冒険者代用品   作:小名掘 天牙

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第参話 迎え酒と同じ発想

 海鶴魔獣鉱脈から八犬館に続く道はゆるゆるとした坂道で、丁度講義終わりらしい学生の人達の影が長く伸びて、仲睦まじく細い下校路を満たしていた。

 そんな裏路地を、國臣くんを伴ってテクテクと流れに逆らっていると、時折國臣くんの容姿に気付いた何人かの学生がかなり興味ありげにこっちを振り返って来る。國臣くんもそれに気付くと、まめ(・・)なことに都度蠱惑的な流し目を送ったり、わざとらしく腰をくねらせたりと”その気にさせる”所作を取っては、ただの興味だったはずの視線に火を点けては熱を昂らせて遊んでいる。まさか、この学生の子達も國臣くんが師範の人達の“お得意様”だなんて思わないよなあ。しかも、“穴”の方。まあ、それはそれとして、

 

「國臣くん」

 

「なんじゃ?」

 

「粉掛けるのは別にいいんだけど、今ひ掛けちゃってもいいの?」

 

「む?」

 

ぼくの問いかけに、國臣くんは蠱惑的な営業用の笑顔を引込めて不思議そうに首を傾げる。

 

「だって今生えてないじゃん」

 

というか、取れちゃった……引っ込んじゃった?

 

「ぐうぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」

 

思ったことを指摘してみると、微かに膨らんだ胸を抑えて蹲ってしまう。……ふむ。

 

「大丈夫? 交合する?」

 

「付いておらん! 付いておらん!! 今の! わしには!! 付いておらんのじゃ!!!」

 

「じゃあ、穴「わしは“タチ”じゃ!!!!」

 

陽の傾きかけた澄んだ空気の夕空に、クッソ汚い國臣くんの咆哮が鳴り響いた。……ほんと、なんて会話だろうね。

 

「始めたのは!! 紅夜じゃろうが!!!」

 

抗議のためにべしべしとこっちの腕を引っ叩いてくる國臣くん。その指摘はごもっとも。

 

「まあ、だからカカシ診療所に向かってるわけだしね」

 

「むぅ……」

 

軽く八犬館へと続く最後の昇り口を顎でしゃくってから歩き出すと、國臣くんも口を尖らせながらとてとてと後を追いかけてくる。

 

「わしが言うのもなんじゃが、おぬしも大概性格に難があるのぅ」

 

「知ってるよ」

 

追い付いて隣に並ぶと、大仰な溜息と共にぼやく國臣くんに肩を竦めていると、八犬館の正門を越えて、藩校裏の農場が見えてくる。

 そして、その先にある古ぼけた小さな掘っ立て小屋が今日の目的地、カカシ診療所だった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

「こんばんはー、先生居ますか?」

 

「おお、ちょっと待ってな」

 

 建付けの悪い小屋の古戸を軽く叩いてから無理矢理引っ張ると、薄暗い部屋の奥から間延びした声と共に一人の男の人が姿を見せる。

 ずんぐりとした長身と恰幅の良い体格をした、丸眼鏡の奥に人の良さそうな笑顔を浮かべる初老の男性。海鶴の平民藩校である八犬館の薬草学の師範でありながら、趣味で診療所を営んでいる変わり者。この掘立小屋の主である因幡先生その人だった。

 

「なんだ、一色じゃないか。どうしたんだ?」

 

「どうも」

 

ぼくが手を挙げると、因幡という苗字の割りにはどちらかというと狸みたいな見た目の先生が「ちょっと待ってろ。今、一杯淹れてくる」と言って奥に引っ込む。まあ、奥と言っても、この診療所は六畳もないこじんまりとした建物なのもあって、机の隣に置かれた茶箪笥の戸棚から出した湯呑に、井戸から汲んできた水を薬缶で注ぐだけなんだけど。

 

「いただきます」

 

「ほい」と差し出された湯呑を受け取ると、因幡先生が「で、怪我でもしたのか? そうは

見えないが……」と自分の分の湯呑に口を付けながら首を傾げる。

 

「今日はぼくの怪我じゃなくて別件です」

 

「別件だって?」

 

「ええ。國臣くん」

 

頷いて、入り口の方に手招きをすると、威勢の良い「たのもう!」の一言と共に、國臣くんが入室してくる。

 

「なんだ、お前の恋人か何かか?」

 

「馬鹿言わないでください」

 

先生くらいの年齢からすると、ぼく(十八歳)國臣くん(二十六歳)なんて誤差でしかないのかもしれないけど、流石にそれ(恋人扱い)は御免被りたい。そもそも中身は野郎だしね。

 

「ふむ、そう見えるようじゃが?」

 

「なんでちょっと乗り気なのさ」

 

先生の誤解に変なツボが刺激されたらしく、よりにもよって國臣くんが乗っかろうとしてしまう。

 

「違うのか。まあ、一色の連れにしちゃ、ここらじゃまずお目に掛かれない別嬪さんな気もするからな。だからって態々歓楽街の人間をこんな辺鄙な所に連れ込んできたりもしないよな?」

 

「こっちはこっちで無駄にまじめな考察しようとしてるし」

 

実に楽し気な國臣くんの嗄声の前で、因幡先生はうーんと大きな熊の様に唸る。っていうか、自分で辺鄙な所とか言うのかと。

 

「答え合わせをするならば恋人ではないというのは紅夜の言う通りじゃが、歓楽街の人間ではないというのはハズレじゃ。わしは色子じゃからのう。そして、得意の客はどちらかといえば、この藩校の師範達の方じゃな」

 

「ほーん……」

 

割と衝撃的なはずの國臣くんの暴露に、何を考えているのか、或いは何も考えていないのか、二度三度と頷いて湯呑に口を付けた因幡先生。けど、流石にそれに気付いたのか、途中でふとその手を止めた。

 

「って、色子(・・)だって?」

 

「ああ、良かった。そこに反応してくれましたか」

 

お陰で漸く話が進みそうだ。

 色子(男娼)と名乗った、異様な美貌をしていて、何なら身体の微かな膨らみなんかは女性にしか見えない國臣くんの全身を頭の先から爪先まで、それこそ穴が開くほど矯めつ眇めつした因幡先生は「どういうことだ?」こっちに訝る様な視線を向けてくる。

 

「実は……」

 

因幡先生の問いに、ぼくは出来る限り簡潔につい今しがたの魔獣鉱脈で起こった話を伝える。

 調教の行われていない淫魔との交合を目的として鉱脈に入ったこと。國臣くんが抱いた淫魔から破瓜の血が流れていたこと。咄嗟に襲い掛かったけれど仕留めきれずに逃げられたこと。そしてその直後、一部を除いて小柄ながらも、間違いなく男性のものだったはずの國臣くんの身体が完全に女性のそれになってしまったこと……。

 

「ふむぅ……」

 

ぼくの説明と時折付け足された國臣くんの注釈を一通り聞き終えた先生は、鼻を大きく膨らませて唸った。

 

「二人とも、その淫魔の身体に走っていた紋様は描けるか?」

 

先生の言葉に、ぼくは國臣くんと顔を見合わせる。正直、ぼくは周りに意識を向けていたから描きようもないんだけど。

 

「わしは問題ないぞ。何なら、今まで抱いた相手のことならば老若男女の別なく目尻から尻穴の皺まで覚えておる」

 

「そこまでは求めてないだろ」

 

「それじゃあ、こいつになるべく正確に模様を書き込んでみてくれ」

 

「こっちもこっちで動じないなあ」

 

國臣くんの不穏な発言を無視して因幡先生が差し出したのは、人型の輪郭が書き込まれた一枚の紙と鉛筆だった。

 

「ふむ……」

 

受け取った國臣くんは最初に少し記憶を確かめる様な仕草を見せると、淀みの無い手つきでカリカリと人の輪郭へと筆を入れていったのだった。

 

「……男女の交わりが何かしらの神事、或いは神託へと繋がる例は枚挙に暇がなく、それは大和も例外ではない」

 

國臣くんが筆を進める傍ら、因幡先生が出し抜けにぽつりと語り出した。

 

「また、逆に交合や交尾といったいわゆる繁殖行為に対価を求める例も同様で、通貨に近い概念を教え込まれた猿が真っ先に手を染めるのは他でもない売春業で、神話の是非を抜きにしても人類最初の商人は娼婦だったというのが一般的な見方とされている」

 

「へー」

 

因幡先生の豆知識に感心していると、國臣くんが模様の書き込みを終えたらしく、鉛筆を置いて「出来たぞ」と大分黒が増えた半紙を差し出してくる。

 

「ま、つまりは言葉を持たず本能のままに生きる妖魔であっても交尾には対価は要求してくる可能性が高いし、どんなに法外でも現実の金銭で話が済む人間や調教済みの淫魔と交わっている方が結果的には安全だということだな」

 

そう話を締めくくりながら半紙を受け取った因幡先生は、その中身を確かめると「ふむ」と一つ頷いたのだった。

 

「どうです?」

 

ざっとそれに目を通した因幡先生に、ぼくは問い掛ける。正直、傍から見るとごく普通の淫魔の姿にしか見えないんだけど、因幡先生からするとそうでもないのかな?

 

「……」

 

隣の國臣くんも同意見なのか、かなり興味有りげな表情で、先生の自分が描き込んだ手元の紙とを見比べている。

 

「そうだな……」

 

対する因幡先生は、ぼく達二人分の視線を受けながら、少し思案するように顎に手を当てた。

 

「恐らくだが、この淫魔はコノハナサクヤヒメの眷属で間違いないだろう」

 

「「コノハナサクヤヒメ?」」

 

先生の口から出た耳慣れない名前に、ぼくと國臣くんは揃って首を傾げる。

 

「ああ」

 

そんなぼく達に、先生はそう言って首肯する。

 

「コノハナサクヤヒメ。木花咲耶姫とも書く神性はアマテラスオオミカミの天孫ニニギノミコトと交わり妻となったが、彼女と交わったことにより、ニニギノミコトは定命の存在へと成り果てたという」

 

「まるで性病持ちみたいじゃな。それか、余程の下げマンか」

 

「おい」

 

國臣くんの感想はにべもなかった。というか、ど失礼にも程があった。

 

「まあ、交合というものは神事として行われた場合は概ね利益があるし、情欲に流された場合は厄災とまで行かずとも、何らかの不利益があるのが常だからな」

 

そんな國臣くんの感想に、先生は苦笑混じりに頷いた。

 

「っていうと、そのニニギノミコトは情欲に突き動かされてコノハナサクヤヒメと交わったということですか?」

 

「そこらへんはちょっとややこしくてな」

 

ぼくの疑問に、先生は今度は首を横に振る。

 

「ニニギノミコトがコノハナサクヤヒメと交わった事自体は何も問題なかったんだ。何せ、二人はもとより親も納得の上で、夫婦になること前提の行為だったんだからな。だが、そんなニニギノミコトの婚姻には、一つ大きな手落ちがあったんだ」

 

「大きな手落ちですか?」

 

「ああ」

 

頷いた先生は手元の紙を机において、少し思案するように腕を組む。

 

「実はニニギノミコトの婚姻には、もう一柱関係のある人物……いや、神物(・・)がいた」

 

「「……」」

 

「その神の名はイワナガヒメ。コノハナサクヤヒメの姉にして、ニニギノミコトのもう一人の妻……に、なるはずだった存在さ」

 

「“はずだった”ですか?」

 

「そうだ。“はずだった”だ」

 

先生の持って回った言い方は、正しく言葉の通りらしい。

 

「ニニギノミコトとの初夜の際、妹のコノハナサクヤヒメの方は褥を共にしたが、姉のイワナガヒメの方はそのまま実家へと返されている」

 

「馬鹿な!?」

 

「うわ、びっくりした」

 

因幡先生説明を聞いた瞬間、國臣くんが怒号とともに立ち上がった。そのあまりの憤懣に、オンボロの診療所は全体がビリビリと震えてすらいるようだった。

 

「わざわざ己と初夜を過ごすためにやってきた女を抱きもせずに返すなぞ信じられん! その神性、まさか不能か!?」

 

「おい」

 

今日二発目の不敬。っていうか、怒りの矛先それかよ。

 実に國臣くんらしい怒り方に、半分呆れながらも妙に感心した気持ちになっていると、先生が「不能……というのはある意味正しいかもしれないな」と言って苦笑した。って、合ってるんですか? これ。

 

「半分はな」

 

そう言って、先生は軽く肩を竦める。

 

「ニニギノミコトの妻になりに来た二人の姫の片割れ、コノハナサクヤヒメの姉であるイワナガヒメは物凄い醜女だったんだ」

 

「なん……じゃと……?」

 

先生の言葉を聞いた國臣くんは今度こそ絶句する。

 

「そんな……そんなしょうもない理由で追い返したのか? 未来の妻を。それも、自ら抱かれに来た姫じゃぞ? その神、神のくせして本当に精力不足の不能なのではないか……!?」

 

「この頻度でボケられると突っ込みが追い付かないから、もう少し配分落としてくれない?」

 

割と冗談抜きで。

 

「ま、実際に不能かは置いておくとしてだ」

 

このまま止まらなさそうな國臣くんを制止するように、因幡先生が言葉を続けてくる。

 

「すったもんだの末に、晴れてコノハナサクヤヒメと夫婦(めおと)になれたニニギノミコトだったが、すぐに手痛いしっぺ返しを受けることになる」

 

「しっぺ返しですか?」

 

ぼくが問い返すと、先生は「ああ」と頷く。

 

「翌日、初夜を終えたニニギノミコトの前に現れたオオヤマツミノカミはカンカンだった。理由はイワナガヒメと褥を共にしなかったこと……」

 

「当然じゃ。そのようなもったいないことを」

 

「たぶん、そういうことじゃないからね? あれですよね、大切な娘を蔑ろにされたとかそういう……」

 

「残念ながら両方ハズレだが……どちらかといえば前者の方が近いな」

 

「じゃろ!?」

 

「ええ……」

 

ぼくの隣で我が意を得たりと身を乗り出す國臣くん。ってかマジかよ。

 

「まあ、“もったいない”が何を指すのかが完全に違うがな」

 

そう言って、先生は楽しそうに丸い肩を震わせる。

 

「オオヤマツミノカミが激怒したのは、ニニギノミコトがコノハナサクヤヒメとしか交わらなかったことで、“永遠の命”をむざむざ放棄したからだ」

 

「“永遠の命”ですか」

 

「ああ」

 

頷いた先生は軽く湯呑みで口を湿らせて、言葉を続ける。

 

「イワナガヒメは岩。つまり、永遠不変のものの象徴で、彼女と(つが)うことはすなわち不滅性の獲得を意味していたのさ」

 

「祝福として……ですか」

 

「そういうことだ」

 

つまり、その神様の婚姻には単純な繁殖や政治的な事情以上の理由があったと。

 

「ま、それでもニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの夫婦仲自体は良かったらしいが……。それはさておき、不自然な淫魔との交合でそこまで激しい変化が現れたとしたら、そいつはまず間違いなく交合に直結する逸話を持つ神性の眷属だ。そして、この大和においてはその逸話が適合するのはまず間違いなくコノハナサクヤヒメだろう」

 

「話は何となく分かりましたけど……」

 

そう締めくくられた因幡先生の説明を咀嚼しながらも、ぼくは次に湧いた疑問に頭を捻る。

 

「でも、コノハナサクヤヒメとの逸話って、別に性転換の話ではないですよね?」

 

或いは女装とかそういうのでもないし。

 

「神性というのは、大抵が大雑把なものだからな」

 

「ですか」

 

「ああ」

 

頷いた先生は「それにだ……」と少し思案するように蟀谷を揉んだ。

 

「お前が連れてきたその子なら、性転換については恐らく説明がつくからな」

 

「ほう……」

 

その言葉に、隣の國臣くんもにわかに真剣な表情になって姿勢を正す。

 

「古来より、人は古今東西の別なく男根を一種の神性として信仰する向きがある。これは大和だけでなく、南蛮や西洋といった国々でも同じことだ。特に、その子はとりわけ精力が旺盛な男娼だったんだろう?」

 

「まあ、そうですね」

 

「うむ! そこいらの青瓢箪やもやしでは、二の腕ですら、わしの魔羅に及ばぬぞ!」

 

そう言って、自信満々に平らな胸と心なしか股間を張る。そんな國臣くんを見て、流石に冗談と思ったらしい先生が苦笑混じりにこっちに視線を向けてくるけれど……、

 

あの(・・)大きさって考えると、本当にそれくらいありそうなんだよね。誇張とか一切抜きに)

 

一瞬考えた末のぼくの首肯に、因幡先生は「えっ?」という顔になり、次いで國臣くんとぼくを二度三度と見比べて、最後にもう一度「えっ?」という顔になる。

 

「む、どうかしたのかの?」

 

そんな先生の奇行を見て、國臣くんは不思議そうに首を傾げる。

 

「あー、まあ、その……なんだ?」

 

少し経っても國臣くんの体格について想像がつかなかったのか、或いは脳内で図面を引くことを諦めたのか、因幡先生は言葉だけを一先ず鵜呑みにして話すことにしたらしく「そんな一物を持ってたならな」と話を続ける。

 

「君自身の象徴として、真っ先に男根に呪いが飛んでいくのも自然な話だと考えられるってわけだな」

 

そう言って話を締めくくる先生。まあ、この美貌に誇張抜きに成人男性の腕規模の巨根なんていったら、そんな反応にもなるよね。

 

(分かります)

 

ぼくが目配せをすると、「だよな」とでも言うように、先生は大きく頷く。

 

「つまりあれか……」

 

そんな、ぼくと先生の共感を他所に、國臣くんは何故か妙に満足そうに顎先へと人差し指をあてる。

 

「わしの魔羅があまりにも見事すぎたが故に、この様な事態に陥ったということで良いのじゃな?」

 

「まあ、それでいいんじゃない?」

 

言ってることは、そう間違ってないし。というか、これ以上突き詰めるのは無駄に正気を削られそうだし。

 

「うむうむ。であれば先の淫魔も中々に見る目があるのう。全てが完璧なわしの肉体の中から、最も雄々しき魔羅を狙って奪い取るとは」

 

「阿部定みたいだよね」

 

なんかもう面倒臭くなって適当に相槌を打つと、なぜか両目を輝かせた國臣くんが「それじゃな!」とこっちを指さしてくる。

 

「そして、げに素晴らしきは我が巨根よ!! まさか、淫魔との交合から神性の祝福すら惹きつけてしまうとはのう!!」

 

「國臣くんが満足ならそれでいいんだけどさ……。それより、これ(女体化)ってどうしたら治るんですか?」

 

カッカッカと哄笑して鼻歌すら歌い始めそうな國臣くんを見ながら、ぼくは何故か当の本人が遥か彼方に投げ捨ててしまっている本来の目的について先生に尋ねてみる。

 

「ああ、それ「そんなもの、決まっておろう!」

 

が、何故かぼくの疑問に答えようとしたのは診療の主である因幡先生ではなく、にゅっと間に割って入って来た、紅い両眼をきらきらと輝かせている國臣くんだった。……なんだろう、凄く嫌な予感がするんだけど。

 

「……何か心当たりでも?」

 

「無論じゃ!!」

 

一応神事に関してはずぶの素人のはずなのに、何故か自信満々に頷く國臣くん。

 

「今すぐにでもイワナガヒメの眷属である淫魔を探し出し、交合をすればよいのじゃ! そうじゃろ!?」

 

果たして、その口から出てきたのはいっそ清々しいまでの性欲全開な答えだった。

 

「……その心は?」

 

正直、どういう意図でそう言ったのかは何となく分かるというか、分かるのが嫌なんだけど、それはそれとして認識の擦り合わせはしない訳にもいかない。

 

「ニニギノミコトの逸話よ。ほれ、先の主の話を踏まえるのならば、コノハナサクヤヒメとのみ交わることで片手落ちとなり、結果的に呪いの様な状況に陥るのじゃろう? ならば、コノハナサクヤヒメの眷属だけではなくイワナガヒメの眷属とも交われば、わしの肉体も完璧なものへ。元の完璧にして最大最高最硬の一物そそり立つものに回帰するはずじゃ!」

 

「……どうなんですか?」

 

案の定、想像通りの結論を高らかに叫ぶ國臣くんの言葉に頭痛を覚えながら、一先ず先生に答え合わせをお願いしてみる。

 

「まあ……多分その通りだな」

 

そして、喜ぶべきか悲しむべきか、先生の言葉は是の一言だった。

 

「そこの子の身体は今、ある意味でコノハナサクヤヒメの眷属と交わったことによる祝福で、正しい神性を失った状態と言っていいだろう。なら、イワナガヒメの眷属と交わることで本来の神性を取り戻すことで均衡の取れた肉体へと回帰すれば、自ずと元の部位も戻って来るはずだ」

 

「真面目に話している所悪いんですけど、それってつまり國臣くんの男性器が神性って事になっちゃいますよね」

 

「つまり、わしのチンポは魔法のチンポということじゃない!!!!」

 

理屈の上ではそうなるのは分かるし、何ならあの大きさって考えると最早新興宗教の崇拝の対象になりかねないってのもそうなんだろうけど、正直なんか嫌だった。なんていうか、当の本人の性格がこんななのが兎に角嫌だった。

 

「まあ、それも置いておいて、そうなるとまずはイワナガヒメの眷属にあたる淫魔の探索か……」

 

 カッカッカ!!と哄笑する國臣くんを横に、内心ぼやきたい気持ちを混ぜながら、一応の思考をまとめる。

 

「うむ、そうじゃな! そして、見つけ次第すぐさま交わらねばならん!! 何なら、主たるイワナガヒメがニニギノミコトに袖にされて枕を濡らした分も、わしがその淫魔を抱きに抱いて抱きぬいて、潰れたカエルみたいにしてやらねばのう!!」

 

「それ、國臣くんが単にしたいだけでしょうが」

 

何故か勝手に妙な使命感を胸に宿す國臣くんに突っ込みを入れてみるものの、既に半ば興奮状態に入った國臣くんはイワナガヒメの眷属の淫魔との予行演習のための素振りでもすっるかの様に、因幡先生の机のへりを掴んで股間を擦り付け始める。

 見た目が美少女なのにというべきか、それとも見た目が美少女だからというべきか、それは美貌と雰囲気の全てが台無しとなる奇行……いや、もう率直に言ってただの変態行為だった。

 

「そういえば先生」

 

「うん? どうした?」

 

國臣くんの抽送が伝播したせいでギシッギシッと軋み始める小屋から現実逃避するように、埒も無い疑問を先生に向けてみると、ぼくと殆ど同じ表情になった先生が頭痛を抑える様に頭を抱える。

 

「さっき、イワナガヒメが不滅の象徴って言っていましたけど、そうするとコノハナサクヤヒメはどういった事象の象徴なんですか?」

 

「どうしてそう思った?」

 

「半分は勘なんですけど……」

 

問い返してくる因幡先生に、ぼくは少し考えをまとめるために何も無い宙を向く。

 

「単に美人だからってだけで嫁に出されるわけがないですよね。いくら美人でもただ美人なだけじゃ永遠の命を得られるイワナガヒメとは流石に釣り合わない気がしますし。それに、この話のはじめに、先生は“片手落ち”っていう言葉を使ってましたよね?」

 

ぼくの答えに、因幡先生は少し逡巡するような素振りを見せながらも「まあ……そうだな」と頷いた。

 

「イワナガヒメが強固で不変の象徴だとしたら、コノハナサクヤヒメはその名の通り豊かな繁茂の象徴だ」

 

「豊か……繁茂……」

 

因幡先生が口にしたその言葉に、ぼくは急速に頭と肝が冷えるのを実感する。その二つの言葉は確かに定命ながらも花の名を冠する神性には相応しい表現だ。ただし……ただしだ、

 

「それ、つまり多産(・・)……ってことですよね?」

 

「まあ……な」

 

先生の首肯を確かめたぼくは、我知らずのうちにギギギッと錆びた螺旋の様に國臣くんに目を向ける。

 

「うっ……ふぅ……♥」

 

老若男女の別なく人間を惹き付けて止まない美貌。旺盛極まりない性欲……つまり繁殖力。そこから導き出される國臣くんの実態は……、

 

「なんか、コノハナサクヤヒメの眷属の淫魔のせいで、妖魔とかが目じゃないくらいの化け物が生み出されてしまった気がしてならないんですが」

 

興が乗って来たのか、それとも抑えが利かなくなってきたのか、当然の様に第二回戦を始める國臣くんを前に、多くの患者の面倒を見てきたはずの國臣先生が引き攣った作り笑いのまま、「うーん……」と唸ったのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 結局、一頻り暴走した國臣くんが満足するまでには一刻もの時間を要することになった。

 

「くぅー! 射精()した射精()した!」

 

既に陽が沈んだ八犬館の中でとんでもないことを叫ぶ國臣くん(馬鹿)。生徒らしい人影が見当たらないのが唯一の救いかもしれないけど、それが救いになるかというと割と怪しい話だ。

 

(こっちの正気は平気でがりがりと削ってくるしね)

 

「ときに紅夜よ」

 

この全自動性欲暴走装置をどうしたものかと考えていると、満足げに鼻歌を歌っていた國臣くんが不意にちょいちょいと袖を引っ張って来る。

 

「なに?」

 

「今後の事について確認しておきたいのじゃが」

 

少し真面目な表情になってこっちを見上げてくる國臣くんの言葉に、ぼくは少し首を傾げる。

 

「ほれ、直近一先ずの目標として、わしはイワナガヒメの眷属を見つけ出し、まぐわねばならぬじゃろ?」

 

「まあ、そうだね」

 

因幡先生の推測ではあるけど、現状それしか手立てが無いわけだし。

 

「して、そうなるとまた海鶴魔獣鉱脈に入る必要がある訳じゃが……今後もおぬしに依頼しても良いかの?」

 

「あー……」

 

國臣くんが気になってたのは飯匙倩屋とぼくの依頼対応についてらしい。

 

「國臣くんはぼくに依頼出したいの? 一応、飯匙倩屋にはぼく以外の冒険者も居るし、何なら他にも口入れ屋だって良いところはいくらでもあるんだけど」

 

「そこはあまり野暮なことを言うでない」

 

ぼくが問い返すと、國臣くんは苦笑混じりにふるりと首を横に振る。

 

「わしは武芸に詳しい訳ではないが、それでもおぬしの立ち回りが十分に秀でたものであることは理解できる。何せ尻穴を掘り終えた冒険者が寝物語にわしに語って聞かせてくる勇ましい英雄譚と、そう変わらぬ姿じゃったからな」

 

そして、「少なくとも、わしの客達の想像が及ぶ範囲で最も優秀なことに違いはあるまい」と自身の経験と手管への自信の垣間見える笑みと共に、國臣くんは薄い肩を軽く竦める。

 

「ふーん……」

 

「それにじゃ」

 

「?」

 

と、これで終わりかと思ったら、まだ理由があるらしい。

 

「今日のこれが、わしにとっては初めての“冒険”となる訳じゃが、何と言うかの……そう、“悪くない”と思ったのじゃ」

 

「ちんちん無くなったのに?」

 

「それはそれよ」

 

ぼくの疑問符にくつくつと笑った國臣くんが、また軽く肩を竦める。

 

「もう一度鉱脈に入るなら、おぬしとが良いと思った……それではいかんか?」

 

「別にいかんくはないけどさ」

 

こうやって依頼が入るのは、ぼくとしても望むところだし。

 

「まあ、そういうことなら了解。國臣くんからの依頼もあるってことで認識しておくよ」

 

「うむ! 頼むぞ」

 

「ん」

 

満足げに頷いて、ぺちぺちこっちの肩を叩いてくる國臣くんに頷きながら、ぼくも町の一角、丁度飯匙倩屋がある方に目を向ける。

 

「まあ、ぼくは普段から飯匙倩屋で色んな冒険団の人達と一緒に鉱脈に入ってるから、定常の冒険団を組むとか、先々までの予約とかじゃない限りは体が空いてたらいつでも声かけて」

 

「うむ」

 

ぼくの言葉にコクリと頷いた國臣くんだったけど、そこでふと不思議そうに小首を傾げる。何かあった?

 

「そういえば、おぬしはそこまで良い腕をしている割には特定の仲間達と固定の冒険団を組んでおらぬのじゃな」

 

「あー……」

 

それね。んー……、

 

「まあ、ぼくって冒険者としては器用貧乏なんだよ」

 

「その辺は詳しくは分からぬが、刀だけでなく弓矢や短銃に呪術なんぞもこなすとは聞いたことがあるのう」

 

「だろうね」

 

実際、飯匙倩屋に出入りしている冒険団の中だと、その全部の役をやったことがあるし。

 

「何でもできるって言えば聞こえが良いけど、実際には秀でた能力が無いってことなんだよね。だから、ぼくにしても相手にしても“冒険団”という共同体を組む意味が薄いと」

 

「確かに、冒険団という集団を組む最大の意味は各々が各方面に秀でた専門家が手を組むことによる相乗効果の発揮か」

 

「そーゆーこと」

 

ぼくと組んでも、一時的なつなぎなら良いけど、それ以上ってなると待っているのは基本的には停滞だ。

 

「ま、そんな事情でぼくは臨時以外の冒険団を組まないんだよね」

 

正確には“組めない”が正しいんだけど、流石にその辺は察してくれるだろう。

 

「瘡蓋が残り続けては傷も塞げねば人体が強くもならぬ……か」

 

そんなことを口ずさみながら、二度三度と頷いた國臣くんはコテンと首を横に倒す。

 

「しかし、そういうことならば、わしと定常の冒険団を組むのは悪くないのではないか?」

 

「と、いうと?」

 

「ほれ、おぬしは何でも出来るのに対して、わしは何も出来ぬわけじゃし」

 

「おい」

 

確かに、全方位に丸いぼくと、冒険者としては全方位に何も出来ない國臣くんとなら、重なるところの無い補い合いではあるけどさ。

 

「それ、ぼくが一方的に國臣くんを助けるだけじゃん」

 

「ま、そうとも言うの」

 

ぼくの突っ込みがツボだったのか、からからと笑う國臣くん。

 

「ああ、アガリ(・・・)は四六で良いぞ」

 

「アガリまで要求する気かよ」

 

「ちなみに、わしが六でおぬしが四じゃ」

 

「しかもそっち!?」

 

がめついとかそういう問題じゃないよ???

対して、ぼくの反応にケタケタと一頻り笑った國臣くんは「ま、冗談はこれくらいにしておいてじゃ」と言いながら頷く。

 

「流石のわしも四六時中おぬしを雇うのは無理があるから、そういう形での冒険団は望むところじゃ」

 

「あ、納得はしてたんだ」

 

「当然じゃろ。香も尽きておるのに、もう一戦と強請ってくる馬鹿とは違うぞ、わしは」

 

不満そうに桜色の唇を尖らせながら、國臣くんは「いくら一男娼館の顔とはいえ、流石に延々とおぬしを引き留めておけるほど、わしの財布の底は深くはないからのう……」とぼやいて肩を竦める。

 

「それにほれ、わしも商売道具を失った以上、河岸を変える必要があるからの。そう考えたら無駄遣いは出来んのじゃ」

 

そう言って、國臣くんは腰をくねらせた。実際、それもあるよね。

 

「まあ、一先ずは“天楽坊”にて暇乞いをして、新しく草鞋を脱ぐ先はその後の話じゃな。……おぬしへの報酬は都度相談ということでよいか?」

 

「ん。了解」

 

最後の國臣くんの確認に頷くころには藩校から城下の中心街を越えた先、國臣くんの奉公先がある、歓楽街の明かりが見えてきたのだった。

 

 

 

 

    ◆

 

 

 

 

 昨日ぶりにやってきた國臣くんの奉公先である男娼館・天楽坊はまだ開店まで少し時間があるからか、絢爛に着飾った男の子達に比べるといくらか年少で、化粧や装身具なんかも幾分控えめな男娼見習いらしい子供達が忙しそうに店先を走り回っていた。

 

「あ、お柳さん! どこに行ってたんですか! もう、店が開きますよ! 早く準備をしないと! 坊主もカンカンですよ!?」

 

と、そんな子供達を慣れた様子で差配していた、少し年嵩の子供が國臣くんの姿を見付けてか、慌てて駆け寄って来る。

 

「また、勤め明けの逢引ですか?」

 

その子は國臣くんの隣に別の人間(ぼく)が立っているのを確かめると、呆れたように腰に手を当てた。

 

「お柳さんが底無しなのは知ってますけど、だからって毎度毎度勤め明けにこんなことされてたら、困るのは他の子達なんですからね? お柳さんのことを知ってるお客様からしたら『なんで同じ金子を出しているのに、自分は手厚い奉仕を受けられないんだ』ってなっちゃうんですから」

 

そして、立て板に水にと向けられる言葉の洪水。……っていうか、すごく不本意かつ不名誉な誤解を受けてる気がしてならないんだけど。

 ぺらぺらと舌を回転させる男の子と、隣で困ったように頬を掻いている國臣くんを見比べていると、國臣くんが申し訳無さそうに鼻先に片手を上げた

 

「あー、咲夜(さくや)よ」

 

「っと、なんです?」

 

國臣くんが口を開くと、滾々と説教をしていたその子が言葉を止めて、訝しげな視線を國臣くんに向ける。

 

「こやつはわしの客でもなければ、褥を共にもしておらぬぞ」

 

「えっ!?!?!」

 

國臣くんの言葉を聞いた瞬間、その子は愕然とした様子で両眼を見開く。いや、どうしてそこで驚いているのかと……いや、当然か。

 

「お、お柳さんが褥一つ共にしてない相手と逢引した上に、夜帰りをするなんて嘘でしょう!?!?!?」

 

「……」

 

なんていうか、國臣くんが普段から周りにどう見られているのかがよく分かる一言だった。

 

「まあ、驚くのも分かるがのう……」

 

國臣くん自身も自覚があるのか、気まずそうに頬を掻いている。

 

「こやつは海鶴の冒険者じゃ」

 

「冒険者ですか?」

 

「うむ」

 

國臣くんの言葉に、ますます意味がわからないと眉を顰める陰間の子。

 

「今日の日中は妖艶な淫魔と交わるために、海鶴魔獣鉱脈に行っておったのじゃ。この紅夜に護衛を依頼しての」

 

「あ、なるほど」

 

そんな彼も國臣くんの説明を聞いた瞬間、全ての疑問が氷解したのか、ポンッと軽く手を打って、大きく頷いたのだった。

 

「大変失礼致しました。まさか、お柳さんがまぐわわない相手と連れ立って歩いているだなんて夢にも思わなかったもので」

 

「おい」

 

そうして、誤解の解けた咲夜くん?が躾けが行き届いた折り目正しい姿勢で頭を下げてくる。

 

「いえ、普段の様子を考えたら、そう思うのも仕方ないですし」

 

「こっちも待たぬか」

 

ぼくがそう返すと、申し訳無さげにしながらも、目の前の男娼の子は「ありがとうございます」と言って苦笑をうかべたのだった。

 

「それで、今日はどうなされたんですか?」

 

國臣くんに連れられて、天楽坊で遊びに来たのかと問うてくる彼に、ぼくは首を横に振ると隣の國臣くんに目を向ける。

 釣られて視線を向けてくる咲夜くんに軽く肩を竦めると、國臣くんが「坊主は奥かの?」と首を傾げる。

 

「ええ、丁度帳簿の確認をしているはずですけど……」

 

不思議そうな表情で首肯する咲夜くんに「そうか」と頷いて、國臣くんは天楽坊足を向ける。

 

「……何かあったんですか?」

 

「あー……」

 

そんな國臣くんの足取りを見て、訝しげに咲夜くんはこっちを見上げてくる。どう言うべきかな……、

 

「……まあ、後で分かるよ」

 

結局、それ以上の言葉もないぼくがそう答えると、「ふーん……」と呟いた咲夜くんはすぐに店先の準備に戻り、忙しく下の子達に指示を飛ばすのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

「で」

 

「んむ?」

 

「なんで、ぼくまで奥に引っ張られてるのさ」

 

 國臣くんが天楽坊に入って数秒。何故かパタパタと駆け戻ってきると、今日の夕飯は何にしようかと考えながら向けたぼくの背中に、勢いよく体当たりをしてきたのだった。まあ、体格差があるおかげで別に痛くもなかったんだけど、直後に手を引っ張られて無理矢理天楽坊へと引きずり込まれることになってしまった。途中、逃げようとするぼくと絶対に逃がすまいとする國臣くんの攻防を見て、店の男娼の子達が「きゃー」という黄色い声やヒューッという口笛を浴びせていたけど、絶対に勘違いされてるよね、これ。

 

「事のあらましを見ておった証人が他におらんじゃろ。股座を開いて見せても、替え玉を疑われては返す言葉も無いわけじゃし」

 

そんな國臣くんのぼやきともつかない言葉が返ってくる中、いつの間にか天楽坊の奥の奥まで辿り着いていたらしく、隣の國臣くんがツッとその両足を止める。

 

「ここが……」

 

「うむ」

 

頷く國臣くんと並んだ先にあるのは、金箔が施された絢爛な襖。下地となった金一面の上では、荒縄でできた土俵の中心でどっしりとした体躯の少年が巨大な熊を豪快に投げ飛ばしている絵図が描かれている。坂田金時の相撲図。その先に、この天楽坊の主がいるのだった。

 

「入るぞ」

 

 縁を軽く叩いて合図をした國臣くんが手を掛けると、襖は僅かな軋みすら見せずにさらりと滑って視界から消える。

 果たして、その絢爛豪華な店の奥に居たのは、着流しを帯で雑に止めただけのあられもない格好をする無数の少年達と、

 

「んお? 誰じゃい……ってお柳か」

 

微笑を浮かべた少年達に柔肌を擦り付けられながら仕事机を前に筆を滑らせる、一人の大柄な入道男の姿だった。

 無数のあどけない雰囲気の子供達にペチペチと入道頭をいじられながら、そのうちの一人を捕まえると、「きゃー」という悲鳴も置いて、開いた前合わせに毛むくじゃらの腕を突っ込むと、荒々しい手付きで、その未成熟な股間を弄んでいる。

 

「どうした、こんな時間に。いつもなら店開きのために化粧をしてるころじゃねぇか。見たところ、隣のそいつもきゃくじゃねぇみてぇだしよ」

 

毛むくじゃらの入道は抱え込んだ少年の一人を爪弾きながら、胡乱なものを見るような目を向けてくる。

 

「その辺含めて話さねばならぬことがあっての、釈孫(じゃくそん)坊よ」

 

耳慣れない名前。どうやら本当に法名を持った坊主(・・)らしく、「ふむぅ……」と唸った坊の主は「聞くから話してみろや」と頷いたのだった。

 釈孫と呼ばれた天楽坊の主人の前にツッと折り目正しく正座した國臣くんは、こほんと軽く咳払いをすると、俄に真剣な表情になって、赤い両目を赤ら顔の坊主に向ける。

 

「わしがこの天楽坊に草鞋を脱いでから二十と余年。大小様々に世話になったこと、この岩女山 國臣、心より礼を言わせていただく」

 

トンッと艶のある畳の上に小さな拳を突いて深々と頭を下げる國臣くんの姿に、天楽坊の坊主はようやくただならないものを感じたらしい。若干慌てた様子で「おいおい、どうしたんだよ急に」と言いながら、腕の中の少年を放り出して、こっちも倣って正座になる。

 

「なに。これはわしの正直な気持ちじゃ。今まで、真っ直ぐに口にしたことがなかったからのう」

 

「いや、それだけなら別にいいんだが……」

 

そう呟きながらツルリと剃り上げた頭皮を撫でる釈孫坊に、國臣くんは「ま、そうなるわな」と苦笑する。

 

「ご推察の通り、本題はここからじゃ」

 

「おう」

 

頷いた釈孫坊は、俄に真剣な表情になって姿勢を正す。そんな坊の主の姿に、ほんの僅かに言葉を詰まらせるような仕草を見せた國臣くんは、やがて言葉が纏まったようで、ゆっくりとその桜色の唇を開いたのだった。

 

「わし、天楽坊のお柳こと岩女山 國臣は、今日この時をもって長年の住まいとしておった天楽坊から暇を貰いたいと思っておるのじゃ」

 

「なんだって!?」

 

果たして、國臣くんの口から出た暇乞いの言葉に、天楽坊の主は悲鳴にも似た絶叫と共に立ち上がった。

 

「お、お前何を言ってるか分かってんのか!?」

 

坊主の怒号に、國臣くんは「無論」と小さく頷く。

 

「お前は! 天性の稚児で!! 未来永劫、春を売る以外にありえない、生まれながらの陰間なのに!!!」

 

「それも……分かっておる」

 

「じゃあっ!?」

 

最早、怒号に近い坊主の言葉に、國臣くんはゆるゆると首を横に振る。……割ととんでもないこと言ってるよね。

 

「じゃからこそ、わしは天楽坊を出ねばならぬのじゃ」

 

「そ、そんな……」

 

いつになく真剣な國臣くんの態度に絶望したような表情を浮かべる店主。

 

「普通の春売りとは違い、わしには年季も既に無く借りも無い。……じゃな?」

 

「そ、そりゃあそうだけどよ」

 

國臣くんの確認に、店主は既に泣きそうな顔になっている。

 

「な、ならせめて……せめて理由を教えてくれよ、お柳」

 

「む……」

 

「だってそうだろう? うちは確かにお前への貸しはねぇさ。けど、こんな風に切られるような扱いもしちゃいねぇはずだ。少なくとも、店の稼ぎ頭の一人だったお前が理由(わけ)あって店を離れるっつーなら、その理由を聞く権利くらいはあるはずだ」

 

わたわたとしながらも言い募る主人の言葉に、國臣くんも思うところがあるのか、少し考え込むような表情になる。

 

「良いんじゃない?」

 

「紅夜……」

 

そんな二人を見ながら、ぼくは水を向けてみる。

 

「國臣くんとしてはあんまり事情を触れ回りたくはないんだろうけど、店主さんには少なからず思うところもあるんでしょ?」

 

「それは……まあの」

 

悩みながらも、頷く部分もあるらしく、國臣くんはコクリと首を縦に振る。

 

「じゃ、良いんじゃない?」

 

「……」

 

肩を竦めるぼくと、分厚い唇を引き結んで眉を顰める坊主を見て、國臣くんは根負けしたように「仕方ないの……」と頷いたのだった。

 

「あまり驚くでないぞ」

 

そして、洋袴の前合わせに手を伸ばす國臣くん。そんな國臣くんの行動に訝しげな視線を向ける店主を前に、引き下ろされた洋袴とはためく襯衣(しんい)の裾。その丁度間に存在するはずの國臣くんの大きすぎる男根が……影も形も見当たらないのがまざまざと見せ付けられたのだった。

 

「あ、な……」

 

「これが、わしの暇乞いの理由じゃ」

 

膨らみの無い下腹部を見せられて絶句する店主に、國臣くんが下着まで引きずり下ろして無毛の秘部も露わにする。

 

「……………………な、なぜだ」

 

長い沈黙の末に搾り出されたのは絶望と無念の混合物だった。

 

「わしの業……いや、生まれついての宿命といったところかの……」

 

そんな店主の無念に応える國臣くん。……かっこよく言ってるけど、単なる交合欲なんだよなあ。

 そんな國臣くんの告白にドサリと膝をついて項垂れる店主。けれど、状況は理解できたらしく「そんな……」と諦念の色濃く呟いた。

 

「……お前か」

 

「マジかよ」

 

けれど、次のに湧き出てきたのは、強い憤怒と怨念の籠もった怨嗟の言葉だった。そしてまあ、案の定と言うべきか、当然と言うべきか、その向かう先は推して知るべしで……、

 

「お前のせいかあああああああああ「てい」がふぉっ!?」

 

手前の仕事机を蹴倒して踊りかかってきた蛸頭の足を引っ掛けて、折よく泳いだ(おとがい)に拳を合わせると、入道頭の大男がどうと音を立てて大の字になる。

 あわや巻き込まれそうになった稚児達がきゃーきゃーと悲鳴を上げて逃げ惑う中、男の胸板を踏破して制圧すると、一先ず室内は静寂が訪れたのだった。

 

「ちくしょう……」

 

けれど、踏み潰された店主は、それでもまだ敵愾心が抜けないらしく、悔しげな表情でこっちを睨み上げてくる。

 

「やめよ!」

 

どうしたものかなーと思案をしていると、凛とした声音と共に國臣くんのが割って入ってきた。

 

「なぜだ! なぜ止める、お柳!!」

 

けれど、國臣くんの存在が却って火に油を注いでしまったらしく、店主がどら声で反駁する。

 

「こいつが! こいつのせいで! お前の魔羅が!!」

 

バタバタと暴れて拘束から逃れようとする店主に、國臣くんが「それは誤解じゃ」と首を横に振る。

 

「わしの魔羅を奪ったのは海鶴の淫魔で、その本を正せば、原因はわしが調教前の淫魔と交合したいと望んだせいじゃからな」

 

「ぬっ……」

 

その國臣くんの口から出た、実にらしい事情に、少しだけ冷静さを取り戻したのか、僅かに身動ぎを止める。

 

「ほれ、歓楽街にも淫魔を出す店はあるが、あれは調教をした養殖の淫魔と言うじゃろ? 前々から、本能剥き出しの野生の淫魔を犯してみたかったのじゃ。ゆえに、店の上得意から名前を聞くことの多かったこやつに案内を頼んだのじゃよ」

 

「だ、だが、それなら、こいつがお前の護衛をしてるはずだろ!?」

 

「淫魔に反撃を受けて魔羅がほと(・・)に成り果てたのは交合の最中(さなか)。淫魔とまぐわう間は手出し無用と言うたのは、わし自身じゃ」

 

「う、うぅ……」

 

國臣くんの説明に、ようやく事情を飲み込んだ店主が大人しくなる。

 

「けど、それじゃあお前の魔羅は……お前の魔羅は!」

 

「どうなるかは不透明じゃ」

 

「それが、わしが暇を貰おうと思うた理由の一つじゃな」と國臣くんが締めくくると、店主はやるせなさそうに唇を噛むと「お柳の魔羅が……デカくて奥の奥まで抉ってくる最高の魔羅が……」とすすり泣き始める。……こいつも穴兄弟かよ。

 國臣くんの節操の無さに戦慄していると、店主を慰めるように、國臣くんがその頭をポンポンと軽く叩く。

 

「別れは誰にでもあるものじゃ。人により、それはいつになるかはバラバラじゃが、わしと天楽坊の別れはたまたま今だったということじゃ」

 

「くそ……くそっ……!」

 

悔しげに坊主が畳を叩くと、薄っすらと浮いた埃が明るい蝋燭の光を反射する。

 

「天楽坊に草鞋を脱いで二十余年。本当に楽しく幸福な毎日じゃったぞ」

 

「お柳……」

 

そんな國臣くんの言葉に涙を浮かべる店主。……冷静に考えると、美童専門の男娼館なのに二十六歳って、大概詐欺だよね。

 そんなぼくの内心の突っ込みを他所に、臭い別れの愁嘆場を披露する二人の男。というか、ぼくの出番が終わったなら帰っていいかな?

 

「おい」

 

「なんですか?」

 

そんな事を考えてると、唐突に店主から声をかけられる。

 

「お柳のこと、事情は理解した」

 

「はあ……」

 

「お前のことは許せんが、本当に許せんが……」

 

「いえ、無理に許そうとしなくてもいいですからね?」

 

そんな苦悶の表情を浮かべなくても。

 

「それでもこいつの魔羅を取り戻すために、お前が必要なことは理解した」

 

「あれ? なんか、物凄く協力したくなくなったんだけど?」

 

國臣の冒険の手伝いって、つまりそういうことではあるんだけどさ。

 

「こいつが魔羅を取り戻すまでの間、お前に全て預ける」

 

「そこまでは約束してないですからね?」

 

単に都度依頼されたら受けるってだけですからね? あらぬ誤解以上にとんでもないことを言われてる気がするんだけど?

 

「お柳の魔羅が戻ったら、三人で祝いの席を設けようぜ」

 

「まあ、それくらいなら……」

 

「一度味わや病みつき確実だからよ、お柳の腰使いは」

 

「本当にその頭かち割るよ!?」

 

誰が掘らせるか、この野郎。

 なんか、一大決心と言わんばかりの決然とした表情の坊主に頭を抱えていると、いつの間にか隣に戻っていた國臣くんがわざとらしく、ぼくの腕にしなだれかかってくる。

 

「そういうわけじゃから、頼むぞ紅夜」

 

「それは分かったから離して?」

 

いや、本当に。

 

「照れるでない、照れるでない」

 

にやにやと笑った國臣くんがクリクリと人差し指でぼくの胸元に円を描く。

 

「もし、魔羅を取り戻した後にわしに尻を預けたくなったらいつでも言うてくれ。此度の礼じゃ。誠心誠意極上の快楽を教えてやろうぞ」

 

「もしそれしようとしたら、本気で殺すからね?」

 

ぼくの正真正銘本心からの言葉は伝わったのかどうなのか。けたけたと笑った國臣くんは実に楽しそうに腰をくねらせたのだった。

 

 

 

 

 

 

 




ここまで読んでくださりありがとうございます
執筆の励みとなりますので、もしよろしければご感想ご評価などいただけますと幸いです。

2024/08/15:誤字修正いたしました。灰色の空様どうもありがとうございました。
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