冒険者代用品   作:小名掘 天牙

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こんにちはこんばんは小名掘天牙です。
前話はご感想ご評価お気に入り登録大変ありがとうございました。
えー、そして、投稿が遅くなり大変申し訳ございません。
今回は個人的に大好きな○○回です。割と山無し落ち無しですが、許してもらえると幸いです(;'∀')
次回はなんとかもっと早く投稿できるように頑張りますので、応援いただけたら嬉しく思います。
ではノシ


第碌話 命の洗濯と言うけれど、却って汚れた気がする

 突然の会敵の末、なんとか鉱脈中層に現れた邪視(じゃし)狩ったぼく達は、交戦の際に割と悲惨なことになっちゃった身なりを清めるために、海鶴城下にある藩営の銭湯にやって来ていた。

 この銭湯は魔獣鉱脈と城下町を衛生的に遮断するための関所のようなもので、今のぼくや國臣くんの様に魔獣鉱脈で汚れた人間は、その日のあがり(・・・)の証文を見せることで、無料で入浴ができるようになっている。そんな事情で飯匙倩屋の印が捺された証文片手に湯屋の前に立った訳だけど、

 

「では、入るかの」

 

「はい、待った」

 

その肩書と仕組みを除けば城下の一般的なそれと取り立てて変わりのない玄関を前にして、さも当然の様に“男湯”という白抜き文字が踊る暖簾の方に足を向けた國臣くんの襟首を、ぼくは直前で掴み取った。

 

「ふぎっ!?」

 

 ぼくの強制制止を予想していなかったのか、國臣くんは屠殺のために〆られた鶏のような悲鳴を漏らした。

 

「なにするんじゃ紅夜!」

 

けれど、直ぐに状況を理解したのか、パッとぼくの手を振り払うと即座に着地して、餌を盗られた猫のようにフシャーッと毛を逆立てつつ白い歯を剥き出しにして食って掛かってくる。

 

「いや、“なにするんじゃ“はこっちだからね?」

 

そんな國臣くんに、ぼくは取り敢えず一般的な見解を伝えてみる。

 

「今、“男湯”に入ろうとしてたでしょ?」

 

「? そりゃそうじゃが?」

 

ぼくの指摘に、國臣くんは「それがどうかしたのか?」とでも言いたげに、心底不思議そうな表情でコテンと首を横に倒した。まあ、確認するまでもなかったけどさ。

 

「流石にその見た目で男湯に突っ込まれたら色々と問題の種になりかねないと思うんだけど?」

 

「???」

 

うん、理解出来てないって顔だね。……面倒だなあ。

 

「取り敢えずさ」

 

「うむ」

 

「せっかく女になったんだから、大人しく女湯「何を言う!? わしはれっきとした大和男子じゃ!!!!」

 

「いや、まあ中身はそうなんだけどね」

 

けど、問題は中身じゃないんだよなあ……。

 

(というか、女湯には釣られないんだね)

 

考えてみれば、普段から穴さえあれば老若男女の別なく喜んで客を取っていた國臣くんのことだ、男湯にも女湯にも裸体はあるのだから、視覚的な意味での魅力度はどちらも同等なものなのだろう。

 

(好色が振り切れると、却って女湯に特別な魅力を感じなくなるんだね……)

 

 常日頃から淫蕩が服を着て歩いているような人間の生態に妙な感心を覚えていると、当の本人は「身も心もきっちり干支二回りもしておるぞ!」と、外見的には大分無理のある主張をしてくる。さて、どうしたものか……、

 

「……ま、いっか」

 

結局、しばらく考えた末に説得するのが面倒臭くなったぼくは、それ以上何かを言う事を止めて、そのまま國臣くんの手綱を手放したのだった。

 

「ひゃっほぅ!」

 

 ぼくから解放された國臣くんは、やけに意気昂揚した様子でダダッと藍染の暖簾の中へと駆け込む。

 まあ、最後は本人の自己責任だし、あの容姿の女の人なら湯壺の野郎達は喜びこそすれど、騒ぎになることはない……といいなあ……。

 これから起こることの可能性を考えると、この時点で少し面倒になりながら、ぼくは國臣くんが潜った暖簾を押し退けて、その後を追い掛けたのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 銭湯に入って番台に飯匙倩屋の証文を見せると、役人らしく無愛想なおじさんが、何も言わずに二枚の鍵を放ってくる。一応公僕という立場のはずなんだけど、職務に対する熱意というものは皆無なのか、当然のように男湯の脱衣場に突っ込む國臣くんを、毛ほども制止する様子を見せなかった。まあ、こっちとしては好都合なんだけどさ。

 そして、更に運の良いことに、番台を抜けて脱衣場に入ると、そこには無人の空間と無数の鍵棚だけが広がっていた。

 

(……そういえば、邪視の件もあって一番人がごった返してる時間は過ぎてたっけ?)

 

 ある意味で好都合な状況に若干の拍子抜け感を抱くぼくを尻目に、直前まで頭痛の種をしていた國臣くんの方は変な方向に思考の舵が切られちゃったのか赤い両目を輝かせて、今か今かとでも言うように、こっちを見上げてきている。はいはい、ちょっと待ってね。

 ぼくが鍵棚に二人分の落とし鍵を差し込むと、ガチャリと戸を開いた國臣くんはスポーンと屎尿を吸った衣服を脱ぎ捨てて、事前に用意してきておいた樹脂袋に突っ込んだのだった。

 やや肉付きには乏しくも、妙に蠱惑的な印象を抱かさせる華奢な裸体をあっけらかんと晒しながら、落とし鍵を引き抜いて手首に嵌めた國臣くんがぼくを急かす様に血色の両目にきらきらと光を浮かべていた。

 國臣くんの隣でぼくも鍵棚を開くと、同じく事前に持ってきておいた樹脂袋に脱いだ服を放り込んで、数秒の内に國臣くんと同じ生まれたままの姿になる。後は脇に避けておいた清潔な手拭い二枚の内一枚を國臣くんに向けながら「お待たせ」とだけ伝えた。

 

「じゃ、入ろっか」

 

「うむ!」

 

ぼくの手から手拭いを受け取った國臣くんは、それが身体に当たらないようにぎゅっと握り締めて、満面の笑みと共に頷いたのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 

「お〜〜〜〜〜〜!」

 

 曇り硝子の引き戸を開いた瞬間、國臣くんは分かりやすく万感の思いを込めた感嘆の声を上げた。そして、ぱしゃりと落ち窪んだ床の湯だまりを踏みながら、心底興味深そうにきょろきょろと浴場の中を見回しだす。そんなに珍しいところあったっけ?

 

「む……」

 

 と、ぼくの視線に気付いたのか、こっちを振り返った國臣くんは少し気恥ずかしそうに頬を掻いたのだった。

 

「すまん、ちょいとはしゃぎすぎたわい」

 

「いや、それは別に良いんだけどさ」

 

そんな國臣くんに「冒険者向けなこと以外は普通の銭湯だけど、そんなに珍しかった?」と尋ねると、國臣くんは「ま、そうじゃな」と頷いた。

 

「まあ、隠してもしょうがないのじゃが、わしはこういう銭湯に入ったのが実は初めてのことでのう」

 

「あ、そうなんだ」

 

國臣くんの言葉に、ぼくは正直意外という感想を抱く。性癖や交合の振る舞いは兎も角、基本的に身形は凄い綺麗にしているのに。

 

「ま、その辺の事情は概ね歓楽街の区画に依るものなのじゃがな?」

 

そう言って、國臣くんは謎掛けをするように片目を瞑る。んー?

 

「元を辿れば、歓楽街などという一等地には、銭湯などという薄利多売の商売など根付きようがないというのが前提なのじゃがな?」

 

「うん」

 

「わしらの様な春売りは人気の別なく、基本的には値段相応で立て続けに客と寝る訳じゃ。じゃから、ひとたび客を送り出せば次の客がやってくるまでの僅かな刻限の間に身を清めねばならぬわけじゃ。それも、日に何度ものう」

 

「あー、そういう」

 

國臣くんの説明に、ぼくはおおよその歓楽街の入浴事情を理解する。

 

「それが一人でも慌ただしいのに、妓楼や陰間茶屋ともなれば店の者全員じゃ。湯殿は長蛇の列じゃし、入れ替わりもひっきりなしよ」

 

「おちおち湯船に入るどころか、湯壺があるのも稀じゃ」と笑う國臣に、ぼくは「なるほどね」と頷く。

 

「唯一長湯をするのが居るとすればほれ、浴室で石鹸を用いて客の相手をする泡姫達くらいよ。あれはあれで手足がふやけっぱなしで大変らしいがの」

 

「あー、泡姫とかそういうんだっけ? あれ、結構歓楽街の中でも値段が高めだから入ったことないんだよね」

 

「極上の快楽じゃぞ? 本物の嬢は一つ一つの手管がまさに至上のそれよ」

 

そう言って、國臣くんはくかかと笑う。

 

「ま、そんな界隈にわしも幼少期に精通が起きるや飛び込んだ身じゃからな。当然じゃが銭湯というものに縁のある生活をしてこなかったのじゃよ」

 

そう言って、國臣くんは歓楽街の入浴事情を締めくくったのだった。

 

「と、いうわけで、早速冒険者の湯船を「はい、待った」ふぎっ!?」

 

そして、殆ど同時に辛抱が堪らなくなったらしく、湯船に向かって走り出そうとする國臣くんの肩を掴んで、ぼくは再び待ったを掛ける。

 

「ぬおっ!? にゃ、にゃにをする!?」

 

「おお、どうどう」

 

せっかくの楽しみを挿入直前の待ったの様にお預けされた國臣くんが、キシャーッ!と発狂した猫の様にこっちへと食って掛かってくる。まあ、楽しみにしてるのは分ったんだけどさ。

 

「浴槽に浸かる前に、まずはあっちあっち」

 

逸る気持ちを抑えきれない様子の國臣くんに、ぼくは四角い鏡の並んだ洗い場を指差す。

 

「流石におしっこ塗れの湯船とか、現実に帰った時に興醒めでしょ?」

 

何なら、後悔の念が押し寄せてくるまであるし。

 

「むぅ……確かにそうじゃのう」

 

少し未練ありげな視線を湯船に向けつつも、納得はしてくれたのか、ぶぅと唇を尖らせながら國臣くんはこくりと頷く。

 

「ならば、早く身体を洗ってしまうぞ!」

 

「あ、それとさ」

 

けれど、直ぐに気を取り直したのか、近くに山のように積まれていた手桶を引っ掴むと、ぼくが何かを言う前に、パタパタと湯船に向かって走り出す國臣くん。

 

「そんなに走ると転んじゃ「どぅおっ!?」言わんこっちゃない」

 

前の冒険者達がそのままにした石鹸の残り泡に滑って、盛大に尻餅を突く國臣くん。そのあまりにも見事な転倒っぷりから、打ち付けたお尻への激痛は想像に難くなく、実際に“雄”と彫られたお尻を天井に向けたまま「ぬぉぉぉぉ……」と苦悶の呻き声を上げている。

 

「仕方ないなあ……」

 

 臀部を震源にして全身を走った衝撃から、生まれたての子鹿の様になっている状態では暫くの間は移動することも困難だろう。

 

「ほんと、なんで鉱脈を出た後に鉱脈での戦闘以上の負傷を負ってるんだか……」

 

 蹲る國臣くんの細腰に手を入れ、俵を持ち上げるようにして華奢な体を引き上げると、腕の中から「むおっ?」という頓狂な声が上がった。

 

「ほら、行くよ」

 

「うむ……」

 

ぼくが声を掛けると状況を理解したのか、腕の中で國臣くんがこくりと頷く。

 

「……紅夜よ」

 

「なに?」

 

「素直に助かる」

 

そう言って、ふぅーふぅーと痛みを逃がすような息を漏らしながら、國臣くんは自分のお尻をおっかなっびっくりに撫でさすったのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 お尻を打った國臣くんを鏡の前に置いてから、ぼくは一旦入り口に戻ると、三角形に積み重ねられた手桶を一つ取って、湯船から桶一杯に熱いお湯を汲み取る。

 

「ふぅ……」

 

そして、そのお湯をザパリと頭の上から被ると、全身にべったりとこびり付いた嫌な臭いや屎尿に脂汗を含む不快な体液がするりと解けて、代わりに旋毛から足先までの血がじんわりと全身を巡るのを感じる。

 そのまま、時折手桶を持ち替えながら二度三度……都合五度のかけ湯を終えたころには、全身の不快感は概ねさっぱりと洗い流されていたのだった。

 自分の身体をざっくり清め終えると、今度は鏡の前で四つん這いのまま、自分のお尻を確かめていた國臣くんに手招きをする。すると、それに気付いた國臣くんは、つんっと小ぶりなお尻を上に向けたまま、ひょこひょこと四つん這いでこっちに近付いて来たのだった。……骨、大丈夫?

 魔獣鉱脈でも意外と多い、転倒による尾てい骨の骨折を若干心配しながらも、一先ず足元までやって来た國臣くんの背中に、熱いお湯を満遍なく掛け流していく。

 

「んっ……ふぅ……」

 

最初の一瞬は驚いたのか、僅かにむずがる様な仕草を見せた國臣くんだったけど、すぐに全身を流れる白湯の心地良さに身を委ねる様に、ほぅ……と溜息を漏らして、フルフルと小さく身震いをしたのだった。

 純白の長髪と透明かけ湯が混ざり合い、次第にピンッと両耳を立てた大きな白兎の様になる國臣くんを見ていると、不意に白髪と溶け込んでいた華奢な背に、大きな紋様が浮かび上がるのが見て取れた。それは國臣くんの長い銀糸の髪によって秘匿されていた、赤子を抱く一人の女性を象った刺青だった。

 

(ふーん?)

 

その絵図に、ぼくは内心で少し首を傾げる。

 國臣くんの性格と性欲を考えれば多少淫猥な、それこそ美人画や春画なんかを背に彫っていてもあまり驚かないけれど、そういったものとは毛色の違う、どこか粗野な、それ以上に鬼気迫る印象の絵が刻み込まれているのは、ちょっと予想外だった。

 朱が濃く、荒っぽい筆遣いが見られるボロボロの衣を乱雑に纏い、風貌こそ美人画のそれながら、振り乱された雨ざらしの髪の毛は、どう見ても雅な女人像とはかけ離れている。

 子を抱く母親という一点を取れば牧歌的な主題のはずのそれが、その荒々しい筆遣いのせいか、どこか凄絶な印象を抱かせる奇妙な絵図。

先日の沸起奔放(ふきほんぽう)で行われた艶目の際にちらりと目にしたときは、暗がりだったのもあって気付かなかったけれど、國臣くんが背に負った墨は明らかに普段の國臣くんの“色”とは違ったものに見えた。

 

「む? どうかしたのか?」

 

と、下から聞こえてきた國臣くんの嗄声に、ぼくは背中の刺青に気を取られて掛け湯の手を止めてしまっていたことに気が付いた。

 

「ああ、ごめんごめん」

 

一先ず國臣くんに返事をして、再びざぱざぱと湯船のそれを華奢な全身へと落とす作業に戻る。そして、一通り全身を流し終えると、最後に頭の先からお尻の先まで白湯を流しかけて、一旦の工程を完了させたのだった。

 

「じゃ、身体を洗おっか」

 

「うむ」

 

ぼくが声を掛けると、頷いた國臣くんも立ち上がって、幽霊図の様になっていた長髪を軽く絞り水気を切ると、ふるりと全身を震わせて軽く全身の飛沫を切った。どうやら、お尻の方も、もう大丈夫みたいだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 無数に並んだ鏡の前に隣り合って座ると、少しだけ無言の時間が流れた。

 鏡の間に置かれた石鹸を順番に使って殆ど同時に頭の上に泡を立て始めると、興が乗って来たのか、國臣くんは慣れた手つきで自身の白い御髪を揉み洗いしながら小さく鼻歌を歌い始めた。そして、ぼくがザパリと手桶を頭上でひっくり返す頃、國臣くんは鏡の前で胡坐をかいたまま纏った長髪を上から順にぎゅっぎゅっと握って、丹念に雫を切っていくのだった。

 

「使う?」

 

「む? おお」

 

 手拭いを泡立て終えたぼくが石鹸を差し出すと、頷いた國臣くんは朱色の手拭いでそれを挟み取り、掌をこすり合わせる様にしてわしゃわしゃと大きな泡雲を作る。

 

(……そういえば、誰かと湯屋に来るのなんて、ほんと何年ぶりだったかな)

 

 先に体を洗い始めたぼくは、「むふおー」と変な声を漏らしながら実に楽し気に白い泡に包まれる國臣くんを見て、ふとそんなことを思った。

それは以前の冒険団が破局的な解散を経て海鶴に戻って来ても、こうして故郷にまで踏み込まずに、着かず離れずの距離のまま漫然と日々を過ごしているせいで、突き詰めればぼく自身の安っぽい見栄が原因と言われれば首を横に振るのは難しかった……。

 

「む? おお、まだ泡立ったままか」

 

と、ぼんやりと鏡に映った自分を眺めているうちに、いつの間にか時間が経っていたのか、身に纏っていた泡を流し終えた國臣くんがちょいちょいっとぼくの手元を指さしてきていた。

 

「うん、そうだけど」

 

「それなら済まんが、ちょっとわしの背を流してくれんか」

 

 頷いたぼくにくるりと背を向けた國臣くんは、しっとりと湯を吸って纏った白髪を束ね取ると、ぐいっとそれを顎下へと持って行って、代わりに赤子を抱く朱色の襤褸を纏った乱れ髪の女性の刺青が一面に入った白肌を曝してきたのだった。

 

「まあ……良いけど」

 

ぼくは軽く肩を竦めて了承を伝えると、少し湯を吸って石鹸気が薄まった手拭いをもう一度泡立てて、その女人像へと薄い布地を滑らせていく。

 

「あ゛~~~~そこじゃ。そこそこ」

 

 指先のさらに端が微かに触れるだけでも白磁を思わせる艶やかな地肌の奥から響く実に色気も素気も無いため息に、ぼくが「おじさん臭いよ。國臣くん」と突っ込んでみると、國臣くんは「臭いも何も、わしおじさんじゃし~。二十六じゃし~」と嘯いて、再び「あ゛~~~~~」というおじさん臭い感嘆符に戻って行ったのだった。……ま、いっか。

 

「……そういえばさ」

 

 そうして、女人像の振り乱された御髪からふっくらとした顎先、胸元に抱いた福福とした赤ん坊、ほつれた合わせ目に躍りかかる白い野犬へと手拭いを滑らせ終えたところで、ぼくはふと気になっていた疑問符に、つい口を開いていたのだった。

 

「んむ?」

 

「この背中の刺青って、何の刺青なの?」

 

ぼくの声に軽く流し目を送りながら首を捻る國臣くん。そんな國臣くんに今更ながらの質問をした。

 ぼくが質問をしたことが意外だったのか、國臣くんは「ふむぅ?」とさらに首を倒したけれど、正直、ぼくの方こそ自分の口を突いて出た疑問符に内心でちょっと驚いていた。

 

「あー……言いたくないようならもちろん言わなくても良いけど」

 

「いや、別にそんなことは無いのじゃが……」

 

 ぼくの言葉に、一度だけ目を瞬かせた國臣くんだったけど、すぐに興が乗ったとでも言うように白い歯を見せてニヤッと笑ったのだった。

 

「こいつはのう、“山姥図(やまうばず)”というやつじゃ」

 

「“山姥図”?」

 

國臣くんの口から出た耳慣れない言葉に首を傾げると、國臣くんは「うむ」と大きく頷く。

 

山姥(やまうば)、あるいは山姥(やまんば)などと呼ばれる化生の姿よ。おぬしも童話などで聞いたことはあるじゃろ?」

 

「あー……あの山姥?」

 

國臣くんの説明に、子供に向けた夜話や怪談話でしばし現れる化け物のことを指していることを理解する。……けど、山姥って、ボロボロの老婆みたいな見た目の化け物じゃなかったっけ?

 

「それは山姥の一側面じゃな」

 

そう言って、國臣くんはくかかっと小さな肩を震わせる。

 

「化生として扱われることが多い山姥じゃが、その本質は山の精や神性として扱われることも多いのよ。時には己が身籠った子への祝いを近隣の村々に要求する代わりに、村人が従えば山のような財貨で報いることもするという。ちなみに、わしが背負っておるのはあれじゃ。坂田金時……金太郎は知っておるじゃろ?」

 

「うん」

 

「あれの母親が山姥とされておっての。これはそれじゃ」

 

「つまり、神性としての側面を描いた絵図ってことか」

 

「そういうことじゃな!」

 

ぼくの答えに、我が意を得たりとでも言うように大きく首肯する國臣くん。

 

「知らなかった……ん?」

 

そんな國臣くんから語られた意外な逸話に、ぼくの方も感心に近い感想を抱いたわけだけど、そこで湧いた更なる疑問に、ぼくは思わず首を傾げていた。

 

「どうかしたのか?」

 

やじろべえの様に何度も疑問符を湧き上がらせるぼくを見て、國臣くんまでコテンと首を横に倒してしまった。ま、それは置いておいて、

 

「逸話は分ったんだけど、なんでそんな刺青を?」

 

話としては面白かったけど、今一國臣くんの琴線に触れるところが分からなかったというか……。正直、こういう刺青を入れるよりだったら、まだ交合している男女の春画を入れている方が、國臣くんらしい気がするんだよね。

 そんなぼくの疑問を察したのか、國臣くんは「ああ」と頷いてにやりと人の悪い、どこか好色な笑みを浮かべる。

 

「金太郎の話の様に逸話の多い山姥じゃが、あまり有名ではないがもう一つ逸話がってのう」

 

「それは?」

 

上品なはずの顔の造りに似合わないニタァッとした笑い方に、なんとなく話の方向性が見えた気がした。

 

「それは、山姥というものが極めて……極めて精豪というものじゃな」

 

そして國臣くんの口から語られたのは、案の定というべきか、分かりやすく下の話なのだった。

 

「それこそ、日々を山々で過ごすような屈強な男達ですら、容易く搾り殺してその血肉を啜り食らうというものでのう」

 

「自分もそんな化生に搾られたいってこと?」

 

まさか(・・・)

 

ぼくの言葉に、國臣くんはゆるゆると首を横に振り、そしてニィィと口端を目一杯引き裂いて白い牙を見せる。それは、可憐な童女を思い起こさせる風貌とは真反対な、ひどく獰猛でまるで猛禽を思わせる凄絶な笑顔だった。

 

「その様な化け物がこの世に居るのなら好都合。いつか、そんな魔獣のごとき女陰を抉り、我が精をたらふく流し込んで、餓鬼を孕ませてくれる……そんな決意表明じゃな、これは」

 

その細首から漏れる「くひっ」という引き攣った笑い声ともつかないそれと共に、國臣くんは血色の両目にどろどろの情欲の火をぬらぬらと浮かべたのだった。

 

「……」

 

そんな國臣くんの暴欲に水をかけるように手桶のお湯をひっくり返すと、先の凄惨な情念が嘘だったかのように、國臣くんは「ふお゛~~~」と再びおじさんのような溜息を漏らした。

 

「ま、これこそ、わしが山姥図を背負う訳……ということじゃな」

 

「もしかして、鉱脈の淫魔に手を出そうとしたのって、そのせいもある?」

 

「ま、多少はの?」

 

くかかっと笑って「分かったか?」という國臣くんの言葉に、ぼくは「この上なく」と頷いたのだった。

 

「よし、それでは返礼じゃ。次はわしが流してやろう。ほれ、尻を向けよ」

 

「尻って言うな」

 

ちょいちょいっと指をしゃくる國臣くんに手刀を落とすと、國臣くんは「くかかかか」と笑って手拭いを手に取る。

 

「っていうか、今の話を聞いた直後だと、本気で背中を向けたくないんだけど」

 

主に貞操とか貞操とか、あと貞操とかの理由で。正直、さっきの笑みを思い出すと、付いていようがいなかろうが、平気で掘って(・・・)きそうな凄みを感じざるを得ないというかさ。

 

「お望みとあらば一晩相手をするが?」

 

「せんでいい。せんでいい」

 

当然の様に……というか、むしろかなり乗り気な様子で宣う國臣くんに頭痛を覚えながらも背中を向けると、國臣くんは「なんじゃ、あっさり尻を預けるのじゃな」と少し意外そうに言った。もちろん、向けたのは背中でお尻を預けたつもりは無い。まあ、それ以前に、

 

「流石に冗談だって分かるくらいには友誼を結んだつもりだけど?」

 

仮に本気だとしても、こっちが嫌がれば止まってくれるくらいの理性は働かせてくれるだろうなって思うくらいにはさ。

 

「なんじゃ、ばれておったか」

 

ぼくの言葉のどこかしらがツボだったのか、くかかと笑った國臣くんはさっきよりも一段と楽し気に鼻歌を昇らせながら、べちゃりと泡立った手拭いをぼくの背中に押し付けた。

 

「しかし……」

 

「んー?」

 

 と、そうして強すぎず弱すぎずな程よい力加減でぼくの背中を擦り出した國臣くんが二度三度とそうするうちに、ふと不思議そうな声を漏らした。

 

「おぬし、意外と着痩せする性質(たち)だったんじゃな」

 

「そう?」

 

國臣くんの口から出た、あまり向けられた記憶の無い感想に首を傾げると、背後の國臣くんが「うむ」と頷いたのが分かった。

 

「なんちゅーか、普段の立ち振る舞いのせいかの? 冒険者の装備を纏っておる時は細身な印象だったのじゃが、案外ごっついというか肉が付いておるというか」

 

「まあ、剣や弓を四六時中取りまわしているからね」

 

何なら、さっきの金太郎じゃないけれど、鉞なんかを渡されることも多いし。

 

「それに、意外と古傷も多いのじゃな」

 

「……」

 

そう言いながら、國臣くんが小首を傾げたのが分かった。……まあ、そんな至近距離で見てたら気付くか。

 

「まあね」

 

一先ずそう返すと、背中の國臣くんは一瞬「ふむ?」と小首を傾げたけれど、結局それ以上は何を言うことも無く、手桶でぼくにばしゃりと湯を掛けて、全身に残った泡を全て洗い流したのだった。

 

「よし、終わりじゃ! もう入ってよいな!?」

 

 そして立ち上がり、両目をきらきらと輝かせた國臣くんが再び期待を込めた表情でこっちを見上げてくる。

 

「うん、もう大丈夫だよ」

 

ぼくが頷くと、「わひゃー!」と叫んで、パタパタと湯船に向かって駆け出す國臣くん。その華奢な背中を伝って一滴滴り落ちた雫が、丁度山姥の目尻から零れ落ちる一筋に涙の様に見えた。

 

「そういえば國臣くん」

 

「んむ?」

 

 と、さっきのお尻の痛みも忘れて走り出した國臣くんを見て、ぼくはふともう一つの疑問に首を傾げた。丁度、湯船のへりに足を掛けて今にも飛び込みそうだった國臣くんは直前でその足を止めて「どうしたのじゃ?」と小首を傾げた。

 

「背中の山姥図のことは分ったんだけど、その下にあるもう一つの刺青(右尻の“雄”の字)の方にもなんか由来があるの?」

 

「む? おお!」

 

ぼくの疑問に得心がいったのか、ポンッと手を打った國臣くんはニッととても楽し気な、そしてそれ以上に自慢げな笑みを浮かべる。

 

「こいつは気つけじゃ」

 

そう言って、小さな掌で右尻に彫られた“雄”の一字をパァン!と打つと、その言葉通り気合一発、今度こそ広い湯船にバシャーン!と飛び込んだのだった。

 

「……まあ、そりゃそっか」

 

 想像以上に下い(・・)理由に、妙に納得しながら、ぼくも國臣くんの後を追って湯船に身を沈めたのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 ざぶりというありふれた水音と共にたっぷりの湯へと身体を沈めると、へばりつくようだった垢の抜けた肌をチクチクと鋭い熱が突き回す。程よい刺激の爽快感に、思わず「ほぅ……」というため息が漏れた。

 胸の内から指の先まで、大小様々な血管を全身の血液が巡るのを感じながら視線を向ければ、先に湯船に飛び込んだ國臣くんが興奮のままに広い湯船の中を泳ぎ回って、

 

「ごぼ、ごがぼぼぼぼぼぼ!?」

 

「いない!?」

 

透明なはずの湯面にがぼがぼと浮かぶ白い泡の塊と、必死にその泡沫を掴もうと藻掻く小さな掌を見て、ぼくは慌てて立ち上がり、当てもなく雲を掴もうとする手を取って、浅い湯船で溺れていた國臣くんを引っ張り上げたのだった。

 

「えほっ!? げほっ!?」

 

「ちょ、大丈夫??」

 

「ぜっほ……うむ。すまぬ。助かったぞ」

 

「助かったのは良いんだけど……」

 

ぜこぜこと咳き込む國臣くんは、その後二度三度と喉を鳴らしてから、薄い胸を撫でて「ふぅ……」と溜息を漏らしたのだった。

 

「一体どうしたのさ、こんな浅い湯船で溺れるなんて。もしかして、足でも攣った?」

 

「いや、そうではない」

 

ぼくの確認に、國臣くんはふるふると(かぶり)を振った。

 

「じゃあ、なんで……」

 

「いやぁ、実はのう……」

 

「?」

 

「そもそもわし、泳げなかったのじゃ」

 

「おい」

 

一瞬、なぜか視線を逸らした國臣くんに首を傾げていると、そう言った國臣くんは「てへ」と片目を瞑って舌を出したのだった。

 

「泳げないのに、あんな勢いで飛び込んだの?」

 

「仕方ないじゃろ。先にも言うたが、歓楽街にはこんな広い湯屋は無いのじゃから。多少羽目を外してしもうても無理はあるまいて」

 

「それが十とかそこらの稚児なら分かるけどさ。國臣くん一応二十六だよね?」

 

「なんの、男はいくつになっても少年の心を忘れんものじゃて」

 

そう言って薄い胸を張った國臣くんは両腰に手を当てて、どこか誇らしげにかっかっかと笑ったのだった。

 

「ま、それはそれとしてじゃ」

 

「うん?」

 

「わしの童心の在処とは別に、おぬしには礼を言わせてもらいたい……ありがとうじゃ」

 

「どうしたのさ、急に改まって」

 

突然に折り目正しい一礼に思わずそう問い返すと、顔を上げた國臣くんがいつもの愉快そうなそれとは違う、ふっとした自然な微笑を浮かべた。

 

「改まりもしようて。なにせ、おぬしには今日だけで二度も命を救われたのじゃからな」

 

そう言って、國臣くんは微笑のままに小さく首を傾けた。

 

「一度目は鉱脈で邪視の眼に晒されそうになったわしを庇ってくれたじゃろ? で、今のが二度目じゃ。初めの淫魔との交合は依頼主と護衛の関係じゃったから抜きにしたとしても、これで礼の一つも言えねば忘恩の誹りを免れまいて」

 

「えっと「気にするな……は“無し”じゃぞ。わしは淫欲に堕ちた畜生じゃが、それでも受けた恩すら忘れた人でなしにまではなりとうない」

 

「あー……えっと」

 

なんか、凄い久しぶりにそんなことを言われたせいか、上手く言葉を紡ぐことが出来ない。

 

「どう……いたしまして?」

 

「うむ!」

 

やや疑問符混じりの不格好な返事に、けれど國臣くんは無邪気な笑顔と共に満足そうに頷いたのだった。

 

「くちゅん」

 

と、その拍子に白い湯気だけが立ち昇る浴室に小さなくしゃみが響いた。あー……

 

「取り敢えず、湯に浸からない?」

 

「そうじゃな」

 

 頷きあったぼく達はどちらともなしに湯船へと体を沈める。二人分の身体が押し入ったことで、少し溢れた透明な湯がざぱりと音を立てる中、そろーりそろーりと湯船の中を歩いて来た國臣くんは、ぼくの隣にぺたりと腰を下ろしたのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 そうして隣に座った國臣くんとぼくは無言の入湯にも飽きたせいか、少しするとどちらともなしに口を開いていた。その会話は

 

「おぬしは泳げるのか?」

 

「まあ、最低限くらいは?」

 

で、あったり、

 

「歓楽街ではどこに入る?」

 

「んー……おかめ屋とか?」

 

「おお、あそこは良いぞ。店の女子の見目は今一つじゃが、その分値ごろでありながら奉仕は手厚いし、何よりむっちりと柔らかい肉をした者が多いからのう」

 

なんて、取り留めも無ければ統一感も無い、思いつくがままに任せたものだった。

 

「では、趣味は?」

 

「お見合いみたいだね、その質問」

 

「やかましいわ。して、答えは?」

 

「あー……」

 

そうして、続いた國臣くんの質問に、ぼくは初めて言葉に詰まった。

 最初に過ったのは歓楽街通いだったけど、あれは生理現象の処理みたいなもので、正直趣味と呼べる最低限の情熱も伴われてはいないような気がする。美味しいものも好きだし、寝るのも好きだけど、それのどれもが何かしらの熱量を帯びているとは言い難かった。

 

「強いて……言うなら?」

 

やがて、たっぷりと時間を費やしてぼくの口から出た声に、國臣くんは「ふむ?」と小首を傾げる。

 

「冒……険?」

 

果たして紡がれた言葉は、正直ぼく自身が信じられてるとは言い難い単語だった。

 

「ほう!」

 

けれど、聞き手に回っていた國臣くんはぼくの答えの何かが嬉しかったらしく、明らかな喜色と共に、口端を持ち上げた。

 

「まあ、一応何も無い時はずっと鉱脈に潜ってるしね」

 

なぜか好意的な國臣くんの反応にちょっとバツが悪くなったのもあって、ぼくは思わず言い訳がましい蛇足を付け足した。けれど、そんな蛇足にも嬉しそうに「ほう! ほう!」と頷く國臣くんを見て、ぼくは余計にいたたまれなくなったのを誤魔化す様に「國臣くんは?」と問い返していた。

 

「わしは当然人を抱くことじゃ!」

 

「まあ、だろうね」

 

正直、聞くまでもなかった。

 

「天楽坊では常に客を抱いては食って抱いては食って、そして寝ての繰り返しじゃったからな。風呂もその合間合間じゃったが、わしの場合は客も多くて髪を乾かす暇も無かったわ」

 

「ま、それでも老若男女の遍く客を嵌め潰す交合こそがわしにとっては至上の幸福じゃったから、一切苦ではなかったがの」と締めくくって、國臣くんはニカッと笑ったのだった。ま、そうだよね。と、そこで一段落かと思っていたけれど、今回の國臣くんの話はそこで終わらなかった。

 

「もとより、物心ついた頃には既に性欲があったからのう。同じ寺子屋に通っておった女子の裸に勃起も経験しとったし」

 

「早いね!?」

 

まあ、それくらいじゃなきゃこんな性欲魔人にはなれないんだろうけどさ。

 

「ちなみに初めて交わったのは実の母じゃった」

 

「おい」

 

あまりの性徴の早さに驚いていたら、早いとかそれ以前の問題だった。

 

「数えで六つ……いや、五つの頃じゃったか? 関係が冷えたとかそういう訳ではなかったようなのじゃが、わしの両親は既に閨という意味ではご無沙汰での。おかげで母はその身体を持て余しておった」

 

「だから交わったと?」

 

「精通したのを見られたからの。それこそ、狭い五右衛門風呂でわしの体を洗っとった時に魔羅をまさぐられて堪らずの」

 

「当時のわしはまだまだ青い餓鬼じゃったし」と國臣くんは事も無げに肩を竦める。

 

「その(かんばせ)にべったりとわしの精を貼り付けて絶句しとったが、わしの魔羅から目が離せん様子じゃったし、明らかにその日の晩から自分で慰めるようになっておったからな。わしも熟れた女の押し殺した喘ぎ声なぞ浴びせられ続けては辛抱たまらんし、己の(さが)がどういったものかもその時には既に察し定めておったのもあって、夜這いを掛けてまぐわったわけじゃ」

 

「なるほどね」

 

「初めの頃こそ実母は罪悪感を抱いておったようじゃが、その後に出稼ぎへと出た父が女郎屋に入って帰ったことがあっての。以降は歯止めが掛からなくなったのか、狂ったようにわしの魔羅を貪っておったわ」

 

にやにやと笑いながらそう話す國臣くんの表情は何となく皮肉気で、けれどそれ以上にどこか遠くを見る様な視線をしていた。

 

「じゃが、流石に一年もすると父親が疑う様になっての。これはまずいと思ったわしは村に出入りしておった牛太郎の荷馬車に潜り込んで、この海鶴へとやって来た訳じゃな」

 

どうやら、國臣くんは殆ど夜逃げの様な形で海鶴にやって来たらしい。

 

「その後が……」

 

「おぬしの想像の通りじゃ。天楽坊で草履を脱いで、この城下の歓楽街に身を沈めた。以降、閨の修行を経て、後はひたすら客と寝る毎日じゃった。わしの場合は天楽坊の看板なのもそうじゃが、何より老若男女の別なく寝るからのう。それこそ水練の暇なぞ無かったわ」

 

かっかっかと笑ってばしゃりと湯を投げた國臣くんは、壁に出来た大きな染みを見詰めながら「もしかしたら……」と呟く。

 

「あの時、我が母の胎にはわしの息子で弟が宿っておったのかもしれん……」

 

「……」

 

「今となっては確かめる術も無いがな」

 

そう言って、國臣くんはまた小さく肩を竦めたのだった。

 

「……なぜ」

 

「む?」

 

「なぜ……そんな話を?」

 

しばらく流れた沈黙の末に、ぼくは思わずそう問いかけていた。

 正直、態々する必要のない、少なくともそんな(悲し気な)顔をしてしまうのならと思わずにはいられない話に思えた。

 

「さて……」

 

 ぼくの問いに、少し考え込むような表情で小首を傾げた國臣くんだったけど、すぐに思い至ったのかぱちゃりと水音を立ててこっちを振り向いた。

 

「おぬしは友というものがいたことはあるか?」

 

「急だね、ずいぶんと」

 

 湯船に血の巡りを促されたせいか、それとも微かな興奮からか、いつもよりも紅く染まった様に見える双眸に捕えられて、ぼくは軽く頭を掻いた。まあ、答えは決まってるんだけどさ。

 

「無いよ。……多分ね」

 

「そうか」

 

ぼくの答えに、國臣くんもこくりと頷く。

 

「わしもじゃ」

 

次いで返って来た言葉は、ぼくの答えと立場を同じくするものだった。

 

「歓楽街とは常に煌びやかな色と光に満たされ、そこに身を置く花売りも太夫から陰間、夜鷹の別無く品の良い人好きのする笑みを浮かべておるものじゃが、厚く塗りたくった化粧を剥がしてみれば、内に浮かぶ表情は恩讐と情念に濡れた般若のそれよ。まともな人間関係なぞ築ける場ではないわ」

 

そう言い切って肩を竦めた國臣くんの横顔をまじまじと見ていると「意外か?」と國臣くんが問うてきた。

 

「まあ、ちょっとは」

 

國臣くんは歓楽街そのものを気に入ってるみたいだったからね。性格的に実情に変な色眼鏡を掛けない理性もあるとは思ってたけど。

 

「一番悲惨なのは茶を挽いている遊女や陰間での、人気店であった天楽坊ですら常に一定数そういった稚児がおった」

 

「まあ、あそこに年中入り浸れる人なんて上級の冒険者か相当なお大尽くらいだろうからね」

 

「じゃな」

 

軽く掬った湯で顔をばしゃばしゃと洗いながら、國臣くんが頷く。

 

「年下の稚児に顎で使われ、稀に売れ筋の者達の股が塞がった折に出てくる僅かなおこぼれ(・・・・)を奪い合う毎日。客の盗った盗られたなどで起きる刃傷沙汰も日常茶飯事じゃ。それも、何が悲しいといえば、その盗られた客というのが一夜で何十両と落とす太客などではなく、僅かな飯代もケチる木っ端客ということよ」

 

「それでも奪い合うくらい、歓楽街で客を取れるか取れぬかの差は大きいのじゃ……」と、國臣くんは呟いた。

 

「國臣くんは?」

 

「わしが盗られると思うか?」

 

「それもそうだね」

 

肩をすぼめるようにして片目を瞑る國臣くんにそう返すと、國臣くんは「じゃろ?」と笑った。

 

「一度抱いた相手は決して離さぬ。なんなら、一人二人では物足りぬほどじゃった」

 

「凄い体力……いや、精力だよね。想像はつくけど」

 

あの鉱脈で目にした巨大な魔羅を考えれば、無理からぬ気がする。

 

「が、わしがそうして新たな客を食いまくるせいで皺寄せを食らう者は一定数居っての。一夜に十を超える相手を犯しても昂ぶりの収まらぬわしのせいで、天楽坊では殆ど“おこぼれ”が出てこんかった。結果として客が取れずに折檻を受けた稚児の数は枚挙に暇がくての。その中には遊郭の禿の様にわしが使っておった稚児も居った。当然、そんな人間がわしと友誼を結ぼうなどと思う訳が無いわい」

 

「多少なりとも部屋を共にした稚児が頬のこけた(かんばせ)に憎悪を浮かべて包丁を向けてくるのは中々にこと(・・)じゃったのう……」と國臣くんは自嘲気味に呟いた。どこか上の空な様子で白い頭を浴槽のへりに預けると、熱い水面に波紋が湧きたって、ぱしゃりと僅かな湯が零れる。

 

「じゃからほれ……」

 

「?」

 

「おぬし、先に“友誼”と言うたじゃろ?」

 

「あ、あー……」

 

國臣くんの言葉に、ぼくはさっきの何気ない会話を思い起こす。そういえば、言ったっけ。

 

「あれが少し嬉しかったのじゃよ」

 

そう言って、國臣くんは少しだけ照れくさそうにはにかんだのだった。

 

「すまんの、辛気臭うて」

 

「別にぼくは気にしないけど……」

 

國臣くんの言葉を反芻しながら、ぼくも少しだけ昔のことを思い出していた。

 

―もう。また怪我?―

 

―あのね、魔獣の攻撃の間に出るのは守ったって言わないの。身を挺するだけなら鉄板だっていいんだから―

 

―それを捌いてこその前衛でしょ? 何のためにその場所に配置したと思ってるのよ―

 

―薬代だって馬鹿にならないの。それで役割を果たしたみたいな顔をされたらこっちがいい迷惑だわ―

 

さっき、國臣くんがぼくの背中で見つけた古傷は、かつてぼくが所属していた冒険団が魔獣鉱脈で不意を打たれた際に、咄嗟に仲間との間に体をねじ込んだ時に出来たものだった。

 

「辛気臭いついでにさ……」

 

「んむ?」

 

「ぼくの話も良いかな」

 

そんな記憶を反芻するうちに、ぼくはいつの間にかそんな言葉を口にしていた。

 

「聞こう」

 

何となく口をついて出ていた言葉に、けれど國臣くんは嫌がる様な素振りも無く真っ直ぐな目で頷いてくれたのだった。

 

「國臣くんや飯匙倩屋の平助さんなんかはぼくを高く買ってくれてるんだけどさ、実際のぼくはそんな風に買ってもらえるような能力は何も持ってない……少なくとも、誰かに頼られるような上等な冒険者からは程遠いんだよね」

 

告白いや、調べれば容易に辿り着ける事実を口にしただけなんだから、自白が精々だろうか。

 そんなぼくの言葉に、國臣くんは心底驚いたように紅い両目を丸くしてくれていた。信頼してくれているのはありがたいんだけどね……。

 

「じゃが……」

 

と、顎先に人差し指を当てた國臣くんがぼくの言葉を吟味する様に呟いた。

 

「わしの客達は少なからずおぬしの名を挙げて一流と言っておったぞ」

 

「まあ、ここ(海鶴)くらいの城下町ならね」

 

國臣くんの言葉に、ぼくは軽く肩を竦めた。

 

「本当の一流はこんな怪我なんてしないんだよ。少なくとも、深層のさらに最深部に出てくような巨大な龍や鬼相手でもない限りはね」

 

「……」

 

ぼくの説明に、一瞬何かを言いたげにした國臣くんだったけど、困った様に丸い眉の尻を落として、それ以上は何も口にしなかった。

 

「昔語りをしちゃうとさ、ぼくも國臣くんと同じで海鶴近縁の農村の出身でさ、昔の英雄譚に憧れた訳じゃないんだけど、街に出稼ぎに出た村の大人達から羽振りの良い冒険者の話はこれでもかってくらい聞かされてたのもあって、成人するより少し前に幼馴染数人と組んで冒険者になるために江戸に出たんだ」

 

「江戸に出ておったのか」

 

「数年前にだけどね」

 

少し驚いたように眉を上げる國臣くんに苦笑する。まあ、こんな人間が江戸に出てたなんて聞いたら、そういう反応にもなるよね。

 

「初めは木っ端仕事ばっかりだったけど、次第に大物の魔獣や妖魔も狩れるようになってね。少しずつ江戸近隣の大鉱脈を転々とするようになっていったんだ」

 

江戸は巨大な都市ではあるけど、それは人、物、金の集積地という色が強くて、根本的に冒険者が仕事をするのは近隣の七州だ。

 

「けど、そのころから少しずつ、ぼく達の冒険団には不協和音が上がるようになった」

 

「……」

 

ちゃぷりと水音が鳴り、音の方を見れば隣の國臣くんが僅かに息を飲んだのが分かった。ま、そういう反応になるよね。

 

「お察しの通り、原因はぼくだった。他の幼馴染達が冒険者として成長していく中で、ぼくは次第に立ち回りで齟齬をきたす様になっていたんだ」

 

最初は二度三度の僅かな呼吸のずれで、ぼくの疲労なんかを心配してくれた冒険団員達だったけど、その頻度が増えるにつれて次第に事の原因を正確に察する様になっていった。

 

「流石にこのままじゃ不味いっていう認識はぼくにもあったからさ、いつも以上に稽古に打ち込んだり、魔獣や妖魔の知識を集めるために口入れ屋に保管された鉱脈の書物なんかを読み漁ったり、そして嵌る(・・)役割を求めて触れたことの無い得物に片っ端から手を出したり……」

 

「それが様々な武具を操ることに繋がってる訳か」

 

「そーゆーこと。まあ、実際には自在とは程遠くて、甲乙丙丁で語るならどう背伸びしても乙程度が精々なんだけどね」

 

本当に自在に扱えてたら、それこそ特級の冒険者として今でも江戸の方で冒険者をしてただろうしね。

 

「そんなこんなで力不足を露呈したぼくは、次第に当時の同じ冒険団の団員からも疎まれるようになって、徐々に雑用なんかが増やされた末に、最後は退団というか暇を出されてね……」

 

結局、冒険団を追われる形で、逃げるようにして海鶴に戻って来た訳だ。

 

「それでまあこっちに戻って来たんだけど、ここから先の村に顔を出す気になれなくてさ。それこそ、いつ前の冒険団の幼馴染達が戻ってくるかも分からないし」

 

「それが、おぬしが海鶴を塒にする理由か」

 

「うん」

 

國臣くんの言葉に、ぼくは嘘を吐くこともなく頷いた。

 

「江戸の方じゃ力不足で冒険団を追いだされた身でも、この地方でなら相対的には優秀な冒険者として扱ってもらえるからね」

 

実際、相対的には間違いなくぼくは上位に入るだろうし。

 

「けど、そんなのは一時の気休めなのも分かってるんだ。元の冒険団に捨てられた理由は理由だし、故郷に顔を出せないのも安っぽい虚栄心のせいだからね」

 

自らの力で一歩上の舞台にも立てず、それでいて完全に諦めて生まれ故郷の役に立つことも出来ない中途半端な冒険者崩れをやっている理由は結局のところその点に尽きるだろう。少なくとも、客観的にぼくを判断するならね。

 

「冒険団に正式加入せんのも」

 

「ご想像の通りだね」

 

それこそ、厚く塗りたくった化粧を剥ぎ取られることをぼくは何よりも怖がっている。少なくとも、見下されるのも憐れまれるのも……ひどく惨めだった。

 

「その割には、わしに対しては随分と付き合いが良いではないか」

 

「國臣くんの件は少なからずぼくにも手落ちがあったし……それに」

 

「それに?」

 

「國臣くんは妖魔との交合を除けば冒険者になる理由も持ってないでしょ?」

 

それこそ、冒険で身を立てよう、名を上げようなんて気はさらさら無いはずだ。ああ、でもそうだな……

 

「冒険者になる気が無いからっていうのは本心だけど、一つだけ國臣くんを羨ましいって思うことがあるね」

 

「? と、いうと?」

 

「國臣くんはこと交合に関しては間違いなく達人でしょ。それこそ、江戸でも箱根でも小田原でも……國臣くんみたいな陰間の話は聞いたことが無かったしさ」

 

この国の頂点かは分からない。けれど、冒険者の特から初の六段階の等級で見れば、間違いなく國臣くんの性欲と精力は特級のそれだ。だから、もしぼくにそんな才能があったとしたら、多分だけどもう少し位は一人前の冒険者として幼馴染達に恥ずかしくない仕事が出来ていた気がする。

 

「己の母を犯す畜生のそれじゃぞ?」

 

「たとえそうだとしてもだよ」

 

一点特化の天賦の才。それはぼくには絶対に持ちえないものだから……ね。

 

「……」

 

「……」

 

そうして話を締めくくると、再びぼく達の間には沈黙が広がった。……だしぬけにするような話じゃなかったかな。

 

「あー、ごめんね。いきなり「もし」

 

 流石に口が滑ったと思って謝罪をしようとしたところ、出し抜けに口を開いた國臣くんがぼくの言葉を遮った。

 

「もし、おぬしがその身の傷を恥じておるようなら、わしの魔羅を思い出せ」

 

そう言って、國臣くんが真剣な表情と共にこっちを振り向いた。

 

「淫水に焼け、どす黒く変色したあれは間違いなく無数の傷を負った身そのものじゃ」

 

そして、バシャリと立ち上がって胸を張る國臣くん。小ぶりな胸の下、うっすらと浮かんだ肋に挟まれた水月から下の柔らか気な細腰(さいよう)の中心にはかつて、人の物とは思えないほどの巨大な男根がどくどくと脈打っていた。

 

「交合によって傷を負い、それでも()ち上がり続ける魔羅は稚児の誇りよ!」

 

 数日前に魔獣鉱脈で目にしたはずの光景を思わず幻視するぼくの前で、國臣くんは無毛の股間を突き出しながら高らかに宣言する。

 

「でも、今は付いてないよね」

 

「お? なんじゃ? わしの吐精をくらいたいのか? おん?」

 

そんな國臣くんの宣言につい軽口を叩くと、目を座らせた國臣くんがぼくの顔の前で自らのほと(・・)に指を突っ込んで陰核をこねくり回しながらぐちゅぐちゅと泡立て始める。

 

「勘弁してください」

 

これから行われるであろう処刑に思い至ったぼくは矢も楯もたまらず、湯船に沈没するのも構わないで土下座を敢行した。そんなぼくの後頭部を國臣くんは躊躇なく足蹴にしてくる。まあ、白湯の抵抗で痛くはないんだけどさ。

 そうして数十秒後、湯船の中の土下座で息が切れたぼくが顔を上げると腕を組んで仁王立ちになっていた國臣くんが「お、土左衛門が息を吹き返しおったぞ」と冷たい口調で言った。いや、本当にごめん。

 

「次は本当に尻穴ががばがばになるまで犯すぞ」

 

「肝に銘じておくよ」

 

ぼくが肩を竦めると、くかかっと笑った國臣くんがまたざぶりとお湯に浸かった。……、

 

「ねえ、國臣くん」

 

「んむ?」

 

「ありがとうね」

 

ぼくの言葉に一瞬きょとんと両目を見開いた國臣くんだったけど、すぐにニヤッと白い歯を見せると、

 

「うむ!」

 

と、満足そうに頷いたのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 湯屋を出て、涼しい夜風に火照った体を曝しながら、ぼく達は適当に店先で買った燗酒とつまみの焼き鳥を片手に城下町の中心部へと歩いていた。

 

「そうだ、今度時間が出来たら、仕事抜きにどっか出かけてみる?」

 

「ふむ、悪くないの。して、行き先は?」

 

「……海鶴鉱脈?」

 

「それでは仕事と変わらんじゃろが」

 

「ん? おい、もしかして紅夜じゃねえか?」

 

頬をほんのりと染めた國臣くんにべしべしと脛を蹴られながら、そうは言っても中々思いつかない遠出の先に首を捻っていると不意に横合いから耳に覚えのある大声が響いた。

 声の方を振り返ると、体格のいい四人のいかにも冒険者といった風体の男性四人が飲み屋の軒先で小さめの机を囲んでいた。

 

「あ、先日の」

 

その中心でいかにも冒険者らしく鍛えられた腕をぶんぶんと振ってこっちに合図をしていたのは、先日ぼくが代役を務めた冒険団の団長。高名と名乗った男性で間違いなかった。

 

「これから歓楽街にでも行くところか?」

 

「ええ、まあ。……団長さん達は?」

 

「俺達は快気祝いでな」

 

立ち上がって、どすどすとこっちにやって来た団長さんの言葉に首肯してから問い返すと、団長さんはそう言って自身の後ろを顎でしゃくる様な仕草をする。その先に視線を向ければ、先日の冒険の際に見た覚えのある二人の男性と、記憶に無い少し柔和な印象の青年がこっちに目を向けてきていた。この前の名前から察するに、彼が青砥と呼ばれてた最後の仲間らしい。

 

「そうだな、ついでだから紹介しとくか。おい! 青砥!」

 

そう言って団長さんが手招きをする団長さんのどら声に、予想通りと言うべきか少し冒険者というには内気そうな風貌の彼が立ち上がってこっちにやって来た。

 

「こいつが青砥だ。うちでは剣士をしていてな。一見華奢だがかなり使う(・・)んだぜ」

 

「青砥です。えっと……」

 

一色(いっしき)紅夜(こうや)です。以後お見知りおきを」

 

「お前が寝込んでた間に、飯匙倩屋の紹介で代役をしてくれてたんだ。凄かったぜ。何せ普段のお前と一分の差異も無い動きだったからな」

 

「へぇ……」

 

団長さんの説明を聞いた青砥さん……青砥君?は少し興味深そうにこっちを見てくる。確かに正面から見るとさらに物腰柔らかというか、率直に言えば割と内向的な印象の少年とも青年ともつかない風貌をしている。

 

(っていうか、そうなると彼も國臣くんにお尻を掘られた飯匙倩屋竿兄弟の一人ってことになるのか……)

 

 やや中性的な風貌を考えると先日の出稼ぎ三人衆に比べればいくらか見苦しくはないにせよ、やっぱり天楽坊の座敷であの國臣くんの巨根をお尻の穴に突っ込まれて喘いでいる所を想像してしまうと、何とも反応に困る部分ではある。

 

「? あの、何か?」

 

「あ、すみません」

 

と、思わずその顔を矯めつ眇めつしてしまったせいで、青砥さんに訝し気な表情をさせてしまった。

 

「団長さん達はこの後どうされるんですか?」

 

「そうだな、一先ずもう少し飲んだ後は……」

 

その視線を誤魔化すつもりで隣の団長さんに水を向けてみると、まだ飲み足り無さそうに盃を傾ける仕草をし、

 

「お待ちかねの天楽坊だな! こいつもいい加減お柳ちゃんに会いたがってるしよ!」

 

そして、隣の青砥さんの背中をパァン!と打ったのだった。

 

「わとと」

 

団長さんの豪快な張り手に思わずよろける青砥さん。そんな仲間達のやり取りに、奥に居た残りの二人も楽しげに笑い声をあげていた。いや、それは良いんだけど……、

 

「んで、その隣の嬢ちゃんは誰だ? もしかして、紅夜のこれ(・・)か?」

 

この後の予定を聞いて、どう反応したものかと内心で首を捻っていると、唐突にずいっと顔を近付けてきた団長さんが酒臭い息と共に太い小指を立ててきた。その意味はまあ、言うまでもないだろう。

 

「いえ、そういう「なんじゃ、薄情じゃのう。天楽坊では散々こっちにまで粉を掛けようとしてきおったくせに、もうわしの顔を忘れてしまったのか?」

 

と、思案をしていたぼくの隣からにゅっと突き出される白い御髪。まあ、言うまでもなく國臣くんな訳だけど。

 そのニヤニヤとした人の悪い笑みに、一瞬「「えっ?」」という顔をした二人だったけど、すぐに國臣くんの目立つ容貌を認めたのか、今度は「「どういうことだ!?」」と問い詰める様な視線をこっちに向けてくる。うーん、どう説明したものか……、

 

「あっと、もしかしてあれか? 紅夜もお柳ちゃんの客になったとかそういう」

 

「せんせん。こやつはごく普通の友人じゃからな」

 

 真っ先に思い至った答えを口にする団長さんに、國臣くんはけらけらと笑いながらひらひらと手を振って、その言葉を否定する。

 

「ま、裸の付き合いは経験済みじゃがな」

 

「おい、言い方」

 

明らかに面白がってるだろ。ほんの数分前に一緒に銭湯に行っただけなのに、おかげで青砥さんが明らかに動揺しちゃってるじゃん。

 ぼくが手刀を落として抗議の意を露にすると、頭を抑えた國臣くんはぺろりと桃色の舌を見せた。

 

「ま、それはそれとしてじゃ」

 

そして、こほんと軽く咳払いをすると、國臣くんが団長さんと青砥さんを順々に見比べる。

 

「残念じゃが、もう天楽坊に行ってもわしとは褥を共には出来んぞ。つい先日、暇を貰ったからの」

 

「えっ……」

 

「は、はあ!?」

 

そして発せられた國臣くんの宣告に青砥さんは唖然、団長さんは驚愕といった表情を浮かべる。

 

「ちょ、ど、どどういうことだよ!? お柳ちゃんが天楽坊から暇を貰っただって!?」

 

「どういうことも何も、言葉のまんまじゃて」

 

今にも掴み掛ってきそうな団長さんに、國臣くんは事も無げに肩を竦める。

 

「で、でもそんな急に……」

 

「思い立ったが吉日と言うしの?」

 

今度は青砥さんの方が國臣くんを非難する様に引き攣った声を上げるけれど、こっちに対しても國臣くんはあっけらかんと小首を傾げる。実際のところはむしろ厄日なんだけどね……いや、淫魔を犯せたなら吉日で良いのかな?

 

「「……」」

 

「ま、そういう訳じゃ!」

 

 怒るでも反駁するでもなく、あっさりとした口ぶりの國臣くんの煙に巻かれて、二人が継ぐ言葉を発せられずに立ち尽くす中、國臣くんはパンッと手を打つ。

 

「いつか機会があれば、また褥を共にしようぞ」

 

そして、ひらひらと手を振った國臣くんは振り返る様子もなく、すたすたと歩き出してしまう。

 

「あー、そういう感じみたいです」

 

どんどん人ごみに紛れてしまう國臣くんの姿に、ぼくも団長さん達に一度だけ頭を下げると、急いでその背中を追いかける。なんか、明らかに背中の方から視線を感じるけど、それよりも先に國臣くんを捕まえないと。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 えんび団の二人に背を向けた後、数秒もすると人込みに紛れかけていた國臣くんを捕まえることに成功する。やっぱり、この人だかりの中でも純白の御髪は夜光に映えてすぐに目についた。

 

「國臣くん」

 

「むお? おお、紅夜か」

 

 先を歩く國臣くんに声を掛けると、國臣くんは立ち止まって少し驚いたようにこっちを見上げた。その表情は屈託らしきものも見受けられず、直前に無理矢理話を打ち切る様なことをした人間と同一人物とは思えなかった。けど、話を聞かないことには何があったのかも分からないしなあ……、

 

「青砥さんと何かあったの?」

 

結局、水の向け方も思い浮かばなかったぼくは、思い浮かんだままの疑問を単刀直入に國臣くんへと向けてみたのだった。

 

「む……」

 

ぼくの質問に、一瞬言葉に詰まる國臣くん。けれど、その逡巡は本当に一瞬のものでしかなかったらしく、「そうじゃな」と呟いた國臣くんはちょいちょいっとぼくに手招きをする様な仕草を見せる。

その仕草に従って國臣くんに体を傾けると、ぼくの耳元と自分の口元の間に小さな掌を宛がった國臣くんが「実はの」と声を潜めてくる。

 

「わし、あ奴が嫌いでの」

 

「うん……うん?」

 

果たして、その口から出てきた言葉に、ぼくが思わず顔を上げて國臣くんの方を見ると、当の國臣くんは成功した悪戯を面白がるようにくつくつと笑みを漏らしたのだった。

 

「意外じゃったか?」

 

「いや、うん……まあ?」

 

そんな國臣くんの言葉に、ぼくは何とも言えずに首を傾げる。別に陰間だろうが花魁だろうが、そりの合わない客というのは居るだろうし、そんなことで一々驚くのも変なんだろうけどさ。けど、さっきの青砥さんの印象を考えると、一般に嫌われる横柄だったり無理無体を言う様な悪客とはかけ離れた性格をしているような気がする。

 

「なぜか分かるか?」

 

「いや、ちょっと想像できないかな」

 

だから、謎掛けの様な國臣くんの問いに、ぼくは素直に首を横に振った。

 

「あのしょぼくれ顔、普段はわしの下であんあん喘いでおるくせに、いざ事が終わると直前までの痴態を忘れたかのように、わしの釜を穴の空くほど凝視してくるからのう」

 

「あー……」

 

どうやら、青砥さんは國臣くんの男根だけじゃなくてお尻の方にも興味のある客だったらしい。一先ず「御釜は元から穴が空いてるでしょ」と突っ込むと、國臣くんはかっかっかといつもの笑みを浮かべたのだった。

 

「ま、そういう訳なのじゃが、理解できたか?」

 

「この上なく」

 

そして、にひっと口角を持ち上げた國臣くんの言葉に、ぼくは首肯した。

 

「でも、理屈を聞けば納得しかないんだけど、正直意外だったね」

 

「む? 何がじゃ?」

 

そのうえで告げたぼくの感想に、國臣くんが小首を傾げる。

 

「いやさ、最初にえんび団の人達と國臣くんのところ(天楽坊)に行ったときは、青砥さんが居ないっていうのを聞いて國臣くんも残念そうにしてたでしょ?」

 

「ああ、あれか」

 

ぼくの言葉に、國臣くんが得心した様に頷く。

 

「それはほれ、店の看板息子として言葉に多少の化粧をするのは身だしなみと一緒じゃからの」

 

「ま、そういうことだよね」

 

天楽坊の坊主とのやり取りを見れば、國臣くんが天楽坊の看板であるということに少なからず誇りや自負を抱いていたのは想像に難くない。ま、それはそれとして、

 

「じゃあ、今の身体のこととか沸起奔放のことも話題にはしない方が良いね」

 

後者は兎も角、前者の方は無用なもめごとに繋がりかねないし。

 

「忝い」

 

そう言って頷く國臣くんにぼくも頷き返す。そして、どちらともなしに肩を竦め合うと、ぼく達は再び歓楽街へと続く道へと向き直った。と、そこで國臣くんがふと思い立ったように「そうじゃ、紅夜よ」とこっちを見上げてきた。

 

「今日の店は決まっておるか?」

 

「ん? あー、まだかな」

 

特に気が向くところが無かったら、適当に場末のところに行くつもりだったけど。

 

「ならばせっかくじゃし、見抜きの店に行かんか?」

 

「見抜きか……そういえば入ったことが無いね」

 

直接行為をしないってのもあって、楽に発散させる場には向いてない気がするし。

 

「ま、確かに場末じゃと単にまぐわっとるだけじゃが、高級のところは中々に凄いぞ。馬や豚なぞと交わったり、そんな体位できるか!?なんてのもあっての」

 

「へー」

 

國臣くんのその説明に、少し興味をそそられる。確かに、そういう見世物ならちょっと面白そうかも。

 

「でも、なんで急に?」

 

ぼくの質問に、國臣くんはよくぞ聞いてくれたとでも言うように「そこよ」と頷く。

 

「今日、わしらが狩った邪視は不浄なものを見ることが出来んということじゃったろ?」

 

「そうだね」

 

「そんな妖魔を打倒したのじゃ。記念としてあれ(邪視)が目に入れることの出来ない曲芸染みた交合を楽しむのも悪くないじゃろ?」

 

「あー、まあ、そうなの……かな?」

 

そう言ってニッと笑った國臣くんに、「じゃあ、今夜はそこに行こうか」と頷く。ま、物は試しって言うしね。

 

「じゃあ、道案内頼んで良い?」

 

「うむ、任された!」

 

そう言って、自信満々に頷くと、たったかたと歩き出す國臣くん。そんな國臣くんを追いかけながら、ぼくは最後の熱燗の雫を切ったのだった。

 

 

 

 

 

 

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