太陽と正十字 ~日本国召喚異聞~   作:ありさかいずも

71 / 80
那覇事件

■中央暦一六四〇年四月

イルメリア専制公国 領都マリポリ

 

 ユリアは小食堂の窓際で、遅い昼食を取っていた。

 オムレツに似たスフガートは、報告書の束に遮られ、冷めかけていた。

 

 扉が控えめに叩かれた。

 

「ユリア様、お食事中、御無礼を」

 

「どうしましたか?」

 

 入ってきたのは、領主館付きの側近だった。普段より足取りが速い。手には通信紙の束を持っている。

 

「沖縄でパーパルディア船乗員が武装蜂起。現地警察と戦闘状態にあります。死傷者も出ている模様です」

 

 ユリアはスプーンを止めた。

 

「あら。予想よりも遅かったですわね」

 

 側近は一瞬言葉を失ったが、すぐに姿勢を正した。

 

「いかが対応いたしましょう」

 

「国営放送局に状況報道を要請。映像資料は確認済みのものだけを使用、事実だけを報道なさい」

 

「承知しました」

 

「同時に、大隊規模の派遣部隊を編成。日本政府から正式要請があれば即応できるように。細部は軍務長官に一任します」

 

「はっ」

 

 ユリアは、少し考えてから続けた。

 

「それと、武田閣下との回線を用意なさい」

 

「赤山首相ではなく、武田閣下でございますか?」

 

「ええ」

 

 ユリアは皿の上に視線を戻した。

 

「あの政権は動けません。動くべき方に、状況を伝えます」

 

「直ちに手配いたします」

 

 彼は一礼すると、足早に部屋を出ていった。

 

 ユリアは銀のスプーンを指先でくるりと回した。

 

「…スフガート、冷めてしまいましたわ」

 

【挿絵表示】

 

          *

 

日本 那覇港

 

 発端は酒場で起きた乱闘だった。

 那覇に寄港していたパーパルディア皇国の商船乗員が、地元住民へ暴行を加え、警察に拘束された。

 事件そのものは、港町では珍しくない類のものだった。

 

 ただ、今回は相手が悪かった。

 

 拘束された船員は、商船団の古参水夫だった。

酒場の外では罵声が飛び交い、警察署の前には皇国船員たちが集まり始めていた。

 

 沖縄県警は、当初、これを単なる騒動と捉えていた。

 実際、その時点では交渉を行えば済む程度の話だった。

 だが、皇国の船員は、カトラスや斧、マスケット銃等を船から持ち出していた。

  

 最初の発砲で、警察署の窓ガラスが粉々に砕けた。

 続いて、警官数名が倒れた。

 彼らは怒声を上げながら警察署に突入し、拘束された仲間の奪還を試みた。

 

 そこに、他の皇国船の船員が加わったため、事態はさらに悪化した。

 通報を受けて出動した警察官や、近隣住民までが巻き込まれたのである。

 

 路上では、斧を持った皇国人が警官に襲い掛かった。

 マスケット銃の鉛弾を受け、逃げ遅れた市民が倒れた。

 夜明け前には、那覇港周辺は半ば戦場と化していた。

 

【挿絵表示】

 

 日本側の死傷者は、一般市民を含む数十名にのぼった。

 長崎事件の再来である。

 

 赤山内閣の対応は鈍かった。

 彼らは、事態を認めたくなかったのである。

 

 官邸は即座に情報統制を行ったため、新聞各社や放送局はこの事件を知り得なかった。

 

 加えて、内閣は保安隊の出動を拒否した。

 保安隊を認めれば、それを擁護する親イルメリア派の伸長に繋がる。

 それは、彼らが最も嫌うものだった。

 

 この状況を変えたのは、日本国内の報道ではなかった。

 

          *

 

 事件翌日の正午。

 イルメリア国営放送は、街頭テレビや大型スクリーン、ラジオ放送を通じて、沖縄での騒乱を報道した。

 

 燃える家屋、負傷者を運ぶ警察官、マスケット銃を構えた皇国船員の映像が日本中に流れた。

 日本国民は政府の発表より先に、外国放送で沖縄の現実を知った。

 

 翌朝、国会前は群衆で埋まった。

 

 学生や復員兵、主婦や会社員までが議事堂前へ押しかけていた。

 

 外国の武装勢力が一般市民を殺害し、政府がそれを隠した。

 その事実が、人々を激高させた。

 

「沖縄を守れ!」

 

「何のための政府だ!」

 

「保安隊を出せ!」

 

 赤山内閣は、完全に追い込まれていた。

 

 不信任案が提出されたのは、その三日後。

 前年十一月に成立した赤山政権は、半年を待たず崩壊した。

 

 事件から一週間後、参議院緊急集会において、保安隊行動承認が可決された。

 状況を考えると、異例の速さであった。

 

 戦後日本は、この瞬間、ようやく現実に引き戻された。

 沖縄で流れた血が、日本という国の空気を変えてしまった。




スフガート:旧帝国(東ローマ帝国)時代から伝わる、卵にチーズと新鮮なハーブや野菜を加えたスポンジオムレツ。

ユリアの昼食シーン
なにげに高級品ばかりです。
状態の良いオールドノリタケのシノワズリが約8万円。
家紋入りの白磁の洋皿は約10万円。
300年前のウォルナット材の1.5m四方のテーブルが約700万円。
アンティークのフォークとナイフのセットは約10万円。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。