魔女の楽園   作:志生野柱

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 救助作業は、想像の何倍も難航していた。

 建材用の石はビックリするぐらい重く、大きな瓦礫は砕いて細かくしようと思っていたのに、想像以上に強靭で思うように砕けなかった。

 

 テコ代わりにしようと思っていた魔術の杭は折れも抜けもせず手に入らなかったし、何もかもが想定通りにいっていない。

 それでも元は柱だったと思しき手ごろな木の棒を見つけ、どうにか瓦礫を掘り返す。

 

 絵画の欠片らしき、絵の具のついた布片が出てきた。

 家具の一部と思しき高級木材の破片に、金属片、壁紙の張られた瓦礫を退ける。割れた薬瓶が出てきた時には肝が冷えたが、ラベルからすると毒性も気化性も薄いもので一安心。無事なものも幾つか。

 

 「……?」

 

 途中、凄まじく綺麗な断面を持つ瓦礫を見つけた。それも一つ二つではなく、幾つも。

 建物が一気に崩壊するなんて初めての経験だが、理由を考えるなら自体の老朽化か、白騎士の存在を鑑みても爆破や砲撃といった破壊工作くらいしか思いつかない。

 

 屋敷には一週間滞在したが、建物の古さを感じたことはない。

 炎や爆発の気配があるのは、ジャンヌが瓦礫の下から脱出するときに焼き払ったであろう一帯だけ。それも、もはや見慣れつつある、建材がどろどろに溶けて、部分的に蒸発するような超常のもの。一般的な火薬の気配はない。

 

 ただでさえ倒壊の原因が分からないところに、まるでバターに熱したナイフを通したかのような切断面を見せられては困惑も倍増だ。

 

 「……たまたま劈開面だった、なんてことはないよね」

 

 建材が複数個所、一斉に破断するなんて「不運」の一言では片付けられない。なにか異常事態が起きているのは間違いないが、今は思考に浸っている場合ではない。頭より手を動かさなくては。

 

 かつては居室の天井だった、彫刻の施された瓦礫を梃子で退ける。

 するとウルスラの魔術、漆黒の杭が複雑に交差して瓦礫の崩落から守った、僕たちがいた場所が見つかった。

 

 「ふぅ……はぁ……」

 

 息を整えながら辺りを注意深く見回し、瓦礫と杭の位置、そして屋敷の間取りから探すべき場所を考える。

 

 一呼吸ごとに色々な臭いを感じ、思考の妨げになる。

 湿った土の匂い、乾いた砂煙の匂い、建材特有のものなのか嗅いだことのない匂い。遠くから漂ってくる炎の匂い。

 

 そして、嗅ぎ慣れた人体の──その()()の臭い。

 

 「早く見つけないと──、っ!?」

 

 気配がした。

 瓦礫の下からではなく、背後から。人間の息遣いではなく、何か大きなものが近づいてくるような空気の移動を感じる。

 

 弾かれたように振り返った直後、視界一杯に赤色が広がり、そして。

 

 「痛っ!?」

 「げほっ──!?」

 

 その赤いものは僕を巻き込み、その勢いのまま瓦礫の山に激突した。

 痛みも音も衝撃も一瞬で消え、死んだのかと思った直後、ただ意識が一瞬飛んだだけだと理解する。

 

 固く閉じていた目を開けると、目の前は殆ど完全な暗闇だった。

 だが瓦礫の硬さは感じない。むしろ柔らかく、そして女性特有の甘い匂いと、血と汗の匂いがした。

 

 「ギリギリセーフ! 生きてるよね、シャルル?」

 「ウルスラ!? なんで!?」

 

 瓦礫に激突する寸前、というか飛んできたウルスラが僕と衝突した直後、彼女が僕を抱きしめて守ってくれた。それは分かった。

 それは分かったが、それ以外の何も分からない。

 

 体を起こすと、ウルスラの状態が見える。

 全身、特に腕と胴体に幾つもの切り傷を作り、服も所々引き裂かれている。しかし傷は深くなく、怪我の数が多いから血はそれなりに出ているが、失血による諸症状が現れるには程遠そうだ。

 

 傷だらけで痛々しくはあるが、それだけ。流石は魔女と言ったところか。

 

 「白騎士は? ジャンヌは?」

 「全員生きてる──、っ! 危ない!」

 

 ウルスラが僕を引き倒し、覆い被さるように位置を変える。

 直後、彼女の苦悶の声と共に、ぱっと赤い飛沫が散った。

 

 攻撃。

 だが白騎士の姿はそこにない。視線を下げ、瓦礫の山を見下ろし──元は別の家があったはずの、今や土台から蒸発し、所々がガラス化した更地に立つ人影を見た。

 

 彼は居合のような姿勢を取っているが、直剣は鞘から抜かれている。

 彼我の距離は20メートル。全く意味のない、威嚇にもならないポーズに疑問を覚えた直後、手が霞むような速度で剣が振り抜かれた。

 

 「クッソ……!」

 

 ウルスラが罵声を上げ、僕を抱えて横に転がる。

 状況が呑み込めず、されるがままに従うと、今まで僕たちがいた位置に深い切れ込みが──いや、瓦礫の山それ自体に、一本の斬線が入った。

 

 「な、っ──!?」

 

 脳内が疑問で埋め尽くされる。

 斬った? 石を──建材を? それも整然と並んだものではなく、折り重なった瓦礫を? 20メートル離れた位置から? 

 

 理解不能だった。

 そんなことは有り得ないと、全ての常識が声高に叫んでいる。

 

 しかし──思考の片隅に、まあ落ち着けと笑う僕が居た。

 

 まあ落ち着け。

 確かに異常事態だし、物理法則が壊れてしまっているが──まあ、()()()()()()()()()()()()? と。

 

 死人が全ての傷を失くし、無敵になった挙句、魔術(非常識)を携えて蘇った。

 剣で石を斬るのも、離れた位置から斬るのも、あれに比べたら大したことがない。

 

 それに。

 

 「お前が……!」

 

 納得の次に湧きあがった怒りが、疑問なんかに拘ることを許さない。

 思考がどんどん染まっていく。埋め尽くされていく。

 

 「……シュルーダー卿、でしたね。これは、貴方が?」

 

 意図して落ち着いた声を出す。

 自分の声で脳が錯覚して、本当に落ち着けるように。メンタルコントロールの方法としては初歩的なものだが、それなりに効果はある。

 

 ……はずなのだが、一向に怒りが収まらない。笑顔を作ろうとしたが失敗した。

 

 「これ? あぁ、えぇ、はい。伯爵邸を()()()()()のは私です」

 

 にこやかな、道でも訊かれたかのような声だった。

 好意的な相手には好意を抱くのが人間の基本的な性質であるはずだが、今はヘルムの下にあるであろう爽やかな笑顔を想像するだけで、腸が煮えくり返りそうだ。

 

 「……何故です? 僕たちが居ることを分かっていたなら、突入すればよかった。僕たちの存在を確定出来ていなかったとしたら、これは明らかにやり過ぎだ」

 

 不覚にも震えてしまった声に、苛立ちが増す。

 思い通りにならない全てが癪に障る。あいつを今すぐに殴り倒して、僕の知る限りの審問(拷問)術で苛んでやりたいのに、きっと一発も殴れない、その前に斬り伏せられる自分の弱さが恨めしい。

 

 目に付く何もかも、感じるありとあらゆるもの、白騎士の出で立ち、立ち姿、態度、声、なにもかもが癇に障る。

 

 「それは……何故魔女を殺すのか、という問いでしょうか? 戦術の有効性を問うているのなら、少し考えればお分かりになると思いますが」

 

 惚けたような答え。

 だが馬鹿にされている感じはしなかったし、僕の頭の冷静な部分が「確かに」と囁く。

 

 確かに──完璧な奇襲だった。

 魔女は圧死こそしないものの、頭部に衝撃を受け昏倒すれば、最大の武器である魔術が使えなくなる。

 

 それに、相手によっては巨大質量によって押さえつけ、拘束することが出来る。建材を蒸発させるほどの炎を使う“焚刑”と、建材を貫き持ち上げるほど強靭な杭を生み出す“磔刑”相手では効果が薄かったが、──居るのかは知らないが、例えば“圧死”の魔女なんかが相手なら、そのまま殺せただろう。

 

 僕が魔女を殺す側なら、拠点建造物の発破による生き埋めは妙案と、発案者を褒めている。

 

 ……だが。

 

 「何の罪も無い人を、それも我が国の伯爵をも巻き込むとはどういう了見か、と聞いているんです。教皇聖下の命令があったとしても、重大な外交問題になりますよ」

 

 現状、一神教、延いては教皇庁や神官の発言力はかなり強い。

 僕らの住む王国と、その近隣にある四つの大国は、全て一神教を国教としている。

 

 彼らは世俗との隔離を公言しながら、時に政治に口を出し、金を出させる。挙句の果てには医学にまでケチをつけ始めたので、僕は宗教や宗教家というものが嫌いだが、まあ、それはさておき。

 

 今や王権は神が定め、戴冠式を教皇が行うほど、国や政治と密接に絡んでいる一神教だが、何事にも限度と言うものはある。

 

 そして貴族の死は、限度を超えるはずだ。彼らは公然と非難され、その存在が明るみに出る──かどうかは分からないが、そのリスクは生まれる。

 

 王国も含め周辺諸国は、教皇庁が武力を持つことに否定的だ。白騎士の存在が公になることは、魔女の存在が明るみに出ること以上の問題がある。

 だから、僕の言葉には一定の重みがあったはずだ。

 

 なのに、ヴォルフ卿は小さく首を傾げた。まるで、それがどうしたと──そんなことを言って何がしたいのかと言わんばかりに。

 

 「──えぇ、そうですね?」

 「そうですね?」

 

 眉を顰める僕に、彼は小さく肩を竦める。

 

 「ライヒハート卿。貴殿は少し、思い違いをしておられるようです」

 

 ヴォルフ卿が一歩踏み出し、ゆっくりと近づいてくる。

 それは攻撃の準備ではなく、単に話しやすい距離まで近付くためだった。

 

 身構えるウルスラを制すると、彼も剣を鞘に納め、小さく両手を挙げて攻撃の意思がないことを示し、僕たちから十メートルほど離れた位置で足を止める。

 

 「人類存続という大義の前に、人命一つ、国家一つはあまりにも小さい。……かつて“水死”の魔女は二日で五万人を殺しました。もしそれが一週間、一か月、一年と活動を続けていたら、どれほどの被害になっていたか。私も貴殿も、きっと生まれてもいないことでしょう。魔女とはそれほどに恐ろしく、一刻も早く殺さねばならない存在なのです。たかが──そう言ってしまいましょう、たかが貴族一人に使用人数十程度の犠牲は、むしろ少なく済んでいる。正義のための、致し方ない死なのです」

 

 言い聞かせるような声だった。

 まるで、僕が不出来で不理解で、愚かなことをしているような。

 

 ……いや、実際そうなのだろう。

 彼の言っていることに間違いはないし、彼の視座からは、僕は道理を弁えない愚かな子供に見えているに違いない。

 

 だが。

 

 「……正義?」

 

 疑わしきを殺して晴らす。

 いずれ大殺戮を引き起こす魔女を殺すため、無関係な民を何十何百と巻き添えにしても構わない。

 

 ──それは、まあ、理解できない思想ではない。

 

 誰かが感染力と危険性の高い病気を持っている疑いがあれば、最優先されるのは治療ではなく隔離だ。その人の命ではなく大多数の命であり、その大義の前には心身の自由が無視される。

 

 百年後に千人救えるのなら、今の百人を実験台に捧げることを躊躇わない。百人殺すのを躊躇って千人殺しては意味が無い。

 

 ライヒハート家に生まれ育った僕は、そういう思想を理解できる。

 

 しかし、それが正義であると、彼らは信じて疑っていない。

 

 ──それは駄目だ。それでは、僕は共感できない。

 

 正義とは何か?

 最大多数の幸福のために動くこと? では人口三千万の国と五千万の国の戦争は、どんな理由があれ三千万の方が“悪”なのか?

 

 道義や倫理なんてものも同じだ。

 

 あれはヒトが社会的動物として共同体を維持して繁栄するために作られた、或いは明文化された後付けの本能、いわば最大多数の幸福を実現するマニュアルだ。

 蟻がフェロモンの種類で餌の位置を教え、ハチがダンスの振り付けに意味を持たせるのと同じ、群れを統率し行動を制御するための機能に過ぎない。

 

 では、少数派は常に“悪”なのか?

 そんなわけがない。時と場所によっては、道理や人倫に背く所謂“悪人”が多数派を占めることもある。飢餓に見舞われた村なんかでは、それが特に顕著だ。

 

 状況によって常識が変わり、人倫が変わり、道理が変わる。それは分かる。

 より多くを生かすため少数を殺すことも、時には正義となるだろう。それは分かる。

 

 ただ、僕は物心ついて以来、ずっと思っていることがある。

 

 「──気色悪いんだよ、それ」

 

 魔女は悪だ。それを糾弾する俺たちは正義だ。

 そんな脳死の正義感を振り翳す連中が、僕はずっと気持ち悪くて堪らなかった。

 

 どんな理由があれ殺人が悪、とまでは言わない。

 大を生かすために小を切るのも、より助かりそうな者を助けて死にそうな者を見殺しにするのも、一人でも多くを救うには仕方のないことだ。

 

 それが正義と主張する気はないが、それ以上に正しい方法があるなら教えて欲しい。──そう在るべきだ。そういうスタンスであるべきだ。

 

 この方法が最善か、最も多くを救うことが常に正しいのか? 自らにそう問い続ける者だけが、正義足り得るはずだ。

 

 少なくとも、「俺は正義だからお前は死ね。正義のための犠牲は尊いことだからお前は死ね」と殺人を肯定し死を振りまくような奴を、僕は正義とは呼べない。

 

 「……ではお尋ねしますが、そういう貴殿は正義の自覚がおありなのですか? それとも悪であることを認め受け入れてしまわれたのですか? 大量殺人鬼にくっついて回り、それらを駆除するために戦う我々の邪魔をしながら、その口で正義を語れるのですか?」

 

 ヴォルフ卿の言葉は糾弾だった。

 おそらく彼もリチャード卿同様、僕の知らない“ライヒハート”を知っていて、僕もそのように在るべきだと思っているのだろう。

 

 だが、残念ながら無理な話だ。

 

 「いいや? そもそも僕は大衆的な正義に迎合できない欠陥品だ。そして僕は魔女と同じ──」

 

 隠し持っていた──救助作業中に見つけた薬瓶を投げつける。

 力の籠った投擲は鈍臭い軌道を描き、黒い遮光ガラスの瓶は白騎士の足元で砕け散る。ヴォルフ卿は内容物がかからないよう、ちょっと足を上げるだけで良かった。

 

 「……?」

 

 魔女(ウルスラ)が動く気配はなく、視線誘導というわけでもない。

 まさかこの場面で投擲を仕損じたなんて間抜けなオチか、と、ヴォルフ卿は考えているのだろう。首を傾げ、不思議そうにしている。

 

 だが狙い通りだ。

 顔や体に直撃する軌道で投げたら避けられたときに大きく外れるし、掴み取られてしまう可能性もある。

 

 瓶は砕けなければならなかった。

 でなければ、()()()()()()

 

 「──感情で人を殺すクソ野郎だ。お前たちが正義だとかなんだとか、そんなことはどうでもいい」

 

 僕はただ──ドロシーを殺したこいつを、殺したくて堪らなかった。

 

 分かっている。

 復讐は不毛で、ただスカっとするだけだ。こいつを殺したって、僕を好きだと言ってくれた少女は生き返らない。「復讐することこそが目的」なんて言う声もあるが、僕はそこまで達観できない。

 

 だが、そんなことはもう、どうでもよかった。

 善も悪も、正義も不正義も、人倫も道徳も、どうでもよかった。

 

 ただ、目の前の白騎士を殺したくて殺したくて堪らなかった。生まれて初めて感じた殺意に戸惑うことも無く、一瞬のうちに呑み込まれてしまった。

 

 異端審問官として、人間の肉体を破壊する術は習っている。

 精神が壊れる境界線を把握しているし、恐怖と苦痛がどんな悲鳴を上げさせるのかも知っている。

 

 僕がこれまで審問してきた魔女たちと、全く同じことをこいつにしたら、どれほど愉しいだろうかと想像すると唇が吊り上がる。

 

 だが、その上で。

 

 「──っ!? ゲホッ、ゴボッ……!?」

 

 白騎士の膝が折れる。

 

 そりゃあそうなる。僕が投げてぶちまけたのは薬を作るのに使う有機溶剤だが、体温程度で容易に気化し、発生するガスは強烈な麻酔性を持つ。

 そして刺激性が強く、特に唾液腺や気管支を刺激して大量の唾液を分泌させつつ咳を誘引する。唾を吐く間もなく咳の衝動が込み上げ、咳に唾が絡んで喉に詰まる。

 

 勿論、健常者なら死にはしない。それ単体では。

 

 そもそも白騎士にはある程度の薬剤耐性があり、こんな屋外で多少のガスを吸ったって昏睡はしない。僕が期待しているのは、気化した薬のもう一つの性質。

 

 ──危険なほど高い引火性だ。

 

 「──ジャンヌ! 火種を!」

 「──っ! 任せて!!」

 

 叶うなら僕が殺したい。思いつく限り、考え出せる限りの責め苦を与え、苛み、惨たらしく惨めに殺してやりたい。そんな衝動が身体の内を駆け回っている。

 

 だがその上で、僕は、僕自身の手で殺す結末を放棄する。

 

 咆哮に応える声は遠く、建物に遮られて姿も見えない。

 しかし──赤く煌めく火の粉が降り注ぐ。

 

 そして純白の騎士は、紅蓮の炎に包まれた。

 

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