梔子ユメの最後の冒険 〜チョロアホガールとポンコツ詐欺師の復讐劇〜 作:外柴葡萄
マコトが息を呑む音が聞こえた。
そのまましばらく待ってみるがどれだけ待っても答えは帰ってこない。
急に黙り込んだ二人の様子が気になったのか、気を利かせて近くの自販機の陰に引っ込んで一服していた大将が新聞から顔を上げて様子を伺ってくる。
重苦しい沈黙。自販機が唸る音。離れたところにある街灯がチカチカと瞬き、大通りの方から歩いてくる誰かの足音まで嫌に大きく聴こえる。
耐えきれなくなったユメが音を上げてとにかく謝ろうとしたそのとき、
突然マコトがユメに抱きつくとそのまま屋台の陰に押し倒してきた!
「ひぁあああああああああああああああぁ」
みっともないほど狼狽したユメの頭は状況の急変についていけずに力の限りに誤解する。
だ、だめだよマコトちゃん私たちまだそんな早すぎるよあああでもでも私にはホシノちゃんという人がせめてまずはお友達から
「シッ。静かに。不味いのがいる、隠れろ」
めくるめく妄想の世界へ飛び立ちかけていたユメの口に指を立てて囁きかけるマコトの声は、聞いたこともないほど真剣そのものだった。
そのまま隠すように屋台の裏にユメを押し込んだマコトの背中に聞き慣れぬ声が
「マコト?あなたこんなところにいたの」
言われたマコトの背中が硬直する。そのままゆっくりと立ち上がり振り返る。後頭部を冷たい汗が伝う。
「……キキキ。なんだヒナ、まだいたのか」
「そりゃあいるわよ。仕事だもの。ねえそれより、あなた今誰かと一緒じゃなかった?」
「フン。気のせいだろう。私のような偉大な指導者の資質持つ者はいつだって孤独なものだ」
ヒナと呼ばれた少女が屋台の裏を覗き込もうとするのを体を張って邪魔をする。そのまま顔をくっつけて至近距離からメンチを切る。がよくよく見ると腰が引けていて内心怖がっているのがみえみえの威嚇姿勢は絶妙に様になっていない。
二人の視線がぶつかりそのまましばし睨み合う。
暗がりで顔も見えぬ声の主はその発せられる高さからみても随分と小柄な少女であるように思われたが、その小さな体から滲み出るオーラと頭上に輝くあまりにも厳ついヘイローの禍々しさは尋常ではなかった。
暗闇の中でシルエットだけのその姿に出くわした者が白いモップ状の妖怪か何かだと誤認してもおかしくないだろう。
「ひぃん……」
理由もわからぬまま薄闇に隠れてユメは震えていた。
暗がりを頼りに屋台の影を這いずり、命からがら近くの建物の閉じられた入口に辿り着きそのまま蹲る。その場で顔だけ巡らせて必死で周囲を窺うと、自販機の側で目を丸くしていた大将と目が合った。
「……ハァ。まあ別にいいわ、なんでも。それより調査の方は進んだのかしら。小鳥遊ホシノの担当に戻りたいと言い出したのはあなたでしょう?」
「キキッ、相も変わらずせっかちな奴だ。飯の一つものんびり待てんとは、そんなだから毎度のように面倒事を押し付けられるのではないか?」
ホシノちゃん?
近頃俄にブラックマーケットから流れてくるようになった少女漫画のごとき夢の展開から突然のサスペンス・スパイアクションへと突き落とされ、思いも寄らぬ事態の急展開に混乱の渦中にあったユメの頭脳が意味の分かる言葉に触れて微かに覚醒する。
あのおっかない子は今、ホシノの名を口にした気がする。
徐々に落ち着きを取り戻してきた頭の冷静な部分を総動員してなんとか考えをまとめようとする。不思議なことに特殊な状況による興奮がそうさせるのか、普段のユメの人よりややゆったりした思考よりもよっぽど頭が回っている気がする。
どういうことだろう。
マコトはゲヘナの生徒会の仕事でアビドスに来たと言っていた。今のあの子の言い方からするとどうやらホシノがそれに関わっているらしい。
そしてマコトちゃんはホシノちゃんに会いたくない。
あと少しで何か大事な事に気づきそうなのにどうしてもそこにたどり着けない。情報が足りていない気がする。全ての謎を解き明かすための鍵が。
「つまり進捗はなにもないわけね。それほど期待はしていなかったし、構わないけれど」
「ハン、そういうからにはお前の方の成果はさぞ期待できるのだろうな?力に訴えて破壊するしか能のないチビに、あの雷帝の痕跡なぞ見つけられるとも思えんが」
「だから言ったじゃない、分担が逆だって。なんのために無理言ってアコにあなたの異動願いを通させたと思ってるのよ。慰安旅行に連れて来たわけじゃないのだけれど」
ユメがぐるぐる考えている間になにやら二人は言い争いを始めてしまった。
聞いている内にユメの過敏に過ぎた警戒心も少しずつ下がってくる。
口調こそ荒いがこの二人、案外仲は悪くないのかもしれない。マコトがゲヘナへ転校してからまだ大して経っていないはずだがユメには覚えがあった。
ホシノといたころのマコトも似た感じだったのだ。
羽沼マコトという後輩にはどこかそういうところがある。
基本的に態度は悪いしやたら偉そうなので最初はよく反感を買うし、突拍子も無いことをしょっちゅう思いついては回りを巻き込んで一悶着起こすのだが、どこか愛嬌があって決定的に憎まれることがない。
気がつけば喧嘩しながら仲良しの友達みたいになっているのだ。
白状すると、かつてのユメはそんなマコトを羨ましいと思ったことが一度ならずある。
マコト達が転校するより前、まだ生徒会長ではなくただの間の抜けた3年生でしかなかった頃のユメとホシノの関係性は今なんかよりもっとずっと希薄だった。
最近でこそああやってズケズケとあけすけに物を言うようになったが、案外ホシノは人見知りなところがあって、気を許して本音を話してくれるようになるまで結構な時間がかかった。
ユメにしたところでその点はさして変わらず、本心では新品の制服の袖を余らせながら可愛らしいピンクの髪を揺らして廊下を歩く小さな生き物に話しかけたくて仕方がないのに、さしたる取り柄もない自分なんてと卑下する弱気の虫に負けてなかなかその勇気が出せないのだった。
その点マコトは実に器用に周囲に溶け込んだ。
突如入学して来るや否やあの強烈なキャラクターであっという間に他の上級生たちから弄られはじめ、同級生のホシノからキツいツッコミを入れられても平然と顔芸まで披露して驚いてみせては周囲を笑わせていた。
そのまま気づけば一年生のくせに当たり前のように生徒会のメンバーにまでなっていた。
ちっちゃなホシノが一度銃を持って戦えば学校の誰一人まるで敵わないほどべらぼうに強かったのにも驚いたものだが、二つも年下のマコトのそんな心の強さがユメには本当に眩しく映った。
あの頃のユメとホシノは実のところマコトを挟んで間接的に会話するぐらいしか出来ないような、そんな距離感だったように思う。
それが変わったのは果たしてホシノにとって良かったのかどうか、やっぱりユメは確信を持てずにいる。
ユメが暗がりで膝を抱えたまま、ぼうっと物思いに沈んでいる間にも、二人の話し声は深い小道の闇の中へと消えていく。
「とにかくもう暗いし、続きは明日にしましょう。無闇に徹夜したところでやることがないんじゃあ仕方がないわ」
「なんだ、今日はやけに聞き分けが良いじゃないか。普段からそうならこちらの面倒も減るのだがな。」
売り言葉に買い言葉というべきか、ヒナに同行者を追及する気がないのに油断したのかマコトの口は普段にも増して軽くなる。
「あなたはもう少し情報部としての責任感を持つべきよ。みんながあなたみたいに好き勝手に動き出したら回るものも回らなくなるわ」
ヒナの応答も慣れたものだったが、いつもと変わらぬその冷静な口調がその時だけは何故かマコトの急所を踏んだ。余裕ぶったその顔からスッと笑みが消える。
「ふん。情報部を捨てる裏切り者のお前にだけは言われたくないな。風紀委員からヘッドハントの話が来ていることを、この私が知らないとでも思ったか?」
「裏切りって、どちらも上層部……議会傘下の下部組織には違いないでしょう?同僚じゃない」
当惑した声のヒナの弁明は逆効果だった。素から鋭い双眸をさらに細めたマコトは言い募る。
「一緒にするな。あれは恐怖で民衆を支配する最低の暴力機関だ。雷帝の二の轍を踏む気か。ある意味ではお似合いかもしれんがな」
処置無しとばかりにヒナが嘆息する。片手で頭を支えながら
「あなたの権力嫌いは知っているけれどね、現実的に見て今のゲヘナ内部の混乱は治安部隊の存在なしには収拾不可能よ。知ってるでしょう?前議長の政権が倒されて以来、その余罪が明らかになる度に風紀委員要職の不正や汚職が発覚して悉く立件されているのを。現委員長の更迭も時間の問題よ。辞職の方が先かしらね。そして平時ならいざ知らず、今風紀委員が機能不全に陥れば間違いなくゲヘナの治安は崩壊するわ。雷帝時代が可愛く思えるほどの混乱に陥る。かといってあのポジションに信用ならない人物を座らせておくわけにいかないのはあなたが一番分かっているでしょう。」
マコトが黙り込む。ヒナの言葉を吟味するように舌の上で転がして反芻すること数瞬。
「詭弁だな。連中が求心力を失ったのはあれを議長に担ぎ出した自業自得ではないか。権威の代替を暴力に求めるなどまさしく悪王の所業だ。
乾いた風が流れる。
日も落ちきってすっかり冷めた砂漠は生み出す気流の向きを変え、夜更けのアビドスは一層冷え始める。
「そう。あなたの意見は分かった。けどこの議論も一旦明日にしましょう。今日はなんだか疲れたわ」
やがてヒナが絞り出すような声で会話の終わりを告げる。
「私はもう拠点に戻るわ。あなたは、そう。じゃあまた明日ね。お休みなさい」
そして少女は、来た時と同じ様に闇の中に溶けるようにして去っていった。
ヒナがいなくなってからもしばらくマコトは誰もいない闇の奥を見据えてじっとその場に立ち尽くしていた。
その細い双眸に備わった黒い瞳の奥に仄めく光は、怒りと悲しみの混じり合ったような複雑な色をしていた。
いつの間にか近くに来ていたユメが躊躇いがちに声を掛ける。
「いいの?マコトちゃん。お友達、行っちゃったよ」
「友達などではない。あんなやつ」
深く息をついたマコトは振り払うように言い放つ。
沈んだ空気を切り替えようと、殊更明るく話し出す。
「さあ先輩、邪魔者はいなくなった!存分に大事な話の続きをしようではないか。なあに、もしあいつが戻ってきても次はあの辛気臭い顔をひっぱたいて、ぐうの音も出ないほどギッタンバッタンにしてやるともキーキッキッキッキ……」
空しい笑い声が薄闇に響く。
渾身の空元気はしかし見る間に勢いをなくしていき、やがてむっつり黙り込んだマコトにユメがポツリという。
「マコトちゃん、喧嘩は駄目。」
虚を突かれたようにマコトが顔を上げる。
「マコトちゃんとあの子が何を抱えてて、どうしてあんな事言ってたのか、私には全然わかんないけど。でも、喧嘩なんてしても、負けたら悔しいし勝っても悲しいし、何にも良いことなんてないんだから。それに、そうやって何でもすぐ力で解決するようになったら、そればっかりになっちゃって、いつかほんとの自分を見失っちゃうよ」
その言葉にはなにか、有無を言わせぬような断固とした響きが有った。
一度事が喧嘩になど及べば全戦必敗、降伏と謝罪の速さにかけては人後に落ちることのない最弱の先輩の、それは最後の意地。けして譲れない信念。
ユメのその言葉にマコトは、なにか懐かしいものに再び巡り合ったように目を細める。
「ああ、先輩。そうだな……その通りなのかもしれないな」