全ての始まりは、4年前の悲劇からだった…。
シュレイド地方の南東。人類の生活圏の遥か外の大海原で、星のめぐりを変える程の規模の、海底大地震が発生した。その激震は津波を呼び、大陸沿岸部を襲った。また、海底だけでなく、大陸各地の火山帯の起爆剤ともなり、止まぬ噴煙が陽光を遮り、降り続く灰が、人々の身体を痛めた。
そして、何よりも深刻な打撃を世界に与えたのは、海流の変化だった。それにより、今まではぶつかることのなっかた海流同士が衝突し、暖流と寒流によって運ばれた大気もぶつかり合うことになった。結果、かき乱された大気が止むことのない嵐となり、世界中を暴れまわった。空はどこも厚い雲に覆われ、陽の光の届かない大地は急速に熱を失い、世界は氷河期に突入するかに思えた。
北方や高地に暮らしていた人々は、大雪に閉ざされた故郷から追われ、津波の被害から逃れた人々も、嵐に逆巻く波に追われ、移動を余儀なくされた。火山帯周辺の住民も、止まぬ噴火と火山性地震、降り続ける灰から逃れるために家を捨てた。大河に寄り添い生活していた多くの人々は、洪水に呑まれた街をただ茫然と見つめ、途方に暮れていた。
誰もが希望を失いかけた時、奇跡が起きた。
それは決して救済ではなかった。それは凶暴なまでの力の怒りであった。多くの災害は人類だけに襲い掛かった訳ではない。当然この世界に生きる全ての生命の上に襲い掛かってきた。
━━モンスターの上にも。
モンスターの中には天候をも操る力を持った存在がいた。彼らは、自らに従わずに猛り狂う自然に対し、怒り、逆らう自然を力でねじ伏せた。それが結果的に世界を救うことになったのだ。
空を覆い尽くしていた黒雲が割れ、陽の光が再び地上を照らした。発生し続けていた嵐も収束し、豪雨が、豪雪が降り止み、海に穏やかさが訪れた。噴火活動も収まり、地震と火山灰の被害も収まった。人々はそれぞれの生活圏に戻り、故郷の再建に着手した。
それから再建の日々が続く中、まるで幽霊船にしか見えない程傷ついた一隻の撃龍船が、とある港に現れた。
当時、多くの船が津波の被害を受け、ほとんどの船が応急処置を施しただけの姿で港を出入りしていたので、誰も気に留めなかった。しかし、この船がもたらした情報が、人類に新たな世界を開いた。
東西シュレイド王国が版図を記す大陸の南には、不機嫌な大洋が広がっていた。南から北へ向かって流れる海流は強く、南へ行くほど天候は荒れ、縄張り意識の強い海竜が多く生息していた。
終わりのない夢を持つ冒険者や船乗りたちが幾人もこの不機嫌な海の先に新大陸を発見しようと船を漕ぎ出したが、そのほとんどが悪天候と荒れる波間に呑まれ、どうにか嵐を抜けても、縄張りを護る海竜に沈められて港に帰ることはなかった。
また、調査の足掛かりとなるような島もないため、南の海の探索はなかなか進まず、大陸沿岸沿いの比較的安全な航路が開かれてからは通商や人の行き来に支障が生じなくなったため、人々の意識の中から『南の海の先』は消え去り、本腰を入れての調査は行われなくなっていた。
そんな中、傷ついた一隻の撃龍船は、誰も辿り着くことのなかった『南の海の先』から帰ってきたのだ。
世界が、大激震の苦痛にのたうち荒れ狂っていた時、この撃龍船は不幸にも、南の海を航海していた。大陸沿岸に沿って進む通常の航路からそれ、波と風に恵まれれば3日は日程を短縮出来る南の海を一直線に横切るルートをとっていたのだ。海竜に襲われる危険性が高いルートのため、好んで使う船乗りは少ないが、速足自慢の船乗りは、必要とあらば少しも恐れず航行した。
船乗りの中でも屈指の実力を誇る竜人族の女船長チヅルは、この南の海を横断するルートを好んで使っていた。周囲から止められていなかったら、一か八かの賭けになっても『南の海の先』を求めて航海の旅に出ていたはずの、今では絶えて久しい終わらない夢の持ち主だった。心中覚悟でともに航海に出てくれる船乗りたちがいたら、周囲の言葉など聞かず、飛び出していただろう。しかし、残念なことに、これまでの不幸な実績が、他の船乗りたちの冒険心を曇らせていたため、チヅルの呼びかけに答えるものはいなかった。
南の海の横断は、そんなチヅルの未練でもあったのだ。
だが、その未練が、チヅルを『南の海の先』へと運ぶことになった。
海底大地震による津波の影響は沖合の方が小さかった。津波は沿岸に向かいながら、海底の地形の影響を受けて巨大化して行くからだ。海底大地震発生から津波の到達まではかなりのタイムラグがあり、家族を心配した一部の水夫が港に戻りたがったが、港に着く寸前に津波に追いつかれたら、いかな撃龍船といえども耐えることは出来ないこと、何より津波の規模が予測不可能な規模になることなどから判断し、このまま海原で待機し、巨大化する前の津波をやり過ごすことにした。
そして、波が来た。
それは、影響が小さいはずの沖合で、経験豊富な船乗りたちが顔面を蒼白にし、茫然と立ち尽くすほどの規模の波だった。
モンスターの咆哮が、どれ程狩猟を重ねたハンターでも、体の硬直から逃れられないように、本能の根底を揺るがす恐怖は、人の心を縛る。
巨大な波を前にした水夫の多くが恐怖にすくみ、混乱に支配され、津波から逃れようと船を回頭させようとした。
その時、船長のチヅルが大きく手を打ち合わせた。津波の唸りが不気味に響く中、その音は不思議とよく通り、混乱の中にある水夫たちの視線を瞬時に集めた。次の瞬間指示が飛ぶ。
「波に船首を向けるの~。舷側とか船尾を波に向けたら、呑まれちゃうんだよ~」
この気の抜けるような指示が、水夫たちに日常の空気を思い出させ、津波の恐怖を払い、混乱を鎮める。
「逃げ道はないよ~。真っ直ぐ、波を切るしか方法はないんだから~。みんな覚悟決めちゃって~」
混乱が去った船上が機能し始める。元来が優秀な腕の立つ船乗りばかりが集まった船である。恐怖でいまだに青ざめていようとも、その働きは確かだ。
撃龍船が最初の波に乗り、波頭を撃龍槍を備えた船首が切り裂く。あまりにも波が高く、撃龍船が波頭に届く時には船は垂直近くまで傾き、そのまま転覆して波に呑まれるかと誰もが思っていた時、チヅルは舵輪にぶら下がりながら、沿岸からはるか遠いこの沖合で、これ程の規模の波が岸に辿り着く時、沿岸部に及ぼす被害がどれ程のものになるのか考え、波飛沫に濡れた体を震わせていた。自身の死など微塵も考えておらず、大波に揉まれている中、本能的にこの波を越えられると悟っているのだ。
事実撃龍船は波頭を割り、巨大な波の山を越えた。その後も波の山が次々と押し寄せて来たが、始めの波を越えるほどの規模の波は現れず、チヅルの操る撃龍船はなんとか海底大地震の影響による津波被害から逃れることに成功した。
当面の命の危機を脱した水夫たちが、安堵のあまりへたり込む。しかし、チヅルただ一人が、目の前に広がる海原に現れた波とは違ううねりを認め、表情を曇らせた。
大波を前にしても揺るがなかったチヅルの平常心が、呼吸と共に乱れる。勘働きのいいチヅルには、うねりの正体はわからなくとも、それが自分の手に余るものであることが感じられるのだ。
チヅルは空を見上げた。甲板にいた他の船員たちもみな空をふり仰ぐ。不意に陽が翳ったように思えたからだ。だがそこに、太陽の光を遮るような雲はなく、肌を焼く日差しは少しも変わらず降り注いでいた。にもかかわらず、影にのまれた感覚が消えない。
チヅルは舵輪を甲板長に任せると手すりに駆け寄り、海を覗き込んだ。
全身に鳥肌が立ち、産毛が逆立つ。
船の真下。巨大な撃龍船をはるかに上回る黒い影が、そこに有る。
周囲に目を転じると、先程チヅルの表情を曇らせたうねりの真下にも同様の影が確認できた。
船首へ、左右の舷側へ、最後は船尾に走り海を確認する。船長の異常とも取れる行動に、船には再び不安が広がり始める。
チヅルの撃龍船は、視界が届く限りの海面を、うねりと影に囲まれていた。
「あ、あの、船長…」
不安に耐えかねた水夫の一人が、チヅルに声を掛けようとするが、目も向けずに手振りで黙らせる。
海面を覗き込むチヅルの頬を、一滴の冷汗が伝い、落ちる。
その汗が海面を打った瞬間、それを合図としたかのように、海面が爆発した。
見渡す限りの海面に、ナバルデウス級の超巨大水生モンスターが躍り上がり、落下して水面を打つ。船の真下にあった影も蠢き、チヅルの撃龍船を弾き飛ばすようにして海中から水面を割って跳ね上がり、巨大な2本の角を持つ黄金の巨体で大きな弧を描いて撃龍船を飛び越すと、再びその身を海に投げ出した。
先程の大波とは違う上下左右から襲い掛かる波に、もはや誰も、何もすることも出来ず、周囲で跳ね狂っている山ほどもある巨体が船に叩きつけられないことを祈るしかなかった。
どれほど待ったかチヅルにはわからなかった。船を叩き潰されるような、直接的な恐怖よりも、周囲を埋め尽くすモンスターたちが発する狂の氣が大気を満たし、精神を圧迫してくることの方が恐ろしく、心が麻痺してしまったからだ。
チヅルが我に返った時には周囲のモンスターたちは静まり、大気に充満していた狂気もわずかながら薄まっていた。しばらく放心していると、頬に風を感じ始めた。思わず風の流れに目を向ける。
船は走っていた。流れに乗って━━。
船の周囲を取り巻く超巨大モンスターたちが、一斉に移動を始めたのだ。
山ほどもある巨体を持ったモンスターの群れが生み出す力は自然現象に匹敵した。その移動は強い海流となり、チヅルたちの乗る船を軽々と運んだ。
「船長。俺たちこれからどうなるんすかね…」
甲板長が放心状態のまま尋ねてくる。そこらじゅうアザだらけで、おでこに大きなコブを作っているが、骨折などの重傷は負っていないようだ。
舵輪を確かめ、舵が効かないことを確認すると、チヅルは大きく肩をすくめて答えた。
「わかんな~い。まずは~。みんなのケガの具合を確認して~。それから~。帆をたたもっか~」
「あの、なんで帆をたたむんです?」
「舵が効かないから~。操船できないじゃ~ん。帆を張ってると~。風に流されちゃったときに~。近くを泳いでいるモンスターにぶつかるし~。そしたら~。みんな死んじゃうじゃ~ん?」
この言葉に甲板長は周囲を見回し、超巨大モンスターの群れの中にいる現実を再確認して、気絶した。
大の字に倒れている甲板長に大きなため息を吐くと、チヅルは情け容赦なく甲板長の股間を蹴り飛ばして起こした。
「もう~。玉袋さおの助持っているなら~。ちゃんとしてよね~」
「せ、船長…。た、玉は、勘弁し、てくだ、さい…」
「2個あるんだからいいじゃ~ん。それより~。早くみんなの~。ケガの状況確認してよね~」
「せ、船長…。個数の問題じゃ…」
もがく甲板長を無視して、チヅルは近くにいる水夫たちに声を掛けて回る。倒れていた者たちは甲板長の二の舞は御免とばかりに跳ね起き、股間を蹴り起こされるのを回避した。
確認が済むと、周囲の状況とは裏腹に、重傷者は一人もなく、起き上がれずにいるのは甲板長ただ一人ということがわかった。正直この状況で命に関わるような負傷を負っていたら、まず助からなかっただろう。
その他の被害状況の確認が済むと、チヅルは船員たちを全員甲板に集め、今後の対応を指示した。舵が壊れており、操船できないためモンスターたちが生み出す海流に乗り、このまま進むしかないこと、流れから外れてモンスターに接触すると、それが攻撃でなくても船体がもたないだろうこと、水、食料ともに無事だったが、これから先の状況が全く読めないため、節約が必要なこと等を指示し、各員を持ち場に戻した。
誰の顔も絶望を浮かべる中、チヅルだけが笑顔でいた。乗組員たちはそれを自分たちを元気づけるためのものと解釈していたが、事実、チヅルは嬉しくて笑っていたのだ。
傷ついた撃龍船が、真っ直ぐ『南の海の先』へと向かっていたからだ。
チヅルを除いた全乗組員の不幸と引き換えに、船は順調に南へと流されていた。
ナバルデウスを含む超巨大水生モンスターの群れは、ひと時も休むことなく、ひたすら南に向かって進んでいた。チヅルの乗る撃龍船は、このモンスターの群れが進む際に発生する海流に流されている。脱出しようにも舵が効かない上に周囲をモンスターに囲まれているため、身動きできずに漂流している状況だ。
心配されていた水と食料だが、適度な雨に恵まれ、壺やタル、水を溜めれるものなら回復薬の空き瓶まで全て使って溜めたおかげで、航海用に積み込んだ元々の水量以上に確保でき、食料に関しては、今回の積み荷がたまたま元気ドリンコなどの回復系アイテムだったことと、大型の魚からの捕食を避けるために周囲の超巨大モンスターの影に集まった小型の魚の群れを釣り上げることで十分に補えていた。
本来なら警戒が必要な水生モンスターも、周囲を取り巻く超巨大モンスターのおかげでルドロス一匹見かけていない。
危機的状況の中にあるのだが、実はやれることと言えば食料確保の釣りくらいで、それも天敵がいないせいか竿をたらせばすぐ釣れる入れ食い状態の為、当初は大いに盛り上がったが、作業的になってしまってからは1日の目標釣果を設定し、それ以上釣ることはやめていた。
極度の緊張を強いられた後に切られた緊張の糸を再び結ぶのは難しく、水夫の誰もが腑抜けた状態に陥っていた。そんな中、チヅル一人が活動的に船上を飛び回っていた。
船の速度を細かく記録し、昼は太陽、夜は星を頼りに、速度と合わせて現在位置を割り出して航路図を作成した。島影を確認した時には、発見の歓喜と調査できないもどかしさに同時に襲われ、島に向かって雄たけびを上げたため、周囲の超巨大モンスターが反応しないように水夫たちから取り押さえられたりもしていた。
この恐ろしいほどの前向きな姿勢が、腑抜けた水夫たちの気力を呼び戻し、この南下を漂流と捉えるのではなく、これまでどれ程優秀な船乗りを持ってしても叶わなかった『南の海の先』を調べる航海なのだと考え、身体を動かし、頭を働かせて各自が行動するようになった。
最初の島影を発見してからは、左右に大小様々な島が姿を現し、これまでの南の海にはただ海原が広がっているだけという常識を覆した。これらの島々を拠点とすることが出来れば、南の海の調査を一気に進めることが出来るだろう。
チヅルの撃龍船はついに赤道にさしかかり、強烈な日差しにさらされた。日差しを遮るものもなく、雨のない苦しい日々が続いたが、チヅルの竜人族特有の豊富な知識と正確な判断で乗り切った。その際、事前に溜め込んでおいた水がおおいに役立ち、体調を崩す者は一人も出なかった。
救助はもとより、周囲を超巨大モンスターに囲まれて船の進路すら選べない絶望的な状況であるにもかかわらず、人的な被害は打撲程度しかない。おまけに心配されていた水と食料は減るどころかむしろ航海初日よりも増えている。ここまで来ると誰もが思い始めた。自分たちは、いや、正確には船長のチヅルが『南の海の先』へ導かれているのではないかと━━。
甲板長がその考えをチヅルに話すと、
「それはない」
と、いつもの間延びした口調ではなく、そっけなく返されてしまった。
「みんな夢見ちゃだめよ~。現実的に行動してよね~」
誰よりも『南の海の先』を夢見ていた者の言葉とは思えない発言に、甲板長を筆頭に水夫全員の「ええぇぇーーー!!」の声が響いた。
「幸運には感謝するけど~。あてにした瞬間から逃げて行くんだからね~。みんな不幸に備えるんだよ~」
何気に厳しいことを笑顔で言う。そこに希望的観測はない。あるのは現実に適切に対処し、必ず生きて戻るという固い意志だった。その中には、乗組員全員の命も含まれている。
何よりも望んだ夢の中にありながら、船長としての現実の責任に重きを置いているチヅルの態度に、水夫たちは改めてチヅルの度量に惚れ直した。元々がチヅルの船乗りとしての実力に惚れ込んで集まった男たちである。全員が、命に代えてもチヅルを無事に北の大陸に送り届けることを腹に決めた。
さらに南下を続ける中、チヅルたちは多くの超自然現象に遭遇した。しかも、その全てがチヅルたちに有利に働いていた。世界中に嵐が襲い掛かっている中、チヅルたちの行く先々でも嵐が発生し、荒れ狂った。だが、それ以上に怒り狂っているモンスターによって力ずくでねじ伏せられ、結果としてチヅルたちを嵐の暴威から守ってくれた。そして僅かに残った雲からは、まるでチヅルたちに水分を補給するかのような雨を降らせては風の中に溶けて行った。
海も波高く荒れ狂っていたのだが、周囲を囲む超巨大モンスターたちの壁に阻まれ、チヅルたちの撃龍船を脅かすことはなかった。
黒々と空を覆っていた雷雲が弾け飛ぶように消失し、小山のような無数の波が、砂の山を払うように消えていく様を遠くに見て、チヅルを含めた全員が、改めてモンスターの力に畏敬の念を抱いた。
モンスターたちに導かれるように南下を続けているうちに、状況が少しづつ変化し始めた。
空を嵐の黒雲が覆い続けたために低下していた気温が、モンスターによってあらかた消されると徐々に温かさが回復し、遠目からもはっきり確認できていた波の山もいつのまにかなくなり、海は平穏を取り戻していた。
周囲を囲んでいたモンスターの群れも徐々に数を減らし、チヅルたちを強制的に運んでいた海流もその力を失いつつあった。
そして、不意に静寂が訪れ、モンスターも海流も消え去り、チヅルたちは未知の海原に取り残された。
不意に訪れた静寂に誰もが戸惑う中、チヅルはメインマストの頂きに上ると自慢の望遠鏡を取り出し、四方の様子を注意深く観察した。優れた視力と、竜人族の技術が注がれた高性能望遠鏡の力が合わさり、チヅルの目は海原の先に細い線のような影を確認した。点ではない、線を。
チヅルはほとんど落ちるような勢いでメインマストを滑り降りると、不安気に自分を見つめる水夫たちに極上の笑顔を向けた。
「陸~。陸があったの~。島じゃないよ~。陸なの~。チ~ちゃん超うれしい~」
チヅルは一人一人抱きしめながら喜びを爆発させた。見た目はスラリとしているが、船を護るためにハンターも務めるチヅルは竜人族ということも相まって、かなりの怪力の持ち主であった。抱きしめられた水夫たちが残らず悲鳴を上げたがおかまいなしに抱きしめて回り、最後に残った甲板長を、熊の背骨折り程の勢いで締めつけた。
哀れな甲板長は悲鳴すら上げられずにアワを吹いて気絶し、大の字にのびてしまった。
「情けないなぁ~。君は~」
チヅルはそう言って笑いながら、大の字にのびている甲板長の股間を容赦なく蹴り上げて起こした。
「ハウッ!!」
甲板長は小さく呻くとクンチュウのように小さく丸くなり、ゴロゴロともがき苦しんだ。
「だ、だから、せ、船長…。股間は、やめ、て…」
もがきながら抗議する甲板長を見て、チヅルがゲラゲラ笑う。陸地発見の興奮のせいでハイテンションになっているためツボにハマったらしい。
そんなチヅルを見て、甲板長の痛みを理解できる水夫たちは、この痛みを知らない女性の無邪気な恐ろしさに震え上がるとともに、甲板長に心の中で深く深く同情したのであった。
周囲の超巨大モンスターがいなくなったので、泳ぎ達者な水夫が海に潜り、船体と舵の破損状況を調べて回った。船体は巨大な波にもまれた割にはさしたる損傷はなかったが、舵は舵輪の操作を舵へと伝えるパーツとの接続部分が破損していた。
応急処置として舵を固定すると、チヅルは風を読んで巧みに帆を操り、発見した陸地目指して撃龍船を進めた。
望遠鏡なしでも目の良い者には陸地が遠望できるようになったころ、風が凪いだが、陸を前にした水夫たちは、緩い風でのろのろと進むことにいら立っていたので、率先して櫂を繰り出すと、全力で漕ぎ進めていった。
陸の地形を見ながら何度か軌道修正し、チヅルは手近な入り江に船を着けた。
そこは密林に似た植生を持つ土地だった。本来なら美しい姿を持つであろうその土地は、海底大地震の影響で発生した大嵐の影響で、多くの樹木が倒れ、浜には一度は海に飛ばされた多くの枝葉が波に運ばれ流れ着いていた。
途方もない力に蹂躙された大地を目の当たりにした船乗りたちは、誰もが言葉をなくし、ただ茫然とその様に見入った。チヅルも例外ではなく、まるでラオシャンロンが荒れ狂ったかのような惨状を見て、改めて今回の災害の規模に背筋を寒くし、故郷の家族の無事を心配した。
気は晴れなかったが、いつまでも呆けてばかりもいられないと、チヅルは気合を入れると周辺探索を行うことにした。入り江は比較的狭く浅い地形をしており、大型モンスターの心配はいらないが、小型の水生獣などが潜んでいる可能性があるので、上陸前に徹底的に周辺水域の調査を行うことにした。
嵐の名残で濁った海と漂うゴミのため、船上からは小型モンスターを確認することが出来ないため、チヅルは持てる限りの酸素玉と増息薬を持つと、ハンターではないが、ハンター以上の水中活動能力を持つ甲板長と二人の水夫を引き連れ、海に飛び込んだ。水の濁りは水没林を少し濃くした程度だったので、チヅルは十分調査可能と判断し、他の三人に合図を送った。そして偵察に甲板長と二人の水夫が船の左右に散るのを確認すると、チヅルは水深が深くなる入り江の入口へと向かった。
設備もなく撃龍船を陸に上げるのは不可能なので、舵の修理は水中で行うしかない。船員たちを降ろしてからモンスターに襲われましたでは船長失格なので、チヅルは時間をかけてじっくりと海底を調べて行った。
本来は太刀使いであるチヅルは、愛用の『天雷斬破刀・真打』は持たず、抜刀状態でも道具が使える片手剣『冥剣エントラル』を装備し、潜ていた。海底は嵐の影響も大きいのだろうが、かなりの砂や泥が堆積しており、チャナガブルのように海底に潜る性質を持つモンスターや大型の肉食魚類が潜んでいる可能性が高いので、チヅルは音爆弾をいつでも取り出せるようにしながら、狩猟で培った感覚で、何かが潜んでいそうなふくらみを見つけると、切れ味が鈍るのも構わず、『冥剣エントラル』を突き刺して行った。
大抵がエイのような大型の肉食魚類だったため、最高級の片手剣である『冥剣エントラル』の一撃で息絶えてしまった。無駄な殺生を嫌うチヅルは、荷物になるが仕留めた肉食魚類を食料として持ち帰るため、丈夫な縄付きの鉤に引っ掛けて腰に括り付け、引きながら調査を続けた。
海底を突きながら入り江の口に近付いていくと、不意に肌に触れる水が変わった。
まるで水の重みが増したような、あるいは水温が下がったような、不快で緊張を強いるような水に…。
濁った海水を押し退けるようにして、大きな影が近づいて来る。
チヅルは一瞬魚竜種のモンスターかと思った。しかし近づいて来る影のシルエットが、その正体をチヅルに明かした。
大きく左右に張り出した目を持つ独特の頭部は間違いなくハンマーヘッドタイプのサメだった。しかも20メートルは遥かに超える巨大ザメだ。
ハンターにとってサメは、魚の一種であり、けして油断は出来ないがモンスターという感覚ではない。その証拠に2メートルを越えるようなサメを漁師が平気で捕らえてくる。しかしチヅルの前に現れたこのサメは、間違いなくモンスターの領域にいる。
サメは大きくなりすぎると泳ぐ速度が鈍るため、大抵は海竜種に捕食されてしまう。目の前に現れたハンマーヘッドシャークのように20メートルを超えることなどない。しかし、現に目の前にいる。つまり今目の前にいる個体は、自然が定めた摂理を越えた強者ということだ。
チヅルは目の前の個体をサメと侮らず、飛竜と同等のものとして捉えた。油断はしない。しかし、チヅルにはある考えがあった。
ハンマーヘッドシャークは本来外洋に生息している。しかもサメには珍しく、ランポスなどのように群れで生活する習性を持っている。目の前にいる個体のように、単独で、しかもこれ程陸に近い場所にいることはない。
おそらく荒れ狂う波に連れ去られて、ここまで迷い来たのだろう。濁りで確認できないが、波にもまれて海底などに打ちつけられ、ダメージを負っているはずだ。でなければ、海の怒りが収まった今、本来の生息区域に戻らず、いつまでもこんな陸に近い浅い海にいるはずがない。
チヅルはハンマーヘッドシャークに出会ったほんの一瞬の間に、そこまで推測していた。水夫たちが心酔する海洋に関する豊富な知識と判断力のなせる業だ。
飛竜たちがある一定以上のダメージを負ったとき体力を回復するために捕食することがある。このハンマーヘッドシャークもおそらくダメージの回復を図るために獲物を探していたのだろう。サメは鼻が良い。チヅルが仕留めた肉食魚類から流れ出た血の臭いをたどって来たに違いない。
時がたてば外洋に帰る保証はないので、チヅルはやむなくこのハンマーヘッドシャークを狩ることにした。
チヅルの推測が正しければ、このハンマーヘッドシャークは捕食することで頭がいっぱいになっているはずだ。これを利用し、隙を作る。
チヅルは腰に括り付けておいた縄を引き寄せると、鉤に掛けておいた肉食魚類を外し、ハンマーヘッドシャークの方に押し流してやった。
案の定ハンマーヘッドシャークは肉食魚類に喰らいつき、首を激しく振りながら獲物の肉を食いちぎっては飲み込み始めた。チヅルはスーッと近づき、この巨大なハンマーヘッドシャークを観察した。油断するつもりはないが、これまで見たこともないモンスタークラスの巨大ザメに対する好奇心がチヅルの攻撃の手を止めたのだ。
近づいて細部まで確認出来るようになると、チヅルは改めて気を引き締めた。それは太古の昔からその姿を変えることのなかったサメが、想像をはるかに超えて進化していたからだ。
体全体を甲殻と鱗が覆っている。それはガノトトスではなく、明らかにリオレウスなどの飛竜種を思わせる攻撃的な形状をしていた。それでいて泳ぎを阻害しないように尾びれ付近はゲリョスのゴム質の皮のように変化している。それらは逃げるのではなく、明らかに戦い勝ち取るための進化だった。
チヅルは場違いな興奮に震えた。
それでいて冷静な頭は、チヅルの推測を裏付ける証拠を確認していた。
全身を覆う甲殻や鱗の多くがひび割れ、剥がれ落ちている箇所が見受けられる。チヅルの推測通り、このハンマーヘッドシャークは嵐の海にもまれて幾度となく海底や障害物に叩きつけられ、大きなダメージを負っていたのだ。おそらく全身を覆う甲殻や鱗がなければ、今自分で噛み千切っている肉食魚類の肉片よりも細かく砕かれ、小魚のエサになっていただろう。
観察を済ませたチヅルは、自分には目もくれずに肉食魚類をむさぼり食っているハンマーヘッドシャークの鱗を伝いながら、エラに取り付いた。進化し、甲殻に覆われたこのサメの唯一にして最大の弱点がここだ。エラの内側は無防備だった。20メートルを超えると、2メートルにも満たない人間は、このサメにとって敵という認識ではないのだろう。まして人類未踏の海の外洋に住むため、当然人間と争ったことなどない。人の知恵が生み出す破壊力を知らないのだ。
チヅルは念のため酸素玉を使ってから『冥剣エントラル』を大きく振りかぶると、一気にエラの奥へと突き刺した。
研ぎ澄まされた刃が肉を切り裂き、秘められたイカヅチが雷光を発しながら焼く。
チヅルは刃を外側に向けると切り払うように引き抜く。エラを護っていた甲殻と鱗がはじけ飛ぶ。
外部からの攻撃から幾度となく護ってきた強靭な甲殻と鱗が、皮肉なことに内側から破壊される。対人を考慮に入れることなく進化した唯一の隙をついた攻撃が、一撃で部位破壊を成功させる。最高級クラスではあるが、一撃の威力に劣る片手剣で、未知の初見のモンスターの部位破壊を達成する。チヅルのハンターとしての実力が垣間見える一撃だ。
人間に例えるなら、片方の肺を潰されたことになるハンマーヘッドシャークが苦痛に身悶える。チヅルは素早くハンマーヘッドシャークの脇腹を蹴ると間合いをとって身構えた。
ハンマーヘッドシャークは苦痛から逃れるように海面に躍り上がると、大量の血をまき散らして再び海中に沈む。この瞬間を息継ぎのために浮上していた甲板長と二人の水夫が目撃し、慌てて溺れるように撃龍船に避難した。
撃龍船の船尾に水夫たちが集まり、ハンマーヘッドシャークが沈んだ場所を見守る。海に戻ったハンマーヘッドシャークは、自身から流れる血と濁りをかき乱して暴れた。その中から時折雷光が閃き、船尾から水中を見守る水夫たちに戦闘の様子を知らせる。勇気ある幾人かの水夫たちが漁獲モリを手に飛び込もうとしたのを甲板長が止める。
「馬鹿野郎! 足手まといになりてぇのか! 引っ込んでろ!」
怒鳴りながら甲板長にある考えが閃く。
「野郎ども! 船を回せ! 左舷を入り江の口に向けろ!」
甲板長の指示に従い、水夫たちが櫂を操って船の向きを変える。甲板長は戦闘の影を片目で追いながら左舷に走るとバリスタに取り付いた。
「誰かバリスタ用拘束弾持って来い!」
すぐそばにいた水夫が素早く船内に走る。
船が旋回を終える前に、船内に走った水夫は驚異的な速さで目的の物を回収すると引き返し、甲板長に手渡した。
甲板長は素早くバリスタ用拘束弾を装填すると射角を海面の少し上に調整した。
「もう一度飛び出しやがれ、化け物サメめ! ふん捕まえてやる!」
「船長に当てないで下さいよ!」
「誰が当てるか! 万が一当ててみろ! キンタマ蹴り上げられるどころか踏みつぶされちまうだろうが!」
「…確かに」
緊張をほぐすための無駄口を叩いていると海面が盛り上がり、次の瞬間海面が割れると特徴的な頭部が現れ、巨体が宙に踊る。甲板長は僅かに軌道修正すると迷わず引き金を引いた。
ジエン、ダレンのダブルモーランですら簡単には引きちぎれないワイヤー付の拘束弾が空中を走り、ハンマーヘッドシャークの腹部を見事に捉えた。周囲の水夫たちから歓声が上がる。
動きを制御されて混乱したのか、ハンマーヘッドシャークはめちゃくちゃに暴れまわった。だが、強靭なワイヤーはびくともせずにハンマーヘッドシャークを拘束し続けた。
「いい仕事したの~」
少し離れた水面から顔を出したチヅルが手を振る。そして再び海中に姿を消すと、チヅルと思しき影がハンマーヘッドシャークへと向かう。
その後数度雷光が閃き、のたうち回る影が動きを止めると海面いっぱいに血が広がった。血の海の中からチヅルが顔を出し、笑顔で手を振る。
本人にはわからないだろうが、血まみれ状態で晴れやかに微笑まれても怖いだけである。チヅルの壮絶な笑顔を見て甲板長は呟いた。
「船長に逆らうつもりなんかはなっからねけどよ。怒らせるのだけは絶対にしたくねぇな…」
この呟きに水夫全員が頷く。
「みんな~。討伐したから引き上げるの手伝って~」
「喜んで!!」
いつも以上にきびきび働く水夫たちを不審に思いながら、チヅルは返り血を洗い流すためにその場を離れた。
入り江の安全が確保されると、船上に少数の留守番を残してチヅルたちは上陸した。ハンマーヘッドシャークとの戦闘で体力を消耗しているはずのチヅルだが、テンション高く誰よりも働いた。
水の中の探索が終われば、次は陸だ。
嵐と津波に洗われたせいか、入り江の周囲に生き物の姿はなく、安全ではあるのだが、未知のモンスターを期待していたチヅルは肩を落とした。そんなチヅルに、目を輝かせた船医が声をかける。この撃龍船に乗るチヅル以外の唯一の竜人族で、人間の老人程の年齢でも若者にしか見えない竜人族にしては珍しく、実年齢も二十歳を僅かに過ぎたばかりの青年だ。
「船長! これを見てください!」
そう言って若い船医は手にした草の束を差し出した。
「…薬草かな~? どうしたの~?」
「すぐ近くで採取したんです! そしてこっちも見てください!」
もう片方の手に握っていた薬草を差し出す。こちらは先程の薬草と比べると一回り程こぶりだ。
「見比べてください! 小さい方は船のプランターで栽培していたものなんですが、大きさが全然違うんです!」
「よく似た別の品種じゃないの~?」
「いいえ! まったく同じ品種とは言いませんが、系統は同じだと思います! もし花が咲けば交配して種を得ることが出来るくらいに近い品種です!」
「世界の裏側ほど離れた場所で~。同じものを見るとはね~。がっかりだよ~」
「同じじゃありませんよ! 早速薬効を調べてみたんです! なんと驚いたことに、その回復量が薬草単体で、回復薬に匹敵するほどあるんです!」
これにはハンターでもあるチヅルも食いついた。
「うそ~。ありえないよ~。どうやって調べたの~」
「ケガをしていた水夫たちに食べさせました」
「ちょっと~!! うちの子たちで実験しないでよ~!」
「大丈夫です! まず最初に自分の腕を切って試しましたから!」
「やだ! キモイ! 引くぅ~」
チヅルの発言にいくらか傷つきながらも、船医はめげずに続ける。
「それ以外の全ての植物を見てください! 基本的に全て大きいんですよ!」
「ど~ゆ~こと~? おとぎ話の巨人の国~?」
「違います! 実験してみないと断言出来ませんが、おそらく大地の栄養価が、僕らの住む大陸よりもかなり高いのではないかと思います!」
「つまり~。いっぱい食べて~。大きく育った感じ~?」
「表現の仕方に若干引っかかりますけど、そうです! ここは豊穣の大地なんです!」
「おお~! 大発見じゃ~ん!」
今一つ事の重要性を理解していない感じの歓声をチヅルが上げ、船医は小さく肩を落とした。
その後再度海に潜って貝類などの採取を行った。結果は船医の仮説を裏付けるような大物ばかりが採取でき、大地から溶け出した栄養分が海を豊かにしているのだろうと結論付けた。
その夜は、採取した山菜や魚介類をふんだんに使い、アイルーの料理長が腕を振るっての大宴会となった。討伐したハンマーヘッドシャークは特徴的な頭部を防腐処理して宴の真ん中に飾り、甲殻や鱗などの素材を採取すると半分を食用に取り分け、残りは命に感謝を込めて海に還した。
甲板長はバリスタ用拘束弾の腕をチヅルに褒められ、周囲の水夫たちからも褒めそやされておおいに浮かれ、まだろくに飲んでもいないのに裸踊りを披露してチヅルに蹴り上げられていた。
誰もが浮かれ、芸達者な水夫が一芸を披露し、仲間たちを笑いに誘う。誰よりも大きな声でチヅルが笑い、隣りに座る白い毛むくじゃらの巨人の背中をバシバシと叩いてはしゃいでいた。
……隣りに座る白い毛むくじゃらの巨人?
その場にいたチヅル以外の全員が驚愕のあまり一瞬凍りつき、次の瞬間飛び上がって逃げ出した。
それはまるで純白のアイルーを2メートルをはるかに上回る巨体に引き延ばした様な姿をしていた。それを見た料理長のアイルーが声を震わせながら叫んだ。
「か、神様にゃあーーーー!!!!」
「マジでぇぇぇえ!!!」
アイルーの叫びを追いかけるように、水夫たちの絶叫が響く。
まるでその声に応えるかのようにチヅルの隣りに座る白い毛むくじゃらの巨人は軽く片手を上げ、
「よっ!」
と、言った。