「私はミカに、ナギサの不安を取り除くためにトリニティに入学してほしいと依頼された。だが実際には、裏切り者であるアズサを入れたのはミカ自身だった。これはどういうことだ?」
私は改めて座りなおし、アズサに向き直った。アリウスの話であまりにも盛り上がったものだから忘れていたが、ミカのやっていることは矛盾しているように思える。
「ミカは何も知らない。ただ本当に、私たちと仲直りしたかったんだ。でも、アリウスはそれを裏切った。ティーパーティーのトップを消そうとしたんだ。」
「……チッ、いかにも奴らがやりそうなことだ。相手は百合園セイアだな?」
こくりとアズサが頷いた。ティーパーティーの三頭政治、その最後の1人。授業が終わった後にネットで検索をかければ、一瞬でヒットするビッグネーム。彼女は現在入院しており、表舞台には姿を現していない。もともと体が強い方ではないという噂もあるため、最初のターゲットにはピッタリだったのだろう。
やれやれだ。地獄のような日々で磨いた能力を、とうとう身内ではなく外に向けたということか。
(私たちは本当に……何のために、あんなことをしていたんだ?)
アリウスの外に出てわかった。学生生活というのは、本当はこんなにも楽しいものなのだと。あそこから逃げ出した判断は間違っていなかったと感じると共に、喉に魚の小骨が刺さったような、ちくりという痛みを感じることもあった。罪悪感を感じ続けていた。
(……いや、今は感傷に浸っている場合ではない。とにかくアズサの話を聞かなければ。)
そう思いなおし、アズサの方に向き直る。だが明らかに、彼女の様子は普通ではなかった。
「……。」
何だ? ただでさえ色白なアズサの顔から、血の気が完全に引けている。よく見れば翼も小刻みに震え、何かに怯えているかのような表情だ。
「――――まさか。」
点と点とがつながる。トリニティのトップの襲撃。眠れる諜報員。
「……お前が、やったのか?」
「……うん。私が実行犯なんだ。」
何かに引っ張られるように、私は勢いよく跳び箱から立ち上がった。拍子で跳び箱が大きな音を立て、アズサの体がビクリと跳ねた。
「殺したのか?」
「……し、死んではいない。私たちが使ったヘイローを破壊する爆弾……それの起爆をする前に、私がスタンドでセイアを保護したから。ダメージは受けたけど、ヘイローを破壊するまでには至ってない。」
握りしめた拳が、ブルブルと震える。固く閉じた手のひらの中に溢れる暖かいものは多分、私の血なのだろう。爪が手のひらを突き刺し、皮膚を突き破ってしまったらしい。
「た、タルト……血が……。」
「アズサ。お前はまだ、アリウスに忠誠を誓うか?」
「え?」
「私はずっと思っていた。スタンド使いを作る『矢』さえ叩き潰せば、私は明るい方に歩きだせると。日の当たる道を前に進むことが出来るはずだと。」
―――だが、違った。真に倒すべき敵は『矢』ではなかった。あの場所―――アリウスそのものだったんだ。
「私は
「何だって!?」
「スクワッドも、教官も、大人も―――邪魔をする奴らは始末する。地位や名誉なんてものに興味はないが、それが必要だと言うなら……」
「私は、アリウスの生徒会長になる。救えなかったことに罪悪感を感じるのなら、逃げ出したことに負い目を感じるのなら、私がまとめて救ってやる。」
―――きっとそのために、こいつは私のもとに現れた。矢に選ばれなかった私に、ある日突然発現したスタンドは。
「改めて名乗ろう。私の名前は『黒沢リンゴ』―――スタンドは、『スティッキィ・フィンガーズ』。」
スタンドは心なしか、更に屈強な体つきになったように見える。スタンドが精神のエネルギーだと言うのなら、私に新たな『夢』が出来たことで、精神的な成長を果たしたのかもしれない。
「アズサ。もう誰も、お前に殺させたりはしない。」
「……!」
私を救ってくれた人に、もう二度とあんな顔はさせない。
―――――――――――――――――――――――――――
「それでは今日から改めて、リンゴちゃんを加えた5名で補習授業部再スタートです! 全員での試験合格を目指して頑張りましょう!」
再スタート、か。いい響きだ。私の人生も今日、また新たに始まったと言っていいだろう。こうして学校に通い、勉強をする。昔からの夢だった。
「まずはリンゴさんの実力を把握したいので、前回行われた試験をやろうと思います! その後、間違えたところや苦戦したところを重点的に対策していきましょう!」
ヒフミから問題用紙と解答用紙を受け取り、私はペンを手に取った。はっきり言って自身は全くないが、やれるだけのことはやってやる。
決意と共に問題に目を通し、数十分後。私の答案を先生とヒフミが採点してくれた。
「……32点。わかってはいたが、道は険しいな。」
「リンゴは古語が苦手みたいだね……。中学生レベルの文法から、もう一度確認した方がよさそうだよ。」
「で、ですがこれを見てください! 弾道学は満点なんです! しかも記述式の問題で、部分点を稼げれば十分だと思っていたのですが、素晴らしい成績だと思います!」
弾道学。発射された弾丸や砲弾、ミサイルなどがどのような移動をするか、どこに着弾するかなどを、物理学や数学、化学の観点から計算する学問だ。当然軍事にも密接に関係しているため、これだけは胸を張って得意だと言える。
「確かアズサちゃんも、弾道学は満点でしたね。ひょっとして、二人っきりでエッチなお勉強をしていたんですか?」
「……ああ。リンゴはすごく意欲があるみたいだ。」
「まあ! そんな、一体何をなさったんですか? ○○? それとも○○○でしょうか?」
「な、何小学生みたいなイタズラしてるのよ! 馬鹿ハナコ、あんたもさっさと勉強したらどうなの!?」
「あ、あはは……。でもコハルちゃんの言う通りです! 私たちはもっともっと、成長しなければなりません! そのために、私たちは合宿をすることになりました!」
……確かあの後、アズサに聞いたな。補習授業部が試験を受けるチャンスは全部で3回。彼女らはその内の一つに、既に落ちてしまっている。だから合宿をすることによって更なるレベルアップを図るのだと。
(その試験に3回落ちたら、全員仲良く退学……というわけだ。私はともかく、他の奴らまで道連れになるのは忍びない。)
「というわけで今から、早速合宿所に移動します! 皆さん、ついて来てください。」
教室を出て移動するが、トリニティは本当に広い。話に聞く限り、今は使われていない別館を利用させてもらうということだったが、こんなに敷地が大きかったら当たり前だろう。いざ別館についてみれば、しばらく使われていないという割に小綺麗にしてある。アリウスで普段使われている兵舎に比べれば、まさしく天国と地獄という感じだ。
「偵察完了だ。狙撃の心配もないし、防衛上のセキュリティも改修で十分補える。中々の防衛拠点になるだろう。」
「あ、アズサちゃん……? 私たちはここに戦いに来たわけでは……。」
「うふふ、アズサちゃんは用意周到ですね。そんなに合宿が楽しみだったんですか?」
「うん。リンゴもそうだろう?」
「わ、私か? そうだな、まあ……楽しいことになりそうだ。」
合格できなければ、退学……この事実は他言しないようにと、先生から言われている。アズサは浮足立っているようだが、学力の向上にも努めなければ。
「そ、それでは改めて……私たちは今日から一週間、ここで学力向上のための合宿を行います。先生もつきっきりで同行してくれる予定ですので、心配なことはないはずです。向かい側にもお部屋があるので、先生は―――」
「うん、そっちで寝泊まりすることにするよ。皆はここで親交を深めておいて。」
「なら私もそっちの部屋だな。よろしく頼む。」
……なんだ? 何故か空気が凍ったような気が―――
「だ……ダメっ、絶対ダメ!! 同衾とかエッチじゃん!!!! 死刑!!!」
「リンゴ先輩どういうことなんですか!? まさかお二人はそういう関係だったのですか!? その破廉恥な服装はまさか誘惑を日常に落とし込んだ高度なプレイだったということなのですか!?」
……そういうことか。護衛を務めているからといって、流石にやりすぎだった。
「私はリンゴも一緒がいいが……そうだ、それなら先生もこっちの部屋で寝ればいい。私は一向に構わない。」
「あ、あはは……。」
「まあまあ皆、交流を深めておいた方がいいと思うよ。何かあったら呼んでね。」
とにかく私たち生徒と先生は別の部屋で寝ることにして、私たちが次に始めたのは勉強ではなく掃除だった。それなりに綺麗ではあるが、ところどころ汚れが目に付く。確かに、集中の邪魔になるかもしれない。
「それでは動きやすい服装に着替えて、大掃除を始めましょう!」
動きやすい服装か……確かに今着ているスーツは真っ白で、ここに汚れがつくとかなり目立つ。ミカに貰った体操服に着替え集合場所に向かう。何故かハナコが水着を着て来るハプニングもあったが、私たちは掃除を始めた。
「リンゴちゃんは、食堂の掃除をお願いします! 包丁などには気をつけてくださいね。」
「了解した。」
別館の地下には、何人でも入れそうなほど広い食堂が広がっている。白とベージュの落ち着いた雰囲気の部屋に、観葉植物の緑がよく映える。あまり使われていないという割に、手入れをしている奴はいるらしい。
(それにしても、これが食堂か……。ゴキブリだのネズミだのを覚悟していたが、足跡の一つも見当たらない。本当に何もかも、アリウスとは大違いだ。)
目に見える埃をはたきでとり、雑巾で水拭きをする。何度か繰り返すとあっという間にピカピカになり、あっという間に掃除は終わった。次は食糧庫だ。
「缶詰、レーション……やたらと戦闘糧食が多いな。消費期限もまだまだ先だ。トリニティは戦争の準備でもしてるのか?」
確かトリニティは、エデン条約というゲヘナとの友好条約を結ぶ予定だと、散々ニュースで話題になっていたはずだ。トリニティがおっぱじめるなら相手はゲヘナしかいないと思っていたが、そういうわけでもないのか?
(もしくはエデン条約そのものが嘘なのか……? ゲヘナを後ろから撃つための準備でしかなかった?)
「……やめよう。これ以上考えても答えは出ない。」
手に取った缶詰をもとの場所にしまい、私は掃除を再開した。念のため、地下の食堂と下水道の位置関係を確認しておく。いざとなったら、スティッキィ・フィンガーズを使えば下水道から脱出できるはずだ。一通りの掃除を終え、私は皆のもとへ戻った。
「大分綺麗になったんじゃない?」
「はい! これでお勉強にも集中できそうです!」
「……いえ、まだです。まだ大事なところが残っています。」
「ハナコちゃん? それは一体―――?」
「プールです! この屋外プールを綺麗にしなければ、完璧とはいえません!」
「プール? 試験に水泳はないだろう。」
私の反応にもめげずに、ハナコは続けた。
「明日からは頑張ってお勉強をしないといけませんし、今日がきっと最後の遊べるチャンスだと思うんです。だから今から掃除して、プールに水を張って、飛び込んだり水を掛け合ったりしましょう!」
「いや、そんな時間は……」
言いかけたが、私はちらりとアズサを見た。どことなく、彼女の瞳はキラキラと輝いているように見える。……そうだな、私たちはそういう経験が足りなさすぎる。
「……ハナコの言う通りだな。未練を残さないよう、今日は思い切り楽しもう。」
「! うん、私も水着に着替えてくる。待ってて。」
「ちょ、ちょっと私はまだ何も―――」
アズサはコハルの手を引き、全速力で更衣室に駆けて行った。ヒフミも戸惑いつつだが、その後を追って行った。……私も着替えるとしよう。もっとも、ミカに水着はもらっていないからどうしたものかと考えながらだが。
「うふふ♡ 皆さん着替えてきましたね?」
「ま、まあ一応……でも、その……。」
「な、なんでアンタは制服なのよ! 馬鹿なの!? 馬鹿でしょ! バーカバーカ!」
……あいつらの騒ぐ声は遠くからでもよく聞こえる。遅くなったが、とりあえず私も合流しよう。
「すまない。水着は用意が間に合わなかったから、今日のところはこれで勘弁してくれ。」
こちらを見たコハルの顔はいつものように真っ赤だ。ハナコと絡むといつもああなっているな。
「な、な、何よその服! 死刑死刑!!」
「私のインナーだ。見様によっては、水着に見えないこともないだろう。」
「ダメに決まってるでしょそんなの!! 先生もどこ見てるの!!!」
「どこも見てないよ!?」
「……その、さ、流石です先輩……。」
……ともかく、さっさと掃除を始めよう。日が暮れる前に、掃除を終わらせなくっちゃあな。
先生も含めて6人で行った掃除は、あっという間に終わった。水を掛け合ってきゃあきゃあ騒ぎながら、床や壁をこする。水を頭から被ると、何故だか妙に気分がいい。ひょっとしたら私は、水と相性がいいのかもしれない。水を溜め終わり、皆でプールに飛び込んで遊んだ時間はあっという間に過ぎていったが、それでも心の底から笑顔になれた。きっとアズサにアリウスのことを教えてもらって罪悪感が減ったからと、補習授業部の連中がいい奴だからだろう。
キラキラとオレンジ色に輝くプールを名残惜しく見送り、私たちはシャワーを浴びて体操服に着替えた。コハルはすでに船を漕ぎ始めているし、もう寝る時間だということだろう。
「そろそろ休みましょうか。もうそろそろ寝ないと、明日以降に差し支えるかもしれませんし……。」
「それじゃあ私はあっちの部屋にいるから、何かあったらいつでも教えてね。」
「はい、ちゃんと覚えておきますね♡」
「な、何するつもりなのよ……。エッチなのは……。」
「コハル、早く寝よう。これ以上は明日に響く。」
アズサはコハルをベッドに放り投げ、自分も毛布とシーツの隙間に潜り込んだ。気が合うというか、放っておけないと思っているのかもしれない。私も早いところ、眠りにつくとしよう。
「ヒフミ、電気を消してもいいか?」
「あ、大丈夫です! お休みなさい、リンゴちゃん。」
「ああ、お休み。」
電灯のスイッチを切り、私もベッドに横になる。誰かが傍にいる環境で寝るのは久しぶりだが、今日はよく眠れそうだ。
――――――――――――――――――――
皆が寝静まったのを確認し、むくりと体を起こす人影が一つ。補習授業部の部長である、阿慈谷ヒフミだ。彼女は先生とリンゴ以外に唯一、補習授業部の秘密を知っている。全員が合格できなければ、全員が退学になるというルールだ。
彼女はトリニティの現ホスト……桐藤ナギサに、妙に気に入られていた。その繋がりから、トリニティの裏切り者を探し出してほしいと依頼を受けていた。だが平凡で心優しい彼女にそんなことが出来るはずもなく、先生に相談をしてみるつもりだったのだ。
寝ている友人たちを起こさないよう慎重に部屋を出て、先生がいるはずの部屋をノックする。程なくしてどうぞと中から声がかけられ、遠慮がちにノブをひねった。
「夜分遅くに、失礼します。先生……?」
部屋に入ったヒフミが目にしたのは、顔をしかめて目じりを揉む先生の姿だった。
「す、すみません先生。やっぱりお疲れですよね……。」
「いやいや、大丈夫だよ。それよりどうしたの? 眠れないのかな?」
「は、はい。それがですね……。」
夜は更け、各々の思惑が錯綜する。補習授業部の未来を憂い、真剣に話し合う2人。音もなく起き出し、どこかへと歩みを進める者。あてもなく、かといって眠る気にもならず、真夜中の廊下を歩く者。
「……やれやれ、単純には終わらないようだ。」
そしてその全てを把握し、これからの道を考える者。
スティッキィ・フィンガーズ 本体 黒沢リンゴ
【破壊力:C→B / スピード:C→B / 射程距離:C/ 持続力:D/ 精密動作性:D/ 成長性:B→C】
拳で触れた部分にジッパーを取り付けることが出来る。ジッパーは物体の強度に関わらず、自在に開閉できるようだ。
本体であるリンゴは、スタンドを使いこなせている気があまりしないと証言しており、未だ隠された何かがあるのかもしれない。
リンゴの心に新たな『夢』が芽生えたことによってさらに精神は強固になり、スタンドの基本的な能力も向上した。だがまだ、全てを使いこなせているわけではないようだ。