎が室内に入ってわずかな時間しか経っていないというのに、既に隣接する部屋に兵士たちが移動したのだと直観的に理解し目を見開く。

 

 閉所、かつ挟撃。逃げるという選択肢はない。まさに袋の鼠だ。

 こういった閉所への奇襲は、最初にフラッシュバンなどを投げ入れて、起爆直後に突入するのが一般的だ。フラッシュバンは爆光、爆音と圧力衝撃波を撒き散らし、生身の人間を瞬く間に無力化してしまう。

 蓮太郎は二つの扉に交互に視線を投げる。

 後手に回れば詰み。ならば一か八か打って出るしかない。

 少女に床に寝そべって耳を抑えるように言って聞かせる。爆風や流れ弾が当たらないとも限らない。

 

 蓮太郎は汗ばんだ手のひらをズボンで拭う。

 XD拳銃に救いを求めるように銃把を握りしめ、固く目を閉じると調息。

 

「…………待っていてくれ延珠。すぐに終わらせる」

 

 冷たく呼気を制したときには蓮太郎の瞳に迷いの類はなかった。

 鉄扉の前で腰を落とし、地面を踏みにじると同時に義足解放。

 制服右足が弾け飛び、人工皮膚が剥落飛散。奥に眠るブラッククロームの装甲をあらわにする。

 躊躇なく義足を駆動。炸裂音と共に擬似伏在神経に並走するエキストラクターが空薬莢を掴んで吐き捨て、螺旋を描いて空を踊る。

 カートリッジ一発分の爆発的推進力で跳ね上がった前蹴りは、鉄扉に激突。パァンという破裂音を立てて留め金(ラッチ)が弾け飛び、ひしゃげた扉が吹き飛ぶと同時に、蓮太郎は爆速で突き進むドアの影に隠れる形で突入していた。

 

 相手からすればドアの強襲は青天の霹靂。

 予想通りワンテンポ遅れて、雷鳴めいた集中砲火がドアを襲う。軽い音が連続し、大口径弾の前にドアは盾の役割など果たせずへこむ間も無く貫通。

 だがやはり、ワンテンポ遅れている。

 既に蓮太郎は脚部カートリッジを撃発、跳躍。ドアの影から飛び上がり、低い天井すれすれまで上昇する。

 すぐに追従する銃口たちを、殺意の投射をもって知覚する。

 突入時の一手さえ稼げれば十分だった。

 

 義眼解放。

 蓮太郎の左眼瞳孔が回転駆動し、幾何学模様が浮かび上がる。グラフェン・トランジスタ仕様のナノ・コアプロセッサが戦闘演算を実行し、極彩色の情報で舌先が痺れる。

 蓮太郎は加速する知覚の中で、部屋の様相を一望に収める。

 突入した蓮太郎のすぐ脇には壁面いっぱいを占める大型スクリーン。室内は斜面がかっていて、階段状に配置された長い操作盤が見える。蓮太郎が突入した入口は谷底にあたる。

 上段側に兵士五人。中央部で三人が固まって配置しているが、残る二人はそれぞれ左右の壁際あたりで操作盤を盾にして背後に陣取る形で分散している。

 

 殺意の投網に絡め取られ、蓮太郎の意識が兵士に向く。

 兵士がトリガーを引くよりも早く、銃口が跳ね上がるよりも早く、弾道予測線が幾条も視界を走り抜ける。内いくらかが蓮太郎の命を刈り取る軌道をとっている。

 ゾッとする暇もなく義足を駆動。短い炸裂音が弾け、義足各部に設けられた姿勢制御用のスラスタが戦闘演算の結果に従って短く的確に推進力を噴出。

 四方八方から出鱈目に加わる力に全身を揺らされ、空を踊るように蓮太郎の身が翻る。胃を直接捻られるような悪寒に冷や汗で済んだのは、普段体感している延珠の超スピードに比べればマシだったからに他ない。

 鋭角の軌跡を引いて射撃の間隙に滑り込んだ直後、耳元をヒィンと超音速弾が擦過。

 ソニックブームで頬が裂けるのも委細構わず、矢継ぎ早に殺到する銃弾の雨を掻い潜り、弾丸の速度で急降下する。

 義眼の補足し得る範囲において、義眼使いに制圧射撃は効力を発揮しない。

 

 蓮太郎が見据える先は上段中央部、並び立つ三人。

 果たして蓮太郎の狙いが自分だと気づいたとき、兵士が抱いた恐怖はいかほどか。

 流星の速度で降り注ぐ飛び膝蹴りが唸りをあげて真ん中にいた兵士のバイザーに直撃。耐衝撃を誇るポリカーボネイト製のシールドを呆気なく粉砕せしめる。まなじりをかっ開いて凝視する表情が超バラニウムの膝で塗りつぶされ、肉を打つ音を置き去りにして操作盤の裏側に蓮太郎もろとも倒れ込む。

 ──まず一人。

 

 蓮太郎は墜落寸前に足底を床に捻りつけ、急制動をかけると、軸足で回転力に変換して息継ぎなく振り払う回し蹴り。

 真横にいた二人は即座にナイフを抜き放とうとするが、武術家の魔技が炸裂する方が早い。超バラニウムの塊が恐ろしい速度で腹部装甲に打ち当たり、過剰なまでの威力が衝撃吸収繊維を突き抜けて、屈強な成人男性二名の肉体をなす術なく吹っ飛ばす。

 ──これで三人。

 

 鋭く息を吐いて蓮太郎は残心。

 人の身で人外の挙動を遂げた後だというのに、蓮太郎の肌に突き刺さる殺意に翳りはない。

 顎を跳ね上げ、真正面、敵兵を見据えると共に背後の兵士も知覚に収める。

 室内上段側中央に舞い降りた蓮太郎を挟み込む形で、左右壁際にはそれぞれ全身装着型エクサスケルトンを着た兵士。

 先の三人を沈黙させた一瞬でライフルを放棄して、真正面の一人が拳銃、背後のもう一人がコンバットナイフを抜き放ち、近接戦闘に入る。先の一斉掃射を全弾回避した時点で蓮太郎に射撃が通用しないと考えたのだろう。

 拳銃持ちの照準が蓮太郎の腹部へと突き刺さる。同士撃ちを気にしていない姿勢。銃弾ではエクサスケルトンの防弾繊維を突破できないのだ。

 ほぼ同時にナイフ使いが後方から突進を仕掛けてくる。全身装着型エクサスケルトンの筋力補助によって、踏み込みは並のイニシエーターを凌駕する域に突入。まともに受ければ蓮太郎の身も弾け飛びかねないプレッシャーに背筋が凍る。

 だが視界を射手から外すのは命取り。

 ならば。

 

 蓮太郎は視線を射手に固定したまま、背後の気配を全身の肌がレーダーの如く探知。

 直後、背後で大気が鋭く揺らぐ。

 義足を緊急駆動。

 パァンと炸裂音が鳴り響いた瞬間、地面が急に横滑りしたような感覚と共に視界が横ブレ。視界の端に恐ろしい勢いで飛び出したナイフが肩口をかすめる。

 

「なにッ」

 

 驚愕の声をあげたのは、果たしてナイフ使いの方だった。

 蓮太郎は床を滑るようにしてナイフ使いの背後に回り込んでいた。

 突進の勢いに釣り込まれている男の首筋に、カートリッジ加速の勢いままに手刀を叩き込む。ゴッという鈍い音を立てて超バラニウムの手刀が打ち込まれ、一転してナイフ使いの動きが止まる。

 ──四人目、沈黙。

 

 ナイフ使いのエクサスケルトンが力なく崩れ落ちたときには、真正面の射手が容赦なく連射。

 だが視界を固定していたおかげで蓮太郎には弾道が手に取るように見えている。

 蓮太郎はサイドステップで地面を踏み鳴らしながら銃弾の投網を紙一重で全て回避。足を止めることもせず、獣の速度で距離を詰める。

 拳銃がホールドアップを告げたとき、敵の表情はありえない現象を見たような理解不能の相を呈していた。

 兵士が慌ててコンバットナイフを引き抜くが、遅い。

 疾走の勢いままに体当たり。敵は背後の壁に叩きつけられ、メキリと嫌な音を立てた後、背を壁に擦り付けるようにして崩れ落ちる。

 

 だが油断はできない。すぐに下段から最後の兵士一人が姿を現し、睨みつける。

 追撃に地面を蹴ろうとして、蓮太郎の足がぐいと引っ張られる感覚と共に止まる。

 ハッとして振り返れば、たった今張り倒した相手が蓮太郎の足を掴んでいた。意識を刈り切れなかったのだ。憎悪の視線に射抜かれ、産毛が粟立つ。

 

「しまっ──」

 

 下段には絶好の機会とばかりにトリガーを絞る兵士。マズい、動けない。

 義眼が擦り切れるほどに高速駆動。

 弾道演算を待たず遮二無二背中を限界まで反らせた直後、目と鼻の先を熱線が掠める。ほぼ偶然の回避ざまに、XDを跳ね上げめくら撃ち。

 ティナ戦で到達し悠河戦で研ぎ澄ました『人銃一体の境地』は、照準を視界に収めずとも銃口の指し示す先を正確に認知していた。

 肩に反動を蹴り返して弾ける金属音。ノールックでの精密な射撃が鳩尾に突き刺さる。弾丸はエクサスケルトンに弾き返されるが、抗弾プレート越しでも殴られたような衝撃。祟って相手がわずかに呻きを漏らし硬直。

 一瞬の隙。

 蓮太郎の意識が足元の兵士に注がれる。

 鉄槌の如く打ち下ろした掌底が顎先に直撃。猛威のままに頭部が地面に叩きつけられ、みしぃと音を立てて弾けた威力が地面に亀裂を走らせる。超バラニウムの重量と武術家の拳技をもって兵士は今度こそ沈黙する。

 

 拘束が解けると間髪入れず地を蹴る。

 XD連射を受けた兵士がノックバックから復帰したときには既に蓮太郎の身は一挙一足の間合いへと突入していた。

 制動に踏み抜いた地面が陥没。

 天童式戦闘術一の型十番──

 バイザー越しに狼狽する表情。目が合う。喉が引き攣る異音まで聞こえる。

 

「── 『三陀玉麒麟(さんだたまきりん)』ッ!」

 

 突き上げた掌底が唸りをあげ、顎を撃ち抜く。バイザーを完全に粉砕、脳を揺らす。撒き散る破片と共に肉体が弾け飛び壁に叩きつけられて落下、身じろぎひとつ取らなくなる。

 ──六人。制圧完了。

 

 蓮太郎は残心をとり、荒い呼吸を落ち着ける。

 不意に地面がぐらついたかと思えば、膝から崩れ落ちる。視界いっぱいに迫る地面に、寸前で腕を突く。

 国道での墜落でボロボロの肉体を、構わず酷使し続けた形。カートリッジも既に無視できない量を使用してしまった。こんな状態でユーリャ・コチェンコヴァと対しなければならないのだと考えただけでゾッとする。

 呻き混じりの息を漏らしてから蓮太郎は重い体を引き摺って身を起こした。

 

「もう出てきていいぞ」

 

 前室のドア枠から少女が恐る恐る顔を出す。今は何が起こったのかわからないようで困惑の表情だが、笑えば人好きする雰囲気になるだろう。

 

「違う。俺は味方だ」

 

 両手をあげて敵意がないことを示すと、彼女の表情から緊張が抜け落ちる。

 

「あ、あのッ、私。私ッ、探してて──」

 

 少女がおろおろとした足取りでこちらに駆け寄ろうとして、こける。派手に転倒して、背中にしょったカバンから中身が飛び出し、粉塵まみれの床に跳ねる。

 慌てて少女が拾おうとするのを見て、蓮太郎はため息を吐いた。

 

「拾ってる場合じゃねえよ。悪いけど今すぐ……」

 

 ふと、少女が指を伸ばしていた赤いタブレット端末に目が留まる。どこかで見覚えのある背面パネルだった。

 確か延珠がしつこく見せてきた雑誌の……。

 あっと蓮太郎は声を上げた。

 

「お前、百花か?」

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