梔子ユメの最後の冒険 〜チョロアホガールとポンコツ詐欺師の復讐劇〜 作:外柴葡萄
意外なことにマコトがユメを連れてきたのは小さな屋台のラーメン屋だった。
すっかり日も落ちたアビドスの人気のない歓楽街から少し外れた小道の端、周囲を覆う薄闇の中で一つ灯った提灯の赤い光に切り取られて、いっそ滑稽に見えるほど古風な様式を愚直に守ったその店はあった。
暖簾には「柴関」とある。
二人も席に着けば満席になるような屋台と備え付けの長椅子にペラペラの座布団。まるで古い映画のセットをそのまま持ってきたかのような場違いさなのに、初めて来たはずのその空間は何故か強烈に懐かしさを覚えずにはいられない。
二人で席につくと人の良さそうな大将が「らっしゃい。お嬢さん方、良いチョイスだね。」と機嫌良さげに尻尾をふりふり笑いかけてくる。
チョイスもなにも見渡す限りにおいて他に開いている店などないのだった。
何が良いか分からなかったので取り敢えずメニューにオススメとある「柴関ラーメン」を頼む。
隣に座るマコトは真面目くさった顔で「チャーシューオオモリモヤシヌキ」をオーダーする。
昔は、とにかく見栄を張って高いものばかり食べたがった。
ユメの視線に気づいたのかマコトは言い訳じみた弁明をする。
「私だってたまにはこういう庶民の味が欲しくなることもあるさ」
別にいいのに。
注文を受けた大将の麺さばきは実に堂に入ったものだった。
あっという間に「柴関ラーメン」と「チャーシューオオモリモヤシヌキ」がカウンターに置かれ、二人で暫く無言のまま麺をすする。
驚くほどに美味かった。
日が暮れるとほとんどの建物に灯りも付かず結構な暗闇に沈むアビドスの夜店にこんな美味い店があったのかと思わず感動してしまう。
本当は早くマコトに聞きたい事がたくさんあったはずなのに、驚きすぎて忘れてしまった。
脇目も振らず器と格闘するユメの様子を見てとって、何故か勝ち誇った顔をしたマコトが言う。
「キキキッやはり私の勘に狂いは無かった……」
いつものことではあるがなんだか妙に癪に障るところのある女である。そういうところはちっとも変わっていない。
しばし赤面していたが、気を取り直したユメはマコトに質問する。こういう店にはよく来るのか。
「いや、はじめてだが」
別にいいけども。
どうにも釈然としないままに完食したユメが器を置くと、大将が茶を注いで置いてくれる。
「あ!ありがとうございます。助かります」
「良いってことよ、そんな夢中で食ってくれりゃあ冥利に尽きるってもんだ」
未だ夏の余韻残る時期だとはいえ、乾燥した空気と砂漠に囲まれたアビドスの街は、一度陽が落ちてしまえばひとたまりもなく熱気を失い急激に気温を下げていく。夏服一枚の肌寒さにじんわり染みる湯呑みの熱を感じながら、ユメは決意した。
今度ホシノちゃんを連れてこよう。
マイペースに麺を咀嚼しスープを飲み干したマコトはようやっと器を置くと、大将が差し出した湯呑みを片手に爪楊枝をしーはーしながらつらつら語りだした。
油断するとすぐ自慢話が挟まるマコトの話を適当に捌きながらユメが聞き出した事を要約するには、マコトが転校した先はなんとあのゲヘナ学園だという。
本人がどこまで理解しているかは怪しいがユメたちが日々生活する世界、学園都市キヴォトスは総数数千ともいわれる無数の学園の集合体である。
各学園は基本的にそれぞれが固有の自治区を有し、生徒会と通称される統治機構が政府として各自治区の行政を担っているが、それら数多の学園の中でも所属生徒数や生徒会の運営形態はそれぞれ異なっている。建前上では学園同士は互いに対等とされているとはいえ学園間での実力の違いは歴然としてあり、それが有力学校から選出された議員からなる連邦議会での発言力の差となってキヴォトスの内に一つの巨大なヒエラルキーを形作っている。
その頂点に君臨するのが俗に三大校と呼ばれる三つの学園である。
ゲヘナ学園はその一角を長く占有して譲ることのない、いまや生徒数たった二人のアビドスなど歯牙にもかけないほどの押しも押されぬ超名門校なのだ。
だがゲヘナという学校は、世間一般の感覚からすれば必ずしも評判がいいとは言えない。
ユメから見るといわゆる不良さんに分類される生徒が多く在籍するちょっと怖い学校のイメージなのだが、そんなところでマコトはうまくやれているのだろうか。いぢめられたりしてはいまいか。
そんなユメの心配をマコトは一笑の下に伏してみせた。
なんと驚くことに、マコトは今そのゲヘナの中の
今回アビドスに戻ってきたのもそうした活動の一環だという。
曰く、ゲヘナには私のように立派な角を持つ者も多いのでな。校風もおおらかで実に馴染みやすいぞキッキッキッキ。
なんでもマコトが言うところではキヴォトスの学校にはどこも固有の気風とでもいうのか、平たく言えばノリに差がある。
三大校で言えば、「トリニティ」は、お嬢様校を気取っているが実態は伝統主義と貴族意識に溺れた鼻持ちならないボンボンの有閑サロンに過ぎず、表面では上品ぶってお紅茶の出来がどうのと宣っておきながら、その実腹の底に秘めた品性の欠片もない権力欲を張り付いた笑顔の仮面の下に必死に隠しながら牽制し合う哀れな仔羊の群なのだという。
因みにもう一角の「ミレニアム」は学者馬鹿の集まりであり、勉強はできてもそれ以外はからっきしでせっかくの能力を役に立たない発明に注ぎ込んでは無駄にする道楽者の墓場ということになる。実績至上主義の校風は無能の存在をけして許さず、常に煩瑣な命題を巡った論争の絶えない徹底的な競争社会なのだ。
その点、ゲヘナはいい。
生まれも頭の出来も気にしないから入学のハードルが滅法低いし、なにより生徒が多い分余裕があって学費も安い。自分のような途中編入組も多いからそういった点での差別もないし、だいたいいちいち誰も気にしない。だからゲヘナには生徒に阿る政策など特に施さずともキヴォトス中から勝手に人が集まってくる。
群に馴染めなかった者たち。爪弾きにされ、切り捨てられたはぐれものたち。権力闘争に敗れた敗残兵に残された最後の希望の地。悪魔と呼ばれ石投げられた者たちの楽園。
抱える生徒数が多いということはそれだけで自動的に連邦議会で割り振られる議席の数も増えるということだ。
自派で議席を埋め多数派を掌握すれば連邦生徒会といえどもそうそうその意向を無視できなくなる。政治の世界とはいつだって優位なものがより有利になるように出来ている。
アビドスのような議席一つ持たざるものがいくら声の限りに救いを乞うても、その懇願が天上人たちの耳に届く事はけしてない。
例えばトリニティの性悪どもはゲヘナを無法地帯だなんだとしょっちゅう因縁をつけてくるが、奴らが治安活動と称して弾圧し無責任にも放逐した者たちがその後にどういう命運を辿るのか少しも考えないのだろうか。面子ばかり気にする奴らは連邦生徒会の介入を嫌って所謂「不良」を矯正局に送るのさえ良しとせず好き勝手に内部処理しているが、その結果が何を産んでいるのか本当に理解しているのか。
生徒が多ければそれだけ素行不良も増えて然るべきなものを、あの学校の気風では記録上の立件数と実際のトラブルの数がまるで一致しない。本当に平和な学校なのであれば、あんな強力な治安組織など要るものか。なにより自分達ばかり被害者ぶるその根性がまず気に食わない。
トリニティの悪趣味なほど装飾に満ちたあの自治区内に、伝統などという空虚な虚栄心のために要求される法外な学費を支えきれず、借金漬けで首が回らなくなった挙げ句にスラム暮らしに転落した者たちがどれだけいることか。ブラックマーケットがあんな場所にあるのまでゲヘナのせいだと言うつもりなのか。
貴族どもが優雅に茶会に着ていくドレスなぞに悩んでいるその足元で、困窮する彼女らが生活のためやむにやまれず手をかけた自己救済の道を薄っぺらな犯罪としか見ようとしない傲慢な鳥頭ども。連邦生徒会の目を盗んで問題児達を片っ端から退学にしたところでそれが一体何の解決になるというのか。所詮は自分達さえ良ければそれでいいという考えなのだ……。
とどの詰まり、奴らは勘違いしているのさ。
為政者とは実のところ支配者ではない。むしろ大衆に尽くす者でなければならんというのに、あの連中ときたら未だに王権神授説ときたもんだ。治安問題を政治の無能ではなく無知で下賤な民衆の罪だと本気で信じ切っているのだ。時代錯誤もここまでくれば臍で茶が沸く。
それにも増して度し難いのは当代の連邦生徒会長だ。あの裏切り者は綺麗事ばかり並べ立てて結局はいつも強者の肩を持つ。
キヴォトスはいい加減変わらねばならない。真に力を持つ者が誰なのか、奴らに思い知らせる時が来たのだ。
すごい。
語る内に段々と弾みがついて、自分の言葉に自分で興奮する内に最後にはまくしたてるようにしてマコトが語ったキヴォトス観は主観と私怨にまみれていたし、偏った主張の底にかつて舐めた辛酸のその意趣返しの意図がなかったはずはないのだが、いつになく熱を帯びた声で持論を語るマコトの熱量にすっかり当てられたユメは、実にあっけなく感心してしまった。なんだがとてつもなくものすごい話を聞いてしまったような気がする。
無理もない話ではあるのかもしれない。
過去似たような形で絆されて痛い目を見たことも多々あるはずだが、今度の相手は他でもない直の後輩だったしなによりユメ本人からして信じたいと思ってしまったのだ。
本当の所を言うのなら、ユメの頭ではマコトの語る複雑な背景知識を要する話の概要は半分からして理解できていなかったのだが、そんなことはユメにはどうでもよかった。
自分の後輩が、実を言えば自分と大して変わらないお馬鹿ではないかと疑っていた少女が、何かとてつもなく重大な世界の問題に立ち向かおうとしている。
マコトが実際何をしようとしているのかはまるで分からないが、考えるほどにそれはなんだかとてもすごい事であるように思えた。
このお人好しに過ぎる非力な少女が常にそうであったように、自分なんかに手伝えることがもしあるのなら是非とも応援したいと思ったのはけして嘘でも嫉妬でもない。
だがその前に一つ、はっきりさせなければいけないことがあった。
「そっか」
一息に喋りすぎて息が切れたのだろうマコトがすっかり温くなってしまった茶を啜るのを見ながら、ユメは考えを整理するように一言ずつ言葉を紡いでいく。
「マコトちゃんは、転校しちゃってから、色んなとこに行って、色んなものを見て、いっぱいいっぱい考えたんだ」
「まあ、簡単に言えば、そういうことだ」
吐き出してしまったら急に恥ずかしくなってきたのか、どこか拗ねたような声でマコトがいう。
「そっか」
答えるユメの声には不思議なほどに色がなかった。
怪訝に思ったマコトが顔を覗き込んで
「じゃあ、マコトちゃんはもう、アビドスには戻ってこないんだ」