とうとう、試験前の最後の日が終わろうとしていた。既に太陽は沈み切って、別館は電燈の明かりに煌々と照らされていた。私たちは既に夕食やシャワーを済ませ、後はもう眠るだけになる。
「……いよいよ、ですね。明日全てが決まります。」
「ああ。模試では全員合格できるようになってきたんだし、今更ジタバタしたって仕方ない。今日はしっかり休息をとろう。」
「そうですね。ところでヒフミちゃん、今度の試験会場などに変更はないのですか?」
「はい。何度も確認しましたが、今回はトリニティの校舎で行われるようです。特に不審な点は見当たらないので、後は全力でテストを受けるだけです!」
「うん。休むのも戦略の内、もう寝るとしよう。」
筆記用具や明日の制服などをチェックした後、私たちは皆それぞれのベッドに横になる。私はアズサが起き上がるのを確認してから、いつも通り廊下に待機した。このまましばらく待っていれば、アズサがやってくるはず……。そう思っていた私に、意外な人物の声がかけられた。
「リンゴちゃん? ひょっとして、リンゴちゃんも眠れないんですか……?」
「ヒフミか。……まあ、そんなところだな。アズサとハナコもいないようだし、寝ているのはコハルだけか。」
「そ、そうみたいですね……。」
私はあらためて、この補習授業部の部長を見つめた。……小さい。身長が、という意味ではなく……確かに私の方が一回り背は高いが……ヒフミの体だとか、オーラだとか……そういうものが、小型犬をイメージさせるようなサイズ感だ。この小さな体に、一体どれだけの重責を背負いこんでいたのだろうか?
「ふぇ? な、なんですかリンゴちゃん。」
「……おっと、すまない。嫌だったか?」
私はいつの間にか、ヒフミの頭を撫でていた。完全に無意識の行動だった。
「い、いえ、そういうことじゃないんですが……ただ、どうしていきなり撫でてくれるのかなって……。」
「……お前が、すごく頑張っていたからかな。」
ヒフミはスタンド使いじゃあないし、ましてアリウスにも関係ない。トリニティの裏切り者だなんて知る由もないだろう。どこにでもいる、普通の学生だ。それが退学のプレッシャーを背負わされて、なんの咎もないのに補習授業部の部長なんて役割を自分から引き受けた。
「すごい奴だよ、お前は……。私たちをここまで連れてきてくれたこと、本当に感謝している。」
「あっ……。」
「必ず合格しよう。絶対にだ。」
「は、はい! た、ただその、リンゴちゃん……か、顔が近いです……。」
ヒフミは顔を真っ赤にしている。しまったな、少し感情が高ぶりすぎた。こんなところを例の奴らに見られたら面倒なことに―――
「あら……あらあらあらあらあらあらあら!!」
「な、な、何してんのよ試験前に!! エッチなのはダメ!! 死刑!!!」
「……すまん、ヒフミ。」
――――――――――――――――――――
ひとまず私たちは、先生の部屋に集まることになった。ヒフミは緊張で眠れず、ハナコは何か調べものがあり、コハルは単純に目が覚めたら部屋に誰もいなかったために起き出してきたらしい。
「ところで、ハナコの調べものとは何なんだ?」
「……実は、シスターフッドの方と会って来たんです。明日試験を受ける予定の、会場のことで。」
「ま、まさかまた試験会場が変わったり……!?」
「いえ、そうではなく……どうやら明日、正義実現委員会が会場の建物全体を封鎖するようなんです。」
「せ、正義実現委員会が……? ど、どうしてそんなことするのよ!」
「エデン条約の重要書類を保管するという名目です。ですが実態は―――」
「……私たちを試験会場に入れないように、か。」
「その通りです。試験を受けたければ、正義実現委員会を敵に回せということなのでしょう。」
「どうしても私たちを退学にしたいらしいな。」
「ど、どうしてそこまで……。」
それに対する答えを持っている桐藤ナギサは今、この場にいない。誰も答えられるはずのない問いに、それでも答える声があった。この場にいなかったはずの、最後の1人の声だった。
「……私のせいだ。」
「アズサちゃん!? ど、どこに行ってたんですか!?」
「話したいことがある。リンゴ……話しても、いいだろうか?」
「! アズサ、お前は……。」
「大丈夫。覚悟は出来てるから。」
言葉とは裏腹に、アズサの体は小刻みに震えている。その恐怖、その緊張……痛いほどわかる。私だって、知られるのは怖い。ただアリウスの出身というだけでこれなのに、トリニティの裏切り者である彼女の心情はひどいものだろう。
だから、アズサの肩に手を置いた。こちらを見上げる彼女に、私は告げた。
「大丈夫だ、アズサ。私からも話そう。」
「……うん。」
「あ、アズサちゃん……? リンゴちゃん……?」
「皆、聞いてくれ。桐藤ナギサの探してるトリニティの裏切り者は、私なんだ。」
「私たちはアリウス分校というところから来た。アズサはトリニティのトップを殺すために。私は……スタンド使いを探すために。」
「あ、アリウス? スタンド? 何それ、どういうこと? こ、殺すって……!?」
私たちは全てを話した。アズサの任務、スタンドという概念、アリウスという学校……ハナコと先生以外にはほとんど理解できていないようだが、それでも話す義務がある。巻き込まれた彼女たちには、それについて知る権利がある。
「ちょ、ちょっと待ってよ! アリウスとかスタンドとかはよくわからないけど、私たち補習授業部とそれの何の関係があるっていうの? な、なんで二人ともそんな話をいきなりするの?」
「明日の朝、アリウス分校の生徒たちがナギサを暗殺するためにトリニティに潜入する。私はそれを止めなきゃならない。」
「……なるほど。正義実現委員会は試験会場を守っているため、ナギサさんの周辺からいなくなる。警備が手薄になったタイミングを狙って要人の襲撃……アリウスは中々頭が回るようですね。」
「私たちは共にアリウス出身だが、目的が同じだったわけじゃあない。ここで出会うまではな。」
「じゃ、じゃあ何をするつもりなの? アズサはティーパーティーをやっつけに来たのに止めないとって言うし、リンゴはスタンド使いのアズサを見つけたのに何もしてないし……。」
……コハルは馬鹿だが、間抜けじゃない。私が彼女に抱いた第一印象だ。今は合宿の成果もあり、もはや馬鹿ともいえなくなっているがな。視点の付け所がシャープで、鋭い意見を述べることが多い。
「それは……。」
「……変わった、ということですね。この補習授業部で。」
ハナコ。こいつはただの変態だと思っていたが、その実よく頭が回る。学力、思考力ともにトップレベルだろう。政治をやらせても、軍略をやらせても、ハナコならきっと難なくこなしてみせるのだろう。今回もまた、察してしまったらしい。
「アズサちゃんはトリニティの裏切り者であると同時に、アリウスをも裏切ろうとしています。リンゴちゃんはアリウスを逃げ出し追われる身……どこにいても、安心感を覚えることはなかったでしょう。二人とも、どこにも帰る場所がないとわかっていたはず。」
帰る場所……耳が痛いな。ベッドの上で死ねるなんて期待は初めからしていなかったが、それでも『家』を欲していた気持ちはある。帰る場所が欲しかった気持ちは―――。
「……だからこそ、わからないことがあります。どうしてアズサちゃんは、ナギサさんを守ろうとするんですか? 誰かから命令されたんですか?」
「これは誰からの命令でもない。私自身の命令で、ナギサを護衛すると決めたんだ。ナギサがいなくなれば、エデン条約は結ばれなくなる。キヴォトスが混乱に陥れば、アリウスのような学校が他にも出来てしまうかもしれない。」
「……どうしてリンゴちゃんは、逃げ出すほど恐れていたアリウスに反旗を翻そうとしたんですか? 話を聞く限り、あなたには既に居場所があるはずなのに。」
「さあな。ただ……私の心が、アリウスの存在を許さなかった。アズサのような子供に殺人の技術を教え、兵士という道具に作り替える場所があること……それ自体が、どうしても許せなくなった。多分、そういうことだ。」
「では最後に……どうしてその話を、私たちにもしたんですか? ずっと私たちを騙し続けていたのに、何故この土壇場になって話したんですか? ずっと騙したままでいれば、あなたたちに失望することもなかったのでは?」
「……。」
「……そうだな。お前の言う通りだよ、ハナコ。これは
無関係の人間を巻き込まない。それは私が娑婆に出て、『矢』を追うようになってから定めたルールだったはずだ。スタンド使いでない奴は、自分の身を守れる程度には強くなければならないと決めていた。なのに何故、こいつらには話してしまった?
「……ごめんなさい。お二人があまりにも眩しいから、つい意地悪をしたくなってしまいました。」
「何?」
「エデン条約……それに、アリウスの解放。どちらもおとぎ話のような、理想だけで出来た甘いお話。ですがそれを諦めず、必ず実現してみせると突き進むあなたたちが……あまりにも眩しくて、羨ましくなってしまったんです。」
「ハナコちゃん……。」
「本当はわかってるんです。お二人が全てを話してくれた理由。」
ハナコは笑みを浮かべた。曇りのない、晴れやかな笑顔だった。
「……私たちのことを、仲間だと思ってくれたんですよね?」
「……。」
「それは……そんな、わけが……。」
スタンド使いじゃあない。特別に腕が立つわけでもない。先生のような能力も、権威もあるわけじゃあない。
「あなたたちの役に立つと思ったわけではなく……一緒にいてほしいと。この補習授業部で、皆で勉強をして、食事をして、お掃除をしてパーティーをして……あまりにも楽しい日々だったから。この楽しい日々がずっと、ずっと続いてほしいと思っていたから……。」
「……!」
「違いますか、アズサちゃん? リンゴちゃん?」
ヒフミ、コハル、ハナコ。3人がいたところで、足手まといになることの方がきっと多い。彼女らにはスタンドも見えないのだから。でもそんなことを抜きにして、一緒にいてほしいと……そう思ったのか?
私の脳裏に、スマホの連絡先に並んだスタンド使いたちが浮かぶ。そういえば、こいつらに連絡をしないのも妙な話だった。役に立たないのに、一緒にいてほしい。役に立つのに、巻き込みたくない。私の思考も、行動も、矛盾だらけだ。
「そうか……。」
「うん。ハナコの言う通りなんだと思う。私たちは皆のことが大好きで……もっともっと、一緒にいたいと思ってしまったんだ。」
そうだ。認めてしまえば、簡単な話だった。私は何もかも諦めたくなかった。『アリウスを解き放つ』『友達も守る』両方やらなくっちゃあならないのが、私の辛いところだ。
「アズサちゃんは、いつか言っていましたよね? 『すべてが虚しくても、最後まで抵抗をやめてはいけない』と……。私も今なら、そう思います。何もかも、諦めなくていいんです。」
ハナコはすくと立ち上がり、語気を強めた。今までに見たことがないくらい、真剣な声と表情だった。
「……桐藤ナギサさんを守りましょう。朝に行われるアリウスの襲撃を阻止し、試験も受けるんです。そして全員合格して、胸を張って学園生活を続けるんです。」
「で、でもそんなことは物理的に不可能なはず……。試験は朝の9時からで、襲撃も同じ時間なんだぞ。」
「―――
「リンゴ……。」
「お前は私が現れるまで、アリウスから出られるかもしれないと思ったか? そんなこと『出来るわけがない』と、絶望が蔓延していたのがあの場所じゃあないのか?」
「……。」
「ふふっ♡ それにここには……正義実現委員会のメンバー、トリニティの偏愛を受ける自称一般人、トリニティのほぼ全てに精通した人、ゲリラ戦の達人……そして不思議な力を持った、アリウスの希望の象徴がいるんですよ?」
「それに、ちょっとしたマスターキーのような『シャーレの先生』までいるんです。これだけの役者がそろえば……。」
「トリニティを転覆させて、アリウスを復活させるくらい……そうですね、3日もあれば十分ですよ♡」
「……お前が言うと、冗談に聞こえなくて恐ろしいぜ。」
「うふふ、褒め言葉として受け取っておきますね♡」
「ああ。私は……まったく、頼もしい仲間を持ったものだ。」
自分の気持ちを真っ直ぐ伝えるアズサに、密かに憧れを持っていた。こうして嬉しそうに微笑むハナコの顔を見る限り、たまにはそうするのも大事なのかもしれないな。
また一つ、知らないことを学んだ。この日々を守るため……私たちは、それぞれの武器を手に取った。