晩夏一香 作:悲しみ
集中とは、どれだけ切に対象と向き合っているかの表れである。
ライズの持論だ。他の一切に目もくれず、傾倒にも等しい感情でただ一つを見つめる。一人の剣士として、握る剣と生半可に向き合ってはならぬ。目を閉じて専心に潜る。イメージは凪いだ湖、その中心、水上に座して瞑想をする自分。
静かだった。緻密に練られた空想は、陽光の反射によってきらめく水までもライズに感じさせた。完璧に作り上げた孤独感は身体と外界の境界を浮き彫りにし、剣と自分の繋がりをより強固にする。ゆっくりと深呼吸をして、
「お嬢。今日は彼、来ないですよ」
湖を嵐が襲った。
「…な、なによ、シエスタったら急にマノのことなんか」
「あれれ? おかしいですね、私は彼の名前なんて一言も言ってないはずですが…そんなに彼が見学に来るのを心待ちにしてたんですかぁ?」
あっ、しまった。
そう思った時には既に、眼前で
「全く、お嬢も隅におけませんね!」
「ちがっ、そんなんじゃないし!!」
脇腹をつついてくる部下兼幼馴染の指を払うも、彼女はめげずにライズを攻める。しつこい。図星を突かれた動揺は次第に、鬱陶しい絡みに対する怒りへシフトする。
「いい加減に——」
「冗談はこのくらいにして」
鬱憤をぶつける寸前で、シエスタはすました顔でいじるのを止めた。急に真面目な態度を取った彼女に、奮った心は行き場を失ってしまい。結局、ライズはしぶしぶ矛を収めた。その絶妙な引き際には舌を巻くばかりだ……被害者が自分で無ければ。
「今日は
「…あっそ」
相変わらずの情報網に礼の一つもくれず、ライズはぶっきらぼうにそっぽを向く。シエスタは苦笑した。主人の不機嫌の理由が分かり切っていたのだ。
「ある意味、似た者どうしというか何というか…」
「どういう意味よ」
なにやら不本意なことを呟く彼女に追及。しかしシエスタはライズの言葉をさらりと躱し、
「マノ君、頑張りの勢いがずっと衰えなくてすごいですよね」
と一言。そればかりはライズも全面的に肯定する所だ。
過去、雷雨による大規模停電が都市を滞らせた。人々は当然自宅に避難して終息を待っていた頃、曇天の下雨に打たれながら訓練所へ行き、「貸し切りだ!」と喜んで素振りをする男がいたらしい。
鍛練を趣味とまで言うライズでさえも、その話には普通に引いた。
「あれほどの努力家なんて、今まで見たことないですもん」
「…いたくあいつを褒めるわね」
「まあ、高く評価はしてますよ?」
ぴくりとライズの耳が動いた。無意識のうちに体がそわそわしていることをライズは自覚していない。僅かに体が揺れるたび、頭のお団子も連動して揺れる。その様子にシエスタはいじわるく笑うと、ぶかぶかのローブから両手を出してライズの右手を包み込んだ。
「大丈夫、お嬢の方が好きですからね♡」
そっちじゃ無い、とか、そこは心配してないわよ、とか。叫んでも良かったのだけれど。
「…真面目で、一途で、信条を曲げない所とか」
そんなに率直に口に出されるとかえってばつが悪くなる。そう感じてしまうのは、それがライズの誇りであり、剣を握る糧であり、
彼と自分を
ー
「俺に剣を教えてください」
今となっては、彼が嫌いだ、と声を大にして言えない。
しかし断言できる。初めて顔を突き合わせたあの日。ライズにとって、彼は嫌悪を隠すことさえ億劫な相手だった。
元、『
マノ。姓は無し、年は自分と同じ。よく鍛えてある割には細い胴。色素が薄く
「
当時彼はそう呼ばれていたので、当てつけのつもりで言ってやった。男は少しも動揺しなかった。碧い目が噂と似合わず澄んでいて、ライズはどきりとした。
「駄目ですか」
「嫌に決まってるじゃない」
しかしライズはそのかすかな動揺をおくびにも出さなかった。毅然な態度で跳ね除けても、マノの真剣な顔は微塵も揺らがない。その態度にまた苛々してライズは言葉を重ねる。
「軽はずみに多くの塔士にすり寄って、小手先の技術をかすめ取る。あげくの果てには他の塔士に教わる対価として、得た技を見せびらかす始末。ゼルフォードが磨き上げてきた剣技さえも、貴方は便利な道具にしてしまうのかしら?」
明確に「攻撃」として放った言葉を受けて、さしものマノも眉尻を少し下げた。
「否定できません。俺には貴女のような誇りが無い」
「誇り。いい言葉ね。貴方が発するのが耳障りなくらいに」
「それでも」
マノの声が揺れる。迷子の子供のような不安定さが耳を打つ。
「夢があるんです」
苦しそうな顔の中、爛爛と輝く瞳はアンバランスを絵に表したかのよう。
成程、この眼は本物だ。
理知が囁く。彼もまた、たった一つに縋っているのだろうと分かった。ああ苛々する。ほんの少し
「私は貴方が不快。でも、だから教えない訳じゃない」
腰に下げた剣をゆっくりと引き抜いた。無骨で気をてらわない、最も一般的な両刃の剣。至高の相棒。
「剣を愛する人にしか、私の剣を振るってほしくないの」
初めてマノがショックを受けたような顔をした。それ以上食い下がられることは無く、彼はふらついた足取りでライズの元を去っていく。
せいせいした、と空気を肺に取り込んだ。せいせいしたじゃないか。自分を納得させるように心の中で何度も頷いた。それでも拭えない微妙な気分の悪さを、ライズはいまだに覚えている。
ー
「…『信条を曲げない』って点だけは、逆立ちしてもアイツに勝てないわ」
声が若干
…まぁ、見直したというか折れたというか絆されたというか。とにかくライズはマノに対してつっけんどんになる気力が失せたのだ。
あれほどの愚直さを見ながら彼を無視して遠ざける。そのような不義こそ、信念の最も嫌う所であったから。
ライズの剣は、言ってしまえば基礎が積み重なっただけの指南書通りの剣である。相手をあっと驚かせる曲芸じみた技術は無く、ただ地に足をつけて愚直に勝ちをもぎ取る。
不本意だが断言できる。現在ライズが出会った中で、その一向の剣を教えるに値する人物は、マノただ一人であると。
(…だから余計にむかつくのよ)
彼がロングロードを腰に下げて、ただ一言「ゼルフォードの剣を選ぶ」と言うならば。ライズは喜んで彼を歓迎すると決めており、そんな日が来ないことが分かっている。
「そんなにムスッとしながら言わなくても…。
「変な妄想は止めなさい」
「やだ、否定の目が真剣すぎて野次馬根性があふれ出ちゃう…あ、その顔! 素晴らしい、わたしの脳内お嬢不機嫌顔コレクションが潤う———んぶ」
再びウザ絡み状態になったシエスタがライズに絡もうとした矢先。背後から迫る大きな影から伸びる手に、シエスタの頬は挟み込まれた。
「シエスタ、ふざけすぎ。お嬢の頭から煙が出るってば」
見た目より強く頬をロックされているのか、シエスタの顔が少々ビビっている。良いものが見られたと、ライズはもう一人の部下———ソルテに感謝を告げた。
「それで、今日の模擬戦はどうなさいますか?」
「じゃあもう始めちゃいましょうか」
「え。でも、マノさんは来ないんですよね?」
「アイツのためだけにやってんじゃないわよ!!」
こともなげに言うソルテは、ライズの叫びを聞いても不思議そうにするだけ。助けが入ったかと思ったが、囃し立てが増えただけだった。無自覚な所がなおさらタチが悪い。
誤解を解くのは諦めてライズは立ち上がった。というのも、援護を得たシエスタが明らかに良くないことを考えている顔をしていたからだ。早く模擬戦を始めないと再び彼女のいじりを受けてしまう。
「マノ君が来ないなら、早めに模擬戦終わらせた方がいいですもんねっ」
遅かった。シエスタは意地でも自分から言質を取りたいらしい。
「そうよ、せっかくアイツのために時間合わせてあげてるのに…」
もう否定するのも面倒で、ついこぼれてしまう愚痴。それを聞くや否や、シエスタは満足そうな顔をして静かになった。嫌な予感に汗が垂れる。その気分も剣を振って忘れることにしよう、と現実逃避。
「そもそも彼と約束なんてしてないですけどね」
「うわ」
前者はソルテ、後者はシエスタだ。思わぬ攻撃にライズの体が著しく硬直した。
「今日は五本先取で」
「!?…お嬢、正気ですか?」
「これはソルテが悪いと思う」
「シエスタも明日の基礎練参加ね」
「うぇ!?私、非戦闘員ですよ!?」
「問答無用」
揃って青い顔を浮かべる部下たちに溜飲が下がる。が、ライズは誇り高き騎士である。口だけでなく、責任をもってしっかりと有言実行した。
ライズ
塔でも有数の実力を持った剣士。お団子髪を携えた騎士系真面目少女。自身の武器と流派に強い誇りを持っている。