梔子ユメの最後の冒険 〜チョロアホガールとポンコツ詐欺師の復讐劇〜 作:外柴葡萄
梔子ユメは落ち込んでいた。
まるでアビドスの砂漠が気紛れに巻き起こす砂嵐のように唐突に降って湧いたユメの生徒会長就任から、かれこれもう三月は経つというのに、いつまで経っても治る気配のないドジは収まるどころか加速度的に増加していき、ユメの可愛くて仕方のない大事な後輩をついに本気で怒らせてしまったのだ。
「うぅ……。ホシノちゃん、まだ怒ってるかなあ」
生来の気質なのだろうか、ユメはとにかく人に騙されやすい。というより人の疑い方を知らない。
どこかで誰かが困っていれば声をかけずにはいられないし、何かを頼られて手を貸さなかったことはない。
そのせいで何かと大変な目にあう事もしょっちゅうなのだが、小さな頃からずっとそうだったものだからユメの中ではそれはもう当然のことになってしまっていて、だからそれで人より余計に損をしているなんて、それこそ考えたこともなかったのだ。
ユメのたった一人の小さな後輩は、ユメのそういったところが、どうやらたまらなく気に入らないらしい。
最初の頃は、また自分で気づかない内に何か嫌われるような
必死で謝ったが、何に謝っているのかと問われてユメは何も言えなくなってしまった。
呆れられたと思う。
ユメにとっては好きで好きでたまらない後輩だとしても、相手も同じように自分を好いてくれるとは限らない。
そう思い至ってしまったら最後、なんだかどうしようもなく悲しくなってしまって、それからユメはホシノが喜びそうだと思うあらゆる事を、とにかく思いつくだけ全部、力の限りに試しまくった。ドジって失敗したものもあれば、思いの外成功したものもあった。
果たしてホシノは、その全てを喜ばなかった。
どうしたらいいのか分からなくなった。
いや、ユメだって分かってはいるのだ。
本当は自分がもっとしっかりしなければならないのだ。なんたって自分はホシノよりも先輩で、その上なんとこのアビドスの生徒会長なのだから。それはそうなのだけど……。
何の言い訳にもならないと分かってはいても、その考えに縋らずにはいられなかった。無我夢中で挑戦を繰り返してはその悉くを返り討ちに遭う日々の中で、ある時ふと思ってしまったのだ。
だってそうではないか。
こんな失敗だらけの自分を、あんな真面目で優秀な後輩が見捨てずに居てくれるわけを、他に考えられるだろうか?
直接声に出して聞いてしまったら、情けない本音を晒して甘えてしまったら、容赦を知らない名刀のような切れ味のあの口調でばっさりと切り伏せられて、今度こそ本当に再起不能にされてしまうかもしれない。
そのくせ一度その可能性に行き当たったが最後、どうしたって捨て切る事の出来ぬ、甘い罠。
そのふいに心に湧いた思いつきを、ユメは結局、いつまで経ってもホシノにぶつける勇気が出せないでいる。
生徒会長の重責に見合わない、何処までも甘く都合の良い妄想。
ホシノは、ひょっとしたら、ユメの事が嫌いだから怒っているのではないのかもしれない。
怒ったホシノが教室を飛び出してから、もしかしてここでじっと待っていればそのうちひょっこり戻ってきて、あっさり仲直りしてくれないかな等と都合のよい妄想で現実逃避するのもついには耐えられなくなってきて、仕方がないのでユメはよろよろと力ない足取りで校舎の中からよろぼい出た。
いつの間にか日中の地獄のようだった熱気も落ちついてきて幾分過ごしやすくなっていた外は、見渡す限り一面の赤にすっかり沈み込んでいた。
砂漠の夕焼けだ。
アビドスの日暮れだ。
気持ちが沈んでいたからかもしれない。見慣れたはずのその景色がその時はなぜだか無性に心に迫ってきて、ユメはその場でしばらくどうしようもなく立ちすくんでいた。
そのまま太陽が遠く山並みの陰に見えなくなるのを見届けたころ、ユメはようやく自分に近づいてくる人影があるのに気づいてぎょっとする。
その人影は、ホシノよりも頭一つは背が高かった。
その人影は、頭に何やら恐ろしい形をした角のようなものを生やしていた。
そして何より、その人影には
「……キキキ。なんともまあ、今日はまた馬鹿に晴れているじゃあないか。もっともこういう時に限ってだいたい後から大きな嵐になるものだが」
ユメが自分に気づいた事に気づいた人影が口を利いた。
三月前、ユメが生徒会長などというまるで似合わない席について、アビドスがついにホシノと自分の二人きりの学校になってから、もう二度と聞くことはないと思っていた懐かしい笑い方。
羽沼マコト。
かつてこのアビドスの生徒として共に机を並べた少女。
ユメの二つ下の後輩でホシノの同級生だったあの痩身が目の前に立っていた。
「……お久しぶりとでも言うべきところかな?ユメ先輩」
「マコトちゃん?ほんとにほんとにマコトちゃん?なんでマコトちゃんが
「……キキキ」
ユメはどうにもバツの悪そうにしているマコトの顔を穴が開きそうなほどに見つめる。ほっぺたを突っつく。角を指で弾いてみる。
散々マコトを触り倒して、自分の頬を紅くなるほど引っ張って半べそを掻きながら、ようやくユメはこれが夢ではないと納得した。
そのまま勢い込んで質問攻めにしようとするユメを抑えて、マコトが言う。
「取り敢えず、立ち話もなんだろう。どこか落ち着ける場所で話そうじゃないか。先輩」
「あ、ごめんなさい。そうだよね。せっかくマコトちゃんが会いに来てくれたんだもん。ちゃんとおもてなししないとだよね」
さっきまで落ち込んでいたのもすっかり忘れて、ユメは先導するように歩き出す。
どこがいいだろう。手近で済ませるなら校舎に入って適当な空き教室を使ってもいいが、久々の再会にしては少々味気ない気がする。毎日会えるホシノちゃんならそれでいいが、マコトちゃんには次にいつ会えるか分からないのだから……。
「あ」
「?」
はたと大事な事に気づいて、ユメはくるりと向き直る。マコトに向かって嬉しそうに
「そういえばマコトちゃん。ホシノちゃんにはもう会ったの?まだなら呼んでみようか?マコトちゃんがいるって言えば──」
瞬間、マコトの顔に浮かんだ感情の意味を、ユメはついに掴み損ねた。
恐れとも、悲しみともつかない苦い表情。
ユメの記憶の中のマコトが見せたことのない顔。
いつも無闇矢鱈と自信満々で、いつだって偉そうだった愉快で楽しいマコトちゃん。
ユメが二の句を継げずにいる内に、キリとしているのにどこかひょうきんないつもの顔に戻ったマコトが問いかける。
「先輩。実は前から一度行ってみたかった店があるのだが、そこでどうだ?」
「う、うん。私は構わないけども」
「うむ。では行くか」
先に立って歩き始めたマコトについていきながら、ユメはぼんやり考える。
マコトはホシノに会いたくないのだろうか。
それほど昔の話ではない。アビドスにいた頃のマコトとホシノは、けして大親友ではなかったにしろ仲は悪くなかったと思う。
策謀家の気のあるマコトがしょっちゅう怪しげな復興計画を打ち出しては真面目なホシノに叱られていた。あの頃のホシノは、今よりよく笑っていた気がする。
へなちょこな自分がいつか卒業してしまっても、有能な後輩達がきっといつか、アビドスの抱える莫大な負債も日に日に広がってゆく意地悪な砂漠もまとめて全部やっつけて、昔話で聞いたような強くて立派なアビドスを取り戻してくれると、無邪気に信じていたあの頃。
希望なんてなんにも見えないくせに、ただみんなといるだけで理由もなく毎日楽しかった。
マコトたちは実際、どうしていなくなってしまったのだろう。
あの日、マコトを含むアビドスの前生徒会メンバーが皆一緒に学校を辞めると言い出して、年度途中の実に中途半端な時期だったにも関わらず即席で開かれた挙手投票の多数決で、あれよあれよと言う間にユメが新しい生徒会長に指名された。
全く意味が分からなかったが混乱したユメがいくら理由を聞いても、誰も何も教えてくれなかった。
そうしている間に前生徒会長は自分で自分の退学届けを受理して本当にいなくなってしまったし、他のメンバーもみんな散り散りに転校していってしまった。
責任を取ると前会長は言っていたがユメには何の事か分からなかった。
仲間たち(少なくともユメは今でもそう思っている)が説得出来ないと悟って、ユメは考え方を変えた。自分が生徒会長になるなんてその時まで考えたこともなかったが、せっかくそんな機会が与えらえるのなら出来るだけのことをやってみたいと思った。いつだって前向きなのが数少ない取り柄だ。
ユメが会長になってから今日までの間に、残った他の生徒達も次々と辞めていった。
そうしてキヴォトスで最も古く、長い長い歴史を誇る偉大なるアビドス高等学校には、ユメとホシノのたった二人の生徒が残されたのだ。
際限なく広がり続ける砂漠と、砂に埋れてもはやほとんどが空き家となった廃墟寸前の町とともに。
時間にすればほんのここ三ヶ月ほどの話である。
あの時、ユメも随分錯乱したが、ホシノの困惑はその非ではなかった。
無理もない話だ。なんせホシノはまだ入学してきたばかりのぴかぴかの一年生で、前の生徒会長を慕っていた。
そういえばあの頃、マコトとホシノは大きな喧嘩をした。
喧嘩といってもホシノが一方的に殴って、マコトは一切抵抗しなかった。
そんなことは初めてだった。
マコト達がいなくなってからホシノは荒れた。
前みたいに喋らなくなったし、学校をサボる事も増えた。
入学後すぐに判明したホシノのヘイローの頑健さはちょっとした話題になったものの、すぐにみんな気にしなくなった。
当時の生徒会は何か難しい案件を抱えていたらしく、新入生に時間を割く余裕はなかったらしい。
上級生たちが相手をしてくれないと悟ったホシノは一人で街に出て、自警団のような事をしていたらしいが、生徒会がいなくなってその頻度は倍増した。
何度か外の町に出てどこからか集まってくる不良達と喧嘩して、
一度なんてゲヘナという大きな学校の風紀委員を相手に大暴れしたこともあった。
会長になったユメは、その度に迎えに行って頭を下げた。警察は優しかったが、ホシノは厳しかった。
ゲヘナと揉めて外交問題になりかけてからホシノは外で喧嘩をしなくなった。
実をいうとあの時きっかけになったのはユメのドジだったが、ホシノは何も言わなかった。
現場に居合わせた、ゲヘナ生らしいでっかいヘイローをしたちっちゃい子が助け舟を出してくれてなければ、どうなっていたかわからない。
あれから、ホシノがユメの関わらない所で警察の世話になった事はない。