冒険者代用品   作:小名掘 天牙

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いつもお付き合いいただきどうもありがとうございます。
今回は再び冒険の話です。
楽しんでいただけたら幸いです。


第伍話 見たけりゃ見せてやるよ

 國臣くんの新たな奉公先、劇場・沸起奔放(ふきほんぽう)を訪ねた翌日のこと。或いは、田舎から出てきた三人の冒険者が國臣くんによって魂の奥底へと心的外傷を刻み付けられ、精神的に去勢され尽くした次の日のこと、

 

 

 

 

「むきいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!」

 

 

 

 

両眼を爛々と血走らせた夜叉が白い長髪を振り乱して発狂する事件があった。というか、錯乱した國臣くんだった。

 

「……そろそろ冷静になってくれない?」

 

「おぬしはっ!!」

 

思わず出そうになる溜息を押し殺しながら、取り敢えず発狂しっぱなしの國臣くんに声を掛けてみるものの、こちらをバッと振り向いた國臣くんの殺気立った両目に、ぼくは思わず頭を掻いた。

 

「ああまで言われて腹が立たんのか! あぁん!?」

 

「そりゃ嫌だけどさ。けど、あぁんって……」

 

ガルルルルッと鋭い犬歯を剥き出しにする國臣くんをどうどうと宥めながら、ぼくはつい出たばかりの飯匙倩屋で掛けられた心無い一言を思い出していた。

 

 

 

 

―お、歓楽街で青姦してた二人じゃねぇか―

 

 

 

 

相変わらず建付けの悪い飯匙倩屋の引き戸を開けた瞬間、何時もの通りににやにやと笑いながら番台に座っていた平助さんに掛けられた第一声がそれだった。

 たまたま國臣くんと店の前で合流したこともあって、同時に見せに入ったせいもあったんだろうけど、明らかに平助さんは前日の唐蕎麦屋前で起きた、ぼくと國臣くんのやり取りを把握している様な素振りだった。

 ただ、歓楽街からこっち側まで、駆け巡るまでの間に情報へと尾鰭が付くのも当然で、その表情は明らかに誤解と曲解が入り混じったものになっていた。

 取り敢えず、平助さんの誤解の解除を試みたものの、一度できた先入観とは中々拭い難い物な上に、何故か不必要なほどに“仲が良い”という言葉を連呼した平助さんは明らかにぼくと國臣くんの言葉に耳を貸すことを考えていなかった。で、

 

 

 

 

「誰が! 騎乗位で!! 下から突かれて!!! よがるかたわけが!!!!」

 

 

 

 

その誤解に耐え切れなくなったのが隣のこれ(・・)である。……っていうか、怒るところおかしくない? 人が青姦してたとかその辺とかさ、

 

「明け方の歓楽街での青姦なぞ、珍しくもなんともないわい!!」

 

「あ、そうなんだ」

 

言い切られると納得するしかないんだけど、すごい話だな。

 

「そんなことよりも! このわしがおぬしの上で! アヘってたなどという噂の方がわしの沽券に関わるわ!!!」

 

「そこはもう突っ込まないよ?」

 

國臣くんの怒りのツボ(・・)なのは理解できるし。……理解できちゃってるのか、ぼく。

 軽く呆然としていると、隣の國臣くんが「そもっ!」と小さな手を握って咆哮する。

 

「なぜわしが紅夜の上で一方的に攻め立てられていたことになっておるのじゃ!! わしはタチじゃと言うとるじゃろうが!! それも生まれてこの方一度たりとも受けに回ったことのない、生粋のバリタチじゃっ!!!」

 

「そこ、すごい拘るよね」

 

「当たり前じゃろうが!!」

 

犬歯を剥き出しにして切れる國臣くんを前に、ぼくは「まあ、上の方が攻めの場合もあるよね」という言葉を呑み込んだ。そして、それはどうやら好判断だったらしく、

 

「大体! 騎乗位なら!! わしが下じゃろうが!!! 魔羅を突っ込む側なんじゃから!!!!」

 

次いで吐き出された咆哮は、自身の位置に対する文句だった。

 

「あの体位でわしが上って、わしが完全に挿入()れられてる扱いではないか!」

 

「そこはただの事実じゃん」

 

「あ゛あ゛ん゛っ!?」

 

(あ、やば……)

 

ついに、現実にしていた体勢にまで文句をつけ始めた國臣くんに突っ込みを入れると、國臣くんがギロッっと殺気立った視線を向けてくる。

 

「な っ と く いかんわああああああああああああああああああああああ!!!」

 

そして、きしゃああああ!!と発狂すると、威嚇するようにダンダンと地団太を踏む。

 

「……んで!」

 

國臣くんの発狂を見た道行く人々が何事かと振り向くのを、他人のふりをしてやり過ごしていたぼくに、荒んだ國臣くんがふーっふーっと荒い息を吐きながら尋ねてくる。

 

「今日はどうするのじゃ?」

 

「一応、鉱脈の岩石系の妖魔を手当たり次第に狙うつもり」

 

それでも幾分か落ち着いた雰囲気の國臣くんに、ぼくは軽く肩を竦めながら今日の方針を答えた。

 因幡先生の話を信じるならという前提になっちゃうけれど、國臣くんの身体を基に戻すにはイワナガヒメの眷属との交合が必要になる。で、そのイワナガヒメの眷属ということで真っ先に想定されるのが狛犬や地蔵といった岩石系の妖魔になる訳で。

 

「まあ、この辺の妖魔も基本的には中層に生息してるから、取り敢えず出だしは前をあまり変わらないかな」

 

「そうか。あい分かった」

 

ぼくの説明に、國臣くんも少しだけ表情を引き締めてコクリと頷く。で、ここまでは良いんだけどさ、

 

「探索に入る前に國臣くんに確認しておきたいことがあるんだけど」

 

「んむ? なんじゃ?」

 

事前の懸念の払拭のため……払拭のため? 一応、國臣くんに一つ確認を取ってみる。

 

「岩石系の妖魔とは交合出来る?」

 

「なんじゃ、そんなことか」

 

ぼくの質問に、一瞬身構えた國臣くんは拍子抜けしたとでも言うように軽く肩を竦める。

 

「穴があるのなら、神様だって犯してみせようぞ」

 

そして、そう言った國臣くんは莞爾と笑ったのだった。……いや、なんで良いこと言った風な雰囲気出してるのさ。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 前回の潜航と同じように恙なく届出を済ませたぼく達は、入り口付近で軽い準備運動を済ませると、早速海鶴魔獣鉱脈の表層へとやってきていた。

 

「して、今更じゃが何ぞ手掛かりはあるのか? それとも、狛犬や泥人形を見付けたら手当たり次第犯すのか?」

 

 辺りで下級の妖魔がぎゃーぎゃーと騒いで冒険者に狩り殺される音を背景にしながら、普段は性交以外の運動をあまりしないらしい國臣くんが軽く息を弾ませながら、人差し指と中指の間に親指を突っ込んだ握り拳を向けてくる。

 

「いや、流石にそれは國臣くんも大変でしょ?」

 

「まったく問題ないが?」

 

「……皮向けるよ?」

 

狛犬の地肌はまんま岩石だし。

 ぼくの指摘に理解がいったらしく、「それは困るのう……」と呟いて、國臣くんは自分の洋袴の上から股下を撫でさする様な仕草を見せた。……なんで、ちょっと残念そうなのさ。

 

(まあ、別にいいけど……)

 

 相変わらずの國臣くんに軽く肩を竦めながら、ぼくは事前に用意していた竹杯(たけはい)に水筒から水を注いで、更にその水面にある物(・・・)を浮かべる。

 

「なんじゃ? それは」

 

ぼくの手元でくるくると回るそれを見て、國臣くんが不思議そうに小首を傾げた。

 

耆著(きしゃく)。因幡先生に用意してもらったんだ」

 

國臣くんの方に竹杯を差し出すと、その中心で波紋を広げる耆著をしげしげと眺めながら、「ほーん……」と呟く國臣くん。そしてそこで、あることに気が付いたのか「んむ?」と小首を傾げた。

 

「のう、紅夜よ。耆著は良いのじゃが、これ壊れてはおらんか? 水に浮かべたばかりとはいえ、一向に北を指す気配が無いのじゃが」

 

訝る様に視線を向けてくる國臣くんに、ぼくは「ああ」と頷く。確かに、國臣くんの指摘の通り、この耆著は手中の水面でくるくると回り続けるばかりで、特定の方向を向こうともしないでいる。

 

「それは大丈夫。この耆著は元々北を指すような物じゃないらしいから」

 

「どういうことじゃ?」

 

ぼくの言葉が意外だったのか、國臣くんはコテンと首を横に倒した。

 

「この耆著は北じゃなくてイワナガヒメ由来の物や生物を指す耆著なんだって。……因幡先生が言うにはだけど」

 

「なんと!?」

 

流石に驚いたらしい國臣くんは両目を見開くと、改めてまじまじとぼくの手元を覗き込む。まあ、その反応は分かる。ぼくも聞いた時ちょっと驚いたしね。

 

「先生の説明だと材質は普通の耆著と変わらないらしいんだけど、二種類のお払いで清められてるらしくてね。針のある方をイワナガヒメの祝詞で、反対側をコノハナサクヤヒメの祝詞でそれぞれ払ったとかなんとか……」

 

「それはなんとも……また凄い話じゃのう」

 

胸の前で細い腕を組んでうむむと難しい顔を作る國臣くんに、ぼくも「ね。流石は藩校の先生って感じ」と軽く肩を竦める。

 

「ま、そういう訳で、これがあれば目当ての妖魔を正確に補足できるから、國臣くんの交合も一回とまではいかずとも、大分回数を絞れるはず」

 

「つまり、わしの魔羅の皮も守れるわけじゃな!」

 

「ついてないのに?」

 

「かっかっか……くらえいっ!」

 

ぼくが揶揄うと、一笑いした國臣くんがカッと両目を見開いてベシベシと手刀を放ってくる。待った待った。水が零れるから。痛くはないけど耆著が止まるから。

 

「まったく、わしの魔羅が健在じゃったら、今すぐおぬし()に根元までぶちこんでおるところじゃぞ」

 

「それは嫌だなあ」

 

お互いにはっはっはと笑いながら、鉱脈の深部へと続く道に目を向ける。

 

「話を戻すけど、この便利な耆著にもちょっと欠点があるらしくてね」

 

「ふむ、それは?」

 

「妖魔を感知できる距離にどうしても限度があるんだって。だから、あたり(・・・)どうかを調べるには、ある程度まで妖魔に近付かなきゃいけないし、そうなると基本的には足で探さないといけなくなると」

 

「あい分かった」

 

ぼくの説明に、國臣くんが納得したように大きく頷く。

 

「つまり、“冒険”ということじゃな?」

 

「そーゆーこと」

 

ぼくが頷き返すと、國臣くんはニッと笑い「では行くかの」と歩き出す。

 

「鬼が出るか蛇が出るか」

 

「どっちにしたって、犯すだけでしょ?」

 

「違いない」

 

ぼくの指摘にニンマリと口角を持ち上げた國臣くんは、これから行われる妖魔との交合に思いを馳せたのか、心底楽しそうに鼻歌を歌いだす。

 そんな音楽を背景に、ぼくと國臣くんの二度目の冒険は始まったのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

てくてく

 

てくてくてく

 

てくてくてくてくてくてくてくてく……

 

 くるくると回る耆著を片手に、ぼく達は舐める様にして鉱脈表層を渡り歩く。

傾向として、イワナガヒメの眷属は土気を有する狛犬や泥人形の妖魔だろうというアタリ(・・・)はあるものの、それはあくまでも見当程度の話でしかなく、必ずしもそうだとは断言しきれないところがある。

 

「まーだかのー」

 

「まーだかなー」

 

そんなこんなで、やや寄り道がちに鉱脈深層を目指している訳だけど、あまり襲撃が無く、あってもたかが知れた低級妖魔ばかりということもあり、交合が出来ない國臣くんは手持無沙汰らしく、すこし退屈そうに薄暗い鉱脈内に視線を送っている。ふむ……、

 

「そろそろ中層に入ろっか?」

 

「お、いよいよか?」

 

ぼくの言葉に、國臣くんが嬉しそうに顔を綻ばせる。

 

「淫魔がおったらまぐわっても良いか?」

 

「別に止めないけど、そのせいでまた変な呪詛を掛けられたら、今度こそぼく達の手に負えなくなるよ?」

 

ただでさえ割とややこしい状態なのに。

 

「既に、魔羅をもぎ取られた身じゃ。元より失って怖いものなど他に何も無いわい!」

 

「それが性感帯だったとしても?」

 

「それは……嫌じゃのう……」

 

「だろうね」

 

ぼくの指摘に渋い顔をする國臣くん。まあ、本人の性格考えたらちんちん無くなるのと同じくらい嫌だろう。

 

「ぬぅ……実に口惜しい限りじゃが、淫魔を見付けたとしても軽く遊ぶ(・・)だけにしておくかの」

 

「ま、それが無難だね」

 

心底残念そうに唇を尖らせる國臣くんを宥めるつもりで、ぼくはポンッと軽く肩を叩く。そもそも止めないのか? もちろん、止めないよ? だって止まらないもん。絶対に。

 トンテンカンと坑道に反響する掘削音と、時折沸き立つぎゃぎゃっ!という低級妖魔の猿叫の合間を縫いながら、ぼくは少し歩みを速めて國臣くんの前に出る。流石にここから先は中層だし、先行されると危ないからね。

 

「む」

 

軽く頷いた國臣くんも若干気を張ったのか、小さく眉を顰めて、にわかに真剣な表情になる。

 

「じゃ、行こっか」

 

「うむ!」

 

隊列を整え直し、いよいよ坑道を下る。そのまま数十秒もすれば、そこは國臣くん(男娼)今の國臣くん()に成り果てた海鶴魔獣鉱脈中層上部なのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

―初めに感じたのは、小さな違和感だった―

 

 國臣くんを背にして中層へと入ったと同時に、いつものごとくこちらを包み込んでくる生暖かい空気。

 鉱脈独特の湿り気と仄かな血の香りを感じさせる普段と何ら変わらないはずのそれが、なぜか肌に馴染まず衣擦れを起こしている様な奇妙な異物感。

 まるで、柱のキズから畳みのけばけばまでが全て同一な他所様の家に上がり込んでしまったような座りの悪さの理由に、ぼくは二度の瞬きを経て辿り着く。

 この海鶴に限らず、魔獣鉱脈と言うものは原則として深層へと向かえば向かうほど、出現する妖魔は強く、大きく、そして凶暴になり、それに比例する様に狩猟価値も肥大する傾向にある。逆に言えば、表層付近に生息する妖魔は資産価値が低い代わりに、きちんと武装をすれば冒険を本業にしていない村落の出稼ぎの人達でも狩猟自体は可能ということになる。そして、鉱脈に踏み入る冒険者はそんな原則に従って自分の力量と出てくる妖魔の危険度を天秤に掛けながら、最も安全かつ費用対効果の高い層へと心身全てを資源を投入することになるのだ。

 で、基本的には手軽に誰でも入れる表層ほど縄張りにする人が多く、深層に行くほどそこを稼ぎにする人は少なくなっていく。そして、その尺度で言えばこの程度の位置(鉱脈中層)は副業の冒険者が入り込めるほどに容易くはないものの、普通に歩いていれば割と頻繁に専業の冒険者とは出くわすはずの階層だった。

 

「……」

 

そんな中層上部がやけにしんと静まり返っている。……まるで、選び抜かれた一部の天凛だけが踏み入ることを許される、鉱脈最深部のように。

 

「紅夜……」

 

「……」

 

 ぼくの違和感が伝播したのか、後ろの國臣くんが声を潜めて囁いてくる。ぼくは返事の代わりに口元で

人差し指を立てて見せてから、柄杓を左手に持ち替えて、左腰に差していた軍用小円匙を野球の本塁型の革鞘から引き抜いた。

 今回の探索で狙う腹積もりだった岩石系の妖魔に合わせて、殺傷力よりも掘削力を優先した武器選択だったけど、こうなると失敗だったかな……。

 ゆらりゆらりと坑道に並べられた燭台の灯が岩肌の陰影を焦がす中、ぼくと國臣くんは坑道内の前進を再開する。自分一人だけならさっさと引き返して事の次第が分かるまで冒険を行わないなんて選択肢もあるけれど、今日は國臣くん(依頼人)がいる。いくら妙な胸騒ぎがするとはいえ、既に前払いで結構な額を受け取ってしまっている手前、何ら物証が無い中での撤退は事実上不可能だ。國臣くんが文字通り身体で稼いだお金な訳だしね。

 

(逆に言えば、何らかの痕跡が見つかると助かるんだけど……ん?)

 

そんな思案と算段をしながら歩いていると、いつの間にかぼく達は坑道中に出来た大きめの(うろ)状の広間へと差し掛かっていた。

 普段であれば、やや整った装備を揃えた冒険団やそれなりに年季の入った体力的に下り坂の冒険者の人達が犇めき合って、狩った妖魔の部位を切り整えたり鼻歌混じりで談笑に及んでいるはずのその場所もまた冒険者の気配に乏しく、

 

 

 

 

代わりに、固い岩肌の地面に崩れ落ちる、無数の冒険団の姿がそこには広がっていたのだった。

 

 

 

 

「は?」

 

 ぼくの腰越しにひょこりと室内を覗き込んで絶句する國臣くんを他所に、ぼくは咄嗟に國臣くんを背で押す様にして中の洞から引き剥がす。

 明らかな異常事態。飛散性の毒か、それともまた別の何かか……判断はつかないけれど、この場所が明らかな危険を帯びている事だけは確かだった。

 國臣くんを背に庇う様にして、少しずつ洞から距離を取りながら辺りに視線を巡らせる。もし、この中の光景の犯人がまだ近場に居るとしたら、次に狙われるのは間違いなくここへのこのことやって来たぼくと國臣くんだろう。間が悪いけれど、こうして具体的な物証を見付けてしまった以上、今回の潜航はここで切り上げる方が無難だ。

 

 

そう算段をしながら、後ろの國臣くんに謝罪の言葉を向けようとしたとき、そいつ(・・・)に気が付いた。

 

 

燭台が等間隔に並びながらも、所々薄暗い坑道に薄ぼんやりと浮かんだ白い影。ひょろりと細長い人の形をしたそれが、ぐねぐねとした奇妙な踊りをしていたのだった。

 まるで骨の無い粘土の人形の様なそいつ(・・・)を目にした瞬間、喉奥に競り上がる圧迫感や不快感と共に無数の記憶が脳髄を走った。

 

―この程度ことも出来ないの?―

 

―その程度だから馬鹿にされんだよ―

 

―もう町で見ても話しかけないで。あの子とあんたじゃ済む世界が違うよの―

 

数珠に紡がれた珠のように浮かんでは消える記憶に、脳髄と胸を掻き毟られる屈辱感……。血の気が引いてじんわりと視界がぼやけ、瀉血して冷やされた脳髄が、ただ"死にたい"とだけ呟いた。

 

「こ、紅夜!? だ、大丈夫かおぬし!?」

 

去来する絶望感と共に震えていると、不意に胸の内で誰かの声が聞こえた。押し寄せる吐き気に口元を抑えながらもほんのりと漂う花の香りに導かれてやっとのことで視線を上げると、そこにはぼくに抱きしめられるようにした國臣くんが心配そうな表情でこっちを見上げてきていた。

 

(間に合った……)

 

記憶の中の苦痛達に苛まされる中、脳の端に僅かに残った冷静な部分が國臣くんの心配そうな表情を確かめて、まるで他の思考が他人事かの様にぽつりと呟いた。どうやら、一瞬であいつ(・・・)に囚われた理性とは違い、反射の方はギリギリで國臣くんの視線を向けさせないことに成功したらしい。

 

―器用ぶって冒険してるふりしてるけど、あんたなんていてもいなくても変わらないのよ―

 

ぎゅっと目を瞑ると、再び頭蓋の中に響く女性の声。ぼくの記憶の中にある通りなら、多分今は都に居て、どう考えてもこんなところに居るはずの無い人物のそれだ。

 

「紅夜「邪……視……!」

 

少しひんやりとした小ぶりな國臣くんの両手が頬に触れるのを感じながら、ぼくは何とかその一言を呟いた。

 

「じゃ、じゃし?」

 

頷いて、國臣くんの小さな身体を抱え込むと、何とか件の化け物に背を向けて、その場から走り出す。

 

―精々頑張りなさいな。どうせむりだから言ってるのよ?―

 

最後に聞こえてきた声は背後からのものなのか、それともぼくの中からのものなのか……既にぼくにはわからなかった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 それから五分も走り通したところで、ぼくは酸欠気味になった両の脚を止めたのだった。

 

「っ! はぁ……っ! はぁ……っ!」

 

荒く息を吐くぼくに、床に降ろした國臣くんが「こ、紅夜!?」と駆け寄って、心配そうに背中を

撫でさすって来る。そんな國臣くんに「だ、大丈夫」と返しながら、ぼくは何とか息を整えに掛かる。幸い、ここまでの逃走の間に、先の衝撃は大分抜けてきていた。

 

「一体、何があったのじゃ?」

 

邪視(じゃし)……」

 

険しい表情で尋ねてくる國臣くんに、ぼくは改めてあの白い影の名前を口にした。

 

「さっきも言っておったの。それは一体?」

 

「ぼくが、見た、妖魔の……名前」

 

ぼくの答えに、國臣くんもある程度予想はついていたのか、幾分か冷静な表情で「ふむ……」と頷いた。

 

「邪悪の"邪"に視覚の"視"で邪視と呼ばれる妖魔だね。その最大の特徴は巨大な眼球から視線を重ねることで、対象を自死に至らしめるという呪詛系でも最高格の容易性を誇る殺傷方法」

 

「なんっ!?」

 

「しっ」

 

ぼくの説明に、國臣くんが絶叫と叫びかけるのを押し止める。口元を抑えられて一瞬目を白紅させた國臣くんは、ぼくが手を離すと少し落ち着きを取り戻した様子で忙しなく視線を走らせると、若干押し殺した声で「ちゅ、中層の妖魔とはそんなに危険なものなのか!?」と耳打ちしてきた。

 

「んーん」

 

けど、その疑問に対するぼくの答えは否だった。

 

「邪視は凄い危険かつ強力な妖魔で、基本的は鉱脈深層で見かける妖魔だね。中層ではあっても下部……少なくとも、こんな表層との境目にあたる様な上部に来る妖魔じゃないよ」

 

「では、なぜ!」

 

「分からない」

 

ぼくの答えはその一言につきた。

 実際、邪視がこんな表層に来たという話は聞いたことが無かった。この程度の階層の冒険者なら、容易く一網打尽に出来ることに疑問は無いけれど、そもそもの動機に違和感は尽きない。

 

「そ、それではこのまま外へ逃げるべきか!?」

 

「そうしたいのは山々なんだけどね……」

 

数分も前なら諸手を挙げて賛成したであろう國臣くんの理性的な判断に、ぼくは溜息を吐きながら首を横に振る。

 

「邪視は執念深い妖魔でさ、一度狙われると命を奪わない限り延々と追って来るんだ」

 

「なんと!? そやつ、付きまといか!?」

 

「そうかもね」

 

実に國臣くんらしい感想に苦笑を返しながら、ぼくはようやく脳裏を埋め尽くしていた記憶に解放された脳髄で思考を整える。

 

「このまま鉱脈を出ようにも、表層に繋がる通路の前に邪視が陣取ってるし、仮に邪視をすり抜けられたとしても、今度は表層にまで追いかけてこられて被害が周りに散らばりかねない。よしんば、それも許容できたとしても、今度は次の探索の時に、常に邪視を気にしながらの潜航が強要されることになる」

 

「つまり、どうにかして奴の首を取らねばならぬということじゃな」

 

「そーゆーこと」

 

ぼくが頷くと、國臣くんは唇を尖らせながら「うーむ……」と唸った。

 

「しかし、どうやってやるのじゃ? 視線で相手を殺せるなぞ、最早無敵の存在じゃろうに」

 

疑問を口にする國臣くんに、ぼくは「一応、邪視にも二つ弱点がある」と指を二つ立てる。

 

「一つは単純に視線を合わせないこと。邪視はその戦闘能力の全てを視線に頼っているから、他の妖魔と違ってどつきあいのことは心配しなくていい」

 

「ふむ」

 

「もう一つは不浄なもの」

 

「不浄なものじゃと?」

 

「うん」

 

ぼくの言葉が意外だったのか、國臣くんはきょとんとした様子で首を傾げた。

 

「邪視の目は何故か不浄なものを嫌うらしくてね。性器とか糞尿とか……そういったものを無理矢理見せ付けてやると狂ったようにのたうち回るとか、単純な嫌悪感じゃ説明が付かない反応を見せるらしいんだ」

 

「随分と潔癖なのじゃのう」

 

「呪詛っていうのはある意味で純粋っていうか、混じり気の無い物だからね、そういった異物の存在が苦手なのかもね」

 

呆れたように苦笑する國臣くんに笑いながら、ぼくは背嚢の中から予備で持ってきておいた匕首(あいくち)を取り出す。

 

「で、まあその迎撃になんだけど」

 

「皆まで言うでない」

 

続くぼくの言葉が予想できたのか、國臣くんはニッと笑ってプチリと襯衣(しんい)の釦を外し……ってもう全部脱いでる!?

 

「義を見てせざるは勇無きなり。わしも男じゃ! もとより、これはわしら二人の冒険。この身体、おぬしに預けるぞ!」

 

そう言って、長靴(ちょうか)以外一糸纏わぬ姿になった國臣くんが、華奢な細腰に手を当てて、「ふふんっ」とささやかな胸元を揺らしつつ、自慢げに湿った割り目を誇示したのだった。……っていうか、言い方。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 それから十数分後のこと、海鶴鉱脈中層入り口に二人の半裸の男が現れていた。というか、ぼくと國臣くんだった。邪視に不浄な部位を見せるため、靴以外の服を背嚢に詰めて場所を移した結果、当然と言うべきか案の定と言うべきか、こんな格好になっている。

 ぼくの方は抜身の匕首を一本片手に辺りを警戒している。で、もう一人の國臣くんの方はと言えば、

 

「おー、溜まったぞ(・・・・・)紅夜よ」

 

「はいはい。一々言わなくて良いからね」

 

ジョロロロロ……という音を一頻り響かせた後に、何故かやり切ったと言わんばかりの笑顔と共にこっちを振り向いた。

 その手にはさっきまで耆著を入れていた竹の杯。けれど、先の逃走の際に中身すべて飛び散らせてしまったはずのそこには、代わりに湯気と泡立つ薄黄色の液体がなみなみと注がれていた。

 

「そんなに入れなくてもよかったのに……」

 

「なんじゃ、出せと言ったのはおぬしじゃろうが」

 

無駄に生々しいそれに思わずそんな感想を漏らすと、國臣くんは不服そうに唇を尖らせた。

 

「天楽坊の看板息子、お柳の聖水じゃぞ? 好事家ならば小判を出しても飲みた「あーあー、聞こえない聞こえない」

 

ぼくが思わず話を遮ると、何が面白かったのか國臣くんはケケケと笑って、満足そうに頷いたのだった。

 

「「!!」」

 

と、その時だった、ぼくの國臣くんの身体がどちらも意図せずぶるりと震えた。蟀谷から頬、更には全身の産毛が逆立つ感覚を覚えながら國臣くんに目を向ければ、こっちこっちでびっしりと鳥肌が立っている。

 

「来たのか?」

 

「たぶんね」

 

ぼくが頷くと、國臣くんも竹杯を握り締めたままこくりと頷いてギュッと両目を閉じる。

 ぼくは視線を遮る様に眼前に掌をかざすと、薄目を開けて坑道の地面をゆっくりと舐め上げた。

 

(いた……)

 

そして、顔がほぼ真正面を向いたころ、とうとう視線が邪視の白い足を捉えた。

 つつーっと背中に冷や汗が滴るのを感じながら、ぼくは匕首を固く握り直した。

 

「前方。十二時の方向」

 

「うむ」

 

 相変わらずぐねぐねと気持ち悪く歪んで跳ねて、そして躍る四肢を確かめながら、ぼくは國臣くんに告げて少しずつ少しずつ歩き始める。その速度は大したものではなかったけれど、向かってくる敵(邪視)もまたこちらに進んできているせいもあってか、加速度的にその薄ぼんやりとした四肢が大きくなるのを感じた。同時に襲ってくる不快感。それがじわりと競り上がって、口の中に酸っぱい物が広がっていく。

 

(まだだ……)

 

それでも、先の直視してしまった時ほどじゃない。或いは後々使えるかもしれない貴重な()を飲み下すと、ぼくは唇を噛んで例の白い影へと目を向けた。

 

(まだ、まだ……)

 

時折、キッ……キッ……という猿の鳴き声とも金属が擦れ合う音とも取れない、不快な異音が響き出す。それが邪視の声にあたるものであることを感じながら、ぼく達は更に歩を進めた。

 

(まだ……!?)

 

やがて、その距離が五間を切った頃、不意に視界がぶれて掌の内に光が広がる。

 

―もう、やめようよ。紅夜くんもがんばったよ―

 

そこにあったのは見慣れたはずの……見慣れていたはずの誰かの顔。それがぼくを見下ろしながら、まるでこっちを心配するかの様な姿を取る。けれど、その中にはあからさまに嘲りの裏地が見えていて……

 

―決着はついたな―

 

―そうね。これ以上は私達も暇じゃないんだし……―

 

続く周囲の声には何も浮かんでいない。侮蔑も無ければ嘲笑も無い。ただただ時間の無駄だったという事実を確認しあっただけの言葉。

 

―じゃあね、紅夜くん―

 

最後に響いた言葉に胸を抑えるのと同時に、全身の力がすぅ……と抜け落ちていくのを感じ「くらえっ!!」っ!?

 坑道内に響いた怒号。

 

「ぃ、ぃぃぃ!?!?」

 

同時に、黒板を爪で引っ掻く様な異音混じりの悲鳴と、ドタンッバタンッという何かが崩れ落ちて跳ね回る様な異音。

 はっと意識が引き戻された瞬間目の前にあったのは、

 

「ぶっ!!!」

 

竹杯から口に含んだ屎尿(しにょう)を邪視の顔面に吹き付ける國臣くんの姿だった。

 

「ぃっ!? ぃっ!?」

 

不自然に無毛な頭部らしき部位にある、巨大な眼球に汚物を直接叩き込まれ、悶絶する邪視。そのひょろ長い身体がたたらを踏んだのを見て、ぼくは坑道の燭台を一つ引っ掴むと、よろめく邪視の腰元に思い切り体当たりを食らわせた。

 陶磁器の様な、およそ生物らしくない質感のそれに滑れないように踏ん張りながら、邪視の巨体を押し倒して、その胸板を潰す様尻もちを突く。そして、後頭部を打った邪視の顔上で掴み取った燭台を掲げて見せた。

 薄ぼんやりとした蝋燭の光でも、これだけ至近距離なら手近にある物を浮き彫りにさせるくらいの力はある。邪視の眼前、有るか無いかも分からない瞼一枚程度の距離で、露になるぼくの男根。色々と規格外な國臣くんそれとは比べるべくもないけれど、それ以前に邪視の力によって肝を冷やされた今、完全に縮みこまった性器であっても、邪視にとっては天敵そのものだったのか、再び声にならない悲鳴と共に身を悶えさせて、何とかぼくの拘束から逃れようとする。

 

 

「わしのも見よ!!」

 

 

そんな妖魔(邪視)を何とか逃すまいと格闘する中、再び坑道内に國臣くんの嗄声が響いた。同時に、狐の尾の様に白い長髪を棚引かせて、ぼくの前に回り込む國臣くん。そして、華奢な身体一杯にその場で飛びあがると、中空でバッと両の脚を開き、そのまま露になった性器で邪視の眼球を文字通り押し潰したのだった。

 

「っ!? っ!?!? ぃっ!?!?!?」

 

「くっ……」

 

「成敗!」

 

これまで一番の力でのたうち回り、なんとか逃げ出そうとする邪視を必死に抑え込んでいるところで、國臣くんの気合と、

 

ショワァァァァ……

 

という噴射音。そして、邪視の頭部を中心に小さな水たまりが出来上がる。

 

「っ!」

 

「あっ……」

 

直後、ブシュッという音と共に、頭骨の三分の一にも及びそうな眼球の血管という血管から鮮血を噴き出して、邪視線はそのままピクリとも動かなくなったのだった。

 

「「……」」

 

呆気にとられたように顔を上げる國臣くんとぼくの視線が重なる。やがて、二秒、三秒と経過するうちに、ぼく達は邪視を討伐したことを理解した。

 

「は、はは……」

 

初めは漣のように、けれど、次第にはっきりとしてきた実感に、ぼくの口からは我知らず小さな声が漏れ出ていた。

 

「く、くく……」

 

それは真正面で座っている國臣くんも同じだったらしく、ぼくと同じかそれ以上に小さな肩を震わせている。

 

「はははは」

 

「くくくく」

 

そして、殆ど同時に決壊した様に笑いながら、ぼく達は視線を重ねた。うん、やっぱり邪眼なんかよりも何のことはないただの視線の方が遥かに良いよね。

 

「大勝利じゃな」

 

そんなぼくの内心に気付いているのかいないのか、國臣くんがそう言ってニヤッと口角を持ち上げた。

 

「だね」

 

ぼくも自分の口から笑い声が出てくるのを感じながら、こくりと頷いた。

 

「まさか、このわしが妖魔を倒すことになるとはのう」

 

「それね」

 

妙に感慨深げに独りごちる國臣くんに、ぼくは苦笑を返す。

 

「しかし、この邪視というやつは童貞なのか? この様に美味そうなものを不浄などと嫌がるとは……」

 

「黙秘するよ」

 

自身の股下で息絶えた邪視線を見下ろして、國臣くんはくちゅくちゅと自分の性器を弄りながら心底不思議そうに首を傾げた。

 

「邪視には性器に当たる器官は存在しないみたいだけどね」

 

「なんじゃ。それでは永遠の童貞ではないか」

 

「女淫を不必要に怖がるのも合点がいくわい」と妙な納得をしながら立ち上がった國臣くんが、何かに気が付いたように「ときに紅夜よ」と声を掛けてきた。

 

「どうしたの?」

 

「この邪視の鮮血で濡れた股間じゃが、生娘が初潮を迎えたようでそそられぬか?」

 

何故か今まで以上に自信満々にそう言って股間を見せびらかそうとしてくる國臣くんに、ぼくは今日一番の溜息と共に立ち上がり、その脳天に手刀を落としたのだった。

 

「きゃんっ」

 

少し嗄声気味な國臣くんの悲鳴が響いて、後には最初と同じ様に、無音の坑道だけが広がっていたのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 そんなこんなで大わらわの探索を終えたぼく達は、およそ二刻にも及ぶ取り調べを終えて、飯匙倩屋へとやってきていた。

 通常、深層に生息するはずの邪視の上層への進出と、それに伴う中級冒険者の全滅という前代未聞の大災害に鉱脈目付(こうみゃくめつけ)は上へ下への大騒ぎで、ぼく達が持ち帰った邪視の死体の確認や鉱脈中層上部への実地調査などを合わせると、結果的にそれだけの時間が経ってしまっていたのだった。

 途中、あまりの被害の大きさにぼくと國臣くんにもあらぬ疑いの目が向けられたりもしたけれど、死亡した冒険者に外傷らしい外傷が無いこともあって、結果的にその辺は無罪放免となっていた。

 で、その飯匙倩屋の方では現在、鉱脈目付から返してもらった邪視の死体の売値を見定めるための検分が行われていた。

 

「ふーむぅ……」

 

仕事用の手袋を嵌め、淀みない手つきで邪視の死体を検めた平助さんがどこか考え込むように、荒く鼻息を漏らした。

 

「どうかしましたか?」

 

ぼくが声を掛けると、一段落がついたらしく手袋を外していた平助さんが振り返りながら「お? おお」と唸る。

 

「いや、本当に邪視なんだなと思ってな」

 

「まあ、気持ちはわかります。ぼくも鉱脈では自分の目を疑いましたもん」

 

稀に生息域を外れる妖魔が居ないではないけれど、ここまで大外れする例はまず耳にしたことがない。妖魔の種族によっては他の妖魔との交雑種なんて可能性も無くはなかったけれど、邪視は無性だ。生殖行為自体を行わない。

 

「だな」

 

頷いた平助さんも渋い顔で唸った。

 

「ところで紅夜」

 

そして、飯匙倩屋の上がり框で喉を潤す國臣くんをチラリと見て口を開いた平助さんに、ぼくは「なんですか?」と首を傾げる。

 

「こいつの周りに付いたしょんべんだが、こりゃお前とあの嬢ちゃんのもので良いんだよな?」

 

「ええ。そうですけど」

 

あの時、邪視に少しでも危害を加えるために、ぼくも國臣くんも殆ど漏らしながら戦った様なものだし。

 

「そうかぁ……」

 

ぼくの答えを聞いて、平助さんは何故か残念そうに首を捻った。……なんですか? 一体。

 

「なに。この邪視についたしょんべんが嬢ちゃんのものだけなら、街の好事家に高く売れたのにと思ってな」

 

「おい」

 

思わず突っ込んだぼくを前に、平助さんは「がははっ!」と大笑いする。

 

「惜しいなあ。天楽坊のお柳っつったら、それこそ得意客は十や二十じゃまずきかねえからな」

 

「知ってるけど! 知ってるけど!!」

 

それ、必死に妖魔を倒したお抱え冒険者に言う?

 

「ま、どうせしょんべんなんて誰にも見分けがつかねえんだし、後で嬢ちゃんのって言い張って売りゃ「つくぞ」あん?」

 

ぼくの突っ込みに気にした素振りも無く、悪い顔で算盤を弾く平助さんの言葉を座っていた國臣くんの嗄声が遮った。

 

「つくって何が?」

 

「じゃから、わしの小水の見分けがじゃ」

 

思わず問い返したぼくに、國臣くんは事も無げにそう言い切った。

 

「ほれ、わしに魔羅が生えておった頃、そういう趣向(・・・・・・)が好きでたまらぬ御仁が何人かおってな。そういった趣味の人間には魔羅だけでなく小水でも相手をしたのじゃよ」

 

「勃っておると中々出せんでな。満足に振舞えるまで苦労したものじゃ」と言い放つ國臣くんに、ぼくと平助さんは思わず顔を見合わせる。

 

「普通の妖魔ならいざ知らず、わしの小水漬けという趣向で売るならば、買うのは十中八九そういう手合いであろ? なら、基本的には小水の色や味、臭いにも五月蠅いし、何なら天楽坊の中で幾度となく堪能した猛者ばかりじゃ。まず間違いなくばれるぞ」

 

「お、おう……」

 

懇切丁寧かつ無駄に理路整然とした國臣くんの説明に、隣の平助さんがなぜか気圧されたように頷いた。……ほんと、こっちの方は玄人どころか超人染みてるよね。

 

「で、検分は終わったのかの?」

 

「あ、ああ」

 

湯呑に振舞われたお茶を飲み終えたのか、自分の隣にことりとそれを置いて、ぴょこんと立ち上がる國臣くん。そのキラキラと血色に輝く視線を向けられて、まるで邪視に射貫かれた時のぼくの様にカクカクと頷く平助さん。そんな平助さんを見て、國臣くんは「それは重畳」と実に満足げに頷いたのだった。

 

「して、額は?」

 

「そうだな……売り方が普通の方向に限られんなら、深部の邪視と違ってしょんべんまみれだし、こんなもんだな」

 

人差し指と親指で丸を作って見せる國臣くんに、平助さんが番台机の上から引っ張り出した紙へと数字を書きつける。その金額は今日の國臣くんの持ち出しを補って余りあるものだった。

 

「これを紅夜と折半かの?」

 

「いや、今回はあんたが紅夜を日割りで雇ったんだろ? なら、こいつの所有権は原則嬢ちゃんにあるし、その上でどう色を付けるかも嬢ちゃん次第だ」

 

「ふむ、理解した」

 

そう言って頷いた國臣くんが「では、早速飲みに行くぞ。今日はわしのおごりじゃ!」と言って、こっちの袖を引っ張って来る。

 

「はいはい」

 

そんなことを言いながら飯匙倩屋を出かけたところで、後ろの平助さんが「ああ、そういやあ」と何かを思い出したかの様にこっちに声を掛けてきた。どうかしましたか?

 

「中層上部で邪視と大立ち回りした後、お前ら殆ど着崩れた状態で鉱脈目付の前を通っただろ?」

 

「ええ。報告を急がないといけないと思ったので」

 

「それ自体は良いんだが、その時の格好を見られたせいで、お前ら二人が鉱脈中層で変態嗜好の交合に及んでたって噂が立ってるぜ?」

 

「は?」

 

平助さんの口から出てきた言葉は、「立ってるぜ?」なんて言い方で流して良い代物じゃなかった。というか、マジで?

 

「なんじゃ、冒険者は皆出歯亀小僧か何かなのか?」

 

絶句するぼくの隣で、國臣くんが心底不思議そうに首を傾げる。そんな國臣くんに、「さあな」と肩を竦めた平助さんがゆっくりと番台机の前に戻った。

 

「ま、人の噂も七十五日って言うしな。暫くの間は好奇の視線に晒されるってことだけ頭に入れとくといいぜ」

 

「あい分かった。ご忠告感謝するぞ、店主殿」

 

そう言ってぴょこんと頭を下げた國臣くんに、「ああ」と答えた平助さんは軽く欠伸を漏らした。

 

「待たせたのう」

 

「ん」

 

そして、二人で店を出ると、普段なら気にも留めてこないような通行人の視線がやけに鋭く突き刺さったような気がした。

 

「では行くか」

 

暖かくなった懐も手伝ってか、むふーと鼻息荒く歩き出した國臣くんがふと思い出したように立ち止まって、こっちを見上げてくる。

 

「して、どこに行きたい?」

 

「そうだね……」

 

國臣くんの問いかけに、ぼくは一瞬だけ考える仕草をする。けれど、その答えはとうの昔に決まり切っていると言ってもよかった。

 

「取り敢えず、銭湯にしない?」

 

「それもそうじゃな」

 

國臣くんが同意したのを確かめて、ぼく達は汗とかその他あれとかそれとかを洗い流すため、一路城下の銭湯へと足を向けるのだった。

 

 

 

 

 




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