≪鉱山都市≫の地中深く、主要坑道から長く伸びた枝道を、カーシュナーたちは進んでいた。
ファーメイの巨大なリュックから受け取ったたいまつを片手に、ハンナマリーが先頭を務める。男顔負けの長身を誇るハンナマリーにとっては、身体のサイズに合わない枝道を、長時間歩き続けるのはつらい作業だった。それでも集中を切らさず、前方の警戒を続けている。
ハンナマリーのすぐ後ろからヂヴァが続き、枝道が分かれるたびに斥候に赴き、獣人がカーシュナーたちと出会うまでに流した血の臭いをかぎ分けて、正しい道へカーシュナーたちを導いていた。
途中までは枝道が分かれる都度、カーシュナーに背負われた獣人が道を示していたが、今は意識を失っている。出会った地点から、現在地まででもかなりの距離を移動している。枝道が下り勾配になっていることを考えると、獣人は重傷を負ってから、長い登りを助けを求めてひたすら傷ついた身体を引きずり上げたことになる。先程まで意識があったことの方が驚異的なことなのだ。仲間を助けたいという想いだけが、傷ついた身体を支えていたのだろう。
その想いはカーシュナーたち全員に伝わっている。普段はあまり細かいことを考えないモモンモも、何か出来ることはないかと考え、獣人のお尻を下から支えてカーシュナーの手助けをしている。しんがりはジュザが務めているおかげで、他のメンバーは前方にのみ集中できていた。
途中、つがいではない≪化け蜘蛛≫(バケグモ)と遭遇した。武器が大剣のため、特別狭いこの枝道の中では武器を思うように振るえないハンナマリーに代わって、ヂヴァとモモンモが咄嗟に前に出ようとしたが、それより早く、低い天井を支えにして、ハンナマリーが強烈な蹴りを≪化け蜘蛛≫にお見舞いし、一撃で頭部を粉砕して仕留めてしまった。
グシャリと潰れた≪化け蜘蛛≫の頭から体液に濡れた足を引き抜くハンナマリーを、ヂヴァとモモンモは呆気に取られて見上げていた。
それ以降はモンスターとの遭遇はなく、カーシュナーたちは着実に距離を稼いでいった。
山を一つ突き抜けてしまうのではないかと思い始めた時、人工的に掘り抜かれた洞窟は、天然の洞窟へと姿を変えた。
そこには濃い血の臭いが充満している。
ハンナマリーが手にしたたいまつで、周囲をぐるりと照らしてみせる。
たいまつの明かりが照らし出す限られた範囲の中でも、6人の獣人の遺体を確認することが出来た。空気中に満ちた血の濃度が、犠牲者の数がまだまだ存在することを、視覚より先に嗅覚に伝えてくる。
仲間の血の臭いに刺激されたのか、カーシュナーに背負われていた獣人が意識を取り戻す。
大きくて先のとがった耳がピクッと動き、カーシュナーに方向を示す。
獣人に従い暗闇の中を進んで行くと、一際小柄な獣人が横たわっていた。微かにだが、身動きしている。カーシュナーたちは慌てて駆け寄った。
獣人の年齢、性別は人間には見分けにくいのだが、カーシュナーたちの目から見てもはっきりとわかる程、その獣人は年老いていた。背中には助けた獣人同様深い傷があった。
カーシュナーの背から降りた獣人が、仲間の老獣人に何事か問いかける。始めは朦朧とした意識しかなかった老獣人は、明確な反応を返してくれなかったが、獣人は諦めずに声を掛け続けた。
白く濁っている大きな瞳が焦点を取り戻し、獣人を認識する。
弱々しく伸ばさられた細い手を、獣人は優しく両手で包んでやる。身体の下敷きになっていたので気づかなかったが、左腕は失われたいた。切り口をきつく縛って一応止血処置をしているが、背中の傷と合わせて考えると、もう助けることはかなわないだろう。
獣人は己の無力に歯噛みする。
カーシュナーは何も言わず、ただ、ずっと、細かく震える小さな身体を支えてやっていた。
老獣人が何かを口にする。カーシュナーたちにはわからないが、何か貴重な情報が伝えられたらしく、獣人は何度も何度もうなずいた。
老獣人が最後に何かを語ろうとしたが、それは声になるだけの力を持たず、まるで魂が苦しみから解き放たれるように、静かに最後の息を吐き出して終わった。
獣人の両手の中で、老獣人の手が力を失う。老獣人の命が去ったことを感じた獣人が大きく一つ身震いする。
大きな黒い瞳に大粒の涙があふれ、ぽろぽろとこぼれ落ちていった。
声を殺して震えながら泣く小さな身体を見ると、そっとしておいてやりたくなるが、カーシュナーはあえて、獣人の涙を遮った。
「まだ、助けられる命があるかもしれない。だから、ボクは行く。君はどうする? ここに残るかい?」
言葉が通じないことは承知の上で、カーシュナーは語り掛けた。
カーシュナーに言われるまでもなく、獣人も理解していた。いま悲しみに飲み込まれることは、単なる逃げでしかないことを――。
獣人は止まらない涙を何度も両手で拭うと立ち上がった。カーシュナーは、自身の強い心を分け与えるかのように強くうなずくと、獣人を再び背負った。
獣人に導かれて、カーシュナーたちは天然の洞窟から抜け出した。そこは狭いが豊かな峡谷の底に繋がっていた。どうやら本当に山一つ突き抜けてしまったらしい。
本来なら、柔らかく心地よいはずの風が、異様な気配を運んでくる。
死の気配を――。
全員が低く身構え、武器に手を掛ける。
一瞬の沈黙の後、カーシュナーたちは構えを解いた。あまりにも濃い死の気配に、本能が身構えてしまったのだ。
カーシュナーが獣人を促す。獣人は先程の老獣人から得た情報により、明確な目的地を得たようだったからだ。
カーシュナーたち以上に、濃い死の気配に飲まれていた獣人が正気に戻る。獣人はカーシュナーたちに細かく指示を出すと、峡谷の切り立った崖に穿たれた、一本の細い道に案内した。
峡谷は、巨大な地割れの跡のようにジグザグに何度も折れ曲がっており、見通しが悪い。崖に穿たれた細い道も、途中で途切れているように見える。
そのとき不意に、峡谷の先の方で轟音が鳴り響いた。激しい振動が同時に伝わり、峡谷の切り立った崖から、崩れた土砂が降り注いでくる。
カーシュナーに背負われている獣人が、慌ててカーシュナーを急かす。
今度は道幅が狭いので、ヂヴァを先頭にジュザが続き、カーシュナー、モモンモ、ハンナマリーの順で崖に穿たれた細い道を登って行った。あまりにも狭いため、身体の大きいハンナマリーは、上半身を横にして、崖に張り付くようにして歩かなくてはならなかった。
「すっごく小さな穴が開いてるニャン!」
先頭を歩いていたヂヴァが後ろに報告する。
その瞬間、再び轟音が鳴り響き、峡谷上空に、腹部と胸部の境目で真っ二つにされた≪尖貫虫≫(センカンチュウ)が舞い上がった。
「!!!!」
あまりのことに全員その場に釘付けになる。
ゆっくりと宙を舞い、峡谷の崖に叩きつけられた≪尖貫虫≫の身体が、シモフリトマトのように、嫌な音と振動を響かせて潰れる。我に返ったカーシュナーたちは、慌ててヂヴァが見つけた穴へと飛び込んだ。
穴の奥から、複数の呻り声が響く。
カーシュナーの背中で、獣人が歓喜の声を上げた。
カーシュナーたちが飛び込んだ穴は、入口はしゃがみ込まなければ入れなかったほど小さかったが、奥には広い空間があった。もっとも、獣人基準で広いという話なので、ハンナマリーには窮屈なことこの上ない。
カーシュナーがここまで背負ってきた獣人は、痛む傷をおして、仲間たちのもとへと駆けた。一人の獣人が警戒する仲間たちの間から駆け出し。負傷している獣人を抱きとめる。
抱きとめた獣人が何事かを語り掛けると、緊張の糸が切れたのか、負傷した獣人は声を上げて号泣した。
反響する獣人の声には、安堵の響きがあり、突然の侵入者に対して、獣人たちが抱いていた警戒心を、いくらか和らげてくれた。
穴の中は天然の洞窟になっていた。入口だけ手を加えて出入りしやすくしたのだろう。入るときは余裕がなかったので気がつかなかったが、小さな入口を岩でふさげば、知らない者には簡単には見つけられないだろう。にも拘らず、入口が開いたままになっていたことが、獣人たちの動揺の大きさを表していた。もっとも、そのおかげでカーシュナーたちは入口を探す手間が省けたのだが。
号泣しつつも必死で自分を取り戻そうとしていた獣人が涙を拭って、肉球付きの手のひらで、顔をぽにゅぽにゅと叩く。いまいち気合が入らなそうに見えるが、一応は効果があるようで、獣人はなんとか泣き止み、呼吸を整えた。そして、これまでの状況を伝え始める。
話の途中で獣人たちが一斉にカーシュナーたちを見る。おそらく≪鉱山都市≫の坑道で出会った経緯を説明しているのだろう。仲間たちに背中の治療跡を見せている。仲間たちはこの時初めて獣人が尻尾を失っていることに気がついたのだろう。口々に心配そうな声を掛けている。
先程負傷した獣人を抱きとめた獣人が仲間たちから進みだし、カーシュナーの前まで来ると、ぺこりと頭を下げた。どうやら礼の尽くし方は北の大陸と変わらないようだ。
「たぶんニャけど、ケガしていた獣人のお母さんニャ。匂いが似ているニャ」
ヂヴァが周りを刺激しないように小声でカーシュナーに説明する。
カーシュナーは母親獣人に丁寧に礼を返すと、他の獣人たちを安心させるために笑顔を向けた。獣人たちのみならず、まったく状況が分からない中で、極度の緊張を強いられてきたハンナマリーたちの心までも一緒に溶かしてしまう程の、それは慈愛に満ちた笑みだった。
「本当に天使なんじゃないか?」
ジュザが今更ながらに感心してハンナマリーに言う。
「まったくな」
これまで、物理的な脅威からは護ってきたが、精神的な苦痛からは、逆に護られたきたのではないかとハンナマリーは思い、苦笑した。その考えは、おそらく正しいのだろう。だからこそ、もっと強くなり、母親獣人がしたように、カーシュナーが苦しいときにはしっかりと受け止めて、安心して泣けるような存在になりたいと思った。
カーシュナーの笑顔はいとも容易く獣人たちの警戒心を解いてみせた。先程まで壁に張りついて距離を取っていた獣人たちが、カーシュナーの笑顔に吸い寄せられるように集まってくる。
その数はおおよそ20人。大半が子供であった。
獣人はカーシュナーたちに出会って以降のことも説明したのだろう。自身が涙をこらえて説明している隣りで、母親獣人がぽろぽろと涙をこぼす。話を聞いている少数の大人たちも同様に声を殺して涙を流している。子供たちはまだ、聞いた話と感情が上手く繋がらないのだろう。互いに抱き合い不安そうにしている。
「たぶん、さっき洞窟で出会ったお年寄りの獣人のことを話しているんだろうね」
ハンナマリーが沈んだ声で言う。仲間を失う悲しみは、よく知っているからだ。
カーシュナーたちは無言でうなずき返し、獣人たちが落ち着くまで辛抱強く待った。
負傷した獣人が話し終えると、今度は仲間たちが口々に何事かを訴える。それを聞いた獣人は、うつむくと、残念そうに首を振った。
一通り仲間たちの話を聞いた獣人は、意を決したように顔を上げると再びぽにゅぽにゅと顔を叩いた。そしてカーシュナーの手を取ると、外を指し示した。
子供の獣人が、負傷している獣人の前に立ちふさがる。そして、何事かを訴える。
負傷している獣人は首を横に振ると警告するようにうなる。子供の獣人はそれでも退かず、立ちふさがり続けた。獣人のうなり声に苛立ちが紛れ込んだとき、母親獣人が背中の傷を軽く叩いた。
獣人は、途端に痛みに負けて膝を折る。
「たぶん、あの子供はケガしている獣人の兄弟ニャ。きっと自分が兄貴の代わりを務めるって言っているのニャ」
ヂヴァの説明で状況が理解できた。カーシュナーは自分の手を引く獣人の手をそっと外すと、獣人の目を真っ直ぐに見つめ、首を横に振った。そして、膝をついた身体を母親に託し、カーシュナーは弟獣人の手を取り立ち上がった。
「外の様子を探りに行こう」
ジュザとハンナマリーが勢いよく立ち上がり、頭頂部を強打したハンナマリーが頭を押さえてうずくまる。
カーシュナーは声を立てて笑った。つられてジュザが、モモンモが、ヂヴァが笑う。笑いは伝播して、獣人たちの間にも広がっていった。
苦しいときこそ笑いが必要だということを、カーシュナーは経験で知っていた。
獣人たちの住処であった峡谷は、死臭に埋め尽くされた墓場と化していた。
異常な数のモンスターが、互いを殺し合い、広くもない峡谷を、屍の山で埋め尽くしている。
カーシュナーたちは、峡谷の崖に沿って作られた細い道を伝い、峡谷の様子を上から見下ろしていた。ジグザグに折れ曲がった地形のため全体は見渡せないが、見なくとも状況は知れた。峡谷のあらゆる場所から巨体がぶつかり合い、争う音が聞こえてくるからだ。
峡谷を埋める屍の山は、大半が≪尖貫虫≫であった。こんな状況でも、素材がもったいないと考えてしまう自分に、カーシュナーは苦笑した。ハンターの生き方が、身体に染みついてきた証拠である。
屍の中には見たことのない甲虫種のものも多々見られた。その屍の多くが、胴体を両断されている。おそらくカーシュナーたちが目撃した≪尖貫虫≫が両断されて宙を舞う瞬間を演出したモンスターの仕業だろう。
「やばそうなのがいるね」
ハンナマリーが呟く。
「それよりも、なんでこんな事態になったかだよね」
「何年かに一度あるみたいなやつじゃないか?」
カーシュナーの言葉に、ジュザが答える。
「一定周期で訪れるラオシャンロンみたいなこと? いや、それは違うと思うよ」
「なんでだ?」
「モンスターは本来縄張り分けをきっちりしている。互いに殺し合わないためにね。数が増えて縄張りの奪い合いに発展することはあるけれど、この峡谷は、大型モンスターが縄張りにするには、どう考えても狭すぎる。こんな風に屍に埋め尽くされる程の価値はないよ」
カーシュナーの説明に、ハンナマリーがうなずく。
「確かにね。この幅じゃあ片側の脚は壁を蹴らなきゃまともに前進することも出来ないね」
「本来大型モンスターが目もくれないような場所だったからこそ、この子たちはここに住み着いたんだと思うんだ」
カーシュナーはかたわらで震えている獣人の肩に、そっと手をやりながら説明した。
話している間に、新たな≪尖貫虫≫が、仲間の屍を押し退けながら、地中から姿を現した。怒り状態とは違う、何か別の感情に支配されているように見える。例えば、恐怖。
≪尖貫虫≫の出現を察知したのか、けたたましい羽音が峡谷に響く。両側に切り立つ崖を削り取る音も同時に響いてくる。
音の正体を知っている獣人が、尻尾を股の間に丸めて震えだす。
急激に折れ曲がっている地形のため、崖に身体をぶち当てながら、モンスターは姿を現した。
これまでの甲虫種と違い、頭部がかなりの大きさを持っている。そのおおきな頭部と比較しても倍近い大きさを持つアゴが目を引く。これまでの甲虫種も鋭いアゴをし、ハンターに対する攻撃にも使用されてきたが、本来の目的は、食料を噛み切ることを目的としたものだった。しかし、いま眼下に現れたモンスターのアゴは、明らかに対モンスター用の凶悪さを感じさせる。身体は全体的に細長く、いまは飛行しているが、陸戦になったとしても、かなりの機動力を感じさせるたくましい脚をしている。この巨体を運ぶ強靭な翅は、左右の崖に削られてボロボロになっているが、それでも苦もなくモンスターを運んでいた。
カーシュナーたちの存在にはまるで気づかないまま、謎のモンスターは新参者の≪尖貫虫≫に襲い掛かっていった。
けたたましい羽音に気がつかないわけがなく、≪尖貫虫≫は上体を持ち上げると鎌状になっている前脚を構えて、迎撃の体勢を取った。
謎のモンスターは、本来ならば飛行能力を最大限に生かして、≪尖貫虫≫の真上ないし、背後から急襲したかっただろうが、大型モンスター1匹分程度の幅しかない峡谷では小回りが利かず、真正面から突っ込んで行く。
そこに狙いすました≪尖貫虫≫のカウンターが繰り出される。カーシュナーたちが手こずった、威力が高い上に攻撃速度も異常に速い厄介な攻撃だ。
鎌の背の、分厚いこぶしのような一撃が、謎のモンスターの顔面に打ち込まれる。鈍い音が空気を走り、カーシュナーたちの鼓膜を打つ。
並のモンスターならばこの一撃で昏倒しただろうが、謎のモンスターは、顔面に深いヒビを入れられながらもおかまいなしに突っ込み、胸部と腹部の接合部に食いついた。
この接合部は、胸部や腹部に比較してかなり細いことが多いのだが、ハンターが攻め込めるような部位ではないためハンターの間ではあまり知られていない弱点部位だった。
対モンスターの弱点部位に食いついた謎のモンスターは、突進の勢いを利用して、身体を前転する要領で回転させると、≪尖貫虫≫を地面から引き剥がし、強靭なアゴの力で宙吊りにしてしまった。
≪尖貫虫≫も必死になって足掻くが、宙吊りにされてしまっているため、せっかくの強力なバネも虚しく空をかくだけで、謎のモンスターのアゴから抜け出すことは出来なかった。それどころか、足掻けば足掻くほど、謎のモンスターの巨大なアゴは、弱点部位に深く食い込んでいった。
謎のモンスターも、ただ宙吊りにしているのではなく、より深くアゴを食い込ませるために、強靭な足を屈伸運動させて≪尖貫虫≫を揺さぶり、どんどんアゴを食い込ませていった。
アゴが深々と≪尖貫虫≫をくわえ込んだとき、謎のモンスターは脚に力を溜めると一気に跳ね上がった。重量と慣性により、≪尖貫虫≫の身体はさらに深くアゴに食い込むことになり、巨大なアゴが、ブヅッ! という嫌な音を立てて閉じ合わされた瞬間、≪尖貫虫≫の身体は、見事に真っ二つにされ、宙を舞って崖に叩きつけられた。
両者が接触してから、時間にしてわずかに1分程度の出来事であった。
つい先程、その実力の程を知った≪尖貫虫≫が、いともたやすく葬り去られる有様を見せつけられて、カーシュナーたちは、声もなく見入っていた。
立ち回りやすいモンスターであり、ほぼ完勝と言っていい内容で狩猟してのけたが、その根本的な強さは体感した。こんなにあっさりとやられるようなモンスターではないのだ。謎のモンスターが上手く立ち回ったとも言えるが、先制攻撃を入れたのは≪尖貫虫≫の方である。本来ならば、戦いの主導権は≪尖貫虫≫のものだったのだ。それを何事もなかったかのように跳ねのけ、最適の攻撃で、最速で葬ってみせたのだ。これまで出会ったどのモンスターよりも、謎のモンスターは強かった。
そのとき不意に、もう一つの羽音が、峡谷の狭い崖に反響しながら迫ってきた。
もう1匹の謎のモンスターが姿を現す。
「なんだあれ?」
ジュザが思わず声を漏らす。
それもそのはずで、姿かたちは同じなのに対して、色がまったく違うのだ。≪尖貫虫≫をあっさり葬り去った謎のモンスターは、艶のない黒地に白い筋模様が入っていたのに対して、新たに出現したモンスターは、異様なまでに光沢のある真紅に、全身を包まれていたのだ。
新たに現れた謎のモンスターに対して、先に現れたモンスターが、アゴを大きく開いて威嚇する。飛竜種のように咆哮はあげないが、甲殻がこすれ合って異様な軋みをあげる。
頭上を取られることを嫌ってか、≪尖貫虫≫を葬ったモンスターが、再び翅を広げて飛び上がる。そして、その勢いのまま、真紅のモンスターに襲い掛かった。
この攻撃を予測していたのだろう。真紅のモンスターも急降下して迎え撃つ。
二つの巨体が空中で激突し、互いの堅い甲殻がこすれ合って火花を散らす。そのまま両者はもつれ合って屍の山の上に落ちる。
両者ともに弾かれるように起き上がると、激しく互いを食い千切り始めた。
「このまま見物していてもあまり意味がない。他の場所の様子を見に行こう」
モンスター同士の激しい殺し合いに見入っていた一同に、我に返ったカーシュナーが声を掛ける。
「そうだね。正直どっちが勝つのか見ていたいけれど、他にもどこかに避難している獣人がいるかもしれないからね。そっちの確認を済ませよう」
ハンナマリーが同意する。
「赤い方が勝つ」
ジュザがぼそっと呟く。
「やっぱり?」
ジュザのつぶやきを聞き取ったカーシュナーが尋ねる。
「まとっている空気の格が違う」
ジュザがうなずく。こころなしか表情が硬い。
「あれに手を出すのは、やめておこう。いまのところはね」
ハンナマリーが、猛々しい笑みでジュザに片目をつぶってみせる。
「ああ、いまのところは」
ジュザも同じように笑って応えた。
二人の獣は、次なる標的に、真紅の甲虫を選んだのだ。
とある崖の一角を指し示しながら、案内の獣人は震えていた。大きくえぐり取られた崖の上に、小さな穴が見える。獣人たちが避難していた洞窟の入り口によく似ている。
そこは峡谷の終わり付近の崖だった。えぐられた崖には大きな穴が口を開け、先程とは別の謎のモンスターが、穴に頭を突っ込んで、なにやら一心に探し回っている。
不意に謎のモンスターの脇から何かか飛び出す。謎のモンスターは驚くべき俊敏さでその何かを捕らえると、あっさりと両断し、飲み込んだ。
断末魔の叫びが峡谷に響く。
それを聞いた案内の獣人は、耳を押さえてうずくまる。必死に声を殺しているが、嗚咽が外に漏れてくる。
カーシュナーのこめかみに血管が浮き上がる。普段は少女のように愛らしいカーシュナーの表情が、厳しく引き締まる。
弱々しい泣き声が、カーシュナーの耳をとらえた。怒りで真っ白になりかけた視界に、幼子を抱えた獣人が、一瞬の隙を突いて穴から逃げ出す姿が飛び込んでくる。
謎のモンスターの前脚が、獣人を捕らえる。
足をモンスターの前脚で押さえつけられてしまった獣人は、抱えていた幼子を放すと、必死で逃げるように促した。しかし、幼子は泣きじゃくるばかりで立ち上がろうとしない。
幼子の目の前で、おそらく母親であろう獣人は、モンスターのアゴに捕らえられ、高々と持ち上げられる。文字通りの死の口へと運ばれながら、獣人は必死に幼子に声を掛け続けていた。
誰もがどうすることも出来ず、歯を食いしばって事態を見守る。
鋭い悲鳴のような声が響き、幼子はようやく立ち上がると逃げ出した。その幼い背中を、母親の断末魔が追い抜いていく。
母親を租借し終えたモンスターは、今度は幼子を捕らえようと、追い始めた。
幼子は泣き叫びながら、カーシュナーたちのいる側の崖へと逃げてくる。だが、いかんせん距離がありすぎる。例えここから飛び降りたとしても、幼子を救うには間に合わないだろう。
全員が、己の無力に怒り震える中、カーシュナーは演武・奏双棍(エンブ・ソウソウコン)を長棍(チョウコン)状態にすると、狭い崖道を駆け抜け、長棍をわずかに張り出している岩の先端に突き立てると、高々と宙に身を躍らせた。
「行けえぇぇぇぇぇっ!!」
カーシュナーの意図を悟ったジュザが、珍しく声を張り上げる。そして自身も崖から身を躍らせた。
ハンナマリーとヂヴァも、ジュザに続いて宙に身を躍らせる。
つられて飛び降りそうになる獣人をモモンモが引き止め、狭い足場でカーシュナーたちを支援するために踊り始める。
ジュザたちがたいした飛距離も稼げずに落下していく中、見事な放物線を描いて宙に舞ったカーシュナーは、身軽さも手伝って、峡谷を吹き渡る風に乗り、驚異的な距離を飛行する。
自然とは残酷なものだ。死力を尽くしても、人の想いなど汲み上げてはくれない。それでも行動しない限り、奇跡の手は差し伸べられないのだ。
いまこの瞬間に追い風が吹いていること。カーシュナーの手に、唯一のジャンプ攻撃可能武器が握られていたこと。幼子の母親が、身を捨てて我が子を逃がしたこと。数々の偶然が、カーシュナーに奇跡の1秒をもたらす。
死の大アゴが、幼子をつまみ上げる。母親をそうしたように、真っ二つに切り裂き、租借するために、大アゴに力を込めようとした刹那、とんでもない距離から繰り出されたカーシュナーの叩きつけ攻撃が、謎のモンスターの脳天に叩き込まれた。
「よっしゃああぁぁっ!!」
着地と同時に謎のモンスターがぐらつき、幼子を放すのを確認したハンナマリーたちが、歓喜の雄たけびを上げる。
カーシュナーはモンスターの顔面を蹴りつけると、空中で幼子を受け止め、受け身一転起き上がった。
カーシュナーは一瞬の迷いも見せず、幼子を抱えて逃走する。峡谷の奥へと向かって。
ここからは時間の勝負だ。ハンナマリーたちは、謎のモンスターが頭を突っ込んでいた穴に駆け込む。カーシュナーが囮になっけくれている内に、生存者の確認と救助をしなくてはならない。
穴の中は地獄の釜のような有様だった。ここに居合わせたのがハンナマリーたちではなく、他のハンターたちだったら、恐怖に駆られて逃げ出していたかもしれない。
しかし、スラム街時代に酷い現実を生き抜いてきたハンナマリーたちは、無残に食い散らかされたバラバラの獣人たちの死体の中から、かろうじて生き残った者たちを探し出し、血の泥沼から引きずり出した。
「ニャニャア!! あんなところにもいるニャア!!」
全身血まみれになりながら、ハンナマリーたちが引きずり出してくる獣人を受け取っていたヂヴァが、崖を見上げて声をあげる。
視線の先に、この洞窟の入り口であっただろう小さな穴があり、そこから子供の獣人が二人、顔を出していたのだ。穴の位置はかなりの高さで、そこに至るまでの道はすでに崩されている。
「ハンナ!! 頼むニャ!!」
言うが早いか、ヂヴァは数メートル後退し、猛ダッシュをかける。
ハンナマリーは向かってくるヂヴァの前に立ち、腰を落として両手を組むと、オトモアイルーのトレンド技である≪ネコ踏み台≫の逆を行った。
まるで大砲で撃ち出されたかのような勢いでヂヴァが飛んで行く。
「…チー、フー、待ってるニャ。父ちゃんがいま行くニャ」
極限状態の中で、ヂヴァはまぼろしを見ていた。海底大地震によって引き起こされた大災害で失った、我が子のまぼろしを――。
抜群のコントロールで獣人たちの前に着地したヂヴァは、幼い獣人には恐ろしく見えた。仲間たちの血にまみれ、死臭をまとったその姿は、半端な大型モンスターの比ではなかっただろう。怯えて穴の奥へと逃げ去ろうとする。
しかし、ほんの数歩で道は失われていた。足を踏み外した獣人たちが滑り落ちる。
穴の縁から消えかけた2つの小さな手を、ヂヴァはしっかりと掴み、素早く引き上げる。そして二人の幼子を強く強く抱きしめた。
体温が伝わり、二人の獣人の中から恐れが消えていく。
言葉は通じなくても、助けたいと強く願う心は届いたようだ。
ヂヴァは二人の獣人を両脇に抱えると、躊躇なく飛び降りた。とにかく時間がない。迷っている余裕などないのだ。下ではハンナマリーが待ち受け、3人になった獣人を受け止める。そして反対の崖目掛けて放り投げた。ハンナマリーの後ろに広がる地獄の釜を見せないための配慮だ。
ハンナマリーはヂヴァを放り投げた直後に、足元でぐったりとしている獣人たちを抱き上げた。ギリギリまで生存者の確認をしていたジュザが穴から上がってくる。
ジュザも残りの獣人を抱きあげると、先程飛び降りた崖へと向かって走り出した。全部で9人の獣人を救出することに成功していた。
全力で走り続けるハンナマリーたちの目の前に、最悪のタイミングで地面を突き破って新たな≪尖貫虫≫が現れる。
スタミナが尽きてフラフラになっているため、かわすことが出来ない。
どうする? 迷いが頭をよぎった瞬間、モモンモの強走効果を持つ踊りが発動した。
「モモンモ、最高っ!!」
7人もの獣人を抱えて走っていたハンナマリーが叫ぶ。
「いい仕事したモン!」
案内の獣人と小躍りしながらモモンモが応えた。
ハンナマリーとジュザは、≪尖貫虫≫に気づかれる前に脇を駆け抜けると、モモンモたちの待つ崖下に辿り着いた。
さっそくハンナマリーが崖を背にして≪踏み台≫の体勢に入る。戸惑う獣人たちを導くように、ヂヴァが子供たちを抱えたまま走り、ハンナマリーに高々と放り上げられると、見事にモモンモたちが待つ崖上に着地してみせた。
崖の上から案内の獣人が仲間たちに声を掛ける。ヂヴァは再び飛び降りると、別の子供の獣人を抱えて飛んでみせた。迷える状況ではないことは、獣人たち自身がよく知っている。ヂヴァをまねて、大人の獣人が子供の獣人を抱えて、次々と崖上に避難していった。最後にハンナマリーとジュザが、自力で崖を這い登る。
突如出現した≪尖貫虫≫が気づいた時には、ハンナマリーたちは攻撃範囲外にまで辿り着いていた。
「カーシュ!!」
何とか崖上に辿り着いたハンナマリーは、呼吸を整える余裕もないまま、カーシュナーが逃げた峡谷の奥へと視線を投げた。
幼い獣人を何とか救い出したカーシュナーは、謎のモンスターを穴から引き離すために、峡谷の奥へと走った。自分一人の命ではない。この極限状態の中で、一つのミスも許されなかった。
戦うことなど考えてはいない。グラつかせるほどの強烈な一撃を叩きつけることには成功したが、こんなものは単に運に恵まれたにすぎない。奇跡を起こしたなどと思っていると、今度はこちらが強烈なしっぺ返しを叩きつけられるのがオチだ。
カーシュナーはひたすら走った。モンスターの死骸はゴロゴロ転がっているので走りにくいが、謎のモンスターから身を隠すにはうってつけだった。本来ならば鋭敏なはずのモンスターの五感も、これだけの死の気配とにおいに包まれていては、力を発揮しない。頼りになるのは視覚くらいのものだ。
逃げるカーシュナーを、謎のモンスターは執拗に追った。
カーシュナーが、途中スタミナ切れを起こさないように足を緩めるが、見失うことが多いため、その差はなかなか縮まらない。苛立った謎のモンスターが、狭苦しい峡谷で翅を広げて飛び上がる。
崖の岩肌を翅が削り、鋭い岩の切っ先が翅を削り返す。
岩屑と轟音が降り注ぐ中、カーシュナーは懸命に足を動かした。平坦ではない分距離が稼げず時間ばかりが掛かる。先程とは違い、上空から追われるため、身を潜めることが出来ない。当然足を緩めるような余裕はなく、カーシュナーのスタミナは一歩ごとに削られていった。
謎のモンスターが狙いを定めて急降下をかける。
間一髪、緊急回避でかわしたが、ついにカーシュナーのスタミナは限界を超え、足をもつれさせて倒れ込む。
アゴが刺さった地面を強引にえぐり飛ばして、謎のモンスターが自由を取り戻す。
飛ばされた土砂が礫(つぶて)となってカーシュナーに襲い掛かる。身を挺して幼子をかばったため、カーシュナーはかなりのダメージを負ってしまった。
窮地に立たされたとき、モモンモの強走の踊りの効果がカーシュナーに届く。
もつれていた足に力が戻り、カーシュナーは再び走り出した。懸命にしがみついてくる獣人の幼子を抱えなおして、カーシュナーはさらに峡谷の奥へと進んで行った。
カーシュナーには一つの考えがあった。賭けに近いが、可能性はかなり高いと踏んでいる。
謎のモンスターは再び飛び立ったが、峡谷が急激に折れ曲がっている箇所にさしかかり、曲がり切れずに無様に崖に激突すると墜落した。
おかげで距離を稼いだカーシュナーの耳に、もう一つの羽音が、前方から迫ってくることを告げる。狙い通りの結果が転がり込んでくる。後は上手くモンスター同士が鉢合わせるのを待つだけだ。
カーシュナーは周囲を見回すと、咄嗟に岩陰に身を潜め、幼子の口をふさぎ、自分も息を殺す。全力で駆けてきた直後に息をこらえるのは、意識が飛びそうになるほどの苦痛だった。
それでも懸命に物音を消して身を潜めていると、二つの巨大な影が、峡谷の角から顔を出した。
1匹は墜落した謎のモンスター。もう1匹は、峡谷の急激な曲がりを上手くすり抜けた真紅のモンスターだった。
カーシュナーを探していた謎のモンスターは、すぐさま迎撃の体勢を取る。
真紅のモンスターは、幅の狭い峡谷を、巨体を斜めに傾けながら器用に飛び抜けていく。カーシュナーが身を潜める岩陰を、真紅の反射光がなめる。
目が合った――。
合うはずのない視線が、一瞬交差するのを、カーシュナーは確かに感じた。
獣人の幼子を抱く腕に、鳥肌が立つ。
飛竜種などのように、明確な瞳を持つモンスターとなら、目が合うことはある。しかし、目の構造が根本的に違う甲虫種は、むしろ直視されていても、どこを見ているのかわからないのが普通だ。
カーシュナーは直感的に確信する。この峡谷の狂乱を支配するのは、この真紅のモンスターだと。
そして、もう一つ確信する。自分はいま、運よく命を拾ったのだと――。
カーシュナーは、背後で凄まじい衝突音が響く中、振り向きもせず逃げ出した。
カーシュナーたちは、救出した獣人たちを連れ、先に発見していた獣人たちと合流した。
互いの情報が交換されたのだろう。新たな悲しみに襲われ、獣人たちは大きな瞳から、ぽろぽろ涙を流して悲しんだ。
言葉は通じないが、獣人たちに先程まであった警戒心はもうない。大袈裟な言い方になるが、一族滅亡の危機に現れたカーシュナーたちは、救いの神そのものであった。
カーシュナーたちは獣人たちを避難所から連れ出すと、≪鉱山都市≫へと通ずる洞窟に連れていった。
ここには多くの獣人たちの遺体が弔われることもなく、酷い姿のまま遺棄されているので、正直連れて来たくはなかった。だが、今日初めてこの地域に足を踏み入れたばかりのカーシュナーたちに土地勘などあるわけもなく、比較的安全と思える道はここしかなかったのだ。
重い気分で洞窟へと向かう途中、またしても新たな≪尖貫虫≫が姿を現した。カーシュナーたちは抱えられる限りの獣人たちを抱え、残りは自力でしがみついてもらい、洞窟の中を一気に駆け抜け、≪鉱山都市≫へと繋がる枝道に逃げ込んだ。
「≪尖貫虫≫、ナ、ナイスだモン」
モモンモが息を切らせながら言った。その腕には、獣人の子供を二人抱えている。
「た、たまには役に立つニャン」
同様に息を切らせたヂヴァが同意する。こちらは、助け出した二人の子供と、年老いた獣人一人を背負っていた。
≪尖貫虫≫に追われたおかげで、残酷なだけの対面を回避することが出来たのだ。
「進もう。休ませてやりたいけど、モンスターたちにあれだけの勢いで暴れまわられたら、この枝道も、いつ崩れるかわかったもんじゃないからね」
ハンナマリーが、全身獣人だらけになりながら言う。その言葉を裏付けるかのように、後にしてきた洞窟の天井の一部が崩落する。
枝道はかなり狭いため、獣人たちには自力で歩いてもらうことにし、一行は慌てて枝道を登って行った。
ここからは≪化け蜘蛛≫を警戒する必要があるため、先頭をジュザが歩き、嗅覚でヂヴァがサポートする。一行の中間を、負傷した獣人を背負ったカーシュナーが歩き、背負われた獣人が周りの仲間に声を掛けて励ます。
「あの異常事態は何だったんだろうね?」
ハンナマリーが、先を歩くカーシュナーに問いかける。
「…これはボクの完全な推測だけど、モンスターたちは、あの峡谷を奪い合っていたんじゃないかと思うんだ」
カーシュナーの言葉に、ハンナマリーが首をかしげる。
「モンスターの縄張り争いはよくあることだけど、あれはちょっと違うだろ? 北の大陸であった、狂竜症が原因の暴走みたいなもんなんじゃないのか?」
「その可能性もあるね。南の大陸特有のウイルスが存在していてもおかしくはないからね」
ハンナマリーの意見に、カーシュナーもうなずく。
「それでも、カーシュはあれがモンスターの縄張り争いだって思うのかい?」
「うん。あの峡谷は、大型モンスターにとっては、まったく魅力のない土地のはずなんだ」
「それじゃあ、余計におかしいだろ?」
「でも、あの峡谷じゃないといけないんだと思う」
「なんで?」
「謎のモンスターたちだけど、みんな翅を痛めるのもおかまいなしに峡谷の中を飛び回っていたよね?」
「そうだな。でも、それはウイルスとかで頭がおかしくなっていたからじゃないのか?」
「かもしれない。でも、最後に見た真紅のモンスターは、あの狭い峡谷の中を、上手く飛び回っていたんだ」
「つまり、頭はおかしくないってことかい?」
「うん。もっと言えば、暴れまわるにしても、峡谷の上空に出てから飛び回った方が簡単なんだよ。なのに飛んでも低空飛行ばかりで峡谷の外に出ようとしない」
「そうだな。そう言われると、異常なまでにあの狭いエリアにこだわっていたように見えるな」
ハンナマリーが眉をしかめて唸る。
「何らかの理由で、この周辺のモンスターが、あの峡谷をどうしても手に入れないといけない状況になっているんじゃないかって思うんだ」
「何かって、何だい?」
ハンナマリーの問いかけに、カーシュナーは残念そうに首を振った。
「わからない。でも、これだけは確かだよ」
言葉を切ったカーシュナーの背中を、ハンナマリーが黙って見つめる。そこには、強い緊張があった。
「あの峡谷を手に入れるのは、真紅のモンスターだよ」
カーシュナーの言葉は、このしばらくの後、現実となった。