『はらぺこあなたと』   作:流星の民(恒南茜)

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#11 「どうやって」

『紙に色を乗せる。そうして思う。これは、認められるのかって』

『何を欲しているのか。何が欲されているのか。その稜線が見えない』

『輪郭が引けない。引いた線が全て間違っているような気がしてならない』

『はみ出た、色が違う。どうして。どうして、思い通りに行かない? わたしは一度、認められたはずなのに』

 

──『クチナシ』の呟きは、日増しに感情を剥き出しにしていく。

 

「……梨香ちゃん、描けないって。ずっと言ってる」

 

梨香に突き放されてから、そして彼女の投稿が伸びてから一週間程が経とうとしていて。

半ば、放任的に思考の外へ梨香を追いやっていたから、忘れかけていた頃だった。

そんな俺を咎めるように、瑠璃が突き出してきたスマートフォンの画面。

 

『くしゃくしゃ、丸めて放る。描けない、わたしには』

 

そこに映し出されていたのは、まるで描くことを放棄したとでもいうように、どこか投げやりな文字列だった。

 

「……は?」

 

それを見た時、思わず声がそんな頓狂な声が漏れてしまった。

だって、理解できなかったから。

 

「作品が伸びたんだろ? だったら、喜んだって……」

 

──喜んだって、いいはずじゃ。

 

俺には、そうとしか思えなかったから。

描いたものが評価された──認められた。それの何が悪いのだろう。

むしろ、もっと次を書こうって精力的になるのならわかるけれど。彼女の呟きを辿れば辿るほど、並ぶのはネガティブなものばかり。

 

「……ハマ、少し貸してくれ」

 

横から割って入ってきたマリーさんが、俺の手からスマホを取り上げる。

目が細められる。唇がきゅっと噛み締められる──その横顔は、苦々しげで。

 

「……こうなっちまったか」

 

俺にスマホを突き返し、虚空を見上げるマリーさんの瞳は、射す光を揺らめかせていた。

 

 

『こんなの、認められるかもわからないのに』

 

 

そこに並ぶ文字列は、俺が想像していたものとは真逆。

創作に前向きになった人間が決して書くものではなくて。

 

「……どうして、こんな……」

 

理由を問うた俺に対して、どこか投げやりな口調でマリーさんは答えた。

 

「アタシが悪かったんだ。()()、態度を間違えちまった」

 

それが何を指していたのか、俺にはわからない。

ただ、普段はもっとしっかりとしていて、頼りがいのある彼女の指先がだらしなく垂れ下がっていた。

そのわなないた唇が次に発した言葉は掠れていた。

 

「梨香がアシスタントをやめたのも……ああやって、閉じこもっちまったのも……」

 

震えるその手に触れた指先。

宥めるようにそっと撫ぜると、瑠璃は口にした。

 

「アタシの──」

「……マリーさん。一旦、落ち着いて。まずは話を聞かせてよ」

 

遮られたマリーさんの声。間髪を入れずに、瑠璃は続けた。

 

「責めたって解決できない──でしょ?」

 

* * *

 

「……なるほどね」

 

一通りマリーさんの話を聞き終えると、瑠璃は頷く。

 

「つまり、昔のマリーさんは締め切り間近で気が立っていて、梨香ちゃんに心無い言葉をかけた。そして、それがきっかけで梨香ちゃんは閉じこもっちゃった──こんな感じ?」

「……ああ、その認識で構わない」

 

項垂れたまま、マリーさんは認める。

瑠璃が口にしたことに、相違は無かったらしい。

 

「……悪かったな。アタシの問題なのに、瑠璃たちに任せちまって」

「いいよ、別に。だって、その時にはマリーさんも解決しようとして──でも、ダメだったんでしょ?」

 

もう一度頷いたマリーさんは、やはり力なく映って。

普段の気概に満ちた人物という印象とは一転、ひどく弱気だった。

 

「……何度も話しかけた。ちっとも梨香は開けてくれなかったが、それでも、アタシは踏み込もうとして……っ」

 

声は震え、萎んでいく。

狼狽えたように、マリーさんは何やらブツブツと唱えていた。

それら全てが、梨香の呟きを見てしまったあの瞬間から続いている。

 

つまるところ、今マリーさんが思い出しているのは、他人の「から」をこじ開けようとして、その上で負ってしまった手痛い失敗なのだ。

そんなの、すぐに何とかできる問題じゃない。それに、マリーさんと梨香の間にあったのは数年間、互いに触れ合うことがなかった冷めきった関係だ。

 

そんなの、もう一度踏み込もうとするなんて怖いに決まっている。

 

──そうやって、反省したって。そんな顔してんなよ、浜音。

 

跳ね除けられた感触がフラッシュバックしたかのように、俺の指先は震えていた。

もう、思い出したくない。だって、どうしようもないことなのだから。一度、閉じてしまった「から」をこじ開けるのは、お互いにとって辛いことで──。

 

「……だったら、もう一回踏み込むしかないよ」

 

そんな重苦しい空気を打ち破ったのは、瑠璃だった。

 

「あたしたちが何かしようとしまいと、梨香ちゃんは苦しんでる。だったら、少しでも力になれる方を選びたい」

 

その答えは、あまりにも眩しすぎて。

言うなれば、模範解答にも近しいものだというのに。未だ、俺には引っかかることがあった。

 

「……でも、やり方を間違えたら余計に梨香も、マリーさんも傷つくんじゃ……」

「でも、このまま放っておいても互いに傷ついたままなのは同じ。だからね、あたしが思うには──」

 

俺に向けられた瑠璃の瞳。

その奥に湛えられた光は、揺らぐことなく、俺を捉えたまま離さず。

思わず、押し黙ってしまう。

 

「──()()、できることをするべきだと思うんだ」

 

その唇がわなないては、言葉を継いでいく。

 

「あたしにはね、わかるの」

 

絶対に自分は引くまいと、離れまいとするかのような、強い口調だった。

 

「一人で縮こまってて、そんな時に一番欲しいのは何かってこと」

 

俺にも話したくないことがあって、それはマリーさんも同じ。

だとすればきっと、瑠璃にだってあっただろうに──それを辿るのは、辛かろうに。

 

「認められたい──その一言に尽きるよ」

 

瑠璃は、断定してみせたのだ。

 

* * *

 

「マリーさん、確かこの辺にボツ原稿があるって言ってたよね?」

「ああ、ただ……何を探して──」

 

棚の奥の奥、積み重なった紙束の中から、必死に瑠璃は何かを探しているようだった。

 

「一つ、覚えてるの。マリーさんが絶対に触らせてくれなかった原稿があること」

「……なっ」

 

その瞬間、明らかにマリーさんの表情が強張った。

 

「……あり得ないもの。具体的な理由すらなく、マリーさんが原稿を()()()なんて。だからね、思ったんだ。その原稿って──」

 

瑠璃が全てを言い切る前だった。棚を漁る手を止めない彼女を制止して。

マリーさんは、その言葉を遮った。

 

「……そうだよ。アタシが最後に梨香と書いていた原稿だ」

 

ひどく険しい表情で、マリーさんは瑠璃を睨み返す。

 

「それを掘り返して……どうするつもりだ」

 

きっと、マリーさんの胸中に広がっていたもの。

沸々と込み上げできたであろう怒りが、その声音からは感じられた。

過去を、そうやって掘り返されること、そんなの誰だって嫌に決まっているから──。

 

「どうするつもり……って、これを完成させて梨香ちゃんに届けるの」

 

だけれど、瑠璃は毅然とした態度でいた。

 

「どうして……わざわざそんなこと……」

 

思わず声が漏れてしまう。

梨香にとっても、その原稿の存在はあまり好ましい問題ではないだろう。

ならば、尚更それを掘り返すのは悪手に思えて。

 

「一旦、踏ん切りをつけること。そして、梨香ちゃんに居場所があるんだって教えること。それが、一つ目の理由だよ」

 

つまるところ、瑠璃の言い分としては途中で終わってしまったその原稿を完成させることで、二人の間にあるわだかまりに一区切りを付けようということだろう。

とはいえ、それだけでは理由として弱いようにも思えて。

 

「……でも、わざわざスランプの梨香に絵本を突き出すのか?」

 

それはリスクを伴うものだ。

ともすれば、また彼女の機嫌を損なってしまう可能性があって、そうなってしまえば余計にスランプが深刻化することだって有り得る。

マリーさんだってそう考えているに違いない、と。彼女の方を向いた時だった。

 

「……ほう」

 

マリーさんはどこか合点のいったような感情をしていた。

煮え切ったわけではないけれど、瑠璃の言い分はわかるというように。

 

「ねぇ、浜音くん。ものづくりをしていて一番嬉しい瞬間──それって何かわかる?」

 

俺だけが不服そうな表情をしていたからだろう。

こちらを真っ直ぐに見つめてくると、瑠璃はそう聞いてくる。

 

「……一番嬉しい、瞬間……」

 

俺が、ものづくりをした経験。

それは一度中学生時代に途切れてしまった小説の執筆と、ついこの間、マリーさんの作品に協力した時だ。

一番、何が嬉しかったか。絞り込めるものじゃない──もう一度文章を紡げたことも嬉しかったし、自分の中で燻っていた言葉を形にしていくうちに、気持ちが晴れていく気がして。

 

それでも、何より嬉しかったのは──。

 

「認められた瞬間だよ。好きって、あなたが紡いだものが受け入れられて。やっと人は報われるの」

 

その気持ちは、俺ですら理解できるものだった。

瑠璃に褒められた時、マリーさんに褒められた時──書いたものが”好き”だと言ってくれた瞬間に、満たされたこと。居場所にすら困っていて、ここで何をするべきかわからないままでいた道筋が照らされたような気がしたこと。

それは、確かに瑠璃が言う通り一番嬉しいことと言っても差し支えなかった、けれど。

 

「……本当に、大丈夫なのか?」

「できるよ……できるって、思いたいの」

 

ふるふると、瑠璃は首を横に振った。

そんな俺の抱えていた不安を振り払うように、ぎゅっと拳を握って見つめ返してきた。

 

「さっきも言った通り、これを──完成させる。あたしが焦がれた梨香ちゃんの塗りで、全力で好きを伝えるの」

 

それは、あまりにも真っ直ぐすぎるやり方で。

なりふり構わず、相手に踏み込むこと。それにほかならなくて。

 

「色々言ったけど、あたしも不器用なんだ。浜音くんと出会った時もそう、梨香ちゃんとの時だってそう、距離感を測りかねてデリカシーが無いこととか言っちゃったりして──」

 

瑠璃の言う通り、彼女は普段からどこかズレている。

距離感が近ければ、抜群に空気を読めるわけでもない。接していて──それこそ最初は俺だって、不快に思う時が無かったとは言い切れない。

 

「でも、ものづくりの熱はどんな言葉よりも、正直に、雄弁に、あたしの想いを届けてくれるって信じてる」

 

けれど、それを全て承知の上で瑠璃はやると言っていたのだ。

 

「だからね、あたし一人でもやってみせるよ」

 

「から」をこじ開けてでも踏み込もうとする度胸、自分が傷つくかもしれないのだってお構い無しに踏み込んで、現状維持ではなく、最善を得ようとするための一歩。

その強さは、間違いなく俺にはないものだ。

 

「……わかった。未完成なら文章も必要だろ? 俺に手伝わせてくれ」

「浜音くん……」

 

だからこそ、その強さに惹かれたのだと思う。

一歩すら踏み出せないままでいる自分が、ひどく惨めに思えたから。

ここに来る前にしてしまった手痛い失敗──それを通してまだ何も学べていないのか、と。

自分を責めたくないからこその答えだった。

 

「アタシにも手伝わせてくれ。瑠璃には難しい表現もあるだろう。手助けができるかもしれない」

 

最後に頷いたのはマリーさんだった。

重々しく、それでもやるのだ、と。過去と真正面から向き合うのだと、彼女は言い張ったのだ。

 

「ものづくりをしていたら誰しもが持つ、認められたいって欲求。きっと、梨香は自分の中のそれと、上手く向き合えないでいるんだろう。梨香との間で失敗した時のアタシだってそうだった。デビューしたばかりで、堪らなく焦っていたんだ」

 

先程まで制止していた瑠璃の手。

それをほどき、マリーさん自身もまた棚を漁り始める。程なくして、目当てのものは見つかったようだった。

 

「……だから、これは罪滅ぼしだ。ハマ、瑠璃──アタシに手を貸してくれ」

 

原稿を抱え、頭を下げてくるマリーさんに、瑠璃もまた頭を下げる。

そうだ。何もこれはマリーさんだけの問題じゃない。

 

「乗りかかった舟だもの。お互い様だよ」

 

皆が、納得できるようにするため。

一度は振りほどかれた手を、()()()()ための──絵本づくりが始まった。

 

* * *

 

──”知ってますか? 海の上に咲く花があるんです”

 

それは、海に住まう生き物たちの物語だった。

主人公のヤドカリは引っ込み思案、何かがあるとすぐに殻にこもってしまうキャラクターだ。

それでも、ある日、彼が海中から水面の更に上にみとめたのは、人が打ち上げたであろう花火だった。

それを見に行くために他の生き物の力を借りて彼が冒険をする──それが、今作っている絵本の筋書きだった。

 

「マリーさん、上手く海の青が表現できなくて……」

「それこそ梨香のやつが参考になるはずだ。ここらで少しぼかしを入れて──」

 

絵の方は順調らしい。マリーさんのアドバイスを受けて、瑠璃は着々と描き進めている。

ただ、俺は──。

 

「……どうやって進むんだよ。お前は」

 

自問自答だったか、主人公のヤドカリに対する問いだったか。自嘲げに声が漏れた。

引っ込み思案な彼がどこか自分と重なったからこそ、そして、今回は文章面についてはほとんど手つかずで俺の裁量が大きかったせいだろう。

 

ちっとも埋まりきっていない原稿用紙の上に押し付けたペン先ではインクが掠れるのみ。

文字はちっとも埋まっていなかった。

 

* * *

 

筆先が掠れて、乾いた音を立てた。

こびり付いた絵の具は鮮やかで、それだけに薄暗いこの部屋では目に痛いものだった。

 

『もう少し厚塗りな方が好みですかね』

『細部の塗りが粗いように思える』

『ちょっと前衛的すぎる……かも?』

 

一度呟きがバズって、フォロワーが増えた。

フォロワーが増えるに従って、わたしが絵を出す度に、見てくれる人が増えた。

それは本来喜ぶべきだったはずなのに──。

 

「……認めてよ」

 

「認めてくれない人」が、昔よりずっと増えた。

自分で上手く描けたなって思った絵にいいねが付かないこともあれば、やっと投稿されたコメントに飛びついてみれば、自分には理解できなかった絵だという人がいる。

 

皆に届く絵──皆に認められるわたし。

それがどうにも作れなくて、一瞬できたと思った居場所はわたしを苛んできて。

それなら、どうすればいいのか。

 

 

『わたしは、何のために描いているんだろう』

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