また、時系列はメインストーリー、アビドス高等学校編の2章が終わったあたりを想定しております。
超法規的組織・シャーレ。学園都市キヴォトスにおける様々な問題を、学園間のしがらみを超えて解決するために設置されたこの機関は、長である先生の活躍もあり、着実に生徒たちからの信頼と評価を集めていた。故に、その『
だがそれは、あまりにも―――あまりにも、キヴォトスと先生の理解を超えていた。頭を悩ませた先生はありとあらゆる伝手を辿り……そうして、彼女にたどり着いた。
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「……ここです。ここに、彼女がいます。」
「……うん、ありがとう。」
先生が訪れたのは、度を超えた不良や犯罪者が収容される矯正局だった。管理を任されているヴァルキューレ警察学校の生徒は、先生を案内するという役割を果たしてなお、不安と緊張に満ちた顔つきを崩さなかった。
彼がここを訪れた理由は一つ。ここにいる、とある『囚人』の話を聞くためだ。
―――事前に貰った『彼女』の写真を改めて見つめる。長く、艶のある黒髪。前髪を眉の上でまっすぐ切りそろえたそれは、確か生徒たちの間では『姫カット』と呼ばれていたはずだ。青い瞳はカメラをまっすぐ見据え、美しさと同時に心の中を見透かされているような奇妙な緊張感を抱かせる。
「何度も言うようですが、彼女に拘束や仕切りはあってないようなものと考えてください。あの日……災厄の獣が脱走した日から、世間じゃ凶悪犯たちを七囚人なんて呼ぶようになったそうですが、私たちからすれば、彼女が一番厄介ですよ。」
「でも、別に大きな犯罪をやったわけじゃないって聞いたけど……。」
「……そうですね。最初にここに入ったのは、食い逃げが理由と聞きました。」
「その後、彼女は幾度となく脱獄を繰り返しました。何か欲しいものがあれば、コンビニに行くような感覚でここを抜け出して、刑務作業で得た賃金で購入していつの間にか帰って来るんです。」
「脱走するところも、帰って来るところも誰にも見られることなく、気づけばいなくなり、気づけばまた現れる。部下たちの間では、あいつは『
「不羈の穴熊……かっこいい名前だけど、本名はなんて言うの?」
「ああ、そうでしたね。奴の名前は……。」
「……『
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(……面倒なことになった。)
ここに来てから一度も来たことのない、面会室の固い椅子に腰かけながら思う。私に―――黒沢リンゴに会いに来る奴など、どう考えても厄介な相手でしかない。だからこそこの話を最初に聞かされた時は、何が何でも断らなければならないと思っていた。
だが相手があの『シャーレ』の先生とあれば、矯正局の方もそうはいかないらしい。キヴォトスに存在する、全ての学園に対して拒否できない命令権を持つとさえ噂されるシャーレが相手となれば、だ。
(目を付けられると面倒だからな……。無難にやり過ごしてお帰り願おう。)
そんなことを考えていると、面会室を遮る防弾ガラスの向こうで扉が開いた。ヴァルキューレの生徒と共に、最近のニュースで散々目にした優男風の大人が入ってくる。私の向かいに腰掛けたその大人は、こちらを安心させるように微笑んだ。
「やぁ、はじめまして。私はシャーレの先生だよ。」
首から下げたカードを見せて笑う先生から、悪意のようなものは一見感じられない。
「こちらこそ初めまして。黒沢リンゴです。わざわざシャーレの先生にこんなところまでお越しいただいて、恐縮の極みです。」
薄っぺらい作り笑いを顔に貼りつけ、悪印象を抱かせないよう心掛ける。人に媚びることばかり上手くなった自分が嫌になるが、これも私の能力だ。せいぜい利用させてもらおう。
「先生はお忙しい方と聞いていますし、早速本題に入りましょう。私に何の御用ですか?」
「生徒の話を聞くのも大事な仕事だけど……でも、そうだね。今はとにかく、一刻でも早く情報が欲しいんだ。」
わざわざ自分から困っていることを明かすとは、馬鹿正直な人だ。これが交渉なら弱みに付け込まれているだろうが、私にそのつもりはない。適当な理由をつけて、力になれないと断ればそれでいい。何もしらない、無力な子供を装うとしよう。
「情報、ですか……? 私はずっと矯正局にいますから、あまり協力できるようなことはないと思いますが……。」
「ひとまず、これを見てくれないかな?」
いいながら先生は、タブレット端末の画面をこちらに向けて何かを見せてきた。
「何ですか、それ……私にはわからな―――!!」
その画像が目に飛び込んできた時、思わず息を飲んだ。あの忌々しい場所で、何よりも恐れられていたもの。虫を象った精巧な金細工のついた、黄金が目を引く『矢』。
「お前……!! それを一体、どこで手に入れたッ!!」
「っ! やっぱり知ってるんだね……これを。教えてほしい、これは―――」
「質問を質問で返すなぁーーーッ!! 聞いたのは私で、答えるのはお前だッ!! 答える気がないと言うのならッ!!」
怒りのままに拳を突き出す。防弾ガラスがあるからと呑気しているのかもしれないが、私を遮る術はない。
「……ッ!」
「質問は既に拷問に変わっているんだ! 早く答えろッ!!」
「おいッ! その人から手を離せッ!!」
先生の顔が、苦悶と驚愕に歪む。防弾ガラスで遮られていたはずなのに、私の腕がガラスを貫通して先生の首を締め上げているからだ。
私が立ち上がったときに倒した椅子が派手な音を立てたからか、ヴァルキューレの看守たちが面会室に雪崩れ込んでくるが、知ったことではない。銃をこちらに向けているが、防弾ガラス越しだ。
「早く言えッ! このまま体をバラバラにして、頭部をサッカーの時間に使ってやろうか!?」
「離れろと言ってるんだッ! 離れろォーーーーッ!!」
「ま……待つんだ皆……ッ!」
「!」
喧騒に満ちていた面会室は、先生の苦し気な一声によって、途端に静寂を取り戻した。私が首を掴む腕を少し緩めると、咳き込みながらも話しを始めた。
「まず……ゲホッ! 謝らせてほしい。リンゴ、君の……何か、トラウマに触れてしまったのかもしれない。とにかく、君の質問に答えよう。」
「……。」
急に頭が冷静になり、後悔の念が押し寄せる。最悪だ。目をつけられたくなかったのに。
「この『矢』は……ある学校で保管
「……ほんの、数日前までは。」
「どういうことだ……?」
私の質問に答える前に、先生は振り返った。その視線の先には、どうすべきかわからないと言った様子の看守たちがオロオロとしているのが目に入る。
「ここから先は、二人だけで話したいんだ。いいかな?」
「し、しかし……。」
「言う通りにしろ。不安なら、これでいいだろう。」
「は……え、わ、
ガラスを挟んで、私の一番近くにいた看守が驚いた声を上げる。そいつの腰についていたはずの手錠は、いつの間にか私の両手を拘束していた。わざとらしくガチャガチャと鳴らしてやれば、誰かがゴクリと息を飲んだ音が聞こえてくる。
「……せ、先生。我々はすぐ傍で待機しています。何かあったら、すぐに呼んでください。」
リーダー格の奴がそういうと、看守たちは部屋をいそいそと出て行った。再び二人きりになった面会室の中、先生がまた口を開いた。
「……私の生徒が、これに刺された、と話しているんだ。」
「ッ! 話せるのか、そいつ……。」
「今はね。でも刺された後、彼女は……近くにいた、自分の後輩を傷付けてしまって……今は学校にも来られない状態が続いている。」
「彼女のせいじゃないと何度も伝えたけど、『また誰かを怪我させるかもしれない、ヘイローを壊してしまうかもしれない』と苦しんでいて……本当なら、その苦しみを取り除くのは大人である私の責任なのだけれど……。」
「……。」
平静を装っているが、冷や汗が頬を伝っていくのを感じる。私は、その矢を知っている! いや! その矢の持つ力と、呪われた代償について知っている!
「だから、お願いだ! どんな小さなことでもいい、この『矢』について知っていることがあったら、どんなに小さなことでもいいから教えてほしい!」
「……。」
ここまで来れば、あの場所から続く因縁を断ち切れると思っていた。自分のことを誰も知らない場所にいけば、新しい人生が待っていると信じていた。
だが、現実は非情だ。私の過去は、こんな石の海の中まで私を追いかけ、そして追いついた。
「……決めた。」
「え?」
「私は……ここを出ることに決めたぞ。そしてあんたについて行き、この『矢』を追う。」
「そ、それじゃあ……。」
「二つだけ条件を出す。一つ目は衣食住の保証だ。多少粗末でも文句はないが、最低限のものをくれ。」
「二つ目は―――」
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矯正局は嵐のような騒ぎになった。シャーレの権限を使い、『不羈の穴熊』・黒沢リンゴを協力者として出所させてほしいという要請がされたのである。全く前例がないことであったため、すぐに連邦生徒会に是非が問われたが、あっという間に返事が返ってきた。
結論は『許可』……その結論のみならず、返事が返ってくるまでのスピードまでも異例中の異例だった。それほどまでにシャーレの権限は大きいのか、それとも今シャーレが抱えている
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「何と言うか……ずいぶん、ほっとしたような顔をしてたね、看守の子たち。」
「ふん。私が脱獄するたびに、上の連中から叱られるんじゃないかと怯えていたからな。私が出て行ってくれるなら、むしろ安心ってところだろう。」
私は特例ではあるものの正当な手続きを踏み、晴れて矯正局を出た。ここを出ることは何度もあったが、こうして正門から出るのは初めてかもしれない。
「それで? まずは何をすればいい?」
「……私としては、すぐにでも刺された生徒の話を聞いてほしいところだけど……でも、いいの? せっかくこうして外に出られたんだから、何かやりたいこととか……。」
「そんなことはどうでもいい。私の今の主人はあんたなんだから、あんたがやりたいことをやらせればいい。」
「それは……。」
何かをいいたげな顔だったが、爆発音と悲鳴とがそれを遮った。咄嗟に先生を物陰にひっぱり、急いで隠した。
「何が起こったの!?」
「大方、どこぞで銀行強盗でもあったんだろう。ひとまずここに隠れていてくれ。ほとぼりが冷めたころに脱出する。」
「……いや、そういうわけにはいかない。誰かが怪我する前に止めないと!」
「キヴォトスの人間は多少撃たれたくらいじゃ死なない。だが、あんたは違う。大人しくしていろ。」
「……ごめん、リンゴ!」
「なっ……! 何ィーーーーッ!!」
私の制止を振り切り、先生は音に向かって駆けだした。何を考えているんだ? あの人は……たった一発の銃弾で、命の危機にさらされるんだぞ?
「クソ……ッ! あの人に死なれでもしたら、間違いなく騒ぎになるッ!」
その背中を追いかけながら、私の頭には打算的な考えが浮かぶ。私はこれからシャーレの庇護に入るが、先生の首を絞め上げた負の実績がある。多少恩を売って、ポイントを稼ぐのはそう悪い事ではないはずだ。
「……先生が危機にさらされる前に、即行でカタを付けるッ!!」
決断を済ませた私の背後に、さっきまでいなかったはずの『人影』が現れる。決断を済ませたなら、後はそれに賭けるだけだ。
「やるぞ……。『スティッキィ・フィンガーズ』。」
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「アロナ! 銀行内部の様子はわかる!?」
『ダメです! 物理的に監視カメラが破壊されているみたいで……』
引き留めるリンゴの声も聞こえないふりをし、先生は銀行の周りに集まる野次馬の中にいた。周りから聞こえてくる声から推測する限り、どうやら不良グループが銀行強盗に及んだらしい。
「今のところはまだ怪我人はいないみたいだけど、早く何とかしないと……。」
使命感ばかりはやってここまで来たものの、先生自身は戦う力を持たない。何か打開策はないかと思考を巡らせるも、犯人グループは銀行内への立てこもりを選択したらしく、内部の情報が得られない以上それすらも困難だった。
『せ、先生! なにか銀行で起きてるみたいです!』
「えっ!?」
思考の海に沈みかけていた先生だったが、アロナの声に呼び戻され、再び銀行に目を向けた。
「な、何だお前……ッ!?」
「う、撃て! やっちまえ!!」
騒ぐ声と、複数の銃声。それらが銀行の中で響いていたのは、ほんの2、3分にも満たない短い間だった。中で何が起こったんだと、誰もが息を呑んだ時。
「終わった。さっさと帰ろう、先生。」
「うわぁ!? り、リンゴ?」
先生は後ろから肩を叩かれ、驚きながら振り向いた。先ほどまで一緒にいたはずのリンゴがひらひらと手を振っていた。
「銀行強盗は私が片付けた。後はヴァルキューレの連中に、後始末をさせればいい。」
「え? でも君は私の後ろから……」
返事の代わりに、リンゴは何かを先生に投げ渡す。慌ててそれをキャッチし、まじまじと見つめた先生は困惑の声を上げた。
「弾丸……? これは一体?」
「奴らのうち、一人が私に撃ったものだ。線状痕を調べればはっきりするだろう。」
あっけにとられる先生だったが、お構いなしにリンゴは続ける。
「矯正局での出来事はこれでチャラにしてほしい。それとも、まだ足りないと言うのなら―――」
「ううん、大丈夫だよ。ひとまず、今日のところは帰ろうか。」
「……そうか。なら、そうしよう。」
リンゴは再び、先生の背後に影のように控える。二人は帰路についたが、ふと思いついたというように、リンゴが尋ねる。
「そうだ、聞くのを忘れていた。例の『矢』に刺されたという生徒……そいつはどんな奴なんだ?」
「ああ、彼女は……」
答えようとして、先生の顔がわずかに曇る。
「……彼女の名前は、『