それからの私の毎日は、今までにも増して忙しくなった。日中は補習授業部としての勉強に努め、深夜になればアズサと密会を行い計画をさらに深めていく。文字通り寝る間も惜しんでの生活だったが、少しも辛いとは感じなかった。やりたいことをやっている時、人間は老化が止まるという話を聞いたことがある。偉大な画家や漫画家が全く老いないように見えるのは、これが影響していると考えられるそうだ。今の私がまさしくこれだ。今、本当に充実している。
今夜もまた、私たちは地下の食堂で話し合いを行っていた。
「まさかあのサオリが、笑いながら話すなんてことがあるとはな……。正直、私は未だ信じられていない。」
「それは多分、リンゴのおかげだと思う。あなたのおかげで、私たちもいつかは外に出られるかもしれないと希望を持つことが出来た。特にスクワッドには、『姫』がいるから。」
「ロイヤルブラッドか……。」
アリウス自治区には、ロイヤルブラッドと呼ばれる『姫』がいる。噂では、アリウス生徒会長の一族の血を引いているとかなんとか……。
「……でも最近会うサオリは、まるで別人みたいに見える。マスクで顔を隠してはいるが、ほんの少しも笑顔を浮かべなくなった。」
「任務中なのだから当然だと思うが……まあいい、スクワッドが簡単に仲間になってくれるとは思わない。とにかく今は、皆を退学にさせないように努力するべきか。」
とにかく今最優先で考えるべきなのは、目前に控えた第三次特別学力検査だ。アリウスの大勢を救う前に、補習授業部の面々を助けなければならない。
「それで、試験に合格した後はどうするんだ?」
「まずはアリウスのナギサ、ミカの暗殺を阻止する。それをやったら、アリウスはもう後戻りできなくなるからな。そのために、アズサには引き続き二重スパイを続け、暗殺計画の情報を流してほしい。トリニティに入るためには、内側から手引きをする人間が必要不可欠だろうから、お前にも計画の実行日は伝えられるはずだ。」
「わかった。計画を阻止した後は?」
「順調に行けば、エデン条約が結ばれるはず……。トリニティだけでも荷が重いのに、ゲヘナとまで手を組まれたら、いよいよアリウスに打つ手はない。エデン条約が結ばれる前……それが最後のチャンスだと、私なら考える。」
アリウスは確かに、戦闘技術や軍事教練を厳しい訓練の中で叩き込まれる。一人一人の戦闘力は、トリニティやゲヘナのそれを遥かに凌ぐだろう。だがあまりにも、戦力の規模が違いすぎる。アリウスの全兵力をかき集めても、恐らくはトリニティの3分の1にも満たない。
故に、アリウスは表舞台に出てこられない。暗躍しているから、気づかれないでいるから、まだ生存を許されている。奴らが表に出てくるとき―――それは、全ての勝負を決めにかかる時だ。
「エデン条約が結ばれるまでが最後のチャンス……うん、私も同意見だ。」
「人数で劣ることから、可能性があるのはゲリラ戦……タイミングはいつだ?」
「指揮系統を狙えば――― その機会は―――」
ほとんど夜が明けるまで、という勢いで私たちは話し合ったが、結局は情報が足りなさすぎるというところで落ち着いた。ヒマリに頼ることも考えたが、電子戦ではスタンド能力に阻まれて情報を得ることが出来ない。適当なアリウス生徒を捉えて尋問して……というのも、人数が足りないとなったら向こうは更に警戒を強めるはずだ。
「情報源はアズサに頼るしかない、か……。それもホストの暗殺を阻止すれば、二重スパイがバレていよいよアリウスは闇に包まれる。」
「うん。ひとまず今日はここまでにして、部屋に戻ろう。そろそろ眠らないと明日に響く。」
「……その通りだな。帰ろう。」
まずは目の前の試験に合格しなければならない。私たちは部屋に戻りベッドに入ったが、私の心はざわつきを押さえられなかった。何か見落としているような気がして、妙に目が冴えて眠れない。
(情報源はアズサ以外にない……本当にそうか? 何か違和感が……。)
モヤモヤとした気分のまま寝返りをうつと、私の隣で寝ているコハルのピンク色の髪が目に入る。奴の頭頂部は妙にいい匂いがすると評判で、ヒフミですら匂いを嗅いでいた。
(ピンクの髪……そうだ、ミカだ! 聖園ミカ!!)
私のスマホには、ミカの連絡先が残っている。ここに『百合園セイアは生きている。お前とアリウスの関係について知っている。』とでも打ちこめばどうだ? ミカは必ず、私とコンタクトをとろうとするはずだ。
(それにミカは、アリウスとの和解を望んでいると言っていた。その気持ちに嘘がないのなら―――)
待て、落ち着け。体が火照り、掛けていたタオルケットを乱雑に投げ捨てた。ミカがアリウスと和解したいと思っているのなら、セイアを襲撃させたことが腑に落ちない。そんな自分の立場を悪くするようなことをするだろうか?
(三頭政治の一角が崩れ……ナギサも殺されたとしたら……残りはミカだけになる。アリウスはミカを見逃すだろうか?)
……ありえない。もしそうなったとしたら、ミカには傀儡の役割すらこなせないだろう。三頭政治のうち二人が死んで、残った一人がアリウスと和解したいなどと言い出したら即座にクーデターだ。ナギサを殺し、用済みになったミカも始末し、ティーパーティーが崩壊して混乱するトリニティを本格的に滅ぼしにかかり……というのが、一番ありえそうなシナリオだ。
(だがもし……もし、アズサの仮定が、全て正しかったとすれば……。)
つまり、ミカは本当にアリウスと和解したいと考えていて、セイアも本当は殺すつもりがなかった、というパターンだ。これなら交渉次第で、ミカと協力関係を結ぶことが出来るかもしれない。セイアを殺そうとしたアリウスと、それを守ったアズサ。これを信じさせることが出来れば、アリウスと手を切らせることが出来るんじゃあないか?
スマホを手に取り、モモトークを起動する。真っ暗な部屋の中だと、普段は優しいピンク色でさえ目に痛い。目を細めながらミカの連絡先をタップするが、文章を打ちこむことが出来ない。
ミカと協力関係を結べれば、アリウスの情報が得られる。ナギサに働きかけて、補習授業部の退学を撤回させることが出来るかもしれない。リスクは大きいが、リターンも大きい。
(思い出せ! ミカの態度、言葉、すべてを! あいつを信じるのか、それとも信じないのか!)
震える指で、文章を打ちこむ。百合園セイアは生きている。たったそれだけの、12字の短い文章。これが私たちの、これからの運命を大きく変えるかもしれない。もし失敗すれば、アズサが二重スパイであることがバレる。ミカの秘密を知る私たちは、トリニティそのものの敵になるかもしれない。もしそうなれば、補習授業部の奴らとも敵同士だ。憎しみあい、傷つけあうことになるかもしれないんだ。
(私だけじゃなく、アズサまでも……。)
アズサの笑顔を思い出す。私と同じように、学びを得ることを、友人と語らうことを、新鮮な驚きと喜びを享受する彼女から、それを奪ってしまっていいのか? ミカを信じていいのか? 命の危険がある航海に、ほとんど初対面みたいな奴を船頭にして、出港するようなものなんだぞ? 私はその船に乗れるのか?
「私は―――――。」
震える人指し指は、ついにその行先を決めた。いつもよりさらに強い力で、電源ボタンに触れた。一瞬で画面が真っ暗になり、部屋は再び闇に閉ざされた。
(……信じられる、わけがない。ミカの好物だって、好きな音楽だって知らない。私たちのこの生活を、命を、預けられるわけがない。)
そう、決めた。そのはずなのに、まだ胸騒ぎは収まらない。とにかく眠ってしまおうと枕に顔を埋めたが、時間だけが空しく過ぎていく。
「……外の空気を吸おう。少しは気分がマシになるかもしれない。」
私はこっそり部屋を出た。スマホは置いて行くことにした。
――――――――――――――――――――
誰もいないというのに、ここは真夜中でも明かりが消えない。電気の無駄遣いだと思わなくもないが、今はそれがありがたかった。今から行くなら……そうだな、テラスがいいかもしれない。そう考えて歩みを進める私の視線の先に、意外な人物が佇んでいた。
「……先生?」
「リンゴ……どうしたの、こんな真夜中まで。」
「少し、眠れなくてな。あなたもそうなのか?」
「……まあ、そんなところかな。」
先生は自販機でココアを二つ買い、私に一つを手渡した。いつもなら遠慮するところだったが、今日の私は素直に受け取った。優しい甘みが心まで温めてくれないかと思った。
「……不安かな? 次の試験。」
「そんなんじゃあない。ただ……どうするべきか、わからないんだ。」
私の言葉は夜の暗さの中に吸い込まれて、どこかへ消えていった。静寂の中、思わず私は尋ねてしまった。
「……聞かないのか? 何に迷っているのか。」
「リンゴが話したいっていうなら、私は精一杯話を聞くよ。どうすればいいのか、一緒に本気で考えたいと思ってる。」
「でも、リンゴが話したくないなら、私がそれを無理に聞き出すのは良くないことだと思うから。最後に決断を下すのはリンゴ自身で、私はそれを応援することしか出来ないから。」
「……そうか。」
私は思わず、この人にすべてを話してしまおうかと思った。足元に跪き、自分の呪われた過去の全てを告白してしまいたい。これから私がどうするべきなのか、教えを乞いたい。
でもそれは、きっと今じゃない。私には夢がある。楽になるのは、夢が叶ったその後でいい。
「……先生。」
「何かな?」
「いつかちゃんと……ちゃんと、全部話す。話させてほしい。でも、今は……。」
「大丈夫。リンゴが話したくなるまで、待ってるからね。」
「……ありがとう。」
……外に出たのは正解だった。先生に会えて、ここで話が出来てよかった。
「おかげで、少し眠くなってきたみたいだ。ありがとう、先生。」
「うん、お休み。また明日も、一緒に頑張ろうね。」
来た時とは違い、帰る時の足取りは軽い。明日もまだ、歩いて行けるだろう。
―――――――――――――――――――
「……。」
去っていくリンゴの背中を見送り、先生はココアを一息に飲み干した。握りしめた空の缶をじっと見つめ、何かを考えているようだった。
「……私は『大人』で、『先生』だから。リンゴに聞いたらこれをきっと説明してくれると思う。でも、余計な負担をかけたくない。今は特に、大事な時だからね。」
先生は覚悟を決めたように歩き出し、自販機の傍に備え付けられたゴミ箱に空き缶を捨てる。不透明な箱だから、しばらくは誰にも気づかれないはずだ。
――――手形のような穴が開いた、ボロボロの空き缶に。
「
リンゴはまだ、何も知らない。ベッドの中で、穏やかな寝息を立てるのみだった。