≪鉱山都市≫の北、歩いて4日の森林地帯の一角に、中継用の拠点がある。規模としては、ベースキャンプの5倍程度の小規模のものだ。4人のハンターが常駐し、1ヶ月交代で人員が入れ替わる。広大な面積を誇る南の大陸で、情報交換をすばやく行うために、ホルクが備えられており、北の拠点及び大陸各地に設けられた同様の中継拠点を行き来している。
こうした中継拠点は、比較的大型モンスターの少ない場所でなければ設置することが難しいため、狩場と認定されているような場所からは、かなり離れて設置されている。そうしないと、本来野生の下で育つと凶暴なホルクが常にストレスにさらされることになり、よくなつき、訓練されているホルクでも、ハンターに対して反抗的になることがあるからだ。ハンターの入れ替えが行われるのは、ホルクのケアも含めてである。
ここ1週間ほど小型モンスターすら目にしていなかったハンターの目に、疲弊しきった二つの人影が飛び込んできた。まるで二人三脚でもするかのように、互いを支えに歩いてくる。
見張りに立っていたハンターは、慌てて仲間に伝えると、中継拠点から飛び出した。
駆け寄って支えようとしてハンターはギョッとした。身体中の全てのエネルギーを使い果たしているにもかかわらず、落ちくぼんだ眼だけが異様に強い光を放っていたからだ。
「おい! 早く手を貸してくれ!」
駆け寄ったハンターは我に返ると、拠点の仲間をせかし、自分は棒のようにひょろひょろとしている人物に肩を貸す。肩にかかる腕にはまるで力がない。限界をとっくに超えているのだ。
もう一人のハンターが、見事な鼻を持つ大柄な若者を支える。こちらはカラになった体力の代わりに、命をしぼり出すように、連れを支えていた。
「大丈夫だ! もう支えなくていいぞ! 力を抜け! そうだ! オレに寄りかかれ!」
ハンターは肩を貸すのではなく、そのまま若者を背負って中継拠点へと走る。もう一人のハンターも、同様に背負って走り出した。
ベースキャンプに設置されているものと同じ簡易寝台に、休ませようとして二人を横たえたが、二人は言うことを聞かず、休もうとしないので、ハンターは二人に白湯を差し出してやった。疲労しきった身体でも、これなら受けつけるからだ。
緊急事態が起こったことはその様子を見れば一目でわかる。これ程までに自分を追い込んでここまでたどり着いたのだからよほどの事態だろう。本人たちに自覚はないだろうが、この後の処置を誤れば、二人は過労死しかねない。それ程までに身体を酷使しているのだ。
白湯を飲んで人心地ついたおかげで、なんとか声をしぼり出せる程度に回復した二人から、衝撃の事実が伝えられる。≪鉱山都市≫が大量のモンスターに包囲されてしまったこと。新獣人種の発見と、その危機的状況の二つだ。
「お前ら、リドリーとファーメイなのか!!」
ハンターたちが始めに驚いたのが、そこだった。カーシュナーたちは、≪鉱山都市≫へ向かう途中、この中継拠点に補給物資を届けるために立ち寄り、一泊していたのだ。当然その時ハンターたちとは顔を合わせている。それでもわからないくらい、リドリーとファーメイの人相は過労に歪められていたのだ。
「たった1日半で≪鉱山都市≫からここまで来たのか!! 普通4日は掛かるぞ!!」
リドリーたちのあまりの無茶に唖然とする。この場にいるハンターは、4人共にG級の、二つ名付きの実力者ばかりだが、リドリーたちのマネは、例えしようとしても、とてもではないが出来ない。
それ以降の状況の激変に対しては、冷静に受け止めていた。リドリーたちにとっては予想もつかないような出来事であったが、彼らはこれ程の事態に対しても心構えが出来ていたということだ。
「北の拠点に、早く連絡を…」
リドリーがかすれた声で訴える。
「あとはまかせろ! お前たちはもう休め! 冗談抜きで死んじまうぞ!」
「いや、戻らねえと…」
そう言って立ち上がろうとしたが、リドリーの身体はピクリとも反応しなかった。それどころか、意志に反して倒れ込んでいく。ハンターの一人がその背をやさしく受け止め、ゆっくりと寝かせてやる。
リドリーの隣りでは、すでに意識を失ったファーメイが横になっている。
「…カーシュ。オレ、やりきれ、た、かな……」
遠く離れた仲間に問いかけながら、リドリーは意識を失った。
「…充分だよ」
ハンターのかけた言葉は、カーシュナーの言葉となって、消え去る意識の下に滑り込む。
安定した呼吸に、ハンターたちは一安心した。このまま止まってもおかしくないほどの疲労だったのだ。
寝息を立てる二人の顔は、憑りついていた危機感が落ちたおかげで、安らかなものになっていた。
「オレたち二人が≪鉱山都市≫に向かう。お前らは中継拠点の防衛と、リドリーたちの世話を頼む」
4人のリーダーと思われるハンマー使いのハンターが指示を出す。その背中では、最高級品のハンマー、≪テスカ・デル・トーレ≫が異様な存在感を放っている。
「見張りの交代要員がいなくなるから、休めなくてきついだろうけど頼むよ」
リ-ダーに同行する太刀使いのハンターが、残ることになる二人のハンターを気遣う。こちらの背中も、名刀≪叛逆刃ジールレギオン≫が、鋭い刀身を見事なこしらえの鞘の中に納めて飾っている。
「リドリーたちの前でそう言われてもねえ。この二人に比べたら、苦労の内にも入らないよ」
そう言って笑ったのは、以前カーシュナーに狩猟笛の使い方を教えてくれた狩猟笛使いのG級ハンター、ヨーコであった。クシャクシャになったファーメイの頭を、やさしくなでてやっている。
「あとのことはまかせてください! ヨーコさんとオレだけで充分ですよ!」
一人歳の離れたハンターが、快活に胸を叩く。他の3人と比べると、武器も防具も、どこかまだなじまないように見える。背負ったチャージアックスは手入れもいいのだろうが、まだ傷も少なく、新品同様に光っている。
リーダーは、年下の仲間の様子に、つい笑みをこぼした。
「ああ、頼むぜ」
リーダーから信頼の眼差しを向けられたハンターは、嬉しそうに笑った。
「よし! まずはホルクに飛んでもらおう。四羽共にいたのは幸運だった。ヨーコのホルクに北へ飛んでもらう。一番速いからな。天候次第だが、今日中にギルドマスターに情報を届けたい。残りは近場の中継拠点に救援を呼びに行ってもらう。オレたち二人が加われば、残りの救援が来るまでなんとかなるだろう」
「そうですよ!」
リーダーの言葉を、なぜか若いハンターが請け負う。先輩ハンターたちに対する尊敬がそうさせるのだろう。こういった若さがこのハンターの実力を低く見せるが、若くしてG級まで上り詰めた実力者である。年齢を考えれば、ハンターとしての才能は先輩たちの上をいくかもしれない。しかし、いまはまだ、先輩たちの領域には達していない。それは、G級の世界をこなして初めて身につく空気のようなものが足りていないのだ。
「おそらく北の拠点まで連絡が届けば、最速で中継拠点の交代要員が来るはずだ。そうしたら二人にもすぐに駆けつけてもらうからな! オレたちがやられちまう前に助けに来てくれよ」
リーダーはそう言うと、茶目っ気のある笑顔を後輩ハンターに向け、さっそくホルクの準備に取り掛かった。
「なんじゃとおおぉっ!!」
ギルドマスターの絶叫が拠点に響く。ホルクを頭上で旋回させているハンターから受け取った救援要請書に目を通したのだ。
「ちょいと、そんなに大きな声を出すもんじゃありませんよ。頭の血管が切れてしまいますよ」
補給物資についてギルドマスターと打ち合わせをしていた商業ギルドの元ギルドマスター、通称”行商ばあちゃん”が、興奮するギルドマスターをやんわり諌める。
「これが大声を出さずにおれるか! カーシュちゃんが大ピンチじゃ!」
「それを早くおっしゃい!!」
先程までのやんわりとした口調はどこえやら、ギルドマスターの手から救援要請書をむしり取ると、すばやく目を通す。普段は閉じているのか開いているのかよくわからない目を、クワッと見開いている。
「こりゃ、えらいことですよ!」
長老二人の大騒ぎに、周囲の者が様子を見に来る。これがギルドマスターと調合師の長あたりのやり取りなら誰も気になど留めないのだが、五大老の最後の良心と謳われる行商ばあちゃんが取り乱しているとなればただ事ではない。
「なんじゃ! あの好色じじぃ、ついに色ボケしてばあさんに手を出しおったか!」
王立古生物書士隊の元隊長が、ニヤニヤしながらやってくる。
「誰が好色じじぃじゃ! ちゃんと聞こえとるぞ!」
「おおっ! どうやらばあさんの貞操は無事だったようじゃな」
ギルドマスターの怒鳴り声を、あっさり無視して隊長じいちゃんが続ける。
「貞操! そんなもんとっくの昔になくなってるわい!」
隊長じいちゃんにギルドマスターが言い返した直後、二人は強烈なフックを続けざまに叩き込まれ、地面に這いつくばっていた。
「何事だい?」
地面に這う二人の老人をわざと踏みつけて、調合師ギルドの元長がやってくる。その後ろには、分厚い眼鏡を掛けた古龍観測所の元所長がいる。
「これですよ! 見てくださいな!」
そこに行商ばあちゃんが加わり、三人でギルドマスターと隊長じいちゃんの上で救援要請書を開いた。
「そ、そこを退かん…か。おま、お前ら、見た目より、重いん……」
「あひぃ~~!!」
最後まで言葉が続かなかったのがギルドマスターで、世にも奇妙な声を上げたのが、行商ばあちゃんに股間を踏み抜かれた隊長じいちゃんだった。
下の二人が動かなくなってもおかまいなしに救援要請書に目を通していた三人は、読み終わると二人の上から降り、真顔で二人を引きずり起こした。
「こりゃあ、ふざけとる場合じゃなかったわい」
「うんむ。急いで手を打たんと死人が出るぞ!」
「い、いま出かかったわい」
息も絶え絶えに、ギルドマスターがツッコむ。
隊長じいちゃんは、近くにいたハンターに腰を叩いてもらっていた。
「わしゃ気球の準備をしてくるわい」
そう言うと所長じいちゃんがその場を離れる。操縦者を入れて3人しか乗りこめない小型のものだが、それでも地形に関係なく移動できる気球は最速の移動手段だった。
「頼むぞい!」
所長じいちゃんの曲がった背中にギルドマスターが声を掛ける。
「現場にはわしと隊長の二人で出向く。非番のハンターを緊急招集じゃ! それと、チヅルと白い獣人殿を探してくれ! 確か周辺海域を一緒に調査しておったはずじゃ! あと、赤玲(セキレイ)の居場所はどこじゃ!」
ギルドマスターが矢継ぎ早に指示を飛ばす。最後の問いかけに、かつて受付嬢を務めていた女性調査団員が答える。
「≪六花湖≫(リッカコ)の調査に一昨日向かいました」
「しめた! 途中で拾えるぞい! 中継拠点にホルクを飛ばして、赤玲が来たら待たせるように伝えるんじゃ!」
≪六花湖≫とは、≪巨木林≫の南東。≪鉱山都市≫の東に位置する狩場で、巨大な湖であった。複雑な形状をしており、上から見るとまるで六枚の花弁を持つ花のように見えることから≪六花湖≫と名付けられた水中主体の狩場である。ここにしか生息しないモンスターが多く、現在≪鉱山都市≫と並んで調査に重点が置かれている。
「あのフーテン娘が捕まえられれば一安心じゃろう。天の配剤とはこのことよ。カーシュちゃんの日頃の行いが良いからじゃろうな」
「そうですねえ。あとは時間だけが問題ですよ」
調合師の長の言葉に、行商ばあちゃんがうなずく。
「さあ、私たちは補給品の手配をしてしまいましょう」
そう言うと行商ばあちゃんと調合師の長の二人は、足早に作業の監督へと向かった。
「お前さんは後から白い獣人殿を連れて合流してくれ」
ようやく下腹部の痛みから解放された隊長じいちゃんに、ギルドマスターが声を掛ける。ギルドマスターは気球で≪鉱山都市≫に急行するのだ。
「任せておけい。中継拠点でハンターを入れ替えて、最速で≪鉱山都市≫へ駆けつけてやるわい」
隊長じいちゃんが、先程までの醜態がウソのように頼もしく請け合う。
「よし! 後は大陸最強のハンターを拾うだけじゃ!」
「あたし、いつまで待っていればいいの~」
先程から、同様の不満の声が中継拠点で連発される。
「もう少しの辛抱だ。それにギルドマスターの緊急要請なんだから我慢しろ。気球で迎えに来てるんだから、もうすぐ来るだろ」
不満の主を、年配のハンターがなだめる。
「さっきもそう言ったじゃん!」
「5分前にな! そんな間隔で聞いてこられても他に言い様なんてあるわけないだろ!」
ピシャリと言い返されて、不満の主は子供のように頬を膨らませて不満の意を示した。
不満の声の主は、見たこともない素材を用いて作成された大剣を背負った竜人族の女性だった。長い耳の先端に、大ぶりのピアスが着けられ、その重みでペロッと垂れ下がっているのが何気に可愛らしい。頭部の防具はどうやらそのピアスだけのようで、ヘルムはどこにも見当たらない。それ以外の首から下の装備は、特にこれといった共通のデザインが見られないことから、スキル構成重視で選ばれた、別々のモンスター素材で作成された防具のようだ。どの装備も赤を基調としているので、燃えるような赤髪と相まって、全体的な印象は特にちぐはぐとはしていない。デザインがバラバラの装備は、その全てが武具工房がハンターに提示している装備とは異なっており、おそらく、G級ハンターにすら公開されない災害クラスのモンスター素材で作成された一点ものだと考えられる。
装備品の全てがハンターズギルド管轄外の、特別な武具に身を包んだこの人物が、北の大陸で最強のハンターとして知られる赤玲であった。もっとも、正確にはハンターズギルド所属のハンターではないので、赤玲の存在を知る者は少ない。赤玲はただ一人で、一個のハンターズギルドと同等の権限を有する存在なのだ。
「もういい! ギルマスなんか待ってるくらいなら、走っていった方が早いよ!」
「ここから先は山越えになるんだから早く行けるわけないだろ! 頼むから待っててくれ! 気球が来た時にお前を探し回っているような時間はないんだからな!」
「だって~。カーシュ君が心配なんだよ~」
「オレだって心配だよ! 本当ならな、赤玲、お前さんじゃなくてオレが助けに行きたいんだよ!」
二人の苛立ちの原因は、どうやらカーシュナーを心配するあまりのもののようだ。≪鉱山都市≫の状況を聞いたうえで、行動ではなく待機を言い渡されれば、苛立つのはやむを得ないことと言えた。
「早くこいよ~! じじぃ~~!!」
忍耐が限界に達した赤玲が、苛立ちを空に放つ。
「あっ!」
その時、真上に点にしか見えないものが、竜人族の優れた視界に飛び込んでくる。
「誰がクソじじぃじゃあ!!」
晴天の空から、落雷並の怒号が降ってくる。
気球に気がついた赤玲は驚かなかったが、一緒にいた年配のハンターはぎくりとして空を振り仰ぐ。ハンターの目には、気球の姿はまだ確認できない程の上空にあった。
「なんだ!?」
ハンターが当然の疑問を口にする。
「ギルマスが来たみたいだね。じじぃのくせにとんでもない地獄耳だな~」
二人が見上げる中、気球は徐々に高度を下げ、中継拠点へと降りてくる。上空はかなり風が強いようで、何度も煽られるが、最後にはピタリと中継拠点へと降りてくる。たいした操縦技術だ。
気球から固定用のロープが投げ下ろされ、3メートルほどの高さで固定されると、今度は縄梯子が降りて来る。それを伝ってギルドマスターが猿のような身軽さで降りてくる。
「誰がクソじじぃじゃあ!!」
降りて来たと思ったら、第一声がこれである。
「クソはつけてないよ」
「そうじゃったか?」
「うん。じじぃって言っただけ」
「なら、ええわい」
「いいんですか!!」
二人の会話の着地点に引っかかったハンターが、思わずツッコむ。普段の彼を知る者なら、誰もが驚いただろう。そんなキャラではまったくないのだ。
「無駄口叩いとらんでさっさと燃料持って上がってこんか!」
ゴンドラの縁から顔を出した古龍観測所の所長が、下に向かって怒鳴りつける。普段の分厚い眼鏡をゴーグルに付け替えているおかげで、カエルのような顔になっている。
「所長自ら操縦ですか! ご苦労様です!」
目の上に手でひさしを作りながら、ハンターがあいさつする。彼は一流のG級ハンターであると同時に、古龍観測所の職員でもあるのだ。
「おおっ! お前さんこそご苦労じゃったのう。フーテン娘が手をかけたじゃろう?」
「あと半時も遅ければ飛び出していたと思いますよ」
所長じいちゃんの問いかけに、ハンターは苦笑と共に言葉を返した。
「しょうがないじゃん! ギルマスが遅いのがいけないんだよ! じじぃのくせにしゃしゃり出て来ないで、チヅルあたりに任せればいいんだよ!」
「やっかましいわい! あれは周辺海域の調査に出ておったから無理じゃ! それに、いたとしても誰がまかせるか! あれは責任感はあるかもしれんが、基本どんぶり勘定で物事を測るから安心できんのじゃ!」
ギルドマスターから”あれ”呼ばわりされているチヅルとは、ここ南の大陸を発見した海上商人兼ハンターの竜人族の女性で、独特のリズムでしゃべる、かなりクセの強い人物である。
「チヅルで思い出した! あれと一緒に白い獣人殿も陸路で来られるからのう。ここに情報を集めるように指示を出しておいたから、着き次第状況説明出来るようにしておいてくれ!」
「わかりました。それじゃあ、燃料はオレが上げますね」
気球の燃料を入れた瓶を示しながらハンターが言う。
「心配いらん。これぐらい軽いもんじゃい!」
そう言うと、ギルドマスターは自分の身体程もある瓶を背負って、降りて来た時以上にスルスルと縄梯子を登って行った。
「みんなを頼む」
ギルドマスターに続いて縄梯子に手を掛けた赤玲に、ハンターが声を掛ける。
「ま~かせといて!」
ウインクを一つ返すと、赤玲もまるで体重がないかのようにスルスルと縄梯子を登って行った。
縄梯子が引き上げられ、ハンターが係留していたロープを外すと、気球はズンズン上昇して行き、風を上手く捉えたのか、あっという間に南の山向こうへと姿を消してしまった。
「…頼むぞ、最強」
見送ったハンターが、最後に尊敬と信頼を込めてつぶやいた。
瓦礫の隙間から、無理矢理身体をねじ込もうとしていた≪拳虫≫(コブシムシ)の頭部が、巨大な刀身がしならんばかりの勢いで振り下ろされた大剣に、頭部を護っていた頑丈な外甲殻もろとも叩き割られ、周囲を体液で汚す。
頭部を失った後もしばらく足掻いていた≪拳虫≫が動くことをやめ、≪鬼蜘蛛≫(オニグモ)の幼体に引きずられて去って行く。≪鬼蜘蛛≫の幼体が、この後地上から胃袋へ、きれいに掃除してくれるはずだ。
前線から一旦退き、ハンナマリーは大剣に砥石をかける。
「自慢の怪力に、さらに磨きがかかったんじゃないか?」
若干あきれた様子で、携帯食料にパクついていたハンターがハンナマリーに声を掛ける。
「そうかい?」
自覚がないので他に言い様がない。
「そうさ! いくら中型モンスターって言っても、上位武器で一撃で仕留めるなんてことは出来ないぜ」
「団長はほとんど全部一撃だよ?」
「団長は特別だよ。ハンターとしての技量が違うからな。それに、同じ大剣でも性能が根本的に違う。ハンナマリーの大剣って”白”ないだろ?」
「ないよ。上位に上がって1段階強化したから”青”は付いたけどね」
「それ、ほとんど下位武器と変わらないだろ! よくそれで立ち回れるな! 弾かれまくるだろ?」
切れ味について質問していたハンターが、大袈裟に驚く。てっきり武器は上位で強化可能な限界まで鍛えてあると思っていたからだ。実際ハンターの言う通りで、下位最大強化の武器と、上位強化したての武器の性能差は、攻撃力が若干上がり、切れ味が僅かばかり上昇する程度で、体感的にはちょっと立ち回りやすくなった程度の差しかない。
「弾かれない場所を攻めればいいのさ」
難しいことを簡単に言ってのける。
携帯食料をもう一つパクついていたハンターが吹き出しそうになる。
「…普通は、それが難しいから強化するんだぞ」
のどに詰まった携帯食料を水で流し込みながらハンターが言う。
「最初から腕が立ちすぎるのも考えものだな。ギルドマスターが、お前らが紙みたいな装備で狩猟に行くって嘆いていた気持ちがようやくわかったぜ」
「これでも気をつけるようになったんだよ」
「ギルドマスターに頼み込まれたからだろ? 自分では武器や防具の強化の必要性をたいして感じていなかっただろ?」
「まあね。でも、獣人たちの故郷を荒らしまわっていた真紅のモンスターを見てからは違うよ。生物としての根本的な強さの違いを痛感させられたからね。いまの装備で勝つのは難しいってことはわかるよ」
「ものすごく遅いけど、わかっただけマシだな。普通は下位の時点で気がつくことなんだけどな」
そう言うとハンターは立ち上がった。砥石を掛け終わったハンナマリーも立ち上がる。
「おい、スタミナもついでに回復しておけよ。そのくらいの時間はちゃんと稼いできてやるからよ」
一緒に前線に戻ろうとしたハンナマリーを、ハンターが止める。ハンナマリーは素直に従い礼を言った。
狂乱の谷から戻って3日目の朝になる。
≪鉱山都市≫の外側は、相も変わらず生存競争の地獄絵図を、新たなモンスターの体液で上書きしていた。
当初はモンスターが≪鉱山都市≫に一気になだれ込んでくるかと思われていた。事実≪鬼蜘蛛≫の幼体が殺到して来たときはとんでもない圧力だったらしい。
ハンナマリーたちが≪鉱山都市≫に帰還した時には一段落着いた後だったので、どれほど大変だったかわからないが、瓦礫で作った防護柵の隙間から無理矢理入り込もうとして来る≪鬼蜘蛛≫の幼体を、片っ端から叩き潰していったらしい。甲殻と呼べないほどにもろい外殻をしているので、≪拳虫≫でなくてもハンターが蹴りつけるだけで潰すことが出来るので、討伐すること自体は簡単だった。しかし、いかんせん数が多すぎる。それは次第に狩猟ではなく、完全な駆除作業と化し、終わりの見えない無間地獄の始まりとなった。
潰れた幼体の身体から体液が流れ出し、雨水が入り込んでこない構造になっている≪鉱山都市≫の入口に、生臭い小川を作って流れ下って行った。
当然ハンターも体液まみれになる。幼体の一波が去ったと思ったら、今度は体液の臭いに誘われた≪拳虫≫が殺到し、ハンターに襲い掛かって来る。≪拳虫≫は幼体と違って防護柵を崩そうとしてくるので、すばやい対応が必要だった。
これを、もう、都合4日間繰り返していた。
「ふう! お疲れさん」
携帯食料に手を伸ばしていたハンナマリーに、団長が声を掛けてくる。
「休ませてやれなくてすまんな」
大剣≪ブラックミラブレイド≫を下ろし、砥石を取り出しながら団長が言う。どうやら団長の大剣も切れ味が鈍ったらしい。
「いや、適度に仮眠とか取らせてもらっていますよ。団長こそ、不眠不休で大丈夫なんですか? みんな心配していますよ」
携帯食料を頬張りながら、ハンナマリーが答える。
「まだ、大丈夫だ。1週間くらいなら問題ないからな。思ったほど集中的に攻め込まれなかったおかげでだいぶ助かったし、体力が限界に達する前に援軍が来てくれるだろう」
「間に合いますかね?」
「大丈夫だろう。リドリー君たちも今日ぐらいには中継拠点に到着するだろうし、そうなれば、中継拠点のハンターが、おそらく二人抜けてこちらに駆けつけてくれるはずだ。そうすれば≪鬼蜘蛛≫をかく乱してくれるだろうから、包囲の輪がほころんで、幼体と≪拳虫≫が拡散されるだろう。そうなれば、我々に掛かる負担はかなり軽減されるはずだ」
「そうですね。じゃあ、もう一仕事こなしてきます」
二つ目の携帯食料をほうばると、ハンナマリーは立ち上がった。
「頼むぞ」
砥石をかけ終った団長が、携帯食料を出しながら答えた。
団長はスタミナの回復を終えると、たいして休むこともなく立ち上がった。前線に戻るとハンナマリーが新たに現れた≪拳虫≫に大剣を振り下ろす瞬間に出くわす。
振り下ろされた一刀が、見事に≪拳虫≫の頭部を断ち割る。
「!!!!」
団長は驚きに目を見張った。
「ハンナマリー! 今日は絶好調だな!」
ハンナマリーの隣りで≪鬼蜘蛛≫の幼体を一度に4体葬っていたハンターが、ハンナマリーに声を掛ける。
「毎日こいつらの相手だからね。慣れもするさ」
彼らには、まだ、団長の驚きの理由はわからないだろう。ハンナマリーが当たり前のようにしていることが、上位を越え、G級すらも超えた先で、限られた者にのみ開眼しうる境地であることを――。
大剣使いとハンマー使いにのみ開眼しうる業――。
――大剣、ハンマー個人技・極み≪撃砕≫(ゲキサイ)
急所を重量武器で一撃で破壊する、ハンターの常識を打ち破る攻撃である。無条件で発動する超能力のようなものではもちろんなく、甲殻や鱗の隙間、部位破壊された傷口などの、点のようにしか存在しない脆弱な箇所に、モンスターの力を利用するカウンターでクリティカル攻撃を叩き込み、力の全てを最も弱い箇所に集中することによって初めて可能となる神業である。
「リドリーといい、ハンナマリーといい、どうなっているんだ? ハンターの常識が、新大陸と出会ったことで変わり始めているのか?」
ハンター歴わずか1年にも満たないハンナマリーたちの飛び抜けた成長に、団長は驚きを通り越して呆れかえってしまった。
「何か言いましたか?」
ハンナマリーが声を掛けてくる。
「なんでもない! みんながあまりに頼りになるものだから、少し抜けさせてもらおうかと思ったんだ!」
「ぜひ、そうしてください!」
周囲のハンターが声をそろえて答える。団長はそれだけの働きをしているのだ。
団長はずいぶんと周囲に心配をかけていたことに苦笑する。
「ここはまかせる。一度坑道口の様子を見てくる」
団長は、リドリー、ハンナマリーの他にいる、もう一人の逸材の様子を見に向かった。
「さすがにカーシュ君はまだだろうな…」
口では、そう言いつつも、心のどこかで、(まさかな…)と、完全に否定できないでいる自分に、団長は気がついていた。
団長の予想に反して、もう一人の逸材であるジュザは、開眼することもなく、割り当てられた坑道口の持ち場から離れ、獣人たちの面倒をみているカーシュナーを手伝うために、≪鉱山都市≫中央の公共施設の跡地に来ていた。
坑道口からもモンスターが押し寄せて来るかと思われていたが、その気配は全くなく、1日に1匹、≪尖貫虫≫(センカンチュウ)が出現する程度で、坑道口があるエリア1に姿を現すことも滅多になかった。
だからといって、絶対に≪鉱山都市≫内に侵入して来ないとは言えないため、警戒を解くわけにもいかないので、4人のG級ハンターとジュザの5人で警備に当たっていた。だが、あまりにも何も起こらないので、G級ハンターたちがカーシュナーの手伝いに行くことを勧めてくれたのだ。
カーシュナーはと言うと、カーシュナーが離れると獣人たちが不安がるので防衛戦には加わらず、負傷した獣人と、幼い獣人たちをヂヴァとモモンモに手伝ってもらいながら面倒をみていた。
ジュザに気がついたヂヴァが声を掛けてくる。
「そっちの様子はどうだニャン?」
「変化なし。そっちは?」
「子供たちの好奇心が強すぎて、見失わないようにするのが一苦労ニャ!」
「落ち込むより良い」
「そうだニャ」
「手伝えることはあるか?」
ジュザの問いかけに、答えの代わりに獣人族の子供が3人放り投げられる。全員器用にジュザに取りつくと、さっそく頭と肩に陣取った。
「子守を頼むモン!」
放り投げた張本人が言う。モモンモ自身も、その小さな身体で3人の獣人族の子供を頭と背中に乗せて面倒をみていた。
ヂヴァは助けた二人の子供に両手を取られている。
「ジュザ! 手伝いに来てくれたの?」
こちらも身体中に獣人族の子供を張りつけたカーシュナーが、ジュザに気がつきやって来る。その腕には、謎のモンスターに母親を奪われた幼子が抱かれ、静かな寝息を立てている。
「ヒマだから」
「忙しい方が困るけどね」
ジュザの答えに、カーシュナーが笑顔で応じる。
「何で坑道の方にはモンスターが現れないと思う?」
ジュザがこれまでの疑問を口にする。
「≪鬼蜘蛛≫の幼体が入ってこないってことは、きっと坑道の枝道は外とつながっていないんだろうね。ボクたちが使った枝道は、自然洞窟と枝道の間が崩落して偶然つながったみたいだし、他に入口がないのなら、≪拳虫≫なんかも入ってこないのは理解できる」
カーシュナーの言葉に、ジュザがうなずく。
「でも、峡谷にいたモンスターたちが出現しないのはおかしいよね。真紅のモンスターとかが、地下を移動する能力がないんなら少しは理解できるんだけど、≪尖貫虫≫は基本地下移動だからね。あの狭い峡谷で、あきらかに自分より格上のモンスターを相手に縄張り争いなんかしなくても、坑道に来ればいい。他に強力なモンスターがいるわけじゃないんだからね」
「オレもそれがずっと気になってた」
「来れるのに、来ない。峡谷の異常事態に、何か関係があるのかもしれないね」
「わかるか?」
「さすがに無理。情報が少な過ぎて推測も立てられないよ」
「だな。とりあえずは表の騒ぎが治まってからだな」
「うん」
二人の会話は、じゃれついて来た獣人族の子供によって中断された。
この日の深夜。≪鉱山都市≫入口に掛かっていたモンスターによる圧力が、突然軽減された。入口に殺到して来るモンスターの数が明らかに減少したのだ。
山岳地帯を埋め尽くした≪鬼蜘蛛≫の幼体は、時間差で孵化したため、実は混乱当初よりその数を増していた。おそらく1万をはるかに超え、各地を埋め尽くしている。リドリーたちが遭遇したつがいの≪鬼蜘蛛≫だけではなく、別の≪鬼蜘蛛≫ファミリーも、この生存競争のバカ騒ぎに参加しているのだ。
≪鬼蜘蛛≫の幼体が、蹴りつけられただけで死んでしまうほど甲殻が軟らかいのには訳があった。それは、異常なまでの成長速度に関係があり、当初はモスほどの大きさしかなった幼体が、4日を経過した時点で、もっとも大きく育った個体が、ネルスキュラ程のサイズにまで達していた。
この生存競争は、共喰いが基本である。弱い個体が強い個体の糧となり、≪拳虫≫の胃袋から逃れることに成功した幸運な個体が、今度は≪拳虫≫を捕食する側にまわる。この喰い合いは、個体数が一桁に達するまで続き、生き残った僅か10匹にも満たない≪鬼蜘蛛≫が、この大陸の絶対者の椅子に座ることになる。
我が子の厳選が終わるまで、親の≪鬼蜘蛛≫の包囲が解かれることはない。絶対数が減るどころか、増えているにもかかわらず、≪鉱山都市≫入口の圧力が軽減したのは、リドリーたちの急報を受けて駆けつけたG級ハンターの二人が、≪鬼蜘蛛≫をかく乱し、包囲の輪を緩めることに成功したからだ。これまで≪鉱山都市≫方向に流れていたモンスターたちが、包囲のほころびを突いて拡散する。
怒り狂った≪鬼蜘蛛≫が猛反撃に移ったが、二人のハンターは欲張らず、さっさと後退して≪鬼蜘蛛≫の怒りをいなしてしまう。そうなると包囲の輪が再び締まり、≪鉱山都市≫入口の圧力も再度上がるのだが、≪鬼蜘蛛≫の怒りが治まる絶妙なタイミングで二人のハンターが再度≪鬼蜘蛛≫に攻撃を仕掛け、包囲の輪をけして締めさせず、ゆるゆるのままにすることに成功していた。
明け方にはついに押し寄せてくる幼体は姿を消し、≪鉱山都市≫入口の防衛戦に一旦区切りがついた。たった二人のハンターが加勢に来ただけで、事態がこれほどまでに好転する。G級ハンターの実力を示す出来事だった。
防護柵の一部を取り除き、ハンターたちは5日ぶりに日の光の下へと出る。見渡してみると生存競争の混沌はいまだに収まる気配はなく、単に騒動の中心が、≪鉱山都市≫の入口から移動しただけであった。
遠くで≪鬼蜘蛛≫が、小山のような巨体で暴れまわっているのが見える。どこかから、ライトボウガンの銃声が響いてくる。
「リドだ!」
朝の空気に、カーシュナーの声が響く。獣人たちが外に飛び出してしまったため、追いかけてきたのだ。その隣にはジュザもいる。
「本当か? カーシュ君。リドリーなら昨日あたり中継拠点に到着したはずで、今ごろは疲労困憊しているはずだが…」
団長がカーシュナーに尋ねる。
「間違いないです。もし昨日リドリーたちが中継拠点に到着したのなら、昨日の内に救援が来ているはずがありません。予定よりかなり早く救援要請を届けてくれたはずです。であれば、リドが任務を達成したと言ってゆっくり休むはずがありません。最低限の体力が回復次第引き返して来るはずです」
「なるほど。確かにそうだな」
団長も、リドリーがとんでもない早さで中継拠点に辿り着いてくれたことは、予想よりもはるかに早く到着した救援で悟っていた。だからこそ、身体は極限まで酷使され、とてもではないが引き返して来るような力はないと思っていたのだ。
「今回は、あいつが一番無茶したみたいだね」
ハンナマリーの言葉に、どこかから、ファーメイのバカでかい声が風に流されカブってくる。
「あと、ファーメイもね」
カーシュナーが苦笑しながら、姉の言葉に付け足す。
「まったくだ」
ジュザも笑いながら同意する。
その時、北の空に気球が姿を現した。
「カ~シュちゃんや~い!」
ファーメイも顔負けの大声が、まだ夜の名残りを残した藍色の空から降ってくる。
「ギルドマスター!?」
これに驚いたのは、名前を呼ばれたカーシュナーではなく、団長の方だった。
上空は風の流れが速いのだろう。グングンと気球が近づいて来る。高度を下げていた気球が不意に向きを変え、暴れまわる≪鬼蜘蛛≫の上へと向かう。≪鬼蜘蛛≫は射程距離の長い攻撃を有しているので、下手に近付くのはかなり危険なのだが、ここからでは警告のしようもないので、固唾を飲んで見守るしかない。
「あっ!! 誰か飛び降りた!!」
目の良いカーシュナーが叫び声をあげる。
高度を下げたとは言え、狩場の断崖から飛び降りるよりもはるかに上空である。いくら頑丈さが売りのハンターでも限度というものがある。その高さは、冷静なカーシュナーが思わず声を上げる程の高さだったのだ。
「赤玲か!? 無茶をしおって! 全員≪鬼蜘蛛≫の討伐に向かうぞ!」
カーシュナーよりさらに目が良い団長が、投身自殺に等しいダイブを敢行したハンターに気づき、その場の全員に号令を下す。
先頭を切って走り出した団長の背中に全員が続く。途中うろついていた≪鬼蜘蛛≫の幼体と≪拳虫≫が絡んできたが、どれも一刀のもとに切伏せてしまう。
飛び降りたハンターの影が≪鬼蜘蛛≫の上に落ち、ゆっくりと拡大されていく。
影と実体が再会した瞬間――。
団長も含めた全てのハンターが足を止め、棒立ちになって目の前の光景に見入る。
赤玲は気球から≪鬼蜘蛛≫目掛けて飛び降りると、空中で抜刀し、ジャンプ斬りの要領で武器出し攻撃を≪鬼蜘蛛≫に見舞った。そして、その一刀で大陸屈指の強力モンスターの首を跳ね飛ばしてしまったのだ。
太刀のように切れ味鋭く切断するのではなく、重量を利用して断ち割る大剣の一撃を受けた≪鬼蜘蛛≫の首は、首の付け根で巨龍爆弾でも爆発したかのような勢いで宙を飛んで行く。
――大剣個人技・極み≪断頭≫
同じ竜人族の超一流ハンターである団長にも出来ない、赤玲のみが操ることが出来る大剣の秘技である。赤玲の他に、この業を使用した公式記録は、大老殿にその巨体を構える大長老が、かつてラオシャンロンの首を一刀のもとに切り落としたいう伝説があるのみである。
その後≪鬼蜘蛛≫は驚くべき生命力でしばらくの間暴れまわっていたが、そこに明確な意思はなく、滝のような勢いで流れ出ていた体液が身体から流れ出てしまうとついに動きを止め、山が崩落するかのように8本の脚が力を失い倒れた。
連れ合いを倒された≪青鬼蜘蛛≫が赤玲に的を絞って攻撃してくるが、その攻撃を全てギリギリで見切ってかわしてしまう。離れて見ていると当たっているようにしか見えないのだが、ミリ単位の見切りで、河面を流れる木の葉が水面に突き出た岩などに当たらず、その周囲に沿って流れ抜けるかのように、するりとかわしていく。
初見のモンスターを相手にこれをやってのけるのだから、赤玲の実力がハンターの枠から、はるかに突き抜けているのが良くわかる。
――ハンター個人技・極み≪一重・流れ木の葉≫(ヒトエ・ナガレコノハ)
優れた動体視力だけではなく、空気の流れ、音、においなど、五感を駆使し、気配を読む六感をも含めた予測から導き出される一瞬先の未来を、完全に支配できる身体能力があって初めて実現可能な業である。
G級ハンターの中には無意識の内に体得、使用している者が多数いる個人技であるが、赤玲レベルで体得している者はさすがにいない。超凄腕の竜人族ハンターである団長も、1センチ以下での見切りはさすがに不可能であり、普段は不測の事態を憂慮して、10センチ以上は距離を取るようにしている。
初見の強力モンスターをミリ単位の見切りで捌きながら、赤玲は巨大な脚の間をすり抜け、巨体の下をかい潜り、いつの間にか≪青鬼蜘蛛≫の側頭部付近に現れると、抜き放った大剣の腹でしたたかに殴りつける。驚いたことに、その一撃で≪青鬼蜘蛛≫は目を回し、気絶してしまった。
赤玲はそのまま”溜め”に入る。一段階、二段階、そして三段階を過ぎてもさらに力が蓄えられていく。段階で言えば七段階まで高められた力が、気絶してもがいている≪青鬼蜘蛛≫の首筋に叩き込まれる。
ほんのわずかな隙間しかない頭部と胴体の連結部に、1ミリの狂いもなく赤玲の大剣が振り下ろされ、大木が山崩れで一瞬にしてへし折られるような、圧倒的な力を感じさせる音と共に振り抜かれる。
――大剣個人技・極み≪開錠・七星門≫(カイジョウ・シチセイモン)
大剣の溜め攻撃は本来三段階までである。三段階目を超えて力を溜め続けようとしても、集めた力は拡散してしまい、威力は下がってしまう。それは自らの肉体を自らの力で傷つけないために設けられた力の流れを司る門が、肉体を守るために閉じることによって引き起こされる現象である。
この力の流れに気づき、門の存在を認識できた者が、意志の力で本能を説き伏せ、門を開錠することにより、より多くの力を引き出すことが出来る大剣秘技の秘中の秘である。引き出された力を制御するには、持って生まれた強靭な肉体を極限まで鍛え上げ、力を溜める肉体の器を広げることが重要である。
もし、引き出した力が肉体の器からあふれると、自らの力で全身の筋肉を引き千切ることになる。人間よりもはるかに優れた肉体を持つ竜人族ですら、四星門を開ける者は稀の高難度な業だ。
赤玲は、そんな高難度業である≪開錠・七星門≫を使いつつ、≪断頭≫を行うという超高難度な複合技を使ったのだ。
人知を超えた業の前に、大陸屈指の強さを誇る≪鬼蜘蛛≫のつがいは、夫婦ともに一刀で首をはねられ討伐されたのであった。
「……あんな強さがあるのか」
同じ大剣使いであるハンナマリーが、茫然とつぶやく。
カーシュナーもジュザも、離れた場所から同じ光景を目の当たりにしたリドリーも、声も出せずに目の前の光景に見入っていた。そして異口同音につぶやく。
「あそこまで行けるのか…」
その言葉を耳にした団長が思わず振り返る。
そこには好奇心と憧れを混ぜ合わせた興奮に、頬を上気させた顔があった。
正直、団長には自分と赤玲の実力差の距離を測る感覚はない。自分と赤玲の間には、努力では越えられない高い壁の存在が感じられるだけだった。しかし、カーシュナーたちは、赤玲と自分たちとの距離を認識し、そのはるかな距離に驚嘆し、素直に憧れていた。そして、赤玲のいる場所まで行こうとする明確な意志を、ごく当たり前に持っている。
自分が追いかけることを諦めた背中を、嬉しそうに追いかけようとする若きハンターを前にし、団長は泣きながら大笑いした。当の昔に忘れたと思っていた悔しさが、いまも自分の中にあることを見つけてしまったからだ。
「…ボクも強くなりたい」
カーシュナーが無意識にこぼした言葉に、団長も大きくうなずく。
≪鉱山都市≫を包囲した超大量発生による危機は、赤玲によって、ものの1分もかからずに収束されたのであった。