晩夏一香 作:悲しみ
マノという男を一言で表せと言われたら、自分は二つ答えを持っている。
「社交的な努力家」。……あるいは、「気狂い」。
曰く。彼は突きを極めたい。明確な到達点も分かっている。しかし、それに見合った武器だけは未だ探求中とのこと。
まずこの時点でおかしい。技というものは武器ありきで存在する。教え諭してたしなめても、「その理論で言うと木の枝なんだけど、なんか違うんだよな」なんて訳のわからないことを言う。
結局、彼は
そういうわけで、良くも悪くもマノは塔でかなり顔が広い。フロントで先輩らしき塔士に肩を小突かれているのを見たのは一度や二度では無いし、未熟な少年少女と一緒に訓練所に居るのも珍しいことでは無い。それすなわち、彼と気兼ねなく交友する者も多い。
とばかり、思っていたのだが。
「…友だちはわたしだけ、かぁ」
ゆるむ口元、頬に手を当てて。ケセラは一人ストリート・マーケットを歩いていた。屋台で買ったスコッチエッグを紙袋から取り出す。一口かじると中から黄身がとろっと漏れて、ふにゃりと崩れる表情に拍車がかかる。
(特別に、マノがわたしの武器を使わないことは許してあげる)
何せ彼と気兼ねなく話せるのは自分だけなのだ。模擬戦を頻繁に乞うてくるのに、一向に斧術を学ぼうとはしない失礼さには目をつぶってあげよう。
軽やかな足取りで『傷の塔』へと向かう。今日は調子が良さそうだ。ケセラは肩をぐりんと回した。
ーー
「おっはよー!」
勢いよく塔士向け
ケセラの挨拶によって一瞬消えた。
水を打ったような空気を無視して、ケセラは軽い足取りでカウンターへと歩く。
すぐに沈黙は破られた。賑わいを取り戻す部屋の中、しかしケセラが塔士とすれ違うたびに、彼らは露骨に彼女から目を逸らす。
一様に、ケセラとの模擬戦を経験した塔士である。
ご挨拶な態度に少しムッとするが、せっかくの楽しい気分をリセットしたくないので気にしないことにする。
「おはようございます、ケセラ。来てくれて助かりました。
「もしかしてその紙の山って全部依頼? すごい数!」
「ええ、本当に。最近急に忙しくなって大変です」
肩をすくめて首を振る受付嬢を一瞥。無表情なのに感情豊かだな、とケセラが思うのは毎度のことだ。しかし今日に限っては、その陽気に別の理由があることをケセラは知っていた。
「その割にリーシアは元気そうだね。何か、
「…何故それを」
不意を突かれたリーシアの額に冷や汗がたらり。対するケセラは貼り付けたような仮面の笑顔である。
「もらったキャロットケーキ、朝食の代わりにしたの?」
「そ、そうですけど」
「それは——良かったじゃん!」
「へ?」
「ご飯食べてきたばっかりだけど、またお腹空いてきちゃうなー」
「……いや何か終わった雰囲気出してますけど、誰から聞いたんですかそれ——って、まあシエスタですよね」
聞くまでもなかったです、と一言呟いて落ち着きを取り戻したリーシア。ご名答。密かに情報屋としての知名度を確立している友人に内心呆れながらも、ケセラは今度こそ自然な笑みを浮かべる。
「代わりに、わたしに美味しい依頼ちょうだいね」
「ええ、ええ。とことん見繕ってあげますよ」
言うが早いが紙の山と格闘を始めたリーシアを傍目に、ケセラは後ろ手に組んでカウンターの奥を覗く。
二人の受付嬢が業務の手を止めて話をしている。片方は職員の中でも数少ない
「——ねぇ、読んだ?あの
「読んだ。酷いよね、毎日頑張ってる人に対して「邪魔」とか「不愉快」とか書くなんて。大体ああいうことを言う人って訓練所を利用すらしてないんだから!」
「それは私も同意するけど。…すごくマノさんの肩を持つね」
「あの人の突発お菓子を糧に仕事してるから」
「現金だな」
ケセラは五感が優れている。
だが、そうでなくとも聞こえていただろう。本人が居ないから油断したのだろうか、彼女たちの声から守秘義務の配慮は一切見られない。
ケセラは五感が優れている。
秀でた瞳が、見事にその優を発揮した。ぴら、と
『
なるほど、なるほど。どんな武器も器用に使いこなすものの、決して高みへ至ることはできない男。実らない努力をし続ける浅い技ばかり抱えた男。実に、実に彼らしい、蔑称だと思う。
「お待たせしました! 危険性が高く低位の塔士にはおすすめできない依頼で、その分報酬は折り紙つき。ケセラにぴったり、の………えっと、ケセラ?」
「んー? あ、見つかった? ありがとう!」
「今、すごく怖い顔してませんでし——」
「ごめんね? うとうとしちゃった」
「…えと。無理なさらずに」
いつもみたく元気いっぱい頷いて、提案された依頼を引き受けた。要項をもう一度確認して「受諾」の判子を紙に押すリーシアを、カウンターに肘をついて眺めている。彼女は良い依頼を選んでくれたものだと思う。
みんなも受けたらいいのに。
他の塔士の絶え間ない談笑を背に、ケセラは胸中で独りごと。その時、
「——マノって奴、毎日飽きずに訓練してご苦労なこったな。でもさ、あいつ弱いじゃん? 俺だったら周りに迷惑をかけないようにサポートに回るね!」
突然、敵意が穏やかな喧騒を破った。
振り向くと、背に大剣を携えた若い男の塔士が立っている。
あぁ、なるほど。ケセラはすぐさま納得した。この男はたしか、たった今マノの肩を持った
実に青臭い
なんてことは無く。
塔士の反応は二分した。
「言うねぇ、ルーキー!」などと猿のように騒いで、口上した塔士をもてはやす者。
他方、マノを貶める声に眉をひそめるものの、決してそれを言葉には出さない者。
さきほどマノと出会った時の会話がコミカルに反芻される。彼は友達が居ない、と言った。散々散々努力して、色々な人に助けを乞うて、にも関わらず自分で認めた「独りぼっち」の称号。それが真実だったことを、ケセラは痛感してしまう。
マノはひたむき
全員が彼を遠巻きにしているような寂しさに、ケセラはなんとなく居心地の悪さを感じた。
反論の不在を見てアピールチャンスと目論んだのか、男の声は大きくなる。
「初心者でもないのに
危険に怯える
たちまち下品になった部屋の中、しかしケセラの理性は全く冷静で。がなる主張を黙って聞いている。
男が言っていることは正しかった。
「せめて武器を一つに絞ったらいいのに。もし大剣を選ぶなら、俺があいつに教えてやってもいい! 弱者に手を差し伸べるのも塔士の仕事さ」
「やっさしー」なんて嘲笑まじりに周りが言って、また一つ爆笑をあげる。
その通りだと思う。命を預ける武器。塔士の第二の心臓。それを定めないことは欠点でしかない。
断言できる。あれほどに努力を重ねるマノは、この塔士よりも弱い。
「ほんとしぶといよな。俺がアイツの分までイミタリを倒してやるから、早く辞めた方が身のためだと思うぜ?」
しかし、正しいことがいつも良いわけではなくて、正しさだけで廻る世界はどうしようもなく退屈だ。
みんな正しい理屈ばかり求めている。わかりやすい名誉ばかり求めている。その邪魔をする夢を、感情を馬鹿にして笑う。
「アイツ、なんのために塔士やってんだろな!」
———楽しくて仕方ないんだよ、目標に向かって馬鹿みたいに走るのがさ。
それでも、わたしは
「ほんっとそうだよね!」
一歩踏み込んで、下からえぐるように男を見上げた。
はじめこそ、眼前に現れた褐色の少女に怯んだ男。しかしケセラの言葉が同調だと分かると、みるみるその顔は品無く歪む。
「…やっぱりケセラさんもそう思——」
「マノってあんなに頑張ってるのに強くないよね。知ってると思うけど、わたし手加減とかできないじゃん? マノと模擬戦する時も何回も何回もぼっこぼこにしちゃうんだけど、マノったら絶対諦めないし、何回でも立ち上がるの! ああ、話してたら体がむずむずしてきた———ねぇ、
向けられた
「…いや。俺なんかじゃケセラさんの相手にならないよ」
「あなたの方が年上なんだし、さん付けはいらないよ! それに言ったじゃん。わたし、あなたより弱いマノと模擬戦してるんだよ?」
ぎり、と歯がなった。マノを槍玉に笑っていた塔士たちの間で興醒めの雰囲気が立ちこめる。しかし誰もケセラに悪態をつく者はいない。それが可能な実力を持った者はこの場に居なかった。
「——ッ」
聞こえないくらいの小さな舌打ちを一つ。男は部屋から出ていった。
沈黙が隙間なく部屋中を埋める。今度の重苦しさは簡単に霧散しようも無い。全員が気配を殺そうと浅く呼吸をする中で、ケセラだけが濁った空気を肩で切ってカウンターに戻り、依頼の紙を手に持った。
「リーシア、伝言をお願い。…『今月二十日のお昼から模擬戦、集合場所は傷の塔の前。お仕事休みでしょ?絶対来てね』。それじゃ、依頼行ってくる!」
にっこり笑い、入室と同じ勢いで部屋を飛び出す。踊り子然とした薄い衣装のたなびきが、残像のように塔士たちの目に残っていた。
ーー
「運が悪かった」と言ってしまえばそこまでだが、じゃあ仕方ないと思えるほどにこの世に未練が無い訳じゃない。
「あッあッあッ、やはり美味いこれが良い!幸せだ僕は!」
腰が抜けた少年の前で、口元を真っ赤に濡らした男が楽しそうに奇声を発している。
———奴らは生きても死んでもいない。だから生者の持つ魂の熱を、奴らは本能的に求めるのだ。
そんな言葉が少年の脳裏に蘇る。
通称を、
近道をしようと通った集合住宅の隙間の通路で、横たわる女の腕を噛みちぎらんとしていたのである。
噛み傷から滴る血を男が啜る度、びくんっ、とはねる女の体。
まだ生きている。そのことが、少年にとって耐え難いほどに恐ろしかった。
幸い男は目の前の獲物に夢中で、少年の方を見向きもしない。しかし自分の存在が気付かれていることは少年も薄々気づいていた。逃げようと一歩でも動けば、血に濡れた指先が自分の方へ向くことも。
(ふざけんな、なんでこんな真っ昼間に街のど真ん中にいるんだよッ!!)
内心悪態をついてみても恐怖は
どうにかしようと頭を回すが、思考は圧倒的な絶望に押し潰されるのみ。神経が抜き取られたのかと思うほど、手先足先には力が入らない。
時間にしておよそ十数秒。男はとうとう少年の方を向いた。
充血して腫れ上がった禍々しい瞳。少年の頭が真っ白になった。少年がぼろぼろとこぼす涙には目もくれず、
「安心して。僕は若い肉も大す
き
さ
あ″ぇ?」
三日月の軌跡が、曲芸のように男の首を刎ねた。
びちゃり。
断面をちょうど真下にして、男の首は石畳の上に立つ。斬られたことを理解しておらず、きょとん、とした顔のまま自身を遮る影を見上げる。
燻んだ金色の鎌を持った少女が、生首を見下ろしていた。
「これで依頼は、おしまい」
少女は鎌を軽く振るう。それだけで、
「間に合ってほんとによかったよ!」
鎌と一緒に両手を後ろに組んで、少年に向かって笑いかける。
そして特筆すべきはその服装だ。踊り子のような薄い衣装は、多感な年齢の少年が直視をためらうほどには刺激的だった。
「あれ、どうしたの? もしかしてどこか怪我した?」
「……大丈夫、っす」
死の予感から一転、照れが頭を埋める。思考は混乱して定まらない。
「ほんとに?」と少女がもう一歩、まつ毛が見えそうなくらい近く、少年に詰め寄ろうとした時。襲われて意識をうしなっていた女が大きく咳をした。
少女はぴくりと反応すると、慣れた手つきで女の体を
「もし怪我してたらちゃんと病院に行ってね?わたしはこの人を連れてくから」
「…あっ、俺も、」
手伝います。
言い終わる前に、少女の姿はかき消えた。実際は抱えた女性に負担がかからないような柔らかい動きであったが、その動きでさえも少年の目は捉えられない。
「…夢?」
目をごしごしと擦る。しかし怪物の血痕は、確かに地面を赤く染めていた。
ケセラ
マノの唯一の友達。大陸に系譜を持つ異国系褐色少女。ザグナルという戦闘用ツルハシを使いこなす実力者。