入手可能な限りの鎧玉を注ぎ込んで強化された新品の防具に身を包んだカーシュナーたちは、ギルドマスターの前に、これまた下位で可能な限り強化された各々の武器を手にして立っていた。
「ギルマスじいちゃん。約束通りちゃんと装備を整えたぜ」
ハンナマリーが胸を張って報告する。
「うんむ。この短期間でたいしたもんじゃ。これなら少しは安心して送り出せるわい」
ギルドマスターが、もともと開いているのか閉じているのかよくわからない細い目を、さらに細めて満足気にうなずく。
「寝てるの?」
そんな様子を見たジュザが、ギルドマスターをからかう。
「起きとるわい! いま、ちゃんとしゃべっておったじゃろうが!」
ギルドマスターがムキになって言い返す。
「立ったまま急にこっくりしたから、つい」
「それで本当に寝ておったらお終いじゃ!」
「終わったと思った」
ジュザの返しに、ギルドマスターは顔を真っ赤にして怒り、追いかけまわした。
「細目のお前に、寝ているとか言われとうはないわ!」
いつも手にしている杖をブンブン振り回して追いかける。杖を持つ意味があるのだろうか? どうせなら棍棒でも持ち歩いた方が目的に適っているように思える。
ジュザもギルドマスターも、しばらくは口もきけなくなるほど呼吸が乱れるまで追いかけっこを続けてようやく戻ってくる。
二人は呼吸が整うと、がっちりと手を取り合い、互いの身体を引き寄せると肩をぶつけ合い、最後にこぶしを合わせて元の立ち位置に戻って行った。ただの仲良しである。
「…相変わらずだな、二人とも」
リドリーが呆れたように言う。
ジュザからすれば、高齢であるギルドマスターの体調をはかることになり、ギルドマスターからすれば、ジュザの負傷の加減をはかることになる、いつものじゃれ合いだった。その割には本気度の高い追いかけっこではあるが。
「それでは、いよいよお前さんらに、このモンスターの討伐依頼を出すとしようかのう」
ギルドマスターの言葉に、全員が不敵に笑って応える。
「下位最凶最悪のモンスター、≪爆臭虫≫(バクシュウチュウ)じゃ!」
狩場≪大河≫を離れ、内陸の森林地帯に、あまりにも不自然な、巨木の群れがあった。拠点から南下すると、豊かな広葉樹の森が広がっている。雄大な流れに沿って進めば狩場≪大河≫に行き着き、≪大河≫と逆方向に進むと、不意に森が開け、その先に、1本1本が、砦ほどの太さの幹を持つ、巨木の群れが姿を現す。
――狩場≪巨木林≫(キョボクリン)である。
巨木に日光を遮られてしまうため、土壌がいくら豊かでも、さすがに樹木は大きく育たず、巨木が長く伸ばす影の手を逃れるように、≪巨木林≫の周辺には奇妙な空白地帯が存在した。
北の大陸の狩場≪樹海≫にも、中ほどでへし折られた巨大な樹木の名残が存在するが、こちらは天を覆い尽くすほどの枝葉が、太陽を捕まえようとでもするかのように、豊かに茂っている。
その結果、巨木の足元に下生えは、1本も芽を出していなかった。
枯れ落ちて積り、腐敗した腐葉土の上を、カーシュナーたちは、ベースキャンプを目指して歩いていた。
「すごいフワフワするモン!」
モモンモが足元に厚く積もった腐葉土の上を楽しそうに飛び跳ねている。
「ここにそびえ立っている樹木は、古代種だそうッス。どんどん南下していけばたまに見られるらしいッスけど、群生しているのはここだけらしいッス」
首が痛くなるほどの高さに広がる枝葉を見上げながら、ファーメイが説明する。
「古代種ってことは、ここに積もっている腐葉土の厚さは相当なんだろうね」
飛び跳ねて遊んでいるモモンモをキャッチしながらカーシュナーが尋ねる。
「先輩方が掘って確かめたらしいッスけど、5メートル掘っても地面にたどり着かなかったらしいッス!」
「なんだ、途中で諦めちまったのか?」
リドリーが意外そうに尋ねる。王立古生物書士隊の好奇心と知識欲を満たそうとする貪欲さを知っているだけに、地面にたどり着くまで掘り返さなかったことに驚いたのだ。
「そこまで掘ったら、周りが崩れて生き埋めになったらしいッス。ちゃんと調べるには、それなりの準備をしないとダメみたいッスね。でも地上で他に調査しないといけないことが多すぎて残念ながら当面は手がつけられないらしいッス」
「なるほどね。王立古生物書士隊も古龍観測所も本当に大変だね。あんた私たちと一緒にいて大丈夫なのかい?」
ハンナマリーが本気でファーメイに尋ねる。
「1パーティに最低1名の調査団員の同行は義務ッスから! ぜんぜんOKッスよ! それに、みんなのおかげでボクが提出するレポートの評価ってけっこう高いんッスよ! みんなが予想外の無茶をするから、他のパーティでは収集出来ないようなデータが多いんッス!」
「予想外の無茶は、たいていファーが巻き込まれたトラブル処理のためだろ?」
リドリーがツッコむ。
「ってことは、斬新なデータはすべてボクの功績ってことことじゃないッスか!」
「…お前、どんどんモモンモに似ていくな」
ツッコむ気も失せたらしく、リドリーは呆れ口調で言う。
「あれっ!! どうしたッスか!! いつものツッコミは!!」
放置されてしまったファーメイに、モモンモの演舞棍(エンブコン)もどきが振り下ろされる。間一髪で身をかわしたファーメイが抗議の声をあげる。
「いきなり何するッスか! モモンモ!」
「ツッコみだモン!」
「モモンモ。それじゃあ、ただの暴力ニャン」
モモンモの自称ツッコみに、ヂヴァがまともなツッコみを入れる。
その様子を見ていたリドリーが、ニヤリと口角を釣り上げて見せた。
「!!!!」
ファーメイは気がついた。ここまで計算ずくでリドリーは放置したのだ。
「お前ら~! おふざけでケガだけはするなよ~!」
ハンナマリーから注意されたリドリーたちは、素直に「は~い!」と、答えたのであった。
「この上にベースキャンプがあるッス!」
ファーメイが1本の巨木の前で足を止める。
その巨木だけは周囲の巨木と様子が異なり、奇妙にねじれ、ところどころに大きな洞が口を開けている。
「この巨木は、何らかの植物特有の病気を持ったまま成長しているらしいッス! 生き物には何の影響もないので心配無用ッス!」
そういうとファーメイは、率先して巨木の上にあるというベースキャンプに登り始めた。よく見ると、手足を掛けるためにUの字型の鉄の取っ手のようなものが打ち込まれている。
ファーメイに続いて他のメンバーも巨木を登る。大枝に隠れて下からは見えなかったが、入口が狭い洞があり、その中にベースキャンプが設置されていた。
「おおっ! なんか秘密基地みたいだな!」
以外に広い内部の様子を見て、リドリーが感嘆の声をあげる。中には簡易ベッドが設置され、暖を取れるようにと小型のストーブも設置されている。煙突は当然屋外に出され、換気も出来るように工夫がなされている。お決まりの赤と青のボックスも設置されいる。
さっそく青いボックスから支給品を取り出し、4人で分配する。消臭玉のみ取り出さずに残しておく。今回のターゲットである≪爆臭虫≫の狩猟に際して必需品であり、消費も激しいとのことで、調合素材も含めて全員満タンまで持ってきていた。手持ち分を消費してから、支給品に手をつける予定である。
事前に集めた情報では、≪爆臭虫≫は尻尾のないゲネル・セルタスのようなイメージらしい。先輩ハンターに聞けばいくらでも情報は集められるのだが、狩猟技術向上のために、下位で得られる最低限の情報のみで狩猟に来ていた。
「この≪巨木林≫には、小型モンスターとして、クュンチュウの近縁種にあたる、≪棘盾虫≫(トゲタテムシ)と、現時点では、ここ≪巨木林≫でのみ確認されている、ネルスキュラの小型版のような鋏角種モンスター≪狩蜘蛛≫(カリグモ)が確認されているッス」
ファーメイが支給品の分配が終わるのを待って説明する。
「≪棘盾虫≫は何度も狩っているから問題ないけど、≪狩蜘蛛≫の方はどんな感じなんだい? 狩猟の邪魔になりそうかい?」
ハンナマリーが、ヂヴァののどをくすぐりながら尋ねる。ヂヴァは気持ちよさそうにのどをゴロゴロと鳴らしていた。
「かなり邪魔になるみたいッス! ネルスキュラみたいに、糸を張り巡らして巣を作ったりはしないらしくて、前の2本の脚で器用に糸を操って、獲物を捕食するらしいッス! 動きもかなり速いらしくて、ヤオザミやガミザミみたいに、横方向の動もかなり速いらしいッス! おまけに脚力がかなり強いみたいで、ジャンプ攻撃もしてくるらしいッス!」
「ヤオザミやガミザミが、糸を吐くは、ジャンプ攻撃はしてくるはみたいな感じってことか?」
リドリーが嫌そうに尋ねる。
「いい例えッスね! まさしくそんな感じッス!」
「かなり強いんじゃない?」
カーシュナーも思案深げに問いかける。
「強いッスね! ただ、縄張り意識がかなり強いらしく、いても一つのエリアに1匹だけらしいんで、大型モンスターと一緒に相手取らなければ問題ないそうッス!」
「見つけ次第狩っておけば問題ないな」
ハンナマリーが、一同に確認するように言った。
ちなみに≪棘盾虫≫は、クンチュウとほぼ変わらず、身体が一回り大きく、甲殻に生えている短い棘が、丸まって転がる際の突進力を上げるようで、クンチュウにはコケさせられるが、≪棘盾虫≫には弾き飛ばされるので、イラつき方は倍以上である。クンチュウがモスだとすれば、≪棘盾虫≫はブルファンゴのような存在であった。
「じゃあ、とりあえず、一狩り行こうか!」
ハンナマリーの号令で、全員勢いよく立ち上がった。
肉を打つ鈍い音が、連続してエリア内に響く。
背後からカーシュナーに襲い掛かった≪狩蜘蛛≫が、カーシュナーの繰り出した、長棍(チョウコン)からの武器出し変形攻撃による双棍(ソウコン)で迎撃され、下からの打ち上げ攻撃の連打を柔らかい腹部に受けて、地に落ちることも許されないまま、空中で絶命する。
カーシュナーの覚醒したかのような強さに、リドリーが思わず口笛を鳴らす。
「演武・奏双棍(エンブ・ソウソウコン)、もう完璧に身についたみたいだな」
ハンナマリーも、声に頼もしさをにじませて微笑んだ。
ジュザも、同意見だとうなずく。
「そういうのは、剥ぎ取りの後にするモン」
「は~い」
一同は、採取の鬼の言葉に素直に従った。
「カーシュ。今回はどんなカートリッジを装着してきたニャン?」
剥ぎ取りの終わったカーシュナーにヂヴァが尋ねる。
演武・奏双棍は、属性カートリッジと呼ばれるレノが独自開発した属性付加装置により、メイン素材が適応可能な属性であれば、カートリッジの交換により、武器の属性を変更することが出来る。また、双剣の一部の武器にのみ見られた双属性、片方の剣が火属性、もう片方の剣が氷属性といった、他の武器種には見られなかった特殊な武器属性を簡単に再現し、加えて、別種の属性カートリッジをアイテムとして持ち込めば、クエスト中でも武器の属性を変更することができ、同種の属性カートリッジを持ち込めば、属性値を強化することが可能な使用になっている。
ちなみに、属性カートリッジは火炎袋や毒袋といった袋系素材を基礎としているため、残念ながら龍属性カートリッジは存在していない。演武・奏双棍に龍属性を付加させたかったら、他の武器種と同様、龍属性を持つ素材を使用して作成し、属性値を固定しなくてはならない。当然、属性変更は出来ないが、片方の棍の属性を固定しなければ、双属性化のみ可能になる。その代わりに、龍属性を強化することは出来ない。
カーシュナーは現在、港跡地で入手した毒袋と麻痺袋、≪潜影虫≫から入手した水袋の3種類の袋系素材を利用したカートリッジを所有している。レノが試作用に全種類のカートリッジを用意していたが、カーシュナーは自身が入手した素材で作成したカートリッジのみを使用していた。
自分に厳しく、自分に甘えを許さないカーシュナーたちの姿勢は、先輩の超絶ハンターたちから高い評価を得ていた。それは、ハンターとしての高みへとたどり着くためには欠くことのできない資質であったからだ。だが、カーシュナーたちが、その資質を得るに至った経緯を知ってしまった彼らは、ついつい甘やかしたくなってしまうのだ。あまりにも重く、苦しかった過去を助けることは、どれ程彼らが優れた技量を有していても不可能だが、いまと未来を手助けすることは出来る。すぐ隣にいるからだ。
カーシュナーは長棍状態に戻した演武・奏双棍を背中に戻すと、ヂヴァの質問に答えた。
「麻痺カートリッジの2個着けだよ。水属性も良く効くらしいけど、麻痺もかなり通るらしいから、麻痺の耐性が上がって蓄積値が下がるまでは麻痺攻撃に徹してみんなをサポートするつもり。その後で水カートリッジと交換してダメージ優先で立ち回る予定だよ」
「毒カートリッジは持ってこなかったのかニャン?」
「毒は耐性が高いみたいで、通りが悪いらしいから、思い切って持ってこないことにしたんだ。アイテムポーチが圧迫されるからね」
「なるほどニャン」
カーシュナーは、ヂヴァと会話しつつ、エリア内をつぶさに観察していた。それは、会話相手のヂヴァも同様で、ここ≪巨木林≫は、彼らにとって初めて訪れる狩場だからだ。
≪巨木林≫は≪大河≫になかった二重構造になっているエリアがほとんどで、これまでの狩猟と違い、頭の上にも警戒が必要となってくる。採取できる素材の多くが樹上にあり、腐葉土に厚く覆われた地上では、キノコの類しか採取できるものはなかった。
「なあ、ファー。ここってなんで≪巨木林≫って名前になったんだ?全然林じゃねえじゃん。森だろ?」
リドリーが、隣を歩きながら器用にスケッチとメモを取っているファーメイに尋ねる。
「いい質問ッス! 確かに、葉が茂りすぎて昼間とは思えないくらい薄暗いここが、林って言われてもピンと来ないッスよね! でも、ここはやっぱり林なんッス!」
「なんで?」
「ここ≪巨木林≫は、狩場全体の広さが、北の大陸の狩場の≪樹海≫と同じくらいの広さがあるんッス! それだけ広大な面積の中に、この巨木は、100本もないんッスよ!」
「マジでかっ!!」
ファーメイの言葉に、リドリーは思わず驚きの声を上げる。
「それくらい、この巨木は1本、1本が大きいんッス!」
「なるほどな~。そりゃあ、確かに林だわ。100本もないのに、森とは言えねえよな」
カーシュナーたちは、探索と採取を行いながら、≪巨木林≫を進んで行った。めぐり合わせが悪いのか、ターゲットである≪爆臭虫≫とは出会えないまま、ほとんどのエリアを回り、ベースキャンプ近くにまで戻って来てしまったので、一度カーシュナーたちはベースキャンプに戻ることにした。
ベースキャンプに戻ってみると、そこにはタル配便のスタッフが到着していた。
「他のG級ハンターさんたちのクエストに同行していたんニャけど、カーシュたちのクエストに行ってやれって言われたから、急いでやって来たのニャン!」
被っていた帽子を取ると、タル配便スタッフのアイルーが事情を説明してくれた。
「G級ハンターさんたちの方は大丈夫なの?」
カーシュナーが心配そうに尋ねる。
「それはわからないのニャ。でも、G級ハンターさんが言うには、初めての≪巨木林≫なら、絶対アイテムポーチがぱっつんぱっつんになっているはずだから、手伝ってやってくれって言ってたニャ!」
事実、カーシュナーたちのアイテムポーチは、ぱっつんぱっつんになっていた。≪巨木林≫には、ここでしか採取できない特定素材が豊富だったのだ。モモンモ曰く—―。
「とりあえず採取しておけばいいモン。そうすればいらないものから置いていけるモン」
と、いうことらしい。その言葉のおかげで、カーシュナーたちは、ここまでの間で素材を諦めることなく採取し、タル配便のおかげで全て持ち帰ることが出来るのだ。
「帰ったら、G級ハンターさんたちにお礼を言いに行こうな」
G級ハンターたちに気を遣わせてしまい、申し訳なく思っている弟に、ハンナマリーが声を掛ける。
「そうだね」
今さらタル配便のスタッフに引き返してもらっても、おそらくG級ハンターたちのクエストには間に合わないだろう。それでは、ただ、好意を無にすることにしかならない。ここはありがたく好意を受け取ることにして、カーシュナーは納得した。
採取した大量の素材をタル配便に託し、身軽になったカーシュナーたちは、携帯食料で簡単な食事を済ませると、再度≪爆臭虫≫の探索に向かった。
おおまかに1周し、≪巨木林≫の全体像を掴んだので、二手に分かれて探索を行おうかという案も出たのだが、ファーメイの補足説明で、≪爆臭虫≫は、ペイントボールの効果をすぐにかき消してしまうらしいことがわかった。仮に手分けをして発見しても、それを他のハンターに伝えることが難しく、下手をすれば各個撃破されてしまい、クエスト失敗に陥りかねないらしい。
カーシュナーたちは手分けして探索することを素直に諦め、今度は逆ルートで回ってみることにした。
途中≪狩蜘蛛≫と≪棘盾虫≫に襲われたが、なんなくこれを退け、逆回転で≪巨木林≫を半周程探索した。
ここで、始めに≪巨木林≫を探索した時に回らなかった≪巨木林≫の中心エリアに行ってみることにした。中心エリアには採取できる素材が何もなく、エリア間を行き来するための、単なるショートカットエリアに過ぎないため、始めに≪巨木林≫を回った時は、モモンモの鶴の一声で無視したのだ。
中心エリアには、ものの見事に何もなかった。
他のエリアに多く見られる二重構造もなく、当然上下の行き来に利用していた≪宿り蔦≫(ヤドリツタ)もない。
ちなみに、≪宿り蔦≫とは、宿り木の様に巨木に寄生し、その上で、地面にまで蔦を伸ばして地面からも養分を吸い上げる貪欲な植物で、≪巨木林≫の各所に見られ、大枝の上に広がる上部構造と地上部とを行き来するのに利用されていた。
何もない空間に、かすかな軋みが伝わる。
全員が身構え、周囲に視線を飛ばす。
カーシュナーの鋭い目が、目的のモンスターをとらえた。
巨木の根元近くの樹皮に、それは静かに張りついていた。≪爆臭虫≫である。
巨木の樹皮に溶け込むような、暗いこげ茶色に、苔によく似た深緑色の斑点が散っている。気がつけば見分けることはさして難しくないが、保護色が見事な働きをしているため、気がつくこと自体が難しい。身動きした際に微かに立てた軋みを聞き逃していたら見落としていたかもしれない。
身体の構造はファーメイの説明通りで、尻尾のないゲネル・セルタスのような形をしている。サイズ的には一回り小さく、大きな違いとしては、巨大な翅(ハネ)を持っているので、背中の構造が異なっている。
全員が息を殺して見守る中、≪爆臭虫≫は不意に樹皮から剥がれ落ち、厚く積もった腐葉土の上に落下した。
丸まっていた脚が、ビクッ、と伸び、ジタバタもがくと、その反動を利用して器用に裏返ってみせた。
身体に比して極端に小さな頭部が、きょろきょろと周囲を見回す。足元もどこか覚束ず、ふらふらしているように見える。
「……あいつ、もしかして寝てたんじゃねえのか?」
リドリーが胡散臭げにつぶやく。
「酔っ払いが椅子なんかで眠りこけてて、寝返りうった拍子に落っこちて、状況が理解出来なくて混乱している姿によく似てるな」
ハンナマリーが、その状況が目に浮かぶような感想を漏らす。
「確かに」
ジュザが口元をヒクヒクさせながら同意する。かなりウケているようだが、大型モンスターを前に爆笑するわけにもいかないので我慢しているのだろう。
「みんな、油断しない方がいいッスよ。まがりなりにも下位最凶最悪と呼ばれるモンスターッス。…正直、間抜けなおっさんみたいッスけどね」
ファーメイも、自分が言ってる言葉の内容に不審を持っているのがありありと伝わってくる。最後に素直な感想を付け足しているのがその証拠だ。
「王立古生物書士隊の先輩や、他のハンターさんの助言では、5分以内に討伐できなければ、100%狩猟失敗するそうッス。行くときは、一気に行くッス」
それだけ言うと、ファーメイはエリアの端ギリギリまでさがって行った。いつもならモンスターをなるべく近くで観察したくて、モンスターの注意を引く程の距離に近づくのに、今回は珍しく殊勝な態度である。ファーメイの護衛が主な仕事のヂヴァとモモンモも、仕方なくファーメイに従いエリアの端に移動する。
移動したモモンモが攻撃力強化の舞いを踊りだす。それに合わせてカーシュナーも双棍を吹き鳴らす。鬼人リードが装着されていたので、全員の攻撃力が上がる。すかさず、リードを硬化リードに付け替えて、再度吹き鳴らす、全員の防御力が上がったところに、モモンモの踊り効果が加わり、攻撃力がさらに上がった。
笛の音を聞きつけ、ようやくカーシュナーたちの存在に気づいた≪爆臭虫≫が、腹部を大きく膨らませる。次の瞬間、≪爆臭虫≫の腹部が破裂したかと錯覚するほどの勢いで、臭気ガスが噴出された。
それは単なる臭気などではなかった。悲鳴を上げることすらできないほどの強烈な臭さだったのだ。
鼻の良いヂヴァが、エリアの端にいながら、鼻を押さえて悶絶している。
爆臭とはよく言ったものだ。その威力は、臭いの対巨龍爆弾と言ってもいいだろう。
より臭いの爆心地の近くにいたカーシュナーたちは、あまりの臭さに涙が止まらず、咄嗟に消臭玉を足元に投げつけて、悪臭を退けようとした。しかし、吹き上がる消臭玉の白い煙が、一瞬の内に悪臭に汚染され、カーシュナーたちにまとわりつく臭いを消し去るどころか、いたずらに悪臭をかき回しているだけの状態になってしまう。
カーシュナーたちは、ハンターになって初めて、手も足も出せないまま撤退を余儀なくされた。
エリア移動し、とにかく悪臭を追い払おうと消臭玉を使う。本来なら共有できる消臭効果が、互いがあまりにも臭すぎて近づくことが出来ず、やむなくそれぞれで消臭玉を使用しなくてはならなかった。どうやらこの臭気は他の臭いと融合することで、さらに悪臭の度合いを高めるらしく、臭いに慣れることがないのだ。
3個も消臭玉を消費して、カーシュナーたちはようやくまともに口がきけるようになった。
ハンターに消臭玉とその調合素材を限界まで持ち込ませ、その上で支給品に消臭玉が加えられた意味が、文字通り身に染みてよくわかった。互いにまとわりついた臭気は、残念ながら消臭玉の効果では完全に消し去ることが出来ないようで、カーシュナーたちは、それぞれ一定の距離を保たないと身体に染み残った臭気が混ざり合い、悪臭が悪化する一方なので、離れて作戦会議を開かなくてはならなかった。
エリア移動する間も、激しい嘔吐にみまわれ、カーシュナーたちのスタミナは限界まで低下し、走ることもままならなくなっている。
「一旦ベースキャンプに戻ろう」
ハンナマリーが青い顔で提案する。
全員素直にうなずく。答えようとして口の中に臭いが入ってくることを警戒して、全員口を開こうとしない。
カーシュナーたちは走ることもままならない状態で、ベースキャンプへと引き上げていった。
少し時間を置いたおかげで、臭気が落ち着いたのか、鼻が麻痺したのか、どちらかわからないが、とにかくまともに会話が出来るところまでは回復した。しかし、とても携帯食料などを口に運ぶ気にはなれず、カーシュナーたちのスタミナは、相変わらず低下したままだった。
「ペイントボールが効かない理由がよくわかったよ。あと、5分以内に討伐しないといけない理由もね」
カーシュナーが珍しく声に疲れをにじませながら言った。
「あの臭いじゃペイントボールの臭いなんか飲み込まれちまうわなあ」
リドリーがカーシュナーの言葉に同調する。
「やられる前に、やらなきゃダメだった」
ジュザもカーシュナーの言葉に心底うなずいた。
「くらっちまったもんは仕方がない。みんなどうする? 続けるかい? それともリタイアするかい?」
ハンナマリーが意見を求める。
「ここはリタイアしても恥ではないッスよ! 皆さんの成長のためとはいえ、今回は情報が少な過ぎたッス! 出直してもいいと思うッス!」
ファーメイが、かなりの距離を取り、鼻をつまみながら発言する。
鼻の良いヂヴァは、とてもカーシュナーたちと同じ空間にはいられず、ベースキャンプの外にいる。それにつき合っているモモンモもこの場にいないので、彼らの意見は聞けない。
「せめてスタミナが回復すればなあ。この状態じゃあ踏ん張りが利かねえし、回避行動だってまともに出来ねえからなあ」
リドリーが頭を抱える。基本全員負けず嫌いなので、手も足も出せないまま引き返すことが嫌なのだ。せめて一矢報いてからでないと帰れない。
「でも、無理をし過ぎないと約束した」
リドリーの気持ちを理解したうえで、ジュザがギルドマスターとの約束を思い出させる。
ハンターの撤退の見極めは、状況によって判断しなくてはならない。感情に引きずられて引き際を誤れば、命を落としかねないからだ。
「カーシュ。何か策でもないか?」
「あるよ」
あっさりと答える。
「ただ、絶対じゃないんだ」
カーシュナーが眉をしかめながら付け足す。
「一か八かの作戦か?」
リドリーが尋ねる。
「もっと雑かな~」
「ないよりまし」
先程はリドリーの攻め気を押さえたジュザが言う。本心ではやられっぱなしで帰りたくないのだ。
「話しな。カーシュ」
ハンナマリーが促す。
カーシュナーの作戦は、こうであった。
携帯食料や、こんがり肉を食べることが出来ないため、減少したスタミナを回復することが出来ない。ならば、スタミナが減少した状態で走りまわればいいのだ。
演武・奏双棍の強走効果のある舞いと、モモンモの強走効果のある踊りを二重掛けするのである。
あとは、強走効果が切れるまでの間に、無呼吸状態で一気に討伐するのみである。
「確かに雑だなあ」
「カーシュがためらうのもわかる」
「でも、もう一戦出来そうだな」
ハンナマリーたちは、退く理由ではなく、戦う理由が欲しかったのだ。雑だろうが何だろうがかまわない。
「討伐しきれなかったらリタイアしよう」
カーシュナーが念を押す。
「決まりだな。どのみち時間的にあと一戦が限界だろ。回復薬も吐き気がひどくて飲めないから、時間的に余裕があっても、誰かがでかいダメージを受けた時点でリタイアする。これで行こう」
作戦が定まり、カーシュナーたちは再びベースキャンプを後にした。
中央エリアに戻ると、そこにはすでに≪爆臭虫≫の姿はなかった。
「時間がないときに限ってこれか!」
ハンナマリーが肩を落とす。
「それにしても、あれだけの悪臭が完全に消えてるね」
カーシュナーが驚きに大きな目をさらに大きくする。
「≪巨木林≫の浄化作用のおかげッスね!」
「ペイントボール代わりに臭いで追えればって期待したんだけどね」
カーシュナーが残念そうに言う。
「静かに!」
突然ジュザが声を上げる。その場の空気が一気に緊張する。
「ヂヴァ、羽音が聞こえないか?」
耳をすましながらジュザが尋ねる。
「…聞こえるニャ! きっとさっきまでここにいたのニャ!」
≪爆臭虫≫の羽音をとらえたヂヴァが興奮する。
「追うぞ!」
一行はジュザとヂヴァを先頭に、≪爆臭虫≫の追跡を開始した。
羽音は全員の耳に届いていた。幸運にも、すぐ隣のエリアに≪爆臭虫≫は降りていった。
すかさずカーシュナーが舞い、モモンモが踊りだす。
「今度はさっきみたいに様子は見ない。全力で詰めて、一気に叩く!」
ハンナマリーの指示が飛ぶ。
「また目をやられるだろうから、バラけようぜ! オレは≪爆臭虫≫の左後ろから攻める!」
リドリーがライトボウガンの装填を確かめながら言う。
「オレは右前」
ジュザが言う。
「じゃあ、私は左前だね! カーシュ! 右後ろはまかせたよ!」
ハンナマリーの言葉に、カーシュナーは舞いながらうなずいた。
カーシュナー、モモンモの強走効果が連続して発揮される。
「時間がない! 行くよ!」
カーシュナーたちは、≪爆臭虫≫の待つエリアへと飛び込んだ。
カーシュナーがすかさず、鬼人効果を吹き鳴らす。エリア内に飛び込んできたモモンモも、ファーメイのかたわらで攻撃力強化の踊りを始めた。
それ以外の強化行動は一切行わない。大ダメージを受けたらそこで終わりの制限時間付きサドンデスの始まりだった。
リドリーが、背中を見せる≪爆臭虫≫を射程内に捉えた瞬間、水冷弾が速射され、背中を守る甲殻に直撃する。
リドリーの攻撃でようやくカーシュナーたちの存在に気がついた≪爆臭虫≫が、慌てて振り向く。
その小さな頭部に、カウンターのように、≪潜影虫≫(センエイチュウ)と≪深潜虫≫(シンセンチュウ)の鎌を素材に作成された大剣が振り下ろされる。こちらも≪爆臭虫≫の苦手な水属性を帯びているため、大きなダメージを与え、一撃で≪爆臭虫≫を怯ませる。
その隙にジュザが一気に距離を詰めると武器出し攻撃を叩き込み、強走効果を利用して、鬼人化状態に入る。頑丈な太い脚の内側に入ると、比較的防御力の低い脚裏を乱舞で切り刻む。こちらもハンナマリー同様≪潜影虫≫と≪深潜虫≫の鎌を素材に作成された水属性を持つ双剣のため、≪爆臭虫≫の脚の耐久値をみるみる削っていく。
その間カーシュナーとリドリーは≪爆臭虫≫の身体を迂回し、背後に回り込む。
慌てて対応が後手に回る≪爆臭虫≫を尻目に、ハンナマリーが≪爆臭虫≫が体勢を崩すであろう地点に先回りし、大剣を肩に担ぎあげると力を溜め始める。ジュザが≪爆臭虫≫をコケさせてくれることを1ミリも疑っていない行動だ。
ジュザもハンナマリーの期待を裏切らず、見事に≪爆臭虫≫の右前脚を崩してみせる。
体勢を崩して下がった頭部に、今度は渾身の力が込められた一撃が振り下ろされた。もしハンナマリーの手にしていた武器がハンマーだったならば、間違いなく一撃でめまい状態に出来たほどの強烈な斬撃に、≪爆臭虫≫はもがき苦しみのたうち回る。
ダメージの大きさに≪爆臭虫≫が起き上がれないでいるうちに、各自がありったけの攻撃を叩き込む。ここでカーシュナーの演武・奏双棍が≪爆臭虫≫を麻痺させ、集中攻撃がさらに続く。
散々に痛めつけられながらもようやく起き上がった≪爆臭虫≫に、カーシュナーが絶妙のタイミングでジャンプ攻撃を繰り出す。身体に巻きつけるようにして放たれた叩きつけ攻撃は強烈で、リドリーの速射でダメージが蓄積していたこともあり、翅を守る甲殻が大きくひび割れ砕け散る。カーシュナーはそのまま乗り攻撃に移行すると、≪爆臭虫≫との攻防を制し、見事転倒させた。
ここまで一瞬たりとも≪爆臭虫≫に主導権を与えずにきたカーシュナーたちであったが、全身ズタズタになりながらも立ち上がった≪爆臭虫≫が、怒り状態から腹部を膨らませることを阻止することは出来なかった。
先程の倍近い大きさに腹部を膨らませた≪爆臭虫≫は、脚が地面を離れてしまったため、身動きすることが出来ず、倒立のような体勢で、大きく膨らんだ腹部を真上に向けている。
この間カーシュナーたちは、怯まず攻撃を加えていく。引くことは、そのまま負けを意味するからだ。
しかし、この根競べに勝ったのは≪爆臭虫≫の方だった。
腹部の先端と両側にある排気口が口を開け、臭気を撒き散らす。頭部を支点に、噴き出すガスの勢いを利用して倒立したまま回転する。おかげで臭気ガスが周囲にまんべんなく振り撒かれてしまった。
すでに呼吸は限界まで吸い込み止めてある。おかげで、まだ、悪臭に苦しめられることはないが、その強烈な刺激に涙があふれて止まらなくなる。
回転を終え、腹部をしぼませた≪爆臭虫≫が転倒する。どうやら回転で目を回したらしい。
涙で狙いの定まらない攻撃を、カーシュナーたちはさらに叩きこんで行った。
正気に戻った≪爆臭虫≫が、不意に後脚を大きく広げ、脚の先端どうしを打ち合わせた。
それまで気づかなかったが、脚の先端に火打石があり、まるでクルペッコのように巨大な火花を飛び散らせた。
まず、閃光玉を10個ほどいっぺんに炸裂させたかのような光が生まれ、これまで経験したことがないほどの衝撃が全身を打ち、鼓膜が破れんほどの爆音に包み込まれる。これらが一瞬の内にカーシュナーたちに襲い掛かり、4人は天地の区別もわからなくなるような勢いで、エリアの端まで吹き飛ばされていった。
それぞれが巨木に打ちつけられてようやく止まる。
ギルドマスターの懇願に従い防具を強化していなければ、カーシュナーたちは1回のクエストで4回落ちることになっていただろう。
それぞれが、もうこれまでと諦めて目を開けると、巨大なガス爆発を引き起こした張本人が、自ら引き起こした爆発の衝撃で昇天していた。
「…なんだそりゃ」
ハンナマリーのつぶやきは、全員鼓膜を痛めていたため、つぶやいたハンナマリー本人の耳にも届かなかった。
強走効果が切れたカーシュナーたちは、限界まで体力とスタミナを削り取られた重すぎる身体を引きずりながら、剥ぎ取りを行うために≪爆臭虫≫の亡骸に取りついた。
エリアの端にいてさしたる被害を受けなかったモモンモが軽快な足取りで近づいて来る。
「爆風のおかげでくさい臭いが吹き飛ばされて助かったモン!」
モモンモの言葉通り、最後にばら撒かれた臭気は、爆発の影響で消し飛んでいた。おかげで目の痛みもやわらぎ、涙も止まってまともに視界が開ける。
「なんとも締まらねえ最後だったな」
リドリーが脱力しながら言う。
「でも、助かった」
言葉とは裏腹に、ジュザもどこか納得いかない表情で言う。
「お前ら、口じゃなくて、手をうご…」
採取の鬼のカミナリが落ちかけた時、どこからか、小さな破裂音がした。
「何の音だニャン?」
聞きつけたヂヴァが不審げに辺りを見回す。
音の正体は、確かめる前に、カーシュナーたちの聴覚にではなく、これまで散々な目に遭ってきた嗅覚にやって来た。
「く、くさ…」
そこまでしか言葉にできず、カーシュナーが気絶する。
音の正体は、≪爆臭虫≫の体内で臭気の元となっていた袋が破れる音だったのだ。
これまでが、まるで春のそよ風であったかのような悪臭が、≪爆臭虫≫の身体から流れ出る。ファーメイとヂヴァが、慌ててカーシュナーを引きずり逃げる。ハンナマリーたちも、走って逃げたいのだが、スタミナがまったくないため、酔っ払いのような足取りで≪爆臭虫≫から離れて行く。
そんな中、ただ一人モモンモが≪爆臭虫≫の亡骸に取りつき、剥ぎ取りを行っていた。
止めたくても、あまりの臭さに口を開けることが出来ず、連れ戻しに行くだけのない体力が残っていないハンナマリーたちは、やむなく避難することに全力を注ぐ。
ようやく素材をはぎ取ったようで、モモンモは何かを小脇に抱えて引き返して来る。その足取りはまるで、重力が10倍にでもなったかのように重い。数歩ごとに立ち止り、立ち止まっては歩き出す、そして最後には動かなくなり、とうとう前のめりに倒れてピクリとも動かなくなってしまった。
「あの、おバカ!」
カーシュナーを隣りのエリアに避難させて戻って来たヂヴァが、語尾の”ニャン”も忘れて四足歩行でモモンモに駆け寄る。本当なら、鼻の良いヂヴァにはこのエリアにいることすらとんでもない苦痛なのだが、それを押して親友の救出に向かったのだ。
ヂヴァは、涙だけでなく、鼻からも大量の鼻水を噴き出しながらモモンモの元に駆け寄ると、足首をくわえ、猛然と引きずり始めた。口を開けた途端、口内の粘膜に焼けつくような激痛が走ったが、気力で痛みと吐き気を抑えつけ、けしてモモンモの足を放さなかった。
引きずられるモモンモもたいしたもので、採取した素材は、意識を失っても、まだ、しっかりと脇に抱え込んでいた。
ヂヴァが顔とモモンモの足をベトベトにしながらようやくエリア移動すると、そこでは新たな地獄絵図が展開されていた。
あまりの臭さに全員吐き気が治まらず、空っぽの胃を痙攣させてうずくまっていた。そこまでの被害を受けていないはずのファーメイは、もらいゲロで悶絶していた。
エリア移動して気が抜けたのだろう。ヂヴァも地獄絵図の仲間入りをし、何とも嫌な、「エレエレエレエレエ」という嘔吐のハーモニーを≪巨木林≫に響かせたのであった。
フラフラになりながら拠点に戻ったカーシュナーたちは、拠点のはるか手前で出迎えに遭遇することになった。
ギルドマスターを含む全員が、モガピスカノーズを装着しており、手には長い刺又(さすまた)を持っている。
「緊急クエスト達成おめでとう。よう頑張ったのう」
口元から角を生やしたような顔で、ギルドマスターがもごもご言う。正直何を言っているのかよくわからない。
「疲れて休みたいじゃろうが、すまんがお前さんらを拠点に入れるわけにはいかんのじゃ」
カーシュナーたちはげんなりと肩を落とした。モモンモだけがいきり立っている。
「なんだモン! ひどい態度だモン! それじゃあ、オイラたちがまるでくさいみたいだモン!」
怒って飛び掛かろうとするモモンモを、ギルドマスターが刺又で必死で食い止める。
爆臭の中心にいたモモンモは、消臭玉の効果を弾き返すくらい臭かったのだ。
暴れるモモンモを、カーシュナーが抱き上げて回収する。
「…ギルマスおじいちゃん。ボクのこと嫌いになったの?」
カーシュナーが計算ずくの悲しげな表情で訴える。
「グハッ! 頼むからそんなことを言わんでおくれ」
本当に吐血しかねない勢いでギルドマスターが苦悶する。とんでもない破壊力だ。
「そういう冗談はしない! お前のその表情は威力がありすぎるんだよ」
ハンナマリーがカーシュナーの頭を軽く小突く。
「ギルマスじいちゃん。私らはどうすればいいんだい?」
「すまんが、3日ほど河に浸かっていてくれんか。≪爆臭虫≫を討伐に行ったハンターは全員そうして臭い抜きしてもらっているんじゃよ」
「はいよ~」
リドリーが力のない返事を返す。
「河の中で寝ても溺れん特殊な設備を用意してあるから、それを使ってくれ。船着き場の上流にあるからこのまま河沿いに下っていけばわかるわい。その状態でも食えるものを用意してあるからゆっくり休むんじゃぞ!」
「は~い」
みんなが疲れた返事を返す中、モモンモ一人が、「納得いかないモン!」とぷりぷり怒りながら、カーシュナーに手を引かれて歩いて行く。
不意に何かを思い出したらしくファーメイが立ち止まる。
「隊長~! ≪爆臭虫≫の素材採取、成功したッスよ~!」
「なんじゃと!」
元王立古生物書士隊隊長が驚きの声を上げる。これまで、狩猟を極めたG級ハンターたちをして、叶わなかった偉業を成し遂げたからだ。
「あんな悪臭の中どうやって剥ぎ取りしたんじゃ!」
「モモンモが、根性で~!」
ファーメイが声を張り上げると、それにかぶせてモモンモが声を上げる。
「ヂヴァがいたから持って帰ってこれたんだモ~ン! オイラの手柄じゃないモ~ン!」
意外と謙虚にモモンモが補足する。その肩をヂヴァが、わかったからと言いたげに叩いて黙らせる。
「クルペッコの火打石みたいな素材ッス!」
「そうか~。後で調べさせてくれ~」
「コラァ!! この素材はカーシュにあげるんだモン!! 勝手は許さないモン!!」
「心配せんでも取ったりせんわい! お手柄のモモンモとヂヴァには特別報酬で団子をやるからのう! 早く臭いを落としてくるんじゃぞ!」
隊長が苦笑交じりに声を張り上げる。
「すぐ食べたいモン!」
「いま食おうとしても、団子に自分の臭いが移って食っても上手くなんぞないわい! いいから早く河に行け!」
「わかったモ~ン! 楽しみは後にとっておくモン!」
出迎えに見送られながら、カーシュナーたちは身体に染みついてしまった臭いを落とすために河へと向かった。
ギルドマスターの説明通り、簡素な作りの小屋が河に張り出して建てられていた。中に入ると床がなく、足場が渡され、そこにカヌーと網を組み合われたような水中ハンモック用意されており、溺れる心配もなく河に浸かっていられるようになっていた。
用意されていた食事を済ませると、カーシュナーたちは早速河に浸り、疲れと臭いを洗い流す。
「とんでもないモンスターだったな」
リドリーがしみじみとこぼす。
「まったく」
ジュザも器用に顔だけを水面に出しながら同意する。
「基本バカっぽいモンスターだったけど、ただひたすらくさいってだけであんなに手強くなるとは想像も出来なかったよ。モンスターってのは、やっぱり奥が深いんだな」
ハンナマリーが用意されていた特殊な石鹸で身体を洗いながら言う。
「まさに、最凶にして、最悪のモンスターだったね」
カーシュナーの言葉に、同意の沈黙が流れ、全員が同時に同じ感想をこぼした。
「……二度とごめんだ」