梔子ユメの最後の冒険 〜チョロアホガールとポンコツ詐欺師の復讐劇〜 作:外柴葡萄
事の発端は、今からさらに数年前、
もっとも私自身は、当時はまだ連邦生徒会にも所属しておりませんでしたから、既に卒業された当時の担当者から引き継いだ情報を基にした現在の連邦生徒会が有する認識程度にお考え下さい。
そちら側にも何か記録が残っているかもしれませんが、その頃当時の連邦生徒会はアビドス生徒会からある相談を持ちかけられたのです。
推移を鑑みればおそらく、それ以前からも何かしら情報共有はあったのだと思われますが、とにかくその存在が公式な記録に顕されたのはそれが最初ということになります。
アビドス自治区は、もちろん誰よりご承知とは思いますが、数十年前からの気候の急激な悪化による砂漠化で居住域を浸食されつつあるという例の問題がいよいよ深刻化しておりました。
連邦生徒会としてもアビドス自治区の状況は以前より把握しておりましたが何分、自然現象が相手ですので……明確な解決策の立案には至らなかったようです。
いくつかの対応策が発案され、古くは連邦議会にもかつて所属したアビドス出身議員達によって救援要請の動議が為された記録も残っておりますが、結局採算の当てのない復興事業に難色を示した議会の承認を受けられず、なあなあのまま放置されていたようです。
そんな折にもたらされたアビドス生徒会からの報告は当初、それらの問題とは直接関係のない突発的な事象と見做され、その真の深刻さが理解されるまでには時間を要しました。
曰く、アビドス砂漠の只中の、その地面の下に何か生物のようにも見える巨大な存在が蠢いているという。
連邦政府への報告書の内容から推察すると、どうやらその存在はアビドスではもうずっと以前から知られていた定番の怪談話のごとき存在だったようですが、とにかく連邦生徒会がその時になって初めて認識したその不可解な存在は、実際にはこのキヴォトスの根幹を揺るがす程の、きわめて重大な問題の、そのはじまりの兆候だったのです。
由来の説明は端折りますが現在、連邦生徒会ではその存在を「ビナー」と呼称しています。
巨大な機械の蛇のような姿をしたその存在は、アビドス砂漠の砂中に潜行し自在に動き回る詳細不明の能力を持つことが報告されています。
間に幾度かの不明期間を挟みながらも、アビドス各地で長年に渡って断続的に目撃されてきたという事です。
時を前後して、連邦生徒会の方でもアビドスに関してある重要な問題が発生している事に気が付きました。
当時、代替わりを終えたばかりであった現連邦生徒会長が、就任直後の業務引継ぎと状況把握の確認作業の最中、全キヴォトスのインフラから通信網にまで至る汎ゆる基幹機構を統御するシステム=サンクトゥムタワーに連なるセントラルネットワークの一部地域で、以前から不具合が起こっていた事に気がついたのです。
前任者の会長はタワーとの適性が歴代でも低い方でしたので、その機能の全貌を掌握出来ていなかったのではないか、というのが現会長の見解です。
その障害が最も顕著だった地域の一つがアビドスでした。
直ちに調査を開始した現会長以下連邦生徒会は、当時のアビドスの生徒会やゲヘナの科学者達とも連携して原因の究明に当たる中で、一つのある存在に行き当たったのです。
それが「
その計画の詳細な全容は、今以て完全には解き明かせれてはいません。
恥ずかしながら工学、考古学的な分野には造詣が浅いもので、ここからは専門家の
遺された記録の分析に当たった専門家、連邦生徒会と協力関係にあったゲヘナの科学者で昨今では「雷帝」の異名で知られるようになった人物ですが、彼女によれば、そのAIの設計には多くの未知の新技術や、キヴォトス各地で発見される古代文明の遺物に似た構造、果てはキヴォトスの外から持ち込まれたとしか説明の出来ない、解析不可の全くの異系にある超機構。そういった現在のキヴォトスでは見られない技術体系が至るところで見出されたということです。
とはいえ、彼女の言う所では最も謎めいているのは、それらの超時代的な技術を用いて作り出されたそのAIに、開発者達が
「神性を探し出す人工知能」
開発者達はその存在をそのように称していたようです。
記録に拠ればそのAIには、一つのある命題が与えられる事になっていたようですが……私見を差し挟むなら、あまりに難解過ぎて到底理解が及ばない、天上人の道楽のような代物という感想でしょうか。
雷帝の評によれば、その問は喩えば「果たして天使は一つの針の上で幾人踊り得るのか」を思考するような、どうにも意図の理解しかねる、哲学問答にも似た類のもの、と。
そんな命題の答えを得ることに一体何の意味があるのか、今となっては誰にも分かりません。
ですが、そんな太古の淫祠邪教の如き集団の目的がなんであったにせよ、連邦生徒会にとって問題なのはそのAIがどうやら実際に稼働し、今まさに現実に問題を引き起こしているという事実の方でした。
さらなる調査を続けた結果、我々は一つの結論に達しました。
それはつまり、件のAIはどうやらセントラルネットワークの内部に侵入しており、その接続を介してサンクトゥムタワーの制御するキヴォトス各地の基幹機構への「攻撃」を行っているらしい。そしてアビドスから報告された例の怪物は、どうやらそのAIによって汚染され暴走状態にある、本来ならアビドスの環境保全の機能を司るはずのシステムの一部であるらしいのです。
鬼方カヨコは、どうにか自分を律しようとしていた。
否応も無くざらついてしまう感情を目の前の彼女にぶつけるのは理不尽であると頭で分かってはいても、仄暗い感情は勝手にカヨコの心を浸食してきてしまって、どうにもしようがない。
別に、かつて彼女の身に降り掛かった不幸な出来事のその全ての責任があの女、カヨコが情報部を離れて以降は全くの没交渉となっていた彼女にあったわけではない事は、理解しているつもりだった。
ましてや今現在彼女の眼前で開示されている事の顛末は、聞く限りに於いて誰か特定の個人の責任どうこうで済ませられるようなものではあり得なかった。
ユメとアビドスが置かれた状況は、一人の生徒会長が、一つの学校の生徒会が担い得る責任の範疇を越えているとしか思えない。それほどまでに絶望的に思えた。
出会ってから間もないとはいえ、わずかばかりその人となりを知った彼女の心情を思い遣ることで、かろうじてカヨコは平静を保っていた。
アビドスの校舎1階にあるこじんまりした会議室の中、カヨコとユメの向かいに一人の少女が座って、長い昔話をしている。
対面に座るその、理知的な視線を眼鏡の下に隠す長身の少女を睨みながら、鬼方カヨコは自身の秘めた記憶を思い返している。
そもそもかつてカヨコが置かれた状況の最大の問題点を冷静に分析するなら、結局のところ周囲の同僚達との良好な関係を構築出来なかったカヨコ自身に、その責の大半はあったのだろう。当時の彼女と似たような状況に置かれながら今も尚、情報部に席を置いて活動している者もいなくはないのだから。
だがそうは言っても。
あの日以来、幾度なぞり返したかしれない筋道を性懲りもなく辿り直しては、カヨコの思考はいつもその結論へと帰着する。そうは言ってもなのだ。
右も左も分かっていなかったペーペーの新人が乱暴に放り込まれるにしては、どう考えてもあの頃のカヨコの置かれた立場はあまりに複雑で、辿った経緯を考えるならばこうして五体満足で息をしていられるだけむしろ幸運だったと思えるほどに、きわめて難解だったのだ。
羽沼マコトの計画に加担してアビドス自治区に入り込み、梔子ユメとの邂逅を経てネフティス社と鉄道購入の約束を取り付けてから。
思いの外にすんなりと進行した交渉を乗り切って旧市街の半廃墟の通りを歩く足取りも軽く、未だ高い日差しにあぶられる砂漠の外気に難儀した二人の少女はそのまま、どこか屋内に退避して今後の計画を練ろうとしていた。
一つの山場を越えたとはいえ、彼女らが企む謀略の成就への道程は未だ遠く、勘案せねばならぬその先の障壁は益々もって多岐に渡っていた。
とはいえ浮かれた調子でくるくると動き回りながら取り留めもないおしゃべりに興ずるユメの表情は明るく、応ずるカヨコの常と変わらぬ平静な物腰さえどこか浮足立って見える。
「ねえカヨコちゃん、お腹空いてない? 私はペコペコ!」
「そうね。この辺にどこか良いお店あるかしら」
「ふふふ。アビドスの御飯屋さん事情ならこのユメパイセンにおまかせあれー。ちょっと待ってね、今候補を絞るから。カヨコちゃん何か食べたいのある?」
「おまかせするわ、ガイドさん」
「うん。うへへ」
言うやユメは懐から何やら手帳を取り出し、真剣な顔でにらめっこを始める。
先の見えない洞窟の奥にようやく一筋の光明を見出したばかりの、ほんの一時の気休めの時間。だというのに。
カヨコがパーカーの懐に無造作に突っ込んでいたスマホに着信が入る。
そのかつてと同じくあまりに唐突に、一方的にやってきた“あの女”からの連絡によって、鬼方カヨコは容赦のない悪夢の如き現実に呼び覚まされてしまったのだ。
その実に虫の良い「お願い」に応えるのは、カヨコにとっては様々な意味でひどく困難であった。
まず、もちろん心理的なハードルがあった。
どれだけもう終わった事だと割り切ろうとしても、一度生まれた負の感情というやつはそう簡単に消えて無くなるものではない。いまさらどうして自分がアイツらに手を貸さねばならないのか、という思いが湧いてしまうのを責められる者が、果たしてこのキヴォトスにいるだろうか。
次に問題なのは、カヨコ本人の個人的感情を無視してみたところで、そもそも理由がないことだ。
如何に相手の地位が高かろうと、カヨコにとっての“あの女”はあくまで自らがかつて所属していた組織と利害関係を結ぶ別の組織の長でしかない。その関係はどこまでも交渉相手としてのそれであって上司でもなんでもない以上、本来的にはその命令に従うような筋合いはまるでなかった。
まして今やカヨコはその情報部を放逐され、ゲヘナ学園という組織にあっては既にどのような地位にもいない、単なる一介の生徒に過ぎない。
したがってその時点に於いて、鬼方カヨコの側にその「お願い」を履行する、どのような職務的義務も存在していなかったのは間違いないのだ。
だから、その時カヨコがその突然やってきた「お願い」に応じたのはあくまでも彼女自身の個人的な判断に基づくものであったし、封印した過去から漏れ出てきた亡霊のようなその要求に対してどうしようもない忌避の念を感じながらも、それを圧し殺してきわめて理知的に行動したのは、実に彼女らしい公正さを示す称賛に値する行いだったと言うべきなのだ。
とはいえ、連絡してきた相手がカヨコが内心いかに屈託しようともきっとそうするであろうことまで全て予期した上でその「お願い」をしてきているのは分かりきっていたし、それを察しつつも実際その通りに動いてしまう己の性を顧みずにおれないカヨコが心中穏やかでなかった事は想像に難くない。
忸怩たる思いを抱えながらもその良心の囁きに従って、同行者に彼女が受け取った連絡の内容を告げたカヨコは、その内心など知る由もないユメの快諾を慚愧に堪えぬ思いで受けとると、そのまま二人で荷物の満載したジープに乗り込みアビドスの本校舎がある市街地へと帰還の途についた。
道中、ユメが垣間見た、慣れ親しんだ筈のアビドスの街並みは似ても似つかぬ有り様と化していた。
昨日の朝まで確かにそこにあったはずの家々が姿を消してすっかり見通しが良くなった街角から、見知ったはずの風景を見たことのない角度で見渡したユメはその時、果たして何を思っていたのだろう。
まるで巨大なハリケーンでも通り過ぎたかのように、あちこちで建物が崩れ去っているにも関わらず人気もなく静かに砂煙に巻かれるがままにされているその街並みは、知らぬ間にもうとっくにユメが生まれ育ったあの街ではなくなってしまっていたのかもしれない。
「あそこの通りにね、いつも夏の間だけ限定で、ジェラートのお店が出てたの。冷たくて美味しいんだよ。今年はもう、終わっちゃったのかなあ」
「……そう」
自分の気持ちに整理をつけるので一杯になっていたカヨコに、同行者を慮る余裕はなかった。
ユメを伴ってアビドスの校舎へと帰り着いたカヨコは、予告通りの時間にぴったり現れた一人の女、スラリとした痩身に似合う賢そうな瞳に眼鏡をかけたある少女と対面していた。
突然の連絡で彼女が要求してきたのは会談に使う落ち着ける部屋が一つと、その近くにあるできるだけ開けた空間。
その文面をみた瞬間に大方察しがついていたカヨコと違い、会長就任以来初めてのゲストの応対に舞い上がっているユメが目を丸くするなか、案の定巨大なヘリに乗って現れた彼女はそのままアビドス高校の校庭に爆音とともに降り立ったのだった。
「カ、カヨコちゃんカヨコちゃん、凄い! なにあれヘリコプターだよ。すっごいねえ!」
「ほんと、相変わらずやることが派手ね。あの連中は」
そうして天上から舞い降りてきた少女を迎え入れた二人は、社交辞令もそこそこにアビドス校舎の会議室に入りこうして向かい合っているのだった。
ところでカヨコの言うところの“あの女”というのは、今しがたアビドスの校庭に降り立った彼女ではない。
目の前のその少女は単なる遣いっ走りの下っ端でしかない。だいたいカヨコはあの女と、直接に言葉を交わした経験すらないのだ。
カヨコはほんの数度だけ端に同座した会席で見聞きしたあの女が、想像していたよりもずっと幼気な少女で、想定していた以上にとんでもない傑物であった事をぼんやり知っているだけだ。
当時の立場から考えればそれでも、カヨコはあの女について多少の面識があるだけゲヘナやキヴォトス全体からみても希少な存在であった。
彼女の如き一介の生徒と、“あの女”、すなわち全キヴォトスの頂きに君臨する“連邦生徒会長”とでは、住んでいる世界がまるで違うのだから。
鬼方カヨコはかつて、ゲヘナ学園というキヴォトスでも屈指のマンモス校を裏から牛耳る情報部の鬼子として、当時の万魔殿議長であった雷帝の下で全ゲヘナ生の代表として、連邦生徒会との連絡係という大任を担っていた時期があった。
彼女は全く有能だった。
キヴォトスという一つの世界そのものを、比喩でなく指先一つで差配し得る絶大な
そしてだからこそ、事が成った後で彼女は真っ先に排除されたのだ。
その時に仕えた主が、時勢が悪かったとしか言いようがない。
雷帝という歴史が手にした一人の天才は、その稀有な才能を買われてついにはゲヘナの名目上の首長の座にまで祀り上げられたのだが、その力に目をつけたのは何も万魔殿の政界に巣食う、粗暴極まる単細胞どもだけでは無かったのだ。
あの人には特別な才能があった。
その才能は古代の超文明が残した超技術を復元し、自在に作り変える事すら可能にした。
多くの者がその力を求めて彼女を取り込もうと画策し、最終的に連邦生徒会が介入する事態にまで発展して、一旦の均衡状態が訪れた。
そんな複雑な立場に立たされて彼女は実に強かだった。が、結果から言えばむしろもう少しくらい周囲に弱みを見せられる可愛げがあった方が良かったのかもしれない。
自身の価値を正しく理解し、利用しようとする者を逆に利用してみせる老獪さを備えていたゲヘナの麒麟児は、いつしか「雷帝」と称される権力者となっていた。
そうして連邦生徒会という絶対的な権威までもを後ろ盾に得たあの人は、ゲヘナ史上でも稀に見る程の絶大な強権を手中にしたのだが、それゆえに多くの政敵を抱えることにもなった。
その種の権力の集中を嫌う存在というのは、どういった場所にも必ずいるものだ。ましてゲヘナという、時に行き過ぎなほどに生徒の自由を信奉する土地柄では、その政治思想の是非以前の問題として、強権はそれだけで煙たがれた。
はじめの内こそ褒めそやされた雷帝の才能も、その費用捻出のために莫大な負担が求められるようになると掌を返すように酷評されるようになっていった。
だが、そもそも雷帝という存在の、その個人的な政治信条がどういったものだったのか、実のところカヨコには体制が終焉を迎えた今となっても、未だによく分からない。
どうにも掴み処のない性格をしたあの人物は、けして政治に向かないわけでは無かったとは思うのだが、だからといって巷間で言われるほど殊更にそれを好んでいたかといえば疑問があるところだ。
一部下としてのカヨコの私見を述べさせてもらうならば、どちらかといえば時偶に降りてくるという天啓のような発想に従って珍妙な発明品をちまちまと形にしている時の方が、楽しそうに見えたものだ。
とはいえ当人が実際にどう思っていたところで、好き勝手にその意図を解釈され決めつけられるのが公人というものの宿命だ。
最終的には万魔殿の議場に吹き荒ぶ気まぐれな乱気流を読み違えて、気づいた時にはあの人の周りは敵だらけになっていた。
カヨコ自身、当時は随分と疑心暗鬼になったものだが、その実で別に誰か裏で糸を引く黒幕めいた存在がいたわけではない。ただ単に、大抵のゲヘナ生は人に指図されるという事が心底嫌いだったのだ。
潔い最後だったと思う。
暴動は、下手をすれば血で血を洗う最悪の内乱に発展する可能性をも秘めていたはずだが、執着一つ見せず実にあっさりとその権能を議会に返還した雷帝の妙手によって、無血での改革は実現された。
彼女を巡る長い動乱の時代を考えれば驚くべきことに、実際にはほんの一学期すら保たなかった雷帝の治世が終わった後も万魔殿が生徒会としての機能を保っていられるのは、皮肉な事に彼女らが放逐したその当人のおかげなのだとカヨコは理解している。
あの人はもう、表舞台に戻って来る事はないだろう。
今頃は楽隠居でも気取って、存分に趣味の細々とした発明にでも没頭しているのかもしれない。
別に、雷帝という人物に対してカヨコになにか親愛の情であったりとか、そういう特別な気持ちがあったわけではない。
だいいちカヨコはそんな感傷を持てるほどあの人と親しくも無かった。言ってしまえば単なる上司と部下で、それだけだ。
ただ、始めて任された大きな仕事を全うするどころか、一度は居場所と決めた相手から犯罪者のように扱われ、冷たく追い出されたという記憶は少女の中に消えない傷口として、いまもまだ熱をもってあるのだ。
あまり思い出したくもない自身の過去を否応なしに呼び覚ましてくるその眼鏡姿の連絡係、連邦生徒会長付きの秘書官として連邦生徒会と各学園の生徒会の間に入り、カヨコとも直接の折衝に当たっていた彼女、七神リンを目の前にして、カヨコは強引に思惟を断ち切ろうとする。
役職的には未だ下っ端とはいえ彼女は朝命によって遣わされた公の使節だ。生徒会長の覚えもめでたい本物のエリートを相手に半端な姿勢で応対出来るはずもない。
とはいえ当のリンの方は別に、何もカヨコを訪ねて旧交を温めに来た訳では無い。
だいたいもはやゲヘナの政治機構に於いて何の地位にもいない彼女に対して、何故に今更また連邦政府が連絡を取ってきたのか、はじめはどうも分からなかったが、その用件を聞いて少し腑に落ちた。
彼女が用があったのはカヨコではなく、同行していたアビドス高等学校の現生徒会長、梔子ユメその人であったのだ。
ユメに会うために何故カヨコのところに連絡が来たのか、本当のところは分からない。しかし、カヨコにも心当たりが無いではなかった。
連邦生徒会長は、サンクトゥムタワーとかいう謎の機構を介してキヴォトスに存在する汎ゆるシステムを自在に掌握すると言われている。その力を持ってすれば、その気になればキヴォトスに学籍を持つ一生徒の所在を洗い出す事など容易に出来るはずである。
その際、偶然近くに過去に連邦生徒会と公式な関係のあったカヨコが居ることを知って仲立ちを頼んできたというのは、無い話でもない気はする。
七神リンという眼前の官吏がその生真面目そうな見た目にそぐわず、いざという時には題目や名分といったお役所的な手続きは後付けでどうとでも出来ると割り切れる胆力の持ち主だという事をカヨコは知っている。その即興的な思い切りの良さが、時に政敵の付け入る隙となる脇の甘さであることも。
因縁浅からぬ連邦生徒会からの接触に対して、複雑な心境を抱えたカヨコに対応を尋ねられたユメは、生徒会長としての職務を忘れてはいなかった。
いまいち状況を分かっていなさげにしながらも、とにかくその特使に会うことにしたユメの意向を受けたカヨコは即席で会談の場をセッティングした。経験者だけあって異様に手際が良い。おそらくユメが一人で準備していれば今頃パニックに陥っていてもおかしくない程の事態であっても慣れたものだった。
カヨコに言わせれば、そもそも連邦特使が即日での訪問、それも生徒会長への直の面会要求など申し入れてくる方がおかしいのだ。
対応になにか不備があったところで文句を言われる筋合いはないし、まして七神リンという女はそんな事は分かった上で要求してきているはずだ。であれば気遅れしてやる必要はない、堂々としていれば良い。
青天の霹靂のような天上人の到来に慌てるユメは、カヨコからそういった趣旨のアドバイスを贈られて、何とか心を落ち着けたのだった。
「どうしようカヨコちゃん……私昨日からお風呂に入ってない! 臭くないかなあ!?」
「……まだ少し時間あるし、シャワーでも浴びてきたら? アビドスだって学校なんだし、それぐらいの施設あるでしょう?」
「……! うん!」
そんなわけで梔子ユメと七神リンに鬼方カヨコという、何ともよく分からない三者がアビドスの小さな教室に集ったのだ。
無為な礼儀作法というものに実のところ大した価値を見出さないリンの性格をよく知るカヨコの段取りのもと、社交辞令もそこそこに切り上げた七神リンこと連邦生徒会長の代理人はそうしてついに事の顛末を語り出したのだった。
「なんともまあ、平和ですねえ。ええ、実に平和です。面白くありません。何かこう、病弱天才美少女ハッカーの退屈を紛らわすような、ワクワクするような事件でも何か起きないものでしょうか」
明星ヒマリは暇をしていた。
しばらく前にセミナーに対して仕掛けた遅効性のスパイウェアを同級生のマキャベリストに看破された彼女は現在、隔離された懲罰房に押し込められて折檻を受けているはずである。
とはいえもとより生まれついての身体的なハンデキャップを背負っている彼女にしてみれば、物理的な外界からの隔離など今更な話であった。
鼻歌交じりで自作の車椅子に常人には分からぬように仕込んでいた小型端末とナノマシンツールを使って早々に部屋の解錠を済ませてしまったヒマリは欠伸を噛み殺す。
懲罰房の看守がいかに鬼のごとき無情の輩であろうとも、流石に身障者から足まで奪うのは気が引けるものだ。そんな心理まで計算に入れたヒマリの悪戯も、もうそろやり過ぎてしまって飽きが来る頃合いである。
はじめの頃は隔離室内にいるはずのヒマリが何故か街頭インタビューに答える様子がTV中継されたりする度に青くなって大騒ぎしていた看守も、今となっては人が通れば直ちに感圧センサーが反応するはずの看守室前通路を電子制御の車椅子がピコピコ言いながら通り過ぎるのを見ても、もはや我関せずの知らん顔である。
如何に看守の主観世界において獄囚が脱獄を繰り返していようとも、万全なセキュリティによって担保された記録上での明星ヒマリは間違いなく模範囚として服役している事になっているのだ。そんな状況で下手に騒げば今度は自身の精神鑑定という地獄の扉が開かれる事を彼女は既に学んでいる。
なによりこの程度の事で一々慌てていては到底、
他人事のように偉そうにうんうん頷きながら散歩に出たヒマリはラウンジに並ぶ自販機の前まで来て足を止めた。
いつものように違法コードを噛ませてドリンクを1本チョロまかす。種類は敢えて選ばないのがヒマリ流だ。
ランダムに抽選されるそれはヒマリにとって一種の運試しのルーティーンのようなもので、果たして取り出し口に転がり落ちてきた缶を拾い上げたヒマリは一転渋い顔をした。
無類の甘党であるヒマリの中で、無糖のブラックコーヒーは大凶に分類されている。どうやら今日はあまり運気の巡りが良くないらしい。
がっくり肩を落としたヒマリは本来主義に反するので極力やりたくないのだが、喉も渇いていたので仕方なくもう一本取り出したファンタをちびちび遣りながら、膝の上に乗せた黒い缶の処遇を考え始めていた。
因みにヒマリは炭酸もあまり得意ではないので、こっちも精々凶といったところである。だったらもう好きなものを選べば良いのに、わざわざ専用のアルゴリズムまで書いて天運に拘っているのが実におかしな女である。
やっぱり今日はあまり日取りが宜しくないのかしら。ヒマリは誰にとも無く独りごちる。
そういえば、今朝は寝癖が中々躾けられなくてもう少しで遅刻しそうになりましたし、せっかく行儀良く信号待ちをしていたのに黒猫に横切られましたし、なによりこともあろうにあのリオに悪戯を見破られるなんて。ツイていないとしか言いようがありません。
ああでも猫ちゃんは悪くありませんね。
あの子はあの辺の通気口にでもに住み着いているのかしら、右前足に白い靴下を穿いた可愛らしい若猫。今度遭った時の為にツナ缶でも買っておきましょうか。うふふ。
けれどもああ、それにしても不吉です。なにか嫌な予感がします。私の予感、当たりませんけど。
深刻そうな顔でくよくよ思い悩みながら通路を豪快に蛇行運転しては物思いに沈むヒマリは傍目には実に様子がおかしい女だったが、本人はそれなりに真剣である。
案の定そのうち気分が悪くなってきて、たまらず一つゲップを吐き出した瞬間、ヒマリの脳裏に何の脈絡もない思いつきが突然舞い降りた。
「ああそうです。私としたことが、どうして気がつかなかったんでしょうか。こういう日こそリオに会いに行くべきです。それしかありませんね、全く」
天啓のように降って湧いたそれは実に良い思いつきに思えた。
要するに、どうせ運気が悪いのだから、いっそ縁起の良い日には絶対に会いたくない奴に会えばいいのだ。
なんせあの洒落の通じない陰険女には、今回の件でヒマリの目論見を看破した称賛と嫌味をまとめて贈ってやらねばならない所だったし、ついでにこの苦汁の缶を押し付けてやっても罰は当たるまい。そうでなくても忌々しい事に、あの陰気な女はしょっちゅう好んでコレを飲んでいるのだし。
差し入れといってコレを渡されたリオの焦った顔を思い浮かべて、うふふふふと品の無い笑みがヒマリの口元に浮かぶ。
別に味なんてどうでも良いだとか口ではそれらしい事を言っているが、どうせ格好つけて痩せ我慢をしているに決まっているのだ。でなければ同い年なのにブラックコーヒーを飲めないヒマリの舌がお子ちゃまという事になってしまう。だが勿論、そんなはずは無いのだ。なんとも論理的かつ明快な論法ではないか。
そうと決まれば善は急げだ。
俄然やる気になったヒマリはランダム回遊モードにしていた車椅子に目的地変更のコードを挿し込むと、ピコピコ上機嫌に車椅子を発進させたのだった。
何ヶ月ぶりでしょう。
前の話を覚えている人はまだいるんだろうか。
まあ好きに書くだけなのだけど。
正直納得いくものが書けなかったもので、ズルズルやってる内に気晴らしで別の話の冒頭が3.4本出来てしまっても上手く続きが書けず、気づいたのは間が開くほどモチベも下がるってこと。
いったんペース壊れると大変だ。
次話は半分ぐらいは書けてるんでなるべく早く更新したい(願望)。
にしても話が暗い。こんなタイトルにした以上しょうがないけど。
コメディシナリオとか書きたい。