ブラック・ブレット8 君は泥より出て泥に染まらず   作:簑都薇

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里見蓮太郎②

 *

 

 

 硬い床面が足音を暗闇に跳ね返して、エコーがかった静寂に耳が痛くなる。

 視線の先に伸びる廊下には薄暗い闇の帷が降ろされ、音が溶け込んでは存在を抹消する。このまま自分たちも曖昧な世界の住人になるのではないかと心細くなる。

 蓮太郎は横目でちらりと、隣に伴う少女を見やり、ため息を吐きそうになった。縮こまって俯いている百花の表情は、身長差があるせいでつゆとも知れない。

 

 蓮太郎が戦いに飛び込んだ部屋は監視室だったらしく、躍起になって監視カメラの情報を得ようとしたが、先の戦闘の余波で壁面のスクリーンは破られていて一部しか見ることは叶わなかった。

 だが落胆している暇はなかった。戦闘音は場内に響き渡っただろうから、うかうかしていたら次手が迫り寄るのは明白。百花を守りながら戦い抜けると断言できるほど蓮太郎は自信家ではない。早急に百花を外へ出す必要があった。

 幸いにしてカメラで閲覧できた領域で避難経路を見繕えたので、蓮太郎は百花を連れてエレベーターに向かうことにした。

 

 百花はずっと黙ったっきりだ。

 そろそろ聞くべきかもしれない。

 

「………………お前さ、なんでこんなところにいるんだよ? 舞と外に出たんじゃなかったのか」

 

 詰問の気配を察知したのか、百花は目を伏せる。言葉が出るまでやや間が空いた。

 

「謝りたくて」

 

 はじめの一言で、堰を切ったように続く言葉。

 

「でも、何言おうとしてるのかよくわかってなくて、たぶん、私が言っていい言葉なんてないんだって。私ひどいこといっちゃった、うそつきって」

 

「…………」

 

 蓮太郎からすれば聞きたくもないあらましだったが、それが彼女なりの懺悔なのだと気付いて黙って聞くことにした。

 

「お母さんは、赤……ううん、『呪われた子供たち』はひとじゃないって。危ないから近づいちゃダメだって。そうなんだって思った。……だから、ひどいことも平気で言えた」

 

 子どもの世界は狭い。ガストレアと『呪われた子どもたち』を恐れるきっかけとなる別離や喪失、虚無感を『無垢の世代』が体験することはそう多くはない。生まれたときからないものを、失われたと捉えることはこの年頃では難しい。

 だから『無垢の世代』が抱く思想は親の影響を濃く受ける。

 親が正しいと言ったこと、教えた知識を子は疑うこともなくそのままに吸収する。親が、『子供たち』は人間ではないと定義すれば、子は『子供たち』をヒトだとは思わないし、そう思わなければならないと思い込む。そうやって分断は世代間を継承していく。罵詈雑言の語彙は親の口から出たものをそのまま言っているだけに過ぎない。

 だからこそ百花の放ったうそつきという言葉は、百花自身の言葉だ。

 

「怖くて動けなくて、それを延珠ちゃんは守ってくれて。ああ、隠してたんだって。急に違うひとみたいに見えて。友達だと思ってたのに。……おかしいよね、延珠ちゃんに、ひどいことを言ってたのに。そんなの友達なはずないのに、そう思ってくれるわけないのに。言ってくれるわけ、ないのに」

 

「延珠はそんなやつじゃない」

 

 百花が顔を上げてこちらを見る。

 

「黙ってたのだって、お前を欺こうと思ってじゃねえよ。今ある関係を壊したくなかったんだ。たぶん、それだけだ」

 

 自分も、延珠に侵食率のことを黙っている。だからわかる気がした。

 じっと見つめられて、気まずくなって視線を逸らす。

 

「まあ、会って数日のお前にはわからねえだろうけど」

 

「……ううん、わかる。延珠ちゃんのこと、いつも見てた人が言うんだもん」

 

 それからしばらくは沈黙が続いた。

 ほどなくして、こじんまりとしたエレベーターを見つける。

 昇降ボタンに指を押し込めば、非常時でも運転が停止していないらしく、階数表示がゆったりと上昇して近づいて来る。

 エレベーター内部に敵が乗り込んでいる可能性があるので、扉からやや離れた角に身を潜ませておく。

 待ち時間に、百花が気まずげに口を開いた。

 

「怒らないの」

 

「怒ってるよ。かなりな。……何も言わないからって、何も思ってないわけねえだろ」

 

 蓮太郎は深く息を吐く。

 

「もしお前が、あれは仕方のない事だっただとか、自分は悪くないだとか、そういう正当化をしてたなら、俺は怒鳴りつけてただろうよ。でもお前はそうはしなかった。拳を握りしめて、歯を噛み締めて、自分のしたことを理解してる。……なら、俺が言えることはない」

 

 百花が聞き入ってることに気付いて、蓮太郎は目を伏せる。

 

「勘違いするんじゃねぇぞ。お前に優しくしてるわけじゃない。お前を怒鳴りつけても、延珠は喜ばないからだ。

 それに、お前を責めたって仕方ない。…………生まれにちがいがあって、恐怖があって、分断があって、その流れの中に今のお前がいる。でも、流れを作ったのはお前じゃない。お前がどうこうできるもんでも、ねぇだろ。なにもできないんだ。大きすぎるから。だから話はここで終わりだ」

 

 そうだ、俺たちには何もできない。一人では、憎悪の激流に抗うことなどできない。

 奥歯を噛み締めて、そこでハッと目を見開く。

 延珠の未来のために、受け入れられるようないつかの明日のために戦ってきたつもりだった。

 でも今蓮太郎はできないと言った。変わりはしないと声に出して言えてしまった。話を合わせるためでもなく、ただ慰めのための虚言でもなく。

 変えようと願っておきながら、それではまるで始めから──。

 

「いやだ」

 

 ゾッとする思考に百花の声が差し込まれる。

 

「そこで終わりなんて、いやだ」

 

「…………。……嫌なら、どうするっていうんだ」

 

「謝る。ごめんなさいって」

 

「延珠は許すだろうよ。何も言わずに。でもずっと覚えてる、お前の言葉、お前の視線。怖がられてるって」

 

 百花がハッとしたふうに身を引く。

 

「それだけじゃない! 怖い以外もいっぱい、もっといっぱいあって!」

 

「なら言ってやれよ、そっちを。信じてるって言ってやれ。うそつきなんかじゃないって」

 

 百花はしばらく気圧されたようにじっと蓮太郎を見つめ返すと、やがてゆっくりと目を閉じた。

 

「…………お兄さん、延珠ちゃんが言ってた通りの人」

 

 百花がぽつりと漏らした声に、蓮太郎は怪訝な表情になってしまう。

 そのとき、エレベーターが到着し電子ベルが鳴る。駆動音と共にドアが開かれ、蓮太郎は油断なく視線を投げる。

 箱内に誰もいないことを確認すると、ほっと息を吐く。

 蓮太郎は扉前まで先行してから、角に立ったままの百花を手招きする。

 箱内に乗り込んだ百花の不安そうな表情を見て、ハッとする。

 このまま一人で行くのは不安だろう。もっとも、自分から乗り込んだので半ば自業自得ではあるが。

 ここで別れようかとも考えたが、蓮太郎はかぶりを振る。怒りの対象を間違えてはいけない。

 

「延珠ちゃん、学校に来てよかったって言ってた。私にあえたからって。私は、私も同じだよって言って。延珠ちゃん、きっと後悔してる。私に会ったこと、学校に来たこと」

 

「延珠は、後悔なんてしてねぇよ、たぶんな。お前らを助けたことも、お前らに会ったことも」

 

「ほんと?」

 

「たぶんっつったろ。延珠に聞けよ」

 

「会っていいの?」

 

 蓮太郎は薄く笑ってみせる。

 

「さあな。とにかく俺は必ず延珠を連れ帰る。お前に会うかは延珠が決めることだ。……俺も乗るよ。お前に何かあったら、延珠が悲しむ」

 

「お兄さん……」

 

 百花の表情が自然和らぐ。

 蓮太郎の心も穏やかでありながら、肉体は外部の情報を余す所なく察知していた。

 

「雑兵ではやはり荷が重かったか」

 

 瞬間、蓮太郎の脳髄が殺意の投射を受けて沸き立ち、左手がほぼ本能の所作で腰からXD拳銃をドロウ。通路に広がる濃密な闇へと突き向ける。

 

「だが役目は果たしてくれた。随分と消耗しているな、里見蓮太郎」

 

 冷たい闇から投げ返ってきたのはテノールの声。

 闇から浮かび上がったように現れた男の姿に、蓮太郎は目を疑った。

 

 戦闘機めいた流線型のフォルムをした全身装着型のエクサスケルトンだ。全身を血管のような鉄索が這いまわっている。鋭利なナイフのような可変翼が三対六翼を成し、透明な揺らぎを背負い、見下ろせる全てに熾天使の如く威光を晒す。おそらく放出された高熱による陽炎。あの金属翼は放熱板だろうか。

 先ほど遭遇したエクサスケルトンとは明確に異なっている。見覚えもない。

 

 だが装着者は見紛うはずもなかった。

 求めた凶手がそこにいた。

 

「アンドレイ・リトヴィンツェフ……ッ」

 

 剥き出しになったリトヴィンツェフの相貌が冷酷に歪む。

 

「忠告してやったというのに。命を無駄に散らすのは感心しないぞ、英雄」

 

 リトヴィンツェフの隣には、銀長髪にアイスブルーの瞳の少女。こちらも見覚えがある。ユーリャ・コチェンコヴァ。

 序列元七十七位の圧倒的高位ペアが、今まさに蓮太郎の前に並び立っていた。

 蓮太郎はリトヴィンツェフを鋭く睨みつけ、眉間に銃口を突き向けながら、百花を背後に隠す。

 

「お前は行け。もう入り込もうなんて思うんじゃねえぞ」

 

「お兄さんはッ? 一緒に逃げようよ……!」

 

 無理を言う。エレベーターに乗り込んだところで、イニシエーターなら軽く追ってくるだろう。百花を逃すためにも残らなければならない。

 いや、百花がここにいなかったとして、首謀者が目の前に現れたのだ。このチャンスを無駄にするわけにはいかない。

 

「コイツをぶっ倒して、延珠を連れ戻す。はやく行け!」

 

 背後で百花が息を呑んで何か言いかけるが、気配が引く。

 

「延珠ちゃんを、お願い」

 

 切実な声を最後にケージが閉じて、鈍い駆動音が下方へ遠ざかっていく。

 束の間降りた静寂をリトヴィンツェフの嘲りが切り裂く。

 

「これも巡り合わせか。お前が私をとらえた時と、立場が真逆だな」

 

「なにが言いたい?」

 

「今、私の元にはイニシエーターがいる。そして、お前にはいない。今のお前は無力だ」

 

「リブラも手中に収めたってワケかよ。何故そうまでして力に固執するッ?」

 

「力こそ、この末世での唯一絶対の真理。立派な題目を掲げようと弱者は嬲られ塵芥と消える。世界は強者によって支配される。だからなろうというのだよ、その強者とやらに」

 

「それが、なんになるっていうんだッ。あるのは破滅だけだと何故わからないッ」

 

「知っている。その結果が私たちだ。ゆえにこの国を滅ぼす、私の手で」

 

 蓮太郎の目の色が変わる。

 やはりコイツの憎悪は東京エリアに生きる国民全てに向けられている。

 

「同じ目に遭わせるつもりかッ。何の罪もない人たちを」

 

 リブラ召喚は彼らの要求を通すための見せ札などではない。

 リブラによる大絶滅こそが、彼らの目的。

 かつて彼らの身に降りかかった大絶滅の悲劇を、今この地で再演しようというのだ。

 はじめから、交渉や駆け引きのが入る隙は一切なかったのだ。

 今目の前に立ち塞がっているリトヴィンツェフと、彼が糸を引いている亡国の軍勢は、蓮太郎が全霊の力をもって必ず滅却せねばならない害悪。

 

「なんの権利があって、こんなことをッ」

 

「私にはあるのだよ、傾いた天秤を正す権利が」

 

「ふざけるな……ッ!」

 

 乾いた一発の発砲音に、破鐘を突いたような快音が重なる。

 XDの銃口から硝煙が昇り霞と消えていく。

 怒りのあまりの発砲は、前へ出たユーリャの鉤爪によって呆気なく弾かれていた。

 

「そんな寝ぼけた理屈で一般人を巻き添えにしたのかッ? 見当違いの復讐なんかのために大勢殺すのかッ!」

 

 不気味なほど沈黙を保つユーリャ・コチェンコヴァという少女に、蓮太郎は力の限り義手を振り払って吠える。

 

「こんなやつに従って、破滅に突き進もうってのかよ。コイツはただお前の力だけを見て、利用してる。今に切り捨てられるぞッ」

 

 返ってきたのは氷の瞳だった。

 

「私は大尉の道具です。主人が破滅を望むなら有象無象を殺し、私の死を望むならこの心臓も捧げる。私が望むのは主人の望む世界。ただそれだけです」

 

「それで本当にいいのかよッ?」

 

 ユーリャの碧眼に一寸の陰りが過ぎると、薄く目を閉じる。

 

「あなたは、私が思っていたより偽善の者のようだ」

 

「なにを」

 

「あなただって、延珠を道具として使い潰そうとしている」

 

 延珠。

 突然飛び出した延珠の名に、蓮太郎は目を見開いて激しく狼狽する。

 

「延珠を……知ってんのかッ。延珠になにをした……ッ」

 

 目に力が入り、左手が怒りで熱く脈打つ。

 照準は変わらず眉間に突き向けられているというのに、リトヴィンツェフは何食わぬ顔で嘲りの笑みを浮かべる。

 

「理解が遅いぞ。銃弾では私には届かない。振るわないのか、その右腕を」

 

 気付けば右拳を握り込んでいた。

 

「IISOに能力を知られていないのは褒めてやる。だが、本気で隠したいなら自衛隊のデータベースからも記録を消すべきだったな。『新人類創造計画』里見蓮太郎」

 

「延珠のことも、俺のことも調べ上げたって言いたいのか」

 

 だから延珠から奪ったのか。かつて蛭子影胤が仕組んだように。

 

「そう震えるな。恐怖の匂いがするぞ」

 

「貴様……なのか。延珠の日常を、笑顔を破壊したのは」

 

 俺への戒めのためだとでもいうのか?

 刃物めいた鋭いかんばせの白人男性が、口角を吊り上げる。

 

「そうだと言ったら?」

 

 腰を落とし、『水天一碧の構え』をとる。澄み渡る海と空に境界などない。全力をもって攻勢に出る攻撃特化の型。

 

「貴様を殺す。ここで。今」

 

「その玩具で何ができる」

 

「お前は死臭を嗅ぐことになる」

 

「貴様の死体でか?」

 

 右拳を握り込み、地面に足を捻じりつける。

 互いに殺意を投射。うなじがチリチリと焦げ付くような錯覚。

 そのとき、頭上からゴウッと音が轟いて地面が激しく揺れる。

 それをどこかで爆発が起きたのだと脳が処理するよりも早く、蓮太郎の足は地面を蹴り出していた。

 義足と義手を同時駆動。乾いた炸裂音が弾け、黄金の空薬莢が回転しながら排出。落下する空薬莢を置き去りに、推進力の塊となってリトヴィンツェフを狙い澄まし空間を渡る。

 

「ユーリャ、貴様の存在価値を」

 

 超音速によるソニックブームが轟音をあげて背後の床材をあらかた吹き飛ばし、遅れて全身を引き絞る加速感。

 天童式戦闘術一の型八番『焔火扇(ほむらかせん)

 災厄的な爆発力を込めた拳が大気の壁を破り轟音を撒き散らして、その名の通り赤く燃える。カートリッジ撃発による超音速が空力加熱を引き起こし人工皮膚を焼損、奥に眠るブラッククロームを露わにする。

 

「証明しろ」

 

 必滅の拳がリトヴィンツェフに届かんとする寸前、蓮太郎の視界に凄まじい速度で赤い眼光の尾が過る。

 澄んだ金打音が鳴り響いたと知覚した瞬間、膨れ上がる風圧。強烈なノックバックに身を跳ね飛ばされ、靴底をなんとか床に擦り付けて静止する。

 

「はい、大尉。全てはあなたの命ずるように」

 

 ハッとして顎を跳ね上げると、リトヴィンツェフの前に立ち塞がり二爪を構えているのは涼しい表情のユーリャ。その瞳だけが燃えるように赤い。力を解放しての加速機動で、音速の拳を捉えて見せたのだ。

 だがその程度、今までだって相手取ってきた。臆する道理はない。

 

 蓮太郎が腰を落とし迎撃の構えを取ると同時に、ユーリャが稲妻の速度で飛び込んでくる。

 地を蹴り突進力を乗せた二連爪撃に目を剥く。義眼の演算子が擦り切れるほどに駆動。数十倍する知覚速度でもってしてなお、鉤爪は恐ろしい速度で致死軌道を描く。

 予測軌道が描画を遂げるより早く、直感頼りに軌道を見切る。腰を捻りながら義手掌部でいなす形で傍へ受け流す。同時に床を舐める足払いを滑らせる。

 

 だが触れる寸前、眼前のユーリャの身が跳ねる。

 払い足が空を切り、しまったと痛恨のミスに歯噛みしたときには遅すぎる。

 既にユーリャは空中で身を捻り、イニシエーター特有の膂力を込めた膝を蓮太郎の側頭部へ叩き込まんと跳ね上げていた。

 チーター因子の脚力で増幅された一撃は、満足に食らえば即敗北の一手。

 

 死に物狂いで跳ね上げた義手で蹴り足を受け止めた瞬間、肩まで駆け上がる痺れ。無視して蹴り足を掴み上げ、重心を背後へ倒しながら力の限り振り払う。

 ユーリャの軽い矮躯が浮き、蓮太郎の脇を凄まじい速度で通り過ぎようとしたとき、視界の端を切り裂いて黒い爪が蓮太郎の目に踊り込む。鋭利な先端は目を抉る軌道。

 ゾッとしながら首を横に倒しざま、ユーリャの足を放り上げ、鉤爪の間合から離脱。間髪入れず耳のすぐそばをブォンと風切り音が擦過する。

 

 安堵する暇などない。

 舞い上がったユーリャは空中で身を曲げると天井に足から接地。胸の前に鉤爪を構え、切先を蓮太郎に向ける。撓ませた両脚を解放。

 瞬間、空気が爆ぜ弾ける爆音。

 超高位イニシエーターの強烈な膂力に任せた無類無双の神速刺突が蓮太郎目掛けて降り注ぐ。

 義眼の演算予測を待たず、全霊で迎え撃つ構え。

 地面を強く踏み締める。

 義手を一発撃発。五指を砕けんばかりに握り込み、右腕を引き絞る。

 天童式戦闘術一の型十五番。

 

「── 『雲嶺毘湖鯉鮒(うねびこりゅう)』ッ!」

 

 掬い上げるような爆速のアッパーカットが、唸りをあげる凶爪に下段から激突。超高位序列者の一撃とカートリッジ一発分の爆発的打撃を受け、空気が激しく軋み、足元の塵が消し飛ぶ。

 転瞬、断末魔の如き金属の絶叫が轟き、撒き散らされる衝撃波の奔流によってユーリャの矮躯が弾き飛ばされる。

 だが少女は空中で身を翻すと、鉤爪を地面に突き立てガリガリと削りながら最小限の時間で制動をかける。

 

 出鱈目な身体操縦だが、追撃のチャンス。

 距離を詰めようとしたところで、視界の端でリトヴィンツェフが動く。

 不意にリトヴィンツェフのエクサスケルトンが機巧音を立て、背面の金属翼から細長いラッパ状の鉄塊が六機分離、射出。ブゥンと笹鳴りを放ち、赤い軌跡を引きながらそれぞれ独立した軌道で蓮太郎を取り囲もうと殺到する。

 

 蓮太郎は思わず目を疑う。

 飛行する携行ビット。これに似た能力を蓮太郎はよく知っている。

 思考駆動型インターフェイス『シェンフィールド』

 術者が脳に埋め込んだニューロチップを介して端末を操り、観測支援やドローン攻撃などで敵を屠る兵器。

 だがリトヴィンツェフは機械化兵士ではないはず。仮にそうなら、蓮太郎と延珠に易々と捕まるはずがない。

 なんだあれは。

 

 何故だかとても嫌な予感がして、無意識で義眼によるビットの軌道予測が立ち上がる。

 ティナのシェンフィールドのような索敵観測用のカメラアイはない。ハミングバードが操るタイヤ型ビットが見せた金属棘もない。見えるのは、ラッパの朝顔管(ベル)のような、臼状の機構。

 それが銃口だと気づいたときには射線上に義手を跳ね上げていた。

 

 チカッと銃口で紫電が瞬いたと思ったら、義手を突き抜ける衝撃。

 火花と共に甲高い音が弾ける。拳銃弾とは比べ物にならない極大運動量が蓮太郎の眼前で爆ぜ、暴力的な慣性が全身に働き、間髪入れず背中を打ち叩く衝撃。壁だ。破砕音と共に肉体が壁を貫いて、室内へと投げ出されるがなおも止まらずでこぼこした操作盤に背中から激突。肺が絞られ、堪らず蓮太郎の顔が歪む。

 

「ガッ…………」

 

 瓦礫が爆発したように吹き飛び、飛散した粉塵が瞬く間に視界を覆う。

 これら全てが一発の弾丸に引き起こされたという事実を飲み込めない。

 

 呻きが漏れて目を見開いたときには、粉塵の帷の向こうからバラニウムブレードの一刀が落ち迫っていた。

 死に物狂いで肘を操作パネルに叩きつけ反動で横に転がると、即座に脇腹すれすれを恐ろしい速度で一刀が突き抜けて操作盤を両断。轟音が叩きつけられたと思ったらバチッと音が弾けて火花が散る。

 

 回避の勢いのままに操作盤を転がり落ち、ぱっと跳ね起きる。同時に足を踏み換え、もうもうと立ち昇る煙の向こう、敵の予測位置を見定めたハイキック。

 研ぎ澄まされた脚撃が煙を蹴り抜いて、だが直後、足に跳ね返ってきたのは鈍い反動だった。

 ハッとして目を凝らすと、超バラニウムの蹴り足の先に同じく黒い刀が差し込まれていた。刀の腹で蹴りを受け止めた形。

 

 ──二刀目ッ?

 

 風を切る刃音を知覚したときには、反射的に蹴り足で刀の腹を蹴りつけていた。

 勢いままに後ろに飛び退けば、たった今まで蓮太郎が立っていた空間を薙ぐ突風。

 間髪入れず吠える二刀目の軌道を義眼の予測演算がかろうじて捉え、義手で迎え受ける。

 甲高い打戟音の直後に、足元の床材が激震と共に爆ぜ一瞬で無惨な姿に変貌。

 重量級の斬撃をまともに受け止めて、ミシミシと蓮太郎の全身が押し潰され嫌な汗が吹き出す。

 目と鼻の先に浮かぶリトヴィンツェフのギョロリとした目。

 

「お前ならば強者の理屈を理解していると思っていたのだがな」

 

「ふざけろッ」

 

「お前のその腕、その力。理想を信念を、他者を蹂躙し、己が思うままの世界で塗りつぶすためのものだろう」

 

「黙れ、俺はお前とは違うッ。力の使い方を間違えたりはしないッ」

 

 ギチギチと一刀の重みに押し込まれる。

 

「そうとも。私はお前とは違う。力の正しい使い方を知っている」

 

「黙れっつってんだろッ……!」

 

「もっと見せてみろ、貴様の力を、その腕を振るえば振るうほど俺の正しさは証明される。力だ、全ては力だ」

 

「なら黙らせてやる。力づくでッ」

 

「そうだ、お前も力が全て。戦うことしかできない。道程に死をばら撒きながらな!」

 

 ──それでも妾たちは、戦わなければならないのか?

 

「……ッ」

 

 不意に脳裏を過った啜り泣く延珠に思わず目を剥く。なぜ今延珠を思い出した?

 マズいと意識を戦闘に向け直したときには、視界を二刀目が過り蓮太郎の眼前に迫っていた。振り上げた一刀はアクチュエータ駆動式の超膂力が付加され轟音を吼え義手に到達。直後に全身を衝撃が駆け抜け、堪らず蓮太郎の身が背後へ弾き飛ばされる。

 

「だが貴様の全霊を振り絞ってなお、私の心臓には届かない」

 

 吹き荒れた粉塵にリトヴィンツェフの声が木霊する。視界を遮られるのを嫌って、蓮太郎の脳が一時退却を即決。踵を返して室内を駆け抜ける。

 

「弱者は抵抗することもできない。圧倒的な力の前に平伏するしかない。今の貴様のように」

 

 だが通路へと飛び出しざま、横手を埋め尽くす壁から猛烈な寒気に包まれる。

 咄嗟に後ろに跳ね飛んだ直後、耳元をヒィンと鋭い音が擦過し壁面が爆裂。やにわに無数の光条がたった今蓮太郎がいた場所を唸りをあげて喰らい尽くす。

 遅れて膨れ上がった衝撃波が蓮太郎の顔面を叩きつけ、抉り飛ばされた瓦礫が跳ね上がり全身の肉を食い破って思わず身体が痙攣。肺が押し絞られ強引に空気を吐き出す。

 

 包囲射撃網。壁越しの超精密狙撃。

 

 蓮太郎は自分の歯が恐怖で鳴り出しているのを自覚する。

 義眼の真価は視界で補足した領域に限る。今の回避は全くの偶然。壁に囲まれていたら死ぬ。

 ほぼ奇跡の生存に息吐く間も無く、蓮太郎の直感が第二波を予告する。

 

 無意識に身を翻して義足を連続駆動。

 鈍い撃発音が弾けて蓮太郎の身が超加速して地面すれすれを滑空する。強引な身体操縦に全身が引き締まり、視界が揺れる。

 ほぼ同時に通路内を光条の嵐が降り注ぎ、炸裂する災厄音。暴風に身を嬲られながら爆発して巻き上がる土くれの中をがむしゃらに突っ切る。

 ここは既にリトヴィンツェフの必殺の領域と化している。とにもかくにも脱しなければ活路はない。

 

 視界に窓を捉えると、義足スラスタを調整して方向転換。

 カートリッジ式加速で視界いっぱいに迫る窓ガラスに拳銃を二発発砲。肩から突っ込んで、破砕音と共に屋外へと逃げ延びる。

 

 視線を落とせばずいぶん遠くにコンクリートの地面が見える。

 風が身を押し上げる浮遊感に包まれた直後、背後で爆裂音。弾け上がった爆風に背を押されて吹き飛ばされる。覆い被さる土煙に視界が途切れる。

 

 土煙を肩で切り裂いて飛び出しざま、跳ね上げた視界に赤い残光の尾を捉えて全身の産毛が逆立つ。

 ビットの銃口がこちらを睨みつけていた。

 XD拳銃を跳ね上げて、追従するビットへ乱射。だが弾丸は外殻に弾かれる。

 銃口が紫電を帯びるのを捉えるや雄叫びを上げながら脚部撃発。

 

「ぐうううッ」

 

 直後、熱線を浴びたような激痛が脇腹を抉る。

 虚空に散る真っ赤な血に意識を取り戻したときには蓮太郎の身は上空へと弾けあがっていた。射撃範囲から脱しようとしたが一手遅れ、ソニックブームが脇腹を割いたのだ。

 

 不意にうなじの辺りがカッと熱を持つ。

 空を舞う血球に過ぎる影。後ろだ。

 

「死骸を晒せ、英雄」

 

「な……ッ」

 

 ハッとして振り返ると、そこには既に飛行姿勢から身を捻って回し斬りを放たんとするリトヴィンツェフがいた。

 当然のように上空まで追い縋るリトヴィンツェフの三対六翼からはビットと同じく赤い残光が飛び散っていた。飛行能力の可能性を完全に失念していた蓮太郎からすれば痛恨の隙。

 

 風圧を孕んだ一刀が断罪のごとく振り落とされる。

 直感を待たず即座に義手を一刀に挟み込む。インパクトの瞬間、全身が弾け飛びそうな衝撃が義手を通じて全身を伝わり、猛烈な空気抵抗が背中に襲いかかる。視界いっぱいに迫る屋上庭園の地面を見て遮二無二体勢を整え、右義足での着地を試みる。

 着弾と共に衝撃が義足を揺らし、有り余る慣性力で潰れそうになる体躯。地面が爆裂して土くれを弾け飛ばし、轍を刻みつけながら後退する。

 

 うなじを走る電撃的悪寒に従って脚部カートリッジをさらに撃発。

 落下直後の急速後退で全身が軋むが、次の瞬間、眼前で破砕音が弾けて撒き散らされたソニックブームが蓮太郎の髪を吹き乱す。視界が爆散して跳ね上がる土くれ。蓮太郎の眼前に爆煙が誕生する。一瞬前までいた地面が無数の超音速弾頭で斬り砕かれたのだと遅れて気付く。

 

 紙一重の回避に背筋が凍る。

 だが直後、蓮太郎は真に驚愕することになる。

 

 粉塵が揺らぎを見せたと知覚した瞬間、矮躯で煙の帷を切り裂きユーリャが眼前に出現。獣の速度で蓮太郎の懐に肉薄する。

 義眼の捕捉が遅れ、演算予測が意味をなくす。マズい。

 演算素子が限界までスパーク。視界が白く明滅する。

 勘頼りに義手を前にかざした直後に、火花と共に甲高い音が弾けて凶爪が着弾。瞬間、高位イニシエーター渾身の力が全身を駆け抜けて、耐えきれず後方へ吹っ飛ばされる。

 屋上庭園に投げ出されて数度地面を跳ね、背中から木の幹に激突。鈍い衝撃に体躯が仰け反り、膝を突く。口の端から漏れ散った唾液が地面に落ちる。瞼が途端に重くなり、意識が飛びかける。

 

「蓮太郎ッ」

 

「里見さん!」

 

 そのとき澄んだ声が聞こえて、ハッと目を見開き、顎を跳ね上げる。

 幻聴かと思ったが、違う。いる。粉塵巻き上がる中庭に、見知ったツインテールの少女が瞳を赤く染めて戦闘体勢をとっている。傍には白尽くめの少女がひっついていた。突然の蓮太郎乱入に両名共に驚愕混じりの声音。

 

「延珠ッ」

 

 二人とも無事だったのだという安堵を状況が許さない。

 ──延珠を戦わせるな、里見蓮太郎。

 思わず延珠の前に飛び出そうとするが、延珠の表情が色を失う方が早かった。

 

「ダメだ蓮太郎ッ、──来るッ」

 

 何が、と問い返すより早く、空気が軋んだ。

 身を強張らせた瞬間、粉塵の帷をぶち破って、回転する黒い円盾が飛来。蓮太郎と延珠の中間点に割り込む形で着弾して爆ぜる大音量。吹き荒れる突風に顔面を腕で庇う。爆心地を中心にして視認できるほどの亀裂が庭園を走り抜け、地面を舐める衝撃波が足元まで到達。激しく突き上げられ思わずたたらを踏む。

 

「いい加減にその白いやつ手放してくれませんかねー? あなた諸共捻り潰しちゃったら私が怒られるんですけど!」

 

 粉塵が吹き飛び回復した視界に現れたのは、全身を甲冑で包んだ奇怪な少女だった。バラニウムランスを肩に担ぎ、甲冑の隙間からは赤い眼光が漏れ出ている。味方ではあるまい。

 ここに来て新手のイニシエーター登場に蓮太郎は内心で呻いた。クソッ。

 延珠がツインテールを棚引かせて叫ぶ。

 

「お主はしつこいな! 決着は着いただろうッ」

 

「決着ぅ? それはもしやこの私を一回蹴り飛ばしたことを言ってるんですかぁ?」

 

 甲冑の少女がこめかみに人差し指を押し当てる。

 

「だとしたら残念! あなたは確かに速い。ですが、この私の肉体を損壊せしめるには殺意が足りない。あなたじゃ勝てません。相性が悪すぎるんですよ」

 

 余裕たっぷりの挑発に延珠が唸る。

 

「負け惜しみだッ!」

 

「じゃあはっきりさせましょうか。負け惜しみかどうか!」

 

 甲冑の少女が両足で地面を捻りつけ、今にも飛びかかろうと槍を引き絞る。

 

「追撃することもできたのにやらなかったのか、ミーシャ?」

 

 そのときミーシャの脇からタクティカルベストで身を固めた男が顔を出した。

 

「真面目にやれ、と言ったはずだが?」

 

 ミーシャは一瞬萎縮したように肩を震わせるが、すぐに悪びれない声音を出し始める。

 

「でもぉ、片手間で捻り潰せる相手って遊んであげたくなりませんか?」

 

「理解できないな」

 

 男は小銃を油断なく蓮太郎に向けながら鋭い眼光でミーシャを射抜く。

 その目つきに蓮太郎の記憶が開いた。

 

「マーク・メイエルホリド……ッ」

 

 東京エリアの研究所を襲い、『スコーピオンの首』を略奪した下手人の戦闘乱入に心が凍る。

 

「有名になりましたねマーク。おしゃれな防寒具をつけないからですよ」

 

「もはや隠す必要を感じない。もうお前は沈黙しろ」

 

 甘ったるいミーシャの小言に、メイエルホリドはしかめっつらで返す。

 

「絶望的な状況だな里見蓮太郎」

 

 ブウウンという羽音が頭上から鳴り響く。視線を上げれば上空でリトヴィンツェフが蓮太郎を見下ろしていた。

 

「頼みの綱のイニシエーターに頼るか? どうする、二人で戦うか?」

 

「やめろ! 延珠に構うなッ」

 

 蓮太郎の神経を逆撫でする挑発に、力の限り拳を握りしめて構える。

 

「テメェらは俺一人で十分だ!」

 

 そのとき視界の端で延珠が浮き足立つのを見咎める。

 

「蓮太郎、妾も戦うぞッ」

 

「延珠は下がってろ! 俺がやる。俺がやらなきゃだめなんだッ」

 

 延珠の振り絞ったような声を、かぶりを振って遮る。

 延珠が息を呑む。苦しそうに表情を歪めて、砂利を捻りつけて顔を伏せる。

 

「妾はッ、妾だって……ッ」

 

「延珠……?」

 

「妾は、なんなのだッ。蓮太郎にとって妾はッ」

 

 痛みに耐えたような喘ぎに、蓮太郎も異変に気付く。

 蓮太郎にとって延珠がどんな存在か。決まっている。家族だ。守る対象だ。だから俺が前に立って。延珠を。

 戦わせたくない。守れないから。

 だが声をかける前に、リトヴィンツェフが庭園に降り立っていた。

 

「虚勢を張るか。自慢の義眼は戦力差も計算できないのか?」

 

「俺自身が、負ける気はないと言ってるんだ」

 

「くだらない意地だな。あまり失望させてくれるなよ、里見蓮太郎。既に結末は見えた。お前の敗北だ」

 

 蓮太郎は思わず歯噛みする。

 ユーリャ一人相手でも蓮太郎に反撃する隙は見出せなかった。リトヴィンツェフのエクサスケルトン能力による飽和射撃に対して蓮太郎は逃げることさえできなかった。加えて未知のペア。この状況、蓮太郎一人では手に余ることは誤魔化しようのない事実だ。

 

「敗者には退場していただこう。幕を降ろしてやれ、ユーリャ」

 

 延珠が驚愕に目を見開く。呆けたように飛び出した声が、空に溶けて曖昧な存在と化す。

 たん、と軽い音を立てて、リトヴィンツェフの前に長銀髪の少女が騎士の如く舞い降りる。

 ユーリャは赤くなった瞳で延珠の方だけを見た。

 

「こんな形で再会したくはなかった。ごめんなさい、延珠」

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