アビドス高校での戦いの後、家に帰って来たころにはとっくに夜も更けていた。私はシャワーを浴びて汗を流し、まだ少ししっとりとした髪のまま、ベッドの上で横になった。戦闘により疲れた体ならば、すぐに眠りに落ちるだろうと思っていたが、妙に頭が冴えて眠れない。
(スタンドに精神を乗っ取られる……か。)
私もスタンド使いに関して詳しいわけではないが、そんなケースは聞いたことがない。もう解決したことだと自分を納得させようとするが、その要因が何故か気になって仕方がない。
(何故か? ……そんなこと、決まっている。)
ベッドから起き上がり、静かに自らのスタンドの名前を呼ぶ。傍に控えるように現れたそいつを改めてじっくりと眺めた。
「スタンドは『精神のエネルギー』だ。だからその姿も、本体の精神の影響を受ける。」
私にとってこの『スティッキィ・フィンガーズ』は、自分自身の精神を形にしたもの……そのはずだ。だがこいつの姿を見るたびに、私は例えようのない『抵抗』のようなものを覚えていた。
「……やめよう。これ以上自己嫌悪を続けて、自分で自分を傷つけたところで意味はない。」
スティッキィ・フィンガーズの顔の上半分はヘルメットのようなデザインで覆われ、その下の表情は見えない。マネキンのような無機質な顔を見ていたところで、何ひとつとして私の求める答えは得られないだろう。
「お前は―――私のスタンド。そのはずだ。私が思うように操作できるし、お前の傷は私の傷だ。」
「……だから、お前が。私を乗っ取るようなことは―――」
ヴヴヴヴヴヴヴヴ!
静寂の部屋の中で、突然響いたバイブレーションの音に驚き、痙攣するように体が跳ねた。どうやら私のスマホが通知を発したらしい。
「誰だ……? シロコのスタ爆はやめろと言っておいたはずだし……。」
私の仲間になると豪語した砂狼シロコとは連絡先を交換しておいた。私たちと別れた後、シロコが傷つけてしまった後輩の見舞いに訪れた彼女は、後輩が思ったより遥かに元気そうだったことや、仲が険悪にならなかったことを喜び、私に大量のメッセージを送りつけてきていた。あまりに鬱陶しいのでしっかり釘をさしておいた。それがこんな深夜に、いきなりメッセージを送って来ることはないだろう。
「送り主は……先生? 内容は―――」
『リンゴ、明日の15時頃にシャーレに来られる?』
『ついてきてほしいところがあるんだ。』
「15時頃……。」
ちらりと時計を見てみれば、針は既に1時を回っている。寝られないとは思っていたが、いつの間にかこんなに時間が経っていたのか。
「とにかく返信しよう。だが……。」
『問題ない。だが先生、ひょっとして今まで仕事をしていたのか?』
『……。』
『そんなことないよ?』
「……。」
文面だけのやりとりだというのに、あの人の困ったような苦笑いが目に浮かぶ。大方アビドスを訪問していた時間の分、遅れた仕事が残っているというところだろう。
『それならいい。早く休むべきだ、お互いにな。』
『そうだね、おやすみ。』
先生に早く休めといった以上、私が寝ないというわけにはいかない。とにかく眠れなくても、目を閉じて横になろう。
ベッドに体を預け目を閉じる。思考や不安が止むことはなかったが、いつの間にか眠りの世界へと沈んでいった。
―――――――――――――――――――――
「……リンゴ。その、人にはそう簡単に触っちゃいけないデリケートな場所ってものがあるんだ。」
「な……ッ! 勘違いするな先生! あいつの奇妙な格好は私のせいじゃあないッ!!」
「なんだか、とっても失礼なことを言われてる気がする。」
先生に連れられ、私はミレニアムサイエンススクールのある一室を訪れていた。ハイテクな施設や飛び交うドローンに目を奪われ、少し浮足立った気分の私を出迎えたのは、上着を着るのを忘れたのかと問いたくなるような奇妙な服装をした女だった。
「ただ単に下着の真ん中にジッパーがついているだけだろうッ! というか、あれが許されるなら私だって……!」
スティッキィ・フィンガーズは私の制服の胸元に触れ、真ん中あたりを真っ二つに裂いた。この解放感にこのデザイン、いっそ恐ろしいほどしっくりくる。谷間は大きく晒されるが、別に誰かに見せるわけでもなし、気にはならないな。
「おお。なんだかこの子とは仲良くなれそう。」
「ちょ、ちょっとリンゴさん?」
「エイミ? そろそろ私を呼びに来る時間で……え、えぇ?」
声のした方に素早く視線を向ける。真っ白な長髪を揺らしながら、病的なまでに色白の車椅子に乗った生徒がこちらに困惑の目線を向けている。
「あ、部長。見て、私と同じ感覚の子がいたよ。」
「えぇ……。これ以上露出度の高い生徒が増えるのは困るのですが……ま、まあここは先生の前ですし、この超天才美少女ハッカーである明星ヒマリのゲヘナの火山のマグマだまりよりもさらに深い心で許してあげましょう。」
「一つの台詞でどれだけ喋るつもりなんだ、こいつは……。」
やけに情報量が多い台詞だったが、かみ砕いて考えよう。この車椅子の生徒は明星ヒマリ。ハッカーであるらしい。
「えっと……ヒマリが、私たちをここに呼んでくれたのかな?」
「おっと、そうでした。お初にお目にかかります、先生? ミレニアムサイエンススクール、特異現象捜査部部長を務めております、明星ヒマリです。ふふっ、気軽に初雪よりも透き通った透明感を持つ美少女系天才ハッカーとお呼びください。」
「この人のことはヒマリでいいよ。私は和泉元エイミ。よろしくね。」
……成程、大体わかってきた。ヒマリの言う事は話半分で聞いておけばいいらしいな。
「私はシャーレの先生だよ。それでこっちが……。」
「黒沢リンゴ。シャーレで護衛のアルバイトをしている。」
アビドス高校では、私はスタンド問題の専門家として先生に紹介されていたが、これから対外的にはシャーレの護衛を名乗ることにした。一身上の都合から、あまり目立つようなことは避けたい。
「あら、今回はそのような設定で行くのですね? スタンドの専門家さん?」
「ッ!?」
思わず先生の腕を掴み、後ろに強く引っ張ってしまう。この女ッ! 車椅子だからと油断したッ!!
「お前たち……! スタンド使いかッ!」
警戒を深め、注意深く二人の動向を見る。エイミはため息をつきながら、明星ヒマリの方にじとっとした視線を向けた。
「部長……そんな言い方したらそりゃ警戒しちゃうよ。何やってるのさ。」
「あらエイミ、あなたはユーモアを解する方でしょう? こういう場を和ませるジョークは淑女に必須のスキルですよ?」
「空気、むしろ緊迫してるけど……。」
「リンゴ、ひょっとして二人とも、関係ないんじゃ……。」
「……。」
先生が遠慮がちに呼びかけてくる。だがスタンド戦は常に先手必勝、情報戦だ。私のことを知っているらしきこの二人に先手を取られたらかなり不利になるだろう。警戒するに越したことはない。
「はあ……。ごめんねリンゴ。この人ハッカーだから、シャーレの先生が連邦生徒会に報告するために造ってた資料をのぞき見したんだ。それであなたの存在とか、スタンドに関する基本的な情報も持ってるの。」
「え!? シャーレのセキュリティがそんな簡単に突破されるはずは―――」
「ふふん! このミレニアムが誇る超天才であり『全知』の称号を持つ眉目秀麗にして才色兼備の私にかかればその程度、児戯にも等しいものですよ。」
「……それはそれで問題だろう。」
なんだか毒気が抜かれてしまった。そもそも相手は明らかな病人、殴るというのも気がひける。
「わかった、お前らは敵じゃないと信じてやる。それより、私たちをここに呼んだのは何故だ?」
「うん、ありがとう。部長、次はふざけるのはなしだからね。」
「二人とも真面目な後輩ですね……。まあそろそろアイスブレイクは十分でしょうし、本題に入りましょうか。」
一つわざとらしく咳払いをし、ヒマリは薄い胸を張って話始めた。
「私たちは『特異現象捜査部』と名乗っています。文字通り科学では簡単に究明できない現象を追究、研究する部活です。簡単に言ってしまえば、オカルトやオーパーツについて調査しているということですね。」
「あ、でもあんまり大々的にこのことを喋るのはやめてね。一応秘密の部活ってことになってるから。」
「当初は部長である私の興味の赴くままに、様々な研究や調査を行っていたのですが……あの下水道に住む鼠のトイレを流れる水のような女に懇願され、現在は『スタンド』の調査を行っているのです。」
なるほど、話が見えてきた。それでスタンド使いの私に声をかけてきたというわけだ。
「言っておくが、あんたらのモルモットになれというのなら御免だ。」
「あら、私がかわいい後輩にそんなことをすると思いましたか? 流石に悲しいです、よよよ……。」
「この前、サンプルは多ければ多いほどいいって言ってなかった? 確か、アビドス高等学校の砂狼シロコが資料に追加された時。」
「エイミ? 誤解を招きそうな表現はやめていただけませんか?」
……やっぱり一回くらい殴っておくべきかもしれない。私の視線に気づいたのか、ヒマリは大きく咳ばらいをして話をする。
「お、オホン! そして今回の目的はズバリ、ヘッドハンティングです! 黒沢リンゴさん、あなたをこの『特異現象捜査部』の臨時部員としてスカウトしたいのです!」
「私たちはあまりにもスタンドに対する理解が足りてないからね。協力してくれるならありがたいんだけど。」
「……まずはあんたが提供できるメリットが知りたい。私のために何をしてくれる?」
「そうですね……。あなたの活動にかかる、金銭的な支援などはいかがですか? この発明王を凌ぐほどの素晴らしいアイデアの源泉である私は、いくつか特許を取得しています。その使用料で、はっきり言って私一人では使いきれないほどのお金があるのですよ。」
「……部長、交渉下手すぎない? 初手お金は怪しすぎるよ。」
「わかった、それならこっちから要求を伝えよう。私が欲しいものは二つ。情報と戦力だ。」
シロコとの戦いで痛感した。スタンド使いとの戦いは相当にヘビーだ。矢を使っている奴の目的もわからないが、そいつがスタンド使いであることだけは間違いない。そして奴がスタンド使いを増やしている以上、そいつらと戦う機会だってこれから先増えていくことだろう。
それらを全て一人で捌きながら、矢を追うというのは現実的じゃない。協力者が必要だ。信用がおける人物で、スタンド使いならなおいい。
「あんたたちがそれを提供できるというのなら、喜んで協力しよう。最も、あんたたちを信用したわけじゃないがな……。」
「リンゴ……。」
先生が不安げな視線を向けてくるが、これは先生のためでもある。この人の指揮は一級品だと聞いているし、現に見せてもらった戦闘記録のビデオも素晴らしいものだった。指揮官として、これ以上はいないと言ってもいいだろう。
だが、あまりにも脆すぎる。普通の銃弾一発でも死に至るような人を守りながら戦うというのは、私にとってとんでもなく大きなハンデになってしまうだろう。
(それに、これ以上仕事を増やすのはあまりにも不憫だからな。『特異現象捜査部』とやらに信用がおけるなら……。)
私の考えに答えるかのように、ヒマリは自信満々といった顔で笑う。
「それなら何の問題もありませんね。この―――」
「部長の能力は本物だよ。人間として信用できなくても、そこだけは最上級。」
「……エ~イ~ミ~? せっかくいい所だったというのに……。」
「これでも結構真面目なところがあるから、スタンドに関する情報も毎日収集してにらめっこしてる。ほら、これ見て。」
言いながら、エイミは慣れた手つきで端末を操作する。私たちの前にある巨大なモニターに、何かの地図のようなものが映し出された。
「これは……。」
「キヴォトスで日夜発生してる犯罪の中から、スタンドに関連していそうなものをピックアップして学園ごとに並べたもの。そもそもの母数が多すぎて苦労したけどね。」
つい昨日訪れた、アビドス高等学校。私が暮らしていた矯正局を運営しているヴァルキューレ警察学校。百鬼夜行、レッドウィンター、ゲヘナ、ミレニアムと錚々たる面子が並ぶ中、一際私の目を引く場所があった。
「『トリニティ総合学園』……。ここだけ、妙に多くないか?」
「ええ。ちょうど私たちも、その話をしたいと思っていたのです。あそこはどうも隠蔽体質が染みついているようですが、私にかかればこんなものですよ。」
「トリニティは最近、犯罪率が急上昇してる。部長の言ったみたいに隠蔽されてるから目立たないけど、母数が増えた分、スタンドの疑惑がある犯罪も多いんだ。」
「これを調査していけば、矢の足取りを辿れるかもしれない、ということか……。」
これは確かに有力な情報だ。何から手を付けていけばわからない現状だと、とにかく矢の痕跡がある場所を辿るのが確実だろう。リアルタイムで更新され続けるであろう犯罪を、こうしてデータとして見せてくれるというのなら、私の捜査もグッとやりやすくなる。
「この……スタンドの疑いがある犯罪の中で、一番最近のものはなんだ?」
「そうですね……その前に、部長としてのお願いを聞いていただけませんか?」
ヒマリは微笑を浮かべ、人差し指をすっと立てる。こちらから要求するばかりではなく、あくまでギブアンドテイクの関係を求めているということか。そっちの方が、私としても信用できる。
「わかった。何をさせたいんだ?」
ヒマリが端末を操作すると、画面が何人かの生徒の顔に切り替わった。それを見て、先生が小さくあっと声を上げる。
「先生、知っているのか?」
「彼女たちはこの才知が集うミレニアムの中でも、特異な才能を持つ方々ですから。先生にも出会ったことがあっても不思議ではありません。」
「リンゴさん。あなたに頼みたいのはまさに、この子たちの調査なのです。」
「彼女たちの『才能』―――それは『スタンド』かもしれない。もしそれが、砂狼シロコさんのように暴走したら……。」
「少なくとも、ミレニアムが大混乱に陥るのだけは間違いないね。最悪、キヴォトス全体に波及していくかも。」
私の隣で先生が息を呑む。そんなに危険な奴らなのか?
「わかった。私としても、スタンド使いがいるというのなら接触しない理由はない。」
画面に表示された3人の顔と名前をじっくりと脳に焼き付け、私は強く頷いた。
スティッキィ・フィンガーズ 本体 黒沢リンゴ
【破壊力:C / スピード:C / 射程距離:C/ 持続力:D/ 精密動作性:D/ 成長性:B】
拳で触れた部分にジッパーを取り付けることが出来る。ジッパーは物体の強度に関わらず、自在に開閉できるようだ。
本体であるリンゴは、スタンドを使いこなせている気があまりしないと証言しており、未だ隠された何かがあるのかもしれない。